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 言語の特性を知るにあたって、その背景にある宗教との関係を知っておくことは重要である。宗教的価値観によって発生する言語は様々に変化し、その言語によって人々は考え、行動するのである。今日は、現在世界的な戦争やテロの原因となっているキリスト教とイスラム教、その母体となるユダヤ教について、岐阜大学の小澤克彦名誉教授の解説を引用してみよう。

「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラーム」三つの宗教の関係

はじめに
 西洋と中東の争いは「政治的な要素、侵略」という性格が強いですが、それでもその二つの勢力の「精神的支柱」は「宗教」によって説明でき、それは「西洋のキリスト教と中東のイスラームのぶつかり合い」とされます。ここでは欧米に流布している宗教としてのキリスト教と中東に流布しているイスラームと、さらにその「二つの宗教の母胎でありパレスチナ戦争の主原因」とされている「ユダヤ教」の三つの宗教の有り様を見ていきたいと思います。 ---Read More---

三つの宗教の基本的関係
 ユダヤ教、キリスト教、イスラームの関係ですがこの三つは「姉妹宗教」と呼ばれ、その「奉ずる神は同一」です。ユダヤ教ではしばしばこの神の名前を「ヤハウエ、ヤーヴェ」といった発音で呼ぶとされますが、ユダヤ教以降は戒律に「神の名前をみだりに呼ぶなかれ」というものがあるため信者はこの名前を口にしません。「ヘブライ神話」の段階の話しとして出てくるのが普通です。
 イスラームでの「アッラー」というのは神の名前ではなく、日本語的に言えばただ普通名詞で「神」というだけのことです。もちろん戒律通りに神の名前を口にしないからです。


 「神は同一」なのにどうして三つになってしまったのかということですが、元々はこの「ヤハウエ神」はヘブライ民族(イスラエル民族、ユダヤ民族といっても同じ)の民間信仰の神の名前です。このヘブライの民間宗教が後に組織的な宗教となって「ユダヤ教」と呼ばれるようになって、この「ユダヤ教」から「キリスト教」が出てきて、さらにまたこのキリスト教から「イスラーム」がでてくるのです。ですから「キリスト教」も「イスラーム」も「ユダヤ教」も「神は同一」ということになるのでした。

 そのユダヤ教以前の「ヤハウエ」を神とするヘブライの民間宗教というのは紀元前の1000年以上前からのもので、そこからユダヤ教が成立する経緯はつぎのようになります。すなわち、このヘブライ人が紀元前1000年頃「サウル王、ダビデ王、ソロモン王」によって始めて独立した国を持つことができました。

 しかし、その後まもなく内部分裂を起こして、「北のイスラエル」と「南のユダ」のそれぞれの王国に分裂してしまいます。それがさらに外敵に攻められて北のイスラエルは早々と、やがて南のユダ王国も程なく滅亡してしまいます。そしてユダ王国にあったヘブライ人の多くが征服者であった「バビロンに連行」されてしまいますが、その後まもなくペルシャによって解放されて元の国のあったパレスチナ地方に戻ります。紀元前500年頃と覚えておくと便利です。そして「神殿」を再建して新たな出発を誓ってこれまでの民間信仰を自覚的に宗教として組織的化したのでした。この、バビロン捕囚以降にパレスチナに戻ってきて形成した「自覚的・組織的なヘブライ人の宗教」を「ユダヤ教」と呼んでいるのです。

 そしてさらに500年経った頃つまり紀元0年頃ということですが、この「ユダヤ教」の中に「イエス」が生まれて「ユダヤ教の刷新運動」を起こします。しかし彼はユダヤ教徒に憎まれて「十字架刑」によって殺されてしまいます。紀元後30年くらいです。

 しかし、残された弟子達が「イエスの復活」という事件に再結集してイエスの教えを伝えるようになり、そうした宗教運動がギリシャ人に伝えられてここで「キリスと教(「キリスト」というのはヘブライ語での「救世主メシア」のギリシャ語訳です」と呼ばれるようになったのです。こうして「キリスト教」はユダヤ人のもとから「ギリシャ・ローマの人々」、そしてやがて「西欧に入ってきたゲルマン民族(現在の西欧人)」に伝えられていったのでした。

 さらにまた600年くらい経った頃、アラビア半島で「ムハンマド」がキリスト教の天使「ガブリエル」から啓示を受けて新たに宗教運動を起こします。それはヨーロッパ化してしまったキリスト教を再び中東の性格にもどしたような性格を持ち、それを「イスラーム」と呼んでいるわけでした。イスラームとは「平安であれ」とか「絶対的に神に服する」という意味です。そういう理由で、最近では「イスラム教」とは呼ばずに「イスラーム」とだけ呼んでいるのでした。

三つの宗教の基本的性格
 ユダヤ教はヘブライ人の民間宗教を元にしていますから、やはり「ユダヤ人のユダヤ人によるユダヤ人のための宗教」という性格を持っています。日本の古神道やインドのヒンズー教などもそうした性格を持っています。これらはその民族に特有のものとなりますので、こうした性格の宗教を通常「民族宗教」と呼んでいます。
 この民族宗教の特質は「その民族に繁栄をもたらす」ということが中心となっていて、したがって世界的には「自然崇拝」が多いのですが、ユダヤ教の場合は回りの自然は砂漠で貧しいといった状況であったため逆に「神が豊かな地を授ける」という形の宗教になってきます。この「約束の地」とは「パレスチナ地方」としたため現在にまで尾を引きパレスチナ戦争の大きな要因になっているのでした。またその神の「約束」が果たされるためには「神に絶対服従する」という約束をすることになり、こうした両者の関係を「契約」と呼んでいます。そしてまた「約束の厳守」とは「戒律を守る」という形になりしたがってユダヤ教は厳しい「戒律主義」となりました。

 それに対して「キリスト教」はもともとが「ユダヤ教の刷新運動」でしたので当初は「ユダヤ人を対象」にしていましたが、「パウロ」という人物が現れたことで当時の「ギリシャ人に伝道」されていきました。これによってキリスト教は「人類全体」が「神の救い」の対象とされたのです。「救い」というのはユダヤ教の場合は「豊かな土地」でしたが、キリスト教では「この地上での苦しみや悪からの救い」となります。これはもともとは「貧しく虐げられている人々の救い」でした。それが後に「人類総体の地上的な悪からの救い」とされ、これは「人類普遍の罪(原罪と呼びます)」によって生ずるとされたところからその「罪と悪からの救い」となります。そして神は人類を見守り、その罪から救い取ろうとしているという「神の愛」を信ずることにその教えの中心を置き、「神への愛とそれに基づく人間愛」を基本とします。
 しかしこれは「初期キリスト教」の立場で、長い歴史の中にずいぶんと教えが曲げられて自分勝手な自己中心的な解釈もでてきてしまいました。これが現在のキリスト教の混迷を招いているともいえます。

 「イスラーム」はこのキリスト教からでてくるのですから当然ここも「人類全体」が対象となります。こうしたキリスト教、イスラームのタイプの宗教を「世界宗教」と呼び、仏教もこのタイプとなります。
 イスラームの特徴は、教義そのものの骨幹はキリスト教と変わらないのですが「徹底的に唯一神のあり方を厳守」することと「『聖典クルアーン』の言葉の厳守」にあります。
 唯一神を徹底的に守るということから「神の子としてのイエス」などは認めず、イスラームではイエスの位置づけは「始祖の預言者ムハンマドに先立つ最高度の預言者」ということになります。
 イスラームでは聖典の言葉は「神の言葉」として文字通りに受け取られ守られるのであり、キリスト教にあった「解釈」ということが拒否されます。ですから聖典の言葉の絶対化があり「豚肉は駄目」とあったら理屈抜きに駄目とするわけでした。このことは同時に文字通りに言葉を守るということからユダヤ教にあった「戒律主義」に復帰しているという事も意味していて、この点もイスラームの特徴となります。
 それとイスラームの特徴はキリスト教がヨーロッパ化することで失った「中東の生活習慣」が大幅に取り入れられていることで、この点でもユダヤ教に近くなっています。

三つの宗教のお互いの位置づけ
 信仰者というのはその宗教が正しいとして信じているわけですから、誰かが「それは違う」と言ってきても反発するだけでその言葉に耳を傾けようとはしません。ですから「ユダヤ教」を信じる人々はイエスが「違う」と言ってきた時反発して怒って彼を殺してしまったわけです。耳を傾けて納得した「ユダヤ教信者」は結局「キリスト教信者」ということになりました。ですから「ユダヤ教はユダヤ教である限りキリスト教を認めるわけにはいかない」のです。
 他方、その「キリスト教」の信者もムハンマドがキリスト教信者はイエスを誤解していると言ってもその言葉に耳を傾けることはしません。もし傾けて納得してしまったらその人はキリスト教信者ではなくなり「イスラーム」になってしまいます。ですから「キリスト教はキリスト教である限りイスラームを認めることはあり得ない」のです。
 ここで、「ユダヤ教」の側が「キリスト教」は自分たちに反抗的・敵対的だと思ったら「キリスト教への激しい迫害」に移ります。そして実際歴史的にそうなりました。他方「キリスト教」の方は母胎である「ユダヤ教」を「ユダヤ教だから」という理由で弾圧・迫害するわけにはいきません。「母胎」なのですから。

 おなじように、「キリスト教徒」はイスラームが自分たちに反抗的だと思ったらやはり「イスラームに対して戦闘態勢」をとります。これも歴史的に生じてしまいました。
 他方、イスラームは母胎であるキリスト教をキリスト教だからという理由で排撃するわけにはいきません。「母胎」だからです。実際『クルアーン』では「ユダヤ・キリスト教徒は同じ経典の民」とされているのですからなおさらです。
 つまり「後発の宗教」は「母胎」である先行の宗教を認めざるを得ないけれど、「先行の宗教」は「後発の宗教」を認めるわけにはいかず、むしろ「迫害」に移るのでした。つまり、「ユダヤ教」は「キリスト教」を迫害するが、「キリスト教徒」の方は「ユダヤ教」を攻撃することはできず、同じように「キリスト教徒」は「イスラーム信徒」を迫害するけれど、イスラーム信徒はキリスト教を攻撃することはできないのです。

 ということになるとこの三つの宗教の場面でのいわゆる「宗教戦争」とは何かというと、それは「先行宗教の後発宗教への迫害」か、あるいはそれに伴う「後発の側の反撃」か、あるいは宗教が原因というよりむしろ「政治的・社会的要因による衝突」ということに気付くわけです。
   歴史的には「ユダヤ対キリスト者の相克」があり、また「キリスト教と「イスラーム」との関係で言えば何より両者の関係を決定的に破壊した「十字軍」(1096å¹´-1272å¹´)の事件があり、これは十字軍に虐殺されたアラブ・イスラームの人々にとっては怨念となっています。ついで西洋の被害としては「オスマン・トルコのヨーロッパ侵略」(オスマン帝国1299å¹´-1922å¹´ 最盛期1683å¹´)がとりわけ西洋人には「恐怖」として残り、現在にまでそれは尾を引いています。ただしこれは「宗教的攻撃」ではなく「政治的侵略」でした。



  まとめ
 以上に見られるように、「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラーム」はそれぞれ「前者を母胎」にして生じてきたものですが、イスラームに関して言うとイスラームとはキリスト教『聖書』の内容はそのまま受け入れながら、ただし「神の唯一性と超越性」を強調するところから「イエスの神性の否定」を明言して、そして「中東の生活習慣」を大幅に入れ込んだ宗教だと言えます。
 つまり「キリスト教」の性格を持ちながら「中東還り」しているのだと言えるわけで、このことは同じ中東の民の「ユダヤ教」への著しい接近が見られるということです。これがイスラームの性格なのですが、しかし母胎である「キリスト教」から見ると「イエスを裏切り」「民族性を強く主張」している怪しからぬ宗教と見えるのです。もちろん穏健なキリスト者は人々の自決権を認めてケンカしないようにしているのですが、「キリスト教右翼」と呼ばれる人々は「イスラームに対する敵意」を隠していません。この右翼はアメリカで強大な勢力となっていることが今日の世界の紛争の元となっていると言えます。また西欧にはかつて植民地としていた中東・アフリカからの移民が絶えず、イスラームが大きな勢力となっていることが「西欧の右翼」を大きく台頭させています。こうしてここでも問題が尽きません。
 他方「ユダヤ教」ですが、ここでも「右翼のシオニスト」が増大してパレスチナで大きな問題を起こしている一方、世界では依然として「ユダヤ人迫害」も止んでいません。こうした問題が噴出しているのが現代の世界なのです。

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