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上越市板倉区針にある新潟県立有恒高等学校の前身の有恒学者の創立者で青少年教育に情熱を傾けた増村朴斎(写真)。現在の県立有恒高校の前身である私立有恒学舎は明治29年、私財を投じて当時29歳の増村朴斎が独力で創立した。かつては西の松下村塾(しょうかそんじゅく)東の有恒学舎とも呼ばれており増村朴斎の教えは現在の有恒高校にも受け継がれている。また新潟市出身の歌人、書家の会津八一が4年間在職し英語を教えた。明治29年沖ノ宮に増村朴斎が私立 「有恒学舎」 を創立した当時、新潟県下の中学校(現、高等学校)はわずか5校で上越地区には現、県立高田高等学校の一校のみだった。卒業生に、長嶺喜一(陸軍中将)、清水泰治(歴史学者)、北島忠治(元明治大学ラクビーブ監督)、佐川 清(佐川急便創設者)などがいる。

 

 

増村朴斎は明治29年に有恒学舎を創立し、明治36年にこの地に住宅を建てられ自らこちらに移り、公宅と称し教育に専念された教化の道場であった。先生没後「史跡増村朴斎公宅」として県文化財にも指定された当時の板倉町唯一の貴重な建造物であったが、昭和31年1月19日未明、不幸にして焼失してしまった。その後、公宅跡に有恒高校出身で佐川急便創設者の佐川 清氏などの寄付により 増村朴斎記念館(写真)が建設された。(月、火、は休館日で見学希望者は近くの総合庁舎の担当課に連絡するようになっている)

 

松下村塾(しょうかそんじゅく)

江戸時代末期に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾である。長州萩城下の松本村(現山口県萩市)に松陰の叔父である玉木文之進が天保13年(1842)に設立し吉田松陰も学んでいる。


3 コメント

マブダチのひいじいさんです。
マブダチもかつてJH0のコールサインを持っていました。 おやじろー (2013-06-13 21:36)
増村朴斎先生のこと初めて知りました。
有恒学舎資財なげうって作られたとは、故郷の大偉人ですね。
佐川清さんも佐川急便を一代で作られた、これも大偉人ですね。
私の母の後輩で、ガキ大将だったとよく話していました。
方言丸出しで話す佐川会長をテレビで見たことがあります。
その信念の強さに、やはり偉人はどこか違うなと思いました。 すいちゃん (2013-06-14 07:20)
おやじろーさん
すいちゃんさん

板倉区は偉人が多く出ていますね、、、
他にも沖縄県の宮古島を救った中村十作、「実業之日本社」を設立し元衆議院副議長を歴任した増田義一など、、、昔の人は努力家ですね、、、 ham (2013-06-14 20:15)