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天下の武将、上杉謙信の春日山城の支城群の一つで信越国境を警備する重要な拠点であった、箕冠城跡(みかぶり)へ行って来た。県道、新井柿崎線から眺める山容は中世の典型的な山城にふさわしい雄姿である。この箕冠山は海抜237メーターで三方向が切り立った断崖となっており、東に大熊川、西に小熊川が流れており、堅固な山城である。、、、、、、、、、、

新井、柿崎線、板倉区地内から、県道254を久々野、山寺薬師、やすらぎ荘、方面に入り山部地内(しみず屋の先)のY字路を右にしばらく進み、菰立(こもだて)地内に入ると大きな案内板(写真)が目に入る。

  


案内板を左に曲がりしばらく進むと駐車場(20台くらいOK)に着く。駐車場より頂上、本丸跡までは徒歩で10分くらいで行ける、良く整備されており、高齢者でも安心して行ける。現在でも、水濠(写真右)、空堀、土塁、井戸、屋敷跡等が残っている。あまり手入れが行き届いているとは言えないが公園になっており、便所、水飲み場、ベンチ、等がある。       



たくさんの大木が生い茂り当時を偲べる、の木もたくさん生い茂り春の桜の花の咲く頃、是非訪れてみたいもんだねー!



            


箕冠城(みかぶりじょう)は越後守護、上杉家の重臣として、段銭方(たんせん)「財政のことだそうです」を務めた大熊備前守朝秀(ともひで)の居城である。弘冶2年(1556)8月23日朝秀(ともひで)は武田信玄の誘いに応じ、上杉謙信に背いた。謙信はすぐに朝秀討伐の兵をおこし、駒帰(こまがえし)、今の青海町で撃破した。敗れた朝秀は甲斐の武田信玄のもとへ身を寄せた。

川中島合戦当時は前進基地として重要な城であったが上杉謙信が川中島合戦から引いた後はあまり必要がなくなり廃城となった。



本丸(写真)からは、春日山城をはじめ、頚城平野を一望に、妙高、信越境の連山を見渡し、さすがは上越の豪族、大熊氏の居城とうなずける。











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