Feb29
こんな生活を続けられるわけもなく、俊彦の謝罪の言葉も無いままではあったが、私の方から折れることにした。しかし、私の話や相談事には、昔から聞こうとしないで、逃げてしまう俊彦に手紙を書いた。結婚してから窪塚家で多くの屈辱や仕打ちがあったこと。しかし、それを耐えて俊彦には一言も話さなかったこと。妙子の言動には傷ついたが、自分が出来ることは心から接してきたこと。俊彦の言動に深く傷つき、離婚を真剣に考えたと・・・しかし、自分も悪いところが、あったのかも知れないと書き伝えた。結局、手紙を見た俊彦は気まずい顔をしているだけで、何の言葉もなかった。今回も今までどおり、私が何事もなかったように、生活しなければならないのか?そして数週間経ったある日、俊彦に「俊彦さん、○○に出さないといけない書類出しておいてね。」と普通に声をかけた。すると機嫌が悪かったのか?仕事場で嫌なことがあったのか「うるさいな!!いちいち!鬱とうしんじゃ!あっち行け!」の言葉にわたしも「鬱とうしい?てどういうこと?書類も俊彦さんのことでしょ?」・・「鬱とうしんじゃ!!さっさと!出て行かんかい!!」の俊彦の言葉に、私の我慢も限界を越えてしまった。私は20数年で初めての夫婦喧嘩と家出をすることになった。

Page top

Feb28
私は相変わらず俊彦との関係を、修復できずにいた。その傷は段々と大きくなるばかりだった。葬儀と四十九日までは、夫婦同伴も仕方なく行動を共にしたが…私の心の傷はかなり深いものだった。顔を見るのも当然嫌だが、そのうちには同じ部屋に居るのも苦痛になり、同じ屋根の下に居るのも耐えられなくなった。仕事を終え自宅に戻る為に、東から西へ橋を渡ろうとすると…大きなため息とともに、気持ちは重苦しくなり、気分が悪くなるのである。身体にさえも拒否反応が現われる。最近、世の中の旦那連中が帰宅拒否症などと言うが、その気持ちが痛いほど理解できた。それまで仕事意外で夜は出かけることが無かった私も、家事や夕飯の準備が済むと、外出できる友人達とカラオケボックスや喫茶、ファミレスと渡り歩き朝帰りも度々だった。時には一人で24時間営業のファミレスで俊彦が眠るのを待ち、帰宅することも度々だった。お酒も飲めない私は、お茶で気をまぎらわせるわけでも無く…それは一時的な逃げ場でしかなく、解決にはならないのだが…しかし、帰宅すると心身ともに耐えられない。息が出来なくなるど、苦しくなるのである。そんな気持ちを、知ってか知らずか?俊彦も一言も話さない。私達夫婦の坦々とした会話の無い日々が続いていく。

Page top

Feb27
今回の絵恋の電話があるまで、私は荒波家での悲惨な出来事や、窪塚家の詳細を全く知らなかった。あくまでも嫁の立場から目線である。今まで書き記したように、かなり世間の常識とはかけ離れた家族であるのは確かだ。今回の「ゆがんだ家族」は私が見聞きしたことを知る範囲で書いたものであるが、家族の中心にいた絵恋によれば,実際にはもっと醜く酷いというのである。確かに絵恋の話を聞き、更に驚く出来事が沢山あったことは事実である。特に女性郡は家族というより、近所の噂好きのおばさん連中が集まったようなものだと言う。家族であっても、その場に居ない者の悪口影口を言うのは日常。家族で嘘を付き合い、親、子、兄弟姉妹の幸せや成功を妬むと言うのである。絵恋はこんな家族のなかで、小さい頃から育ってきた。一人ひとりが強くならなければ、生きては来れなかったと言う。しかし、これが普通の家族なのだと思っていた。家族であっても本音で話せない。心を許すことが出来ない。相手の腹を探りあいながら暮らしてきた。今回の勝子の言動で、流石の絵恋も怒りを覚え、姉妹同士でも信じあえないことの悲しさ、情けなさを私に訴えた。もちろん絵恋自身も、そんなゆがんだ家族の一員であることが、嫌になったのだろう。

Page top

Feb26
初七日も過ぎ四十九日が近ついた頃、勝子から絵恋に連絡があり、「来月の9日に四十九日をすることに決めたから」と連絡があった。しかし、絵恋は「給料日が10日なんで、少し日にちを変えて欲しいんだけど」と言った。勝子は「もう、決めたから!あんたら出席できないんやったら、しなくていいから!」と一言。絵恋宅でするのだから、その日は絵恋夫婦に家を出て行けというのだろうか?勝子は何を考えているのだろうか?結局、実質上の喪主である絵恋の申し出は聞かれることは無く、今回も勝子が全てを決めるのである。数日まえには、勝子がかっ手に百貨店から、買ってきた返しと商品券を用意して持ち込んだ。しかし、驚くのはこれからである。全てを決めた勝子が、以前から決めていた家族旅行に行くので、四十九日は出席出来ないというのだ。キャンセル出来ないから、と言う理由だ。まるで四十九日に合わせたような旅行である。絵恋は勝子の行動に腹が立ったが、妙子の死と四十九日のことで頭が一杯だったので黙っていた。それなら、絵恋の申し出もあったのだから、日にちを変えれば良い話だ。結局、勝子は四十九日より、家族旅行に行きたかったのだろう。この時、病院や葬儀で人一倍泣いていた、勝子の違和感のある行動にも納得できた。さすがの絵恋も怒って私のところに電話を掛けてきた。

Page top

Feb25
葬儀も終え、初七日を迎えた。食事も終えようとしていた時、勝子はおもむろに書類を出しこう言った。「お母ちゃんの残っていたお金で、葬儀代と墓代を精算すると、これだけしか残らなかったの!承諾のサインをしてくれる?」と、それぞれに30万ずつを手渡した。絵恋は妙子が残していた億近い財産を知っていたので、おかしいと思ったが、お金のことで兄弟喧嘩をすることが嫌で、何も言わなかった。俊彦は昔から窪塚家の蚊帳の外で、妙子の財産など知らないし、貰うつもりもなかった。新居を建てる時に妙子が全額を支払っていると信じていたので、さほど残っていないのだろうと思っていた。勝子の思惑どうりに兄姉妹はサインをしてしまったのである。そして、妙子が残した宝石類も勝子が独り占めしてしまった。絵恋はこう言った「お姉ちゃん!お母さんが三人娘にと作っていた真珠のネックレスがあったやろ?」~「あぁ?絵恋ごめ~ん!あれな~娘の由布子の為に作り変えたの!」と平然と言うのである。絵恋は勝子の言動にあきれはてた。結局、ここでも勝子の思いどうりである。それぞれの兄姉妹が勝子のように欲があるなら、間違いなく大喧嘩になっていただろう。絵恋は「じゃ!晩年、お母さんのことを、よくしてくれた芽衣子さんに、形見分けしてあげて!」勝子はしぶしぶ、妙子が日頃から身につけていた指輪を私に差し出した。私はいつかこの指輪を三つに作り変え、絵恋と久智子に渡そうと思っている。

Page top

Feb24
勝子は祭壇に飾る花を順番に飾るように、葬儀業者に指示し手渡していった。自分の嫁ぎ先の親族の名札を優先的に飾った。そんなことは、今に始まったことではないので、大したことではないのだが、しかし次の勝子の行動は、私の心を深く傷つけたのである。私の実家の山川家と書かれた札が最後だった。私が見ているのを知っていた勝子は、平気な顔をしてその札を畳の上に放り捨てた。勝子が私にしてきた仕打ちは色々あったが、こんな人とあきらめ、腹も立てることもなかった。しかし、両親をバカにされたようで、私は腹立たしさを覚え、勝子の人間性をさらに疑うことになる。勝子は母 妙子が亡くなることで、さらに周りに対する言動がひどくなり、窪塚家をかき回すことになるのである。

Page top

Feb23
妙子の遺体を自宅に運んだ。勝子は妙子が亡くなるまでに、葬儀の申し込みと準備をすませていた。俊彦にも妹達にも何の相談も無かった。自宅に戻ったらすぐに、勝子は絵恋の家の一階にあるソファとテーブルを二階に上げるように、自分の子供以外の甥や姪に指示した。すると葬儀業者が来て次々と祭壇の準備に取り掛かった。当然、旬と絵恋の承諾のうえと思っていたのだが、旬にも絵恋にも、ましてや俊彦にも何の相談もなかった。その時、私達夫婦と絵恋夫婦は初めて葬儀を自宅ですることを知った。全ての段取りが勝子の思いどうりに運ばれてしまったのだ。そして、長男扱いなどされることのなかった俊彦も、こんな時だけは世間体を考えたのか?長男の俊彦が喪主とされた。しかし、葬儀が行われるのは橋下家である。養子のように扱われていた旬は、この時だけは三女の婿扱いである。私は旬さんには申し訳なく思ったものである。結局、都合の良い時だけの、息子夫婦と娘夫婦なのである。そして、妙子は自分の葬儀は立派にして欲しいと、葬儀費だけに800万を用意していると、生前から私に言っていた。しかし、妙子が頼んだ祭壇や葬儀費は自宅でしたことや、どう見ても豪華には見えない祭壇や花であった。たぶん、一番金額の安いコースだったのであろう。絵恋も心の中で怒りを覚えていた。しかし、妙子の葬儀中に勝子と喧嘩もできずにいた。勝子が妙子の生前の気持ちを考えているとは、到底おもえないのである。そして、妙子の死を誰よりも大きな声で泣いていた勝子だが、疑問が残るのは私だけだろうか。

Page top

Feb22
妙子は何とか持ち直したが、このままだと死を待つしかないと、俊彦が勝子に転院を促した。勝子もやっと重い腰をあげ、主治医にその旨を伝えた。転院先の主治医も快く受け入れてくれた。しかし、医師は「もう少し早く来ていてくれたら」と、妙子の症状とこれからの治療法を話した。しかし、妙子の歳と体力ではかなり厳しいこと、万が一助かるっても腎臓機能が低下しているため、人口透析が必要と言われた。人口透析にも耐えるのは難しい身体であることを聞かされた。延命治療を望むかどうかで、家族会議が始まった。久智子は延命治療を望んだが、ほとんどが妙子の苦しむ姿を見て、これ以上苦しませたくないと悩んでいた。その後、すぐに妙子の様態が急変し、心配停止となった。度々の心臓マッサージとなった。絵恋は精神的に耐えられず、自宅に帰宅した。絵恋は勝子がついた嘘で、妙子と和解出来ないままの、別れを向かえていた。その間に妙子は息をひきとった。病室内に心電計の「ピー」という音が響いた。家族が呆然とする中、勝子はドラマのワンシーンのように「おかあちゃ~ん!行かないで!!」と一人妙子の身体にすがり付いて大声で泣いていた。しかし、それを見ていた私達家族には、何故か勝子が本当に悲しんでいるとは思えない違和感があった。

Page top

Feb21
私が病室を飛び出た時に、妙子の見舞いに訪れた従兄弟とすれ違った。従兄弟はただならぬ様子に驚き、あわてて絵恋に連絡した。なぜなら、私達夫婦は結婚して一度も、喧嘩したことが無いのを、窪塚家の皆が知っていたからである。そのため、私達夫婦は仲が良いと思われていたからだ。私は冬の夜空の下、病院の屋上で4時間は泣いていただろうか? 今までの人生でこんなに泣いたことはなかった。絵恋は従兄弟の連絡で病院に飛んできた。絵恋は私一人に付き添いを頼んだことで、喧嘩になったと思ったようだった。「お兄ちゃん!どうしたん?」俊彦は詳しいことを言わず「あいつもきついんや!」と言った。屋上から俊彦が帰るのが見えた。従兄弟一人が病室にいると思い、私はあわてて降りて行った。病室に戻ると絵恋が居り「芽衣子さん!ごめんね!私がこなかったばかりに喧嘩になって!」と申し訳なさそうに謝った。私は泣きはらした顔で「そうじゃないんよ!絵恋ちゃんが来れなかったこととは、関係ないんよ!」と事の成り行きを話した。絵恋に「あいつもきついんや!」と言っていたことを聞いて、私は更に傷ついた。お母さんの危篤状態の時に、実の息子の俊彦に「一諸に泊まってくれる」と言うことが「きつい」というのだろうか?ますます俊彦に対する不信感がつのった。母親が危篤と聞いて、冷静さを失ったというのだろうか?夫婦であっても言って良いことと、いけないことがある。俊彦の言動に私の心は、自分が思っている以上に深く傷ついてしまった。この時の不信感と傷ついた心は5年経った今も回復していない。

Page top

Feb20
ある日、絵恋と私が付き添いをすることになっていた。絵恋から連絡があり「芽衣子さんごめんね!子供が熱を出して、行けそうにないんだけど・・・一人で大丈夫?」~「そう?大丈夫だと思う。何かあったら連絡するね!」と電話を切った。しかし、すぐに担当医がきてこう言った。「状態が悪いです!今夜が山ですね?覚悟しておくように!」と言われ、私は不安になった。それからすぐに、俊彦が仕事帰りに病室に入ってきた。私は医師の話を伝えた。「今日は一人で不安だし、もしものことがあったら・・お母さんも嫁の私より、子供にいて欲しいと思うから?俊彦さん、明日は会社に事情を言って休んでくれる。今晩は病院に一諸に泊まってくれない?」と頼んだ。その途端に俊彦は「あぁ!泊まったるわ!泊まったらいいんやろ!一週間でも、二週間でも泊まったるわ! そのかわり!給料ないからな!!」と激怒した。私は一瞬なにが起こっているのか理解できなかった。我に返った私は俊彦の言葉にショクを受けた。私は俊彦に怒鳴られるようなことを、言っただろうか?窪塚家に嫁いで、傷ついた事も、悔しい事も、沢山あったが、俊彦にも口答えしたことも無く、俊彦の前で泣いたことすらなかった私であった。しかし、私の目から涙が溢れ出て止まらなかった。私はあまりのショクに言葉も出なかった。・・20年近く私はこんな人の為に、何を耐えてきたのだろうか?俊彦には母親にさえ情がないのだろうか?血の繋がりのある母親の危篤の時でさえ、こうなら、他人の私の最後の時は、この人はどうするのだろうか?・・今までの俊彦への不信感にも蓋をしてきたが、俊彦を受け止めていた私の器は粉々に壊れてしまった。私はあまりの悲しさに涙が嗚咽に変わり、妙子の枕元で感情を抑えることができなくなった。私は病室から飛び出した。

Page top

Feb19
ある日、病室で勝子と二人になった。当然、妙子は横にねているが、意識があるのか無いのかわからない。私が妙子の顔を覗き込むと、目を開けたり閉めたりしている。「お母さん!頑張ろうね。早く家に帰ろうね!」と言うと、かすかにうなずいているようだ。妙子は入院するまえには、絵恋と喧嘩していたこともあり「うちな!芽衣子さんと同居してたら、よかった!あんたは何言われても、ニコニコして優しいな?」・・「芽衣子さんは良いねんけど!うちなぁ~俊彦とはあわんねん。」と言っていた。でも本心は絵恋の家族といることが、一番幸せだったのだろうと思う。それなのに、絵恋家族と引き離すようなことをして、勝子は本当に酷いと思う。こんな姉がいるだろうか? 勝子は妙子の枕元で私にこう言った「芽衣子さん!お母ちゃんが死んだら、やっぱりお兄ちゃんが長男なんやから~仏さんみてくれへん?」私は耳を疑った。ましてや、妙子が聞いているかもしれないのに。勝子は妙子の気持ちも、傷つける気なのだろうか?結婚してからいままで、俊彦を長男扱いすることなく、私も長男の嫁扱いなど、したことの無い勝子の言葉とは思えなかった。私は「みるとか、みないというより一番大切なのは、お母さんの気持ちじゃないかな?・・お母さんは絵恋ちゃんにみて貰いたいと、昔からそのつもりで同居していたんだから?でも大事な話だから、俊彦さんにしてくれるかな?」と言った。しかし、勝子が俊彦にその話をすることはなかった。

Page top

Feb18
私が妙子の病室を訪ねると、元気そうに手術の話を言って聞かせた。この時は私も家族も、数ヶ月で退院するものと思っていました。 また、今までは妙子の思いどうりになってきた人生であったが、救急で運ばれたこの病院は、近隣では評判の悪いことで有名だった。少しの不安はあったものの、病気でなく、骨折なので大丈夫だと思っていたのである。しかし、妙子は病院内で肺炎になってしまった。建物は立派な病院であったが、ICUが無いことには驚いた。医師も看護師も最低な態度であった。医師の説明では喉を切開し、管を通すことになる。かなり苦しい様子であった。妙子は今までの持病や薬の影響で、麻酔などが通常量では効かなかった。妙子は意識がもうろうとする中「家に帰りたい・・・」と訴えていた。医師の言動も信頼できるものでは無かった。私たちは妙子の心臓手術を行ってくれた病院に転院を考えた。しかし、妙子の次に窪塚家を仕切っていた勝子は、いつに無く行動をおこそうとしなかった。いつもは、皆が言う前に行動する勝子なのだが・・・妙子は苦しさのあまり、管や点滴を抜こうとするので、私達は目を離すことが出来なくなった。勝子は家族皆で二人ずつで交代して、付き添いをすると決め皆に伝えた。

Page top

Feb17
帰宅後、妙子は「やっぱり、家が良いわ~」と喜んでいた。しかし、しばらくすると妙子から絵恋は毎日のように、文句を言われるようになっていた。妙子は絵恋の顔を見る度に、絵恋を睨み返した。気の強い妙子は何かにつけて、「旬ちゃん!旬ちゃん!」と呼び、絵恋の名前を呼ぶことはなかった。その度に絵恋は心が痛んだ。勝子の嘘が妙子と絵恋の仲に、溝を作ってしまっていた。勝子も妙子が帰ったことで怒りが収まらず、しばらくの間、実家に寄りつかなかった。ある日夜中の2時頃、妙子はべッド横のポータブルトイレに一人で移動しようと落ちてしまった。妙子は打ち所が悪く痛くて動けなかった。そんな時でも絵恋をよばず、妙子は「旬ちゃん!旬ちゃん!」と呼び続けた。妙子の声を聞きつけて、部屋に駆けつけた。旬と絵恋は痛さに苦しむ妙子の姿を見て、救急車を呼び病院に運んだ。診察の決果、大腿骨骨折と診断された。妙子はそのまま入院することになる。しかし、妙子は数年前に心臓の手術をしていた。その時の主治医の話では妙子の身体は大腿骨骨折の為、手術には耐えられないという。しかし、今回の主治医は大丈夫だと言い手術をしてしまった。

Page top

Feb16
絵恋は勝子の裏切りに怒り、姉妹でありながら嘘をついてまで、親子の間を揉めさせる勝子、また久智子との姉妹関係に悩んでいた。しかし、窪塚家の親、兄弟、姉妹 誰一人信頼出来ない中、絵恋は一人苦しんでいた。気性の激しい妙子には誤解だと説明をしても、聞きいれようとはしない。絵恋は本意ではないが、妙子が勝子の家に行くのを黙って、見守るしかなかった。この時、絵恋夫婦が一番に妙子のことを心配していたと思う。私も俊彦も絵恋が勝子から、そんな仕打ちをされていたなど全く知らなかった。姉妹同士、仲が良いものだと思っていたからである。勝子の嫁ぎ先の三重田には、妙子の気に入らない婿 次郎と姑がおり、勝子はサロンでほとんど家に居ない。妙子は三重田家での生活に、数週間ほどしか我慢できなかった。妙子は「うちはなぁ!家に帰りたい!絵恋迎えにきて!」と泣きついて電話をかけた。可哀想に思った絵恋と旬は、妙子を迎えにいった。そんな絵恋に勝子は強い口調で「今回、連れて帰ったら、二度とお母ちゃんを預かれへんから!覚悟しておいてよ!」と言った。絵恋は嘘をつかれた上に、そんな事まで言われて気分が悪かったが、妙子の前で喧嘩もできず、そのまま妙子を連れて帰った。しかし、妙子が帰った後も、財産等の書類などは勝子に預けたままであった。

Page top

Feb15
その後、妙子もかなり腰や手足が不自由になっていた。久智子も人間関係が上手くいかず仕事を辞めた。久智子は絵恋と一緒に居酒屋をすることにした。それぞれが、銀行から融資を受けて、売り上げの半分ずつを折半することにしていた。しかし、久智子は思っていた収入にならないと、辞めてしまった。絵恋は仕事帰りの旬も手伝わせ、その後も店を続けていた。 妙子もほとんど動けない状態が続き、自宅での入浴も困難になっていた。しかし、この時、絵恋は信用できない姉達には頼れなかったのだろう。私もまだこの時は、絵恋とは嫁と小姑の間で、お互いに一線おいていました。絵恋は妙子の納得の上で、近所にある老人介護施設に、土曜と日曜だけのお泊り体験に行かせることにした。勝子や俊彦にも相談したが、「妙子本人が納得しているのであれば・・・」と兄姉妹は賛成していた。しかし、勝子は妙子のところに一人行き妙子に「お母ちゃん!ほらみて!絵恋に捨てられたんやで!」と嘘をついた。その言葉を信じた妙子は逆上した。絵恋に預けていた証券や通帳、印鑑、宝石等の財産全てを勝子に預けた。妙子は迎えに来た絵恋に「あんた!私を裏切ったんやな!」と絵恋を睨みつけた。体験から帰える妙子は自宅に帰らず、勝子の家に行くことになった。絵恋は勝子が妙子に、嘘をついたことを知りショクを受けた。この時はまだ、姉である勝子が、何故妙子が傷つくような嘘をつくのか理解できなかった。

Page top

Feb14
葬儀が終わり一段落ついた頃、妙子から電話があった。「俊彦!あんたな!皆の電車賃を出したれへんかったらしいな!・・・お金返してか!」実は病院に駆けつける前に妙子が、俊彦にお金を渡していたらしいのだ。俊彦も皆も慌てていたので、それぞれが各自、自分でキップを買ったようだ。清志の死でショックを受けていた俊彦も、すっかり忘れていたらしい。妙子のその言葉に俊彦も腹を立て「ああ!返すわ!返したらいいんやろ!」と妙子のまえにお金を投げた。それを見ていた絵恋と久智子が怒り出し、喧嘩になる。妙子と久智子に言わされた絵恋が~「お兄ちゃん!そない言うたって家を買う時、お母ちゃんにお金もらったんやろ!」=「何言うとんねん!一銭ももらってないわ!」~「長男のくせに!お母ちゃんと同居したくない言うたんやろ!」=「言うてないわ!同居してもいい!言うたやろうが!!」と喧嘩になった。妙子は娘達に事実を言わずに、嘘を言っていたようである。俊彦はかなり興奮して帰ってきた。「芽衣子!もう窪塚家とは縁切るからな!おふくろの用事もいっさい何もするな!名前も変える!窪塚の姓は名のらへんからな!おまえとこの実家の山川を名のる!!」と怒っていた。本音のところ、本当に縁を切れるのなら、嬉しいのだが・・・そうもいかない。結局、窪塚家と俊彦との関係を取持つのは、私なのである。ほんまに~波乱な窪塚家である。

Page top

Feb13
妙子は私に「清志は私の息子やで!なんで聡子だけに数億のお金が渡されて、育てた私に何も無いんや!嫁の聡子が私に気を利かせて、いくらか渡すのがあたりまえやろ!」と愚痴を散々いっていた。「はあ~」と答えながら私は心の中で思った。息子の死を悲しむより、補償金のことしか言わない妙子に違和感を感じていた。しかし、その話を聞かされたわたしは、もし俊彦が死んだら私も保険金の一部を、妙子に渡さないといけないのだと思ったものである。その後、会社から聡子家族に対する補償金と別に、母親 妙子にと数千万が手渡された。妙子は「そら、そら、どうも」と上機嫌である。しかし、会社側は聡子には内密にと言うことであった。このことで、妙子は会社の人に好感を持った。妙子はこのことを俊彦にも勝子、久智子にも一言わなかった。同居していた絵恋だけがその事実を知っていた。このことを私が絵恋から、聞かされたのは最近のことである。妙子も会社側から数千万の補償金を受け取ったので、その後、聡子にも700万のお金を返せと言わなくなっていた。

Page top

Feb12

Page top

Feb11
俊彦が交渉から抜けるということで、「なんで、お兄さん交渉に最後まで立ち会ってくれないんですか?無責任じゃないですか!」と聡子は怒り電話をかけてきた。そんな聡子に本心を言うこともできなかった。妙子、絵恋、久智子は元々嫌っていた聡子と口論になった。聡子も激怒し「そんなこと言うたってな!お兄さんがしてくれるんがあたりまえやろ!窪塚家の長男なんやから!」と言う言葉に腹を立てた絵恋も「聡子さん!あんたとこが貰うお金やろ!お父さんもいることやし、自分とこでしたらいいんじゃないの!」と聡子と喧嘩した。「窪塚家で最後まで責任もつのがあたりまえでしょ!」しかし、聡子は会社側から提示された金額を窪塚家には明らかにしない。それで不足と言い、交渉だけを俊彦に協力して欲しいというのである。俊彦が聞いた段階でも、家族が一生、何不自由ない金額を提示していたのである。源蔵は数日前に俊彦にこう言う「お兄さん!もうちょい粘ったら、これぐらいいきまっせ!」と人指し指を立てた。俊彦はこの源蔵の言動を見て、会社の誠意と清志の思いを裏切ることに、怒りを覚え、身を引いたのである。

Page top

Feb10
よく考えれば家族が、葬儀時に困らぬようにと、聡子には会社側から一時金として、200万を手渡されていたはずなのだが・・・今、思えばどうして、僧侶の70万をそれで支払わなかったのだろう。結婚前から聡子家族に、不信感を持っていた妙子の怒りは収まらない。子供に愛情の少なかった妙子だが、清志が恥ずかしくないようにと、妙子なりに会社側にも気を使っていた。たまたま俊彦も清志が事故にあってしまった、塔を仕事で作る側であり、塔の構造等の知識を持っていた。そのこともあり、長男として会社との補償交渉に、聡子と共に出席した。会社は前面的に会社側の過失を認め、良心的に十分な補償をしてくれるという。残された家族が困らず、子供達が成人し一生困ることのない保障が約束された。俊彦の話では数億円である。しかし、聡子と父親の源蔵は不満足で、さらに補償額を請求しようとしていた。そのことに気付いた俊彦は、清志は優しい弟で、このような揉め事を嫌うことを、窪塚家では全員が知っていたので、俊彦はこの交渉から身を引くことにした。会社側には「窪塚家では十分に配慮して頂いたと、心から感謝しています。弟も感謝していると思います。しかし、後は残された遺族の聡子さんと相談してください。」と伝えた。最終結果を会社の上司が妙子宅に報告、挨拶にきた。その話では俊彦が思ったとおり、聡子と父親との交渉で、かなり揉めて困っていたようだった。それを聞いた妙子は清志の名前に泥を塗ったと激怒し、聡子と父親への憎しみが更につのった。

Page top

Feb9
清志が亡くなっても悲しむ暇はなかった。俊彦は窪塚家の長男として、会社との話し合いで走り回っていた。会社の対応は良心的であり、家族が困らないよう十分な配慮を尽くしてくれた。清志も会社の同僚や上司に信頼されており、清志の死を心から悔やみ、社葬扱いとなった。近隣の会場で式がとり行われた。数百人あまりの弔問者となった。私も絵恋も、たぶん他の家族も思ったかもしれないが、妻 聡子の行動に驚かされた。弔問客がいない時は平然と話している聡子。しかし、弔問客が来ると急いで祭壇に駆け寄り、大声で泣くのである。性格も違うのだろうが、私の経験上は逆だろうと思う。身内が亡くなると現実が受け入れられず、ショクでなかなか泣けるものではない。弔問客がおられる時は喪主として緊張し、身内だけになった時に悲しみがこみ上げてくると思うのだが・・・あまりの変わりように、本当に悲しんでいるのかと不思議に思ったぐらいだった。しかし、悲しみで終わらないのが窪塚家である。お寺の僧侶から連絡があり、「通夜に行ったら、すぐに70万を渡してください」と言われた。そこに妙子と聡子の両親がいた。妙子は念の為にと200万の現金を用意していた。しかし、聡子の父 源蔵は「私が壁を叩けば、お金がザクザクと出てくるので心配せんといて、大丈夫や!私に任せといてくなはれ!」と言った。それから、何も知らない私たちの所に源蔵がきて「香典からお金を抜いて70万用意してくれるか!」と言われる。そのことを知った妙子はまた激怒した。またも窪塚家に新しい問題の石が投げられ波紋が広がっていく。

Page top

Feb8
葬儀会場から出棺され、斎場に向かった。40歳のあまりにも短い清志の死と命のあっけなさに…それぞれの家族が何を思っていたのだろうか?家族のすすり泣く中 「ゴー」と音の鳴る炉の中へ、お棺が運ばれた。私は思った…清志の人生は幸せだったのだろうか?結婚するまで、あの窪塚家では幸せとは言えなかっただろう。窪塚家ではめずらしく、清志は目立たない存在だった。絵恋が生まれた時、清志は5歳だった。妙子の愛情はゆがんだ形で、絵恋に注がれた。結婚して子どもができ、清志は幸せだったのだろうか?私は幸せだったと思いたい。でなければあまりにも悲しい人生である。清志を見送って家族は喫茶室に移動した。1時間以上は経っただろうか?妙子は立ち上がり、炉の方に歩き出した。炉の前の職員に妙子は「ちょっと…まだけ!焼けたん?遅いなぁ」と言う。横にいた私達家族は妙子の言動に、目が点になってしまった。母としての愛情は薄いとは、思っていたものの・・・息子の死を母、妙子はどう受け取ったのだろうか?両親の愛と兄の優しさ、思いやりの中で育った私には、窪塚家の親子の愛を感じることはできない。清志には心から「お疲れ様。大変だったね。よく頑張ったね。」と言ってあげたい。優しい清志の魂が、神の愛に包まれていることを心から願っている。きっと、優しい清志は天国の門で、家族がくるのを待っていてくれているだろう。

Page top

Feb7
清志は他人のことを言うことも無く、揉め事もきらう真面目な弟だった。五人兄弟の中では、一番癖がなかったと思う。そんな清志家族も必要な時意外は、窪塚家には足を運ばなかった。2000年の元旦、世の中はコンピューター問題で騒いでいた。外資系の会社に勤めていた清志も、コンピューター問題で、元旦にもかかわらず出勤していた。正月休みのため、人手の足りない現場で清志は、普段行くことのない現場の見回りに行くことになる。規定では二人での見回りが原則なのだが、人手不足ということもあり清志一人の巡回となった。清志がむかった場所は五階建て相当の塔だった。10年に一度の床の張替えの年にきていた。今年 張替えの予定である。しかし、無残にも腐った床が抜け落ち、清志はまっ逆さまに梁にあたりながら墜落した。時間が経っても戻らない清志を、同僚が見つけて病院に運びこんだ。それからすぐに、窪塚家に連絡があった。妙子に連絡が入る。会社での事故だったが、妙子は聞き間違え「単車での事故があり、清志が病院に運ばれた」と私たち家族に伝えた。身体の悪い母妙子と私は自宅で待つことになった。妻の聡子と子供たち二人、後の四人兄弟とそれぞれの夫達は新幹線で大阪の病院へ向かった。病院に着いて案内されたのは病室でなく、安置室であった。聡子と子供たちは清志の遺体にすがり泣いている。俊彦は状況がわからないものの、清志の死に逆上して、会社の上司に怒鳴った。「何があったんや!どういうことや!なんで死なんなあかんかったんや!」俊彦にとって唯一の男兄弟であり、窪塚家で争いごとの嫌いな優しい弟だったからである。男兄弟で近所にいても、会うことは少なかったが、俊彦のショクは大きかった。

Page top

Feb6
絵恋がお産から退院直後のことだ。妙子から、長女、勝子の店に手伝いに行くよう言われた。絵恋は熱があり、退院後であるので断ったが、妙子は怒り「あんたな!誰のおかげで、こんな生活できると思ってるんや!!」小さい時から、妙子の言うことは絶対である。体調の悪い絵恋は、身体を押して手伝いに行く。熱気があるので、寒さを感じカーディガンをはおった絵恋に勝子は「仕事中はカーディガンを着ないで!」の一言である。妙子も勝子も、人を思いやるということがない。普通の親、姉であり、ましてやお産の経験がある二人の言葉とは思えない。疲れた身体で帰宅した絵恋に、妙子は赤ちゃんを差し出し「さあ!早よ!この子看てよ!」絵恋は親からも、姉からも思いやりなど感じたことがないと言う。退院直後に買い物の用事を言われ、うろうろしている絵恋に、近所のおばさん連中が「絵恋ちゃん、産後は静に寝てないといけないよ!産後の身体は大事にしないと!」と優しい言葉。家族より、他人の方が優しいと思ったようだ。こんなこともあった。絵恋が三人目を出産直前に腹痛を感じ、病院に運ばれた。診察の結果、お腹の中で赤ちゃんは亡くなっていた。絵恋にも感染症で命の危険があると医者から言われた。勝子はショクを受けている絵恋に「あんた!今日、死ぬかもしれんらしいで!」と言い、母、妙子と久智子は「そやから、子供なんか作らんでいいんや!」と言う。絵恋の悲しみを思いやる者はいないのである。絵恋は言う。「芽衣子さんだけがこの時、亡くなった子供に胡蝶蘭を買ってきてくれ、出血して汚れた床を一生懸命に、拭いてくれたことを私は忘れない。ありがとう」と・・・やはり窪塚家には思いやりという言葉は無いのだろうか?

Page top

Feb5
ある日、自宅でマッサージのお客様が来られて接客中に妙子から電話が入った。「芽衣子さん!うちなぁ~お腹がすいてな!何か食べるもの持ってきてくれるか!」~私は「お母さん、今は接客中なので、あと30分待ってくれますか?終わったらすぐに行きますから。」妙子は怒った調子で「えぇ!うちな!お腹すいて30分も待たれへんで!」と大きな声が受話器から聞こえる。それを聞いていたお客様は、来る度にかかってくる妙子の電話に「窪塚さん。先にお姑さんの用事に行っておいで、待っているから!あなたも大変やね」と言ってもらうことがあった。このように妙子はその時の気分により、我慢をしてもらえない時があった。俊彦は言う「俺のおふくろは、おまえが誠意でしても、感謝の気持ちがないぞ!いい加減にしておけよ!」の言葉に「いいよ!お母さんから感謝は期待してないから?でもお母さんが亡くなった後に、後悔するのは嫌やから、自分が出来ることは精一杯したいから」と答えた。俊彦は「それなら、いいけど!そやけど言うとくぞ。おふくろは普通の親と違うから、10回のうち9回を精一杯しても、最後の1回が用事で出来ない時に、おまえは何もしてくれへんかったと言われるぞ!」と覚悟しておくよう言われたものである。

Page top

Feb4
結婚してから、毎年のように母の日には妙子に喜んでもらおうと、悩んだものである。とにかく、新婚旅行のお土産の件もあり、妙子に喜んでもらうのは一苦労である。嫁いで初めての年には、花と宝石箱をプレゼントしたが・・・次の日には久智子の家にあった。次の年は、妙子が喉を潤すため、よく水を飲んでいたので、花と水差しとタンブラーのセットをした。その次はヘビースモカーなので花と灰皿盆、次は薬を飲み忘れるので、花と一週間用の薬箱、妙子は「芽衣子さん!花くれるんはあんただけや!うちはな~色々貰うより花が一番大好きや!うちの子供は誰も花なんかくれへんわ!」の言葉に次の年は、アレンジフラワーにお金をかけた。しかし、妙子は「うちはな~花より飴が好きや!」と言う。次の年は飴のセットを持って行くと「うちはな~糖尿でな!飴いらんわ!」ということになる。俊彦に言わせれば「妙子は何をしても、喜ばないのだから、するな!」というのだが、妙子の話ぶりから、してもらえないのも寂しいようである。結局、週刊誌を良く読むので、図書券をすることにした。このように、妙子はその日の気分で、ものを言うのである。私は妙子が好きな御用達の大福餅をよく持って行った。妙子は「芽衣子さんが買ってくれたんや!美味しいわ!」と言って喜んで食べていたようだ。絵恋が同じように買って帰ると、「うちはな!糖尿で食べられへんのや!」となる。妙子に何か持って行く時は、喜んでくれることを期待せず、喜んでくれたら「今日はラッキー!」と思うほうが楽なのである。

Page top

Feb3
その後、妙子と一緒に買い物や食事、温泉浴場に出かけた。妙子は気に入る店を見つけると毎日のように、食べたがるのである。歳のわりによく食べていた。少し高い回転すし店には毎日のように出かけた。私は5皿が限界であるが、妙子は一人で12皿は食べていた。一度は、病院帰りに中華料理店に二人で入り、恐ろしいほど注文するのである。から揚げ、チャーハン、ラーメン、ニラレバ炒め、餃子。「お母さん!そんなに食べられないよ?」~「ええねん、ええねん、食べれんかったら残したらええんや!」とこの調子である。そんな妙子は糖尿なのだが、気にする様子もなかった。横で心配して見ていたものである。病院も2~3ケ所通っていた。心臓は○○病院、血圧の薬は○○病院、整形外科と曜日で通院していた。当然、それぞれ絵恋や久智子、私が連れて行くのである。妙子は手足が痛むので、温泉での入浴後は手足の痛みが楽になるようだった。少し市内から外れた市営の温泉施設によく出かけた。そこで、食べる刺身定食が気に入り、入浴後は二人で食べたものである。この頃には、妙子に気にいられていたのか「芽衣子さん!芽衣子さん!」と言ってくれていたようだ。私も妙子には自然体で接することが出来るようになっていました。絵恋は私のおかげで「芽衣子さんと比べられ、大変なんよ!」と話していた。

Page top

Feb2
その頃、我が家は妙子から購入した中古住宅であったが、賃貸住宅では味わえなかった広い風呂で、家族皆がささやかな喜びで満たされていました。自宅の一室でマッサージルームをしていた私は、施術後は手作りケーキをお出しして、お客様に喜んで頂くことが、私自身の喜びとなっていました。また、多くの友人や知人が集まりホームパーティを開いていた。俊彦とも退院後は、おだやかな夫婦関係が続いた。私は今までにない平和な日々を過ごしていました。この頃には、朝夕と聖書を読み、心を落ち着かせていた。そのことから学んだことは、「有りのままの自分」で妙子に接するということでした。今までは「傷つきたくない、陰口を言われたくない、悪い嫁と思われたくない」等の思いがあったが変えられた。相手にどう評価されても、誠意を持ち自分に出来る精一杯のことをしていこう。自分の心に一点のくもり無く、後悔の残らぬようにと心がけた。相手の評価を気にしなくなり心から接することで、私から重たい垣根が取れた。心身ともに平安と喜びにみたされた。それどころか嫌なことを言われても、されても逆に「この人はどんな人生や環境で育ったのだろうか?生まれた時は、純粋無垢な可愛い赤ちゃんだったろうに?本人も苦しいだろうな~」と思えるようになっていた。そのことで妙子とも必要以上に気を使うことなく、買い物や、食事にと出かけていた。

Page top

Feb1

Page top

Feb1
同居が始まり間もなく、旬の妹 葉子が訪ねてきた。妙子は葉子に私がこの家を建てたと自慢したらしい。しかし、旬もお金を出しており、土地も旬が購入していたものである。それを知っていた葉子は「お兄さんも出していますよね?」の言葉に妙子は激怒した。その後、帰宅した旬に妙子は「旬ちゃん!あんたの妹がな!私にどない言うた思う!!」「この家はお兄ちゃんが建てたんやろう!と偉そうに言うたんや!」どない思う!!」と怒りは納まらない。妙子の気性と性格を知っていた旬は本意ではないが、妹が直接、妙子に謝るしか事は納まらないと、葉子に謝るよう頼んだようだ。このように、妙子の機嫌を損ねると、普通の会話が大事になる。そして、その出来事は窪塚家の全員に「あっ」と言う間に広がるのである。妙子と久智子は似ているところがある。相手が少しでも自分の気にいらないことを言うと、事実と違う形で「テレビ局の速報」のように話が広がっていく。次の日には家族全員が集結し、家族会議が始まるのである。同居をしていた絵恋でさえも怯えていた。窪塚家の家族会議は裁判の被告人になったように、旬と絵恋は妙子の前に座らされた。妙子が裁判官で、すべて事実をねじ曲げられ冤罪になる。刑罰はことある事にそのことを、妙子、勝子、久智子に言われ続けなければならない。逆に気に入られると、世界中で一番いい人になるのである。絵恋は窪塚家の人間は恐ろしいと心から思い、この親姉妹から逃げ出したいと願う毎日であった。

Page top

Category

Recent Comments

RSS

Access Counter

00013573