その後の数年間、彼女は父親といっしょに暮らし、学校で教え,作業療法士として働いた。ウイラード・ドーセットは建築のスケジュールのために絶えず移動し、彼女もいっしょについて行った。しかし、1954年の夏ごろには、彼女は,コロンビア大学で博士号をとるためにニューヨークに行けるだけの、そしてウイルバー博士による治療を再開出来るだけの金を貯えていた。自分の娘がニューヨークに行って勉強しようとしているとしかきかされていなかった父親は、娘を車に乗せてニューヨークまで送った。
2008-03-27