2008-04-30

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼はハンドバッグからプラステックの身分証明書のケースを取り出してハンドバッグを返した。「シビル・I・ドーセット」と彼は大声で読んだ。「これがあんたの名前かね?」「ちがうわ」とペギーは言った。「じゃ、これはどうしたっていうんだい、ええ?」と彼はどなった。ペギーは答えなかった。彼女はもちろん彼に別な女の子のことを話すつもりはなかった。

2008-04-29

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「おい、戻れ、何処へも行かせやしないぞ」ペギーには一人だけでこういう男たちといっしょにいる気などなかった。彼らはいやらしくて醜く、彼女は彼らがこわかった。彼女は、もし自分が去ろうとすれば、彼らに止められるだろうと不安だった。とにかく逃げようとしたが、車の持ち主に腕をつかまえられてしまった。「手を放してよ」と彼女は言った。「ひっかくわよ」

2008-04-28

[東北] 多重人格・シビルの記録より

派手な怒りがこみ上げてきた。速い、鋭い、強烈なふるえがからだじゅうを痙攣させた。自分がなにをしているかもほとんど知らずに、彼女はハンドバッグをもちかえて、その金属枠をわずかに開いている窓にぶつけた。2、3度ぶってから、彼女はガラスがパリンと割れる音をきいた。彼女はガラスの割れる音が好きだった。黄褐色のスーツを着た一人の男が彼女のそばに立っていた。「どうしました?閉め出されたんですか?」と彼はきいた。

2008-04-27

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼女がウエイターにここはエリザベスかときいたとき、彼はへんな目つきで彼女を見つめて言った、「もちろんですよ」。どうもおかしい。彼女はどんなふうにしてここに着いたのかわからなかった。彼女の最後の記憶は、ペンシルバニア駅で改札を通っているところだった。そうだわ、シビルかだれか別の人間が汽車に乗ったんだわ、と彼女は思った。だれだってかまいやしない、とペギーは考えた。私がエリザベスまでの切符を買い、そして私がここに来ているんだから。

2008-04-26

[東北] 多重人格・シビルの記録より

シビル。どうして赤い毛のすてきなレデイは私とシビルをごちゃにしたのかしら。ペギーとシビルは同じでないということがわからなかったのかしら?突如として、ペギーは大声で笑い出した。みんなが振り返ってじっと見つめた。人間。彼女はすべての人間のことを考えると、叫びたくなるほどだった。人間のことをかんがえると、しばしば絶望感や孤独感におそわれた。きらいな人間があまりにも多くいて、きらいな人間は彼女を怒らせた。怒るのはいけないとわかってはいたが、多くのことが彼女を怒らせた。彼女の怒りは派手だった。

2008-04-25

[東北] 多重人格・シビルの記録より

西44丁目でやりすごしたバーも入る気になれないところだった。それでもどうやら、そのなかでみんながクリスマスを翌日にひかえたその日にウイロー・コーナーズではだれもしなかったことをやっているのをのぞくことができた。二人の男が出て来た。一人が彼女とすれちがってきいた、「どうしたの?」。なにがどうしたっていってるのかしら?と彼女はその男を見すえながら考えた。その男が笑った。

2008-04-24

[東北] 多重人格・シビルの記録より

全てがウイロー・コーナーズとあまりにちがっていた。ただちに彼女は自分をたしなめた。自分は、シビルといっしょにこのすばらしい、新しい町に住んでいることを認めなければならない。しかし、自分の家はウイロー・コーナーズなのだ、と。こういった家に住んだらどんなきもちかしら、とペギーは考えた。彼女は、いつの火にかひとかどの人間になることをのぞんだ。そうなったら、ピカピカのボタンを付けたドアマンのいる家に住めるかも知れない。彼女は、ああいうえらい人になって、いろいろなことをし、いろいろなところに行ってみたかった。

2008-04-23

[東北] 多重人格・シビルの記録より

ペギーは、シビルは怒ることはできないが自分ならそれができると言った。ペギーは、怒りに対するシビルの防衛だったのだろうか?ドクターは、この仮説を確認する前にもっとたくさんのことを汁必要があるのはわかっていた。あるいは単にいろいろな洞察によって衝撃を受けていただけなのかもしれない。いずれにしても、彼女の心の中にはいろいろな疑問がつぎつぎとわき起こってきてとめどがなかった。

2008-04-22

[東北] 多重人格・シビルの記録より

そして、ドクターがペギーがどういういきさつでシビルと結びついたかを聞きだそうとしたとき、ペギーはお枠ありげに答えた、「あーあ、ほっといてよ。話せないことだってあるわ、ふんとに話せないのよ。宮殿のまわりの護衛兵のようなもんだわ。彼らは笑うわけにはいかないのよ。勤務中ですからね」。そして、自分は笑いながらつけ加えた、「彼らも羽根でくすぐられたら笑うかもしれないわ。でも、私はだめ。したくないと思ったら、絶対に笑いも話しもしないわ。そうなったらだれにだって私を笑わせたり話させたりできないわ」

2008-04-21

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「だれが侮辱されたことを認めないか知りたい?よろしい、教えてあげましょう。その答えはシビルでありあります。彼女は自分で自分をまもれないのよ。私がかわってまもってやらなくちゃならないの。彼女のお母さんが許さないんで、彼女は怒れないのよ。怒るのは積田ってことはわかるけど、世間の人は皆怒るわ。怒りたいときは怒ればいいのよ」寝椅子に戻り、ドクターの近くに座りながら、ペギーはきいた、「シビルのこと、ほかにもなにか知りたい?彼女はおびえているわ。ふんとにちょっちゅうおべいているのよ。うんざりしちゃった。彼女はあきらめているけど、私はそうじゃないわ」

2008-04-20

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「おはいりなさい、ペギー」とドクターは言った。ペギーはドクターが自分をシビルと区別して声をかけてくれたのがうれしかったらしく、早い、自信をもった足取りで部屋に入って来た。リラックスして協力的になったペギーは必要以上にすすんで自分のことについて話した。「この前は少しだけ話したわね」と彼女は言った、「私、あのときは起ってたわ。怒るのは当然だったんだもの」。

2008-04-19

[東北] 多重人格・シビルの記録より

一つの〝遁走の状態〟という概念を用いながら、ドクターはシビルに、こういった状態のなかで彼女がすがたを各シテイいるあいだにペギーと称する別の人物が出現していたのだということを話すつもりだった。ところが、シビルは功名に話題を変えて、ドクターにそのチャンスを与えなかった。「ほっとしましたわ」とシビルは言った、「ご迷惑をかけなくてすんで。ところで先生にお話したいことがありますの。どうしても打ち明けておかなければならないことでうのよ。いまお話してもよろしいでしょうか?」

2008-04-18

[東北] 多重人格・シビルの記録より

時間が来た。シビルは、完全に自分に戻り、立ち上がって部屋を出た。ドクターがドアのところまでついて来て言った。「心配しないで。なおりますからね」シビルは立ち去った。「いったい、どういうことなのだろうか?」ドクターは自分の椅子に腰を落としながらひとりごとを言った。彼女は一人の人間のようには見えない。
二重人格?お互いにまったくちがったシビルとペギー。確かにそう思われる。金曜日に彼女に言ってやらなければならないだろう。

2008-04-17

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「あなたが破いてくず箱にほうりこんだのよ」とドクターはわざとゆっくり答えた。「私が?」とシビルがきいた。「そう」とドクターが答えた。「なにがあったのか話し合いましょうね」「なにをお話ししますの?」シビルはおだやかな調子で言った。彼女は手紙を矢吹、窓を割ったが、自分ではいつ、どのようにして、あるいはなぜそんなことをしたのかわかっていなかった。彼女はくず箱の上にかがんで手紙の破片を拾い上げた。

2008-04-16

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「ミセス・ドーセットはあなたのお母さん?」とドクターがきいた。「とんでもないわ」ペギーは身を引くと小さな枕に向かってからだをすくめた。「ミセス・ドーセットは私のお母さんなんかじゃないわよ」「もうわかったわ」とドクターは安心させるように言った。「ちょっと知りたかっただけなの」そこで突然の動きがあった。

2008-04-15

[東北] 多重人格・シビルの記録より

ドクターは、自分が相手にしているのはシビルより若いだれかなのだという明確な印象をもった。だが、あの、男に対するあざけりはどうなのか?ドクターは自信がもてなかった。そのとき、いままで抑えていたいた思いが一挙に噴出した。「あなたはだれなの?」「ちがいがわからないの?」という答えが返ってきた。そう言いながら決然たる様子で面を上げて言った。「私はペギーよ」

2008-04-14

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「私の気持ちを心配してくれるの?」またしても、どうしても信じられないといった顔をした。「とても心配よ」とドクターは答えた。「ほんとはだまそうとしているんじゃないの?」「とんでもないわ」「みんなが私をだますわ」だまされているという感じ。怒り。恐怖。わなにかけられていると言う気持ち。世間の人に対する抜きがたい不信。窓や物のほうがじぶんより重要だと思いこんでいる哀れな信念。この時間に現れたこういった感じや態度は、心になにか不安をもっているしるしだった。そしてどれもみな、濁った井戸のなかの黒ずんだ沈殿物のように、その責め苛まれた心のなかに生じたものであった。

2008-04-13

[東北] 多重人格・シビルの記録より

シビルが干し草置き場で起ったことを再体験しつづけているうちに、ドクターはだんだん、何とも言えず薄気味悪い感じに襲われてきた。患者が椅子から飛び上がってからずっと、その感じはあったーことばでは言いあらわせないが、破れたバドガラスを通して時々部屋のなかに伝わってくる車の騒音のようにしつこく。シビルが話せば話すほど、その感じは強烈なものとなっていった。「友達のレイチェルが干し草置き場でそばに座ってたの」とシビルは言った。

2008-04-13

[東北] 多重人格・シビルの記録より

「いらっしゃい。寝椅子の上に座りましょう」とドクターは言った。「あなたの手をよく見せてほしいの。傷がついているかどうかみせてね」二人は窓のそばを離れて寝椅子のほうに歩いていった。患者が飛び上がったとき絨毯の上に落ちたハンドバッグをやりすごし、落ちたハンドバッグから飛び出した憤怒の流出物であるいろいろな紙切れや画筆などをやりすごして。恐怖と憤怒は、いまは消えていた。

2008-04-11

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼女はすばやい、クモのような動作で窓に向かって突進した。緑色のカーテンをわきに寄せると、彼女は再び左手のこぶしを握りしめて小さな窓ガラスをどんどんと叩いた。「出して」と彼女は叫んだ。「出して!」それは必死の嘆願ーつきまとわれている者、追われている者、わなにかけられた者の叫びーであった。ウイルバー博士はすばやく行動したが、そのすばやさも間に合わなかった。彼女が患者のそばに到達できないうちに、ガチャンというガラスの割れる音がした。叩いていたこぶしが窓ガラスを貫通していた。

2008-04-10

[東北] 多重人格・シビルの記録より

今朝受け取ったほかの2通の手紙もそのなかにいっしょにほうりこんだ。その2つは入れたおぼえのあるところに手がつけられずにちゃんとあった。しかし、スタンの手紙もーそのときは破られたりしていなかったーいっしょに入れたこともおぼえていた。ところが、残りの半分は破れてなくなっている。だれが取り出したのだろう?いつ?そのとき自分はどこにいたのだろうか?そのときの記憶はなにもなかった。

2008-04-09

[東北] 多重人格・シビルの記録より

12月13日になって、シビルはついに真新しい考えを口にした。「クリスマス休暇が心配ですわ」「どうして?」「休暇だといらいらするんです」「どんなふうに?」「しなければならないことが多すぎて。なにからはじめていいかわからなくなって、結局なにもしないことになるんです。頭が混乱してどうにもならなくなってしまいますの。うまく言えませんわ」「休みのあいだ週3回いらしたら?」とドクターが言った。「そうすればもっとたくさん話し合えて緊張をやわらげることができるわよ」シビルは承知した。

2008-04-08

[東北] 多重人格・シビルの記録より

しかし、患者にさぐりをいれることによってドクターがようやく知ることができたのは、スタンがはっきりとーあいまいな遠まわしの表現で、だkらむしろ漠然とというべきかーセックスぬきの結婚を申しこんだということだけだった。〝プラトニック〟ということばをシビルは使った。

2008-04-07

[東北] 多重人格・シビルの記録より

つづく何週間かは、分析がシビルの生活のなかできわめて枢要位置を占めるようになったため、彼女は文字どおりといっていいほどドクターとの火曜日のアポイントメントのために行きているようなものだった。そのアポイントメントのために出かけるときは、グレーのスーツにバラ色のセーターを着たものか、ネイビーブルーのスーツに同色のセーターを着たものか、それともグレーのスカートに水色のセーターを着たものかなどを決めるのが慣例となった。

2008-04-06

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼とのほんとうの関係にはふれず、親密さの度合いとか自分はどう思っているかについてはなにも言わずに、彼にはアイルランド人とユダヤ人の血が混じっていること、彼の父親が彼の母親を見捨てたこと、そして彼の母親がそのあとでスタンを遺棄したことなどしか報告しなかった。その〝報告〟には、スタンが孤児院で大きくなり、働きながらカレッジを卒業し、独力で人生を切り開いたといったことばもふくまれていた。

2008-04-05

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼女は足を足を止めた。緑がかったフレーの壁を背にした書棚の最上段から彼女に合図したのは、しまめのうの台座のついた金のホルダーに押しこんである金色の縞模様のついた黒いぺんや、小さな緑色のペンシル・ホルダーや緑色の葉の模様のある花瓶であった。その花瓶には緑色の植物とネコヤナギが組み合わされていた。彼女は、ドクターが造花を使っていないのがうれしかった。

2008-04-04

[東北] 多重人格・シビルの記録より

二人は、それぞれ、ほとんど10年前オマハで最後に会ったときのことを思い出しながら、日当りのいい診療室にはいっていった。彼女はかわった、とシビルは思った。彼女の髪の色は前よりうすくなっている。それにずっと女っぽく見える.だけど,彼女の目や微笑みやうなずき方は変わっていない。ときを同じくしてウイルバー博士は思っていた。

2008-04-03

[東北] 多重人格・シビルの記録より

その日、1954年10月18日は全段抜きの見出しはなかった。第一面にはいつもは目を見張るような見出しで紙面をにぎわすアイゼンハワー大統領やジョー・マッカーシー上院議員の記事はなにもなかった。小さい、控えめなつぎのような見出しがあった。マクミラン、内閣改造で英国防相となる。イギリスのドック・ストライキ拡大す。合衆国の26カ国に対する技術援助に40のカレッジが参加。民主党、下院選に勝つ。
運送業者、ストライキによる損害賠償訴訟額を1000万ドルと踏む。

2008-04-02

[東北] 多重人格・シビルの記録より

シャマホーンや円屋根のセント・ポール・チャペルの前を過ぎながら、彼女は自分がコロンビア大学に似た地域にいることがわかるようになった。116丁目の頑丈な門のはるか向こうにロウ図書館が見えた。そこにはいろいろな建築様式の混じり合った建物やイオニア式のコラムがあり、正面階段の上には堂々とした、しかしちょっぴり悲しげなアルマ・メイタの象があった。彼女はロウとローマにある小パンテオンがおどろくほど似ていることに気がついた。

2008-04-01

[東北] 多重人格・シビルの記録より

彼女は太陽に顔を向けた。瞬間的に目が見えなくなり、窓のそばを離れた。まだ6時半だった。まだ出かけるには早い。ドクターとのアポイントメントは9時ということになっていた。時間。彼女は時間についてはまったく自信がなかった。部屋を出いるのは早ければ早いほうがいい。彼女は手袋をはめた。彼女がホイッチャー・ホールの正面階段を降りてアムステルダム・アベニューを横切り、その南東の角にあるハートリーズ・ドラッグストアに向かって歩いていたときは、この世はまだ完全に目ざめていないようだった。