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2008-05-14

[歴史探訪] 唐人お吉の像!

唐人お吉(本名斉藤きち)は、天保12年(1842)11月10日南知多町内海(うつみ)の西端に生まれました。お吉、4才の時、家族とともに伊豆下田市に移り住みました。14才の時 芸子となり、17才の時 アメリカ領事館ダウンゼント・ハリスのもとへ侍女として勤め、ハリスが、日米交渉にあたっている数日間だけハリスの元へ通ったと言われるが・・・外国人・・いわゆる「唐人」に多額の金で、身を売った女・・即ち「唐人お吉」と罵られ、軽蔑の目で見られ・・後に、髪結屋や小料理屋を営むが、「唐人お吉」のレッテルを貼られたまま、商売は、うまくいかず・・晩年、酒におぼれ・・ついに、下田の稲生沢川に身を投げ、51歳の生涯を閉じたという。(静岡県下田市の宝福寺にお吉の墓があります)
幕末の時代、国のためとは言いながら、あまりに悲運であったお吉の生涯は、後世に語り継がれています。
内海館前の広場には、昭和61年11月建立の【唐人お吉の像】があります。この像は、歌舞伎俳優坂東玉三郎をモデルにしたもので、遠く、「下田」を眺めているそうです。
もし、お吉が、下田に行かなければ、幸せな人生だったかもしれませんね

2008-05-07

[歴史探訪] 弘法大師上陸像!

知多半島の先端に位置する南知多町の大井漁港は、弘仁5年(814年)弘法大師が41歳の時、三河の国から上陸されたと伝えられる地です。
弘法大師1150年の御遠忌(ごおんき)を記念して、沖に浮かぶ二子島に、13尺の大師像が、建てられました。
上陸後、近くの医王寺を経て、山海(やまみ)の岩屋寺などで修行をされ、美浜町の野間や常滑市の大野へと渡っていったと伝えられています。
知多四国霊場の札所でお参りしたあとは、納経帳へご朱印を忘れずに印を重ねれば重ねるほど、ご利益があるとされています。開創200年となる今年は、さらにオリジナル記念宝印をすべてのお寺で用意されているとのこと・・・がんばって、挑戦しようかなぁ~

2008-04-26

[歴史探訪] 「和訳聖書発祥」の碑!

知多半島にあるこの町…美浜町小野浦…は、最初の和訳聖書の著者ギュツラフに日本語を教えた尾張漂民“音吉・久吉・岩吉”の郷里であることから、“和訳聖書発祥の地”と言われています。
千石船「宝順丸」で江戸に向かう途中、嵐にあい、乗組員、音吉、久吉、岩吉の3名は、1834年アメリカ合衆国ワシントン州アラヴァ岬付近に漂着しました。その後、各地を巡りさまよう間に、ドイツ人宣教師(カール)ギュツラフに協力して、初めて聖書和訳を成し遂げました。その歴史的偉業を頌徳するため建てられました。

音吉を題材とした本・・「にっぽん音吉漂流記」(春名徹著)・「海嶺」(三浦綾子著)など。




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