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福島城跡

直江津港の近くに昔、福島城と言うお城が有ったらしい、、お恥ずかしい話この程度の知識で有った。天気に誘われて思い切って行って来た。港町にある古城小学校の西側の校門より校庭に入るとすぐ左側の一角が福島城跡として整備されている(写真)。 ちょうど佐渡汽船乗り場から徒歩で3~4分で行ける距離、待ち時間を利用してちょいと如何ですかな、、、、、

    
室町時代から江戸時代に移る当時の建築形式をもつ典型的な平城、大城郭で有る(写真右)福島城跡は昭和42年(1967)から部分的に発掘調査が行われ石垣の跡や陶磁器片などが出土したが、縄張りの全体像や建造物については判明していない。

   福島城の歴史
上杉景勝は1598年豊臣秀吉より会津(120万石)に移封(国替え)を命ぜられ、豊臣秀吉の家臣、堀秀治が越前の国より入城、春日山城主となった。
堀氏は春日山城は山城で有り何かと不便であり、この地に築城を始めた。
ところが城が完成しない慶長11年(1606)5月26日堀秀冶が31歳で亡くなってしまい、子供の堀忠俊が11歳で春日山城を廃止して福島城の城主となった。ところが徳川家康も恐れていた家老の堀監物が亡くなると城主の後見人問題で監物の子供、直清と直寄が権力争いをしてしまい。それを知った徳川家康は慶長15年(1610)、堀氏を改易(領地などを取り上げる)とし堀家を潰してしまい、そして家康は同年直系の6男松平忠輝を信州・川中島から移し七十五万石の福島城主とした。外様大名の加賀100万石の前田家と米沢の上杉家を牽制する為の重大な意味があったと言われている。福島城は、慶長12年(1607)に完成したが、同19年に廃城となり、わずか七年間の存在でしかなかったが、時代が室町時代から江戸時代に移る当時の築城形式をしめす典型的な大城郭である。
その間に城主は堀忠俊・松平忠輝の二代にわたったが、いずれも一国一城の越後の城主であった。慶長8年(1603)、徳川家康が江戸幕府を開いてから、天下の諸侯は春日山城のような山城の必要がなくなり、堀氏も春日山城から福島城へ移ったのである。しかし、松平忠輝も四年後の慶長14年(1614)、福島城を廃止し、新たに高田城を築いて移ってしまった。城を移した理由は明らかではないが、毎年、雨季になれば関川、保倉川が氾濫するからだ(城主が波の音がうるさくて眠れないと言う説もある)と言うまことに短命な城であった。福島城跡碑(写真左)の建つ石垣の石は当時の石、である。
徳川家康が恐れていた天下の陪臣(またけらい)3傑
  堀監物直正(堀家) 直江兼続(上杉家) 小早川隆景(毛利家)

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