IRIS

あれから7年、、

又あの3月11日がやってくる、7年前の3月11日午後、昨夜も夜の勤務で朝方の4時近くに家に戻り11時ころに起きて朝食と昼食を兼ねた食事をとり夕方からの勤務に備えてのんびりとパソコンに向かっていた、近くにいる娘が孫を連れて来ていた。突然、ギシギシ、ガタガタ、大きな揺れが、何だ! 孫を抱き抱えた、地震だ。震度6弱と言う。すぐにテレビに東北沖の太平洋で大地震、大津波警報も出た。間もなくテレビの画面に大津波が押し寄せ次々に家屋、車、建て物を押しつぶしていく信じられない衝撃的な映像が流れた、まるで映画にでも出てくるような光景に一瞬我を忘れた、これや大変な事が起こったな、、直ぐに支度をして出勤すると運行管理者が、 ○○さんが乗る車は戻っていないので別の○○○号車で直ぐに出てくれ! 大忙しだ、駅前には他社も含め一台もタクシーはいない。電車が停まり直ぐに長野までのお客様をお供して小雪の舞う高速道を長野に向かって走っていると、けたたましくサイレンを鳴らし、赤色灯を回した他県の多くの救急車、消防車、救助工作車、等とすれ違った、関東地方は軒並み高速道が通行止めとなっているため長野県、新潟県を経由して被災地に向かったのであろう。日を追うごとに地震、津波災害による犠牲者、行方不明者が増加し、又原発事故による避難住民も増えている、人口21万の我が町も南相馬市などから、取りあえず1,000人近くの避難住民を受け入れ、市の体育館などは避難所となった。救援物資の受け付けも始まったので何とかしなければ、、着の身、着のままの避難住民の人は寒さに耐えかねていると言う、地震発生以来、昼間は仔犬と孫を連れて我が家に避難(?)しに来ている娘と相談して、使っていなかったブルゾン(ジャンパー)、ロングベンチコート、など数着とタオルなど日用品を娘に届けてもらった。それから数か月間はスーパー、大型店、コンビニなどの大きな看板は照明が消え、夜の歓楽街は人通りは無い、まるで死んだ街になった。東北地方ではいまだに多数の行方不明者、原発事故による避難民が多数おられる、今年もまた明日7年目の日をむかえる、、、

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