2008-08-31

[東北] 多重人格・シビルの記録より

それぞれが別々に食事をとり、相手の領分にはいりこむことはなかった。それがおばあさんのルールだった。だが、おばあさんは死んでしまった。死んだとばかりだというのに、もうそのルールは破られてしまった。父親が食前のお祈りをした。母親が食べものをまわした。フライドポテトが2度まわされた。いくらか残っていた。父親が皿を受け取って祖父に言った、「お父さん、ポテトがもう少しありますよ」

2008-08-30

[東北] 多重人格・シビルの記録より

父親が雑誌から目を離した。「シビル」と彼は初めて彼女に気がつくと言った、「遅かったね」「お父さん」と彼女はつい洩らした。「あのとても大きい人形はどうしたの?」「ふざけているのかい?」と彼は答えた。「あれはナンシー・ジーンさ。おまえがコンテストでもらったんだよ。あれをもらったときあんなによろこんでいたじゃないか」シビルはなにも言わなかった。

2008-08-29

[東北] 多重人格・シビルの記録より

母親台所から声をかけた、「おまえかい、ペギー?ずいぶんおそかったわね」また、冷のニックネームだわ。彼女の母親は、シビルという名前が気に入らず、彼女にペギー・ルイジアナという名前をつけていた。シビルがおりこうだったりおかしかったりすると、そういうシビルが好きな彼女の母親は、いつも彼女をペギー・ルイジアナとか、ペギー・ルーとかペギー・アンとか、あるいはただペギーとか呼んだ。どうやら、お母さんは、今日は自分に行為をもっているようだ。

2008-08-28

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼女は、ちょっとその首のの周りを抱いてやってから、家のなかに駆け込んだ。彼女は、学校での午前中の混乱が家では消えてなくなることを願って、家のなかは元どおりであってほしいと思った。しかし、せまい玄関の通路の入り口のところで、彼女の正常であるようにという希望は裏切られた。

2008-08-27

[東北] 多重人格・シビルの記録より

それに答えないで、シビルはその見たこともないコートを見つめつづけ、ミス・ヘンダーソンが自分の名前を知っているのはおどろくには当たらないと心でおもっていた。ウイロー・コーナーズのようなちっぽけな町では、みんなが、知りあいだった。ミス・ヘンダーソンはくり返した、「昼を食べに家に帰るんでしょう?」。

2008-08-26

[東北] 多重人格・シビルの記録より

あらゆることが、あまりにも早いスピードで頭のなかを走り抜けたために、彼女はなに一つ理解することができなかったし、わかりきったこと、つまり家に買えることもできないでいた。赤尾を上げてみると、部屋にはだれもいなくなっていた。ほかのこどもたちがまちがいなく言ってしまったことを確かめると、彼女はゆっくりと席を立ち、さらにゆっくりとコート・ホールのほうに歩いた。

2008-08-25

[東北] 多重人格・シビルの記録より

だれも、なにか変わったことが起っているとは思っていないようだった。三年のこどもたちは、彼女が彼らといっしょに勉強したこともない質問に答えていた。彼女にはそのどれもが理解できなかったのに。彼女は先生の机の上部にある時計を見た。12時2分前だった。間もなくベルがなって解放されるだろう。待ちながら、彼女は急にパニックに襲われた。その時ベルが鳴り響き、先生が調子の高い声で威勢よく「授業はこれでおしまい」と言ったのが耳に入った。

2008-08-24

[東北] 多重人格・シビルの記録より

たくさんノートがあったが、彼女はそんなノートを取ったおぼえがなかった。ちゃんとしてあった宿題もあり、それも自分はしたおぼえがなかったのに、その宿題はどれも優の成績であることに気づいた。こうしたことすべてが意味することをたいしたことではないのだと思うとあせればあせるほど、彼女はますます不安になるのだった。

2008-08-23

[東北] 多重人格・シビルの記録より

これらのこどもたちは彼女とは幼稚園のときからずっといっしょで、みんなよく知っていた。彼らはその同じこどもたちだったが、どうやら前に見たことのある彼らと同じではなかった。彼らは、三年のときに着ていたのとはちがう洋服を着ていた。彼女がおばあさんんお葬式のために出てくる前とくらべるとずっと大きく見えた。いったいこんなことがありうるのだろうか?このこどもたち全員が一瞬のあいだに大きくなるなどということがありうるのだろうか?

2008-08-22

[東北] 多重人格・シビルの記録より

いったいそうしたんだろう?シビルにはわけがわからなかった。それは夢ではなかった。彼女が幼稚園児代から通っているその学校の普通教室であるその部屋にはどこもおかしいところはなかった。ただ、それは彼女の教室でないだけだった。その部屋の窓は、三年のきょうしつでは西向きだったのに、東向きだった。彼女は学校の教室は全部知っていたので、これは五年の教室だということがわかった。

2008-08-21

[東北] 多重人格・シビルの記録より

風がひゅうひゅうと音をたてた。空がくらくなった。なにも見えなかった、抵抗できないちからで、その手はまだ彼女を引っぱっていた。その圧力が彼女のの肉体に深くくいこんだ。腕が、その激しい、摩擦的動きによって生じた痛みでうずいた。シビルは、これほど強引に自分をおばあさんから引き離したのはだれか知ろうとして振り返った。叔父のロジャーだろうか、父親だろうか?二人ともそこにはいなかった。

2008-08-20

[東北] 多重人格・シビルの記録より

陽光のなかの金属製柩のかすかなきらめきが、しばらくその日の灰色にとってかわった。柩はおそるべきことをするためにやってきた男たちの手で抱えられていた。彼らは柩をもち上げて、それを降ろしはじめていた。少しずつ、ゆっくりと、彼らはおばあさんを土のなかへ深く埋めようとしていた。

2008-08-19

[東北] 多重人格・シビルの記録より

眠り。おばあさんは眠っていた。二人で一緒に川に行くことはもうないだろう。そこには、はなだけがあるのだーおばあさんもシビルもいないで、ただ花だけが。「、、、地は地へ、灰は灰へ、ちりはちりへ、願わくはわが主イエス・キリストによりて彼女に復活の喜びを与えられんことを」

2008-08-18

[東北] 多重人格・シビルの記録より

シビルは、いつもあばあさんに自分の絵を見せることにしていたが、おばあさんは必ず「上手だこと」と言い、それを壁に掛けてくれた。あばぁあさんは窓のそばに大きな箱をもっていて、そのなかには、シビルのためにとっておいてくれたいろいろなこどもの本が、たくさんの雑誌や書類といっしょに入れてあった。

2008-08-17

[東北] 多重人格・シビルの記録より

シビルは金属製の柩も、花束も、ほかの人々をも見ていなかった。彼女が見ていたのは、ウイロー・コーナーズ生まれの男と結婚して、夫の町に住んでいたカナダ生まれの祖母メアリであった。夫の教会ではほかの人たちにとってアウトサイダーであったメアリは強制的に夫の言うとおりにさせられていた。彼女は読書が好きだったが、夫はこう命令してそれをやめさせた、「真実以外はみな偽りなのだ」。聖書だけが真実である、と彼は考えていた。

2008-08-16

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼女の祖母は、彼女に、何時の日かイエス様がやって来て髪を愛した人たちを墓穴から生き返らせてくれるのだと話してくれたことがあった。そのときは、自分とシビルが生まれかわったこの世で永久にいっしょにいられるだろう、とおばあちゃんは言った。叔父のロジャーと叔母のハッチーがシビルを家族が立っているところに連れて行った。

2008-08-15

[東北] 多重人格・シビルの記録より

コートを着て、たむをかぶり、格子じまのスカーフを着けた。階段を降り、黙って動かないでいる人たちのそばを通って歩道に出た。「こっちの車に乗るんだよ、シビル」と牧師が言った。車のなかには彼女の叔父とその妻、彼女のきらいなもう一人のハッチーがいた。叔父と父親はそっくりだったので、牧師は彼女を〝ちがう〟パパの車に乗せたのだった。彼女はがっかりした。

2008-08-14

[東北] 多重人格・シビルの記録より

もうすぐ1時になろうとしていて、しみのついたリノリュームを敷いた白い台所の窓から、シビルは、男たちが死期に使うために葬儀屋からもって来たおりたたみ椅子を運んでいるのを見る事が出来た。「自分の部屋へ行ってなさい」と彼女の母親がシビルに言った。「用意ができたらお葬式に出られるようにママが連れて行ってあげるから」

2008-08-13

[東北] 多重人格・シビルの記録より

しかし、おじいちゃんが家に帰って来たときは、その訪問を打ち切るのはシビル自身だった。彼女は、大きくてがっしりした、どちらかといえば粗野な人間である自分の祖父が好きになれなかった。彼が帰って来たことを知らせる彼のぎこちない足音がすると、彼女は祖母にこう言うのだった、「もう行かなくちゃ」。お返しに、おばあちゃんはいつもわかっているよというように笑顔を見せるのだった.

2008-08-12

[東北] 多重人格・シビルの記録より

とてもだいじにしまってあったその写真を見たとき、彼女は、おばあちゃんが自分を本当にすきなんだと改めて気づいた。もとはっきりそのことを証拠だてたのは、ハッチーがシビルを悪い子だと言って責めているときに、おばあちゃんが弁護をしにきてくれるときだった。「なんです、ハッチー」と彼女の祖母は言ってくれたものだった、「この子はまだこどもなんだよ」。

2008-08-11

[東北] 多重人格・シビルの記録より

シビルの障害のなかに彼女の祖母が占める位置は枢要だった。結局、幼年時代のシビルの面倒うをみたのはその祖母で、彼女の母親ではなかったのである。それに、彼女の母親が移り気で両価傾向的であったのに対して、彼女の祖母は安定していて堅実だったこともあった。また、おばあちゃんの家という聖域にはたくさんの館ーウイルバー博士の診療室における回想で大きく浮かび上がったいろいろなちいさな経験の思い出ーがあった。

2008-08-10

[東北] 多重人格・シビルの記録より

欠けているものがなにかを知ろうとあせればあせるほど、ますます捉えどころがなくなってしまうのだった。彼女にわかっていることといえば、なにかよくわからない欠落がじぶんを、彼女の母親がよく言ったように〝わびしい、沈んだ、そして憂鬱な〟気持ちにさせるのだ、ということだけだった。

2008-08-09

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼女は他人の家でもこれと同じように振る舞うようになった。彼女は縫い方を知ってはいたが、手がふらふらして針に糸を通すことができないほどだった。ウイラードがシビルの幼児服を全部縫った。ハッチーはカーテンやちりをもてあそびながら休みなく、狂信的にことばをもてあそんだ。

2008-08-08

[東北] [北海道] 多重人格・シビルの記録より

ハッチーは黙従したが、自分が黙従したことを悔やんだ。シビルのほうは、父が与えられないで、泣いた。今度は、ハッチーが、なくといって赤ん坊を非難した。鳴き声はハッチーをいらいらさせた。そして、乳があたえられないために赤ん坊がどんなひどい影響をうけるかという心配以上に、ましてウイラードに無理強いされた事に対する恨み以上に、鳴き声がしょうじさせたそのいらいらが、彼女につぎのように叫ばせた、
「もうこれ以上我慢できないわ!」。

2008-08-07

[東北] 多重人格・シビルの記録より

実は、〝こわした〟のはハッチー自身だった。出産後、彼女はひどいスランプにおちいり、それがシビルの人生の最初の4ヶ月間続いた。この期間におけるハッチーの赤ん坊との唯一の接触は、父を飲ませることだった。それ以外は、その子の面倒うを見るのは看護婦、ウイラード、そしておもにドーセットおばあちゃんの役目であった。

2008-08-06

[東北] 多重人格・シビルの記録より

のちにウイルバー博士は、矛盾した感情の強襲がハッチーのホルモン系統を混乱させて流産の心身医学的要素となったものと推定した。すずれにしても、シビルを妊娠したとき、ウイラードはこの胎児もまた生命を全うしないのではないかと思った。だから彼は、前には見せたことがなかった支配権を発動して、彼女に妊娠中は人前に出ることを禁止した。かくて、シビルはすでに子宮のなかにいるときから秘密と隠匿に取り囲まれることになった。

2008-08-05

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼女は、とくに家事が楽しいというわけではなかったが、熱心で狂信的な主婦となった。また結婚したてのころは、ハッチートウイラードは長時間、楽しい音楽の夕べを催した。彼女はまさしく彼が想像したとおりの伴奏者だった。ドーセット夫妻の結婚生活の最初の13年間にハッチーは4階流産し、こどもがなかった。

2008-08-04

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼との見合いは、彼女の婚約者の宝石商がアルコールを断つと言う約束を破ったことに対する意図された挑戦行為であった。そのうえ、ハッチーは、男はみんな同じで、信頼できず(ペギー・ルーがウイルバー博士の診療室で口うつしに述べた考え)、「ただ一つのことしか頭にない」のだと主張した。

2008-08-03

[東北] [北海道] 多重人格・シビルの記録より

しかし、ハッチーのみめかたちのよさ、機知、快活さに魅せられた男たちが、彼女の辛辣な口のききかたや独特の奇行のために彼女から離れて行ったのに対して、ウイラードはそうしなかった。彼は、彼の表現によると「彼女に耐えて行こう」と思った。彼女のことを頭がよく、「洗練されて」いて、さいのうあるピアニストだとかんがえていたからである。

2008-08-02

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼女の母アイリーンはペンシルバニアに移住するために生まれ故郷のサウザンプトンからやって来たイギリス生まれの両親の娘だった。ウイラードの父オーブリー・ドーセットはコーン・ウオールからペンシルバニアに来たイギリス人の孫で、ウイラードのカナダ生まれの母メアリー・ドーセットは、カナダに移住する前に宗教的迫害を逃れてオランダに渡ったイギリス人家族の子孫だった。
彼女の母アイリーンはペンシルバニアに移住するために生まれ故郷のサウザンプトンからやって来たイギリス生まれの両親の娘だった。ウイラードの父オーブリー・ドーセットはコーン・ウオールからペンシルバニアに来たイギリス人の孫で、ウイラードのカナダ生まれの母メアリー・ドーセットは、カナダに移住する前に宗教的迫害を逃れてオランダに渡ったイギリス人家族の子孫だった。

2008-08-01

[東北] 多重人格・シビルの記録より

6年間、ドーセット家で住み込みの女中をしていたジェシー・フラッドは、「あの方たちは世界一すばらしい人たちでした。ドーセット夫人は私や私の家族にとても親切でした。奥さんは私たちになんでもーあらゆる種類のものをーくださいました。ドーセット家の人たちほど親切な人はほかにいませんわ」としか言わなかった.