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3つの春日神社

上越市春日にある、春日神社の創建は、天徳2年(958)に鉢が峰の山上、現在の春日山山頂付近に奈良県にある春日大社の分霊を勧請したのが始まりとされます。祭神は天児屋根命(あめのこやね)、武みか槌命、経津主命(ふつぬし)、比売神(ひめ)、である。越後国府全域の鎮護の神として広く信仰され永徳元年(1381)に時の守護代長尾高景が春日山城を築城するにあたり現在地に遷座したと伝えられる。この場所は春日山城から見ると鬼門(北東)にあたる為、領内の守護として歴代領主に崇敬され、特に上杉家(藤原家の血筋)を継いだ長尾影虎(後の謙信)は春日神が藤原家の氏神にあたる為深く信仰したと伝えられています。恐らく室町将軍、足利尊氏の命で上杉憲顕が越後守護として入国した時、上杉氏の祖である藤原氏の氏神、春日大社の神霊を祀ったものであろうと思われる。
    謙信の後を継いだ上杉景勝は居城が鶴ヶ城(会津若松市)に移った事で庇護者が失われますが慶長16年(1611)に幕府から50石の朱印状を受け取ると明治維新まで代々幕府から庇護されました。 上杉家はその後、関ヶ原の戦いで西軍についた為、徳川家康により米沢(山形県米沢市)へ減封になりますが春日神社の信仰は変わらず現在でも米沢城の片隅に春日神社の分霊を勧請した春日神社が祀られています。従って春日山の名前は当時の鉢が峰に春日神社が有った事に由来する。 (写真は春日神社本殿)

慶長12年(1607)堀 秀治の子、忠俊が春日山城を廃し福島城(現港町2丁目)に移った、その際春日の春日山神社の分霊を福島城下に祀ったのが春日新田3丁目(踏切の横)にある春日神社である、従って祭神は春日の春日神社と同じである。当時春日神社の付近、福島城の南側には、浄教寺、高安寺、善導寺、高岸寺、長恩寺、海隣寺、などがあったがこれらの寺院は後の松平忠俊の高田城築城の際、高田城下に移った。 (写真左は春日新田3丁目の春日神社)
  慶長15年(1610)堀 忠俊に替って福島城主となった徳川家康の6男、松平忠輝は入城後、まもなく高田城の築城を始めた。高田築城は江戸幕府の築城政策、すなわち天下普請の一つとして実施されたと言われている。松平忠輝は慶長18年(1613)4月に福島城下の春日町と春日神社の分霊を高田城下に移したのが、現在上越市本町1丁目にある、春日神社である。従って祭神は前記二つの春日神社と同じである。翌慶長19年8月、忠輝は福島城を廃し夫人の五郎八姫(いろはひめ)と新築なった高田城に入った。高田城下の春日町は、のち横春日町(現南本町3丁目)と竪春日町(現本町1丁目)とに分かれた。 (写真右は本町1丁目の春日神社)


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