[1~3章] 花曇り~ 第一章~

銀座は夕方から夜を思わせるように暗かった。
みぞれにでもなりそうな冬雲が一帯に重く覆い被さっている。
堂本岳司は経験したことのない息苦しさに会社近くのサウナに飛び込んだ。
平成八年もあと十日あまりを残すなか、岳司は自分が担当する一番の得意先、月星化粧品の松野宣伝部長と二人だけでの忘年会を控えていた。
体調が悪いからといって今更延期とは言えない。岳司は七時の待ち合わせまでの一時間あまり、体調の回復を図る目的だった。
しかしサウナの休憩室に足を踏み入れたとたん、岳司の目に飛び込んできたのはペルーの武装ゲリラによる日本大使館公邸占拠ニュースだった。過激なシーンとキャスターの熱を帯びた解説を見入る中では体調の回復もままならず、松野との待ち合わせ会場に向かうこととなった。
いつもの軽妙なノリは不発のまま、相手の話に口を挟むこともせず静かに耳を傾ける岳司がいた。通常なら午前様が定番の二人だったが、さすがに松野部長は岳司の体調を察したようで、二次会を途中で切り上げての解散となった。体調の悪さからまっすぐ帰宅という気持ちとは裏腹に、岳司の足はいきつけの「ダルカン」に向かっていた。銀座の六丁目、裏通りにあるマスターだけのショットバーは、自分だけの秘密の場所だった。
岳司の自宅は青山。タクシーを使っても銀座からでは時間、料金共にたかが知れている。そんな所為もありこのところ深夜に立ち寄ることが増えていた。友人、同僚たちにも内緒にしている秘密の場所でもある。
岳司の仕事は広告代理店の営業マン。クリスマスも近いこの時期は、広告業界、いわゆるアドマンにとって普段以上に奔走する毎日なのだ。そんななかでも体調の異変。しかし自宅での静養より独りになれるひとときを選んだのである。
堂島岳司は東京に出て十四年、札幌生まれの満三十二歳、結婚八年目を迎えていた。妻律子は青山周辺にマンション数棟を持つ資産家の娘で、今で言う「できちゃった婚」、大学の同級生ということもあり早い結婚だった。当然、自宅は妻が所有するマンション内にあった。
十一時を少し過ぎていた。
八坪に満たないその店に足を踏み入れた瞬間、マスターと目があった。瞬間彼の顔つきが変った。
「岳ちゃん、奥さんが電話ほしいって・・・」
「女房が?」
「お父さんのことらしいよ・・・」
「有難う」
岳司は慌てて店外に出て、自宅に電話した。
「あなた、どこから?」
「それよりおやじがどうかしたのか」
「意識がはっきりしてきたようなの、それで貴方と話がしたいって」
「話せるようになったんだ、そりゃ良かった。・・・妹から?」
「そう雪子さんからよ、あなた今どこなの」
「・・・すぐ帰るよ」
岳司の父、良二は三日前、行きつけの居酒屋で倒れたのだった。
命に別状はないという医者の診断と年末の多忙さもあって病院に駆けつけていなかった。ただ心配のあまり眠れない日が続いていた。体調の悪さはその所為もあったのである。
岳司は当初最悪の事態も予測していた。それが意識を取り戻したとの朗報だった。至急に話をしたいとの父の真意を汲み取れない不安はあったが、のっぴきならない話であることだけは容易に予測できた。それにしても女房がなんでこの店を知っていたんだろう。誰も知らないはずなのに・・・。父のことと同時にそんな思いも岳司の脳裏をよぎっていた。

翌朝、緊急に休暇をとった岳司は会社から札幌へと向かった。この時期、北国の日没は早い。
入院先の父を見舞ったころはすっかり陽は落ちていた。妹が付き添うなか、想像していた以上の元気さで岳司を迎えた父の第一声は「会社を頼む」というものだった。
父良二は広告のデザイン制作会社を約二十年にわたって経営していた。一通り会社の状況を聞いて岳司は父の会社㈱アルバに向かった。以前から面識のあった専務の橘に連絡をとり、経理の責任者で常務の山上を交えた三人による緊急打ち合わせとなった。
「父から聞いてきましたが、皆さんから見て会社の実態はどうなんですか」
岳司の言葉に、橘が口を開いた。
「資金繰り的には、どうにかというところです。でもこのところ売上げは毎年確実に減っているんですよ」
「業界でアルバはどんなポジションなんですか?」
「人数的にも、売上的にも、大体中堅というところです」
アルバはゴルフ好きの父が命名したもので、ゴルフ用語のアルバトロスに由来していた。
「今、何人でしたか?社員の方は」
「十三人です」
「それでも中堅なんですか・・・。売上は?」
「月五百万から七百万くらいです」
アルバの業務内容はチラシ、新聞などの企画デザインが主な仕事。その中心が版下といわれるものの製作作業だった。印刷物のベースとなる版下は写植機により印字されたものを切り張りして出来上がる。
ちなみにこの年から二年後の平成十年を境にしてコンピューター技術の著しい発達で、版下という言葉は業界では死語になり、作業工程と効率は数倍にあがっている。
「メインの仕事はどこですか」
「ライラック電器とアーバンホームです」
「両方ともこっちでは大手じゃないですか」
「そうです。この二社で全体の約七割になります」
「売上が厳しくなっているというのは、何が原因なんですか」
「この二社の売上がここ数年、尻貧になってるんです」
「経営的に見ると一番の問題はなんですか」
「やはり新規のスポンサーがないということでしょうか」
「いや、山上常務さんに聞いてるんですが・・・」
岳司は会社の内情に対して矢継ぎ早に質問を続けていたが、これまで一向に口を開かない経理の責任者である山上が気になったのだ。
「岳司さん、実はお父さんが保証人となっている友人の会社が倒産しそうなんです。今はそれが一番の問題です」
「え、例の北東企画?やっぱり保証をしていたの」
橘はそう言ってオーバーと思えるくらいのしかめっ面をして見せた。
「保証って、父が」
「そうです、口止めされてたんです」
「それでいくら位なんですか」
「保証と貸付などトータルで大体千五百万くらいです」
「北東企画が危ないって、どこからの情報なんですか」
「うちの顧問税理士さんがその会社の経理も見てるんです」
山上がそう言うと、橘がまた落胆の表情を見せた。
「北東企画って、父の親友の宇田川さんの会社でしょ」
「宇田川さんを、岳司さんは知ってるの?」
「家族ぐるみの付き合いでしたから」
「そうですか・・・。実は、年内持てばいいらしいんですよ」
「それじゃ、すぐじゃないですか」
「そうなった場合、今のアルバの体力では、連鎖してしまいます」
「でも、和議に持ち込めば、かなり軽減されるんでは」
「なるとしてもかなり先のことですから、それまでもつかどうか、私の立場ではなんともいえないです・・・」
「どっちにしても、売上の増強が急務なのか・・・」
岳司は自分に言い聞かせるようにそう言った。父がいない中での売り上げアップ。父がいてさえ厳しい状況を考えると会社の存続はきわめて難しいと思わざるを得なかった。
「あの~、岳司さん。当社に来てもらうわけにはいかないんですか」
山上だった。ちょっぴり上目づかいに、小声でそう言ったのである。
「僕がですか?アルバに?」
山上の言葉に驚いた岳司は慌てて橘の方を見た。岳司と目があった橘はそっと視線をはずした。


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木村 俊輔

北の大地、北海道が生み出した

熱血小説家

大自然に囲まれた小さなお部屋から

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