IRIS
上杉謙信の母、虎御前の墓が春日山の近くにあると言う話は以前から聞いていた。思い切って行って来た、林泉寺から春日山に行く途中 宮野尾 の道路標識が有り、写真左の標識(謙信公の母 虎御前の墓へ 1500M 徒歩30分)が有る。車一台がやっと通れる山道を進む、宮野尾 と言う集落がある、現在は住んでいる家は一軒だけらしい、後は廃墟となっている。道を進むと左側に一軒の人家がある、そこに上記の写真の標識がある。ははー!この辺だな、、右に曲がって細い道があるが、左方向に(人家の裏側)山に入る道らしき物もある、多分昔のお墓だ、山の中だろう、、、しかし行けども行けども10分くらい山道を歩いたら一軒の廃家に出た、、違うなー、、
また戻り、今度は右方向に歩くと細い道路わきの林の中にお墓らしき物が有る、、ここだなー!、、、、、 武将長尾為景の後室。虎御前(とらごぜん)の呼び名で知られ、上杉謙信の母にあたる。父親について『上杉家御年譜』では「栖吉城主長尾肥前守房景」、 『謙信公御書集』では「栖吉城主長尾肥前守顕吉」と記されている。
虎御前の父は長尾政景の祖父に当たる上田長尾家当主長尾顕吉と同一人物であるとする説も存在するが、 『栖吉城主の娘』という記載はどの史料もほぼ共通しており、一般的には古志長尾家・房景の娘とされている。
本名は不明であるが、虎御前の名も、子の上杉謙信の幼名である虎千代に因んで後に、そのように呼ばれたとも言われる。夫為景との間には景虎(上杉謙信)、晴景(謙信の兄)、仙桃院(謙信の姉)がいると言われている、信心に篤く、謙信の信仰にも影響を与えたという。為景の死後は仏門に入ってその菩提を弔う余生を過ごした。春日山城の春日山神社のあるあたりが虎御前の屋敷跡と言われている。
案内板(写真右)には1524年、夫長尾為景の死後は仏門に入り、、、、、
んっ、、上杉謙信の生まれたのは1530年、、???、、、よく見ると親切な方??が1524の24に鉛筆で線を引き42と直してある、、、これって間違っているんでは?? 

細い道路からちょっと入った杉林の中に謙信の母 虎御前 の五輪塔のお墓がある、ちょうど春日山の裏方向、北西に当たるか、静かに眠っている。最近は訪れる人も多いんであろう、墓前に新しいお花が供えられていた、私も450年前の戦国時代をしのびお参りをしてきた。



  いつも応援有難うございます
 ポチっと押して頂けると有難いです⇒にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 新潟情報へ

0 コメント