IRIS


NHKの大河ドラマ「天地人」前回の放送は勝山城(落水城)での四者会談、その舞台となった勝山城に行って来た。

事前情報でえらく険しい山道だって事は承知していたので万全を期しての登山だ。トレッキングシューズ、軍手、おにぎり持参だ、車で1時間、登山道入り口に到着、営業していないドライブインの狭い駐車場に車を停め、靴を履き替え出発。。。。。







登り始めたが、とにかく一気に登りだ、平坦なところ、下りは一か所も無い。普段、車のブレーキ、クラッチ、アクセル、位しか足を使っていないんだもん、堪える、堪える、、、、頂上までに数か所、鎖につかまり登る処がある(写真)、



とにかくきつかった!

途中こんな看板が、おー、もう少しか、、、

しかーし、、、ちっとも頂上に着かない、(まだ半分も来ていない)

頂上まで、もうふた頑張り、、と書いておいてもらいたいね!


勝山城跡(写真右)は、天下の険「親不知、子不知」(おやしらず、こしらず)の東端に位置する勝山(328,4m)にある。その昔、山頂と周辺の尾根には山城が築かれていた。山頂の本丸跡からは西に越中宮崎(富山県)東には姫川河口に広がる糸魚川市街地が展望できる。(写真下、左)



勝山城は落水城(おちみずじょう)とも呼ばれ、日本海沖を航行する船舶の監視にも絶好な位置にある為、春日山城を中心とする、越後勢の西の要城として重要な位置にあった。越中勢をはじめとした西方の動きは、上杉家臣の須賀氏を城主とするこの勝山城から東方の春日山城へは、狼煙によって、松山城(糸魚川市青海)金山城(糸魚川市田伏)不動山城(糸魚川市早川)徳合城(糸魚川市徳合)などを経て伝えられたであろう。



戦国時代末期、全国覇権を目指す豊臣秀吉は越前の柴田勝家、越中の佐々成政を倒し、越後の征圧に乗り出した。そのころ上杉謙信の家督を継いだ上杉景勝は家臣で知将として知られた直江兼読らを従がえて、越中、能登へと勢力をのばそうとしていた事から豊臣軍と上杉軍の対決は目前に迫っていた。



当時最強の勢力とされていた上杉勢との対決を避けたい豊臣秀吉は上杉勢との交渉を試みた。後の軍記物では、両軍の大将である、景勝と秀吉、それを補佐する上杉軍の兼読と豊臣軍の石田三成らは「勝山城で会見した」と記している。その真偽は定かではないがこの勝山城は東西勢力のその後を占う重要な会見が行われても不思議ではない、重要な位置にあった。



頂上まで40分と言うのは若い健脚の人だな私は途中3-4回休んで1時間かかったよ。   (^0^;)



頂上から眺める展望は素晴らしいーの一言、、、



頂上の下は断崖、絶壁、そしてすぐに海、

東方向(写真上)、西方向(写真右)の動きは手に取るようにわかる。

良いところに城を造ったねー!



  

  いつも有難うございます

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2 コメント

hamさん、ご苦労様でした。
素晴らしい記事になりましたね。
また、天気がよくてなにより。
その行動力に脱帽です。 直江津いちご (2009-05-21 15:46)
コメント有難うございました。
帰りに田伏の金山城跡、寄ろうと思ったんですが
元気が有りませんでした。
単なる、物好きの変りものです、ハイ! ham (2009-05-21 16:58)