
帰国後、お土産を渡すために荒波の実家を訪ねた。姑の妙子には蛇革の財布を買っていた。
喜んでくれると思ったが「そんな財布使わないからいらんわ!持って帰って!!」と言われてしまった。結局、受け取ってくれることはなかった。二重のショックだった。
それから数ヶ月経った頃、私は妊娠していることがわかり、姑も喜んでくれるだろうと報告した。しかし、返ってきた返事は「もう、すでに孫はたくさんいるから、新しい孫はいらんで!」の一言だった。じゃ、お腹の赤ちゃんをどうすればいいというのか?
普通の家庭で育った私には、妙子の言葉は全く理解出来なかった。
その年の盆には、荒波の亡くなった祖父のために、お供えとご仏前を持って尋ねた時のことだった。姑はお金には困ること無く、裕福で贅沢な人であることは知っていました。
結婚後、姑と妹達と一緒に、神戸の百貨店に買い物に出かけた。姑は百万円の札束を持って足りるかどうか心配していたほどだ。

だから、盆には姑ご用達の果物屋で、高級な果物を買って行った。しかし、姑から返ってきた言葉は「私は良い物しか食べないから、持って帰ってくれる。どうせ捨てることになるから!」と言われ涙が出る思いだった。
姑には結婚を反対された訳でもないし、特に嫌われて虐められている様子でもなかった。
私はこんな姑の性格を理解することができなかった。
しかし、私は姑との出来事を仕事で疲れて帰って来る荒波に、話すことは一度もなかった。
なぜなら、世間でよくある嫁姑問題だと思い、なるべく気にしないように勤めた。
しかし、この家族と私の人生観と価値観は、全く違うものでした。
私は幼い頃から物を大切にすることを教えられ、感謝することを教えられてきたからだった。ましてや、実家の父や母の幼い時の貧しさや、苦労を聞かされていたからである。
米粒を一粒も捨てることのなかった母とは、全く違う姑であったのだ。
ある日、姑から電話があり「料理をしたいが、卵を切らしているので持ってきて欲しい」と頼まれた。買ったばかりの新鮮な卵で、常温に保存すればよいと聞き、あえて冷蔵庫に入れていなかったのだ。その新鮮な卵を持って姑に差し出すと「冷蔵庫に冷やしてないから、この卵は腐っているわ!」と、目の前で捨てられてしまった。
多かれ少なかれ育った環境も違い、価値観もと違うだろうが、こうも家庭によって違うのかと悩んだものだ。
今にして思うが、昔の人はよくいったものだ思う。親を見て嫁に行けとか、貰えと言うが本当だと思う。
恐ろしいもので、荒波も確実に姑の価値観を受け継いでいた。
私は子供の頃から料理をするのが好きだったのだが、結婚を境にその思いは変わった。

荒波は贅沢で偏食が多いことで私の悩みが始まった。
荒波は牛肉以外の肉は食べない。野菜にいたっては人参、大根、茄子、かぼちゃを全く食べない。当然、魚は食べない。
荒波は帰宅してテーブルに並ぶ夕飯の献立を確認し、気に入らないと「用事を思い出した!」と言って出て行くのだ。その足で近くの店で外食していたようだ。また、荒波にとって味つけなんて関係ないのだ。味見もせず、しょうゆやソースをかけまくる。私にとってはかなりの屈辱だった。
私は好きだった料理も嫌いになっていった。
毎日、夕飯の献立を見る荒波の顔色と言動に神経を使い、すっかり傷つき疲れてしまったのだ。
この頃には荒波にも、嫁ぎ先にも嫌気がさして信頼もなく、私の頭には「離婚」の二文字しか浮かんでこなかった。しかし、すでにお腹の中には赤ちゃんがいる。このとき妊娠していなかったら、確実に離婚していただろう。
実家の母も、姑や義理の兄弟で苦労を経験していたので、私の苦しむ姿に離婚を勧めていた。
しかし、母のその言葉で頑張れたのかもしれない。
そして、離婚するかもしれないと悩んでいた時、離婚するにしてもこの子に兄弟がいなくては、可哀想だと思い二人目を産む決心をした。
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