IRIS

いつもより1時間遅く出勤しあるホテルに2台口で配車になった。第86回別府大分毎日マラソン(写真)の取材の報道関係のお客さんで夕方までの貸切だ。二人の女性カメラマンをお供してゴール地点の陸上競技場へ、たくさんの関係者が大会の準備をしている、こちらで1時間ほどお客様を待ち、今度はスタート地点へ移動した、一人のカメラマンをおろし別府市内へ、途中の取材ポイントで1時間以上待機だ、時間によりコース上の道路は交通規制がかかるので気をつけないといけない。お客様を下して近くの公園で待機だ、ここで予め準備したパンとコーヒーで昼食だ、間もなく電話がきた、直ぐにポイントへ移動しお客様を乗せてゴール地点の陸上競技場へ移動、ここで2時間以上待機だ。走っているのは1時間くらいで、あとは待機だ、貸切なので待機しても走っても料金は変わらない、、良い仕事だねー、、4時半過ぎに駅までお客様をお供して今日の仕事は終わり。お蔭で2日分の運収があがった、、

今回で68回を数える名門の別府大分毎日マラソンの陰に悲運のランナー、幻の金メダル、と称された大分県中津市出身の池中康雄を忘れてはならないだろう。中津中学校(現中津南高校)に入って本格的に陸上競技を始め6キロ離れた学校まで毎日走って通学したと言う。昭和7年(1932)東洋大学に入学し箱根駅伝にも出場し区間賞を獲得している。在学中にベルリンオリンピックのマラソン選手選考会で並みいる強豪を抑えて2時間26分44秒の驚異的な世界最高記録で優勝した。しかし代表の座を決める最終選考レースの途中で体調不良で棄権したのである、実は郷里の弟が重い肺血症になり輸血以外に助かる方法が無いと聞かされ迷わず輸血し、これがたたって体調異常をきたしたのである。終戦間際に中津市に帰り母校の中津中学と後の中津南高校の教壇に立ちながら後進の指導に当たった。又別府大分毎日マラソンや九州一周駅伝の創設に尽力し、世界に通用するランナーを大分県から輩出する努力をした。現在別府大分毎日マラソンの大分県勢の第一位の選手に「池中杯」が贈られている

 

0 コメント