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2019-01-08

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] ♪ 雪山賛歌 ♪ ダークダックス

山を愛する人であれば誰でも一度や二度は口ずさんだ事のある歌「雪山賛歌」、故郷の新潟県妙高市(旧妙高高原町)の笹ヶ峰高原、日本百名山の火打山、妙高山の笹ヶ峰登山口に向かっていると道路脇に「雪山賛歌」の歌碑(写真)が立っている、また近くには京都大学の山荘もある。
 

 
♪  雪よ岩よわれらが宿り
     俺たちゃ町には住めないからに
 


    山よさよならごきげんよろしゅう
     また来る時には笑ってくれ  ♪ ♪


 


この歌は大正末期から昭和の初期にかけ、毎年正月に、山とスキーを愛する京大生らがスキー合宿に集まった際、アメリカ民謡「オー、マイダーリン、クレメンタイン」の替え歌として歌ったのが始まりとされ、その後、京大の山岳部歌となり、後年、ダークダックスが歌って一躍有名に成りました。多くの世界的なアルピニストを輩出した京大山岳部の全ての部員は笹ヶ峰に集い、”雪山賛歌” を歌いついで来ました。元の歌詞には京大ヒュッテから見える山々を歌ったものもあるようです。これを記念してこの地に雪山賛歌の歌碑を建立しました。    = 案内板より =

雪山賛歌の出来るまで、、

大正15年1月現京都大学の山岳部が群馬県の鹿沢温泉でスキ-合宿された。合宿が終わって後の第1次南極観測隊の越冬隊長をされた西堀栄三郎氏、京大カラコルム遠征隊長となった四手井綱彦氏、アフガニスタン遠征隊を勤めた酒戸弥二郎氏、並びに東大スキ-部OBで後にチャチャヌプリ遠征隊長をされた渡辺漸の4名がスキ-で新鹿沢へ下って宿泊されたが翌日天候が悪化し宿に閉じこめられた。 一行は、退屈まぎれに「山岳部の歌」を作ろうと言うことになり、曲をアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」としこれに合わせて皆で上の句、下の句と持ち寄って作り上げたものであると言う。戦後京大山岳部員が当時の資料に記載されていたこの歌を寮歌に加え歌われ始めたのが急速に一般にも愛唱されるようになったが、作者不詳となっていたものを作詞の状況を知った、京大教授桑原武夫氏が作詞は西堀だと著作権の登録をされたもので、この印税は同山岳部の活動の大きな資金源となっていると言う。



第一次南極観測隊
昭和30年(1955)9月にブリュッセルで開かれたCSAGI第2回南極会議において、日本代表の長谷川万吉、永田武らは日本の南極観測参加の申し入れを正式に行った結果認められて、プリンスハラルド海岸における観測を要請された。
南極観測が国際的に承認されたことにより、早速、国内に種々の委員会が設置されて、準備に当たり又、観測隊員の人選も行われ、隊長には東大の永田武氏、副隊長には京大の西堀栄三郎氏が決まった。これらの準備を経て、昭和31年(1956)11月8日、我が国初の南極観測船「宗谷」(満載排水量4,600トン、エンジン4,800馬力)が観測隊員53名、乗組員77名、計130名を乗せて東京港、晴海埠頭を出港したのであった。途中、オーストラリアのフリーマントルに寄港、アフリカ大陸の南端、ケープタウンで観測船宗谷の随伴船として同航する東京水産大学(現、海洋大学)の海鷹丸と合流し、時化の南氷洋を越えて1957年1月30日に南極・オングル島に到着し、一帯を永田隊長が「昭和基地」と命名した。越冬隊員11人を残し、2月15日に帰国の途についた。
南極観測船 ”宗谷” (写真)はもともと観測船に建造された船ではなく南極海で厚い氷に閉ざされて動けなくなり、旧ソ連の砕氷船 ”オビ号” に救助された事があった、その後海上自衛隊が運航する、砕氷船 ”ふじ”  ”しらせ” 2009年からは二代目 ”しらせ” が南極観測に参加している。

 
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2018-12-26

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] ♪太平洋行進曲♪ 西六郷少年少女合唱団

太平洋行進曲

学生のころよく歌った歌だ、船乗りの頃、太平洋を航行中の船でワッチ(当直)が終わりバスタオルを腰に巻きデッキに出て満天の星を眺めながら口ずさんだ、懐かしいねー、、、
 
 

 

1、 海の民なら 男なら
    みんな一度は 憧れた
 太平洋の 黒潮を
     共に勇んで 行ける日が
       来たぞ歓喜の 血が燃える

2、 今ぞ雄々しく 大陸に
  明るい平和 築くとき
  太平洋を 乗り越えて
  希望涯ない 海の子の
   意気を世界に 示すのだ

3、仰ぐ誉の 軍艦旗
      舳(みよし)に菊を 戴いて
  太平洋を 我が海と
 風も輝く この朝だ
       伸ばせ皇国(みくに)の 生命線

4、 遠い我らの 親たちが
     命を的(まと)に 打ち樹てた
     太平洋の 富源(ふげん)をば
更に探ねて 日本の
  明日の栄えを 担うのだ

5、 潮と湧き起つ 感激に
         飛沫(しぶき)をあげて 海の子が
太平洋に 船脚を
  揃えて進む 響きこそ
         興る亜細亜の 雄叫(おたけ)びだ

 
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2018-12-07

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] ♪ 愛と死をみつめて ♪青山和子

愛と死をみつめて

作詞:大矢弘子
作曲:土田啓四郎      唄: 青山和子

 
まこ・・・・
甘えてばかりで ごめんネ
みこは、とってもしあわせなの
はかないいのちと しった日に
意地悪いって 泣いたとき
涙をふいて くれた・・まこ

まこ・・・・
わがままいって ごめんネ
みこは、ほんとにうれしかったの
たとえその瞳は 見えずとも
ふたりでゆめみた 信濃路を
せおって歩くと いった・・まこ

まこ・・・・
げんきになれずに ごめんネ
みこは、もっと生きたかったの
たとえこの身は 召されても
二人の愛は 永遠に咲く
みこのいのちを いきて・・まこ
 
 

愛と死をみつめて』は実存した大学生河野 実(まこと)さん、(マコ)と難病の軟骨肉腫に冒されて21年の生涯を閉じた大島 みち子(ミコ)さん、との実際の3年間に及ぶ純愛文通を書籍化したものであり、昭和38年に出版されて160万部を売り、大ヒットとなった。

TBS系の「東芝日曜劇場」で放映され、日活で浜田光夫、吉永小百合、主演で映画化され空前の大ヒットとなった、歌手、青山和子でレコードが発売されてこれも大ヒット、その年のレコード大賞に選ばれた。その後も映画化されたりテレビなどで放映されている。主人公の河野 実さんは現在、コンサルティング会社を経営されていると言う記事を以前に見た事があるが、、、。

兵庫県の県立西脇高等学校に通うミコ(本名、大島みち子)は、顔を難病の軟骨肉腫に冒されていた。そして大阪大学付属病院に入院した際、同じ病棟で大阪府出身で長野県に疎開し、長野県の伊那北高校出身の浪人生マコ(本名、河野 実)と出会い、お互いに阪神タイガースファン同士で意気投合し文通を始める。その後ミコが京都の同志社大学、マコが東京の中央大学へ進学してからも文通は続き、ミコの病気が再発して再入院した後も、マコは夏休みに大阪駅のホームでビール売りのアルバイトなどをしてミコを励ます。夏休みが終わって東京に戻ったあとも、ミコはマコとの文通が闘病生活の大きな支えになっていた。マコはその後もアルバイトをして長距離電話で励ましたり、旅費を工面して阪大病院を訪れるなどして2人の愛はますます深まるばかり、しかしミコの病状は悪化をたどり、手術で顔の半分を失うがさらに病気は悪化していく。そしてマコの願いも届かず、22歳の誕生日の前日にミコはこの世を去って逝った、、、、、。

病院の外に、健康な日を三日ください。

 

 一日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。

二日目、私は貴方の所へ飛んで行きたい。

 三日目、私は一人ぼっちで思い出と遊びます。

 そして静かに一日が過ぎたら、三日間の健康をありがとう、

 と笑っ­て永遠の眠りにつくでしょう

 


東京オリンピックのあった年の暮れ、横浜で働いていた私は、川崎の映画館に吉永小百合、浜田光夫、主演の「愛と死を見つめて」を見に行った。二人の愛情に胸が熱くなり、柄にもなく何度も涙を流した、ハンカチなんて上品な物は持っていない、館内が暗くなると何回も手で涙を拭いたのを昨日のように思いす、、。
 
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2018-11-21

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] ♪ 涙そうそう ♪ 夏川りみ 森山良子 BEGIN

涙そうそう

作詞: 森山良子
作曲: BEGIN
唄 : 夏川りみ
    森山良子
    BEGIN

 

 
ライブで共演した森山良子がBEGINと意気投合して沖縄の曲の作曲を依頼し、BEGINが曲を作った。「涙そうそう」は沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味である。
 
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2018-11-04

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] 行進曲「軍艦」海上自衛隊東京音楽隊

行進曲「軍艦」 瀬戸口藤吉
指揮 2等海佐 川邉一彦

 


 
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2018-10-14

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] ♪ 夢呼ぶ海の歌声 ♪ 白根一男

 作詞 : 清水みのる
作曲 : 福島正二     夢呼ぶ海の歌声
 

1 眉あげて 富士を仰ぐ
      大空は 今日も真澄(ますみ)よ
  流れ来る 汐の香りに
  よみがえる 若き血潮よ
     漕ぎゆけば オール持つ手に
  ほほえみの 瞳かがやく

  2 群(むれ)唄う かもめつれて
   コバルトの 海をいざ行こう
夢呼ぶは 島のそよ風
     ささやくは 金の小波(さざなみ)
  君知るや オール持つ手に
  虹立つよ 波のしぶきに

3 夕なぎの 海もはるか
  むらさきに 霞む江ノ島
  あこがれを 友と歌えば
  手を振りて 招く人影
     いつの日も オール持つ手に

  若き日の 夢は躍るよ

 

この曲は昭和29年、白根一男が唄ったが、有名な「真白き富士の嶺」のB面に入っているんだとの事だが、学生の頃カッター訓練でオールを持つ手の豆がつぶれ、やがて血が滲んでくる、そこに塩水がかぶる、痛いを通り越し悲鳴を上げたくなる。海洋訓練、東京湾でのカッタ―訓練など等(写真)、よく歌った、私にとって青春真っただ中、まさに当時の思い出を歌った歌だ。
 

有名な 真白き富士の根(ましろきふじのね)は、明治43年1月23日、逗子開成中学校の生徒12人が漕いで沖に出たボートが転覆、全員死亡した事件を唄った歌謡曲である。「真白き富士の嶺」、原曲は「七里ヶ浜の哀歌」 とも呼ばれる。悲惨な海難事故が起きた翌2月6日に、開成中学の校庭で行われた合同慰霊祭の法要では、開成中学の姉妹校の鎌倉高女の教師・三角錫子が自らオルガンの伴奏を奏で、同高女の生徒が追悼の心をこめて合唱したのがこの歌の始まりとされている。
 
 
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2018-10-03

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] ♪ 故郷 ♪

 
 

作詞 : 高野辰之
作曲 : 岡野貞一        故郷
 
1  兎追ひし かの山
   小鮒(こぶな)釣りし かの川
   夢は今も めぐりて
   忘れがたき 故郷(ふるさと)

 

2  如何(いか)にいます 父母
   恙(つつが)なしや 友がき
   雨に風に つけても
   思ひ出(い)づる 故郷

3  志(こころざし)を はたして
   いつの日にか 帰らん
   山は靑き 故郷
   水は淸き 故郷

 

♪ 兎追ひし かの山 小鮒釣りし かの川、、、、、、 誰もが口ずさんだ事のある小学校唱歌 ”故郷” あまりにも有名なこの歌詞に出る かの山 とは長野県北部、北信五岳の一つ「斑尾山」付近の「熊坂山」、「大平山」と言われ、又 かの川 とは村の中を流れる「斑川」と言われている、同じ小学校唱歌の有名な「春の小川」もこの川であると言われている。この曲の作詞者は長野県の豊田村(現、中野市)出身の高野辰之である、この美しいであろう故郷を訪ねてみたくて故郷の新潟県在住時、斑尾山に登った帰りに旧豊田村に向かった。やはり想像していた通り、なだらかな山に囲まれ、棚田や畑が広がるのどかな山裾にあり今もなお静かな美しいところであった、、。

高野辰之は明治42年(1909)に文部省の小学校唱歌教科書編さん委員に委嘱され、この作詞委員として、「尋常小学唱歌」(全六冊)の作成に携わり、作曲者の岡野貞一とのコンビで今に残る名唱歌を世に出しました。これらの歌は文化庁実施の親子で歌いつごう日本の歌百選に5曲が選ばれ今なお人々に愛され歌い継がれています。

● 第一学年用 、、、 「日の丸の歌」
● 第二学年用 、、、 「紅葉、もみじ」
● 第三学年用 、、、 「春が来た」
● 第四学年用 、、、 「春の小川」
● 第六学年用 、、、 「故郷」 「朧月夜、おぼろつきよ」
高野辰之の歌からは、故郷を遠く離れて、なお断ちがたい懐旧の念を感じる事ができる、、。

文学博士 高野辰之(1876~1947)
明治9年(1876)長野県北部の永江村(現、中野市)の農家に生まれた辰之は豊かな自然の中、厳しい父のもとで農業の手伝いをするかたわら土蔵に隠れて本をむさぼり読むという向学心にあふれた少年であったと言われている。高等小学校を卒業後、母校の永田尋常小学校の代用教員を勤め3年後に長野県尋常師範学校(現信州大学教育学部)に入学、26歳の時、上田万年文学博士(円地文子の父)をたよって上京、博士のもとで国語、国文学の研究に没頭し、やがて「文部省国語教科書編さん委員」に選ばれて国文学者としての地を固めていった。国が初めて発行した国定音楽教科書「尋常小学唱歌」を編さんする一方、「春が来た」、「紅葉」、「朧月夜」、などの唱歌、又全国の多くの小学校、中学校、高校、その他の学校などの校歌などを作詞した。明治後期からは「日本歌謡史」「江戸文学史」「日本演劇史」を次々と書きあげ、これらは高野辰之の三大著作として近代の国文学に大きな功績を残しました。大正14年に東京帝国大学から文学博士の学位を、昭和3年には帝国学士院賞を授与されています。昭和22年(1947)野沢温泉村の別荘「対雲山荘」で永眠、享年71歳であった。
 
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2018-09-12

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] ♪ 啼くな小鳩よ ♪ 岡 晴夫

 
作詞:高橋掬太郎、
作曲:飯田三郎、        
啼くな小鳩よ
唄 :岡 晴夫
 
 

岡 晴夫は大正5年(1916)1月12日千葉県木更津市生まれで、本名は佐々木辰夫。上原げんと(後の作曲家)と浅草、上野界隈の酒場で流しをしながら音楽の勉強をした。昭和13年キングレコードから「国境の春」でデビュー、たちまち人気歌手となりました。その明るい甘い歌声は、戦前戦後にわたって大衆に夢と希望を与え、 「岡ッ晴(オカッパル)」 と呼ばれて多くの人に親しまれました。
おもなヒット曲に『上海の花売娘』『東京の花売娘』『啼くな小鳩よ』『憧れのハワイ航路』『逢いたかったぜ』などがあります。昭和45年4月大阪で公開歌番組収録中倒れ同年5月19日逝去した。
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2018-08-26

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] ♪ 憧れの郵便馬車 ♪ 岡本敦朗

 
 
 
  作詩: 丘灯至夫  
  作曲: 古関裕而                憧れの郵便馬車
  唄  : 岡本敦郎


      1 南の丘を はるばると
        郵便馬車が やってくる
        うれしい便りを のせて
        ひずめのひびきも かるく
        耳をすまして ごらんなさい
        ほらほらほらほら やってくる
        郵便馬車は 夢の馬車


      2 レモンの花の 咲く道を
        郵便馬車は 日に一度
        うれしい便りは 誰に
        君 僕 あなたの胸に
        広い牧場の おひるどき
        ほらほらほらほら やってくる
        郵便馬車は 夢の馬車


      3 峠を越えて はるばると
        郵便馬車の 見える頃
        うれしい便りは まだか
        若者みんなが 待つよ
        耳をすまして ごらんなさい
        ほらほらほらほら やってくる

        郵便馬車は 夢の馬車

昭和20年代、我が家にはテレビなんて無い、しかし周りには負けない性能の良いラジオがあった。短波放送が聞けるんだ、巨人ファンで野球キチの私はフェージングの中から聞こえる巨人戦の実況放送をラジオにかじりついて聞いた記憶がある、確か監督が水原 茂、ピッチャー、別所、大友、キャッチャー、藤尾、広岡、与那嶺、川上、国松、坂崎選手あたりが活躍していた頃だ、そんな中で歌の番組もあり、よく聞こえて来た歌、岡本敦郎の ”憧れの郵便馬車” 甘い、いい声しているなー、テレビのないラジオの時代の昔の歌手は実力本位だ、鍛え方が違うな、、「朝はどこから」でデビューし「高原列車は行く」 「白い花の咲く頃」 など多くのヒット曲を残している。北海道小樽市生まれで武蔵野音楽学校(現、武蔵野音楽大学)声楽家を卒業、、2012年12月28日88歳で亡くなられた。

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2018-08-08

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] ♪ 女心の唄 ♪ バーブ佐竹

 
 

作詞 :  山北由希夫
作曲、編曲 : 吉田矢健治 白石十四男     女心の唄

バーブ佐竹、本名は佐武 豊で北海道釧路市出身、22歳で歌手を志して上京し、流しのギター弾き、クラブの専属歌手など長い下積みを経て昭和39年(1964)12月、キングレコードから「女心の唄」でレコードデビューし250万枚を超える大ヒットとなった。独特の低音の歌声は「バーブ節」と呼ばれた、特徴ある顔立ちからご本人自ら「顔じゃないよ、心だよ」が流行語ともなった。平成15年(2003)12月5日、多臓器不全により68歳に死去した。


 
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2018-07-15

[hamさんの日本の歌心の歌 ②] ♪ 酒場すずめ ♪ 村上幸子

時々hamさんの好きな曲をアップさせていただいた「hamさんの日本の歌心の歌」数が多くなりカテゴリーから検索できなくなってしまった。今日から「hamさんの日本の歌心の歌 ②」で始めることにした。
1曲目は以前にもアップした事があるんだが、郷土の新潟県出身で数々のヒット曲を出したが病気の為31歳の若さでこの世を去った女性演歌歌手、村上幸子の「酒場すずめ」とした。
昭和33年(1958)10月21日、新潟県岩船郡荒川町(現村上市)に生まれ、昭和54年(1979)に「雪の越後を後にして」でクラウンレコードよりデビューした。昭和59年(1984)の「酒場すずめ」がヒットし、その後昭和63年(1988)にリリースされた「不如帰」を自らの勝負曲として位置づけたが歌詞の一部が当時の昭和天皇が重体で「時期的にも適切な表現とは言えない」という理由から放送中止(自粛)になったというエピソードを持っている。文化放送のラジオ番組「走れ歌謡曲」のパーソナリティーなども務めたが昭和64年(平成元年)急性リンパ腫と診断され入院、リスナー、ファンなどからの激励の手紙が多数村上のもとに寄せられたが次第に病状は悪化、1990年7月23日、31歳で死去した。同じ新潟県出身と言う事で小林幸子と村上幸子、二人の女性演歌歌手の活躍を期待したんだが残念でならない、、合掌


 
 

 
不如帰
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Profile

名前は:ham 
年齢は:爺 ♂
血液型:B型 みずがめ座

辛い事もあったが楽しい事も、、
良い思いも沢山させて頂いた
激動の人生、
昔のこと、今の事、自由に綴る
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