IRIS


仕事中に地元の民放(OBS)を聞いていると、「今日は新潟県の上越市(旧高田市)の金谷山でオーストリアの軍人、レルヒ少佐によって日本に初めてスキーが伝えられた」 そーか、今日だったかなー、、

金谷山スキー場
標高94メートルの金谷山スキー場(写真)からは、頚城平野、日本海、米山を一望することが出来ます。 夏はスーパーボブスレー、ハイキング、蛍が飛び交い6月には「ほたる鑑賞会」、冬はスキーと、周辺は年間を通じアウトドアースポーツの楽しめる広場として整備されている。
又ここ金谷山スキー場は日本スキー発祥の地として名が知られて居ります。かってはここ金谷山スキー場で冬の国体のノルディック種目が行われた会場である。 ”スキー発祥の地”と言うことで毎年の様にジャンプ競技が行われた、しかしその60メーター級のシャンツエも今は無い。

 

レルヒ少佐(テオドール・フォン・レルヒ)
     (1869~1945)
レルヒ少佐(写真左)1911年1月12日、日本に初めてスキーを教えたオーストリアの軍人。その場所は、新潟県高田市(現、上越市)、彼はアルペンスキーの創始者マチアス・ツダルスキーに学んだアルペンスキーの名手であった。明治43年(1910年)、日露戦争に勝利した日本陸軍の視察、研究のため来日したレルヒ少佐は、翌44年(1911年)、旧日本陸軍高田第13師団、歩兵58連隊(旧高田市)の視察のため高田を訪れた。彼は是非雪の多い駐屯地に配属してくれ、と強く望んだといわれ、自費で作った軍用スキー10台を寄贈した。スキーに関心を持っていた長岡師団長の願いにより、1月12日金谷山で軍人を対象としたスキーの指導が行われ、これが日本でのスキーの始まりになった。その後、民間にも指導し、2月には高田スキー倶楽部が発足するなど、市民の間にもあっという間に広まった。その後1912年レルヒ少佐は次の赴任地、北海道旭川の砲兵7連隊に赴任、こちらでもスキーの指導も行い、2年間滞在し帰国、その後は日本を訪れる事はなかった。
昭和36年(1961年)、金谷山にスキー発祥50周年を記念してレルヒ少佐の銅像(写真右)が建てられた。
昭和59年(1984年)、アルペンスキーの発祥地オーストリアのリリエンフェルト市と姉妹都市となる。
平成 4年(1992年)、日本スキー発祥記念館が建てられる。


この記念館は、長野オリンピック冬季競技大会の開催に向け、日本のスキー発祥の地「上越市」を全国にアピールするため、平成9年(1997年)にリニューアルオープンした。記念館には、当時のスキー板、様々なスキー文献、遺族から寄贈された手記などのレルヒ少佐に関する資料など、貴重な資料を多数展示している。毎年2月下旬、レルヒ少佐の偉業を称え、金谷山公園を中心に「レルヒ祭」が行われている、
 

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