IRIS


上越市に僅かに残っている 加賀街道 の両側に今なお残っている松並木、昭和の始めの頃は100本以上も数えられたと言う松並木も今は数本が残るのみと成った。最近に成っても大風で途中から折れて、危険な為、伐採された。ここ加賀街道は江戸時代、北陸と江戸を結ぶ大切な公道、脇往還(わきおうかん)で、正しい名前は北国街道である。江戸時代、加賀百万石の殿様や北陸の大名たちが特別な事がない限り、この街道を通って参勤交代をしなければなりませんでした。多くの家来を連れた大名行列が通ったり、多くの旅人達も賑やかに通った事であろう。このような事から加賀街道と呼ばれている。当時の街道の管理は高田藩が行っていた為、この松並木も高田藩が植えたものと思われます、多くの松は樹齢170年~200年くらいと言われている。




小学校の頃、遠足で五智の国分寺などに行く時には良くここを通ったもんだ、当時はまだ道の両側に松の大木が沢山残っていた記憶がある、時代の流れを実感する。   (写真は加賀街道に残る松の老木)

脇往還(わきおうかん) 
脇往還は、江戸時代の 五街道 以外の主要な街道、枝道の事で勘定奉行の管轄に置かれていて、1里塚、宿場、並木、等が整備されたところも多い。中原街道、川越街道、鎌倉街道、水戸街道、三国街道、北陸街道北国街道、、、、、など、、

五街道 
慶長9年(1604)に日本橋が五街道の起点として定められ一里毎に一里塚を設けて他、一定間隔毎に宿場を設けた。
東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道、

北国街道 
中山道、追分宿から分れて善光寺を通り、高田まで。

北陸街道 
北国街道から加賀(金沢)を通り、近江木之本を経て中山道にいたるまで。


             にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 新潟情報へ

0 コメント