May27
ある日 俊彦の従兄弟である邦彦から電話があった。邦彦は会社をリストラされ、依願退職という名目で退職し、カフェを始めるという。その頃、アルバイトも見つからず自宅にいた三男に、店を手伝って欲しいと頼まれた。オープンしたばかりのカフェで、給料も払えないが食事は付けると言う。三男も家で何もせずに居るよりはと、手伝うことにした。通勤の乗り物が無かった息子を、私が開いている店に近いこともあり、送り迎えすることになった。同じく絵恋の息子も同じ条件で手伝うことになった。一週間を過ぎた頃、息子の顔が曇りだしたのである。あまり人のことを言わない息子だが、客が帰る度に、客の文句や悪口を言うらしいのだ。60を前にした伯父の人間性に嫌気がさしていたようだ。しかし、私は息子にこう言った。「アルバイト料を貰っている訳でもないから、必要以上に我慢することはないけれど、社会にはいろんな人がいる。人の振り見て、わが振り直せで、伯父さんの嫌なところを見て、自分はそうゆう事をしないでおこうと、人生勉強にもなるよ。もう少し頑張ってみたら」その言葉に息子も納得したようで、その後も続けた。

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May22
私は仕事から戻った俊彦に「今日、変な電話があってね!○○さんって言う人なんだけど・・・年金がどう、こう言ってたけど・・知ってる?」と尋ねた。俊彦も知らないという。しばらくして、もう一度電話が掛かってきた。「ちょっと!!あんたらが取った年金!毎月かえせ!!」私は「すいませんが・・どちらかとお間違えじゃないですか・・?」  「なに言うてるんや!!窪塚の俊彦!勝子!久智子!絵恋!やろうが!? 兄弟で話し合え!!」 間違いなく我が家 窪塚家の兄弟姉妹の名前だ・・・えぇ(@@)私の心は不安でいっぱいになってしまった。 絵恋に電話をいれた。ことの詳細を話し「○○さん、知ってる?思い当たることある?」 絵恋はしばらく考え込んで(・・;) 「あっ!わかった!! お父さん!龍雄やわ!!」と・・いうのも龍雄は愛人と席を入れ、一緒にお好み屋をしていた。しかし、隣接する店の出火で龍雄の店も被害をうけた。その為、改装費の要る龍雄は以前から窪塚家を知り、龍雄の友人であるまさに○○さんに電話をかけさせたのだろう。 龍雄も○○さんも妙子が亡くなり、かなりの財産を私達兄弟が相続していると思ったのだろう。龍雄は姑 妙子の相続されただろうお金を、子供達一人ひとりから・・・年金として、毎月8万円を六年間払えというのである。私達はようやく年金の意味が理解できたのである。絵恋は早々に龍雄に探りの電話を入れ、こう言った「お父さん!昨日、俊彦おにいさんの家に変な電話あったんよ!でも○○さんにこう言ったんよ! 警察にでも訴えたらどうですか?裁判にでも掛けてください!!って・・・変やろ!?そんな電話 意味分からんわ!!」絵恋の話を聞いて、龍雄は慌てたようすで「わしは何にも知らんで!関係ないで!!」絵恋は龍雄の様子で、龍雄と○○さんの計画であることを確信した。その後、一度も電話は掛かってこない。

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May20
ある日、私はIRのセミナーに参加していた。セミナーが終わり会場のロビーで初対面のHDPさんと話をしていました。ちょうどその時、マナーモードにしておいた携帯電話のバイブが響いた。留守電モード 聞いた途端、受話器の向こうで凄い剣幕で叫んでいる!!「ちょっと!!あんた!!お金返しな!!あんたらに年金取られてるんや!!」機関銃のように話しているのでさっぱり分からない?あまりにも理解できないので、「どちらかに掛け間違いではないですか?」「なにゆうとんや!!とにかく年金として8万を毎月振り込まんかいなあ!」とおばさんの声・・・「私は○○や!!兄弟で考えなさい!!」と言いまくつている。 またまた窪塚家の物語のが始る。

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May16
荒波家(窪塚家)に嫁いだわたしは「なぜ私が!?」と思ったものである。親から真面目に育てられ、特別に悪いことをしてきたわけでもなく、人に対しても誠実に生きてきたつもりなのに?「なぜ?よりによって、こんな大変な家に嫁いできたのだろうか」・・・でも優しい両親に出会ったのが60億分の1の奇跡なら、嫁いできたのも意味があったのかもしれない。くやし涙を流しながら台所に立つ度に「私にしか我慢できない家だから・・・私が使わさられたんだ!?」と自分を慰めたものだった。切りたい赤い糸だが、切れない糸で繋がれているのかもしれない(・;)・・・

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May10
昭和31年尼崎のビスケット工場に勤めていた18歳の母。一つの恋が生まれ、お互いが真剣に結婚を考えた。母は島に居る両親に結婚の承諾を得ようと、帰郷することになった。結婚の話を聞いた祖父は、「何処の馬の骨か分からない男とは結婚させないと」・・・島の男と結婚させると激怒した。小さい島は皆が知り合いで、祖父は母の婚約者からの郵便を自分の手元に隠し持っていた。当然、母の手紙も祖父の知人である郵便局で止められた。祖父は母にこう言った「ほらみろ!!相手は真剣じゃないから、何の連絡もないんや!!そんな男との結婚は赦さん!!」その頃、婚約者は手紙を出しても返事のこないことに悩み苦しんでいた。母の友人からの手紙で、婚約者は悩みゲッソリと痩せてしまったそうだ。母はその友人からも激怒されたようだ。  今では考えれない話だが、当時は電話も無く飛行機もない。船旅で何日もかかった。そして、親の権威に逆らえなかったのだろう。

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May10
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May6
戦後、島で育った母たちは自給自足を強いられていた。味噌はソテツの実でつくる。塩は海水をバケツですくい、太陽で焼けた岩に何杯も何杯もかけるのである。焼けた岩で海水は水分だけが蒸発し、塩がとれる。水道が無かったので、家から離れた井戸まで、水をくみに行く。当然忙しい親に代わり、子供達が運んだのでしょう。洗濯は少し離れた村まで行き、地下からの湧き水で野菜や洗濯をしていたそうだ。あぁ~今はなんて幸せなんだろう?と思う反面、幸せを感じる人が少ないのは何故だろうか?

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