Mar23
絵恋から連絡があり、勝子の嫁ぎ先の舅が入院したようである。絵恋によればお見舞いの催促があったようだ。勝子の言い分は自分の顔を立てて、窪塚家の兄妹から、お見舞い金を包んで持って来るようにということのようだ。勝子は嫁ぎ先には弱みを見せたく無いのである。勝子は窪塚家だけでなく、嫁ぎ先でもお金にものを言わせ、全てを仕切っているようだ。しばらくして、舅が亡くなり勝子は絵恋に手伝いに来るよう伝えた。しかし、そこで絵恋が感じたことは、勝子が嫁ぎ先の親族全員から、嫌われていることである。親族は手伝いに来ている絵恋にさえ挨拶することも、感謝の言葉を掛けることはなかったという。嫌いな嫁勝子の妹だということなのだろう。勝子の見舞金催促の話しを聞いた俊彦は怒りを覚えた。次男が入院した時に、電話も病院にも見舞いに来なかった勝子からの見舞いの催促だからだ。勝子の自分勝手な言い分に俊彦はあきれた。都合の良い時だけの兄弟付き合いなのだ。

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Mar19
妙子がなくなってからというもの、それまで何の連絡もして来なかった勝子が、秋には新米、冬には牛肉、節分には巻き寿司と届けてくるようになる。本当なら嬉しい話だが、心から喜べないのが窪塚家である。特に勝子が何の目的もなく、兄弟姉妹に送るはずもなく・・・結婚してこれまで蚊帳の外にあった我が家で、皆揃って焼肉をしようと絵恋を通じて、度々連絡がある。絵恋と私は「いったいどうしたことだろう?」と悩んだ。勝子は嫁ぎ先の姉弟家族にも嫌われており、実の兄妹にも嫌われて寂しくなったのだろうか?と絵恋と首を傾げているのだが。どちらにしても、多くのお金を手にしたのだろうが、勝子の心の中は寂しいのかもしれない。立派な家があっても、誰も遊びに来ない家。家庭ではしつけと称して、既に25歳を過ぎた娘に夫婦と息子で、事有るごとに虐待をしているのである。窪塚家で育った勝子も自分以外の人間を、信じることが出来ないのだろう。勝子もまた、妙子から貰えなかった愛情を、家族や子供にさえも注げない可哀想な人なのかも知れない。勝子のゆがんだ人格を、私はこれから更に知ることになる。

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Mar18
妙子の納骨も終えた後、妙子が生前残していた遺言で、高野山に分骨することになった。納骨の帰りに高野山近隣の温泉旅館に泊まろうと、勝子は言い出した。人数が多くなるのでバスを借りきって行くらしい。妙子の財産を独り占めしているからだろうか「私が全ての費用をだしてあげるから!」と勝子。今回も日時は皆の都合を聞かず、勝子は自分の定休日に行くことを決めていた。しかし、久智子は仕事が夜勤明けの為、早朝6時に行けないと言う。それを聞いた勝子は6時に出ないと、お昼のランチの予約に間に合わないと出発時間を変える気はないようだ。そのことで、久智子が行くや行かないと言い出し、喧嘩になっているようである。そのことで、姉二人の間に挟まれて、絵恋は頭が痛いと私に連絡をしてきた。勝子の本心は納骨をしに行きたいのか?ランチを食べに行き、旅行がしたいのだろうか?それとも、兄弟に旅行費を出して、自分の心を軽くしたいのだろうか?俊彦も仕事の都合で休むことが出来ないと断った。本当に妙子の分骨が目的なら、皆の都合を聞き全員が行けるようにするだろう。勝子の行動から、本当に妙子を思う気持ちは、全く伝わってこなかった。

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Mar12
旬と絵恋夫婦も妙子が亡くなり、不景気で収入も下がる中、自宅を売却することにした。そのことを聞いた私は、やっと絵恋と心から分かり合える関係になれたのに、近くから引っ越すことに寂しさを感じた。私達は最後に、絵恋宅で焼肉パーティをすることになった。今の私たちには贅沢な肉は買えないが、スーパー閉店前の割引商品でも十分である。私達が和気藹々と食事を楽しんでいると、勝子夫婦が突然に訪ねてきた。勝子の言葉に和やかな雰囲気が一変した。「いやぁ~あんたら!生活が大変や言うわりに、贅沢に肉食べてるやんか!私らそんな高~い肉!見たことも食べたこともないわぁ~」相変わらず嫌味の連発である。毎月のように国内旅行に行き、年に数回は海外旅行に行っている勝子の言葉だ。私はいつもの勝子の言葉を無視して「次郎さん、夕飯はもうされましたか?」~「いや、まだなんやけど」~「そうですか?じゃ、一緒にどうぞ!」と勝子夫婦にお皿を差し出した。その後の会話はほとんど覚えていない。食事が終わると、私達家族は早々に帰宅した。

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Mar11
息子が入院する数年前から、俊彦の仕事も不景気のあおりで、収入は半分に激減していた。それまでも不足分は私が何とか、日中は本業、5時~明け方までは食品工場や、ビジネスホテルの掃除などで働き補っていた。しかし、本業も収益も減り事業貸付の銀行への支払いがやっとの状態だった。今まですんなりと貸付してくれていた銀行も、今回は第三者の保証人を付けてくれと言う。私達は銀行での貸付を断念した。息子の入院費の支払いもあり、結婚してこれまで経済的にも、そ知らぬ顔の俊彦が重い腰をあげた。俊彦は妙子の全ての財産を持っている勝子に、くれとは言わないが借金を申し込むつもりのようだ。私はこの世で一番頭を下げたくない相手だが、俊彦が結婚後、初めて自分から行動を起こした事なので、止めなかった。しかし、私の中では99%勝子は貸さないだろうと思っていた。借金を頼むのに夫婦揃っていくのがいいだろうと、俊彦と私は二人で勝子を訪ねた。予想どうり、勝子は金額を聞く前に、こう言った「いやぁ~、お兄ちゃん!それぐらいのお金あるよ!でもね~貸さないと決めてるから!兄弟でお金の貸し借りして、仲が悪くなったらこまるやろ~」と嫌味を言われただけだった。私は予想どうりでショックはなかったが、俊彦はショックを受け、早々に帰ってしまった。俊彦はこの時から勝子のことを口にしなくなった。

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Mar9
転院後のCRI検査の結果、目の映像を映す脳部分に炎症があり、回復しても視力をうしなうか、目の障害が残ると宣告された。その言葉を聞き体中の力が抜ける思いだった。息子はまだ19歳・・将来を想うとあまりにも辛い宣告だった。知人の牧師夫妻も訪ねてくださり、息子の回復を全員で祈った。激しい頭痛に苦しんでいた息子が転院間もなく、検査から病室に戻ってきた。激しい痛みの為に一週間の間、飲まず食わずで眠ることすら出来なかった息子が、すやすやと爆睡していた。看護師さんに「睡眠薬を飲んでいるのですか?」と訪ねた。「いえ、何もしていませんよ!ただ全ての薬をストップしています。あとは血液の循環を良くする点滴をしているだけです。治療はまだしていません。」ということだった。そんなことで、あんなに苦しんでいたのが収まるなんて、狐に抓まれたようだった。主治医の説明では薬の投与の仕方で、症状が悪化することもあるそうである。目覚めた息子の第一声は「お腹すいた!吉野家の牛丼が食べたい!」だった。医師の判断と治療法でこんなに違うものかと、恐ろしく思った。知人の息子さんはある意味犠牲だと思った・・・(・・;)
息子はその後、1ヶ月の入院生活を送ったが、何の障害も残ることなく、今現在仕事にも行き、休日にはウィンタースポーツで楽しんでいる。息子が病気になり、多くの友人知人が・・・自分の息子のように心配してくれたこと、また息子に生きることを許してくださった神と、その為に努力して下さった医師や看護師の皆さんに心から感謝しています。

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Mar9
息子の入院を聞きつけ、絵恋夫婦が病院に駆けつけてくれた。2~3日の検査入院と聞いていた絵恋夫婦も、息子の苦しむ姿に驚き、転院を勧めた。俊彦も私も今のままでは、回復は望めないと転院を考えていた。そのことを絵恋夫婦と相談した。絵恋は近隣の病院や事情に詳しく、親から主治医に話し難いだろうと、病院の事情に詳しい絵恋が主治医を訪ねた。絵恋の骨折りもあり、治療に困り果てていた病院側はすんなりと転院を認め、近隣の専門病院に連絡した。私はCT やCRI等の資料を持参し、転院先の専門医を訪ねた。専門医の顔は曇り、資料や問診、現在までの医師の話から、適切な治療が手遅れな事、最悪の状態も覚悟するようにと言われた。そして、私の目の前で今の主治医に電話をし、かなり厳しく意見を述べた。そして、いまの治療法では回復は難しいと、若い将来のある息子のことを考えて、受け入れを承諾してくださり、転院することになった。この時、絵恋は勝子、久智子にも連絡を入れたようであるが、二人から電話も見舞いもなかった。私は期待することもなかったが、血の繋がっている俊彦は、絵恋以外の妹達から何の連絡も無いことが、かなりショクなようであった。しかし、この事をとうして絵恋夫婦と、私達の関係は今まで以上のものとなった。

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Mar8
「大丈夫だと思いますが・・・お母さんがそこまで言われるのだったら、一応髄膜の検査しておきましょう?」と髄液の検査をした。その後、医師は「お母さん!良かったですね!てんかんじゃないみたいですね。やっぱり髄膜炎ですね!」の軽い言葉に私は怒りを覚えた。何が良かったのだろうか?私は髄膜炎で生死をさ迷った人を数人知っていたからだ。私はこの医師の人格を疑った。「髄膜炎も大したことはないですが・・・肝臓の数値が悪いので、検査入院を2~3日してもらったらいいです。」気分は悪かったものの、とりあえず病名が判り、少し安心した。しかし、入院時は頭が痛いという程度で、自力で歩いていた息子が、一日一日と症状がみるみる悪くなり、トイレにも行けなくなり、食事も口に出来ないほど病室のべットの上で苦しんでいる。あげくの果てに息子は目が見えないと言い出した。「お母さん、俺は目がみえないまま死ぬのかな?」と弱気である。医師も首を傾げ困り顔である。俊彦はオロオロするばかりだ。病室を出ると知人を見かけた。「まあ、山田さん!どなたか入院されているのですか?おばあさん?」~「いいえ、息子なの!ひきつけを起こしてね。原因が判らず10回もひきつけを起こし、髄膜炎と判った時には視力も記憶も無くし、身体も動かせずやっと指先が動かせるようになったの!家族の記憶も忘れてね~赤ちゃんに教えるように、あいうえお・・から教えてるの」(・・;)私はショックを受けた。息子さんは17歳で私もよく知っている。受験勉強中の風邪が原因らしい。そして、まるで息子の症状は山田さんの息子さんの後を追うような症状である。私の心は不安に包まれた。

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Mar7
そんな日々をすごしていた時のこと、次男が体調の不調を訴えた。診察の結果は夏風邪で、治りにくいということらしい。しかし、数週間が経つても発熱と頭痛が治まらない。病院を変えさせたが結果は同じだった。その数日後、息子は自宅でけいれんを起こした。横にいた三男が救急車を呼び市民病院に運ばれた。その日は異常がないと帰された。しかし、2日後にもけいれんが起き、再び救急車で同じ市民病院に運び込また。内科の診察によれば異常が無いので、脳外科への診察にまわされることになる。私は息子と一緒に診察室に入り説明を受けた。しかし、その医者の言動に不信感を懐いた。「お母さん!息子さんは内科で異常が認めれないのに、けいれんが起こるということは、これは・・てんかんですね~?」と脳外科の検査を何もしないで、簡単にニコニコ笑って言うのである。「ハア?先生、息子は赤ちゃんの時から、一度もけいれんを起こしたことが無いのですよ!二十歳になって、急にてんかんになるのですか!?」~「そうゆう場合もありますよ」~「先生!申し訳ありませんが、脳波や詳しい検査をして頂いてないのに、てんかんは納得できません!それに息子はこの1ヶ月の間、夏風邪と言われて発熱や頭痛が続いていたんです。風邪の菌が髄膜に入って、髄膜炎を起こしているのじゃないんですか!」と強い口調で言った。

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Mar6
完全に傷つき壊れた信頼関係は、なかなか修復するのは難しい。帰宅した私に俊彦は、事ある毎にご機嫌を取ってくるのである。私にとってその行動は、更に気分が悪くなるものだった。私にとって顔を見るのも、同じ部屋で息をするのも嫌なのだから。今まで休日には一人で出かけていた俊彦だが、「今日はあっちに行こう!明日はこっちに行こう!」「自宅も古くなったので、新築の家を建てよう!」とモデルハウス巡りに連れだされた。我が家の経済を把握している私にとって、現実にはほど遠い話で、俊彦のその行動も更に私の気持ちを逆撫でした。俊彦が努力すればするほど、気持ちは離れて行くのである。そんなことで私が喜ぶと思っているのだろうか? 結局、私の気持ちなど全く分かっていないのだ。私は苦労するのが嫌なのでない。そうであれば、とっくに離婚している。しかし、夫婦であれば共に苦労し、励ましあい、乗り越えて行くものではないのだろうか? 俊彦は問題が起こるとすぐに逃げてしまう。何故そのことに気付かないのだろうか。

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Mar5
私は仕事場として借りていたワンルームマンションで、一ヶ月の家出をすることになる。長男は単身赴任で県外、次男は彼女がおり、食事の心配はしなくてよい。昼間に三男の食事に帰宅した。昼間は俊彦が仕事で居ないので、荷物や着替えに困ることはなかった。家事などしたことの無い俊彦も、洗濯機と乾燥機の使い方は覚えたようだ。食器も積上げているが、とりあえず洗っている。私は20数年ぶりに、一人ゆっくりと過ごすことができた。俊彦から離れて狭い水槽から広い湖にはなされたようだった。家事や家族に束縛されることなく、自由の時間をすごせた。俊彦からはその間、一度も連絡はない。もちろん、こちらからも連絡はしなかった。一ヶ月が経ち入金の日、銀行のATMなど触ったことがない俊彦が、私より先回りして全額を引き出していた。俊彦は私を家に帰す作戦のようである。全額を引き出されて腹を立てている私に、俊彦から連絡があった。何事もなかったように「お金いらんのか?帰って来る時に刺身を買ってきてくれるか?」といつに無く優しい言葉だ。本人はこれで謝っているつもりなのだろう・・・?あきれて怒る気力も失せ果ててしまった。

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