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[豊後ぶらり旅] 日田市豆田町

2017-07-30

今月の初めに襲った九州北部豪雨で大きな被害が出た大分県日田市、仕事で数回にわたり日田市を訪れたが被害の大きさに呆然とする、、多くのボランティアの人々が熱い中、汗を流している光景を目にしたが私にはちょっと無理か、僅かな募金で協力するか、活気を取り戻す手助けになるかと日田市を訪れてきた。



来月に入ると第99回全国高等学校野球選手権大会が甲子園球場で開幕するが、大分県と言えば津久見高校と大分商業、日田林工を思い出す、私の記憶に誤りが無ければ縦じまのユニホームが目に浮かぶんだがね、、最近は夏になると日本一暑かった町で良く名前が出るようになった。
 


日田市は大分県の西部に位置し福岡県と熊本県に隣接し、周囲を阿蘇・くじゅう山系や英彦山系の美しい山々に囲まれ、これらの山々から流れ出る豊富な水が日田盆地で合流し、筑後、佐賀平野を流れ流域住民の生活や産業を潤しています。また古くから北部九州の各地を結ぶ交通の要所として栄え、また江戸時代には幕府直轄地、天領として西国筋郡代が置かれるなど、九州の政治、経済、文化の中心地として繁栄し、当時の歴史的な街並みや伝統文化が今なお脈々と受け継がれている。その代表的な街並みが豆田町(写真)である。


北部豪雨で観光客の客足が減りホテルなどもキャンセルが続出したようだが客足も元に戻りつつあり夏休みに入り鵜飼見物や屋台船などが賑わっているようだ。私が訪れた時も大型観光バスが到着し海外からの観光客で賑わっていた。涼しくなったらまた訪れようと思っている、、、。
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[豊後ぶらり旅] 大分県姫島村

2017-05-02


大分県の国東半島の北側、周防灘と伊予灘の境界に位置する小さな離島、姫島に行ってきた。一番の目的は島の国東半島側に位置する矢筈岳(写真右端の山)に登るためだ。国東半島の国東市国見町の中心部の伊美港から約6キロの海上に位置する。島の長さは東西約7キロメーター、南北約4キロメーターで東西に細長い形をした人口が約1930人の小さな島だ。


伊美港と姫島港の間を村営の第一姫島丸と第二姫島丸の2隻のカーフェリーが就航し約20分で結んでいる。大分県内唯一の村であり平成18年3月31日以降は東国東郡に属する唯一の自治体である。
 

伊美港の駐車場に着いたらちょうど出航時間で、諦めモードで一便後にしようと思ったら駐車場のスタッフの女性が、走ってください、待ってくれると思いますから! 走ると言っても登山靴を履いてリュックを背中に背負って7~80メーターくらいをダッシュした。タラップのところで待っていてくれた作業員が、そんなに走らなくても良いですよ、待ってますから! もっと早く言ってよ、息が切れて大変だわ、、笑いながら乗船するとタラップを外して岸壁を離れて向かいの姫島に向かった。時間は短いが船に乗るのは大分に引っ越して来た時に愛媛県の三崎港から佐賀関まで乗船した時いらい3年半ぶりだ。約20分で姫島港に到着、立派なターミナル(写真)がある。
 

矢筈岳に登った帰りは反対方向の登山口に下山し海岸線を50分ほどかけ、海風に当たりながら戻ってきたが、途中で合った島民の人たち皆さん、どう見てもよそ者に会うたびに、 こんちわ! また頭を下げて挨拶したり気持ちの良い人達ばかりだね、、
 

海岸線は綺麗に整備され夏になれば賑わいそうな海水浴場(写真)も整備されている。姫島村では販売している缶飲料を通常価格よりも10円高い価格で販売し、空き缶を島内の店舗で返却すると差額を返却してくれるデポジット制度を自治体規模では昭和59年に日本で初めて導入し空き缶の散乱を防ぐようにしていると言う。はじめて訪れた小さな島だが、住んでみたいような気もするね! そんな感じの島だった、、、
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[豊後ぶらり旅] 四浦半島、河津桜

2017-02-19


今日の日曜日は雲一つない天気だ、山へ行きたい気もするが、テレビで津久見市の四浦半島の河津桜が見事に満開を迎えている、と報じられている。3年前にも行ったことがあるのだが、この時は退院して間もなくで体調もイマイチだったが今は絶好調だ、ドライブを兼ねて出かけてきた。


津久見市街地を過ぎて四浦半島に入ると河津桜が目に入ってくる。日曜日と快晴に恵まれ道路は渋滞だ。平成17年より四浦半島の住民の人たちが中心となり、地域の沿道に河津桜の苗木を植栽し、毎年少しづつ植栽を続け、地区の人達の粘り強い努力により善意の苗木が贈られるようになり、現在は4000本を超す河津桜が見ごろを迎えている。桜の木は未だ小ぶりだが、10年もすれば見事な桜の名所となるであろう。津久見湾の青い海の色に河津桜のピンクの色が映え一層美しさを増していた。
昭和30年(1955)飯田勝美が静岡県賀茂郡河津町で原木を発見したのが名前の由来である。日本のオオシマ桜とカンヒ桜の自然交雑種と推定されている。河津桜の花は下を向いて咲く、と言う話を聞いたことが有るんだが、なるほどほとんどの花は下を向いているような気がするが(写真)

 

途中の展望台から眺める光景は素晴らしい(写真)、佐賀関半島、高島、保戸島、四国の愛媛県の佐多岬半島が手に取るように望める。四浦半島を1周し佐伯市に入りリアス式海岸を走るのは実に気持ちが良い、、途中から10号線に入り 道の駅やよい により、今度は内陸部を野津町、犬飼町と通り戻ってきた。明日からまた1週間の頑張りだな、、、
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[豊後ぶらり旅] 今日の一日、道の駅めぐり

2017-02-12


先週の日曜日は別府大分毎日マラソンで休日出勤をしたが、今日は前から気になっていた運転免許証の更新に行くことにした。運転免許センターの受け付けは8時半から、8時に家を出て20分に免許センターに着くと自動受付機の前にざっと数えて200名くらい、こりゃー参ったな! しかし書類の確認、質問票の記入、視力、適性検査、手数料納付、写真撮影と順調に進み、以前に高齢者講習を受講しているので講習も無く1時間弱で新しい運転免許証を手にした。家に帰り、今日はこれからどうしようか、、?相方に何処かへ行こうか、と誘うと、先週は休日出勤だし今日はゆっくり休んだら! と言う、内心、じっとしているのが苦手なhamさんだ、俺は家でぼーっとしていた方が疲れる、ドライブかたがた何処か道の駅でも行くか! ん、行くわ! 国道10号線で大分市を出ると山の風景、田園風景、ところどころで見る梅の木は白い花が満開だ。まずは ”道の駅みえ” 道の駅は地元の情報が入手でき特産品などが並んでいるので見るだけでも楽しい、相方は安い野菜類をあさる、次は同じ道を先へ進むこと30分くらいで”道の駅きよかわ” (写真)、ここから4~50分も走れば熊本県だ、故郷の新潟県は南北に長く端から端まで高速を使っても4時間ちかくはかかるだろう、大分県は小さいね、新潟県の半分だ(面積人口、新潟県、12,580平方キロメートル、2,285,856人、大分県、6,340平方キロメートル、1,159,634人)しかし風光明媚で、こじんまりとし、温暖で気に入っている。1時間ほど走り家に戻ってきた、明日からまた1週間の頑張りだ、、、
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[豊後ぶらり旅] 豊予海峡と関埼灯台

2017-01-29

 
 

天気はイマイチだが雨が降る事はなさそうだし、孫達もそろそろミカンがほしい頃だろう、佐賀関町のいつものミカン屋でミカンを送り、佐賀関半島の関埼海星館の周りの水仙が綺麗だ、とのニュースを聞きぶらりと行ってきた。何度か訪れているが今日は関埼灯台も行ってみようかね(写真)
向かいの愛媛県伊方町三崎は佐賀関からフェリーで1時間10分で行ける距離で目と鼻の先だ、よく晴れていれば対岸の風力発電所もよく見えるんだが今日は生憎の天気で半島がうっすらと見えるだけ、、
 

目の前が愛媛県佐田岬半島と大分県佐賀関半島の間の速吸瀬戸(はやすいのせと) (写真)。豊後水道の北口で豊予(ほうよ)海峡とも呼ばれる幅約13kmの海峡で、強い潮流があり、付近はサバ・アジの好漁場で、大分県側の佐賀関港で水揚げされたものは関アジ、関サバのブランド名で高価で取引され、今日も一本釣りの漁船がたくさん漁をしていた。
 

 
船乗りの頃、南太平洋のフランス領、ニューカレドニアからニッケル鉱を積んで何回となく佐賀関に入港したが、この白い関埼灯台、旧日本鉱業佐賀関製錬所の煙突が見えると、あー佐賀関に帰って来たなー! と懐かしく思ったもんだ。
関埼灯台は、四国の愛媛県の佐多岬灯台と向かい合う形で、瀬戸内海と外洋を結ぶ速吸瀬戸を挟み、この狭水道を航行する船舶の目標として重要な役割を果たしている。明治34年7月20日に完成し点灯し続けている。関埼灯台の点灯に遅れること17年、大正7年4月に佐多岬灯台が対岸に設置され、関埼灯台のレンズはそっくり佐多岬灯台に移設されることになったので大正7年1月、第四等不動白光、二千燭光に変更された。その後大正15年に電化され昭和45年明暗白光となり現在に至っている。

施設の概要
位    地   : 北緯33度16分0秒 東経131度54分8秒
塗装及び構造   : 白色 塔形 鉄造
灯    質   : 等明暗白光  明四秒 暗四秒
光    度   : 5600カンデラ
光達距離     : 12,5海里(約23キロ)
                 = 案内板より抜粋 =

 

海星館から関埼灯台、豊後水道を望めるところに川中美幸の ”豊後水道” 発売記念に川中美幸さん手植えの椿の木が植えられている(写真)

豊後水道     唄、 川中美幸
 
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[豊後ぶらり旅] 高杉晋作の隠れ家

2016-06-22



先日、天気はイマイチだったが別府、湯布院方面へ出かけてきた。別府の地獄めぐりは後日にして、別府はす通りし九州横断道路、通称やまなみハイウエーに入り、途中で鶴見岳ロープウエイで鶴見岳へ、とも思ったがロープウエイは点検で休止しているし、この天気では絶景も半減だろう、と言う事でこちらもパス、途中の山麓の草原は朝までの雨で緑が一段と映える。途中の由布岳は頂上部分は雲に隠れている、熊本、大分地震の4日前に登ったんだが今は地震の影響で登山道が危険である為、登山自粛となっていて中央登山口には登山者の姿は無い。温泉地、湯布院町に入ると、こちらも地震の影響で観光客は激減しているようだ、地域によっては屋根の上のブルーシートが目に付く、早く以前のように観光客がたくさん歩く湯布院に戻ると良いんだがね、、、やまなみハイウエーから国道210号線に入ると、高杉晋作ゆかりの家 (写真)と言う大きな看板が目に入った。
 

そろそろ腹も減ってきたし昼食がてら寄ってみた。福岡県の大宰府にあった家を持ってきたとの事で200年は経っているとの事、当時江戸時代後期の長州藩士の高杉晋作がこの家に一時隠れていたと言われている。合掌造りの見事なもんだ、ちょうど3階部分(写真下)に隠れていたんだろうと思われるがね、当時の貴重な資料が多数無造作に展示してあるのが印象的だったね。
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[豊後ぶらり旅] 佐賀の関半島

2016-06-05


 
天気が良ければ九重の山開きでミヤマキリシマが素晴らしい平治岳に行く予定にしていたんだが生憎の天気で、これじゃ山に行っても何も見えないだろう、、中止だ。私の予想では来週末が一番の見ごろと思うが、良い天気になる事を祈っている。雨も小降りになったし久しぶりに孫にミカンでも送ってやろうかね、と言うことで佐賀の関のミカン専門店に行った。多少値がはるがハウスミカンが並んでいる、送ることにしたが我が家の分は無しだ。雨も上がったので、ついでに佐賀関半島を一周する事に、写真はビシャゴ岩、その後ろの島は瀬戸内海国立公園に属する佐賀関から3,5キロ沖合にある周囲5,5キロの高島で現在は無人島である。島はウミネコの営巣地の南限、ビロウ樹の自生の北限であり現在は観光地で春から夏にかけてはウミネコ観光周遊船が就航し、夏になると海岸にキャンプ場がオープンし賑わう。大正10年(1921)から昭和9年(1934)にかけて、豊予海峡を通航する艦船を監視する豊予要塞が建設され、第二次世界大戦中まで運用されていたが現在も当時の砲台跡や弾薬庫跡が残されている。終戦後の昭和22年には戦災孤児の収容施設が設けられたが、昭和28年に廃止され島は再び無人島となった。
 

日豊海岸国定公園内の一部にあり日本の渚百選に選ばれている黒ヶ浜(写真)、名前の由来は蛇紋岩と呼ばれる黒い石のために、海岸が黒く見えることに由来している。なるほど海岸にある砂も石も黒いね、黒ヶ浜の隣には対照的な白砂の海岸である白ヶ浜(しろがはま)があり、このように白黒の海岸が隣接する地形は全国的にも珍しく、昔から景勝地として知られている。
 
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[豊後ぶらり旅] 大分遺産検定 国東半島ぶらり旅

2015-10-17


5月より受講している大分遺産、大分学検定受験講座の座学は先月で終了した、今日は最後の現地講習の日だ。仕事は休みではないんだが、私の場合はどちらかと言うと仕事よりもこちらの方が好きだし興味があるネ、、朝から秋晴れの晴天だ、今回の参加者は40名弱、バスで国東半島へ Go!
 

国東半島(くにさき)は大分県の北東部、周防灘と伊予灘、別府湾に突き出た丸い形をした半島だ。国東半島の最高峰、標高721mの両子山をはじめとする両子火山群の峰々がそびえる火山地形であり、自然が豊かな世界農業遺産の里、瀬戸内海式気候の国東半島に他県より移住する人も少なくない。また奈良時代~平安時代にかけて仏教(天台宗)に神道(宇佐八幡宮の八幡信仰)を取り入れた「六郷満山」と呼ばれる山岳仏教が形成され、宇佐神宮を中心に六郷満山文化が伝播した国東半島は、神と仏が共存する神仏習合文化の発祥の地と言える。そして異教を認め合い、共存すると言う独特の思想や理念は世界でもあまり例を見ず、今なお国東半島には特異な文化や奇祭が受け継がれている。

★ 六郷満山  
   
(六郷満山とは 六郷 + 満山 の総称)

* 六郷
    ・ 来縄 (くわな、現豊後高田市)
    ・ 田染 (たしぶ、豊後高田市)
    ・ 伊美 (いみ、 国東市国見町)
    ・ 国東 (くにさき、国東市国東町)
    ・ 安岐 (あき、 国東市安岐町)
    ・ 武蔵 (むさし、国東市武蔵町)
                    計 6地域

* 満山
    ・ 本山 (もとやま):学問を行う
    ・ 中山 (なかやま):修行を行う
    ・ 末山 (すえやま):布教を行う  

仁聞が養老2年(718)に国東半島の各地に28の寺院を創建したと伝えられ、盛時には65の寺院があったと伝えられる。本山(もとやま)、中山(なかやま)、末山(すえやま)の上記3郡に分けられ、更に本寺(ほんじ){ 本山本寺ー後山金剛寺、大折山報恩寺など8寺、中山本寺ー足曳山両子寺、金剛山長安寺など10寺、末山本寺ー峨眉山文殊仙寺、見地山東光寺など10寺 } など28寺と末寺37寺に分けられる。国宝の富貴寺大堂、や国の重要文化財などに指定される名所史跡は多数存在し見所が多い。上記写真は国選定の重要文化的景観に指定されている田染荘(たしぶのしょう)で曲線を描いた独特の水田や小川のせせらぎ等は800年前と変わらず今も息づいている。詳細は後日にアップしたいと思う。

 
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[豊後ぶらり旅] 日本最大、八丁原地熱発電所

2015-09-17


原子力発電所、火力発電所、水力発電所、風力発電所、脚光をあびている太陽光発電所はよく耳にするが、地熱発電所はなじみが薄い。「日本一のおんせん県おおいた」はいたるところに温泉が存在する、温泉の源泉数、湧出量ともに日本一を誇る。国内に1,000KW以上の地熱発電所は十数か所あるが国内最大の地熱発電所が大分県九重町にある八丁原(はっちょうばる)地熱発電所である。先日近くの山に登った帰りに立ち寄り展示館を見学(無料)したがスタッフの女性が設備の案内説明をしてくれる。



地熱発電所は、化石燃料を全く使わず地下から取り出した蒸気を利用して発電するクリーンな発電方式です。火力発電所は石炭、重油、LNG(液化天然ガス)などを使い蒸気タービン、ガスタービンを回し発電するが火力発電所のボイラーの役割を地球が果たしている事になる。八丁原地熱発電所は我が国最大の地熱発電所で、昭和52年6月に1号機、平成2年6月に2号機が完成した。九州では近くの大岳(おおたけ)発電所(出力12,500KW、昭和42年8月完成)に次いで2番目、全国では5番目に建設された、出力110,000KWの発電所である。
 

地下の岩盤の中に閉じ込められているマグマの熱で高い温度になっている地下水を800メーター~3,000メーターの深さの蒸気井で取り出し、蒸気と熱水交じりの流体を、蒸気と熱水に分離し、蒸気は蒸気タービンへ送りタービンを回し発電機(写真)で発電する。熱水は還元井により再び地下へ戻される。



1分間に3,600rpmの発電機で11,000ボルトを発電し変圧器で11万ボルトに昇圧し高圧送電線(写真)で送電する。発電所のある一帯は国立公園内のため色々と規制があり、その為設備の一部は地下に建設されているようだ。なるほど遠くから見ても発電所の建物はほとんど見えない、見えるのは蒸気と言いうか湯煙だけだ、、、原子力発電所がいろいろと問題を提起している昨今だ、これからはこのようなクリーンな発電が見直されるであろう、、
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[豊後ぶらり旅] 佐伯市蒲江(かまえ)

2015-04-26


今日は朝から晴れあがり気温も上昇した、こんな日は家にくすぶっているわけにはいかない、行きたい所はたくさんあるんだが、先月遅ればせながら東九州自動車道の佐伯~蒲江(かまえ)間が開通し大分県内が高速道一本につながったし、リアス式海岸で海岸線の綺麗な漁業の町、大分県最南、宮崎県境の佐伯市蒲江に行ってきた。大分宮河内ICから大部分は片側1車線の対面通行だが佐伯ICからはトンネルの中も中央線がポールではなく1メーターくらいの高さのコンクリートで出来ていて安心感がある、それに車線も路側帯も少し広いように感じたがね、それに何よりも通行料が無料と言うのが良いね、、、



蒲江インターを降りると魚の匂いがする、それに海の香りが、、インターから直のかまえインターパークへ寄ってみた。沢山の人がお土産や新鮮な魚を買っていた。昼食は海鮮どんぶり、と決めていたがレストランは満席で、出入り口にはたくさん並んでいる、こんなに待ってなんかいられない、、、
 

少し東に走った蒲江湾に面した道の駅蒲江に行ってみた、こちらも大変な人でレストランは満席、やはり入り口で並んでいる、海鮮どんぶり とはいかないが弁当を買いベンチで海風に当たりながらの弁当もなかなかのもんですでね、、 海の香りはいいねー、、!
先日、芥川賞を受賞した小野正嗣さんはご当地、佐伯市蒲江出身だ(写真)

 
 

佐伯市街に向かう海岸線の道路は時々車が通るだけで快適だ、青く静かな海面(写真)は実に美しい、身も心も洗われたぶらり旅だった、、、
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[豊後ぶらり旅] 豊予海峡

2014-10-19

さわやかな秋晴れに誘われて佐賀関半島にでかけた。旧北海部郡佐賀関町、パンパシフィックカッパ―佐賀関精錬所(旧 日本鉱業佐賀関精錬所)、工場と漁業が主な産業の町だ、船員時代の数十年前、南太平洋のニューカレドニア、インドネシア、からニッケル鉱を積んで何回も入港した昔懐かしい町だが、当時とはずいぶん変わった。
 

佐賀関半島は昨年の秋以来1年ぶりになる。日豊海岸国定公園に属するこの辺りの海岸線は実に見ごたえがある。写真中央部の白い建物は関崎灯台だ、明治34年(1901)7月20日に初点灯した大分県で最も古い灯台である。前の海が豊後水道の最狭部の豊予海峡(または速水の瀬戸)を挟んで四国の愛媛県の佐多岬に相対する、写真左側の島影が四国の佐多岬だ、肉眼で高台に並ぶ風力発電がはっきりと望める、佐多岬まで僅か14キロメーターの距離。写真右側の島は瀬戸内海国立公園に属する関崎から3,5キロ沖合にある周囲5,5キロの高島で現在は無人島である。島はウミネコの営巣地の南限、ビロウ樹の自生の北限であり現在は観光地で、春から夏にかけてはウミネコ観光周遊船が就航し、7月 ~8月には島の西側海岸にキャンプ場がオープンし賑わう。大正10年(1921)から昭和9年(1934)にかけて、豊予海峡を通航する艦船を監視する豊予要塞が建設され、第二次世界大戦中まで運用され、現在も砲台跡や弾薬庫跡が残されている。終戦後の昭和22年には戦災孤児の収容施設が設けられたが、昭和28年に廃止され島は再び無人島となった。穏やかな海上では多くの漁船が関アジ、関サバの漁をしていた、、、
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[豊後ぶらり旅] 国東半島ぶらり旅

2014-09-28

久し振りの雲一つないスッキリと晴れあがった秋晴れの天気、本来であれば久し振りに山行き、九重連山の三俣山行きを考えていた。しかし昨日の木曽御嶽山の噴火により多くの犠牲者、怪我人が出ている、ちょうど昼近くで多くの登山者は頂上付近で絶景を堪能し昼食をしていたに違いない、、、同じ山を愛する一人として、なんとも気の毒で言葉もない、、怪我をされた方々には心よりお見舞いを申し上げ、不幸にして犠牲になられた方々には心からお悔やみを申し上げます、、、  合掌

 

 
上記の理由により急遽、山行きを取りやめ、国東半島へ出かけてきた。国道10号線の日出町よりR213号線に入り、杵築市、国東市、宇佐市に出て国東半島を1周してきた。国道213号線より時々顔を出す別府湾、周防灘の海は秋の日差しに眩しいくらいに輝いていた。途中、道の駅くにさき(写真)に寄ってみた。近隣の農家が生産している新鮮な野菜をしこたま買い込んだ、値段がかなり安いと言う。その後、国東半島での古刹である”三人よれば文殊の知恵”の発祥の地で日本三文殊の一つとして知られている文殊仙寺へ参拝した、(いずれ当ブログでご紹介したいと思います)。
 

 
豊後高田市の長崎鼻から眺める海は綺麗の一言であった、コンビニで買ったオニギリを海を眺めながら食べたが至福のひと時であったな、、そのご豊後高田市内の「昭和の町」に行ってみた、昔懐かしい物が所狭しと並んでいたが、いずれ当ブログでご紹介したいと思います。200キロちょっとの国東半島のぶらり旅でした。

 
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[豊後ぶらり旅] 城下海岸と城下(しろした)カレイ

2014-08-10


大分県と愛媛県の間の豊後水道は日本有数の漁場として有名である。特に大分市佐賀関沖で採れるアジとサバは「関アジ」「関サバ」として全国に名をとどろかせている。瀬戸内海と太平洋の海流がぶつかりあう豊後水道で、一本釣りにより採れるマアジ・マサバの事を「関アジ」「関サバ」と呼びます。その美味さ、歯ごたえのよさから高級魚として重宝されています。「関アジ」の旬は3月から10月、刺し身にして大分名産の「カボス」をかけて食べると、そりゃもー、口では言い表せない美味さだ、秋口になると脂ののりがよくなるのが「関サバ」、新鮮な刺し身は身が引き締まり、関ものならではの味と歯ごたえです。しかーしだ! 大分県にはもう一つ有名な魚があるのをご存じだろうか、、鰈(カレイ)だ、日出町(ひじまち)の日出城(暘谷城ともいう)跡の下の海岸、「城下海岸」(しろしたかいがん)と呼ばれ波静かな別府湾とお猿で有名な高崎山を望む景勝の地でもあります(写真)この城下の海中の清水の湧く海底で育ったカレイは特に美味しく、「城下カレイ」と言われ、日出城の殿様も好んで食べたと言われています。歌人の高浜虚子が日出を訪れ、
 
       海中に真清水わきて魚育つ   と歌っています、、、
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[豊後ぶらり旅] くじゅう花公園

2014-05-02

 

九州の中心に、ぽっかり浮かぶ花の村

四季折々の花の中

大自然の香りに包まれゆっくりとした

癒しの時間が流れます、

 

上記の誘い文句と初夏を思わせる陽気に誘われて久住高原にある くじゅう花公園 に行ってきた。久住高原に近づくと久住連山がそびえたち、標高800メーターの光源の風は汗ばむ体に心地が良い、、広い駐車場に着くと一杯だ、さすがゴールデンウイークだね、県外車であふれている。ゲートで入園料¥1300円也を払い、 えー、1300円は高いだろう、、  

しかーしだ! 中に入り歩き始めると、その不満は吹き飛んだ、、、

 

 

雄大な久住高原、そこに広がる22万平方メーターのくじゅう花公園には春から秋にかけて500種類、500万本の花々が咲き誇っています。花畑の中には観賞用に通路が通りほのかに香る花の香りをかぎながら、何とも癒されますね、、園内には花や香りをテーマにした沢山のお店や地元の特産品を使った食事処が何軒もある。

 

 

 くじゅう花公園のスライドショーは  = こちら =

 

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[豊後ぶらり旅] 新緑の城島光源、由布岳、湯布院

2014-04-23

 

朝から雲一つ無い天気で初夏を思わせる陽気、こんな日は家になんかじっとしておれない、無理矢理に用事を作って城島高原、湯布院方面に行ってみた。別府から、やまなみハイウエイに入り、先日登った鶴見岳の前を通り進むと周りの山々の新緑の美しさに思わず声が出る、若草いろ、緑、ピンク、黄色、、、、、城島高原を過ぎて暫く走ると目の前がパッと開けて右側に豊後富士 由布岳が迫ってくる(写真)西峰、東峰の双耳峰の頂をもつ独立峰の由布岳(1,583m)近いうちに登ろうと考えていたが、うっとりするほど美しい姿でむずむずしてくるネ、、、

 

 

道路の両側は草原だ、野焼きをした後で、未だ草原と言うわけにはいかないが、もう少ししたら見事な草原になるであろう、緩い下りのカーブをいくつか曲がると狭霧台(写真)だ、ここから眺める由布岳、湯布院盆地の眺めもいいねー、、ここは阿蘇くじゅう国立公園、最近湯布院は人気があるが、この由布岳の雄姿が無ければ湯布院の魅力も半減するだろう、、

日本の二百名山の由布岳は登山家の深田久弥が百名山に入れなかったことを後悔した山と言われ、近年になり登山家の岩崎元郎が自身で選んだ新百名山に選定されている。

 

 

狭霧台(さぎりだい)から眺める湯布院盆地もいいねー!周りの景色の素晴らしさに魅せられて真っ直ぐ久住高原あたりまで足を延ばしたかったが又の機会にして由布市を経由し大分に戻ってきたが、近いうちに予定している、由布岳登山が楽しみになりましたってー、、、!

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[豊後ぶらり旅] み仏の里/心の里 不動尊 一心寺

2014-04-14

 

土、日は生憎の天気であったが今日は、からりと晴れあがり日中は20度を超す暖かさになった。郷里の新潟では今が桜のソメイヨシノが満開と言うがこちらは葉桜で周囲の山々は新緑が美しい。市内の不動尊 一心寺境内の1,000本の八重桜が見頃と言う、午後から大分市の郊外にある不動尊一心寺(写真)に行ってきた。車でどんどん山の方に登っていくと途中から道路が狭くなり片側交互通行になり警備員が交通整理をしている。駐車場に着くとすでに駐車場は満杯状態だ、ざっと数えると100台は止まっているな、県外からの車も結構止まっている、土日は観光バスで来る団体客も結構あるそうだ。入場料700円を払って中へ、、、私のような貧乏人は直ぐに入場料金を計算したくなるが、一日で1,000人は楽に入るだろう、700X1,000=700,000円かー、、、 

 

 

霊山一心寺は初代の安部一住職が報恩感謝の一念から余生を人助けに捧げんとし、昭和38年4月にこの地を選んで建立されました。以来今日まで山を開き、道を造り、桜を植え、一つ一つ石を積み上げて、不動尊を祀るにふさわしい聖域を完成させました。二万坪の聖域には、西日本随一の約千本の八重桜、五百本の紅もみじが植えられている。八重桜(ぼたん桜)が丁度いまが見頃だ(写真)、種類も8種類が植えられている、ピンク色はもちろん、緑色、黄色の八重桜もある、すぐ周りの山々の新緑とあいまって何とも言えない風景を醸しだしている、、、

 

 

庭内では何組ものグループ、家族ずれがブルーシートなどを敷き弁当を食べたりしていた、食堂、売店、など幾つかの店も出店している。身の丈20メーターと日本一の大きさの大不動明王(写真)が祀られている。又本堂には1250年くらい前の作と言われる不動尊ほか2体の国宝級の仏像が安置されている。また大念仏鐘は日本一の大きさを誇るもので、その音は素晴らしいね、、、秋になり紅葉の時期にまた訪れてみたいもんだ、、、

 

 

 不動尊 一心寺のスライドショーは   = こちら =

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[豊後ぶらり旅] 人間魚雷回天と回天神社

2014-03-22

 

以前に新聞で日出町に人間魚雷”回天”を祀った神社「回天神社」がある事は知っていた。場所は解らないがいつか近くに行った時にでも参拝しようと思っていたんだが、お彼岸のお中日で妻のご先祖の墓参りに行き,帰り道ちょっと海でも眺めていくか!と田舎道を走っていると道が解らなくなった、こんな田舎道だ、どこかに出るだろう、、! と走っていると小さな看板で回天神社と書かれたような物が目に入った、んッ、バックして確認すると間違いない、こりゃ俺に参拝して行け! と言ってるに違いない。狭い急な道を登るとすぐに神社の境内に、おー、ここが回天神社だ(写真)、氏神様の住吉神社の境内に小さな社殿がある。

 

 

敗戦が濃厚になった太平洋戦争末期の昭和19年、戦局を逆転するために、魚雷を人間が一人搭乗できるように改造し、母艦の潜水艦から発進し、運転して敵艦に体当たりする戦法が考えだされた。昭和19年9月1日、山口県徳山市(現周南市)大津島で回天の訓練基地が開隊し、続いて光基地(山口県光市)、平生基地(山口県平生町)と開隊された。昭和18年暮れまでご当地の真那井~糸ヶ浜に海軍軍事施設の建設が続けられていたが戦況の悪化で中止となり、その後用地は特攻基地用地に転用され、こちらの日出町大神牧の内に昭和19年秋に工事が始まり、昭和20年4月25日に、大神突撃隊基地として、司令の山田大佐以下約2000名で発足した。連日別府湾で激しい訓練が行われた。大神基地には第一兵舎から第十兵舎まであり、273名の搭乗員が訓練していた。なかでも第十兵舎に居た下士官搭乗員20名ほどは出撃直前であり、明日をも知れない命であり食事のあとなどで「大神回天隊の歌」などを歌っていたと言う。昭和20年8月2日大神基地の第十兵舎から8名の隊員が回天8基とともに高知県宿毛湾麦ヶ浦の突撃隊に出撃したが昭和20年8月15日の終戦を迎え解隊したため大神突撃隊からは突撃による戦死者は出ていない。しかし終戦10日後の8月25日、松尾秀輔少尉が基地内で自決したほか空爆による犠牲者が出ている。大神基地隊員の精神的支柱であった基地内の「回天神社」は山田司令の依頼により現住吉神社境内に遷座し、大神突撃隊開隊日である4月25日を例祭の日と定め以後、住吉神社宮司、氏子、総代により手厚く祀られている。毎年の慰霊祭には3年に一度全国から関係者が集まり行われる。大神回天神社には当時の潜水艦乗組員812名、白龍隊員120名、回天搭乗員106名、回天整備員35名、計1、073名が平成11年に合祀されて眠っている。拝殿内には当時の写真など貴重な資料が展示されている(写真) 。  合掌

 

 

境内の回天神社近くに昭和56年9月20日、実物の3分の1の回天の模型が展示された(写真)、平成14年4月25日、地元の漁師が海底より拾い上げた九三式魚雷の後部を譲り受け回天模型前に設置された(写真)。

回天Ⅰ型は、九三式酸素魚雷を利用し操縦室と操縦装置を付けた一人乗りの必殺の人間魚雷兵器として昭和18年に設計図が出来たがこの時点では海軍省は認めなかった。しかし昭和19年2月、トラック島が米軍の攻撃を受け海軍施設は壊滅状態となって軍首脳部は2月26日この兵器3基、試作の内令を呉海軍工廠に出した。7月6日に試作機3基が出来、諸試験を行った後7月25日、考案者の黒木中尉と仁科少尉の両名により魚雷試験場で本格的な有人航走試験が実施され、19年8月1日付けで正式に兵器として採用された。秘匿名とされていたが初出撃前には「回天」と命名された。

 

回天Ⅰ型 要目 性能

全 長 : 14,75m

胴直径 : 1,00m

全重量 : 8,3トン

行動半径: 10ノット  78キロメーター

      30ノット  23キロメーター

機 関 : 93式酸素魚雷機関

炸薬量 : 1,55トン

 

                                    =  案内板より =

    

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[豊後ぶらり旅] 四浦半島の河津桜が見ごろ

2014-03-02

 

大分県南部、臼杵市から宮崎県境までは美しいリアス式の海岸線が続く、津久見市から豊後水道に突き出た四浦(ようら)半島の河津桜が見ごろと言いうことで行ってきた。

 

 

平成17年より四浦半島の住民の人たちが中心となり、地域の沿道に河津桜の苗木を植栽し、毎年少しづつ植栽を続け、地区の人達の粘り強い努力により善意の苗木が贈られるようになり、現在は3600本を超す河津桜が見ごろを迎えている。桜の木は未だ小ぶりだが、10年もすれば見事な桜の名所となるであろう。気温が上がり、晴れあがった日曜日の今日は、県外からの見物客を乗せた観光バスも来て、たくさんの人が桜を楽しんでいた。津久見湾の青い海の色に河津桜のピンクの色が映え一層美しさを増していた。

 

 

昭和30年(1955)飯田勝美が静岡県賀茂郡河津町で原木を発見したのが名前の由来である。日本のオオシマ桜とカンヒ桜の自然交雑種と推定されてい。河津桜の花は下を向いて咲く、、と言う話を聞いたことが有るんだが、なるほど、ほとんどの花は下を向いているが(写真)、他の桜はどうだろうか、、気にもしなかったが、、、。

 

 

 四浦半島 河津桜スライドショー     = こちら =

 

 

 

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[豊後ぶらり旅] 吉野梅園

2014-02-23

 

先週は南の国も山では雪がちらつき、比較的寒かったが、昨日から気温も上がり春を思わせる天気に誘われて吉野梅園(写真)に行ってきた。

 

 

ちょうど「吉野梅まつり」が開催されていた。豊後梅、青軸梅、寒紅梅、白加賀、臥龍梅(がりょうばい)などの梅が約500本植えられており県内でも有数の梅の名所である。龍が臥した姿に似ているのが名前の由来とされる臥龍梅は、その昔大宰府天満宮の梅の枝を持ち帰った事が梅園の始まりと伝えられ50本ほど植えられている。先週の寒さのせいか開花が少し遅れたようで三分咲きくらいだった(写真)、境内にはたくさんの屋台などが並びカラオケ大会、茶会、郷土神楽などなど多彩なイベントが行われていた、「吉野梅まつり」は3月16日(日)まで行われている。

 

 

 

 

 

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[豊後ぶらり旅] ぶらり国東半島へ

2013-12-06

 

今日も天気予報は晴れ、10時過ぎ、国東半島へぶらりと出かける事にした。国道10号線別府の亀川あたりから道路の街路樹にフェニックスの木が植えられている、スッと空に延びて南国を感じさせる。海岸線を快適に走り日出町(ひじまち)から大分空港方面に向かった、制限速度70キロの大分空港道は通行料はかからないが高速道路並みだね、道路脇の紅葉はこれからが見ごろの感じだ。10年振りに大分空港(写真)に寄ってみた。展望デッキから広い滑走路を眺めていると30分くらいの間にプロペラ機が1機、ジェット機が2機離陸して行った。3階のレストラン街の一軒に入り天ぷらそばを食べながら眺めているとLCCのソラシドエアー機が着陸しJAL機が離陸して行った。地方の空港にしては結構発着陸があるね、、、昔はホーバークラフトに乗って大分市から空港まで行った記憶があるが今は便利になったね、、、。

 

今回の国東半島はここまでにした、残りは又この次にしよう、約10年ぶりの大分空港を後にして、帰りは空港道を通らずに旧道をもどる事にした、あいにく中国からの公害スモッグで視界はイマイチだが別府湾越しに見える高崎山、別府市街、鶴見岳、その南に大分市街が見える、途中国東市安岐町で道路脇に果物の直売所が有ったので寄ってみた。地元の農家が作ったポンカン、赤ちゃんの頭より大きい梨、愛宕梨(写真)を買ってみた、家に帰りさっそく食べてみたが、それがまた旨いんだわ、、、

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[豊後ぶらり旅] 大分市歴史資料館

2013-12-02

 

昔から歴史と言うものには興味がなく無知な私だが、大分市の住民の仲間入りをさせて頂いたが地元の歴史について全く解らない。まーぼちぼちと勉強をしようとは思うが市内に「大分市歴史資料館」がある事が解った。奈良時代に豊後国分寺があった国分寺史跡公園の一角にある歴史資料館(写真)に行ってきた。瓦ぶき屋根のどっしりとした建物は歴史資料館にふさわしい姿だ。入り口を入ったホールには豊後国分寺の七重の塔を中心とした門、金堂、講堂、食堂(じきどう)などが南北に立ち並んだ豊後国分寺復元模型が展示してある。旧石器時代~古代、及び中世~近世の大分市の歴史に関する資料を常設展示している。豊後国分寺に関しては、いずれご紹介したいと思います、、、。

 

 

 

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[豊後ぶらり旅] ぶらり佐賀関懐古

2013-11-27

 

今日は朝から曇り空だが時々陽も差す天気、ちょっと風があるが特別な予定もない、午後から大分市の佐賀関(旧北海部郡佐賀関町)に出かけてきた。九四国道フェリー乗り場までは数回来た事があるが佐賀関町の町まで来たのは実に35年振りだ、海岸線に沿った曲がりくねった狭い道路、今はトンネルができ広い立派な道路になっていいる。懐かしいなー、、それにしても随分と変わったねー! まー35年も経てば変わるのは当たり前だわな、、、  道路の案内板に従いどんどんと山に入り、関崎灯台に行ってみよう、40年近くまえ海上から眺めた灯台だ。写真の灯台は関崎灯台と豊予海峡、向かいの島は高島、左端の島付近が関サバ、関アジの漁場だ、向こうにうっすらと見えるのは愛媛、山口県の島々、晴れていれば四国がはっきり見えるんだろうが今日はあいにくの曇り空で景色はイマイチ、、

 

 

高台に関崎海星館(写真)がある、海と星を観察する施設だ、折からのアイソン彗星の接近で観察者が訪れている事だろう、中にはレストランもあり晴れた日曜日などは若いカップルでにぎわいそうだ、遊歩道もあり良いところだねー、、、

 

 

灯台に向かう途中の小高い山々の紅葉はこれからが見ごろを迎えそうだ、道路わきのイチョウの木の葉っぱが風に舞っていた(写真) 、、、

 

 

旧市街地に来てみたが海岸通りには昔の面影はない、コンビニができ、新しい病院が出来、変わったなー、、!  

パンパシフィックカンパニー佐賀関精錬所(写真)(旧日本鉱業佐賀関製錬所)昔に比べると少しの違いはあるが眺めていると40年近く過ぎた思い出が頭のなかを走る、、、懐かしいなー!南太平洋に浮かぶニューカレドニアからニッケル鉱を積んで、あの完璧に何度着岸しただろう、、おそらく佐賀関丸、日豊丸、で20回近くは入港しただろう、3日間の停泊中に通い詰めたスナック、確かこの辺だったがなー、、それらしきお店は見当たらない、10年ひと昔と言うが、40年ちかくも経てば変わるわねー、、、

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[豊後ぶらり旅] 豊後の国、大分県

2013-11-17

大分県民となって日も浅い私が大分の事を述べるには、はなはだせん越であり勇気がいるが今後の事もありちょいと調べてみた。

大分県は九州の中東部に位置し面積は約6,340平方キロ、人口は約118万人、ちなみに我が故郷、新潟県の面積、人口ともほぼ半分である。県の木は、ブンゴウメ、花はブンゴウメの花、県の鳥はメジロである。 (写真は大分県旗)

大分の名前は古来、国府が置かれていた大分郡「オオキタノコオリ」(現大分市)に由来する。「オオキタ」が転訛して「オオイタ」となったと言われる。現大分県は豊後国、豊前国(現福岡県東部の一部、大分県北部、今の中津、宇佐)が一緒に成り国府、国分寺はともに現大分市に置かれ、8藩(府内藩、日出藩、杵築藩、中津藩、森藩(玖珠)、岡藩(竹田市)、臼杵藩、佐伯藩)7領があったが明治4年(1871)の廃藩置県により大分県となった。大分県と言えばなんと言っても日本一の温泉県であろう、温泉の源泉数4,538ヶ所、湧出量291,340リッター/分、ともに日本一、別府温泉はともに1位、湯布院温泉は源泉数は2位、湧出量は3位、から見ても他を圧倒している、又行ってみたい温泉、旅館、ホテルでも西日本では別府温泉、湯布院温泉が常に上位にランクされている。市町村数は18で九州では最も少なく全国でも4番めに少ない、又町村が4(日出町、玖珠町、九重町、姫島村)は全国で最も少ない。又比較的小さい県の割には沢山の著名人、偉人を輩出している。

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プロフィール

名前は:ham 
年齢は:爺 ♂
血液型:B型 みずがめ座

辛い事もあったが楽しい事も、、
良い思いも沢山させて頂いた
激動の人生、
昔のこと、今の事、自由に綴る
我が人生、






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