2008-06-30

[東北] 多重人格・シビルの記録より

その朝、ウイルバー博士h、いまはいつもそうであったように、現れるのは〝だれ〟だろうかと考えながら、ドーセットのアポイントメントの時間を迎えた。現れたのはビッキーだった。幸先よいスタートだった。というのはビッキーはこのケースについてなんでも知っていると主張していたからである。

2008-06-29

[東北] 多重人格・シビルの記録より

これまでの分析はいくつかの抜きがたい恐れ−人に接することや音楽や手のーを明らかにしており、それらはあるショックに関連しているように思われた。また、シビルのばあいには’抑圧されるけれどもペギー・ルーのばあいには奔放に噴出する激しい怒りや、ペギー・ルー、ビッキー両者における母親拒否もそれを証明していた。わなにかけられているいう感じは明らかにショックを示唆していた。

2008-06-28

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼女は無党派であることを自認しており、だからこそ自分はこの異常なケースの治療にさいして有利な立場に立てるのだと思った。彼女は、病気の原因を明らかにするためだけでなく、それを治療するためにも、全部の自我の自発的な反応を利用しなければならないだろうと考えた。

2008-06-27

[東北] 多重人格・シビルの記録より

しかし、どうやら複数の原因ないしショックがあって、それらのショックに対する反応が人格化されて複数の自我が生まれたらしいという仮説がドクターの頭に浮かんだ。そうすれば、多くの別の自我は、この症状の合併した状態を芽生えさせた複数の幼児期のショック、複数の原因によるものだと説明できるにちがいない。

2008-06-26

[東北] 多重人格・シビルの記録より

よろしい、もしそうだとすれば、ドクターハ考えた、シビルのケースにはかならず複数の原因んがあるという仮説が成り立つことになる。しかし、それらの原因がなんであるかは、今の段階では分からないままだった。

2008-06-25

[東北] 多重人格・シビルの記録より

多重というよりはむしろ二重の人格をもっていたミス・スミスやミセス・スミードのようなケースでは、その第二の人格は完全な人間としての昨日を備えていながら、社会生活における自発的行為ーしごとや振る舞いや遊びーにほとんど自律性が見られなかった。明らかにこの特徴はシビルのそれとは違っていた。彼女の交代人格は明確に自律的だった。

2008-06-24

[東北] 多重人格・シビルの記録より

新たに報告されたイブのケースで女は8人になったわけだが、イブはいまも生存していることがわかっている唯一の多重人格者であった。ドクターはメアリー・レイノルズが最初に報告された多重人格者であることを知った。彼女のケースは、1811年にペンシルバニア大学のL・ミッチェル博士によって報告されていた。

2008-06-23

[東北] 多重人格・シビルの記録より

そこで一人の図書館員が、この明確に存在が認められてはいるが数が少ない病気に関する資料のほとんどを、集めてくれたのだった。そのなかで彼女が以前に読んだことがあったのは、1905年にはじめて発表され、異常心理学の研究者たちによく知られていたモートン・プリンスの『人格の分離』ただ一冊だった。

2008-06-22

[東北] 多重人格・シビルの記録より

机にもどろう。勉強をしよう。シビルは現実にしがみつこうとした。しかし、そうしながらも彼女は例の謎、あのおそるべきものが自分をまた襲ったことをさとった。気づかないうちになにかが起るということや、前にあったことすべてがじれったいほど思い出せないまま〝ここは自分が入ってきた場所だ〟という感じをたびたび抱くということが彼女の人生の現実であった。

2008-06-21

[東北] 多重人格・シビルの記録より

シビルはその女性とは知り合いでなかった。「ゆっくりしていられないの」とその女性は言った。「美容院の約束の時間に遅れそうなの。こちらの道を通ることになりそうだと思ったので、立ち寄ってこれをあなたに差し上げようと思ったのよ。あなたは私にとてもよくしてくれたわ、シビル。どうぞ、これを受け取ってほしいわ」

2008-06-20

[東北] 多重人格・シビルの記録より

マリアンが立ち去ったあと、ビッキーは、あるときシビルがウイルバー博士のところへ一枚のスケッチをもっていって、ドクターにそのスケッチが本から写したものかどうかもわからないし、第一どこから出てきたかもわからないので、それを使っていいかどうか心配だと話したことがあったのを思い出した。

2008-06-19

[東北] 多重人格・シビルの記録より

ビッキーはいつもこの授業が楽しみだった。彼女は、ある晩は装身具のデザインをスケッチしたり、ある晩は自分が前にスケッチした物を制作したりした。今夜は、彼女は銅環のネックレスを作ったり、マリアンが銀のペンダントをつくる手伝ったりしていた。

2008-06-18

[東北] 多重人格・シビルの記録より

ビッキーとマリアンは、コロンビア大学のちかくにあるアパートメント・ホテル・バトラー・ホールの屋上レストランで早めの夕食をとった。マリアンはハンバーグ・ステーキを注文しビッキーはスパゲテイ・ミートボールを食べた。それから彼女たちは6時の装身具の授業に出た。

2008-06-17

[東北] 多重人格・シビルの記録より

すべての絵がシビル一人で描いたものでないことはもちろんである。ほとんどが、いくつかの自我の共同制作であった。共同制作の結果は、ときには建設的であり、ときには破壊的であった。その絵における画法の多様性と隠しきれぬ過ちにもかかわらず、シビルー支配的な画家としてのシビル自身をふくむ全シビルーはいつでも有名な画家になれる可能性をもっていた。

2008-06-16

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「私が自分の絵のことを口にしないのは」とビッキーは声を高めて言った、「私より上手な画家がたくさんいることがわかっているからよ」「あら」とマリリンはやり返した、「それはいつのばあいだってそうよ。そんな基準で考えたらどんな芸術家だって絶対にこれでいいと感じたりしないはずだわ。でも、あなたは能無しなんかじゃないわ。なんと言ったって、美術学部の部長が学部創設以後の20年間にあなたほど才能のある人はなかったっていったんですからね」「マリアン、話題を変えましょうよ」とビッキーは不愉快そうに言った。

2008-06-15

[東北] 多重人格・シビルの記録より

ヴィクトリア・シャローは、それがほんとうは、ペギー・ルーが彼女をそう呼んだように〝別の女の子〟のものであるとしても、その名前を否定することはできなかった。それはこういうときに、人中で、一度だってゆっくりと幸福そうに見えたことのない、やせてビクビクしている人物の名前だった。

2008-06-14

[東北] 多重人格・シビルの記録より

グレイト・ホールでおこなわれていたその展示は興味あるのもだった。そこには、いくつかの世界文学の傑作ー『イソップ物語』、ダンテの『地獄編』、『ファウスト』『ドンキ・ホーテ』『ハムレット』に『リア王』、ベルギリウスの『牧歌』、そしてオウデウスの『変形譚』からの伝説などーのなかの場面や人物を、デゥ−ラーからアレギザンダー・コールダーに至る欧米の芸術家達が描き出した物が展示されていた。聖書の図解の中に、16世紀にジャン・デュヴェによって彫られた黙示録に出て来る八つの頭、一〇の角をもった動物の絵があった。

2008-06-13

[東北] 多重人格・シビルの記録より

その記事はヘンリー4世かルイ13世のどちらかの治世のころのものであった。「もしあなたが、どちらかの王の時代のものかをはっきりさせることができたら、大成功よ」とビッキーは言った。会話は、中国のモチーフの再発見の結果、18世紀初頭に再び出現した絵画や風景画のパターンに移った。「ご存知かしら?」とビッキーがきいた、「当時の芸術家たちはブッフェやピュマンやワトーなどからかなりの影響を受けていたのよ」

2008-06-12

[東北] 多重人格・シビルの記録より

もしマリアンに娘がいるとしたら、私くらいになっているかもしれない、とビッキーは思った。私たちにはジェネレーションギャップは問題にならない。マリアンは私の母くらいの年だけど、年なんかまったく関係がないのだ。「さあ行きましょう」とマリアンが言っていた。「早く行かないと食べるも9のがなくなってしまうわ」

2008-06-11

[東北] 多重人格・シビルの記録より

ビッキーの右手のテーブルにマリアン・ラドローが座っていた。「遅れたかしら」とビッキーは友人のそばに寄りながら言った。「ごめんなさい。仕事の約束があったの。なかなか出られなくって」「孤独を楽しんでいいたところよ」とマリアンは答えた。「そこのプールにカール・ミレスの噴水がしつらえられたら、この部屋がどんなふうになるだろうかと考えていたところなの」

2008-06-10

[東北] 多重人格・シビルの記録より

マリアンは、いまはもう失った富のせいで養ったすばらしい趣味をもっていた。彼女は一流私立校で教育を受け、1930年代にバーナードを卒業して花嫁学校に行き、独身のおばにつき添われて典型的なヘンリー・ジェイムズ型のヨーロッパ大旅行をなしとげた。

2008-06-09

[東北] 多重人格・シビルの記録より

マリアンとビッキーは、1954年の11月初旬にテイチャーズ・カレッジの食堂で偶然に出会って以来、ずっといっしょに驚異の世界を分け合ってきた。そのときから彼女たちはカーネギー・ホールに行って、フィルハーモニーやボスト・ンシンフォニー、ウオルター・ジゼキンやピエール・モントーなどを聴いてきた。彼女たちは国連の会議場に行き、そこで安全保障理事会の論戦を傍聴した。

2008-06-08

[東北] 多重人格・シビルの記録より

ウイルバー博士はビッキーが気に入った。彼女はかなり人ずれしてはいたが、優しくて人なつっこく、シビルのことを心から心配していた。その心配がどのようなものか探求しなければならない、と博士は思った。マドモアゼル・シャローは、どのようにして彼女がドーセット家にはいりこんだのか、あるいはいつ彼女の家族が彼女を迎えに来てくれるのかと質問したらなんと言っただろうか、とドクターは考えた。ドクターはドーセットのケースについて記録しようと自分の机のほうに歩いて行きながら自問した、
「どうすればシビルは一人になるだろう?どれだけ多くの人間から離れなければならないのだろう?」

2008-06-07

[東北] 多重人格・シビルの記録より

いままさに出ようとする瞬間、ビッキーは振り返り、ドクターを見つめて言った。「私が精神分析胃のところにくるなんて妙なきがしますわ。ほかの物は神経質ですが、私はそうじゃないんですもの。少なくとも自分ではそうじゃないと思っているんですけど。この混迷の時代のなかではほんとうのことは誰にもわからないものです。でも、シビルや他の者のことで先生のお力になるつもりですわ。結局それが、私がパリの家族と離れている唯一の理由ですから。

2008-06-06

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「ペギー・ルーはどうかしら?」とドクターがきいた。「彼女はシビルがいやがるようなことをときどきするんじゃない?」「でも」とビッキーは言った、「ペギールーは,シビルにできないことをいろいろしますけど、ペギーはだれかをきずつけようとしているさけではありません。ほんとうに、ドクター、彼女にはそんなつもりはありませんのよ」。

2008-06-05

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「でも、それは、彼女にからだのなかにほかにも人がいるんだということを話すのはとたいへんなちがいですわ」「彼女が自分で知らなくてもちゃんと彼女は機能しているんだということを知れば、シビルも気が楽になると思うんだけど」「彼女ですって、ドクター?」ビッキーがふざけるようにきき返した。「その代名詞は私たちじゃありません?」

2008-06-04

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「そうですわね」とビッキーは慎重に言った、「話してもいいと思いますわ。でも、注意が必要ですわ。話しすぎるのはいけません」打ち明けるような調子でドクターは説明した、「彼女は知るべきだと思うわ。ほんとうは、彼女がそれを知らないと分析がはたしてうまくゆくかどうか地震がないの」「注意が必要ですわ」とベッキーはくり返した。

2008-06-03

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「ビッキー、あなたはペギーのことをはなしてくれたわね。私に教えていただけないかしら。ほかにも何人かいるの?」「ええ、いますわ」という自信ありげな答えが返ってきた、「ほかにたくさんいるのを知っています。私がだれのことでもなんでも知っているって先生に申し上げたのはそういう意味だったんですわ」「ねえ、ビッキー」とドクターは言った、「あなたの方のだれでも、アポイントメントの時間中なら遠慮なく来てほしいの、その身体をだれが使うにしてもよ」

2008-06-02

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「ペギー・ルーはミセス・ラドローを知っているの?」「知らないはずです、ウイルバー先生。ご存知でしょうが、彼女たちは別の世界にいるんですから」「ベッキーあなたはシビルやペギーの知らないことをたくさんしているようね」とドクターが言った。「まったくそのとうりですわ」とべっきーはすかさず言った、「私には私の生き方があります。彼女たちのあとをついて行かなくちゃならないなんてまっぴらですわ」。

2008-06-01

[東北] 多重人格・シビルの記録より

私たち、メトロポリタンのファウンテン・レストランで昼食をすることにしていますの。そのあとで展覧会を見るつもりでいます。全部見るだけの時間はないでしょう。でも、私たちはぜひ〈言語とイメージ〉と第下プリントや絵のコレクションを見たいと思っています。マリアンは強要が高く,申し分なく社交的ですの。彼女はイースト・サイドの中心街にある家で育ちました。彼女の家は、召使いが大勢いて、夏はサウザンプトンでですごす、といったようなぐあいなのです」