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 高文脈文化と低文脈文化ともいわれるもので、アメリカの文化人類学者エドワード・ホール(E.T.Hall 1914-2009年写真⇒)によて提唱された。


 高コンテクスト文化の最たるものが日本語で、文脈から様々なことを読み取ることが必要であり、言語表現に全てを含ませないことを美徳としている。当時の中国、アラブ諸国、ギリシャ、メキシコ、スペイン、イタリアの順で高コンテクストだとした。

 それに対して最も低コンテクストな文化はドイツ語(中でもスイスのドイツ語)であり、言語、ジェスチャー、トーンといった最低限の言語情報のみが重視され、それ以外の要素(社会的地位、状況、言葉遣い、雰囲気など)は除外して伝達される。この傾向は北欧やアメリカで強く、カナダ英語圏、イギリス、カナダフランス語圏、フランス、イタリアと弱まっていく。


 様々な人種や文化が入り混じる場所では、高コンテクストな解釈をしていると誤解が生まれ言語伝達の意味をなさなくなってしまうことから、正確な言語表現にのみ焦点を当てるようになったのではないかと考えられる。また、北欧のように厳しい自然環境で生き抜くためにも正確な言語伝達が必要だったのかもしれない。

 それに対し、極東である日本や中国は人種の交錯や異文化の流入が少なく、仏教(アジア全域)や儒教(中国、朝鮮、日本)の考え方が浸透したことにより共通の価値観を持った文化を築いており、そのことをベースに言語を省略化し行間を読むといった高度なコミュニケーションが発達した。また、ヨーロッパでも南の豊かな自然環境下では多少曖昧な表現で誤解を招いても生死に関わるほどではないことが影響して、高コンテクストな文化が生まれたのではないだろうか。「南東高北西低」と言える。


 高低と表現されるが優劣の意味ではない。高コンテクストは抽象的な表現や曖昧な表現でも会話が可能ではあるが、行間を読み解く能力が必要となり、受け手によっては誤解による情報伝達の齟齬(そご)が起きる可能性が高い。それに対して低コンテクストは誤解を招く心配は少なくなるが、正確な表現や具体的な言い回しをする能力が求められる。
 
 たとえば、「営業の山田さん、いらっしゃいますか?」と会社の受付で言うだけで、日本なら「はい、少々お待ちください。」と言って山田さんに来客があることを伝えてくれ、場合によっては応接間に通されお茶まで出てくる。

 しかし、これが欧米などの低コンテクス文化圏だと、「はい、おります。」で終わってしまうということになるので、「営業の山田さんと打ち合わせがあって来たのですが、取り次いでいただけますか?」と言う必要があるという訳である。

 
 もしかすると「営業の山田さんとは合いたくないので、山田さんがいるかどうか確かめてください。」と言うことも考えられる。しかし、この場合でも日本語では「営業の山田さん、いらっしゃいますか?」の表現を声色や表情などのパラ言語を微妙に変化させることで伝えることが可能である。これが高コンテクストという訳である。
 

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