有名な桶狭間の戦いから今年で450年を迎え、名古屋観光コンベンションビューロー主催の「桶狭間観光モニターツアー」が6月18日(金)開催されました。いままで一度も行ったことがなかった「桶狭間古戦場公園」と「有松絞り会館」を是非観たいと思い、ツアーに応募いたしました。募集人員は、80名(定員を超えた場合は抽選)でありましたが、運よく選ばれ、行くことができました。 ツアーは、バス2台で、1台に、2グループづつ乗り込み、ツアーの行程は次の通りでした。
9:30 金山出発⇒10:30 桶狭間古戦場公園周辺の史跡まぐり※1⇒12;00 昼食 ・・・1号車・2号車・共通
12;45 桶狭間発⇒13:15 大高着※2⇒15:15大高発⇒15:30有松着※3⇒17:00有松発⇒18:00金山着・・・2号車
※1 古戦場公園・おけはざま山・瀬名氏俊陣地跡・長福寺・戦評の松・桶狭間神明社・7ッ塚・釜ヶ谷 ※2 鷲津砦跡・丸根砦跡・大高城跡・山盛酒造 ※3 有松・鳴海絞会館・有松山車会館・服部邸
「桶狭間古戦場公園」の入り口で 「桶狭間の戦い450周年」ののぼり旗が、一行を迎えてくれました。
先着のグループは、【桶狭間の戦い 案内板】の前で、ガイドさん(桶狭間古戦場保存会)の説明を聴いて・・・
【桶狭間の戦い 案内】・・・この附近一帯が歴史に名高い「桶狭間の戦い」が行われたところです。この地は田楽坪と呼ばれ、今川義元公最後の地であります。・・・以下説明文が、見づらいと思いますが、拡大してご覧ください。
ここから少し離れたところに、【今川義元公 馬繋ぎの「ねずの木」】・【駿公墓碣】・【今川義元戦死之地の石碑】があります。
左・・【今川義元戦死之地の石碑】 右・・【駿公墓碣】
【ねずの木】・・ガイドさんの右後ろの木
こちらが説明文(田楽坪の説明もあります)
そばにあった【かくれみの】・・・変わった名前の木ですね。初めて見ました~かくれみのは、1本の木にいろんな形(楕円形・三裂した形)の葉が付くことでしられている。三裂した葉がおとぎ話の「かくれみの」に似ているところからついた名前。日本人が古来から神聖視してきた樹木の一つで、神社にもしばしば植えられているそうです。
織田信長と今川義元が争った桶狭間の合戦(1560年)から、今年で450年になるを記念して、名古屋市緑区の「桶狭間古戦場保存会」が制作していた両雄のブロンズ像を、公園の中央に設置し、5月16日の「古戦場まつり」に一般公開されました。
時に、信長27歳、義元42歳。合戦に挑む両雄の勇姿を再現して・・・信長が長い槍(やり)を構えて、前に踏み出そうとする立像。義元は「海道一の弓取り」の異名にふさわしく、長弓と軍扇を持ち、周囲を見下ろすような坐像。作者は、「天下統一を目指す信長の気迫と武人としても名高かった義元の高貴さを表せた」と話していたとか。
【有松桶狭間めぐり】 戦いのみち・絞のみち・街並みのみちが描かれています。
公園の南側の区域では、合戦時の城、砦などをジオラマ風に整備され、戦いに至る各軍の進軍ルートを石板により明示されています。
銅像の向こうで、何かを見つめながら歩いていますね~ 城や砦、それとも進軍ルートかな?
【桶狭間の戦いジオラマ解説板】・・・銅像の後ろにあります。
ジオグラの解説板を参考に、園路を歩いて、戦い当時の様子に思いをめぐらせてはいかがでしょうか。
鎌倉街道・沓掛城(赤色・・今川方)
丹下砦(赤色)・鳴海城(青色・・織田方)
公園の隅に、【義元公首洗いの泉】がありました。 ここには、「おけはざま」の地名について・・・
「湧き出る水の勢い水汲み用の桶がくるくる廻っている様子に興味を誘われた旅人が、桶が廻る間に一服とて「桶廻間」(おけはざま)と呼ぶようになったとの言い伝えもあります。江戸時代の文書の殆どは、「桶廻間」でしたが、・・・明治十年(1877)・・・現在の桶狭間になりました」と。
桶狭間観光モニターツアー(2)へつづきます。