IRIS

ニッケル鉱石専用船 佐賀関丸(写真)を病気下船し、旧東京船員保険病院に入院、検査、治療の後、無事退院し郷里に帰った。故郷から見える妙高連山の山々はかなり下の方まで白くなっている。すっかり稲の刈り入れも終わり何処も長い冬に向かい冬支度だ。ご馳走は無いがご飯は新米、野菜などは新鮮でおかずがなくても食欲は進み、すっかり元気をとり戻した感じだね、、しかーしだ! 3〜4日もしたら退屈でたまらない。1週間ほど過ごして東京の学校に行くことにした、母が玄関まで見送りに出て、身体にきーつけんだぞ(きおつけるんだよ)、いつになっても親というのは有難いね、。学校の研究室に帰ると、おー、お前が帰るのをまってたよ、遅かったじゃないか! 早速に電話番などの雑用から学生たちの電気通信術、通信実習の手伝い、遣いで調布市の某大学まで行ったり車の運転をさせられたり、9時10時までこき使われて、お世話になっている寮に帰るのはいつも10時ころだ。そして数日後に会社の船員課から正式に電話で乗船命令がきた、12月14日に佐賀関で佐賀関丸に2回目の乗船が決まった。健康診断、イエローカードなどの有効期限も大丈夫だし、ニューカレドニアはいつでも半袖でOKだ、たいした着るものはいらない、下着と作業服、船内で履く靴、サンダルなどを段ボール箱に詰めて代理店当てに発送、後は小さなカバン1個でOKだ。羽田空港からプロペラ機で大分空港へ向かった、空港は未だ大分市内にありタクシーで佐賀関に向かうが、今の大分市とはずいぶん違う、途中は未だずっと畑などが続いていた。佐賀関町に入ると日本鉱業佐賀関精錬所の岸壁に、ファンネル(煙突)が白地に赤で大きく N と入ったこれから乗船する佐賀関丸(写真)が着岸している。タラップを昇ると乗組員はみんな顔なじみだ、ニヤニヤしながら、次席さん、もう病気は治ったの?とか 何処に遊びに行ってたの? とか また飲みに行くぞ! ひやかされっ放しだ。無線室へ行くと通信長がニヤニヤしながら、未だ遊び足りないから病気になるんだよ!キャプテンに挨拶に行くとニコニコしながら、もー治ったのかね、また頼むよ! みんな良い乗組員ばかりだ。私の代わりに1航海乗船してくれた後輩のA君、もう引き継ぎはいらないでしょうから直ぐに下船します! とタラップを下り下船した。夜になるとキャバレーに行きたくてムズムズするがさすがに船に留まることにサロンでボケーッとテレビを見ていると通信長がやってきて、あれー、飲みに行かないのかね? はい、もー酒はやめました、、すると、じゃーわしの部屋で一杯やるぞ! との事。奥様が訪船されていたが通信長の部屋で奥さんが持ってこられたオツマミと局長ご愛用のコニャック、レミーマルタンで、 途中から当直の終わったセコンドオフィサー(2等航海士)も加わり日付が変わるまで酒盛りが始まった。来年の夏ころまで本船に乗船予定だが、正月はニューカレドニアで迎えることになりそうだ、、、

佐賀関丸/JKST
総トン数 :12,094 G/T
重量トン数:19,698 D/W 

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