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国道197号線を大分市佐賀関町に入り旧佐賀関街に入る金谷の交差点に「坂本竜馬上陸の地」の看板がある(写真)。若い船員の頃、南太平洋のニューカレドニアと佐賀関航路のニッケル鉱専用船に約2年乗船し佐賀関には何度となく上陸し飲み歩いた経験があるが、このような歴史的な地であることは全く知らなかった。もっとも知っていてもその頃は歴史など全く興味が無く、あッそー!くらいだろうがね。
 

文久4年(1864年)オランダ、アメリカ、イギリス、フランスの4カ国の下関砲撃中止の交渉のため幕府から長崎出張の命を受けた勝海舟は、海軍塾の塾頭である坂本龍馬を連れ立って神戸を出帆し、2月15日に佐賀関のご当地(写真)に船で上陸されたと言う。後ろの煙突のある工場はパン・パシフィック・カンパニー佐賀関精錬所(旧日本鉱業佐賀関精錬所)、



2月15日は近くの徳応寺(写真)に宿泊したようであり、徳応寺の第10世住職東光龍潭が「日本人物誌」の中で乗船のスケッチも含め詳しく記録に残しています。お供の人々も近隣のお寺、人家などに宿泊されたと言う。海舟日記によれば、佐賀関において「15日5時 豊前、佐賀関、着船、即ち徳応寺へ止宿す」と記されている。
 

翌16日には佐賀関街道(龍馬街道) (写真)を通り鶴崎に向かい、鶴崎で宿泊しました。その後肥後街道を通り、17日には野津原に宿泊、熊本へ行き、長崎に向かっています。海舟日記によれば、鶴崎において「16日、豊後鶴崎の本陣へ宿す、佐賀関より5里、此地、街市、可なり、市は白滝川に沿う、山川水清、川口浅し」と残されている。

 

 

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