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2010-01-15

[歴史探訪・野間大坊] 初詣(野間大坊)!(3)

野間大坊の境内には、源 義朝の墓のほか、義朝の家臣鎌田政清(政家)夫妻の供墓、源頼朝の命を救った平清盛の継母池の禅尼の塚、寺を整備した平康頼の墓があり、豊臣秀吉に敗れて当寺で自害した織田信孝の墓もあります
源義朝公御廟・・・無数の木刀が供えられて・・・

鎌田政家並び妻平氏之墓
長田忠致の娘である鎌田政清の妻は、夫が舅の諜殺に遭ったと聞き、その亡骸に走り寄り父の無道逆心を恨み欺きました。悲哀の涙極まりなく、夫の短刀を取って直ちに死骸の傍らに自害しました。後の人々は、この話を激賞して貞女鏡及び烈女伝等に詳しく載せたりしました。

池ノ禅尼之塚
源頼朝13歳、平治の乱に敗れて平家の手に捕らえられ、危うく死罪になるところを平清盛の継母池の禅尼の口ぞえで助命され天下を治めることができた。父義朝を弔った時、池の禅尼を供養して立てたものと言われる。

平判官康頼卿墓
平康頼は尾張守として任地にあった時、野間庄にある源義朝の墓が、守る人もなく草が生い茂って荒れ果てていたので、小堂を建て、田30町を寄進し、僧6名を置いて供養に当たらせた。『吾妻鏡』

織田三七信孝卿之墳墓
豊臣秀吉は主である織田信長の三男織田信孝をこの野間大坊で切腹させているんです。このときの信孝の時世の句は、「むかしより主をうつみの野間なれば むくいを待てや 羽柴筑前」(昔、同じ野間で源義朝を討った逆臣長田忠致(おさだただむね)の故事に喩えて、うつみ(内海)を「討つ身」とかけていて、報いを待てと長田忠致の最後のように主を殺す家来の行く末を恨んでいます)というものです。

参考(1)
参考2
源頼朝ゆかりの地・・・名古屋市熱田区白鳥 誓願寺の境内には頼朝産湯の地、頼朝生誕の碑が残されている。
右から、トイレのお札、おふろのお札
今年新たに、ぼけ封じのはしを買って~

野間大坊を出て、国道247号を南下して

冬の伊勢湾を撮影しました・・・

 

 

2010-01-14

[歴史探訪・野間大坊] 初詣(野間大坊)!(2)

ここ野間大坊には、正月三が日で、わが町の人口の2倍の約85000人が初詣に訪れたそうです。凄いですね!でも、参拝者数ってどうやって調べるのでしょうかねぇ~
前回のブログで、境内の西寄りの「天邪鬼」「お砂踏み」「仏足石」などを紹介しましたが、今回は、東寄りの部分を紹介します。
大門(源 頼朝が寄進)

本堂に行く途中、右側に、
日清戦争の三景艦の主砲砲弾が・・・

 

大御堂寺(本堂)
ロウソクや長い線香をあげて・・・


本堂のそばに、源 頼朝のお墓があります。


本堂から西の「天邪鬼」に通じる道には、屋台が並んで、賑わっていました。
屋台と屋台の間にも・・・

 福力運!・・・宝塔中心の梵字マニを「オンマニソワカ」と称えて回すとあらゆる病脳を除くといわれています。

悩みや不眠除けお稲荷さま!

次回は、あの源 頼朝の命を救った池ノ禅尼の塚も紹介します。

2010-01-12

[歴史探訪・野間大坊] 初詣(野間大坊)!(1)

愛知県の初詣スポットの一つ、野間大坊を]紹介します。野間大坊(のまだいぼう)は、知多半島・知多郡美浜町にある真言宗の寺院、詳しくは、鶴林無量寿院大御堂寺(かくりんざん むりょうじゅいん おおみどうじ)と称する。野間大坊は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の父、義朝の最期にまつわる寺として有名です。新たな画像も載せましたのでご覧ください。

お砂踏み(51番~88番の寺)

天邪鬼
悠紀殿(ゆうきでん)の前に・・・
右手で手前に引いて、〇〇〇を唱えて・・・

 本殿と悠紀殿の間には・・・

おしゃかさまのあし
100円と書かれた浄財入れ・・・
中は、1円,5円が多かった~
本殿入り口
由来記
ボケ防止・癌封じ・ノウコウソク除け・乳がんのお守り、ペットのお守りなども・・・なんでもあり?といった感じ
本殿の前庭にもお砂踏み(1番~50番の寺)が・・・
ここのお砂踏みを行うと、四国八十八ヶ所の霊場をお参りしたのと同じ功徳が得られると言われています。
南知多に訪れた方は、ぜひ、野間大坊もお参りされてはいかがでしょうか?

カテゴリ歴史探訪・野間大坊クリックして、あわせて解説などもご覧くださいね。 

2009-02-03

[歴史探訪・野間大坊] 2月4日の「その時歴史が動いた」!

2月4日(水)、NHK総合テレビ(22:00~22:45)で、その時歴史が動いた「武者の世になりける~保元・平治の乱、源義朝の戦い~」が放送されます。
知多半島・美浜町、大御堂寺【野間大坊(のまだいぼう)】に主人公・源 義朝のお墓があります。

大御堂寺のそば・・・

木太刀に・・願いごとを書いて・・・





源 義朝御廟由来
明日、どのように放送されるか、楽しみです
野間大坊については、
このブログのカテゴリ・・歴史探訪・野間大坊をクリックしてご覧ください

2008-03-31

[歴史探訪・野間大坊] 源平合戦の世へタイムスリップ!野間大坊(最終回)

【大御堂寺 弁財天】縁結び(良縁)と金の幸運(財宝)をもたらす神様として境内(源 義朝公の御廟と南大門の間)の一角に鎮座されている。 なお、境内には、『池の禅尼の塚』『三波石(群馬県産)』『天邪気(鬼)…あまのじゃく』『織田信孝の墓』『稲荷神社』『鎌田政家夫妻の墓』など,また、野間大坊の近くに『長田父子磔の松』や『湯殿』などの史跡もあります。
【野間大坊案内図】訪れたらこの案内図を見つけてね。きっと楽しさ倍増しますよ♪♪ この地は、知多四国八十八ヶ所霊場、【大御堂寺】が、50番、【野間大坊】が、51番とされており、同じ境内に2つの札所が、存在している。 今年、知多四国霊場開創200年にあたり、多数の参拝者が訪れることでしょう!(^^)!

2008-03-26

[歴史探訪・野間大坊] 源平合戦の世へタイムスリップ!野間大坊(5)

【大マニ車堂】境内のあちこちに梵字、真言が書かれた立て札やマニ車がみられます。密教系のお寺なんですねぇ~真言というのは、サンスクリット語で書かれた仏への言葉(祈り)です。この堂内のマニ車は、1.5m位はあろうか・・かなり大きい!! “オンマニパドマフン”を唱えながら、ゆっくり、マニ車をまわすことによってご利益が得られます。でも、暗くて・・薄気味悪い ※マニ車というのは、経文が、刻まれた円柱系の仏具。
【血池】(ちのいけ)「源 頼朝公お首級を洗われた旧跡地 平治元年」との掲示。池の中の棒には、経文(?)が書かれているみたい。 国に、異変があると水が赤くなると云われており、なんでも、地元では、心霊スポットとして有名だそうです… …ちょっと、不気味(

2008-03-25

[歴史探訪・野間大坊] 源平合戦の世へタイムスリップ!野間大坊(4)

【大御堂寺本殿】後に、源 頼朝公が、亡父義朝公の菩提を弔うために、建久元年に開運延命地蔵尊と不動明王・毘沙門天を奉安され、七堂伽藍を造営する。 豊臣秀吉公の晩年の居城「伏見桃山城」の一部を寛永年間(1624~43)に移築されたもの。 「源 義朝公最後の絵解」は、ここで聞くことができます。(有料) ※次回、ぜひ、この絵解を聞きたいと思っております
【悠紀殿】昭和天皇の即位の礼の時に、京都御所内に建てられた建物の一部を当山に御下賜され、昭和4年10月1日に移築されたもの。 この「悠紀殿」の前に「お砂踏み」の51番~88番があります。

2008-03-21

[歴史探訪・野間大坊] 源平合戦の世へタイムスリップ!野間大坊(3)

【お砂踏み】 お手軽に“四国八十八ヶ所巡り”・・・おお、なんと便利な!! 通常歩てまわると、約2ヶ月(1440km)かかるといわれる八十八ヶ所の巡礼が、この「野間大坊」でできます。ここは、四国八十八ヶ所のお砂場霊場となっており、四国まで行けない人でも、ここで歩けば、四国の霊場をお参りしたのと同じ功徳が、得られると言われています。 この本殿の前庭で、1番~50番までの寺の「お砂踏み」ができます。
本殿の外では、51番~88番の寺の「お砂踏み」ができます。四国八十八寺の名称木札と賽銭箱が、備えられていますが、良く見ると、賽銭は、ほとんど1円でした。全部回ると88円。 近くに、〈仏足石〉や〈悠紀殿〉などの見所もあります。 広場の植木市で、「本ゆず」を買ったり、いい蛸入りの「たこ焼き」を食べたり、結構、おもしろかった(^o^)丿

2008-03-20

[歴史探訪・野間大坊] 源平合戦の世へタイムスリップ!野間大坊(2)

【大御堂寺大門】源 頼朝公により建久元年(1190年)に、父義朝公の法要に伴い、境内の様々な伽藍が建立されたのにともない創建された。現在は、柵で囲みこまれており、通り抜けることはできません。
【大御堂寺鐘楼堂】鎌倉幕府第5代将軍藤原頼嗣公寄進の梵鐘が、ある鐘楼堂。梵鐘は、建長2年の銘があり、国重要文化財に指定されているという。

2008-03-18

[歴史探訪・野間大坊] 源平合戦の世へタイムスリップ!野間大坊(1)

通称:野間大坊・・正式には鶴林山大御堂寺(おおみどうじ)という。 【大御堂寺本堂】大御堂寺一山の根本堂。現在の建物は、3度の火災にあい、1754年、鎌倉様式にのっとり再建された。本尊は、阿弥陀三尊像で藤原時代の作、県重要文化財に指定。この本堂右手(東)に【源 義朝公御廟】があります
【源 義朝公御廟】京都六波羅合戦で敗れて、この地に落ちのびてきて、家臣長田忠致(おさだただむね)によって湯殿で討たれた。その時、義朝公は、「我れ小太刀の1本でもあれば討たれはせん」と叫び最後を遂げられた。その霊のため木太刀を献ずるならわしが出来て、山のように積まれています。木太刀で奉献の方は、すべて願いが叶うと言われています

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