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市内の大ショッピングゾーン(商業施設)で、すっかり様相が変わった下門前地内の一角、ホテルビジネスイン上越 の道路を挟んで西向かいの小さな公園の一角に 蟹池地蔵尊(かにいけじぞうそん)がある(写真) 。昔は富岡線の藤野新田と下門前のほぼ中間地点で三田新田へ行く道路の丁字路に粗末な小さな建物の中にひっそりと祀られていた、子供の頃は がにいけのお地蔵さん、 と呼んでいた記憶がある、その裏を 大道川(だいどうがわ)と言う用水が流れていた。子供の頃、毎年夏になると母親にリヤカーに乗せられて直江津の海まで海水浴に連れて行ってもらった、砂利道を歩いて2時間近くはかかったろう、、、お地蔵さんの前にくると母がリヤカーを停めて両手を合わせてお参りをしていたのを子供心に覚えている、、そして母が、 昔、この近くの池の中に捨てられていたお地蔵さんを拾い上げて、ここに祀ってあるんだ、、、 と聞かされていたんだが、、、、。

 

 

大昔、近くを流れていた応化川(関川)が蛇行、湾曲していた頃の田、川の跡が池となり蟹池と呼ばれていた。昔この付近に善光寺村があったが、春日山城主、上杉景勝の会津移封により代わりに入城した豊臣秀吉の家臣、堀 秀治が春日山城を廃し港の近くに(古城)福島城を築城したが堀氏の要請により諸役を免ぜられ城下の今の下門前の地に移り、元善光寺新町と呼ばれていた。ある日、霊夢があって、池より探し上げたのがこの地蔵尊である。以来、街道の傍らに立ち近隣の信仰を集め、道行く人々の憩いの場とも成ってきた。一方で下流の旧、川跡も蟹池を用水源として開田が進み、善光寺新田が開村されている。後に大道用水の傘下に入った為、蟹池用水の役割も移り、池も開田され蟹池の地名だけが残った。大正15年魚行商人をはじめ多くの人々より浄財を頂きお堂が建てられた。昭和30年橋本朝夫氏の寄進により再建され、平成9年、関川東部土地区画整理事業の一環として公園内に立派な地蔵堂が建立され(写真上)現在に至っている、俗に一般信仰として「イボ取り地蔵」としても知られている。  =案内板より一部抜粋=

 

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2 コメント

おはようございます、、

あの辺一帯は昔の面影は残っていませんが、お地蔵様は
立派なお堂の中に祀られています。大きな松の木があったのも
覚えています、懐かしい光景ですネ、、、、 ham (2012-10-13 06:32)
 この祠にはそんな歴史があったのですね。

 高校生の頃,今の麺爆怒門の隣にあった電気屋さんへ,ダチと無線機を見に出かけ,途中の松の木の下にひっそりたたずむ祠(おやじろーの地元では十把ひとからげで神さんと言います)は見慣れた風景でした。

 いつの間にか道筋も変わり景色も変わり,でもまだあの場所にいらっしゃるのですね。
おやじろー (2012-10-12 21:31)