IRIS
当時は未だアマチュア無線人口も少なく、ちょっと変わった趣味と、とらえられていた頃だ、毎日、夢中になってマイクにかじりついていた。たまに生まれ故郷の局とつながるとマイクを握る手に汗をかいて、興奮して喋った事を覚えている。こうした趣味が講じてプロの通信士の道を歩む事になった。ある船に乗船した時に、当時の八重洲無線の FT-200(写真)と言う無線機を持ち込み、上司の許可をとり船から運用する事になった。

    コールサイン(呼び出し符号)も新しく申請して JR6KRG に変わった。船首の居住区では業務用の無線に支障をきたす恐れがある為、船尾の居住区の空いているドクター(船医)の部屋を借りる事にした。以前はドクターが乗船していたのだが合理化で乗船しなくなった、立派な部屋と医務室があるんだ、夜、ワッチ(当直)が終わると暗い闇夜の中を船尾の部屋まで行き電波を出して遠く日本の局とQSO(交信)した、当時は未だ海上からの局は少なく大変な人気であった、たくさんの局に呼ばれて嬉しい悲鳴だ、又遠く世界各国のアマチュア無線家も呼んできた、下手な英語で、はらはら、ドキドキ、連日、船上から電波を出しているもんだから、毎日呼んで来てくれる局もいて日本全国に多くの親しい友達が出来、日本の港に入港した時にはるばる遠くから船の見学を兼ねて会いに来てくれる仲間も出来たほどだ、、、写真は当時の海上移動の時の QSLカード(交信証) JR6KRG/MM だ。


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