Oct17
花言葉は
「はかない恋」「恋の苦しみ」「薄れゆく希望」「清純無垢」「無邪気」「辛抱」待望」「期待」「可能性」
(赤)「君を愛す」
(白)「真実」「真心」
(紫)「あなたを信じて待つ」

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Oct12
「つばき」

木は自分で
動きまわることができない
神様に与えられたその場所で
精一杯枝を張り
許された高さまで
一生懸命伸びようとしている
そんな木を
私は友達のように思っている  ~星野 富弘~

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Oct11
「やぶかんぞう」

いつか草が
風に揺れるのを見て
弱さを思った
今日
草が風に揺れるのを見て
強さを知った      ~星野 富弘~ 

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Oct7
『野のユリがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしは、あなたがたに言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも、着飾ってはいませんでした。 
今日あっても、明日には炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、まして、あなたがたに、よくしてくださらないわけが、ありましょうか』  ~聖書~

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Oct3
きく」は漢名の「菊」を音読みしたもの。        また、「菊」の漢字は、散らばった米を           
  1ヶ所に集める、の意で、菊の花弁を米に見立てたもの。                                                                                                                            ~菊~ よろこびが集まったよりも 悲しみが集まったほうが 幸せに近いような気す る        強いものが集まったよりも  弱いものが集まったほうが  真実に近いような気がする   幸せが集まったよりも  不幸せが集まったほうが  愛に近いような気がする          ~星野 富弘~    

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Oct2
早朝の散歩 露草を見て、微笑ましく思えるのは何故だろう?                   ~二番目に言いたいことしか   人には言えない   一番言いたいことが   言えないもどかしさに   耐えられないから   絵を描くのかもしれない   うたをうたうのかも知れない   それがいえるような気がして   人が恋しいのかもしれない       ~星野 富弘

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Sep29
私が荒波家に嫁ぎ26年が過ぎた。 育った環境と常識を、はるかに超えた荒波家の人たちに傷ついたこともあったが、今は良かったと思っている。 平穏な生活もあったかもしれないが、私は優しい両親と兄弟、親族と心許せる友人達がいるのだから・・・荒波家(窪塚家)の家族愛の欠けた、壮絶な人間模様を知ることが無ければ、自分に与えられていた幸せに気付かなかったのかもしれない。 そして、こんな中にあつて躓くことはあっても、自分を失うことなく、自分の信念に逆らうことなく、精一杯誠実に乗り越えることが出来たこと・・・それは、神様が、私のそばに備えてくださった両親や友人達、私を支えてくださった多くの人達がいたからだと思います。ある日、私は聖書を読み、祈りに導かれた時に・・・幻を見ました。 それは大きな大木である。 一つは真っ赤な優雅な香りを放つ「薔薇」の大木だった。 もう一つは「葡萄」の大木だった。 「神様!これはどういう意味ですか!?」 しばらく黙祷していると心に感じた。 神様は私に薔薇より、葡萄になることを望んでおられるんだ!? 薔薇は優雅で美しい・・・しかし、旅で傷つき喉が渇き倒れそうな人が、もたれて休むことも出来ない。それはとげがあるからだ。     でも、葡萄は伸びた枝と葉で、太陽の日差しを、さえぎり渇いた喉を葡萄で潤おす。 もちろんトゲもない。 「葡萄」は優雅さも美しさもないが、優しさがあり安らぎがある。 私はこれからも、そんな人生を選びたいと思う。   長い間、ゆがんだ家族を読んでく下さり、多くの励ましと、コメント有難うございました。  窪塚家の中で自分なりに頑張っていきたいと思います。

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Sep29
絵恋もまた、自分勝手な家庭を顧みない父 龍雄と、母親としての愛情を注げなかった母 妙子、父親の違う兄姉達の間に入り、気を使いその心は疲れ果てていた。 両親の勝手な期待に習字、ピアノの稽古事に学業と、優等生で良い子としての立場を保たなければならなかった。 しかし、龍雄は女遊びで家を空ける。 妙子は学校行事にも顔を出さず、友人と遊びに出かける。 勝手な両親に傷ついた絵恋の心は爆発し、それからは荒んだ青春時代を歩んだ。 荒波家から逃げたい思いと、新たな出会いで、暖かな家族と家庭を求め橋下と家庭を持つ。 龍雄のような人とは結婚したくないと思っていた。 しかし、橋下も父 龍雄と同じく女遊びはお盛んだ。 絵恋の期待と夢は子供に向けられた。 そんな絵恋の期待が、自分が若い時に両親から受けた重荷のように、子供達にも重荷となっていった。 絵恋は両親と同じ間違いをおかしてしまう。 勝子 久智子 俊彦と違い 自分たち兄弟姉妹は自己中心的な両親に育てられ、自分勝手で、親子であっても兄弟姉妹であっても、心を許せない家族であることを誰よりもわかっている。。 両親や兄弟の愛情を、受けることのなかった絵恋は、自分自身の子供達への愛情の注ぎ方に悩んでいる。

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Sep28

「無関心」という意味では、私の夫 俊彦が一番かもしれない。 俊彦は自分の興味のない事には全く無関心である。 両親や妹弟にも無関心だ。 親 妹弟が入院することがあっても、俊彦が自ら進んで病院に行くことは無い。 そんな俊彦のお尻を叩き、病院に連れて行くのは大変だった。 結婚するまでは積極的だった俊彦だが、結婚してしまうと私や子供にも、全く無関心だった。 子供が熱を出しても、私が寝込んでも、俊彦が看病してくれることはなかった。 夜中に咳き込むようなら、「うるさい!!寝れられへんやないか!!」と自分の都合ばかりだ。 俊彦も母 妙子や実の父、義理の父から愛情を受けなかったのだろう。 子供達の名前(漢字)すら、長い間 知らなかったし、父親参観や運動会などは、ほとんどいかなかった。 家計に口出しすることも無いが、協力することも無い。 家計の為に私が、どんな仕事をしようが、夜中に仕事に行こうが無関心だった。 当然、家事など協力もない。 結局、自分にしわ寄せが来ない限り、俊彦が口出しすることは無かった。 とにかく食事の用意さえしていてくれれば、後はどうでも良いのだろう? 「愛の反対は無関心」と言うがまさにそうだ。

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Sep27
久智子は母 妙子の子供のような性格を受け継いでいる。自己主張はするが・・・人の話は全く聞いていない。 悪気はないのだろうが、相手の傷つく言動などはお構い無しである。妙子と同じく、どんな言動に出ても周りの人間の方が、厭きれて我慢する。 諭そうものなら、逆上して大変なことになるのである。 一番の犠牲者はこれもまた、娘が被害者である。  両親が離婚し、娘は久智子に引き取られた。 久智子もまた勝子と同じく、娘に「あんたさえ生まれてなかったら良かったんや!!」と言葉の虐待をしてきたのである。 娘は「私は母 久智子に一度も愛されたとが無い。 母を恨んでいる。」と言っているようだ。 妙子が体が弱かったので、卒業してからは、荒波家の家事の一切をまかされていた。 また、子供のような性格は、社会では受け入れられなかった。 そんな久智子は勤めたことが無かった。 しかし、離婚をきっかけに久智子は、社会に出て働くことになる。 そんな性格が周りの人々に受け入れられることも無く、今更ながらに人間関係に苦労しているようだ。

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Sep24
窪塚家の愛の欠落と無関心が・・・・どの時代から連鎖されているかは、わからないが、仕事はやり手であつた荒波の父だが、一年になんども女をつくり、家庭を顧みない父。 自分とお金が大事で、母親の愛を持てず子供や孫にも、愛情を注げず、夫と子供に頼り続けた母。そんな、自己中心な両親のもとで育った子供達は、愛が欠落し、親と同じように自分以外のことに無関心。 勝子は自分のプライドが一番。 そのプライドを守るために、お金が一番。勝子にとって、お金は名声を得 勝子の必要とする全てのものが、手に入るのだから。 立派な家、立派な車、贅沢な生活、豪華な旅行。 夫の愛情は 「誰のおかげでこんな生活できると思ってるの!!」の一言で縛り、日頃の鬱憤を娘への虐待と、親族や周りのひとへの言葉の虐待で晴らす。 息子には自分のプライドの為に、留学をさせ25歳になったが進路も決まらず、両親と同じく、姉への虐待で心を晴らす。 私から観れば彼女は、自分のプライドを守るために一番必要なものを無くしてしまったのだ。 夫の心にも、娘の心にも、息子のこころにも、親族にも無関心だった。 勝子が失ったものは大きいと思う。 勝子がこの世を去るまでに、家族や兄姉妹との愛情を取り戻して欲しいと心から願う。

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Sep21

自国の利益を求め、他国への無関心が戦争を起こし・・・・家族以外の無関心が近隣との争いを起こす。 自分以外への無関心が・・・・社会や学校内での虐めが始まり、家庭内の崩壊が始まる。 難しいが・・・相手にも自分に向けるような関心と、少しの愛を向けれれば・・・そんな私も 主人に傷ついた心が・・・・主人への無関心が克服できないでいる。

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Sep20
勝子夫婦がエジプトに旅行中 絵恋はまたもストレスが溜まっているようだ。 勝子の娘が親の居ぬ間に羽目を外したいのか? 寂しいのか? 絵恋宅に泊まりたいと連絡があった。 絵恋は家族が体調を崩し熱があるので、今回は遠慮して欲しいと伝えた。 しかし、30歳を過ぎた勝子の娘は、いまだに子供のような性格である。 絵恋が「自分を嫌い、家族が具合が悪いと、嘘をつき自分を避けているんやろ!?」と数分置きにメールや、電話を入れてくる。 絵恋はメールと電話に困り果てた。 弟にも「お前は家族にも、親戚にも嫌われているんや! だから、絵恋ちゃんにも嘘をつかれてるんや!!」と言われたようである。 勝子夫婦は贅沢三昧生活だが、義理の私がみても、悲しい家族である。 親子愛は破綻し、姉弟愛も感じられない。 勝子も愛を受けず育ち、また子供達にも愛を注げない。 まさに~ゆがんだ家族~である。 胸が痛む・・・・とりなしてやりたいが、勝子には下手に関われない。   勝子は兄妹にも世間にも、リッチな幸せな家族と生活を演じ、なんとかプライドを保っているからである。 (・・;)


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Sep3
先日、神戸に出かけた。 世界一週クルーズ豪華客船 ”飛鳥Ⅱ” が停泊していた。 案内パンフレットによれば、一人当たり最低450万~2000万!! そんな旅行する人もいるんだ・・・羨ましいとも思わないが・・・まず、一生乗船することが無いので、思わず写真を撮った。    世界一周の前に日本一周も出来ないのだから・・・(><) どんな人たちが居り、どんな人間模様なのだろう?豪華客船と聞けば、有名な「タイタニック」を思い出す。 金持ちと平民・・・時代が違うが・・・タイタニックの金持ち達を羨ましいとは、思わないし、現在も思えない。 価値観の違いだろうが・・・・主人の妹 勝子夫婦もエジプトに行っているらしい? 姑の遺産で余る程お金があるので、毎月のように海外旅行である。 しかし、そんな勝子の贅沢な暮らしを羨ましいとは思わない。 人間 お金が無いより、有るに越したことはなが・・・・私はささやかなことで、喜べることの方が幸せなんじゃないかと思う。 友人が離婚し、親子二人で暮らしている。 私は彼女と4年ぶりに再開した。 私はこの親子をみて、「幸せ」ということを考えさせられた。  我が家も金持ちでなく、旦那の収入も激減である。しかし、今のところ普通に暮らせている。 彼女は昨年 暑い夏をクーラー無しで過ごし、カーテンを買い揃えるのに一年掛かり、親子二人で一枚の布団に寝ていた。 私はその事を知ったとき、胸が熱くなったが・・・もっと心を打たれることがある。 そんな状況にあっても、彼女達親子は悲壮感のかけらもなく、明るく元気に暮らし、今の生活に満足していたからだ。 彼女の給料日に二人で、ファミレスに行って食事することが、彼女達の一番の贅沢なのだ。 我が家の息子達は「今日はすき焼きよ!」といえば・・・「えぇ~すき焼き・・・?(><)」と不満げだ。 今は贅沢や物が揃ってることが、当たり前の時代だが・・・この親子のように、一つ一つを大きな幸せと感じれることの方が、本当に幸せなのかもしれない・・・

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Aug30
きょう俊彦は早朝4時から、海釣りに出かけた。 釣り道具を揃えるのに、昨夜から大変だ。 「お~い!あれを出してくれ!あれは何処や!」 振りまわされる。数年の睡眠障害で私の記憶力は、恐ろしいほど低下。 更年期で疲れた心身を休める暇もない。 「いい加減にしろ!自分のことは、自分でせんかい!!」と・・・言いたいが喧嘩する元気も気力もない。 これが自分で何も出来ない旦那を作ってるのだろう? 先日の飲み会に若いカップルが来ていた。 二人はよく喧嘩をするらしく・・・彼らの喧嘩は激しい!!ご主人の腕には紫色に変色した打撲の後と、足には噛まれた歯型がしっかり残っていた。 喧嘩するほど仲が良いのだろう。どちらにしても、羨ましいものだ!! そんな夫婦の関係もあるんだ・・・私の性格では難しいが,一度でいいから~叫んでみたいものである。 絵恋は言う 「お姉さん!!お兄ちゃんは窪塚家の強い女で慣れてるから、キャン!キャンキャン!!と叫びわめいても大丈夫やよ!」と言うが、叫び慣れていない私にとっては、叫ぶことが大変だ!!

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Aug29
昨夜は俊彦の会社仲間の接待で、食事会と二次会に出かけた。 相変わらず、他人の前ではご機嫌だ!! 人から見れば、いつもの様に仲が良い夫婦に見えるらしい!? 俊彦もいつもの様に 「我が家はラブラブだ!!」と連発である。 このいつもの虚しい言葉にも、聞き慣れて腹も立たない。 お酒を飲めない私は、いつもの様に運転手。 会社仲間の自宅に回って送迎する。 延長、延長で夜中の1時。 皆を送って、帰宅したのは夜中の2時半。 今朝、俊彦の嫌な一言で目が覚める!! 「おい!! うるさいやないか!!聞こえへんのか!!寝られへんやないか!!」と怒鳴って二度寝する俊彦。 俊彦の無神経な一言に私の心は、傷つき虚しさに落とされる。 毎日、携帯のアラームを6:00に設定しているのだが・・・昨日が遅かったのと、耳のせいでアラームが聞こえなかったのだ。 実は私は片方の耳が、全く聞こえない。 数年前に気ずき、耳鼻科に行ったが、神経からきているので、もう一生治らないと言われた。 そのため今朝は、聞こえる耳を枕に当てていたので、全く聞こえなかったのだ。 病気の俊彦の為にと、7時間かけて富士山の湧き水を、汲みに行く自分が虚しく感じる。 俊彦はどうして、いつもあんな暴言でしか話せないのだろうか? 歳がいくほど酷くなるようだ。   「いつまでこんな旦那に、我慢しないといけないのだろうか・・・もう、いいんじゃないの・・・」と私は心のなかでつぶやく・・・(--)

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Aug24

バスで移動中 私が家出した時でさえ、連絡してこない俊彦から、携帯に電話が入る。 何事かと電話に出ると、仕事の請求書や印鑑などが、何処にあるか分からないと、掛けてきたのである。 ちょうど間が悪く、請求書を出す日だった。 私も山梨行きで、早朝4時から出かけたので、すっかり、そのことを忘れていた。 普段から俊彦は、仕事に行くこと以外、事務処理やめんどうな事は、私任せである。 家の何処に何が有るのか、全く知らない俊彦に説明するのは大変だった。 そんな姿を見ていた知人達は 「相変わらず、大変だね?」と笑っていた。 まぁ~いつもの事だが、出かけていても落ち着かない外出である。

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Aug16
俊彦も退院し少し落ち着いた。医師から水を沢山飲むように言われていた。ちょうどその頃、富士1合目のバナジューム水の湧き水が、体に良いと知人に紹介された。 この水素水は市販の物と成分が違い、水素だけでなくケイ素が含まれているらしい。今年、沖縄で開催された世界医学会でその詳細が発表された。 フランスのルルッドの水や、テラコテの水より濃度が濃く、様々な病気の原因となる活性酵素を、抑制することがわかったらしい? 私自信、体力に自信は無かったものの、俊彦にはもう少し元気で居てもらわなければと・・・30名で観光バスを借りきり、この水素水汲みに参加することになった。バスの中には、色んな病気の方達がおられたが・・・すでに数ヶ月飲用され、症状が改善された方々が・・・2回目に参加されたいた。 

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Aug13
絵恋夫婦には勝子や久智子には、入院していることを言わないように頼んだ。 心のない見舞いはいらないからである。 必ず問題が起こるからだ。  数日すると、俊彦の会社同僚がお見舞いに尋ねてくれた。 俊彦は若い同僚には人気があった。 家では愛想の悪い俊彦も、人が居ればニコニコと満面の笑みだ!! それによく喋る! 同僚には・・・好かれているようだ。 俊彦は他人がいると決まって 「僕ら夫婦はラブラブだ!!」とアピール。 その言葉を聞いて同僚達は 「奥さん! 優しいご主人で幸せですね!!」 ~(へぇ~他人には優しいんだ~(苦笑) 旦那 「こいつも今はこんなんやけど!!若いときは綺麗かったんや!! 今 白状するけど、ストーカーしてたんや!!今のこいつにはマニアしか声掛けへんけどなぁ!」とバカ笑い ~(--;)(誰が苦労掛けて、汚くしたんや(ーー) こんな女に誰がしたんや!? ストーカーしてこの仕打ちかい!?)と・・・心のなかで叫びながら 「ちょっと、ジュース買って来ますね」と部屋をでる。

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Aug12
俊彦と結婚して27年 随分我慢してきたが・・・こんなに文句を言うとは、想像以上である。 俊彦に私はこう言った 「開腹手術もしないですんだし、痛くなければ良かったんちがう?女の人は、つわりで苦しみ、十月十日赤ちゃんがお腹に居て、命がけで子供生み、後産の痛みに耐え、乳房の張る痛みにも耐え、それでもまだ出産後は子育ての辛さ! その苦しみから比べれば、2~3日の苦しみ、入院しても2週間の間だけでしょ?」 それを聞いても俊彦の文句は止まらない。 私は我慢の限界!! 「チョッとコンビニに行ってくるわ」 と病室を抜け出した。 病人も辛いだろうが・・・俊彦は看病する辛さも知らない。 今回の事で、病人の辛さは知っただろう。 しかし、私が入院しても俊彦には、一日の付き添いも期待できないだろう。 私は今更に思う・・・やっぱり同じ価値観と、優しい思いやりのある人と、生涯を共にすべきだと!!

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Aug11

入院当日、2時から手術だった。 俊彦はストレッチャーで手術室に運ばれた。 1時間という事だったが、30分ほどで病室に戻ってきた。 思ったより元気そうだ。 麻酔が効いているので、痛みも無いようである。 カテーテル手術ということで、開腹手術よりは辛くないようだ。 尿道に管をとうしているので、1日は動けないので、夜は泊りの付き添いとなる。 麻酔の効き目が薄れるにつれ、俊彦も辛いようである。痛みは無いが、管を入れている関係で、残尿管があるようだ。 俊彦は姑が入院した時も、私が手術した時も一度も付き添うことがなかった。 そんな俊彦は、手術や入院の辛さを、今回身をもって経験することになった。 私は子供の頃に、盲腸の手術を受け、お産は破水を多くしたので、かなり酷い難産となった。 その後も、妊娠中の卵巣の手術を受ける。 開腹手術後の痛み止めも、妊娠中という事で投与してもらえず、酷い痛みに耐えることになった。 「母は強し!!」 と言うが・・・・お腹に赤ちゃんが居たので、我慢出来たのかもしれない。 看護婦さんが驚くほど我慢強かったようだ。 我慢強さは、母譲りかもしれない。 そんな私は俊彦の多すぎる愚痴に・・・・素直に可哀想にとは思えないのである。 

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Aug10
俊彦に付き添い入院の日が来た。今日もいつものように私が運転手である。病院に着くと、俊彦は自分ひとりサッサと降りて、病院に入って行った。(--;) 私は大きな荷物を幾つも抱えて,病院に入って行った。 診察のため1時間ほど待たされただろうか。介護師さんの案内で病室に入る。幾つかの入院時の注意を聞く。 介護師の方は愛想の良い、優しい人で少し安心した。   俊彦はパジャマに着替えベットに上がると、急に病人になった。ベットの上から「あれを買ってきてくれ!それを取ってくれ!!」とまるで手術後のように重病人だ。そのうち枕元にある「ナースコール用のボタンを押してくれ!!」と言い出した。 さすがの私も「手も足も動くし、まだ手術もしてないでしょ!自分でできるのだから、自分でしてください」 俊彦はそう言われると、テレビカードを自分で買いに出かけた。 俊彦が病室をでると、私は大きなため息をついた。「はぁ~、今であの調子だったら、手術後は想像するだけで大変だ(--;)」午後には手術で、今日は付き添いがいるようだ。可哀想な気持ちもあるが・・・俊彦の性格を思うと、私の気持ちは重い。

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Aug7
今日テレビで遠位型ミオパチー難病を知りました。パソコン検索で遠位型ミオパチー難病指定オンライン署名サイトを見つけました。ご賛同の方はご協力の御願い!!**http://enigata.com/
いまだ治療の道の無い難病であるミオパチーの種類は多くありますが患者会はまだほんのわずかです。
難病であるがゆえに治癒への道に希望を抱こうとしても進行性の病気と共に生きる事は、とても困難なことです。
日本だけにとどまらず、世界中に存在するといわれる患者本人の手元に一日でも早く、薬が届くよう、
今出来る最大限の努力をしていきたいと思っています。
その為には、同病の患者の皆様、ご家族の皆様、更には会に賛同して下さる皆様のご協力が大変重要となってまいります。
この患者会はこの病気に理解を示して下さったり、会の考えに賛同して下さる方であれば、この病気の患者と家族だけでなく
どなたでも参加して頂けるものにしていきたいと思っています。
こういった思いのもと、さらには未だ国の特定疾患という認定を受けていない現状も変えていこうと考えています。
乗り越えなければいけないハードルは多々ありますが、絶対最後まで希望を捨てず、道を切り開くために、皆様方のご支援、
ご協力を賜れますよう、心からお願い申し上げます。~遠位型ミオパチー患者の会~
オンライン署名 http://enigata.com/

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Aug3
二回目の診察で超音波検査と内視鏡検査がおこなわれた。 やはり膀胱内に腫瘍ができており、その為の血尿だったようである。俊彦は腫瘍切除の為、入院手術となった。 とりあえず原因がわかり 俊彦も私も安心した。 診察を終えると俊彦は、以前から予定していたゴルフ旅行の準備に忙しくしている。 私は俊彦の入院の準備に忙しかった。 泌尿器科の入院手術ということで、パジャマや下着を選ぶのが大変だった。 適したものが見つからず、数店舗を回って準備した。俊彦は自分の物が家のどこにあるのか全く知らないので、準備をしながら「私が居なくなったら、この人はどうするんだろうか?」と思った。 しかし、俊彦は私が居なくなることなど、一度も考えたことなど無いのだろう。 

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Jul27

近隣で少し大きめの病院を見つけた。宮内庁の泌尿器科医も居られるということで、俊彦も安心して診察に行くことにした。 診察に行くと前回の医院とは違い こんなに泌尿器科に患者さんがいるのかと、驚くほど大勢の人が待合室で待っていた。 4時前には入ったが、2時間以上待たされた。 俊彦も名前を呼ばれ、不安そうに診察室に入っていった。 30分ほどかかっただろうか? 俊彦が診察室から出てきた。 次回はもっと詳しい検査をするようである。 会計を済まし、超音波の検査予約をしたが、10日後まで予約がいっぱいのようである。 帰る車の中で俊彦は 「ほんま下の病気はするもんちがうわ!!お産の分娩台みたいなところに寝かされて、先生も看護婦さんにも見られて!恥ずかしいかった!麻酔のジェルみたいなの塗られて、内視鏡を尿道から入れられるし!!」と俊彦は散々文句を言っていた。 「そう?たいへんやったね~でも・・・先生も男の人やからいいやん! 女の人は産婦人科に行くと、先生も男の人で看護婦さんも沢山居て、診察台に上がるんやで、恥ずかしいなんてものじゃないよ!!」 きっと俊彦は私にそう言われるまで、女の人がお産や診察で、どれだけ恥ずかしく屈辱感を感じているか、考えもしなかっただろう。そう言われると俊彦は黙っていた。

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Jul25

近隣の泌尿器科に診察に行くと、土曜日だからだろうか、数名の患者しか居なかった。俊彦は流行ってそうにない病院だと、不安を隠せない。 緊張と不安な気持ちで、俊彦は診察室に入っていった。私は待合室で座って待っていたが、診察室からかすかに聞こえる声に、神経を注いだ。しかし、何を言っているのか分からなかった。15分程で俊彦は診察室から出てきた。「どうだった?」の私の言葉に俊彦は「今日、内視鏡の検査をしましょう?と言われたが心の準備が出来てないと、月曜日にしてもらった。」=「今日してもらったら良かったのに・・・月曜日まで心配しないといけないわよ!」~「そんなこと言うても痛そうやし、どうもあの先生ちょっと不安や! あんまり流行ってないと言う事は、ヤブ医者なんやで!?」   結局、帰宅してから電話帳やパソコンで病院探しとなった。 その日、パソコンで主人と同じように、血尿で診察に行った人のブログを見つけた。 奥さんに心配を掛けまいと、一人で病気に悩み診察に行ったと言う話だった。 「はぁ~世の中にはこんなご主人もいるんだ~?」とブログを読んでいた。

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Jul23
ある土曜日の朝 トイレに入ってに出てきた俊彦が「血尿が出た!なんでやろう!?」 =「えぇ?血尿がでたの?今までに前兆なかったの?」 「ん~?あったような~薄く色ついてたかも?」 =「とにかく今日は土曜日だから、午前中に診察行かないと!!」 怖がりの俊彦に付いて泌尿器科に診察に行く。 私は車を運転しながら思った・・・私が出産や卵巣の入院手術の時でさえ、俊彦が運転して病院に連れて行ってくれたことは無かった。 「術後の注意点や帰宅後の注意点もあるので、ご主人に来てもらってください。」の医師の言葉にも俊彦は一度も来てくれることは無かった。  その度に適当な言い訳を考えて、医師に告げるのは情けない。しかし、俊彦はそんな私の気持ちなど、全く知らないだろう。 そんな俊彦が子供のように私に頼り、病院にも付き添いである。 とりあえず近くの病院で、診察することになった。

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Jul21
時々こんな質問をどこかで、耳にしたことがある 「あなたは生まれ変わったら、もう一度ご主人と結婚したいですか?」 私は迷わず 「NO!」と答えるだろう・・・(--;)  若くして短期間の付き合いで、結婚した私が悪いのか? 堅苦しくて真面目すぎて、恋愛暦が無く 異性を見る目がなかったのか? とにかく結婚に対して、何も知らなすぎたのは確かである。   このブログを書きつつ、主人の言動を思い出し、26年経った今 やっと気付いたことも多々ある。明け方5時・・・今 私は仕事場でブログを書いている。昨夜8時にマッサージの予約が入り・・・祝日の今日は俊彦も息子達も昼まで寝ている。なので、そのまま泊まったのである。昨日 家を出るまでに、自宅の夕飯を済ませここに来たのだが・・・今の私にとって外泊しても、何も言わない俊彦は都合の良い夫である。(--;)? しかし、それって!? 普通は考えられないことですよね? 私も一人で居ることの方が楽なのである。 俊彦も食事や洗濯、家事さえしてくれれば、それで良いのかもしれない。午前10時に予約のお客様をマッサージし帰宅する。こんな我が家も「ゆがんだ夫婦」なのかもしれない・・・?

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Jul19

今回も歩のことで、俊彦が歩や私と話し合うことも一度もなかった。 俊彦から出た言葉は「ほんま!あいつは三人の中で、少しはマシや思とったけど!なんであんなアホなんや!!」と愚痴ばかりである。 私は仕事で県外に出張し、留守をする歩に代わり家庭裁判所などに、書類を届けるのに走り歩いた。 俊彦はその後の経過を、私にも歩にも一度も聞くことはなかった。 俊彦は問題が起こる度に、そ知らぬ顔である。 めんどうな事には、関わりあいたくないのだろう。 俊彦にとって、家族とは何なのだろうか? 窪塚家という情の無い家族の中で、育ったからだろうか・・・俊彦の言動からは、相変わらず家族への愛情を、感じることは無い。 夫婦とは何なのだろうか・・・最初は分かり合えなくても、歳を重ねるごとに分かり合えるものなのだろうが・・・しかし、私は歳を重ねるごとに、俊彦への信頼がなくなっていく。 熟年離婚の予備軍か?

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Jul14
法律的な事は分からないので、以前知人から聞いていた弁護士を息子に教えた。若い息子の相談に耳を傾け、相談料も受け取らなかったそうだ。知人から親切な弁護士と聞いていたが、本当だった。弁護士を立てると費用が掛かるので、それぐらいなら自分でも手続きできると、親切に教えてくれたそうだ。その後、お金は戻ってくる事は無かった。しかし、この事を通して歩みも成長して欲しいと願っている。

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Jul13
地方に単身赴任の長男 歩 宛てに、保険料等の督促状が度々届く(・・;)週末帰宅してきた歩に尋ねた「最近、督促状がよく届くようになってるけど?どうなってるの?」・・・「実は・・・家も大変そうやから、心配掛けたらあかん思って言わんかったんやけど・・(--;)」と重い口を開いた。友人の紹介で友達数名と、海外投資の話に乗ったらしい。息子は200万程だが、友人は400万もだまされたようだ。友人は朝、夜と働き毎月30万もの返済をしているようだ。息子も食べるのもままならず、貧血で倒れたこともあった様である。しばらくして、曽根崎警察から電話があり、多くの被害者がでているようだ。犯人は捕まったが組がらみで、組織的な犯行のようだ。お金は戻ってこないだろうと言うことである。被害者に説明会があるので、警察まで連絡を下さいとのことだった。

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Jul12
思い出せば・・・痘痕も笑窪と言うが、俊彦が我が家に来て父に結婚を申し込みに来た時のことだ。 父は俊彦にこう尋ねた「俊彦さん、うちの芽衣子を幸せにできるのか・・・?」の問いに俊彦は「・・・わかりません」と答えた。 その言葉を聞いた私はショックだったが・・・正直な人なんだ・・と思ったのである。 父がその時、どうリアクションしたのかハッキリ覚えてないが、今 思えば正直と言うより、無責任だったのかもしれない・・・?  世間知らずの私に、諸事情を知る友人が「君は悩まないといけない時に、悩まなかったんだね!?」と言われ的を衝いている言葉に、傷ついてしまった。(--;) 

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Jul9
姑 妙子が亡くなり、妙子の生前の意志により、絵恋が窪塚家の仏さんを見ることになっている。絵恋はさまざまな仏事においても、勝子が口出しし、全てを仕切り問題が起こる。相変わらず、俊彦は知らん顔である。当然、昔から長男扱いされておらず、全ての事において蚊帳の外だったので・・・その気持ちもわかるのだが・・・私もそんな絵恋に何も出来ないので、毎月の命日には、花束を絵恋宅に届けている。 絵恋は形式だけで、心の無い勝子のお参りに、こう言った「月命日には芽衣子さんが、必ずお母ちゃんに花束届けてくれるのよ!」それを聞いた勝子は「ふ~ん!」と不満げに答え「花なんて造花でいいんよ!すぐ枯れるんやから!!」の一言だ。 私がすることは何もかも、気に入らないらしい。なぜなら、弟 清志の嫁は「勝子お姉さ~ん!お姉さ~ん!」と勝子に似てオバートークだ。それに比べ私は、自分の気持ちに嘘はつけない。おせいじも言わない。そんな私が勝子は気に入らないのだろう。しかし、相手が誠意を持って接してくれるのであれば、私も誠意を持って行動することが出来るのだが・・・?  

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Jul7
数日が過ぎ、お返しが届いたのだろう。早々に勝子からの電話コール。しかし、勝子からだとわかると・・・私の心が凍りつく(--;) 躊躇している間に留守電に・・・一息ついて、聞いてみる。いつもの甲高い声!!「あぁ~芽衣子さん!! ありがと~う! なにかお手軽~な物いただいたみたいで~!!」ときたもんだ。(>~<)?お手軽???って・・・どうゆう意味かな? なんだか今回も引っかかる一言~私の僻みか? 被害妄想か・・・?  どちらにしても、係わり合いたくない勝子なのである。

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Jul6
先日、久ぶりに勝子から「神戸牛のステーキ」が送られてきた。本当なら嬉しい話だが、勝子の贈り物だけは、単純に喜べないのだ。頂くと言うことは、お礼の電話を掛けないといけない・・・そうすると、嫌でも勝子の声を聞かないといけない・・・当然、一つ二つ嫌味な言葉が返ってくるだろう?(><)嫌味を言われる度に、私は傷つき、勝子が嫌いになっていくのである。結局、私は悩んだ末にブランド名が大好きな勝子に「老舗三田屋のギフト」に「お礼」と称して送った。 我が家は、これから勝子とは親戚付き合いする気はないので、ハッキリ断りたいのだが・・・どうしたものか?   

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Jul5
俊彦も窪塚家で、親の都合に振り回され育った。自己中心の親に育てられ、親子の愛情や兄妹の愛情も薄い。そんな俊彦の子供に対する愛情表現は不器用なものである。俊彦が真と共に働くのは、かえって逆効果になったかもしれない。橋下の下で働くことが、俊彦との間にクッションをおくことになり、良かったのかもしれない。そして、真に対する橋下の評価はかなり違う。橋下は俊彦が言う程、真は頼りなくもなく、仕事も真面目にやっていると言う。橋下の息子も一緒に働いている。真も自分で稼いだお金の一部を貯金し、こずかいを少しずつ貯め、今月はパソコンを買っていた。今までは信じられなかったが、パソコン購入時には、俊彦も加わり三人で買い物に出かけた。俊彦も家族と一緒に買い物に出かけることが・・・楽しいのかもしれない。 世間の家族では・・・当たり前のことなのだろうが? 少しずつ親子の関係が歩み寄っている様に思える。

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Jul4
工場内で仕事をするので、安全靴や備品を買いに行く。頑固に反対していたわりには、俊彦も機嫌が良い。真も就職が決まって、嬉しそうだ。一番驚いたのは、会話の無かった真と俊彦が、二人で仕事の話をしている。最初はぎこちないようだったが、二人が並んで会話している。ここ10年近くそんな光景を見たことがなかった。 なによりも、親子の関係が少しでも良くなることが嬉しい。俊彦も真にアドバイス出来る事が、嬉しいようだ。 真も初めて俊彦と話をし、頼れる父として見たのかも知れない。 また、これから互いが工場内で働く姿を見る。真は頼もしい父親の働く姿を見、俊彦は真の意外な面を見れば、二人の親子関係は変わってくるだろうと、私も安堵した。その日から、真は俊彦と同じテーブルで食事をする様になった。当然、私もだが・・・絵恋夫婦には心から有難うと言いたい~感謝~

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Jul3
その頃、絵恋の夫橋下はアルバイトが、急に辞めて困っていた。絵恋を通して、真に働いてくれないかと頼まれたのだ。しかし、俊彦と橋下は職種は違うが、同じ現場に働いていた。俊彦は大反対だ!頼りない自分の息子に、現場をウロウロして欲しくないようだ。橋下は俊彦とは性格が違い、あまり細かいことに拘らないようだ。真を小さい時から知っている…むしろ自分の息子より素直で良い子だと、言ってくれているのだが・・・
私にとって有り難い話である。人とのコミュニケーションが苦手な真を、よそ様に預けるのは心配だが、真の性格や良いところを、知っていてくれる橋下に預けるのだから。しかし、俊彦は首をなかなか振らない頑固者だ。   絵恋も橋下も今回のことで、俊彦が思っていた以上に頑固なのに驚いていた。数時間かけて、橋下や絵恋わたしの説得で、俊彦はしぶしぶではあったが、真が働くことを承諾した。当然、肝心な本人の意思が大切なのだが? 私が真の部屋へ行き、恐る恐る真に事の次第を説明し、働く意思があるかどうか聞いた。真は「えぇで!!」予想外の一言である。真も俊彦の毎日のように言われる愚痴を、聞きたくなかっただろう。

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Jul2
毎日のように真が、働かずに家に居ると文句を言う俊彦に、私は言った「だったら、お父さんが仕事に連れて行ってくれたらどうなん?」・・・「あんな賢くない奴 連れて行けるか!職場の者に何を言われるか分からんやないか!?」・・・「貴方は真が心配やと言うわりには、真の事より人にどう思われるかを心配するんやね!? 確かに人と話すのは苦手だけど、優しいところもあるし、お兄ちゃん達が気が付かないことも気が付いたり、良い所もあるのよ?小さい時に頭が悪いとか、何も出来ないとお父さんが言ったから、自信を持てなくなったのよ!人と違ってても良いやんか?」・・・「とにかく俺は連れていかんぞ!!」の一言だ。真は俊彦を嫌っていたので、特に俊彦の前では話もしないし、笑うこともなかった。そんな真を見て、俊彦の評価は悪い。しかし、俊彦が居ない時は様子は少し違う。繊細な分、相手の気持ちを考えている。私から見れば、よっぽど俊彦より、真の方が普通だと思う。繊細な真と無神経な俊彦との間に入って、私は疲れる毎日である。

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Jul1
そんな中でも息子達は、誰一人として俊彦に反抗したり、口答えすることはない。だから、俊彦の方も子供達に、手を上げることは一度もなかった。俊彦は父親としての自覚がなかった。仕事を定時に終えても、パチンコ店に行き帰宅するのは、毎日10時半だ。日曜日はゴルフや釣り、パチンコや競馬と出かけ、子供達との親子のコミュ二ケーションなど、ほとんど無かった。夏休みや冬休みの年に数回だけ、家族旅行に出かけるぐらいである。俊彦は仕事をすることが、夫 父親としての勤めだと思っているのだ。 もちろん、世の中には仕事に行かず、困っている家族もいるが・・・真面目に仕事をしてくれることには、感謝している。しかし、それで父親の役目を果たしているのだろうか・・・? 私は俊彦の父親としての言動に不満はあったものの、子供達には、いつもこう言って聞かせていた。「お父さんは私達家族の為に働いているんだから、お父さんに反抗したり、口答えしたら駄目よ!」息子達は「でも、お母さんも働いているやん!?」・・・「お母さんの稼ぎは、あなた達のおやつ代にしかならないのよ。あなた達が不自由なく暮らせているのは、お父さんが働いてくれてるからなのよ。だから、いつも感謝しないとだめなのよ!」 なので、子供達は俊彦がどんな言動に出ても、口答えしない。しかし、本当にそれで良かったのか? 私自身も妻として、耐えることだけを努力したが・・・喧嘩したり、言い合ったりすることで互いのコミュ二ケーションが、もっと持てたのかもしれないと・・少し後悔している。

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Jul1
そんな我が家の大きなダイニングテーブルは、数年前から俊彦だけが、一人で食事をする場所となっている。なぜなら、俊彦は食事中に子供達其々に、愚痴を言うからである。「お父さん!食事中にそんな話やめたら?」・・「今 言わんないつ言うんや!!お前は子供の将来が心配ちがうのか!?」 テレビを見ていて、よそ様の立派な息子さんの話が流れることがあれば・・「うちの息子達とはえらい違いやな!!」 私の我慢も限界・・・「お父さん!!誰の子供なん?自分の子供でしょ!?なんでそんな言い方できるの?」そんな事になるので、子供達が寄り付かなくなった。最近では私も家出以降・・・主人と一緒に食事することはなくなった。

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Jun30
我が家でも心配ごとが尽きない。三男 真が他人とのコミュニケーションが苦手で、なかなか就職活動が出来ない。神経質で周囲の目を気にするタイプなので、勤めれば休まず真面目にいくのだが・・・そんな真を見て、俊彦も心配なのだろうが、とにかく繊細さに欠けた言動が真の心を傷つけ親子の関係を悪くする。「おまえは朝から晩まで、家に居て!!何考えてるんや!そんなことしてたら、将来 ホームれすやぞ!!」と俊彦と真が顔を合わす度に私は針のむしろに座った気分だ。ここ数年、真は俊彦と食事を取ったことがない。俊彦も親の情や優しさに触れたことがないので、そんな自分の言葉で真が傷つくことが分かっていない。私は真を傷つけないように、二人になると、顔色を伺いながら・・・「あぁ~ここの求人広告に、真に向いてそうな仕事があるよ! 面接だけでも行ってみたら? あなたはコツコツ絵を描くのが好きだし接客じゃないから・・・むいてるみたいよ?」そんな会話の二日後には真の頭に円形脱毛が・・・(・;)何も言えない。息子三人同じように育てても同じようには育たない。 私の育て方が悪かったのか・・?俊彦には「お前が真が傷つくから、何にも言うな!言うから何も言わんようにしてるけど!!ほんまあいつは!何考えてるんや!頭おかしん違うんか!!」そんな言葉しか戻ってこない俊彦に、私の心も傷ついていく(;;)

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Jun29
こんな私が倒れそうになったり、挫けそうになったりする時には、いつも友人達が、支え守ってくれた。 どんな状況にあっても、私を励まし続けてくれた友人と家族に、心かから感謝したい。時には自分で自分が嫌になる時でさえ、私から離れず優しい言葉を掛けてくれたのだ。「神は時に叶って麗しいと」言うが・・・本当に絶妙なタイミングで、私の渇きを潤おしてくださる。もし私が問題と悩みの中に居なかったのなら、こんな素晴しい友人達に出会わなかったのかも知れない。いや出会っていても、気が付かなかったのかもしれない。偶然の出会いでなく、必然の出会いなのだろう。多かれ少なかれ、其々に問題を抱えているが・・・友人達や家族には、幸せになってもらいたい。「私の人生で関わってくれた人に、有難うと言いたい」

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Jun24
舅 龍雄といえば気になることが、一つ有る。結婚当初 親の為に働いてきた俊彦だが自家用車はなかった。俊彦も自家用車が欲しかったのだろう。結婚を機に車を購入したのだが、購入資金を龍雄が貸してくれたらしいのだ。17万の月給から毎月3万を返していた。毎月、妙子にそのお金を預けていたのだが、その頃には龍雄の浮気癖も始まり外泊が度々だったようだ。結局、妙子に預けた3万は龍雄の手にはいって無かったようだ。離婚になってなければ、それで良かったのだが・・・離婚後、龍雄のお好み店に隣接する店舗の改装を、実家の父が受けた。もちろん、父は龍雄の店がそこにあるなど知らなかった。 たまたま母が手伝いに行った日に、休憩に隣接する喫茶店に行った。そこで、龍雄とバッタリであったようだ。その時に龍雄から荒波家(窪塚)への文句を散々聞かされたようだ。当然、俊彦の車購入のお金も全然返してもらってないと、怒っていたらしい。 帰ってきた父に、借りたお金を返してないのか!!と叱られた。毎月、妙子に返済し完済していた。当時、俊彦がそのお金をどのように、渡されたのか知らないが・・・龍雄が返してもらってないと、思ってることは間違いない。しかし、妙子が亡くなった今、そのことを知っている者は誰もいない。とにかく、全てがややこしい家である。

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Jun19
ようするに、龍雄は絵恋と窪塚家の兄姉妹が、妙子の遺産を手にして贅沢に暮らしていると思っているのだろう。「いえいえ!全て勝子が独り占めしてますよ!」と言ってしまいたいが、気性の激しい龍雄に、そんなことを言おうものなら、どんな事件が起こるのかわからない。結婚当初は俊彦はこう言った「どうでもいいが、ウイークエンダーだけは出たくない」が口癖だつた。龍雄は今の妻と夫婦喧嘩の末、妻の頭を叩き頭蓋骨骨折の傷を負わせ、救急車で運ばれた事件もあったようである。当時、人気のあった報道番組だ。俊彦が先日こう言った「今まで窪塚家で殺人事件が起こらなかったのは奇跡だ!!」その言葉を聞いて、私はこういった「私が貴方の立場で、本当に好きな人が出来たなら、絶対に窪塚家の嫁に貰わないわ!」何も知らない羊を狼の群れに引きずり込むのと同じだと思う。嫁に貰ういじょう皇太子様じゃないが、全力を尽くして守って欲しかった。

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Jun16
ある日、絵恋から「おねさん!聞いてくれる!!」と突然の電話だった。絵恋はある時期から、父である龍雄夫婦のお好み店に度々食べに行っていた。私達夫婦も妙子の通夜に龍雄が来てくれたのを期に、年に数回夫婦で覗いていた。龍雄の店が隣接店の火事の巻き添えで、被害にあった頃、絵恋と私は見舞金と改装オープンの際には、花を贈った。しかし、数日前に龍雄の現妻となった京子が、絵恋に怒って電話をかけてきた。「絵恋ちゃん!!あなた娘なのに何故?店に来てくれないの!?お父さん、寂しがっているのよ!!何を考えているの!?それでも娘なの?」 実は私達は見舞い金と、花は贈ったものの、一連の「年金かえせ!!」の電話騒動が龍雄がかんでいるのが判っていたので、それ以降店に覗くことが無かったからだ・・・火災後、絵恋に龍雄から電話があり、「京子の息子から200万の見舞金があったが・・・実の娘のからは数万しかないのか」と龍雄から言われ、絵恋も気分を悪くしていた。 絵恋は龍雄と京子の不倫と、両親の離婚は昔の事と水に流してきたが、今まで抑えてきた怒りが、沸々と沸いてきたからだ。絵恋は京子にかなり偉そうに言われたようである。

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Jun7
息子が邦彦の店に行かなくなって、しばらくしてのことだ。邦彦から連絡が入った。ちょうど私は接客中で電話に出ることが出来なかった。その後、接客も終え着信履歴を見ると、邦彦から何十回もの履歴が残っていた。 邦彦に電話を入れると、今までに掛かった昼食代を支払えというのである。私は耳を疑った?「えぇ?昼食代は出してくれるということだったよね?」の言葉に邦彦は不満を訴えてきた。「芽衣子さん!!俺はな!息子を預かってやったんや!それやに預けっぱなしで・・・どない思ってるんや!とにかく昼食代¥18000円払ってもらうで!!サラ金の取立て屋みたいに何回も電話させやがって!!」 私は俊彦に息子の辞めた理由や昼食代を請求されたことを伝えた。日頃から邦彦を嫌っていた俊彦も怒った「ほっとけ!!払うなよ!邦彦にとって息子達は自分の子供みたいなもんやないか?ましてや自分の方から、手伝って欲しいと頼んでおいて!それに誰がアルバイト料無しで働いてくれるんや!息子達も身内や思って、無報酬で手伝ってやってるのに!それに、邦彦が開店して数ヶ月で腱鞘炎になり、ほとんど働けなくなり、実質息子達がほとんど働いていたんやろ!電話かせや、俺が話しつけたる!」と怒っている。私は「納得できないことばかりやけど、もういいやん!¥18000のことでこれから、グズグズ言われ続けるのも嫌やから、渡しておくわ!でも、これからは、一切付き合う気はないから・・・それでいい?」俊彦「あぁ、俺が邦彦を嫌ってたんが今回のことで分かるやろ!?俺も一切付き合わんからな!!」私は今回のことがあるまで、邦彦は窪塚家では常識人であると思っていたが・・・やっぱり窪塚家の非常識人であったことを、再確認した。

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Jun4
私は息子達が終わる時間に合わせて、カフェに迎えに行った。その度に1時間ほど邦彦に捕まり、客に対する低レベルの悪口や、息子達の至らぬ点の愚痴ばかりだった。「そう?ごめんね。お世話かけるね。でもこの子達も若いし、気付いたら教えてあげてくれる?」しかし、私はこの後も夕飯を作り終えると、Uターンして仕事場に戻らなければならないのである。数回そんなことが続いた。私は息子達を迎えに行っても店内に入らなくなった。数ヶ月経った頃、邦彦は相変わらず息子達に愚痴を言っていたようだ。邦彦は「辞めたかったら、辞めてもいいぞ!!」と捨て台詞。それを聞いた息子の我慢も限界! 「それやったら辞めるわ!」と帰宅してきた。邦彦は子供の喧嘩のように逆上して、私に電話をかけてきた。邦彦の怒りは息子にも、私にも向けられた。

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May27
ある日 俊彦の従兄弟である邦彦から電話があった。邦彦は会社をリストラされ、依願退職という名目で退職し、カフェを始めるという。その頃、アルバイトも見つからず自宅にいた三男に、店を手伝って欲しいと頼まれた。オープンしたばかりのカフェで、給料も払えないが食事は付けると言う。三男も家で何もせずに居るよりはと、手伝うことにした。通勤の乗り物が無かった息子を、私が開いている店に近いこともあり、送り迎えすることになった。同じく絵恋の息子も同じ条件で手伝うことになった。一週間を過ぎた頃、息子の顔が曇りだしたのである。あまり人のことを言わない息子だが、客が帰る度に、客の文句や悪口を言うらしいのだ。60を前にした伯父の人間性に嫌気がさしていたようだ。しかし、私は息子にこう言った。「アルバイト料を貰っている訳でもないから、必要以上に我慢することはないけれど、社会にはいろんな人がいる。人の振り見て、わが振り直せで、伯父さんの嫌なところを見て、自分はそうゆう事をしないでおこうと、人生勉強にもなるよ。もう少し頑張ってみたら」その言葉に息子も納得したようで、その後も続けた。

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May22
私は仕事から戻った俊彦に「今日、変な電話があってね!○○さんって言う人なんだけど・・・年金がどう、こう言ってたけど・・知ってる?」と尋ねた。俊彦も知らないという。しばらくして、もう一度電話が掛かってきた。「ちょっと!!あんたらが取った年金!毎月かえせ!!」私は「すいませんが・・どちらかとお間違えじゃないですか・・?」  「なに言うてるんや!!窪塚の俊彦!勝子!久智子!絵恋!やろうが!? 兄弟で話し合え!!」 間違いなく我が家 窪塚家の兄弟姉妹の名前だ・・・えぇ(@@)私の心は不安でいっぱいになってしまった。 絵恋に電話をいれた。ことの詳細を話し「○○さん、知ってる?思い当たることある?」 絵恋はしばらく考え込んで(・・;) 「あっ!わかった!! お父さん!龍雄やわ!!」と・・いうのも龍雄は愛人と席を入れ、一緒にお好み屋をしていた。しかし、隣接する店の出火で龍雄の店も被害をうけた。その為、改装費の要る龍雄は以前から窪塚家を知り、龍雄の友人であるまさに○○さんに電話をかけさせたのだろう。 龍雄も○○さんも妙子が亡くなり、かなりの財産を私達兄弟が相続していると思ったのだろう。龍雄は姑 妙子の相続されただろうお金を、子供達一人ひとりから・・・年金として、毎月8万円を六年間払えというのである。私達はようやく年金の意味が理解できたのである。絵恋は早々に龍雄に探りの電話を入れ、こう言った「お父さん!昨日、俊彦おにいさんの家に変な電話あったんよ!でも○○さんにこう言ったんよ! 警察にでも訴えたらどうですか?裁判にでも掛けてください!!って・・・変やろ!?そんな電話 意味分からんわ!!」絵恋の話を聞いて、龍雄は慌てたようすで「わしは何にも知らんで!関係ないで!!」絵恋は龍雄の様子で、龍雄と○○さんの計画であることを確信した。その後、一度も電話は掛かってこない。

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May20
ある日、私はIRのセミナーに参加していた。セミナーが終わり会場のロビーで初対面のHDPさんと話をしていました。ちょうどその時、マナーモードにしておいた携帯電話のバイブが響いた。留守電モード 聞いた途端、受話器の向こうで凄い剣幕で叫んでいる!!「ちょっと!!あんた!!お金返しな!!あんたらに年金取られてるんや!!」機関銃のように話しているのでさっぱり分からない?あまりにも理解できないので、「どちらかに掛け間違いではないですか?」「なにゆうとんや!!とにかく年金として8万を毎月振り込まんかいなあ!」とおばさんの声・・・「私は○○や!!兄弟で考えなさい!!」と言いまくつている。 またまた窪塚家の物語のが始る。

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May16
荒波家(窪塚家)に嫁いだわたしは「なぜ私が!?」と思ったものである。親から真面目に育てられ、特別に悪いことをしてきたわけでもなく、人に対しても誠実に生きてきたつもりなのに?「なぜ?よりによって、こんな大変な家に嫁いできたのだろうか」・・・でも優しい両親に出会ったのが60億分の1の奇跡なら、嫁いできたのも意味があったのかもしれない。くやし涙を流しながら台所に立つ度に「私にしか我慢できない家だから・・・私が使わさられたんだ!?」と自分を慰めたものだった。切りたい赤い糸だが、切れない糸で繋がれているのかもしれない(・;)・・・

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May10
昭和31年尼崎のビスケット工場に勤めていた18歳の母。一つの恋が生まれ、お互いが真剣に結婚を考えた。母は島に居る両親に結婚の承諾を得ようと、帰郷することになった。結婚の話を聞いた祖父は、「何処の馬の骨か分からない男とは結婚させないと」・・・島の男と結婚させると激怒した。小さい島は皆が知り合いで、祖父は母の婚約者からの郵便を自分の手元に隠し持っていた。当然、母の手紙も祖父の知人である郵便局で止められた。祖父は母にこう言った「ほらみろ!!相手は真剣じゃないから、何の連絡もないんや!!そんな男との結婚は赦さん!!」その頃、婚約者は手紙を出しても返事のこないことに悩み苦しんでいた。母の友人からの手紙で、婚約者は悩みゲッソリと痩せてしまったそうだ。母はその友人からも激怒されたようだ。  今では考えれない話だが、当時は電話も無く飛行機もない。船旅で何日もかかった。そして、親の権威に逆らえなかったのだろう。

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May10
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May6
戦後、島で育った母たちは自給自足を強いられていた。味噌はソテツの実でつくる。塩は海水をバケツですくい、太陽で焼けた岩に何杯も何杯もかけるのである。焼けた岩で海水は水分だけが蒸発し、塩がとれる。水道が無かったので、家から離れた井戸まで、水をくみに行く。当然忙しい親に代わり、子供達が運んだのでしょう。洗濯は少し離れた村まで行き、地下からの湧き水で野菜や洗濯をしていたそうだ。あぁ~今はなんて幸せなんだろう?と思う反面、幸せを感じる人が少ないのは何故だろうか?

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Apr29
私は窪塚家に嫁ぎ、当たり前のように受けてきた実家の両親の愛情に感謝します。子供は親を選んで生まれて来れない。こんな私が愛情深い両親の元に生まれてこれたことは・・・60億分の一の奇跡であり、心から神に感謝します。必要以上の贅沢でなく・・・あるときは我慢を教えられ、また ささいな贅沢でも、喜びを知ることができる。これは本当に幸せなことなのかもしれません。周りを見渡す時、意外と裕福な子供達が苦しみの中に居り、親の愛情に飢えていたりします。経済的に大変な状況にある子が、親の愛情と、ほんの小さな贅沢に心から喜んでいる。本当はそこに幸せがあるのかもしれません。

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Apr4