カタストロフィーとは 画像クリック
●経済の混乱に続いて、ロシア、中国、朝鮮半島などで大乱が起こる。それらが引き金となってカタストロフィーがスタートするかも知れない。東京大地震が引き金になる可能性もある。いずれにせよ、間もなく日本の大混乱はスタートするであろう。経済の混乱は必ず食糧不足を生む。戦後の米騒動や、石油パニックの時よりも、人々は慎みを失っている。治安が乱れ、経済活動はマヒする。政治はリーダーシップを発揮できない。既にそういう事態の下準備は完了している。お金はあっても、何の役にも立たなくなる。これで第一段階は終了する。
●経済パニックの次に起こるのが、事故と異常気象、天変地異である。火と水の洗礼を受けることになる。火災(放火、テロ)、爆発事故、大雨、台風、地震、または外国からの侵入(武装難民~既にリハーサルは終わっている)。
●みんなで死ねば怖くない? 怖いから宗教に走る。しかし、宗教はもっと怖い。
●終末現象を確認してみよう。病院(医者)は堕落の極み(藤本憲幸)。医学が発達しているというのに、なぜ病人は減らないのか。病院や薬品メーカーが繁盛しているのは、科学万能主義の行き詰まりを象徴している。
政治は腐敗の極み(国民は無関心、もしくはテレビゲームだと思っている)。
経済はカタストロフィー前夜。環境は破壊され尽くしている(なぜ、清い川、澄んだ海はなくなりつつあるのか)。宗教は勢力拡大と金集めに奔走している。まさに「夜明け前が一番暗い」という状態。こういう世相を反映して、これから天変地異も頻発することになるだろう。
●やがて日本人は、今日食べるものにも不自由する事態を経験することになるだろう。グルメと飽食に明け暮れている人間にとって、それは厳しさ極まる試練となろう。かつて米不足の時に日本で見られた米騒動は、来るべき食糧不足パニックの予行演習かも知れない。神の恵みに感謝する気持ちを失ってしまった民族。その驕りの代償は大きい。
●世の大乱はまず経済の混乱から始まる。既に始まっている。だれも気が付いていないが、みんなが気が付いたときは既に手遅れである。世の大乱のターゲットは日本に照準が合わされている。それは日本から始まる。もちろん、アメリカの株式の大暴落が引き金になることも有り得る。これはいずれ起こるだろう。
予言が的中し始めたとき、人々はどんな行動をとるか。
●米不足で見せたパニックの予兆(米泥棒、買い占め騒ぎ)。その始まりは突然やってくる。そのとき、心の準備ができていない人は紅蓮の苦しみに悶える。既に予兆は表れている(ラッパは吹き鳴らされている)。聖書預言にある終末のカウントダウンは始まっているのだ。パニックの模様も予言されている。人々は恐怖心に駆られ、改めて予言書の類いに飛びつく。テレビの特集番組も頻繁に組まれることだろう。人の心の乱れが極限に達すると、それに呼応するかのように、大天変地異がスタートする。
経済のクラッシュ、天災人災、食糧危機、パニック、殺人・破壊活動、内乱、戦争、といった順番に終末現象が展開する。
●要するに、①自分さえよければ(何をしても)よい。②この人生だけで終わりである。~という考えでいる限り、とる行動はひとつ。「どうせなら、もっといい体験をして死にたい」。そして、色欲、破壊欲に駆られた人間が徒党を組む。若い女性はレイプの対象とされる。金持ちの家に火がつけられる。その他、権力に対する破壊活動が頻発する。
人が自らのカルマの清算をする姿である。魔女狩りやインディアンの虐殺などのような、人類が歴史上行なってきたあらゆる残虐行為が繰り広げられるだろう。それを見て、自殺する人も増えるに違いない。しかし、殺される側よりも殺す側の方が、より悲惨な選択をしているのである。
あなたはどのような死に方をするのか
●病気、事故、天災、戦争。何が原因となるにせよ、人の死に方は、その人がどういう生き方をしてきたかを示す履歴書である(人生の表情が表れる)。死の瞬間の心の状態が死後の世界(霊的世界)の状態を決める。恐怖、後悔、未練などから心を解放し、感謝、喜び、希望の気持ちで人生を締めくくることが大切だ。死ぬときにどういう波動を発するか。我良しの動物的波動は地獄的世界へ行く。しかし、地球の進化とともに地獄的波動の世界はなくなるというので、波動の粗い他の星へ移り住むことになるだろう。
「みんなで死ねば怖くない」と言っていても、眠るように死ねるわけではない。また、同時に死ねるとは限らない。愛しい人の死を目の当たりにし、自分にも死が迫りつつあるという恐怖に駆られ、文字どおりの生き地獄を味わうことになろう。
現人類の何が問題なのか
●環境破壊、食糧問題、エネルギー問題、人口爆発などなど、人類がかかえる問題はとてつもなく深刻である。エネルギー問題さえ解決すればどうにかなる、という楽観的な考え方をする人がいる(深野一幸氏)。しかし、問題なのは人の想念の乱れである。人類の一人ひとりが想念のもち方を改めない限り、憂うべき状態は続き、そしてカタストロフィーは避けられない。個人のカタストロフィーは病気や災難。地球のカタストロフィーは、地軸の移動、大天変地異。
●アメリカ型の消費社会は完全に行き詰まった。日本がその後を追い、いまロシア、東欧、アジア諸国、中国が追いかけている。自動車、家電製品、紙、石油などの需要が、これから急激に増えていく。だれもそれを止めることはできない。
例えばクリーンな宇宙エネルギーが発見され、実用化されて、今自動車を動かしているガソリンが不要になり、車をつくる工場が石油エネルギーを必要としなくなっても、この増え続ける自動車が引き起こしている社会的問題のほとんどは解決しない。
原子力発電によって生み出されてきた放射能廃棄物の処理のメドも立っていない。
●西洋科学文明(体主霊従)が間違いの源。人は豚のように飼い馴らされつつある。マスコミによる誘導、マインドコントロール、3S(Sex、Sport,Screen)と宗教。その結果、ほとんどの人はテレビや新聞の提供する情報を鵜呑みにしている。自分の頭で考える人が少なくなってきた。
●拝金主義が蔓延している。日本人も金もちになることが成功と考えるようになってしまった。金さえあれば何でもできる世の中。その金に、人間が踊らされている。金のためであれば魂さえも売る。お金で人の命(尊厳)まで売買された。お金儲けのうまい人が権力を握り、同朋を支配し、悪を働いている。そのツケは寸分の狂いもなく巡ってくる。
お金が不要となる時代が間もなくくる。お金には魔が宿ってしまった。「お金が悪いのではなく、使う人の問題だ」といえる時代は終わりつつある。それなら銃や原子力も悪でなくなる。お金を大事にする生き方でなく、資源(例えば、水資源)やモノを無駄にしないことが大切。
ニンジンが食べたいから馬は走る。人間もお金のために働いてきた。しかし、自然や地球環境への配慮を忘れていた。お金を得るために、より豊かな暮らしをするために働いた。そのこと自体は貴い体験であった。お金はニンジンと鞭の役割を果たした。要するに、お金は人生勉強の教材であった。“物質”の象徴として、我欲、物欲の空しさを人に教えてきた。その教材が一人歩きを始め、人を不幸にしている。
●自分のことしか考えられない人間が増えてしまった。特に日本人の公共性のなさは目を覆うばかりである。例えば、空き缶のポイ捨てから始まって、マイカー廃車の捨て逃げなどみる人間の退化。
●経済成長がはたして今後も必要だろうか。大量消費を推進するために技術革新を進めるのは間違っている。地球は人間だけが住むための星ではない。石油の原料になっているのは恐竜の死骸だという説もある。現在の恐竜ブームは、石油文明の終わりを暗示している。石油は地球の血液とも言える。その石油を使って動く自動車が、現代文明の行き詰まりを象徴している。
①石油を初めとする資源の大量消費。
②道路をつくることによる自然破壊。
③交通事故。
④騒音公害。
⑤スピードが人間を狂わせる(暴走族)。
⑥廃車による環境汚染。
⑦不法駐車。
⑧慢性的な道路の渋滞。
⑨道路を舗装することによる自然の生き物の死滅。
これ以上車を増やすことはできないのに、車が売れないと景気が悪くなるというパラドックス。この矛盾が現文明の行き詰まりの象徴である。
●行き過ぎた民主主義。神(絶対)を見失った人間が、大衆(相対)を主人公として絶対視しようとしたのが民主主義。民の一人一人が神に近い存在であれば「神主主義」となるが、民がエゴ(我良し)の集まりであれば、それは悪魔に牛耳られる(歴史がそれを証明している)。数の論理は力の論理。多数決は悪魔の方程式。
●病気の“因”を持っている人が“縁”に触れると症状(果)が表れる。宇宙にはすべての波動があり、“縁”は充満している。しかし“因”のない人は縁に触れても何ともない。因のある人は因そのものをなくさない限り、次々に“縁”を引き寄せてくる。“縁”はこの世的に見ると偶然のように見えるが、決して偶然ではない。この世に偶然ということはないのだから。
家庭の崩壊はなぜ起こったか。
①主婦が家庭から出た。その結果、男の遊び(ゴルフ、カラオケ、ギャンブル、セックス)を覚えた。結果として、家庭を守る人がいなくなった、②サラリーマンの帰宅が遅い。→家族が一緒に食事をしない→食の乱れ(外食、インスタント化)、③しつけの不在(家庭内無教育)、自らしつけられなかった者は、子供をしつけられない、ということで、乱れのエントロピーは進む。女性が男性化したことの罪は大きい。それはめぐりめぐって自分に返ってくる。いまは老後に心を癒す場がない。老人の面倒は身内が見るのが筋だが、どの家庭にもその体制がなくなった。
●日本の乱れの最たるもの(その現象)①子供が親を敬わない、②学生が師を仰がない、③親が子供を私物化している。
これから何が起きるのか
●人口爆発と異常気候による食糧不足、その食糧を巡っての争い。食糧自給率が先進国の中では最低水準の我が国も決して例外ではない。それに地震などの天災が加わり、治安が乱れ、政治は混乱。といった最悪の事態も想定しておく必要がある。
中国で大量のネズミが集団自殺行動をしたように、異常繁殖した人間も集団自殺の道を歩むのか。今、人類はなだれをうって断崖へと突っ走っている。例え宇宙エネルギーやEMなどの活用による技術革新があっても、急激に増加しつつあるモノの需要が引き起こす地球環境破壊を押しとどめることは不可能である。破壊のスピードが速すぎて、すでに破局の扉を開けてしまっているのである。
●水の汚れは地球の汚れ、人間の汚れである。汚染された水は酸性雨となってすべての水源に降り注ぎ、人体を汚している。しかし、植物はいち早く次元アップしているという。
カタストロフィーは回避できないのか。
●地球の自然治癒力が天変地異を引き起こしている。その原因は、人類の「悪想念」である。一念三千と言う。石ころを蹴ると、宇宙の果てで何かが起こる。宇宙はすべてつながっているのである。(『カラスの死骸はなぜ見あたらないのか』矢追純一)
悪想念の源を止めない限り、カタストロフィーは避けられない。アメリカはインディアン虐殺、原爆投下、ベトナム戦争などのカルマを背負っている。終末現象というのは人類がカルマの清算(一括払い)をさせられることを意味する。世界中の人間の虐殺を繰り返してきたアメリカの負のカルマはとてつもなく大きい。
●この世は魂の進化のための道場である。神(完全)に近づくことが究極の目標。そのためには“完全なる存在”への畏敬、憧憬の念をもつことが必要。自分がまだまだ不完全であるという謙虚さと、完全なる存在に近づきたいという向上欲。万物は同じ目的のために生かし合っている。そのことに感謝する。
陰の世界政府は終末状況のときにどういう役割をするのか。
●世界はロスチャイルドを初めとする国際ユダヤ資本とフリーメーソンに代表される陰の世界政府にコントロールされている。陰の勢力の最終目標は人類の家畜化である。彼らは既にこの地球が行き詰まっていることを知っており、戦争を引き起こしたりエイズなどのウイルスをばらまくなど、いろいろな手を使って世界の人口を減らそうと画策している。
●ケネディー大統領の暗殺も、大韓航空旅客機の撃墜も、陰の政府の指示によりなされた。その陰の政府を支配しているのはサタンである。アメリカは既にサタンによる支配が完了した。アメリカはなぜ退化してしまったのか。殺人、レイプ、麻薬、エイズなどのオンパレードである。しかし、アメリカの没落はそれほど大きな意味をもたない。地球(世界)の未来を左右するのは日本である。アメリカナイズされた今の日本でなく、本来の日本(大和の国)である。うまし麗しの国日本は、サタンの最後の標的になっている。フリーメーソンのバッヂは、世界地図をバックにして、蛇が舌を出して日本の国を飲み込もうとしている絵となっている。これは何を意味しているのだろうか。
●日本が乱れると世界が乱れる。アメリカという国を使って日本人を骨抜きにするという巧妙な計画によって操られているのは間違いない。とはいえ、所詮は神の掌での出来事である。結果的に物欲の生き方(経済至上主義)を人々に反省させる役割をする。光の子はそれを悟る。獣は、なおそれでもお金を追いかける(権力欲、支配欲、色欲など)。
●アメリカナイズとは、人間を家畜化することである。アメリカのマスコミはどうなっているか。アメリカの畜産業の現状はどうか(『脱牛肉文明への挑戦』)。肉食文化がアメリカを病人の国、犯罪者の国、畜生の国にした。日本が今猛烈にその後を追随している。大量消費(使い捨て)、スポーツ(競争心を煽り、強いもの勝ち)、成功物語(お金万能、一獲千金の夢、お金持ちが偉いという思想)。弱肉強食で、法に触れなければ手段を選ばないというのがアメリカンドリームを作り上げる要素である。
●日本の崩壊も始まっている。民主主義の思想によって、家庭では、権威(中心)が男性(年長者)から女性(子供)へと移り、子供は過保護によって堕落し、非人間化した。教育の場では、権利主義教育を受けた世代が教育者となり、体罰が許されないので、生徒に媚びる教師たち。生徒の非行化が加速される。 このように、日本のもっていた素晴らしいものがすべて破壊されつつある。民主主義の悪弊が噴出している。だれも責任をとらない世界。ゴルフ好き、旅行好き、病院好きの日本人。銃口に首を突っ込んで笑っている姿だ。欧米のライフスタイルを真似ることによって、日本人のもつ素晴らしさをすべて失いつつある。早く目を覚まさなくてはいけないが、もう手遅れかもしれない。
救われるためにはどうすればいいか。
●地球が次元アップするときには、人間は「光の子」と「獣」に分けられるらしい。獣とは、我欲、物欲に凝り固まって、人としての個性を失った者。やがて類魂化していく(『幼年期の終わり』)。どれだけ高い地位についたか、どれだけ富を蓄えたか、どれだけ名声を博したか、などは全く意味をなさないどころか、そのことに執着する念はマイナスである。どれだけ他に与えたか、他を幸せにしたか、世の中に何を与えたかが、光の子となるための大切な指標になる。
●ハウツーの時代は終わった。「何のために生きるのか」が大切。神に近づくため、自分を限りなく向上させていくことが、そのまま人生最大の喜びとなり、全体が成長(向上)するために貢献する。指南書(参考書)では人生の問題は解けない。(答えはなく公式が書いてあるだけだから。人生の問題に応用することができない)問題集を自ら解いてみること。つまり経験から学ぶことが一番貴い。経験にハウツーをプラスすると、応用力がつき、解決能力を高めることができる。
中でも、金儲け指南、立身出世指南の本は、我欲と自己本位を助長するだけの教えであり、世の中を堕落させる。競争社会はまもなく終わるというのに、競争に勝つ方法を教えることは時代に逆行している。これからは「利他」「自然との調和」「偉大なる存在に対する畏敬の念を持つ」ことが不可欠の生き方となる。
●言葉、食べ物、呼吸、想念を改める必要がある。それらはすべて波動である。言葉の乱れは世の乱れ。食の乱れが病気を生み出している。腹八分、よく噛む、おいしく食べる、全食、土地のものを食べる、粗末にしない(残飯を捨てるのは罪である)、要するにものの命を生かすことが大切。肉食は日本人に合わない。早く枯れる。どんなものを食べているかでその人がわかる。「われわれは、われわれが食べるものである」。玄米(穀物)を中心とした菜食主義が一番いい。これから終末現象の中で、人間も強制的に波動の調整をされる。肉を食べていると苦痛が大きい。また、獣の側に引っ張られてしまう。
●超楽観主義とは、「思う通りになれ」と考えるのでなく、「起こったことがすべて必要であり、ベストである」と考えて受け入れることを言う。終末現象は必要だから起こる。しかし、阿鼻叫喚を目の前にして傍観するわけにはいかない。災害も最小限であってほしいと祈るのが、正しい心の持ち方である。そのための心の調律が大切になる。
●救われるとはどういうことか。このままの肉体生命を生きながらえることとは限らない。寝たきりになっても生きたいのだろうか? 生きて何をしたいのか。ただ死ぬのが怖いだけではないのか。人類が選別されるとわかったとき、獣側の人間はどういう行動をとるか。自暴自棄になり、他人の足を引っ張る(巻き添えにする)だろう。つまり、獣の本性を顕してくる。しかし、実はこのとき(極限的状況のとき)にこそ、人が試されているのである。
ある盗賊が仏心を起こして、地面を這っている蜘蛛を踏みつぶすのをやめた。死後、地獄で苦しむその盗賊に、極楽世界からお釈迦様が蜘蛛の糸を垂らして救おうとされた。ところがその盗賊は自分のあとに続いて続々と登ってくる地獄の仲間たちに向かって、「糸が切れるから登ってくるな!」と叫んだ。とたんに糸は切れ、盗賊は仲間たちとともに再び真っ暗な地獄に落ちていった。(芥川竜之介『蜘蛛の糸』)。
「自分さえ助かれば他はどうなってもいい」と言う考え方が地獄の波長である。人は極限の状況でその心の内側の波長が形をとる。
●カルマの清算は必ず自分でやらなくてはならない。地球のカルマ、人類のカルマ、民族のカルマ、家系のカルマ、個人のカルマといろいろ絡み合って現れてくる。日々のカルマの解消には陰徳が大切。しかし、いいことをしたと考えると、既に自己満足という報酬を得たことになる。いいことをしたのでなく、いい役割をさせていただいたのである。
●人生は自分が選びとっている。自らの波動を作り出しているのは自分である。
何のために生き残るのか。生き残ってどうするのか。
●これから、自分が何のために生きてきたかの答えが出る。名誉や地位、権力を得るためにこの人生があるのではない。得ることよりも与えること。マーガレット・サッチャーが「人生で大切なのは愛。愛とは与え続けること。そして、見返りを求めないこと」と言っていた。
人生で大切なことは、他を幸せにすること。最大多数の最大幸福のために貢献すること。ただ自分の愛しい人だけに愛を注ぐことではない。そして、他を幸せにするために自分の役割があることに、喜びを感じなくてはいけない。新時代はギブ・アンド・ギブの生き方が最低条件となろう。太陽のように、惜しみなく、まんべんなく照らす。そして、恩に着せない。「俺が照らしてやった」と思ってはいけない。照らすことが役目であり、役目を果たすことが喜びだから。感謝の言葉が返ってこなくても、不愉快になる必要はない。
●多くの人が「豊かな暮らしをしたい」と言う。豊かさとは何か。かつては、新しい電気製品を増やすことが豊かさの証明でもあった。その電気製品は、不必要とも言える付加価値をつけて消費者の買い替えを促してきたが、ゴミ問題など環境破壊を深刻化させることになってしまった。自動車も豊かさのシンボルとなってきたが、排気ガスによる大気汚染、高速道路の渋滞、迷惑駐車、エネルギーの大量消費、道路建設による自然破壊、交通事故、廃車によるゴミの増加などなど、問題を山積している。
食べ物はどうか。農薬使用により大量生産を可能にしたが、結果として、食に対する感謝の気持ちを失うことにつながっている。また、季節感を忘れさせる食生活、グルメや美食に慣れ、飽食民族となっている。輸入タイ産米に対する反応で今日の日本人の弱点が露呈された。
旅行・レジャー好きの民族性は、リゾート施設やゴルフ場の乱開発で、深刻な環境破壊を引き起こしている。ともあれ、モノは豊かになったが、日本人の心は貧しくなる一方である。
欧米型の暮らしを夢見て努力してきた(中流をめざしてきた)。その結果得たものは、モノに囲まれていながら豊かさを感じられないという哀れな姿であった。それでもまだ欧米の物まねをして、休みがたくさんほしいと言っている。
何かのセールで粗品がもらえるとなると、とにかく行列をつくる。もらえるものはもらっておこうという貧乏性の民族である。豊かさとは「与える」ことである。アフリカの難民キャンプの子供が、宝物のように大切にしていたトウモロコシの実を、取材の記者との別れ際にプレゼントしたという話は胸を打つ。テレビゲームや塾通いに明け暮れている日本の子供たちこそ貧しいのではないか。
それは、いつか読んだ小さな新聞記事である。特派員としてアフリカのある国の難民キャンプを取材した記者が、後日談として書いたものであった。
この記者は滞在中に一人の子供と仲良しになった。毎日の食料さえ十分に手に入らないキャンプ生活のなかで、その子供には一日に一個、とうもろこしの実がおやつ代わりに与えられていた。子供はそれをすぐには食べずに、野牛の角でつくった容器に入れていた。貯まった五個ほどのとうもろこしの実を、毎日取り出しては点検し、まるで宝物のように扱っていたという。
取材が終わり、いよいよお別れの日がきた。短い滞在期間ではあったが、情が移り、後ろ髪を引かれる思いで立ち去ろうとする記者のところに、子供が走り寄ってきた。その手には、大切な宝物が二個、記者へのプレゼントとして握られていた。
この感動的な実話をもとに、記者は「豊かさとはなにか」と問いかけている。
日本は地球の次元アップに特殊な使命をもった国である。
●日本は地形的にも世界のひな型となっている。日本に起こることが世界に起こる(相似象)。間もなく、日本の古代の秘密が明らかになる。日本の古代の生き方が、新しい時代のひな型となる。つまり、①神への畏敬の念を持つ、②自然とともに生きる、③モノの命を生かして使う、④家を大切にする、⑤男性が軸となる、などなど。
●浜までは海女も蓑着る時雨かな。カタストロフィーの到来がわかっていても、心を乱さず田の草を取る。「雨か嵐か知らねども田草とるなり」という生き方。死ぬときは死ねばよい。