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儒学者,倉石典太は高田長門町(現上越市東本町2丁目)の商人、倉石甚五郎の五男として文化12年(1815)8月7日に生まれた。19歳の時江戸の安積艮斉(あさかこんさい)について経学を学び、その熟の「見山楼」(けんざんろう)の塾長と成り、又清水赤城(しみずせきじょう)について長沼流兵学を修め、後に高田に帰り長門町(現東本町2)に私塾「文武済美堂」を開いた。門人は1000人を超しその中に郵便の父と呼ばれた前島 密、戊辰戦争・自由民権運動・鉄道信越本線の敷設に活躍した室孝次郎など明治を拓いた人材を多く送りだした。高田藩主は士分を取り立て藩士の教育にもあたらせた、高田藩校修道館が設けられるとその教官に迎えた。高名な中国文学者倉石武四郎の祖父にあたる。明治9年(1876)3月9日没した。明治14年(1881)金谷山に(金谷山登り道、左側)栗本鋤雲による「倉石君碑」が建立された(写真) 


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3 コメント

貴重なコメント有難うございます。
幕末から明治初期に活躍した思想家なんですね、大変勉強になりました。数年前より近隣の名所史跡などを回って楽しんでいます、今後ともよろしくお願い申し上げます。 ham (2013-04-26 19:52)
先程のメールの表記変換ミスを、「倉石典太の碑について」と訂正します。失礼しました。 黙魚 (2013-04-25 17:22)
金谷山のクライしてんたの日についてのご案内ページをありがとうございました。参考になります。
ちなみに説明文中「栗本銀撰」とあるのは「栗本鯤(こん)で栗本鋤雲」のことと思われます。ご訂正を。 黙魚 (2013-04-25 12:02)