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国友末蔵と言っても知る人は少ないと思う、勿論私も全く知らなかったが地元の事を色々と調べていると地元の発展に大きく寄与された偉大な人であり
旧高田市の名誉市民第一号の称号を与えられた。
昭和32年には、電源開発50周年を記念して、高田公園内に国友末蔵の、胸像(写真)が建てられた。上越大通り、高田郵便局前の信号交差点角。
(榊神社の道路を挟んで東側)

国友末蔵 (1881~1960) 
明治14年、国友震一朗の末子として京都に生まれる。京都帝国大学を明治39年(1906)卒業。同年、旧中頸城郡和田村の金子伊太朗らの創設した上越電気会社(後の中央電気工業)の技師長として着任。以来、上越地方の電力事業にその生涯をつくした。最初の仕事は、翌40年、関川水系の落差を有効に使った名香山村、(妙高高原町)蔵々(ぞうぞう)の500KWの水路式発電所の建設である。そして新井・高田・直江津に電灯線が引かれ40年5月には炭素線の電灯がともされた。高田の町では杉のアーチが建てられ電球のイルミネーションが点灯され大勢の人出で賑わったと言う。
国友の発電事業の中で特筆されるものは、野尻湖の水を冬期間発電に用い、春の雪どけ水を野尻湖に吸い上げる池尻川揚水発電所を建設したことである。これにより、発電と潅漑用水とも有効に利用することができるようになった。
この間、上越電気株式会社は越後電気会社となり、さらに中央電気会社と発展した。ついで、末蔵は、東日本興業監査役、東北配電理事、県公安委員長などを歴任する。関川水系の電源開発は、農村の電化を図り、昭和初期全国の農村が手動の農具にたよっていた時、すでに上越の農家では電動機による自動脱こく機が導入されていた。

昭和28年(1953)これまでの功績をたたえられ、高田市の名誉市民、第1号(写真)称号を与えられた。また、昭和32年には、電源開発50周年を記念して、高田公園内に彼の胸像が建てられた。


              



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