2011-04-23
[東海] お江ゆかりの地を訪ねて[尾張大野編]!(その2)
大野城は別名を宮山城ともいう。ここへ最初に城を築いたのは、室町時代に知多半島を支配していた三河の守護・一色氏で、観応元年(1350)とされる。一色氏は」三河一色の出身で、大野城築いたころには知多半島を支配した。知多半島を支配していた一色氏の力が衰え、代わりに大野を支配したのが佐治氏であった。
一色氏が握っていた海運を引き継いだ佐治氏は、大野城主となり、大野・内海を拠点に半島西部や大野衆・佐治水軍として伊勢湾の海上交通を掌握し、初代宗貞の後、4代続いた。海運にとって海賊から船を守る水軍の力が重要となる。そのためには伊勢湾を一望できる大野城は格好の城であった。
お江(小督とも、後にお江与)は、近江国(滋賀県長浜市)小谷城城主「浅井長政」と織田信長の妹「お市」 として天正元年(1573)に生まれる。姉は「茶々(淀君)」「お初」の3人姉妹で、父・浅井長政は信長(伯父)に攻められ自害。母と三姉妹は、伊勢上野城・安濃津城・清洲城ですごす。信長の死後、お市は柴田勝家に嫁ぎ、三姉妹も越前・北ノ庄城に暮らすが、秀吉との戦で勝家とお市は共に自害し、残された三姉妹は秀吉に保護された。お江、最初の嫁ぎ先は尾張大野・六万石の城主「佐治一成」だったが、織田信雄と共に徳川に味方したと秀吉が怒り、離縁させられ、短い結婚生活であった。(織田信長公の甥子・姪子にあたり、一成15歳、お江11歳の若い二人の結婚だったようですね)
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【佐治与九郎一成像】 四代「与九郎一成」は、永禄12年(1569)三代「八郎信方」の嫡男として生まれた。父・信方(妻は於犬・織田信長の妹)は信長に協力するも、伊勢長島の戦にて22歳で討死。与九郎一成は天正11年(1583)浅井長政とお市の方の三女「お江」を妻とした、しかし秀吉に引き裂かれ、短期間で離縁となる。
【参考資料】 ①大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」三姉妹の年齢年表 ②愛知の武将ここにあり「武将のふるさと愛知100選」 愛知県産業労働部観光コンベンション課 ③「江」ゆかりの地の地案内マップ 常滑観光案内所


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Comment
「一成」「お江」は、15歳、11歳だったんですか。(@_@。
驚きました。
Posted by: yossi-2
★ご無沙汰していますが・・
ラッキーちゃん・・元気ですかぁ?
雨降りの散歩は大変ですからねぇ。
「江」の米食べましたぁ。
滋賀県のコシヒカリ。
美味かったですぅ。名古屋・いぐりん♪
Posted by: ★名古屋っ娘ブログより。
浦島太郎伝説をもっと詳しく教えてください!
Posted by: リスウミ : MAIL
こんにちは、初めまして、おすすめフォトによく載っているのでブログを見させて頂きました。僕は写真歴が長いのですが、luckyさんもいい写真が多いですね。僕は2年前までの22年余り名古屋に住んでいたので、東海地方の記事は懐かしいですね。よろしければ僕のブログも見て下さい。僕は、いぐりんさんのアップになりますが、luckyさんも中澤さんグループですか?インターラッシュに登録したのは名古屋なので、セミナー会場で会った事があるかもしれないですね。ちなみに浦島太郎伝説の発祥源の「宇良神社(浦嶋神社)」がこちらにあります。
Posted by: tango51 : MAIL
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