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   馬塚古跡
(謙信公、愛馬の墓)
永禄4年(1561)の第4次川中島の合戦で上杉謙信公(この時は上杉政虎を名乗っていた)が敵陣に切り込んだ時に乗っていた愛馬(放生月毛の駒)が傷ついてしまい謙信公と共に春日山に帰る途中、ここまでたどり着いて倒れてしまった、と伝えられています。この辺りは昔、馬塚町と呼ばれ、この馬塚が町名の由来と成っています。現在の南城町2丁目、上越大通り、南本町2丁目の交差点を東に向かい(高田農業高校方向)次の信号の50メーターくらい手前の左側、ちょっと解り難いが 毘沙門... 続きを読む

村上義清と安福寺

先日、春日山城の支城の一つ、糸魚川の根知城へ行った時に、北信濃の戦国の武将、村上義清(後に上杉家の家臣、根知城主)のお墓が有ると言う安福寺へ行って来た。平日の根小屋集落、人ッ子一人歩いていない、お寺の名前もはっきりと解らない、、たまたま通りかかった高校生に聞いてみた。試しに、村上義清って知っていますか? 聞いてみた。 村上義清?どこの高校ですか? ときた。 ガクーン!! やっぱりな、もっとも私もつい半年くらい前までは村上義清なんて... 続きを読む

根知城跡

朝から秋晴れの天気だ、かねてから密かに考えていた、上杉謙信の春日山城の支城群のひとつ糸魚川市にある根知城跡に行って来た。
糸魚川市内の国道8号線から国道148号に入り「根知谷入口」から県道225号へ入り、踏切を渡り(大糸線)すぐ右に、根小屋集落に入ると暫くで右側に集落の集会場があるがその手前左側に数台が停められる駐車場がある。その向かいが根知城跡入口(写真)。少し先、右側に勝蓮寺がありその先が登山道入口
  根知城跡、根小屋口(写真)への手前の民家の前で2人の中年のおばさんが井戸端会... 続きを読む

不動山城跡、

朝起きてカーテンを開けると晴れ、、よし、行こう! 糸魚川市にある上杉謙信ゆかりの、春日山城の支城群の一つである、不動山城跡(ふどうやまじょうせき)に行って来た。国道8号線糸魚川市梶屋敷地内、早川橋西詰の信号交差点を県道270号線、笹倉温泉方面に入り、車で10分くらいか、越のバス停の丁字路を(標識があるが気が付き難い)左に曲がる。早川の橋を渡りすぐY字路を左へ曲がる、ちょっと進むと狭い道を右に(小さな案内板が有るが字が剝げて草などの影になり見え難い)曲がり細い道を登って行く。とうとう不安になり、... 続きを読む
博学な私は三分一ヶ原古戦場(さんぶいちがはら)と言う地名も、ごく最近まで知らなかった。有難い事に今の仕事を始めてから、遅ればせながら地元の歴史、名所、に多少の興味を持ち、NHK大河ドラマ「天地人」で、 歴史と言うものは面白いねー!、、、ここ旧頚城村(現上越市頚城区)三分一地区の古戦場跡、何回も近くを通るんだが、なかなか場所が解らなかった。
昨夜仕事でたまたまご乗車頂いた旅行帰りの老夫婦、行き先を聞くと、”三分一”????>>><<、、 乗車中お客様に古戦場跡の場所を訪ねると、詳しく教えてく... 続きを読む

関山神社

国道18号線、妙高市関山地内の信号を(西)関温泉、燕温泉方面に曲がりすぐカーブを曲がると右側に、関山神社(写真)駐車場がある。
関山神社が古くから修験の場として信仰を集め、木曽義仲、上杉謙信も崇敬していたとは最近まで知らなかった、   (^も^;) 
ここの神社は何度か参拝している、又、妙高カントリー倶楽部でゴルフのプレイの時も何度か立ち寄り、スコアー向上、技術アップを祈願したもんだ、しかしその割には上手く成らなかったなー! 祈りと努力が足らなかったね!!、、
      関山... 続きを読む
梅雨も一休み、蒸し暑い中、午前中、ちょっと遠いが柿崎城跡、楞厳寺(りょうごんじ)に行って来た。好きだね~! 

柿崎城
「謙信の四天王」とも評された、上杉謙信の重臣柿崎和泉守景家の居城で有るが、政務や住居などの平時の時は本城である柿崎城を利用し、有事の場合は本城である柿崎城よりも防御面などで戦闘向きな縄張りを施されている、近くの(現柿崎区城の腰)猿毛城(さるげじょう)を使ったと推測されているが決定的な資料は見つかっていない。猿毛城は標高479メーターの頑固な山城で有った。
柿崎... 続きを読む
天下の武将、上杉謙信の春日山城の支城群の一つで信越国境を警備する重要な拠点であった、箕冠城跡(みかぶり)へ行って来た。県道、新井柿崎線から眺める山容は中世の典型的な山城にふさわしい雄姿である。この箕冠山は海抜237メーターで三方向が切り立った断崖となっており、東に大熊川、西に小熊川が流れており、堅固な山城である。、、、、、、、、、、
新井、柿崎線、板倉区地内から、県道254を久々野、山寺薬師、やすらぎ荘、方面に入り山部地内(しみず屋の先)のY字路を右にしばらく進み、菰立(こもだて)地内に入ると大... 続きを読む
護摩堂、諏訪堂、毘沙門堂
本丸を少し下った所に護摩堂、諏訪堂、毘沙門堂、がある。謙信が出陣前に毘沙門堂に籠った事はよく知られているが、戦勝や息災を祈祷したのが護摩堂です。護摩の修法(すほう)は、毘沙門天の信仰と共に謙信が真言密教を深く信仰していた事を如実に物語っている。 毘沙門堂
このお堂には謙信公の信仰された毘沙門天の尊像(青銅製、約50センチ)
が安置されています。尊像は景勝公の時に会津を経て米沢に移りましたが、嘉永2年の火災で傷み、、、、
昭和3年に第15代上杉憲章... 続きを読む
上杉三郎景虎屋敷跡
上杉謙信の死後、跡目を争った「御館の乱」で敗れた悲劇の武将三郎景虎。
小田原城主北条氏康の子で、人質として春日山城に来ました。謙信から景虎の名を与えられた事でも人質としては破格の待遇であった事がわかります。又美男として伝えられている。跡目争いでは越後国外からの人質であった為か次第に援助の武将も離れ、最後は鮫が尾城で自害し一生を終えた。
小説「炎の蜃気楼」で現代に蘇った景虎が美しい男性として描かれて人気を博しています。近年春日山城跡で最も賑わいを見せている廓の... 続きを読む