2017-05-27

[第2の人生] 鶴邦丸 アラビア海の夕日

クウエートのミナ・アル・アマディーを出港しペルシャ湾、ホルムズ海峡からインド洋のアラビア海に出た。ドアーを開けてデッキに出ると相変わらず焼けつくような暑さだ、恐らく40度は超えているだろう。航海中は朝の10時頃に起きて、昼食を食べて午後から当直に入り、夕方16:30から夕食を食べて夜の20:00~夜中の零時まで当直に入る、毎日が判で押したような生活が続く、、夕食を食べてレクレーションルームを覗くと麻雀をやっているグループ、将棋をやっている人、花札をやっている人など色々だが船首楼にある自分の部屋に帰るためフライングパッセージを歩いていると丁度夕日が沈むところだ(写真)、潮風に吹かれながら暫く海を眺めていると、なにか寂しいような、わびしいような、気分が冴えない。船が嫌じゃないんだが、どうもタンカーが性に合わない、それに入港前の仕事の大失態も影響しているんだろうが退職する方向でだいぶ腹もかたまってきている。一両日中には結論を出そうと思っているんだが、それにしても綺麗な夕日だなー、、、一眠りする時間は無いし、ソファーにひっくり返り色々と考えるが、、よし、俺も男だ、退職しよう! 腹は決まった、
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2017-05-14

[第2の人生] 鶴邦丸 ミナ アル アマディ出向 徳山向け

荷役が終わり直ぐに原油を満載した本船は桟橋を離れ徳山(元周南市)に向かった。デッキに出てみると桟橋の灯りがだんだんと遠くなり又17〜8日間の航海の始まりだ、停泊中は煙草を吸う場所も厳しく制限されるし、酒もろくに飲めないし、部屋を出る時、寝る時は部屋に鍵をかけないと物騒だし、見えるのは砂漠だけ、これじゃ航海中の方がましだね。船内時間の零時までワッチ(当直)をしてシャワーを浴びて部屋でビールを飲んでいると、入港前の大失敗の事もあるんだろうが、これから毎航このような航海が続くのかと思うと何だか嫌になってきたね、、やはり船乗りになったんだ、いろいろな国にも行ってみたいね、まーお金を貯めるのならタンカーあたりが一番いいだろうがね、船乗りが嫌じゃないんだが、こんな会社辞めちゃおうか? 入社まえに研究室にいたので船舶会社からの求人情報はよく解っていた、大手海運会社の子会社で東南アジア航路の貨物船だけを運航している会社からも求人が来ていた、辞めてそちらの会社に行くかなー? まー1週間ほどよく考えてみよう、、、デッキに出てみるともうクウエートの港の灯りは見えず、シャーッっと波を切り進み本船の白い航跡だけが月明かりに不気味に見えている、潮風に吹かれ、せっかくシャワーを浴びたのにもう一度シャワーを浴びて寝るかネ、、、
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2017-05-01

[第2の人生] 鶴邦丸 クウエート ミナ アル アマディー入港

日本を出港して17日目の夜、本船はクウェートのミナ アル アマディに着桟した。早速税関、官憲が乗船して入港手続きが行われ約30分ほどで無事終了し、間もなく原油の荷役も始まったが、桟橋にはリベリア船籍のタンカーが1ぱい着桟しているが荷役はほとんど終わっているようでタグボートも近くに待機し、間もなく出港するようだ。停泊中は火気厳禁でギャレーで作る料理もある程度限られる。アルコール類はストアーに入れシールされたのでビールも飲めないし今晩は早めに寝ることにした。しかーしだ! 暑くてなかなか眠れそうにない、部屋に有ったゴザを水で濡らしてベッドではなくソファーに敷いてベンチレーターの風を体に当てて下着一枚で寝ることにしたが、なかなか寝付けない。夜なかじゅう体に風を当てていたせいだろうか、朝起きると体がだるい。積荷中は特に火気厳禁で無線室で書類の整理をしたり掃除をするくらいだ。日中は焼けるように暑い、暑いと言うよりもピリピリと痛いかんじだ。初めて来たペルシャ湾、デッキに出ても遠くに砂漠が見えるだけでなーんにも見えない、クウェートの町にでも行こうと思ったんだが内心がっかりだネ、、
 
日中は焼けるように暑いが陽が沈むと少し涼しくなる、しかし現地の作業員は寒い寒いと言ってセーターを着込みデッキにござを敷いてイスラムのお祈りを始める(写真)、夕食を食べて少し涼しくなったので桟橋を歩いてシーメンズクラブに行ってみた、売店がありお土産などを買うことも出来るが船で土産用のコニャック、壁掛けなどを注文したので特別に買うものもないが航海中の酒のおつまみにピスタチオを買ってみた。他の乗組員に聞くとペルシャ湾の港は何処も砂漠の中で何もないと言う、当社の社船はタンカーがほとんど、こんな筈じゃなかったんだけどなー! 部屋でぼけーっとしているとなにか嫌になってきたねー、、、
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2017-04-19

[第2の人生] 鶴邦丸 とんでもない大失敗

ホルムズ海峡を通過した本船はペルシャ湾をクウエートのミナ・アル・アマディ(Mina Al Ahmadi)に向け航行している。ペルシャ湾と言っても広い、少し白波が立っている、そして右舷にはかすかにアジア大陸のイランが見える、夜にはクウエートのアマディーに入港する予定だ。午後のワッチに入り間もなくクウエートの海岸局(Kuwait Radio/9kk)経由で代理店から電報が来た。本船の積地がアマディーからシュワイバ(Ash Shuaybah)に変更になるが東京の本社から未だ正式に連絡が無い、後ほど又連絡する、と言う内容だ。タイピングしてキャプテンに届けると、電文を見てキャプテンはブリッジ(船橋)に上がって行った。そして数時間後に海岸局が本船を呼んできた、国際電報を受信すると、電文の中に I I と言う文字が続いた、外国の海岸局の場合は I が二回 (・・  ・・)はレピートする意味にも使われる事があるんだが、私は次につながる単語からしてそのまま I I(アイ・アイ) と受信した。
当然だが受信した語数が一語多くなる、どうしょう、! 語数により課金される、焦ったがすぐにQSL(受信証)を送信しないで海岸局を待たせて1階下の通信長の部屋に走って行った。通信長は窓のカーテンを閉めて机に座り墨と毛筆で書道の練習中だった、電文を見せて状況を話すと、、これで良いよ、外国の海岸局の場合は語数が合わない事はよくある事だ、、と言う事でタイプで打ってキャプテンのところへ、やれやれ、、

 
16:00に当直が終わり通信長、三席さんと替わりメスルームで夕食を食べて入港前なので無線室に行くとキャプテンが電報を持って無線室に入ってきた。局長、どうもおかしいんだよなー、代理店が言ってる事と、本社が言っていることが違うんだが、、? キャプテンと通信長が電文を見ながら喋っている中で、、ひょっとして先ほどの電報、私の受信間違いではないのか、、でも通信長はあれで良い、と言っていた。不安になってきたが思い切って、通信長、先ほどの電報は、、、、、、、、! と状況を話すと、通信長の顔色が変わったのが判った、すると通信長の口から思いもかけない言葉が、君たちは未だ慣れないのに早く送信するから相手も早く送信してくる、だから間違うんだよ!ときた、、、
なにー、解らなかったからあんたに聞いたんじゃないか、あんたがそれで良いと言ったじゃないか、、、と思い、口から出かかったが、、しかし、定年前のナンバーワン通信長と言われる人だ、じっと堪えて我慢した、キャプテンが、局長、これは責任問題だぜ! そりゃそーだろう、数万トンのタンカーが逆方向ではないが、少なくとも数時間目的地と違う方向に走ったんだ、入港時間が遅れるのは間違いない、I I (アイ)二文字でほぼ反対の意味に変わってしまった、こういう事もあるんだと、つくづく通信の難しさ、重要性を再認識した。外国の海岸局の通信士はモールス符号が下手な人が多いんだが、
結局、積地は初めの通り Mina Al Ahmadi だ、悔しいやら、腹がたつやら、情けないやら、、、すっきりしないねー、、、
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2017-04-07

[第2の人生] 鶴邦丸、 ホルムズ海峡通過 ペルシャ湾へ

アラビア海からホルムズ海峡に続くオマーン湾に近づくと更に熱くなってきた、暑いと言うよりもチリチリと痛い感じだ、40度はゆうに越している。デッキの上は暑さで焼け付き卵を落とすと半熟の目玉焼きができるだろう、。オマーン湾に入りしばらくすると左舷にアラビア半島が見えてきた、茶褐色の小高い山、地面が焼け付いている感じで船上からは緑なんて全く見えない。
午後からワッチに入ったがこの海域まで来ると日本との時差も大きくなり、日本では夕方から夜に入り通信周波数も一定しない、長崎無線局/JOSでは高い周波数の運用は終了してくるし、その時の空中線状況により周波数を選定する。ワッチ中に日本とQSO(通信)できない時は現地、日本ともに夜になる夜の私のワッチ(当直)まで持ち越しになることが多い。ワッチが終わり夕食を食べにフライングパッセージを歩いていると左舷にオマーン、右舷にアジア大陸のイランが水平線に見えている、間もなくホルムズ海峡(写真)だろう、、。
ホルムズ海峡はオマーンとイランに接する海峡で最も狭いところは30数キロで、日本が輸入する石油の約80パーセントはペルシャ湾から船で運ばれ年間約3400隻の原油、LNGを積載したタンカーがこの海峡を通過し日本に向かう、日本のみならず世界にとっても極めて重要な海峡だ。狭く通過船舶が多く、衝突を避けるため幅3キロメーターの西行き、東行きのレーンが設けられている。
ホルムズ海峡を通過した本船はいよいよペルシャ湾に入った、湾と言っても日本海よりも広い海域だ、ペルシャ湾の奥深くイラクとサウディアラビアに挟まれた小さな国、クウエートに向かう、、、
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2017-03-29

[第2の人生] 鶴邦丸 アラビア海を北上中

セイロン島(現スリランカ)のドンドラ岬を通過した本船はコースを北西にとりペルシャ湾の入り口のオ―マン湾に向け航行している(写真)、日本を出て2週間が過ぎた、本船の1万6000馬力のエンジンは一日も休むことなく動きっ放しだ、あと4日ほどでクウエートに入港する。アラビア海に入ると途端に日本との通信が大変になった、Kuwait Radio/9KK との通信も始まった。焼けつくようなと言うか、ピリピリするような暑さの中をデッキに出てみると本船の横をたくさんの魚が飛び跳ねて本船と並走している、あれはトビウオかな?いやそれにしては随分大きな魚だわ? ブリッジに肩振りに行きクオーターマスターに聞いてみると、あれはイルカですよ!イルカの大群は初めて見た。しばらくブリッジで肩を振り(肩振り、とは船乗り言葉で、暇つぶしをするとか、お喋りをする、と言うような意味だ)ブリッジからそのままフライングパッセージを歩いて艫のメスルームへ昼食に、セコンドエンジニアーは今航日本で休暇下船との事だ、予定では赤ちゃんが生まれるので前航、徳山で休暇下船の予定だったが交代者の手配がつかず1航海伸びたらしい、初めての子供が生まれるのに奥さんの横に居れない、船乗りの宿命だね。今日は洋食だ、分厚いステーキだが私は肉よりも刺身の方が良いがね、、さーてワッチ(当直)に行くか、、、
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2017-03-15

[第2の人生] セイロン島ドンドラ岬通過、乗組員に嬉しい知らせ

昼食をすませてワッチに入ると、まもなくセイロン島(現スリランカ)のドンドラ岬を通過した。今日で日本とは3時間半近くの時差がある、長崎無線局/JOSの一括呼び出しで本船が呼ばれた、この辺の海域まで来ると日本との通信も結構大変になる。一括呼び出しが終わると大体の周波数でQRY(通信順位)をとるがこれに入らないとこの辺まで来ると通信ができないことがある、2台の受信機をフルに使って16Mhzと22Mhzを聞いて長崎無線局/JOSを呼ぶがなかなか連絡がとれない、少し焦りも出てきた、すると南シナ海を航行中の同じ会社の社船 富士山丸が16Mhzで通信した、同じ会社の船なので船の周波数は同じだ、しめた、このチャンスだ!性根を入れてコールすると JHRF QRY5 と戻ってきた、やったー!そして富士山丸との通信が終わり本船の番だ、JHRF DE JOS QTC2 と呼んできた、2通の電報があるようだ。念のためテープレコーダーをセットして通信をすると1通は本社から、もう一通はセコンドエンジニアー(2等機関士)宛だ、 ○八四○オンナノコウマレタ、ボシトモニゲンキ」ハハ とある。そう言えば2~3日前に昼食の時にあまり喋らないセコンドエンジニアーが珍しく、次席さん、この辺でも日本と連絡が取れるんですか? と聞いてきた事を思い出した、結構大変ですがまだ連絡は取れますよ!夕食に行くときに艫のパッセージで会ったので、セコンドエンジニアー、おめでとうございます! と電報を差し出すと、受け取りすぐに読んでいたが、食堂のテーブルに座ると、いやー、予定日を三日ほど過ぎていたので心配していたんですよ、、あまり喋らないエンジニアーが嬉しいのか口が滑らかだ、セコンドオフィサー(2等航海士)がボーイさんに、 おい、メスさん、冷蔵庫から私のビール2~3本持ってきてくれ!セコンドエンジニアーの初めての子供の出産祝いと言うことでテーブルの6人で祝杯をあげた、。夜のワッチの時にセコンドエンジニアー(2等機関士)が缶ビールを3本持って無線室にやってきた、悪いけど電報お願いします、とメモを持ってきた、日本は夜中だし配達は明日でいいですか、いつでもいいですから、ワッチでも終わったら飲んで! とビールを置いて行った。夜になると長崎無線局/JOSの運用している周波数も少なくなる 13006,5KhzのJORでやっと電報を送信することが出来た。デ今日はなんだか良い仕事をしたような気がするな! ドンドラ岬を通過し、コースを北西にとりアラビア海をオーマン湾に向け航行している、自分と遠くまで来たもんだなー!
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2017-03-02

[第2の人生] 鶴邦丸、 インド洋航行中


シンガポール、マラッカ海峡は、北側はマレー半島とシンガポール島、南側はインドネシアのスマトラ島などに挟まれる約1000キロメートルの海峡で、世界貿易量の約半分、世界の石油供給量の約3分の1、日本の輸入原油の約8割が通過する「日本の生命線」とも呼ばれる海上交通の要衝である海峡を無事に通過し、スマトラ島の西端を過ぎるとほぼ真西にコースをとりスリランカの南岸に向ける。南半球は夏でサイクロンでも発生しなければ海上はべた凪、海の色は濃紺で不気味な青さだ、空は真っ青に晴れあがり暑いのなんの、午前中デッキに出て30分ほど日光浴だ(写真)。 昼食を食べて午後からワッチだ、インド洋に出るとヒマラヤ山脈が邪魔をして日本との通信も結構大変になって来たね、、(笑) 午後のワッチでバッテリーの点検をして液が減っている箇所に蒸留水を補液し手入れ、そして充電作業だ、時々比重を測定するんだがバッテリールームの暑い事、40数度はあるだろう、しかし今の時期この海域は比較的に湿度が低い為その割にカラッとしているので助かるネ、、、
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2017-02-23

[第2の人生] 鶴邦丸、 シンガポール通過

南シナ海に入り多少の時化はあったが大した事は無い、デッキに出ると毎日じりじりと照りつける熱帯の天気だが、そんな中でも時々空が急に真っ黒になりスコールがやってくる、バケツをひっくっり返したような降りかただが10〜15分もすればおさまり又南洋の太陽がじりじりと照りつけ、デッキを綺麗に洗い流してくれる。夜になり南の空を眺めると南十字星が高い位置に綺麗に見える、水平線から水平線まで360度、どこを向いても満天の星、洋上でしか味わえない眺めだろう。日本を出て8日目、本船はいよいよシンガポール海峡だ、夕方シンガポールの島影が見えてきた、夕食後甲板部、機関部にスタンバイがかかった。
 
夕食を食べてデッキに出てみるとシンガポールの夜景がきれいだ、早めに無線室へ行き通信長と当直を交代した。早速にシンガポールの海岸局、Singapore  Radio/9VG  の航行警報を受信する。大型船は、船名、トン数、ドラフト(喫水)積み荷、仕向け地、海峡の通過時間、速力、などを無線局に通報し、その資料を海岸局が航行警報として送信してくる。受信した航行警報をブリッジに持っていくと皆ピリピリしている、左舷にはインドネシアのスマトラ島が見える、時々すれ違う大型船の赤、緑の航海灯が不気味だ。無線室で中波(500Khz)を聞いているとインドネシアの海岸局の信号が入ってくるが空電がガリガリとひどい、思わずボリュームを下げたくなる。当直が終わりオートアラーム(警急自動受信機)のテストをして一日が終わった。そしてシャワーを浴びて一杯の時間、この時間が一番楽しみだ、目が覚めればマラッカ海峡(写真)だろう、、、。
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2017-02-11

[第2の人生] 鶴邦丸、 南シナ海 次席通信士の一日

日本を出港いらい順調な航海を続け5日目、真っ青な南シナ海のど真ん中をシンガポール向け航行中だ、三島型の本船は船首楼に部屋、仕事場があるため静かで乗船中であることを忘れてしまう、40名近い乗組員で船橋楼に居るのは、船長、1等航海士、2等航海士、3等航海士、通信長、次席通信士、3席通信士の7名だけで静まり返っている。デッキに出て船尾(後ろの方)を見ると真っ青な海に白い航跡をのこし煙突からわずかに白い煙が出ていて航行中であることがわかる(写真)
 
朝食は抜きでだいたい9時過ぎころに目が覚める、カーテンを開けてポールド(窓)から船外を覗くと晴れわたり暑そうだ。顔を洗い歯を磨き、着替えを済ませ、そろそろ無線室ではお茶の時間だ、無線室へ行くか、、無線室は1階上にある、おはようございます! それじゃお茶にしようか、通信長、三席さんと3人でお茶だ、通信長はあまりコーヒーを好まないようだ、昔の人だねー、三席さんは初めての乗船で通信長に仕事以外でも、船での礼儀、規則など、いろいろと指導されているようだ。1時間ほど無線室で肩を振り、部屋に戻りソファーにひっくり返り本を読む。11:30フライングパッセージを歩き船尾楼のメスルーム食堂まで食事に行く。12:00からワッチのセコンドオフィサー(2等航海士)、セコンドエンジニアー(2等機関士)と三人で昼食、単純な船内生活で食事が楽しみの一つで食事は豪華だ、部屋に戻るとボーイさんがベッドメイク、部屋掃除を済ませて部屋は綺麗になっている(写真)10分前、さーて行くか!
 
11:50 有難うございました、交代します! はい、別にありません、じゃお願いしますね! 通信長が無線室を出て行く、この航路でシンガポールまでは日本との時差も少なく日本との通信は昼間は16Mhz、22Mhzで容易にできる、当直中は500Khzの聴守、長崎無線局/JOS、銚子無線局/JCSの一括呼び出しの聴守、天気図の受信、新聞、航行警報などの受信、電報、気象通報などの送受信、そしてログブック(業務日誌)に記入、などが主な仕事だ、、14時、さーてと、休憩するかネ、、一人でコーヒーを入れてセブンスターを喫って一服する、もちろん休憩中でも500Khz聴守,無線局の一括呼び出し、FAXの受信などがあり、時計、時間は常に頭においておかなければいけない、時間も船内時間、日本時間/JST、世界時間/GMTを使うわけだ。今日は電波法で定められている救命艇用携帯送受信機の試験をする日だ、デッキに出てホイップアンテナを延ばし、ハンドルを廻し発電し各部の動作状況を確認し、結果をログブックに記入する。
 

船内時間の4時に当直が終わり又通信長、三席さんと交代し4:30から夕食を食べに又フライングパッセージを100メーターほど歩いてメスルーム食堂まで行く。夕食後は今のように洋上ではテレビも見れないし、パソコンも無い、レクレーションルームへ行って古いビデオを見るんだがそれも数日で観終わってしまう、船内では麻雀が盛んだが未だマージャンの知らないhamさん、部屋に戻りベッドにひっくり返り本を読む。

20時より夜の当直が始まるので19:50無線室に行き通信長、三席さんと交代する、夜の当直はほとんど無線室に尋ねてくる乗組員はいない、シンガポールまでは日本との通信は12Mhz,8Mhzで容易に出来る。そして12時前にオートアラーム(警急自動受信機)の動作試験をして結果をログブックに記入、Tested auto alarm in good condition and then commenced watch on auto alarm at 16XXgmt  当直が終わった、、。
 

船内時間の夜中の零時に当直が終わり、部屋に戻り素っ裸になり腰にバスタオルを巻いてバスルームへ、船内では清水は貴重だ、3日に一度洗濯をするが洗濯機を回して湯船にどっぷり浸かる、湯船は海水風呂だがシャワーを浴びて部屋に戻り、パントリーの冷蔵庫に冷やしてある缶ビールを2缶、簡単なオツマミで乾杯といく、一日でこの時間が一番幸せだ、ビールを飲みながら時々、柄にもなく日記をつける、、1時半か2時頃にはベッドに入り本を読むんだが、知らないうちに寝ているね、、、。
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2017-02-04

[第2の人生] 鶴邦丸、バリンタン海峡通過

山口県の徳山を出港して順調な航海が続き3日目、無線室のポールド(窓)を覗くと、なにやら島らしいものが見える、確かサードオフィサー(3等航海士)はシンガポールまで島は見えないと言ってたなー? 無線室のあるフロアーは無線室とキャプテンの部屋だけだ、直ぐ上の階がブリッジ(船橋)になる、階段を登りブリッジに行ってみると、セコンドオフィサー(2等航海士)はチャートルームで仕事をしている、おー、次席さん、コーヒーでも飲んでいきなえ!クオーターマスター(操舵手)は外でペンキ塗りをしている、セコンドオフィサー自らコーヒーを入れてくれた、色々と話が弾む、あんたの先輩の○○さん、奥さんすごく美人なんだよなー、女優みたいだよ、彼にはもったいないよなー! あの島は何処の島ですか、今ちょうどバリンタン海峡で、あれはフィリピンのバブヤン諸島の島ですよ、、との事、コースによって見える時と見えない時があるそうだ。復航は台湾寄りのバシー海峡を航行する事になるようだ、本船の横を2~3千トンくらいの貨物船が走っているが、本船よりスピードも遅いようだ、段々と本船より離れて行く。この航路はシルクロードならぬオイルロードとよばれ日本と中近東、ペルシャ湾を結ぶ、石油資源の乏しい日本にとって極めて重要な航路だ、日本からペルシャ湾まで約6,500マイル(約12,000キロ)、片道18~9日の長い航海だが、まだ始まったばかりだ。
 
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2017-01-23

[第2の人生] 鶴邦丸、奄美諸島沖を南下中

山口県の徳山を出港して翌日、本船は奄美諸島の東海上をペルシャ湾に向け航行している。海上はところどころで白波が立っているが大型船の本船はびくともしない、入社後初めて乗船した冬の北米航路の瑞陽丸の時とは船の大きさも違うが天国と地獄の差だね、三島型の本船は無線室や部屋に居てもエンジンなどの振動は全く無く乗船中の事を忘れさせるほど静かで乗り心地が良い、、緊張していて8時過ぎに目が覚めた、午後からのワッチ(当直)には早すぎるし、思い切ってブリッジに肩を振りに行くか、午前中はサードオフィサー(3等航海士)の当直だ、着替えてブリッジに上がってみるとチャートルームでポジション(位置)を入れていた、やー、いらっしゃい、コーヒーでもどうぞ!クオーターマスター(操舵手)がコーヒーを入れてくれた。サードオフィサーは瀬戸内海の国立の商船高校出身、クオーターマスターは能登半島出身だと言う、当社には私の先輩が何人もいる、先輩の話などをいろいろと聞かされた。ウイングに出てみると(写真)先ほどまで見えていた奄美諸島の島影も消えている、いよいよ日本ともお別れかな! 2月とは言え沖縄近くまで南下すると寒くはない、むしろ初夏を感じる、ちょうど大手海運会社の大型タンカーが日本に向け北上しているのが見える、、さーて、昼食を食べて午後からワッチだ!
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2017-01-13

[第2の人生] 鶴邦丸、徳山出港クゥエート行

本船、鶴邦丸/JHRFは徳山で2晩停泊し3日目の2月26日朝、製油所の桟橋を離れクウエートのミナ・アル・アマディーに向けた。ボートデッキに出ると海を渡る風は冷たい、40日くらい日本ともお別れだ、こんど日本に帰る頃は桜の時期だろう、島影が段々と小さくなってくる(写真)周防灘を南下し左舷に四国の山々、右舷に大分県の国東半島の山々が臨める、大小たくさんの船が行き交う、
 
 
日向灘を南下し、奄美諸島、沖縄、台湾の東岸を南下し台湾、フィリピンの間のバシー海峡から東シナ海に入りシンガポール海峡、マラッカ海峡からインド洋を東に進みスリランカからアラビア海に入り今度は北西に北上しオマーン湾からホルムズ海峡を通りペルシャ湾に入りクウエートに向かう航路だ。
無線室に行くと通信長と三席さんが当直だ、コーヒーでも入れますか! すると、いや、旨いお菓子があるからお茶にしましょう! 徳山で奥様が訪船された時のお土産で新潟の銘菓との事だ、通信長の郷里も私と同じ新潟県との事でびっくり、船乗りと言う感じは全くしない、温厚な喋りかた、風貌は定年前のお爺ちゃん、と言う感じで安心した。クウエートの事を聞くと、ペルシャ湾は何処に行っても同じで砂漠ばかりだよ!との事で内心がっかり、以前は貨物船で色々と世界一周された話も聞いたが今はそのような貨物船は無くなったとの事で残念だ。さー、午後からワッチだ、 艫(船尾)の食堂までフライングパッセージ(船首から船尾までデッキの上に通路が通っている)を周りの景色を眺めながら歩く、ちょうど大分県と愛媛県の間の豊予海峡を通過中だ、、
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2017-01-05

[第2の人生] 徳山にて鶴邦丸乗船


家の周りでは1メーター50センチくらいの積雪だ、雪が多くて町に出るにもでれなく、お蔭で家でのんびり過ごすことが出来た。秋頃には休暇で下船するので今年の正月は新潟に帰ってくるよ! と家族に言い残して高田駅より特急白鳥に乗り上野に向かった。やっぱり特急は良いねー、、研究室により恩師に乗船の挨拶をして、剛邦丸で遊びに行き楽しかった徳山のキャバレーにでも行こうかと思ったが、これからは毎航40日くらいで入港するんだ、楽しみは入港時までお預けだな。今晩は青雲寮に泊まり翌日羽田から宇部空港に向かい午後に製油所に着桟している鶴邦丸/JHRFに乗船した(写真)
就航時は一時世界一の大きさを誇っていたようだがね、、、乗船し先ず通信長に挨拶、続いて交代する次席さんに挨拶し、一緒に乗船する事になっている三席さんは既に乗船していた。キャプテンに乗船の挨拶をして下船する次席さんと引き継ぎをして夕食時にサロン士官、メスルーム士官に挨拶をして鶴邦丸の乗組員となった。通信長は定年前のベテラン通信長だ、温厚そうな風貌、優しそうな喋りに安心したネ、明後日の早朝にはクウエートのミナ・アル・アマディー向け出港する、、、
 

鶴邦丸/JHRF

総トン数    29,408トン

重量トン数   50,340トン

長さ       213メーター

幅        30,5メーター

深さ       15,2メーター

エンジン    16,000馬力



 
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2016-12-22

[第2の人生] 帰省

青雲寮から研究室へ通い、いろいろと手伝いをしたが乗船まで4~5日新潟の実家に帰る事にした、今度はいつ帰れるか解らないしネ、、お土産にちょっと奮発して虎屋の羊羹を買い、上野駅から今度はちょっとランクアップで急行白山ではなく特急白鳥だ(写真)、上野駅の14番線から出たような記憶があるが確かではない。9時少し前に上野駅を出発し高田駅には確か午後の2時過ぎに着いたような気がするがね、、食堂車も連結されている、腹も減ったし食堂車に行きカレーを食べた、そして長野を過ぎると車窓から少しずつ雪が見え始め田口(現妙高高原)に着くと大変な雪だ、そして高田駅に降り立つと想像通りの雪だね、夕方には3か月ぶりに家に着いたが2メーターくらいの積雪だが、久しぶりに田舎料理を食べてのんびり過ごした、、、
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2016-12-13

[第2の人生] 青雲寮

油送船 ”鶴邦丸” に乗船するまで青雲寮(写真)でお世話になる事にした。寮と言えば名ばかりで、東京の高級地、高輪の泉岳寺の横に位置する場所にはおおよそ不似合いな築4~50年は経っているであろう、この辺は空襲に遭わなかったんだろうか、木造二階建ての一般の住宅を改造して寮に使っている。一階は8畳ほどの部屋がリビング兼食堂兼自習室だ、両側の押入れがカーテンで仕切られたベッド兼自室だね、プライバシーなんて気の利いたものは持ちあわせていない。二階はお客さん用、先輩用に使っている、ここで6名の学生が交代で食事を作り、朝6時の総員起し、甲板掃除(掃除)、国旗掲揚、から消灯まで規則正しい寮生活を送っている。ここの寮生活を送った経験のある学生はひと味ちがうのは言うまでもない、卒業後、国家試験に合格し船会社に就職する時に、寮にいた学生を指定して採用する会社があったのも事実だ。私は今は卒業した先輩だ、甲板掃除や食事当番は無いが決してだらしのない生活は出来ない、6時の総員起こしには起きて学生達と一緒に食事をする、朝食はアルマイト(金属)の食器に、ご飯とみそ汁、それにせいぜい生卵か焼き海苔くらいだ、このアルマイトの食器は味噌汁などが入っていると熱くて持つのが大変でコツがいる。毎朝食事当番の学生が寮長から食費を預かり買い出しから食事つくりまで担当する、少ない予算からなんとかやりくりをしなければいけない、寮の近くにある行きつけの八百屋の大将が、今日は何を作るんだい、これ余ったから持ってけや、、、とよくタダで頂いたもんだ、礼儀正しい寮生は近隣の商店街では評判が良かったネ。寮でのアルコールなんてもってのほか、それでも月に一回、誕生会と呼ばれる日がある、誕生会と言っても名ばかりで、いわゆる飲み会だ、この時ばかりはおおいに飲むが回り近所に迷惑をかけるのは厳禁だ。寮には風呂が無いので近くの銭とへ行くんだが、途中に某薬科大学の女子寮があり、ここの前を通るのが楽しみだったね、乗船までの2週間ほど青雲寮から学校までの生活が始まった、、、。
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2016-12-04

[第2の人生] 剛邦丸下船、母校へ

横浜の京浜港で油送船”剛邦丸”を下船し、故郷の新潟へは帰らずに母校に向かった。お世話になったK先生に挨拶をするため研究室に行くと、おー、待ってたよ、乗船まで後輩たちの面倒をみてくれ、、それと午後の俺の授業、お前にやるから学生たちに色々話をしてやってくれや! とあいかわらずだ。昼は久しぶりに近くの喫茶店 ”チロナ” でスパゲティーナポリタンを食べたが、ここのナポリタンは絶品だ、マスターが、 ○○さん、久しぶりですね、休暇ですか? いや、休暇ではないんですが転船で暫くお世話になりますよ、、90分もの授業時間だ、学生たちに何を話そうか、内心不安だネ、しかーしだ!船内生活、アメリカ、タコマ、日本の港の事、などなど話し始めると学生たちの目が輝いている、俺も学生の頃はこうだったなー、何とか70分間話をして質問を受けると沢山の質問がきた、、なかには 先輩、どこの港の女が一番よかったですか? 授業がもり上がり、先輩、4時間目の外法(国際電気通信条約)の授業も続けて話をしてもらえませんか! それはS先生の授業だ、この話の続きは又この次にしよう、と言う事で心配した90分の授業は大盛況で終わった、、、
 
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2016-11-25

[第2の人生] 剛邦丸、横浜にて下船

鹿児島の錦江湾にある喜入石油基地を出港した本船は横浜の○○石油に向かった、桜島、開聞岳は暫く見る事ができないな。夕方、左舷前方に白い灯台が見えてきた、潮岬の灯台だ、同級生のY君がこちら串本町の出身だ、学生のときに遊びに行き潮岬、串本町、など色々と案内してもらったし、一年間同じ下宿で過ごした仲間だ。明日の朝には横浜の○○石油の専用桟橋に着桟し午後には下船になる、夕食後下船準備をしたが、準備と言ってもカバン一つだ、湯船にどっぷりと浸かり貯まった洗濯をして部屋中に干したが暖房で朝までにはからからに乾く、、一杯の飲んで早めにベッドに入った。朝タグボートが来て桟橋に着桟し、本社から担当者が来船してきた。鶴邦丸の次席さんは前航休暇下船予定だったが交代者の手配がつかず1航海下船を延ばしてもらったが今回も交代者がいなく、止む無く私が交代で乗船する事になったようだ、今の予定では2月24日に徳山で乗船予定との事だ、一緒に新入社員のD君が三席で乗船予定との事だ。昨年の11月25日に尾道の向島ドッグで瑞陽丸に乗船し北米に1航海乗船、宇野で錦陽丸に転船し博多で下船、翌日に下松でタンカーの剛邦丸に転船、喜入、徳山、喜入、横浜と廻り2月1日に横浜で下船だ、2ヶ月ちょっとで三ばい乗船した事になる。昼食を食べて下船旅費を頂き剛邦丸のタラップを下りた。鶴邦丸に乗船まで少し時間があるので新潟には帰らずに久しぶりに学校に向かった、、、
 
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2016-11-12

[第2の人生] 鹿児島喜入出港、横浜行き


大隅半島の山々を右舷に見ながらコースを大きく変えて鹿児島の錦江湾に入った、左舷には薩摩富士、開聞岳の美しい姿が見えている、何回見ても綺麗な山だねー、まさかこの美しい山に登ることになるとは夢にも思わなかったネ、、そして間もなく喜入の石油基地(写真)に着桟し直ぐに荷役作業が始まった。揚げ地が徳山から横浜に変更になり気が冴えないが仕方がない、又行く機会があるだろう。本船にはまだ乗船したばかりで乗組員の顔もよく解らない、メスルーム士官の顔は食事のテーブルが一緒なのでなんとか覚えたていどだ。映りの悪いテレビをちょっと見て部屋で一人で軽く一杯やりシャワーを浴びて早めにベッドに入り、極めて健康的な生活だ。翌日昼前に喜入を出港し横浜に向かった、朝には横浜に着くだろう、、、
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2016-11-02

[第2の人生] 徳山出港、喜入行き

徳山で原油をおろした本船は又現鹿児島市の喜入の石油基地に向け出港した(写真)。徳山市のキャバレーで同じ席に付いたウエイトレスの女性、偶然にも同県人でしかも隣の柏崎市出身と言うことで意気投合し次航また再会を約束して別れたんだが、頼む、揚げ地は徳山になってくれ!  午後次席さんとワッチに入っていると食事の終わった通信長が無線室に入ってきた。三席さん、本船は喜入で積んで揚げ地は徳山から横浜に変更だそうだ、三席さんは横浜で下船で24日頃に徳山で油送船 鶴邦丸/JHRF(50,340D/W)に転船だそうだ! なにー! 11月下旬に北米航路の瑞陽丸に乗船以来2ヶ月ちょっとで3回目の転船だ、会社は一体何を考えているんだい、しかし雇われている身だ、仕方があるめー。大隅半島をかわし錦江湾に入ると美しい開聞岳の姿が目に入る、前方には桜島が見える、そして間もなく本船は喜入の石油基地に着桟した。朝には荷役も終わり横浜に向け出港するだろう、、、
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2016-10-26

[第2の人生] 剛邦丸、 徳山の夜

夕食が済み船にいても退屈でしょうがない、ちょっと一杯でも飲みに行くか、通信長に ちょっと買い物
に行ってきます!
 嘘もほうべんだ。ちょっと時間が早いので時間調整にパチンコに寄ったがパチンコは得意でもないしどうでも良い、とにかく1時間ほどつぶすのが目的だ。さーて知らない土地だ、何処へ行けばいいんだい、、こう言う時はタクシーに乗るのが一番いい、運転手さん、何処か面白いところありませんか? お客さん、面白いところって飲むところですか、徳山(現周南市)は全国的にも飲み屋が多いところなんですよ、との事だ、これだけの町だ、キャバレーの一軒や二軒はあるだろう、と言う事でキャバレーに連れて行ってもらった、結構おおきなキャバレーだ、ボーイさんが、お客さんご指名は? と聞いてきたが、 いや初めて来たんです、一つのボックス席に案内されて待っていると、間もなく20歳代の女性が席にやってきた。決して美人ではないが整った顔つきの魅力的な女性だ、ステージではショーが行われているが、そんなことは全く興味が無い、色々と話をするが、どうも言葉は東日本の様で歯切れがいい、あなたは出身は何処ですか、と尋ねると北の方ですとの事だが、試しに、美人だから秋田県でしょう! すると、もう少し南の新潟県です! えッ、私も新潟県出身で高田だよ、 すると、私は隣の柏崎市です、との事。同じ同県人と言う事ですっかり意気投合したネ、柏崎出身の女性がなんでまた遠い山口県の徳山市で働いているのか尋ねると、東京で知り合い結婚し、旦那さんの郷里の徳山市に来たが1年前に離婚しこちらで働いていると言う、よくある話だが、彼女を指名しなるべく長い間席にいてもらう事にしたが同じ同県人だ、話は尽きないが何故か今夜は酔わない、しかーしだ! 見習いの身で朝帰りはまずいだろう、本船は今のところ内航に従事しているので徳山は近いうちに又入港するだろう、名残惜しいが再開を約束し、後ろ髪をひかれる思いで船に戻った、、、
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2016-10-17

[第2の人生] 剛邦丸 鹿児島喜入出港、徳山行

本船は原油を満載し昼前に喜入基地を出港した。外国航路に従事している時は日本では2晩停泊するが本船は今のところ内航に従事しているので荷役が終了すれば一晩で出港する。当初は喜入で積み込み横浜揚げの予定であったが急遽、山口県の徳山(現周南市)揚げに変更になった。食事に行くのにフライングパッセージを歩きながら景色を眺めると、錦江湾に桜島、そして指宿の開聞岳、何回見ても美しい姿だ。午後の次席さんのワッチに入ると、三席さん、JDA/鹿児島無線局とJIT/大分無線局にTRを入れてくれますか! JDA DE JMJG TR 中波の500Khzで鹿児島無線局/JDAをコールすると直ぐに応答がある、JMJG DE JDA QSW 通信波に変更して 1110 キイレハツトクヤマユキ と打電すると JMJG DE JDA QSL NW NIL 大分無線局/JITにもTRを送り日向灘を北上している、時々大型船、漁船、内航船などと行き交う、やがて右舷に四国の山々も見えてきた。夕食時に同じテーブルのセコンドオフィサー(2等航海士)に麻雀を誘われたが内心、未だ見習いの身で麻雀はまずいだろう、断るのも悪いし、すいません、麻雀は知らないんです、 すると 麻雀を知らないなんて、学生の時何してたの! 夕食後は通信長、次席さんのワッチに顔を出したりして過ごす。
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2016-10-07

[第2の人生] 剛邦丸、 岩国出港 鹿児島喜入入港

早朝に本船は山口県の岩国を出港した。周防灘を航行しているが大型タンカー、鉱石専用船、フェリー、漁船、内航の貨物船などが行き交い右舷には大分県の国東半島だろうか、左舷には四国だろう、瀬戸内の島々など絵でも見ているようだ。やがて愛媛県の佐多岬と大分県佐賀関の間の豊予海峡だ、佐賀関の日本鉱業佐賀関製錬所(現パンパシフィック)の煙突が見えるね、、まさか数か月後にはこの日本鉱業佐賀関製錬所に入るニッケル鉱専用船に乗船するようになろうとは夢にも思わなかった。午前中は通信長のワッチに、午後は次席さん(2等通信士)のワッチに入ることになった、次席さんは薩摩半島の漁町の出身で、三席さん、喜入に着いたら実家に帰ってくるので頼むね!とのことだ。三島型の本船は船首にある無線室、部屋にいるとエンジンの振動も無く乗船中であることさえ忘れそうだ。豊予海峡を通過して間もなく映画、喜びも悲しみも幾とし月 の舞台にもなった水の子灯台(写真)が見えてきた。
 

右舷に九州の島影を見ながら日向灘を南下し大隅半島から錦江湾に入った、おー、あれが桜島かー、左舷には薩摩富士、開聞岳の姿が美しい、静かな錦江湾を滑るように走り間もなく喜入の石油基地(写真)に着桟した。次席さんは家に帰るため下船していったが、鹿児島までは遠いし、乗船したばかりだ、おとなしく船にいる事にした。
 

JX喜入石油基地

近年の日本国内、国外の急激な社会情勢の変化や不測の事態に対応するために石油備蓄を行っているが喜入基地はその役を担い、現在は735万KLの貯蔵能力があると言う、30万トンクラスの大型タンカーで海外(主にペルシャ湾、インドネシア)から輸入し一旦タンクに貯蔵し国内の各石油基地に10万トンクラスのタンカーで輸送する。年間約200隻以上の大型タンカーが入港し、約350隻以上のタンカーがこちらから重油などを積み各地の石油施設に向かう。



 
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2016-09-25

[第2の人生] 剛邦丸乗船

博多港で北米航路の綿陽丸を下船し電車で山口県の岩国に着いた、代理店に電話を入れると乗船予定の剛邦丸は明朝着桟予定と言う。さーて、どうしたもんだ、、小さなビジネスホテルにチェックインし今夜はこちらに泊まることにした。一杯飲みに行きたい気もするが自動販売機で缶ビールを買い、部屋でテレビを見ながら一人で一杯だ、、、
翌朝代理店に寄り代理店の車で広大な製油工場の中を通り専用岸壁に着くと本船はちょうど着岸中だ、本船は今は国内航路に就航しているため税関などの入港手続きは無いため直ぐに乗船できる。就航当時はスーパータンカーと呼ばれていた、さすがにでかいねー、もちろん今までに乗船した船では一番大きい(写真)、船体も溶接ではなくリベットだ。乗船し無線室へ行くと通信長と次席さんがおられ乗船の挨拶、通信長が、三席さんは昼間だけ私と次席さんのワッチに一緒に入ってくれ との事、昼食時にサロン食堂に行きサロン士官のキャプテン(船長)、チョフサー(1等航海士)、チーフエンジニア―(機関長)、ファーストエンジニア―(1等機関士)、通信長、に乗船の挨拶をしたが流石に本船は豪華だね、メスルームに行きセコンドオフィサー(2等航海士)、サードオフィサー(3等航海士)、セコンドエンジニア―(2等機関士)、サードエンジニア―(3等機関士)、次席さん(2等通信士)に乗船の挨拶をして本船で初めての食事だ。明朝には荷役作業が終了し鹿児島県の喜入に向かい、原油を積んで揚げ地は北海道の室蘭か山口県の徳山との事だ。

 

剛邦丸/JMJG

 

総トン数   28,294 トン

重量トン数  50,408 トン

長さ      213 m

幅       30,5 m

建造    昭和33年11月11日 播磨造船所(相生工場)

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2016-09-17

[第2の人生] 綿陽丸、 博多にて下船

朝の7時半、目覚まし時計がけたたましく鳴った、昨夜は飲みすぎで完全に二日酔いだね、急いで着替えて洗面を済ませてサロン食堂へ行き朝食だが二日酔いで食欲が無い、、。食事を済ませお湯を沸かしていると通信長がやってきた。横浜市在住のベテラン通信長だ、お茶を飲み書類、消耗品の整理をやっているとキャプテンがやってきた、次席さん、本社の船員課から今電話が来て明日の朝までに岩国で剛邦丸に乗船してくれとの事だ、宇野で下船した次席さんは夕方までに本船に乗船するそうだ、忙しいがたのむよ! との事だ、明日の朝までにと言っても山陽新幹線がまだ開通していない、今日中に乗船しないといけない。下船の事よりも正直なところ中洲のスナック「汽笛」、今夜も行くとママさんと約束をしたのに、参ったなー! 剛邦丸はタンカーだし博多に入港する事は無い。さっそく下船の用意をし本船での最後の昼食を食べ、後ろ髪をひかれる思いでタラップを下りた。こんど本船にはいつ乗船できるか解らない、乗船期間は短かったが思い出深い時を過ごした、、岸壁から本船に軽く敬礼をして博多駅に向かった、、、
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2016-09-09

[第2の人生] 綿陽丸 福岡中洲の夜

沖待ちの間はちょっと昼間散髪に行っただけだ。夜中洲(写真)の”スナック 汽笛”に行きたかったんだが他人の目もある、乗船したばかりの者がそうそう毎夜のみに行くわけにはいかない。3日間の沖待ち後本船は岸壁に着岸した、4日間ほど荷役がかかるようだ。夜夕食を食べて通信長には、ちょっと買い物に行ってきます、と話し上陸した。着岸しているので何時でも船に戻れるし何時戻ったかもわからない。今日は店が閉まるまで”スナック 汽笛”で飲もうと思うんだが、そんなに長く店にいたんじゃ金が持たない、安そうな居酒屋に寄り少し下地を入れていくことにした。ビールを2本ほど飲み、なるべく時間をかせぐ、そしてお目当てのスナックのドアーを押した、頼む、混んでいないように! 若い女の子とママさんと二人の小さなスナックだ、中に入ると一つのボックス席に二人いるだけ、シメシメ、、カウンターに座ると、本当に来てくれたのね、嬉しいわ! ビールを準備しているので、今日はもうビールは飲んできたからウイスキーでいいわ、、 余計なお金を使わないでまっすぐに来えは良いのに!  内心、こっちのふところの都合もあるわ、、しかし悪い気はしないね。森 進一 の「港町ブルース」を有線放送にリクエストしてくれたようだ、この曲を聞くと妙に心が落ち着く。お客さんは博多の人ではないでしょう!別に隠す必要もないだろう、外国航路の船員である事、などなど話すと聞きもしないのに自分の身の上話を始めた。長崎県の小さな港町の出身で一度結婚したが半年で離婚しバツイチだと言う、決して美人ではないが何故かちょっと魅力的な感じだ、ヤバイ、ヤバイ、 歳は同じくらいか少し上かな、、気が付くといつの間にか店は私が一人、時間も零時を廻っている、そろそろ帰らなくちゃ、お勘定をするとびっくりするほど安い、えッ、ママさん、こんなに安くていいの? いいの、又明日来てね! 内心、又明日来ようぜ、、、
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2016-08-30

[第2の人生] 綿陽丸、博多入港、中洲へ

いつもはエンジンの心地良い振動の中で目が覚めるんだが、いつもと違う雰囲気に目が覚めた、シーンとしている、慌ててベッドから飛び起きてポールドを覗くと本船は停船している、直ぐに着替えて無線室にいくと通信長が書類の整理をしている、おー次席さん、まだ寝ていればいいのに、本船は3日間ほど沖待ちだ! との事。なにもやる事がない、テレビを見るか部屋で本でも読むか、なにもやる事が無いのも辛いもんだね、乗船したばかりで飲む酒も無い、夕食を食べて酒を買いに通船で上陸した、本船のほかに港内に停泊している他の船にも寄るので3~40分ほどかかった。一軒の酒やに寄り、ニッカG&Gと缶ビールを買い、船に戻るのもちょっと早いし最終の通船で帰ればいい、、そうだ、中洲にでも行ってみるか、タクシーで歓楽街の中洲に行き、あても無くぷらぷらと歩いていると一軒の看板が目に入った、 スナック 汽笛 と書いてある。引きつけられるようにドアーを押して中に入るとボックス席が一つとカウンターだけの小さな店だ、カウンターに先客が一人だけ、ボックス席に誘われたが、いやカウンターでいいよ、酒やで買ったウイスキーとビールの入った紙袋をカウンターに置くと勝手に覗き込んで、あら、ビールとウイスキーじゃない、酒を売る店だから持ち込みはダメよ! こっちも負けておれない、 なんだよ、持ち込めば安くあがると思ったのに、、 冗談がきついわね、いまのようにカラオケなんてない、有線んで森 進一の「港町ブルース」をリクエストして、しんみりと聞いているとカウンター越しに前に来て、森     進一が好きなんですか!と言う、いや、森 進一が好きなんじゃない、この歌が好きなんだ、お店のあちこちからよく流れていた曲で好きな曲だ。ママさんにお店の名前「汽笛」の由来を尋ねると、長崎県の小さな港町の出身と言い、汽笛の音が好きで汽笛の音を聞くと故郷を思い出すと言う。私は上陸するときはいつもネクタイをしてスーツを着ていくことにしている。お客さんは博多の人ではなさそうだけど、どんな人? どんな人って、普通の人さね、、だんだんと良い雰囲気になってきた、もう少し居たいんだが最終の通船の時間が迫ってきた、これに乗らないと船には戻れない、名残惜しいが又来る約束をして船に戻った、、、
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2016-08-21

[第2の人生] 瑞陽丸下船、綿陽丸乗船、博多向け

瑞陽丸での最後の朝食を食べてキャプテン、通信長、乗組員に挨拶を済ませ1航海お世話になった本船のタラップを降りて岸壁の隣に着岸している綿陽丸のタラップを登り同じ北米航路の貨物船、錦陽丸に乗船した、総トン数9,627トンの本船は瑞陽丸より1年早く就航した船で大きさもほとんど同じだ。宇野港で積み荷の北米材を半分ほどおろして残りは博多港での2港揚げになる。宇野港での荷役も終わりハッチ(船倉のふた)を閉めたり出港の準備をしている。通信長の部屋に挨拶に行くと、おー、次席さんかね、よろしくたのむね! 無線室に行き先ずキャプテンの部屋に挨拶に行った、あとは昼食時に挨拶をすることにしてお茶タイムだ、、、昼食時にサロン士官、メスルーム士官に挨拶を済ませ午後、博多に向け出港した。デッキに出てみると大小たくさんの島が見渡せ飽きない光景だ(写真)、夕方デッキに出ると島々に電気が灯り、あちこちの灯台が光を放っている。夜の当直が終わりシャワーを浴びて本来ならビールをグイッといくところだがビールもないし入浴後おとなしく寝ることにした、目が覚めれば関門海峡を通過して玄界灘に出ているだろう、、、
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2016-08-12

[第2の人生] 瑞陽丸 宇野港入港 錦陽丸転船

1か月以上も日本を離れるのは勿論はじめて、学生の時に乗船実習でマレーシアに行き20数日間日本を離れたのが一番長かった。昨夜は興奮してなかなか寝付けなかった、あさ目が覚めてベッドからカーテンを開けてポールド(窓)を覗くと右舷に白い灯台が見える、潮岬灯台だ、学生の時に仲のいい仲間が串本町の出身で彼の家に遊びに行き串本町の橋杭岩、大島、潮岬に行ったが、灯台はやっぱり海から見るのが良いねー、 コースを少し変えて間もなく紀伊水道にさしかかり大小おおくの船が行きかう、大阪港、神戸港には沢山の船が停泊し、沖待ちしている、そして暫くで宇野港の材木岸壁に着岸した。岸壁には転船する予定の北米航路、総トン数9,627トンの錦陽丸が着岸している、同じファンネル(煙突)マークの船が並んで着岸する光景も珍しい。さっそく官憲が乗船し入港手続きが始まった、乗組員の大部分がサンキストオレンジを買っている、こちらの植物検査、携帯品の通関作業などで目の回る忙しさだ。入港手続きが終わり乗船してきた交代の次席さんと引き継ぎを行いサンキストオレンジを田舎に送ろうと担いで発送に行ったが、田舎ではこんな美味しいミカンは見たことも勿論食べたことも無いだろう、アメリカのミカンだきも、食べてみてくんなえ! 隣近所に配ってあげるんだろう。錦陽丸には明日乗船しようと思うが夕食後となりの錦陽丸に挨拶に行ったが通信長は家に帰っていて夜船に戻るとの事だ。本船に戻り通信長、交代の次席さんと三人で歓送会と言う事で一杯を始め、瑞陽丸での最後の夜は更けていった、、、
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2016-07-30

[第2の人生] 瑞陽丸 懐かしい日本の島影

アメリカ、ワシントン州のタコマを出港以来、連日の時化で入港が1日半遅れることになるが、日本近海に来てようやく時化もおさまってきた。そして右舷に日本の島影が見えてきた、房総半島の野島崎だ、1か月ぶりに見る日本の島影、1年も日本を離れたような錯覚を起こす、コースを西にとり東京湾の入口だ、大小沢山の船が行きかう、伊豆大島、三浦半島、そして右舷に伊豆半島から富士山が望める(写真)やっぱり日本一の山は美しいね! 午後から通信長に変わりワッチ(当直)に入っていると食事の終わった通信長が無線室に来て、次席さん、キャプテンが本社に電話をして聞いたところ宇野で錦陽丸に転船の件だが話はこうだ、、、錦陽丸の次席さんだが、事情があり急に下船願いが出て宇野で下船したとの事だ、交代を予定している次席さんも事情があり直に乗船が不可能で、錦陽丸は宇野と博多港の2港揚げで博多を出港するまでには乗船が可能と言う、、と言う事は私は宇野から博多まで乗船し博多で下船となり、その後はどうなるんでしょうか? すると、今の予定では博多で錦陽丸を下船後、翌日に山口県の岩国で剛邦丸に転船の予定らしいよ、、との事。剛邦丸は就航当時はスーパータンカーと呼ばれた約4万トンのタンカーだが今は国内航路に就航している。と言う事は国内航路に乗船し、乗船経歴が付き次第に下船して海技試験を受けさせる予定だろう、、使われている身だ、文句は言えねーな、、、
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2016-07-18

[第2の人生] 瑞陽丸、時化の千島列島沖を南下中

日付変更線を通過したが相変わらず大時化が続いている、アメリカのタコマを出港以来ほとんど太陽の顔を見ていない。ゆっくりした周期でローリング(横揺れ)しているが空船の時のように歩く時や寝るのが大変な事は無い、時々大きな波が船首にぶち当たり波しぶきがハウス(居住区)まで飛んでくる。日付変更線を過ぎて本船は少しずつ南下し千島列島沖を南西方向に航行している、夜になると日本の電電公社(現NTT)の北海道の落石/JOC 函館/JHK (コールサインが忘れて間違っているかもしれません)の中波の信号が入感し日本帰ってきたような錯覚を起こすが入港までまだ5日ほどかかる。船内生活にはだいぶ慣れたが仕事はまだまだ半人前にもいかない、電報などの受信時は念のためテープレコーダーにも受信し確認する、また受信できる時は訓練のため共同ニュースを受信する事にしている。日本との時差もだいぶ少なくなり今日から社船連絡(当社の船舶が連絡を取り合う)に出ると南シナ海をペルシャ湾に向け航行中の陽邦丸に乗船中の先輩が呼んできた、キクンノゴケントウトゴアンコウヲイノル」○○○ 先輩と言うのは有難いね、、、
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2016-07-09

[第2の人生] 瑞陽丸 肩ふり、送別会

日付変更線を通過して日本と同じ日付になった。本船にも慣れたんだが転船で宇野で下船となった、本船はキャプテンはじめ乗組員はみな良い人ばかりだ、できれば経歴が付くまで本船に乗船していたいんだがネ、、夜の当直時にブリッジ(船橋)に天気図を持っていくとサードオフィサー(3等航海士)がちょっと肩でも振っていけと言う。クオーターマスター(操舵手)がコーヒーを入れる準備をするとブリッジがコーヒーの香りで一杯だ、往航時は匂いだけで吐き気がしたがね、、、サードオフィサーがワッチが終わったら私の送別会で一杯やろうと言う事に、私は翌日の昼近くまで寝れるがサードオフィサーは朝の8時から又ワッチなので2時までと言う事にした。ワッチが終わりサロンに行くとサードオフィサーはアメリカで仕入れたコニャックのクルボアジェのナポレオン(写真)を持ってきた、私は免税の缶ビールを2本とおつまみの缶詰と6Pチーズを提供、だいぶ違うがね、、コニャックを飲むのは勿論はじめてだ、まずビールで乾杯をしてコニャックを、、 ほー、これがフランスのコニャックかね、、サードオフィサーは神戸商船大学出身だ、当社に入社して3年目との事、いずれはキャプテン(船長)になる人だ、私の先輩は当社には5~6人在籍している、先輩の話、田舎の事、海外の話、女性の話などに花が咲いたね、、、
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2016-06-29

[第2の人生] 瑞陽丸 日付変更線通過

冬の北太平洋は低気圧の墓場と呼ばれるように連日の大時化が続いている、でも船酔いにもだいぶ慣れた。船内時間の昼(12:00)から16:00と20:00から24:00までが私の当直時間だ。10時過ぎくらいに目が覚める、エンジンの快い振動を感じ安心する、俺も船乗りになってきたなー、冬のこの航路は時化で外はなにも見えないし寒くデッキは危険だ、起きて先ずタバコを一服、部屋で洗面を済ませ着替えて11:30からサロンに食事に行く、テーブルは午後からワッチのセコンドオフィサー(2等航海士)、セコンドエンジニアー(2等機関士)、と三人いつも一緒だ。起きたばかりで腹も減らない。食事を済ませて無線室へ行き通信長と交代だ。ヌーンポジション(正午の位置)見ると午前中に日付変更線を通過したようだ。ワッチ時に本社より材木の揚げ地、岡山県宇野港での乗組員の交代電報がきた、予想もしていない事が、私は宇野港で同じアメリカ航路の貨物船の錦陽丸に転船との事。キャプテンが、次席さん、錦陽丸に転船ときたが会社から何か聞いてるかね? いえ、何も聞いていません、乗船前の話では海技試験の経歴が付くまで3~4航海乗船の予定と聞いていましたが、、 会社も何を考えているのかね、船舶電話が使えるようになったら本社に電話をしてみるよ! せっかく本船にも慣れてきたのに、気が進まないが社命だ、、、
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2016-06-21

[第2の人生] 瑞陽丸 大時化の北太平洋

タコマを出港し洋上で正月を迎えた本船は大気圏コースをとるため少しずつ北上している、復航は西に向かうため毎日、20~30分くらい船内時間をバックする、本船は午前中に調整するため私は寝る時間が増えるわけだが、往航時は逆に時間が進むからお相子だがね、、、材木をハッチ(船倉)からデッキ(甲板)まで満載しているため船の重心が高くなりローリング(横揺れ)の周期がゆっくりのため、あまり体に堪えない、久しぶりに熟睡し早めに目が覚め、おまけに30分も時計をバックするもんだから時間を持て余しブリッジ(船橋)に肩ふり(船員言葉で、お喋りをして暇つぶしをする事だ)に行った。いつものようにクオーターマスター(操舵手)がコーヒーをおとしてくれる、インスタントじゃなく豆を挽いたコーヒーだ、ブリッジ中がコーヒーの良い香りが漂う。外は吹雪だ、海に落ちれば5分ともたないだろう、10メーターもあろう大きな波が来ると本船は宙を浮くように持ち上がり、今度は海底に沈み込むように落ちていく、大きな波が船首にぶち当たり(写真)波しぶきがブリッジまで飛んでくる。時々船が横にゆっくりと大きく傾き戻ってこない、オイオイ、このまま戻らずに大きな波が来えば転覆するんじゃないかい??恐怖心が襲う、そのうちに又ゆっくりと復元する、やれやれ、、この北太平洋航路は冬は吹雪で、春からは霧で視界が極端に悪い、レーダーが頼りだ、メインレーダー、サブレーダー、どちらかは常に動いている、無線部の管理で故障したら大変だ、保守点検が欠かせない、覗くと周りには数隻の船影が確認できる、この海域は日本/アメリカ西岸航路の銀座通りのようなもんだ、日本からパナマ運河に向かう船はもう少し南の海域を航行する。午後のワッチ(当直)の時にポールド(窓)を覗くと甲板部が総動員でデッキの材木のラッシング作業をしている、出港して材木などが動いてチェーン、ワイヤーなどが弛み時化で荷崩れを起こさないように船のコース(針路)を変え船が揺れないようにしてワイヤー、チェーンを締めなおす積み荷の材木は海水で濡れ、寒さで凍り付いている、命がけの作業だ、その点無線室は常に冷暖房完備で有難いねー、、、
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2016-06-13

[第2の人生] 瑞陽丸 洋上の正月

夜の当直時に年賀電報を整理し、明日の元旦に乗組員へ渡す予定だ、一人で3通も来ている人もいるが、、当直が終わりサロン食堂に行くと年越しそばが準備してある、さっそく年越しそばを頂いて今日は早めに寝ることにした。いつもは朝飯抜きで寝ているんだが正月の元旦だけはそうはいかない、目覚ましで起きてサロン食堂へ行くとテーブルには正月料理がたくさん並んでいる。司厨部が数日前から準備した料理、キャプテンの音頭で乾杯となった。当直のない乗組員は正月休みとなる、朝から酒を飲んでいる人、麻雀を楽しんでいる人、ビデオを見ている人、寝ている人など色々だ。洋上での正月は初めてだが、これからは洋上で正月を迎えることが多くなりそうだね。無線室で東北出身の通信長とお茶を飲みながら色々と長い船員生活の話などを聞いたが後数年で定年と言う、定年になったら女房とゆっくり船で世界旅行をするのが夢だと言っておられたが、、、
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2016-06-03

[第2の人生] 瑞陽丸 年賀電報

正月を前にアメリカ、ワシントン州のタコマを出港したが、司厨部は正月の料理つくりで大忙しだ。日本まで12日~14日くらいだろうか、時化次第だが今の時期は凪なんてことはまず無い。ワッチに入り さっそく San Francisco  Radio/KPH (サンフランシスコ無線局)とQSO(通信)する、NW QTO Tacoma Bnd Uno Japan QRU? (タコマ出港、宇野/日本行き、通信事項はありますか)  すると JDRA DE KPH NW NIL TU ときた。サンフランシスコ Radio は現在廃局となりアマチュア無線局 K6KPH として使われていると聞くが、、日本の銚子無線局/JCSと連絡をとり2通の電報を受信し、年賀電報13通あると言う、年賀電報は元旦までに受信すれば良い、太平洋に出れば通信もしやすくなるので後にした。通信長に話し、年賀電報は勉強のため私が受信させてもらう事にした、夜のワッチの時に銚子無線局と通信し13通の年賀電報を受信した、そして年賀用紙に書き換えて正月に乗組員に渡せば良い。ワッチが終わり海水風呂にどっぷりと浸かる、やっぱり風呂は良いねー! カナダとアメリカの間のファン デ フカ 海峡(Juan de Fuca Strait)を通過し太平洋にでたがデッキにも材木を満載しているため重心が高くなりローリング(横揺れ)はゆっくりと少し揺れているだけだ、缶ビールを2缶飲んで今日は早めに寝るかね、、、
 
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2016-05-24

[第2の人生] 瑞陽丸 タコマ出港宇野行き



停泊中に3回ほどタコマの街に行ってきた、日本では見たことのないアルバムを見つけ購入した。後は船でまとめてお土産に船食にサンキストオレンジを2ケース、キスチョコを2箱、ウイスキーを2本たのんだ。荷役中に材木を積み込むデリックが落下し修理のため荷役が遅れたが、停泊中ではゆっくり正月ができない、とキャプテンの号令で積み込み作業を急ぎ材木の積み込みが終了した、ハッチ(船倉)からデッキまで材木を満載した、さっそく甲板部総出で材木のラッシング作業だ、時化で材木が崩れないようにワイヤー、チェーンで固定するわけだ(写真)、時化で材木が崩れると船が傾き、最悪は転覆も考えられる、念入りにラッシング作業が行われ全ての作業が終了した。まもなくタグボートがやってきて本船は静かに岸壁を離れた、DEAD  SLOW  AHEAD (前進微速)エンジンが動き始めた、、、
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2016-05-12

[第2の人生] 瑞陽丸 タコマの町へ 

 

朝サロンで朝食を食べているとキャプテンが 次席さん、あとで用事があるんでタコマの町に行くが一緒に行くかね? 食事をしていた通信長が、私が留守番しているから上陸して良いよ! との事で上陸することにした。代理店が車で迎えに来てくれたが、さすがにアメリカだ、リンカーンと言う大きな車だ、タコマは人口が20万位らしいが結構都会だね、キャプテンが飯でも食べようと言うことで一軒のレストランに入った。テーブルで待っていると隣のテーブルに座っていた二人ずれの若い女性がこちらをちょろちょろ見ているではないか、内心、俺に気があるのかな? テーブルの上に置いてある私のカメラを指さして何かペラペラ喋っているがさっぱり、チンプンカン、  キャメラと言っているのだけは解るがあとはさっぱり、するとキャプテンが、そのカメラで写真を撮ってあげようか! と言ってるようだよ、さすがキャプテンだ、と言いう事でパチリと一枚撮っていただいた(写真)。キャプテンと別れて街を歩き回り、スジコが安いと言うことで乗組員から聞いておいた市場に行ってみた。私を見るなり、おー、スジコ! 日本人は結構買うらしいね、乗組員に頼まれたスジコを買い私も少し買ったがあまり好きではないね、、足が棒になるほど歩き回りキャプテンと約束をした場所でおち合い代理店の車で船に戻った。
 
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2016-04-30

[第2の人生] 瑞陽丸 アメリカ、タコマ入港

本船はアメリカ西海岸の大都市、シアトル沖を通りワシントン州のタコマに入港した。さっそく官憲が乗船して入港手続きが始まった、私はただ見ているだけだがね、ビザ(査証)は本社から郵送されていて30分ほどで入港手続きは終了した。入港前にあらかじめ乗組員から希望を聞いておいたUS$の前借(バンス)を代理店から受け取り乗組員に渡すのが私の仕事だ。甲板部ではさっそく北米材の荷役作業が始まった、材木を筏に組んでタグボートが本船の横まで引いてくる、本船のウインチで吊り下げてハッチ(船倉)の中に積み込んでいる。デッキに出てみるとタコマの町の近くに綺麗な山が見える(写真)、へー、アメリカにも富士山のような山があるんだー、、荷役関係のアメリカ人が来たので俺の英語が通じるか山の名前を下手な英語で尋ねると、ニコニコしながら、オー、タコマ フジ! ときたね、高さが1,500メーターくらいですか?と尋ねると、4,500メーターと言う、正式にはレーニア山(Mt,Rainier)で4,392メーターだ。今日はあまり時間もないし、明日ゆっくり上陸するため早めに寝ますかね、、、
 
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2016-04-20

[第2の人生] 瑞陽丸、 アメリカ大陸だ、



尾道市の日立造船向島ドッグを出港して13日目、生まれて初めてアメリカのワシントン州タコマ(Tacoma)に入港するということで興奮しているせいか、いつもより早く目が覚めた。顔を洗い歯を磨きデッキに出てみると時化はおさまっているが多少のウネリが残っている。本船の船首方向を見るとうっすらと島影が見える、おーアメリカ大陸だな? タバコをふかしていると真っ白な大型客船が北の方に向かっている、たぶんアラスカの氷河見物に向かうクルーズ客船だろう、だんだんと島影がはっきりしてきた、ブリッジ(船橋)に上りチャートルームのチャート(海図)を覗くと左がカナダのバンクーバー島だ、間もなくバンクーバー島とアメリカの間のファン デ フカ 海峡(Juan de Fuca Strait)を通過する、キャプテンもブリッジに上がってきた。無線室に行きお茶を飲みながら通信長と入港手続きの打ち合わせだが、私は見ていれば良い、なんだか落ち着かないねー、デッキに出てみると大小たくさんの船が行き来している、アメリカ海軍の軍艦の姿も見える、高層ビルも見えてきた、さすがアメリカだね、、、
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2016-04-12

[第2の人生] 瑞陽丸、 肩ふり

目覚まし時計でいつもより早く起き入港書類の作成にかかった。時化もだいぶおさまってきたが未だかなりのローリング(横揺れ)があるが船が走っているいじょう後数日でアメリカのタコマに入港する。気が進まないが事務室に行きタイプライターに向かうが、同じところを見ていると吐き気がくる、そのたびに仕事を中断して一息いれる、今のようにパソコンでもあれば随分作業も楽だがね、、二日がかりで入港書類の作成が終わった、、やれやれ! やっと肩の荷もおりたしブリッジ(船橋)に肩ふり(肩ふりとは船乗り言葉で、いろいろとお喋りをして暇つぶしをする事)に行った(写真)。ワッチ中のサードオフィサー(3等航海士)が、やー、次席さんコーヒーでも飲んでって、クオーターマスター(操舵手)がアメリカで仕入れたコーヒーを入れてくれた、そしてアメリカで仕入れたキスチョコを出してくれた、一個一個が銀紙に包まれハート型をしたチョコだが、これが又美味しいんだ、初めて食べたがね、、時々おおきなローリングがあるのでコーヒーカップを手に持ち足を広げて踏ん張っている、けっこう力がいるね、サードオフィサーは商船大学出の岡山県出身だという、クオーターマスターは広島県で瀬戸内海の島の出身とのことだが二人とも気の良い男だ、ついでにレーダーを覗いてみると2ハイの船影が映っている、、、入港書類の作成が終わり、ブリッジで肩ふりをして久しぶりに腹が減ってきた、さーて昼食を食べてワッチだ、、、
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2016-04-02

[第2の人生] 瑞陽丸、日付変更線通過

日本を出て1週間、相変わらず海は大時化だが船酔いにもだいぶ慣れてきたが食欲はいまいちだね、しかし船はゴロゴロと揺れているのに夜になるとレクレーションルームでは麻雀をやっている、牌が動かないように麻雀卓の上に水で濡らした白い布を敷いてやっている、この人達の頭はどうなってんのかねー? 本船はアリューシャン列島の南をほぼ東に向け航行中だが昼過ぎに日付変更線を通過した。あと5日ほどでアメリカのワシントン州のタコマに入港予定だ。外は大時化だし寒くて氷ついている、海に落ちたら10分ともたないだろう、危険なのでポールド(窓)から覗くていどだ。北太平洋では天気図が船舶の航行に極めて重要になる。船舶が気象観測し、観測結果を無線で気象庁に打電し天気図の作成に使用される。本船でも3時間おきに気象観測し無線で送っている。夜ワッチが終わり風呂で海水の湯船に浸かる、この間に溜まった洗濯物を洗濯機に入れて洗濯をしたが、部屋中が洗濯物でいっぱいだ。船の夕食はメスルーム士官は16:30からで、夜中の零時ともなると流石に腹が減る、ビールを飲んで空腹を満たしてベッドに入る、、、明日から入港書類の作成も始めないといけないね、、、
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2016-03-22

[第2の人生] 瑞陽丸、北海道沖を北上中

房総半島の野島崎から進路を北東にとり北上するが時化はますますひどくなる、大きな波が船首にぶち当たり、どどどどーん、ギシギシ、、船が壊れるんじゃないかと心配になる、と言うより怖くなる、この近海では以前に日本の大型鉱石運搬船、ぼりばー丸、カリフォルニア丸が時化で船が真っ二つに折れて沈没している。冬の北太平洋は低気圧の墓場と言われている、まー、アメリカに着くまで時化ているだろうね、だんだんと北上するので更に時化もひどくなる、相変わらず食欲は無いが食べないわけにはいかないし、昼食を食べに行くかね、食事が憂鬱になるねー、、、
 
食事を食べたと言うより、お茶漬けで無理やりに流し込んで終わり、有難うございました、交代します!通信長に変わりワッチだ。本船は東に向け航行するため毎日船内時間を進めることになる、アメリカ(北米)に着くまで7時間、時間を進めることになり一日平均30分くらい時間を進め、得をした気分になるが、帰りは逆に時間を遅らせる。当直は船酔いが治るまで通信卓の椅子に座らずソファーの椅子に座っていると少しは楽だネ、、食欲は無いがヘビースモーカーのhamさん、煙草だけは船酔いに関係なくよく吸うね。房総半島から三陸沖を北上し北海道の根室沖まで北上してきた、これから千島列島に沿いアリューシャン列島沖を東に向かう。ポールド(窓)を覗くと小雪が舞い寒そーだ、お茶にでもするかね、、、
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2016-03-13

[第2の人生] 船酔い、、

向島ドッグをを出た本船は瀬戸内海を航行し紀伊水道から太平洋に抜けた、翌朝ベッドで目が覚めると少しローリング(横揺れ)している、ベッドからポール度(窓)のカーテンを開けると白波が立っている、頭が重く完全に船酔いだ。もともと船にはあまり強いほうではないんだが、これからは船上が私の仕事場であり生活の場でもある。先が思いやられるなー! ゆっくりと着替えてボートデッキに出てみるとローリングに加えうねりがあるため時々波が船首にあたりドドーンとしぶきがあがる、左舷を見ると視界はあまり良くないが陸地が見えている、と言うことは静岡県沖あたりを航行しているんだろう。まったく食欲が無いが船酔いで食事はいらない、なんて恰好が悪い、一緒に食べるセコンドオフィサー(2等航海士)セコンドエンジニアー(2等機関士)が来る前に早めに食堂に行き食事だ。ボーイさんがついでくれたご飯にお茶をぶっかけて、お茶漬けで無理やりに流し込んだ。汚い話だが直ぐにトイレに飛び込み、せっかく食べたものを出してしまった。無線室へ行き、有難うございました、交代します! 通信長が、 特別ないが天気図を忘れないでね、それじゃお願いします! 食事に下りて行った。ワッチ(当直)中に数回トイレに駆け込んだが、もう出るものは無い、胃液が出るだけだ、これが又苦しいんだ、ソファーで横になれば少しは楽だが、そーわいかない。4時に当直が終わり4時半から夕食だがテーブルにはセコンドオフィサー、セコンドエンジニアーに今度はサードオフィサー(3等航海士)サードエンジニアー(3等機関士)も加わり5人だ、夕食に行くのが憂鬱になるねー、、、
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2016-03-04

[第2の人生] 向島ドッグ発、アメリカ、タコマ行

広島県尾道市の向かいにある日立造船向島工場(写真)での作業がすべて終わった。明日は試運転後そのままアメリカ、ワシントン州のタコマに向かうことになる。日本での最後の夜になる、島にある一軒の居酒屋に入ってみた。地元の常連客だろうか二人の先客が、ビールを2本飲んで宿に戻り早めに布団に入った。翌日はドッグの関係者が乗船しドッグの岸壁を離れ沖へ、エンジンなどの試運転などが行われ全て完了し関係者がボートに乗り移り、ぼー、、本船の汽笛が一発、ボートからも汽笛が鳴り作業員が手を振っている。DEAD  SLOW  AHEAD (前進微速) 本船はゆっくりと動き始めた。念願の船舶通信士となり第一歩がスタートした、よーしがんばるぞー! デッキに立っていると小さな島々が箱庭のように綺麗だ。無線室へ行くと通信長が、おー次席さん、休んでいていいよ! 勉強のため銚子無線局/JCS、神戸無線局/JCKへTR(動静通知)を送信させてもらう事に、 「TR NW ムカイシマドッグハツ タコマユキ」 すると銚子無線局/JCSより 「 JDRA DE JCS QSL NW QRU TU 」 ときた、やったー、俺のモールスも通じたなー、、当分は勉強のため16:00~20:00の通信長のワッチ(当直)も一緒にワッチに入ることにした。通信長の部屋は無線室のすぐ横だ、解らないときは直ぐに呼んでくれればいいからね! 数年で定年を迎える東北の○○県出身の優しそうな通信長で安心したね。社船連絡の時間に 「ホンヒ ムカイシマドッグハツ タコマユキ、ニツ○○ジョウセン、、、、、」 するとインド洋をペルシャ湾向け航行中の○○丸の先輩から 「キクンノ コンゴノケントウト ゴアンコウヲ イノル」 ときた。先輩と言うのは有難いね、、当社には数人の先輩通信士が在籍している。夜中の零時、ワッチ(当直)が終わり、オートアラーム(警急自動受信機)の試験をしてログブック(業務日誌)に、 Tested auto alarm in good condition and them commenced watch on auto alarm at 1500z  と記入して新米船舶通信士の一日目が無事終わった。
 
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2016-02-25

[第2の人生] 向島ドッグ入渠中、無線局の検査

昼間はドッグで仕事をして夕方仕事が終わると造船所近くの旅館へ帰る生活だ。同じ旅館には何人かの乗組員が宿泊しているが夜は飲みに出かけているようだが、私は顔もよくわからないし風呂に入りテレビを見て寝る、いたって健康的な生活だ。今日はドッグに入渠時の無線部の一番の大仕事の無線局の定期検査だ。昨日より業者が来船し無線機の主送信機、補助送信機、非常用送信機などの調整、手入れをしている、私と通信長は法廷備品、消耗品、書類関係をチェックし準備は完了した。翌日無線の監督さんが広島の中国電波監理局(現中国総合通信局)の検査官を迎えに行き黒塗りの車で連れてこられた。郵政事務官と郵政技官の二人だ、それではこれから無線局の検査を実施します! と検査官が、業者が試験電波を出してください! すると通信長が、それじゃ次席さん頼むよ、ときた。えッ、俺がですか? こー言う時はおたおたしないで通信長になったつもりでやればいい、腹は決まった、、 EX EX EX DE JDRA JDRA K 、V V V  V V V  V V V 、、、業者がメーターの数値を読む、技官が用紙に記入し計算尺で計算している、主送信機、補助送信機、非常用送信機、短波、中波、の試験が一通り終わると試験官が、それでは大分無線局と実通試験をしてください、ときた、内心、心臓がパクパクだ、電鍵を持つ手に汗が、JIT JIT DE JDRA JDRA K 大分無線局/JIT より応答がある、 JDRA DE JIT QSW  通信波に切り替え NW ムセンキョクケンサチュウ、 QSA/QRK ? K 事務官は法定備品、書類、免許証などをチェックしている、なにかボロをつかもおうと必死だネ、救命艇用無線機は目視で検査、警急自動受信機、VHF,などを検査して作業は終了した。試験官が検査簿に二人の名前を記入し印鑑を押して、無線局の検査の結果は合格です、指示事項はありません! と言って検査簿を通信長に渡し検査は無事終了した。
 
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2016-02-11

[第2の人生] 瑞陽丸乗船

京浜運河を航行する外国航路の船舶を眺めて、いつかは外国航路の船舶通信士になろう、、と夢みて7年、ついに乗船する日が来た。羽田空港から飛行機で岡山に向かい、在来線の特急列車に乗り換えて広島県の尾道の駅に降り立った。駅の前に乗船地の向島の日立造船向島工場が見えている、なんばいかの大型船が入渠しているのが見える。渡船に乗り数分で向島に着き、守衛所を通り広い構内を歩いて本船 ”瑞陽丸” に向かった。本船はドライドックに入っていた(写真)おー、これがこれからお世話になる船か、でかいなー! 9,887総トンのアメリカ航路の材木専用船だ。
 

デッキでは作業員が忙しそうに作業をしている、さっそく無線室に行くと眼鏡をかけた通信長が打ち合わせ中だ、3等通信士の○○です! おー次席君か、よろしく頼むよ、、優しそうな喋りに安心した。さっそく作業着に着替えて打ち合わせに加わり、中国海運局、尾道支局に乗組員の公認手続きに行ってきた。船員手帳にしっかりと官庁の雇い入れの公認印が(写真)しかーしだ! 通信士の国家試験に合格し無線従事者の免許証は手に入れたがこれだけでは船ではだめだ、、通信の仕事はできるが船舶職員法による船舶通信士ではない、したがって職務は残念だが員外通信士だ、半年間の乗船経歴をつんで今度は海技試験の国家試験に合格しなければいけない、しかし既に実習の新勝丸、日永丸、東海大学丸二世で3か月ちょっとの乗船履歴がある、したがって本船はいつまで乗船か解らない、1~2航海になるか、、
 
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2016-01-29

[第2の人生] 乗船準備完了

念願の無線通信士の免許を手にし海運会社の入社も決まり乗船を待つ短い間に親戚を訪ねたり中学時代の先生でアマチュア無線の恩師を訪ねた、○○君、無線では私はアマチュアだが君はプロになったのか、頑張ったなー、、東京へたつ前夜はゆっくりと湯船に浸かった、こんど田舎に帰るのは1年後くらいかな。無線通信士の免許は手にしたが6か月の乗船経歴を付けて運輸省(現国土交通省)の海技免状の試験を受けないといけないので瑞陽丸の乗船は2~3航海の予定だ。乗船中の衣類などの荷物は代理店あてに発送したし、乗船時は小さなカバン1個で大丈夫だ。翌日信越線の汽車で東京の寮に向かい、出発までの2日間は寮に居候だ、制服もでき記念撮影だが、孫にも衣装だね!
 
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2016-01-18

[第2の人生] 無縁従事者免許申請

東京から戻り、さっそく無線従事者の免許申請に使う書類を取りに市役所へ行ったり、写真を撮りに行ったりで申請書類は揃った。申請書を郵送してから交付されるまで1か月くらいかかる、それでは乗船に間に合わない可能性がある、この際ダメもとで直接信越電波監理局へ書類を持って行って早期に発行していただけるよう頼んでみよう。汽車に乗って長野に向かい電波監理局の検定課に出向いた。即日発行していただけないか頼むと、書類は受理するが即時発行はできないし、前例が無いと言う、内心、それじゃ前例を作ればいいじゃないか、こういう時は少し大げさに言えばいい、、、11月25日に尾道で瑞陽丸に乗船が決まり間に合わないと出港できません、! こちらで掛けて少し待ってください! と言って上司らしき人と何やら話をしている様子、そして4~50分くらい待ったろうか、先程の担当者が来て、そちらの状況も考慮して今回は即時発効しました、中を確認してください、と言って従事者免許証を差し出した。やったー! 内心、やれば出来るじゃないか、、ついに念願の無線通信士の免許証を手にすることが出来た、京浜運河を通る外国航路の大型船を見て船舶通信士になる事を夢見て何年かかったろう、、、
 
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2016-01-12

[第2の人生] 国家試験合格!

無線通信士の国家試験を受験して3週間が経ったある日、封筒の裏に信越電波管理局とゴム印が押された封筒が一通届いた。きたきた!恐る恐る開いてみると、無線機器、高周波測定ともに合格とある。やったー!この時の感動は今でもはっきりと覚えている。翌日さっそく報告の為上京し学校に向かった、K先生に合格した旨報告すると、○○海運の○○部長に電話しておくから明日にでも会社に行ってこい! との事だ。よくじつ日比谷公園の近くにある○○海運の船員課を訪ね合格した旨を伝え3等通信士として正式に入社が決まった。船員課にはY先輩が陸上勤務として勤務している。そして11月25日に広島県尾道市の日立造船向島ドッグで北米航路の貨物船 ”瑞陽丸” 9,887トンに乗船が決まった。乗船旅費をいただき明細を見るとグリーン車の料金が計上されているではないか。寮で2日ほど泊まり乗船準備のため田舎に向かった、、、
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2016-01-04

[第2の人生] 国家試験受験

とうとう試験日になった、やる事はやった、あとは天に任せるのみだな、、時間には十分に余裕をもって高田駅から信越線の急行列車に乗り受験地の長野に向かった。試験会場に着くと広い教室のようなところが会場だ。信越電波管理局(現信越総合通信局)管内は受験者が少ないせいか幾つかの無線の資格の試験が同じ会場で行われるようだ。第1級、第2級、第3級の無線通信士の受験者は数人だ、教室の端の数列は沢山の受験者がいる、たぶん特殊無線技士の受験者だろう。答案用紙が配られいよいよ試験が始まった、5問すべてさっと目を通し解かりそうな問題からとりかかった。各科目とも2時間が持ち時間だ、ページの上に問題が書いてあり下の余白部分が回答欄になる、この問題は理解しています、と言わんばかりに計算式などを書きまくった。試験が終わり比較的に自身のあった高周波測定はほぼ満点に近いだろう自身がある、問題の無線機器は100パーセント自身はないが何とかなるだろう、と言う段階だが心配だな、、試験が終わり帰りに善光寺に寄り合格祈願をした、最善を尽くし何かすがすがしい気持ちだ、あとは発表を待つのみだな、、、
 
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2015-12-23

[第2の人生] 受験勉強 (2)

九月に入るとすっかり涼しくなった、受験勉強も昼間寝て夜勉強の夜型から昼間の勉強に切り替えた。約2か月間は公式など基本となる事項を覚えたりした、特に高周波測定は、もうこれ以上測定項目は無いだろう、、と言うところまできた。試験までの残りは応用編で沢山の問題をこなすことにした。9月の中旬ころから百姓の我が家は稲刈りが始まる。コンバインやトラクターなんて無い時代だ、ほとんどが手作業になる、約1か月半くらいで2町歩からの田んぼの稲刈りや、それに伴う作業は猫の手も借りたい忙しさだ。若い男が勉強とは言え手伝わないわけにはいかない、1日1~2時間、気分転換も兼ねて農作業を手伝う、稲刈り、刈った稲を束ねる作業は素人の私にはできないが力だけはある、稲を乾燥するためのハサまで運んだり、乾燥した稲を脱穀の為、家まで運んだり、やる事はいくらでもある。そして稲刈りが終わったころには私の受験勉強も終わりに近づいて来た。数か月は今までに経験したことがないほど勉強した、特に高周波測定はどんな問題が出てもまず解答までこぎつける自信が持てるところまで来た、無線機器も100パーセント自身は持てないが何とかなるんじゃないかな? と言うところまできた。後は運に任せるよりしょうがないだろう、受験日を待つだけだ、、、
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2015-12-12

[第2の人生] 受験勉強

田舎に帰り2日ほどゆっくりしたが、今の俺にはゆっくりする余裕なんてない。今回の試験で残り2科目すべて一発で合格しないと過去の合格した科目がながれてしまう、しかも俺にとっては苦手な工学の無線機器、高周波測定だ、なかでも無線機器が俺にとっては難関で崖っぷちもいいところだ。試験までの計画をたて、夏の暑い2か月間は夜型に変更し勉強は主に夜することに、我が家にはエアコンなんて無いし夜の方が集中できるだろう、その後は試験までは昼間に切り替えて試験に慣れるようにする。試験は各科目とも2時間で5問だ、過去の傾向を調べると1問は過去の既出問題が出題されることがある、もし既出問題が出れば確実に正解答しなければならない、過去10年間さかのぼり問題を理解する。その問題を理解しているかを試されるので答えだけを書いてもほとんど点数にならない、逆に答えが間違っていても途中の式などの過程が出来ていればかなりの点数になる事はわかっている、暗記だけではだめだと言う事か、数学が苦手な俺にとっては頭が痛いが死に物狂いでやるしかない、、、 
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2015-12-03

[第2の人生] 受験勉強のため帰省を決断

1ヶ月間東シナ海、尖閣諸島近海での石油調査の調査実習船に乗船し、東京の学校に戻る途中、東京駅で乗船実習に向かう後輩のトラブルを処理し翌日から研究室へ通い始め乗船実習へ向かう学生を全員送り出した。学校は夏休みのため授業はないが、なにかと雑用がたくさんある、しかーしだ! 無線通信士の国家試験にはどうしても合格しないといけない。予備試験(無線工学の基礎と一般常識の2科目)は免除、学科試験の英語(英文和訳、和文英訳、英会話)、電気通信術(和文、欧文<平文、暗号>、電話<和文、英文>のそれぞれ送受信)は免除、通信交通地理、電波法規、国際法規(電気通信条約)、工学3科目のうち、空中線と電波伝搬は合格済みだが、私にとって一番苦手な無線機器と高周波測定の2科目が残っている、秋の国家試験では何が何でも合格しないといけない、崖っぷちだ、、しかし私の能力では今の状態での合格は10パーセントの確率も無い。考え悩んだ末の結論だ、田舎へ帰ろう、、、怒鳴り叱られるのを覚悟で先生に話すと意外にも、そうか、お前の就職先は○○海運だ、○部長からは既に内諾を得ている、新潟へ帰って免許をとって又戻ってこい! わかりました、ありがとうございます、、先生の意外な言葉に、柄にもなく胸に来るものがあった、、よし、3か月間死に物狂いで勉強しよう、、翌日、信越線の金沢行き急行白山に乗り故郷の高田へ向かった、、、
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2015-11-20

[第2の人生] アクシデント!

静岡県の清水港で下船し学校に戻るべく新幹線の”こだま”に飛び乗り東京に向かった。学生たちが乗船実習に出発し始めているし、やる事はたくさんある。東京都内に入り窓の外を眺めると景色はちっとも変っていないのに、なんだか1年も東京を離れていたような錯覚を起こす。1か月ぶりに東京駅の新幹線ホームに降り立った。何気なく東海道本線のホームを見ると見慣れた何人もの白い制服の学生たちの姿が見える、乗船実習に出発する学生の見送りに来ているんだろう、すぐに東海道本線のホームに行くとS君が中国地方の港から北米行の材木専用船に乗船するという。ホームで恒例の見送りの儀式が行われたが、制服制帽の学生たちが敬礼をしている姿に周りには多くの見物人が集まっている。間もなく列車が出発するので乗車しようとしたS君、旅行カバンが無いと言う。すぐに学生たちに指示をし手分けしてホームを探したが見つからない、乗客が間違ってカバンを持っていった可能性もあるが悪意で持ち去った可能性が高い、すぐに駅員に届け駅の鉄道警察にも届けた。カバンには船員手帳などが入っているので今の状況では乗船できない。すぐに船員手帳の再発行の準備もし寮で待機していると数時間後に駅より電話が入った。乗車予定であった列車に持ち主が不明と思われるカバンが通路に置き去りになっていたが、カバンの大きさ、色など特徴からしてS君のカバンの可能性が強いようだ。名古屋駅でカバンを下すことになり私とS君二人で直ぐに新幹線に飛び乗り名古屋に向かった。カバンがS君の物である事を祈り名古屋駅に着き確認したら間違いなくS君のカバンだ、、駅員さん曰く、恐らく同じ列車に乗ろうとしていた乗客が悪意でカバンを持ち去ったが鍵がかかっていた為、始末に困り通路に置きっ放したんでしょう、、との事だ。無事にカバンが戻り胸をなでおろした、、S君は新幹線で大阪に向かい、乗り継ぎで明日の昼頃までには乗船できそうだ、私は最終の新幹線で東京に戻ったが、機転の利いた判断、行動で無事に乗船実習に送りだす事ができた、我ながらよくやった、あっぱれじゃ、、、 
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2015-11-13

[第2の人生] 清水入港、下船


東シナ海の尖閣諸島近海での調査を終えた本船は母校の静岡県の清水港に向け北上するが貨物船と違い特別に急ぐ航海でもない、エンジンが停止し、何があったのかと思うと艫(船尾)から流しているワイヤーに魚がかかったので引き寄せるとか、ちょっと海底の調査をするとか、ちょいちょい停船する。そして6月13日に清水港を出港以来、大学教授陣、院生を含む学生、石油公団、琉球側、船長以下乗組員を含め71名の調査団による1ヶ月の調査航海が終わり7月14日の午前に清水港に入港した。船の船尾に積み込まれたコンテナの中のスパーカー(音波探査器)から海中に延びたワイヤーからスパークして強烈な稲妻が水中を走り巨大な衝撃波が海底に伝わり、海底の堆積物を通り抜けて岩盤に反射してくる、この反射波を受信し記録される。乗船して暫くは船酔いに悩まされたが沖縄の那覇港に2回入港し、当時の沖縄で一番と言われた東急ホテルだったか東洋ホテルだったかな? で屋良朝苗主席、知念副主席、など多数が出席のもと、高瀬在沖縄大使主催の歓迎レセプション、本船の一般公開、沖縄の南部観光など貴重な経験をした。石垣島にも入港し島内見学など良い思い出だ。清水港に入港後、海運局に出向き雇止め手続きも終わり本船での最後の昼食を食べてお世話になった東海大学丸Ⅱ世を下船した。
 
ある日ネットサーフィンであちこち眺めていると名物船長 佐藤孫七教授が亡くなられたと言う記事を目にした。山形県出身でズーズー弁まる出しで船の指揮をとっていた、厳しい中にも愛嬌があり、がっしりとした姿を今でも懐かしく思い出される。大学の出版会より「キャプテン孫七航海記」が出版されている事を知りすぐに購入し懐かしく読んだ。
東海大学の海洋調査実習船 東海大学丸二世 の初代船長、海洋学部教授として活躍され、平成18年(2006)1月23日に97歳で亡くなられた。
                               合掌
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2015-10-30

[第2の人生] 調査終了、お別れ会

1ヶ月にわたる東シナ海の尖閣諸島近海での石油の調査が終了した。海洋調査を続けながら清水港へ向かう。キャプテン主催のご苦労会、お別れ会が有ると言う、石油公団の技術者、学校の教授陣、それと清水で下船する臨時の乗組員の私も対象だと言う、内心は有難迷惑なんだがそうも言えないしね、、士官食堂は狭いので学生食堂を使う事になった。大したご馳走は無いが乗組員の中に昔漁船に乗船していた乗組員が数人いて魚捕りのプロだ、東シナ海で捕獲した魚が沢山ありご馳走のほとんどが魚料理だね、お酒は沖縄で仕入れたオリオンビール、ウイスキー、泡盛、それとキャプテンが故郷山形の酒の差し入れだ、キャプテンが、君は下船後はどうするんだね? 私は秋の通信士の国家試験の受験勉強をします! そうか、若い時は勉強をしなきゃな、、キャプテンは小さな揺れる船の中で身体を柱にロープで縛り勉強をした、と言う話は有名な話だ。通信長がワッチは私がするからゆっくり飲め、、と言う事でお開きになるまで、ぐっつりとやったね、、、
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2015-10-20

[第2の人生] 那覇出港、東シナ海へ



那覇港に2回目の入港で2日間停泊し飲料水と少しの生鮮食料日を積み込み再び東シナ海へ向け出港した。2~3日くらい海洋観測をしながら最後の石油調査をして母校の清水港に向かう予定だ。今回の調査で、尖閣諸島周辺の海域には世界一の原油埋蔵量のサウジアラビアには及ばないが、イラクやクウエートに匹敵する1,095億バレルの原油の埋蔵量があり、「世界的な産油地域となるであろう」と新聞などで騒がれた記憶がある。 ただ、当時の調査方法はスパーカ震源による地震探査法と呼ばれる、船より2本の電極を海中に流して海中放電(スパーク)による衝撃を震源とする調査だった。 その後の調査をもとに経済産業省石油審議会が1994年に試算したところよると、尖閣沖周辺の原油埋蔵量は約32.6億バレルになるとされ、当時の調査時のおよそ30分の1になってしまった。日本 政府が2012年9月11日、尖閣諸島の魚釣島と北小島、南小島を国有化し、中国も領有権を主張し始め、国際的に安全が担保されない限りこれ以上の前進はないでしょうネ。新聞、テレビで尖閣諸島近海のニュースが流れるたびに40数年前の当時を思い出す、、、
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2015-10-09

[第2の人生] 沖縄、那覇入港

東シナ海の尖閣諸島近海での石油の調査及び海洋調査は順調に進み、予定通り那覇港に入港した。今回は船内の一般公開もないし、歓迎レセプションなど公式行事もない、2日間停泊し海洋調査をしながら母校の清水港に帰ることになる。本土復帰前の沖縄、車は右側通行で通過はアメリカ$が使われている、確か1ドルが360円だったような気がするがね、当然行き来するにはパスポートが必要だ、今こそは観光地として活気を帯びているが、当時の沖縄はまるで違っていた、、、
夕食が終わり部屋で秋の無線通信士の国家試験の勉強をしていると通信長がやってきて、次席さん、これからの予定は? 予定って、すこし勉強をしようと思っていますが、何か?  無理には誘わないが沖縄まで来て勉強をしなくてもいいんじゃないの、この間の店に行こうや! ときた。私はあまりお金もないし、、、 すると、 お金はいいよ、○○ちゃんに電話したら次席さんも誘って必ず店に来い、って言うんだよ、 内心、もう電話までして、私をだしに使ってもてようと思ってんだなー、、、まー、ただなら良いか、と言う事で二人で松山の前回行った店に出かけた。時間が早いせいもあるが、相変わらずお店にはお客さんが誰もいない、沖縄のオリオンビールで乾杯だ、キリンビールなどは目が飛び出るほど値段が高い、今のオリオンビールはすごく美味しい、少し薄味のようで飲みやすい、私は好きだが当時のオリオンビールは飲むと後で頭がガンガン痛くなる、、ビールで乾杯した後はジョニ黒(ジョニーウオーカー黒ラベル)だ、すっかり調子ついた独身の通信長、俺は今度船を下りたら沖縄へ来て住もうかな! 今はどちらにお住まいか解らないが、ご健在であれば90歳近いだろうが、、、
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2015-10-02

[第2の人生] へぼ通信士

本船は石垣島を出港して東シナ海の尖閣諸島周辺で石油の調査を行っている、静岡県の清水港を出港して既に3週間が過ぎた。明後日には2回目の那覇港に入港だ、入港したら又あの松山のスナックに行くかな!?   
今の時代は人口衛星を経由して全世界ほぼどこの地域からもリアルタイムで連絡がとれるが、当時は日本近海で船舶電話が使えたが陸からせいぜい1時間も走れば船舶電話は使えない、船舶通信士により海岸局と通信する事になる。本船は電電公社(現NTT)の一般海岸局と漁業無線局との公衆通信ができる設備を有しているが主に静岡漁業無線局と通信する事が多い。しかしこの漁業無線局との通信が問題だ、漁業無線局は所属の漁船との通信をするが一般海岸局とはちょっと通信方法などが違う、それにモールス通信が通信士によりそれぞれ大変な癖がある、おまけに電鍵はほとんどが立てぶれではなくバッグキーや横ブレ電鍵を使っている、慣れないとモールス符号が解釈できない、ましてや未だ経験の浅いhamさん、よく受信できない、通信長に頼むのもしゃくにさわる、、仕方がなく最後の手段だ、モウスコシユックリト、キレイニウッテクダサイ、PSE  と送信すると、ヘボ、キョクチョウトカワレ と打ってきた、もう頭にきた、ワタシガキョクチョウダガ、 と送信すると今度は嫌みなのか馬鹿にしているのか、超スローでモールスを打ってきた、、電鍵を持つ手に汗をかきながら2通の電報を受信するのに20分もかかったがね、、、

 
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2015-09-18

[第2の人生] 石垣島出港、尖閣諸島へ


石垣島の石垣港を出港した本船(写真)は再び石油、海洋調査の為尖閣諸島海域に向かった。狭い船内で小さな船の割には乗組員、大学の教授陣、大学院生、公団の技術陣などで乗船者の数は多い。半月もすると顔見知りになる、先生、この海底には石油があるんですか? 訊ねると、 だからそれを今調べてるんじゃない、でも今までの調査の結果ではかなりの埋蔵量が有りそうだね!との事だ。ブリッジに肩振りに行くと当直の乗組員の他にも常に数人の先客が、当直士官が、おい、あまりブリッジに人が集まると、この船は頭でっかちなのでひっくり返るぞ!ご覧の通り船の大きさにしてはブリッジが高く幅も広く、トップヘビーであるのは間違いない。

主要目

総トン数   701、14トン
全長     50,50m
幅      9.20m
航海速力   10ノット
最大速力   12ノット
航海距離   4,600海里(約8,500キロ)
竣工     昭和43年(1968年)

平成5年(1993年)大型新造船、望星丸(写真下)に引き継ぎ、四半世紀にわたる航海を終わった。現在は静岡市の東海大学海洋学部の海洋科学博物館入り口に鎮座している。

25年間に渡る航海実績

航海日数     5,049日
航続距離     562,463海里(地球25,99 周分)
国内寄港地    115港  (延べ寄港回数 796回)
国外寄港地    40港   (延べ寄港回数 78回)

 

望星丸主要目
 
  • 総トン数      1,777トン
  • 国際総トン数   2,174トン
  • 全長×幅×深   87.98×12.80×8.10
  • 満載喫水      4.80m
  • 機関   2,500ps(1,838kW)×750rpm  2基
  • プロペラ   4翼可変ピッチ(3m径)  1基
  • 航海速力   16.0ノット(両舷機運転) 14.0ノット(片舷機運転)
  • 航続距離   7,500海里(両舷機運転)
  • 最大搭載人員   乗組員33名  合計190名
  • 竣工、   1993年10月 株式会社三保造船所
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2015-09-10

[第2の人生] 石垣島観光



梅雨が明け夏の石垣島は暑いね、しかし日差しは強いが木陰に入ると意外と涼しい。停泊中に島内観光にでかけた、観光と言っても本土復帰前の石垣島だ、今のように整備されているわけではない、街の中心地を外れるとサトウキビ畑、パイナップル畑が続いていた、畑に実っているパイナップルは初めて見たが、それまでは恥ずかしい話だがパイナップルは椰子の実のように木になっているものと考えていたね、、、道路にはボンネットバスが走っていた。有名な川平湾(写真)へ行ったが静かな奇麗な湾だね。今では石垣島を代表する観光地だが当時は観光客もまばらだ。沖縄本島はその後も何度か訪れたが石垣島は行っていない、テレビや写真で見ると変貌ぶりには驚くね、
元気なうちに石垣島、できれば与那国島、波照間島、小浜島なども訪れてみたいもんだが、、、

 
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2015-09-03

[第2の人生] 石垣島に入港


おーあれが石垣島か、、水平線に島影が見えてきたが、段々と島影が大きくなり防波堤を通過し石垣港に入って来た。ブリッジへ上がるとキャプテンが着桟の指揮を執っている、ストップ エンジン! 東北なまりの言葉で次々とエンジンルーム、船首のチョフサー(1等航海士)、艫(船尾)のセコンドオフィサー(2等航海士)に指示を出している、本船は静かにピタリと着岸した、上手いもんだねー!
午後から船内の一般公開が始まった、2時を過ぎたころから次から次と見学客が訪船してきた(写真)、例により通信長が、次席さん、又無線室関係の説明はあんたに任せるからさー、私はどうも標準語が苦手だから頼むよ、そのかわり又夜の一杯は私がおごるから、、、と言う事で那覇港に続き案内役になった。この無線機はどの辺まで電波が飛ぶんですか?  どうしたら船の通信士になれるんですか?  外国はどの辺まで行くんですか?  給料はどれくらい貰えるんですか? などなど色々な質問が出るね、、




石垣島は台湾の台北よりも南に位置する、日本本土よりもかなり西に位置するため陽が長い、夜の8時になってもまだ明るい、岸壁に立ってちょっとかっこを付けてみたが(写真)今とだいぶ体形が違うね!8時過ぎに通信長が、夕涼みに一杯飲みに行こう、と言う事で石垣の歓楽街らしきところの一軒のスナックに入ったがお客さんは誰もいない、お客さんは本土から来られたんですか? 一言二言喋ればすぐに解るようだな、どうしたのこのお店、誰も来ないじゃない、すると、石垣では今頃やっと夕食が終わった頃で石垣の夜は10時頃からだと言いう、なるほど10時を過ぎたらお客がぼつぼつ入って来た、しかし皆カウンターに座りボックス席にいるのは我々二人、両手に華で女性が3人だ、おい、カウンターのお客さんは良いのかよ!すると、マスターがいるから良いの、いつも来るお客さんで皆な夕涼みに来ているんだから、、と言う。いま港に豪華客船が着岸して一般公開しているから明日見学に来るように誘うと翌日二人の女性が見学にやってきた。豪華客船にしては随分小さいのね!鼻の下をながーくして船内を案内すると、今度は反対に夜又お店に来るように誘われ二人でまた出かけたネ、、、
 
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2015-08-25

[第2の人生] 東シナ海での石油調査中

那覇港を出港して翌日には調査海域に到着した。本船の朝食はご飯に味噌汁、オシンコと小鉢に入った佃煮類だけ、粗末なもんだ、かと言って昼食、夕食も大した事は無い、実習で乗船した大型船に比べたら天と地の差だ、それでも那覇港で仕入れたんだろう、パイナップルのデザート付だ。梅雨前線もだいぶ北上して真夏の太陽が眩しい感じだが小さな本船は多少ローリング、ピッチングを繰り返す、でもだいぶ船酔いにも慣れ食事も美味しくなってきた。部屋は個室に2段ベッドだが私一人だ、清水港を出港して暫くは揺れでベッドから振り落とされる感じであったが今はこの海域は凪で多少の揺れがある程度で快適とはいかないがネ、、。本船の艫から2本のワイヤーを海中に流し、時々ドーンという音とともに海中から水しぶきのような物があがる、石油公団の技術陣がいろいろな測定器の前に座り機器を覗きこんでいる。4日間ほど調査を続け久場島、北小島、南小島の横を通り魚釣島(写真)を眺めて石垣島に向かった、、、
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2015-08-17

[第2の人生] 那覇出港、東シナ海へ

生まれて初めて本土復帰前の沖縄を訪れる事ができた、本船の一般公開、歓迎レセプション、南部戦跡巡り、那覇市内観光など結構いそがしかったが3日目の午前中に那覇港を出港し、東シナ海へ向かった。那覇港を出港して間もなく慶良間諸島にさしかかりエンジンが止まった。なんだーエンジントラブルか?するとダイビングの恰好をした二人が船内から出てきた、海洋学部の先生と学生が海中探査で潜るんだそうだ。一人の学生がデッキで釣りを始めたので横で見ていると、わざわざ釣竿を取りに行って貸してくれた。私は魚を食べるのは好きだが釣りはあまり好きではない、釣り糸を垂れてじっと待っているのが苦手だね、、ちょっと糸を垂らしただけですぐ熱帯魚のような魚が釣れてきた、それは○○○(名前は忘れた)という魚ですが、あまり美味しくないですよ、と教えてくれたが、さすがは海洋学部の学生だ。30分ほど糸を垂らしたが釣れてくるのは熱帯魚のような魚ばかりだ。2時間ほど慶良間諸島近海で停泊し、昼過ぎにエンジンが動き始め海洋調査を続けながら東シナ海の調査海域に向かった。明日には調査海域に到着し本格的な石油の調査が始まる予定だ、5日間ほど調査を続け、その後石垣島に入港予定になっている、、、
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2015-08-08

[第2の人生] 沖縄南部戦跡観光


今年は戦後70年、間もなく終戦記念日を迎える、6日に広島、そして明日9日は長崎に原爆が投下された。テレビの特別番組で目を伏せたくなるような光景を見るにつけ複雑な感情をおぼえる。琉球政府のご厚意で南部戦跡を案内していただいた(写真はひめゆりの塔)
本土に復帰後も何度か沖縄を訪れたが、20万人が犠牲となった沖縄での地上戦、平和記念公園の平和の礎を見るたびに戦争の悲惨さを痛感せずにはおれない。摩文仁の丘に立ち、静かな真っ青な綺麗な海を眺めていると、今の平和な日本からは想像するのは難しい、しかしこの陰にたくさんの犠牲が有った事を決して忘れてはならないだろう、、、

 

旧日本陸軍、第32軍司令官、牛島満中将と長勇参謀長を祀っている黎明の塔(写真)を訪れた。戦争を経験し海上保安庁で鍛えられた佐藤キャプテン、君はこのような所に来るのにネクタイをしてこなかったのか! と気合を入れられた事を今でも忘れられない。沖縄は何度も訪れたが元気なうちにもう一度、ゆっくりと訪れたいと思っている、、、

 
なんとなくネットをあちこち眺めていると名物船長 佐藤孫七教授が亡くなられたと言う記事を目にした。東北のズーズー弁で船の指揮をしていた、厳しい中にも愛嬌のある、がっしりとした姿を今でも懐かしく思い出される。大学の出版会より「キャプテン孫七航海記」が出版されている事を知りすぐに購入し懐かしく読んだ。明治43年(1910年)に山形県に生まれ、旧制尋常小学校を卒業するとともに小型漁船の漁夫として海に出た。山形県水産試験場、農林省水産講習所、千葉県水産試験場などの漁業指導船に乗り組みながら独学で海員国家資格に挑み、昭和20年(1945年)には甲種船長の資格を取得したという努力の人である。その間1944年秋には、海軍水路部観測船「第四海洋」の船長として、マリアナ沖での観測中に気圧898ヘクトパスカルという超大型台風を乗り切って奇跡の帰還を果たしている。戦後は海上保安庁水路部の観測船の船長として、戦禍で荒れた水路や灯台の整備、補修にあたる傍ら、海に関する豊富な知識と技術を駆使して海底地震計の設置など日本の海洋観測を縁の下で支えてきた。その後東海大学の海洋調査実習船 東海大学丸二世 の初代船長、海洋学部教授として活躍され、平成18年(2006)1月23日に97歳で亡くなられた。
 
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2015-08-06

[第2の人生] 那覇市内観光


那覇市最大の繁華街である国際通りに行ってみた(写真)、戦争で焼け野原になり、目覚ましい発展を遂げ長さが約1マイルであることから「奇跡の1マイル」と呼ばれた。まだ日本への復帰前で道路での車は右側通行だ。平成になり何度も沖縄を訪れたがほとんど当時の面影はないネ、、、
 

沖縄出身の同級生が一人いたが東京に住んでいる、専攻は違うが同じ科のG嬢を思い出し電話をすると1年半ぶりだが、すぐに思い出してくれ船を訪ねてくれた。せっかくだから那覇市内を案内してくれると言う、仲間と言うものは良いもんだねー! 首里城などを案内してもらった、今は観光客でごった返しているが当時は未だ沖縄は海外だ、パスポートが必要な時代、首里城も人影はパラパラだった(写真)。お世話になったG嬢沖縄の宜野湾市でお孫さんと元気に暮らしておられる事だろう、、、
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2015-07-27

[第2の人生] 沖縄那覇停泊中、歓楽街へ

本船での歓迎レセプションが終わり通信長が、次席さん一杯でも行こうか、、! と言う、いや、局長わたしはお金そんなに持ってないですよ、、いや、お金はいいよ、私が出すからさ! そうですか、それじゃご馳走になります、、と言う事で港の近くの居酒屋へ、さすがは沖縄だ、日本酒なんて飲んでいる人はいない、ほとんどの人は泡盛だね、飲んだ事のない物を飲んだが、これが又強いんだわ、、、二人ともすっかりいい気分に、、、
次席さん、もう一軒行こうや! えー、良いですよ、一軒でも二軒でも、、内心、どうせおごってもらうんだから、とことん付き合うぜ、と言う事で歓楽街、松山へ。次席さん、ちょっと偵察で店を覗いてきて!と言う事で一軒の店のドアーを開けた、局長ここはダメです、年寄りの小母さんが一人です、そして二軒目のドアーを開けて中を覗くと、若い女の子が4~5人いますよ、、よし、ここにしよう、!他にはお客さんは誰もいなく女の子は暇そうにしていた、こちらの二人に女性が5人だ、両手に華なんてもんじゃない、、先ずはオリオンビールで乾杯だ、今のオリオンビールは旨いが当時のオリオンビールは飲むと後で頭にガンガンくるビールだ、続いてウイスキーだが、サントリー、ニッカウヰスキーよりもスコッチウイスキーの方が沖縄では安いんだね、当時は人気のあったスコッチウイスキーのジョニーウオーカーのブラック、通称ジョ二黒と呼ばれる高級ウイスキーだ(写真)本土のお客さんは気風が良いねー!すっかり上機嫌の通信長、おい、もう店は貸切にして他のお客は入れるな、どうせ暇なんだろう! ときた。看板の電気を消して入り口のドアーを施錠して貸切だ。女性にもどんどん飲ませるは、内心、局長大丈夫かな、帰りは付馬じゃないだろうなー、、当時はカラオケなんてのは無い、零時を過ぎると時々電話が鳴る、ママさんが、電話に出ないで!零時を過ぎての営業は違反で警察が時々お客に成りすまし電話をしてくるんだそうだ、、いやー、飲んだね、、

 
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2015-07-19

[第2の人生] 那覇港入港 歓迎レセプション



激しい船酔いに悩まされ私にとっては厳しい航海だったね、船酔いの辛さは経験した者でないと解らないだろう、船酔いで寝てて良いのであれば話は別だがね、、待ちに待った沖縄の那覇に入港した(写真)、未だ日本に復帰前で、通過は$で1ドルが360円、車は右側通行の時代だ。夜は市内の○○ホテルで歓迎レセプションが有り乗組員は士官が出席する事になり通信長が、次席さん、あんたも出席するんだからね!ときた、いや、私はまだ実習生ですから、キャプテンが出てもらえ、って言うから頼むよ!と言う事で出席したが大歓迎だったね、沖縄主席の屋良さん、日本の沖縄大使の中川さんと言われたような気がするが確かではない、、沖縄の政界、財界の名士が多数出席だ、テーブルには食べたことが無い料理がずらりと並び、飲み物もスコッチウイスキーがたくさん並んでいたね、、。翌日は本船の一般公開が行われ沢山の人が訪船された、私と通信長は無線室などの説明で大変だった。そして夕方からは本船のデッキで関係者を招いてのレセプションが行われた。
 

同じ岸壁の本船の前に琉球海運の那覇~鹿児島航路の貨客船”おとひめ丸” が入港していた。確かN先輩が通信長で乗船されていたはずだがなー、研究室にいたので主な先輩の動静は解っていた。よし、行ってみるか!タラップの前に乗組員が当直で立っていた、当時は復帰前で本土に行くにはパスポートが必要だ、勝手に気安く乗船できない、私は後ろに停泊している船の乗組員ですが通信長の○○さんは乗船されていますか?と訊ねると、N局長は乗船中です、との返事が、私は後輩の○○と申しますが、できればちょっとお会いしたいんですが、と言うと、ちょっとお待ちください、と船内に消えて行った、勿論N先輩には会った事も無いし顔も解らない、俺も結構ズーズーしいね、暫くすると白い制服を着て肩に通信長の肩章を付けた40歳くらいの男が、○○君か、通信長のNだが、まー上がれよ!と言う事でタラップを登り乗船した。すぐに、○○先生は元気かね? はい、元気です、毎日𠮟られていますよ、 そーか、相変わらずだな、部屋で1時間ほど色々な話を聞かせて頂き、無線室や船内を案内していただいた、狭い無線室だが入り口には 公衆無線電報取扱所 の大きな看板が、鹿児島に向けて出港前で忙しそうなので早々に失礼したが先輩と言うのは良いもんだねー、、間もなくテープが飛び交う中 ”おとひめ丸” 2,974トンは、蛍の光が流れるなかを鹿児島に向け静かに岸壁を離れて行った(写真)、後ろに停泊中の702トンの本船とはえらい違いだわ、、、
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2015-07-10

[第2の人生] 尖閣諸島

尖閣諸島の海底調査に参加した昭和44年頃はこの海域は今のようにキナ臭い事は無い、中国の海洋警備船なんて全く姿が無い海域だ、許可を取ってないので魚釣島(写真)に上陸こそしなかったがボートを降ろし近くまで調査に行った、双眼鏡を覗いていた一人が、おい、島に誰かいるぞ!と叫んだ、キャプテンが来て、いや、島には誰もいないはずだが、台湾の漁船員がたまに島に上陸して海鳥の卵などを取りに来るんだ、、との事だ、さすが元海上保安庁の海洋調査船の船長だ。
 

一番大きな魚釣島の近くに北小島、南小島、久場島などがあるが少し離れたところに赤鼻礁、黄鼻礁、などがある(写真は赤鼻礁)、この島は米軍が航空機からの射撃訓練などに使っているらしいネ、この海域から台湾の台北まで約170キロ、石垣島まで約170キロ、那覇市まで約410キロ、中国まで330キロだ。速度の遅い本船は那覇港まで20時間くらいかかるが、明日の昼前には那覇港に入港予定だ、こちらで入港セレモニー、一般公開などが予定されている、、、

 
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2015-06-30

[第2の人生] 海底調査始まる



本船は海洋調査をしながら東シナ海に入り南下を続け、石油調査海域の尖閣諸島近海に到着した。梅雨前線も北上しこの海域は比較的凪いでいる、だいぶ揺れにも慣れてきたせいもあるが食欲もでてきた。本船の艫(船尾)には2mX2mX2m位の大きな物が積み込まれている、これは素人の私の判断では高圧の電圧をを発生させるための変圧器だと思うがね、ここから海中に2本のワイヤーが流されている、スパーカ震源による地震探査法と呼ばれる今からみれば随分と旧式な探査方法だ、2本のワイヤーに高圧を流し海中放電(スパーク)による衝撃波の反射を受信し調査をするようだ。私は無線室で通信長と一緒にワッチをしたり、石油や海洋調査の手伝いをしたりするが大した仕事は無い、2日後に乗組員の休養、食料の積み込みなどの為、沖縄の那覇港に入港する予定だ、楽しみだねー、、、
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2015-06-25

[第2の人生] 東シナ海、そして船酔い

静岡県の清水港を出港した本船は海水の採取、海底調査などを行いながら進路を南西にとり奄美諸島から東シナ海に入ったが梅雨前線の影響で海上は時化ている、総トン数702トンの本船は木の葉のように揺れる。食事なんて食べられる状態ではない、狭い士官食堂は交代で食事をするが、みんな食べ終わってから食堂に行きご飯にお茶をかけ、梅干しで胃に流し込む、それでも10分もしないうちに吐き気が襲いトイレに駆け込む、一日に数えきれないほどトイレに駆け込んだか、しかし汚い話だが出るものは無い、黄色の胃液を吐いた、これが又苦しいんだわ、二日酔いなんて比じゃない。無線室に椅子に座っているとなおさら酔うが仕事だ、根性で我慢、我慢、、通信は主に静岡漁業無線局/JFG と松戸中央漁業無線局/JFA だが時々、電電公社の銚子無線局/JCS 長崎無線局/JOS からも電報が来るので一括呼び出しを聴守する。当直が終わると走って部屋に帰る、部屋は狭いが一応2段ベッドで私が一人、風呂も入らずに、すぐにベッドに倒れ込む、あお向けに寝ていると揺れでベッドから転げ落ちるようになるので、うつ伏せに手を少し広げて寝るが、なかなか寝付けない、、、でも疲れでいつの間にか寝ているね、、、
 
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2015-06-15

[第2の人生] 清水出港、東シナ海へ

学校関係者、家族、公団関係者、報道陣など2~30人に見送られて海洋調査実習船(写真)は紙テープが飛び交うなかを静かに清水港の岸壁を離れた。キャプテン(船長)は元海上保安庁の測量船の船長出身のベテランで海底火山の権威と聞いている、山形県出身でバリバリの東北なまりだ、通信長は異色で地方の国立大学の理科系卒で航空自衛隊に入隊したが目が悪く戦闘機には乗れず退官しタクシーの運転手をしながら夜間の大学に通い法律の勉強をしながら無線通信士の勉強をしたとの事だ、私は通信術は我流だから、、、と言っていたが、なるほど圧下式の打ち方でお世辞にも上手とは言えないな!湾内を出ると少しローリング(横揺れ)がしてきた、こりゃ先が思いやられるな、、昼食で狭い士官食堂へ行ったが簡単な粗末な食事だ、外国航路の商船とはえらい違いだが、軽い船酔いで食欲はまったく無い、こういう時は簡単なお茶づけが良いね、、、
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2015-06-06

[第2の人生] 尖閣諸島近海の石油調査


ある時先生から、学校の調査実習船が東シナ海の尖閣諸島近海の石油調査に出かけるのでお前は員外通信士で乗船してくれ、との事だ、いや先生、まだ国家試験に合格していませんが! するといつもの調子で、俺が良いと言うんだから良いんだよ! いやおうも無い、はい、解りました!海洋調査実習船 東海大学丸二世 は1年前に就航した最新鋭の船だ、当時の石油公団がチャーターし、公団の技士が乗船し、大学の先生、学生達も乗船する、総トン数702トンだ、こんな小さな船は嫌だなー、、6月13日新幹線で東京を出発し静岡の清水港で乗船した(写真)、船内では慌ただしく出港の準備が行われていた、通信長に挨拶しキャプテン(船長)にも挨拶を済ませた。夜になり航海中の消耗品を買に街に出たが1か月の乗船中、沖縄の那覇港、石垣島の石垣港に2回づつ入港する予定になっている。明日は出港だ、、、

 
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2015-05-28

[第2の人生] 新学期が始まる

4月になり我が電波通信専攻にも全国からたくさんの新入生が入学してきた。二年生は新入生の指導に張り切っている、晴れた日曜日は恒例の多摩川での訓練だ(写真)、そして今度は東京湾でのカッター(端艇)訓練も始まる、この訓練が嫌で夏休みまでに数人が退学したり他の専攻に編入する。先輩方が乗船している船が東京、京浜、に入港すると先輩が時間を作って研究室を訪ねて来てくれる、乗船中の話などを聞くのが楽しみの一つでもある。



ある時、先生から、晴海に練習船が入るんだが、お前学生を見学に連れてってくれ、、との事だ、晴海の埠頭には何隻もの大型船が着岸しているが、その中に小さな船が接岸していた。これかよ、小さな船だなー、しかーしだ! その小さな船に私が乗船する事になろうとは夢にも思わなかったな、、、
 
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2015-05-18

[第2の人生] 一大決心!

日永丸を下船し、また元の生活が始まった、馬込の寮から地下鉄で学校まで通う、学生達の通信補講の指導、通信術授業の助手、研究室の電話番、先生のつかいで旧電波管理局へ行ったり、時々先生と一緒に調布市の○○○○大学の○○研究室へ行き帰りは決まって深大寺そばをご馳走になるのが楽しみだった。夜疲れて寮に帰りそれから国家試験の勉強だ、、そんなある日先生から、おまえ○○水産高校の無線通信科の教官をやらないか、、と言う話が、山陰地方のある水産高校だ、無線通信科の教官と練習船の通信長の仕事が主だ、さーて、どうする、、先生、一日だけ考えさせて下さい!夜、田舎の父親に電話で相談してみた、お前の事だから、お前が決めたらいい! 予想していた通りの返事だ、俺は船舶通信士になるのが夢でこの学校に来たんだし、それに俺は先生と言う柄じゃないな、翌日、先生にその旨伝えると、お前はそう言うと思ってたよ、と言う事で一大決心した、、、
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2015-05-08

[第2の人生] 日永丸 東京入港下船

年の瀬もおしせまった昨年の12月、新潟港でフィリピン航路の材木船、日永丸/JEUUに実験助手兼無線実習生で乗船した。ひどい船酔いのなか、コンパスデッキに上がりアメリカの気象衛星ESSAを追い続け、2時間おきに電界強度の測定で日本の海岸局の信号を受信し続けた。夜はキャプテンと通信長のK先生の宴会のお付き合い、忙しい1航海だった。東京港で通信長、次席通信士のK先生、T先生、H先輩が下船し交代の通信長、次席通信士が他社からの融通と言う事で私だけもう1航海乗船する事になりフィリピンミンダナオ島のブトゥワンで材木を積んで東京港に入港した。東京湾に入ると大小たくさんの船と行き交う、高層ビルや東京タワーが見える、懐かしいなー!夕食時にサロン士官、ムスルーム士官、ボースン(甲板長)、ナンバン(操機長)、司厨長に下船の挨拶をした、アップさん、卒業したら日正汽船に入社するのかね? とよく尋ねられた、内心は色々な国に行く航路がある船会社に就職したいんだが、噓もほうべんだ、はい、採用して頂ければ日正汽船にお世話になりたいと思います、、僅かだが乗船中の手当をいただいて2か月お世話になった日永丸のタラップを下りた、、、
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2015-05-01

[第2の人生] 日永丸 洋上の誕生日

フィリピンのブトゥワンを出港いらい順調な航海を続け、沖縄の大東島の東方海上を通過した。明日の午後には東京港に入港予定だが今日は23歳の誕生日だ、夜ひとり部屋でサバの水煮の缶詰をおかずにして缶ビールで乾杯だ、、
子供の頃は誕生日には母が決まってチマキを作ってくれた、笹の葉を器用に細長い三角形にしてその中にもち米を入れ、箸でトントンと突っついてスゲで縛り蒸かす、きな粉に砂糖を少し入れて、これを付けて食べたもんだが、他には何もご馳走はない、普段とおりだな、勿論ケーキだの誕生日プレゼントなんてハイカラなものはない。デッキに出てみると闇夜で真っ暗だ、煙突から聞こえる低音のエンジンの音だけが不気味だ、23歳かー、今年中にはなんとか国家試験に合格して船舶通信士で乗船したいなー、、!
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2015-04-22

[第2の人生] 日永丸 ブトゥワン出港、東京行き

目の前に陸が見えるのに上陸できない、かといって特別にやる事も無い、無線室の掃除、無線機器のインストラクションを読んだりするが精々1~2時間だ、デッキに出て荷役作業を眺めるが、前航のマコではステベ(人夫)も親しく話しかけてきたりしたが、ここの人夫はちょっと人種が違う感じだ。楽しみは3回の食事と風呂に入る事、そして一杯飲むことだ、有難いことに夜になると、アップさん、一緒に一杯やろうといろいろな人が声をかけてくれる、死ぬほど辛い日が続いたが5日目に荷役が終わった、やれやれですわ! 時化で荷崩れしないようにチェーンとワイヤーで材木をラッシングしデリックを格納し出港スタンバイがかかった。アンカー(錨)がガラガラ音をたてて巻き上がりエンジンが動き始め、デッドスローアヘッド(前進微速)、ゆっくりと動き始めた。今航の揚げ地も東京に決まっている、2月19日に入港予定だが、頼む、時化ないでくれ、、、
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2015-04-15

[第2の人生] 日永丸 フィリピン ブトゥアン入港 退屈な毎日

沢山の島々が点在するミンダナオ島の北部、レイテ島の向かいのボホール海に面したブトゥアン(Butuan)沖に到着した、そしてゆっくりした速度で大きな河を上流に進みアンカー(錨)を降ろした。直に税関など官憲が乗船し入港手続きが始まったが本当の目的はお土産をもらう事なんだ、お土産用に用意した日本人形とリンゴなどを数個袋に詰めたものを用意し渡すとニコニコして、OK,THANK YOU、、、入港手続きが終了だ、間もなくラワンの原木を筏に組みタグボートが曳いて本船脇にやってきて荷役作業が始まった。本船の他に3,000トンクラスの日本の材木船が荷役中だ、荷役に4~5日かかると言うが今航海は実験もないし、上陸もできないし、通信長、次席さん、ともに他社からの融通だしやることがない、無線室で時間をつぶしたり、デッキに出て荷役作業を眺めたり昼寝をしたり退屈でしょうがないが、これといってやる事がない、早く出港しないかねー! 夜ベッドにひっくり返っているとボーイさんが部屋にやってきた、アップさん、司厨長が一緒に一杯やりませんかって言うんですが一緒にやりましょう、と迎えに来てくれた。司厨長は長崎県口之津町の出身で温厚な人だ、司厨長、親父さん(コックさん)二人、ボーイさん二人の6人で一杯会だ、、、
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2015-04-06

[第2の人生] 日永丸 ちょっとかわった次席通信士

東京を出港して3日目、夕食を食べて通信長と一緒にワッチに入っていた。次席さんがつかつかっと無線室の入口に立って、おい、局長、、、、、、、、、、、大声をはりあげて何か早口で言って無線室を出て行った、ポカーン、、通信長が、アップさん、次席さんどうしたの? どうしたんですか、何かあったんですかね、、、どうやら私の勘だが、年下の通信長が10歳くらい年上の次席さんに下目線で話すのが面白くないようだな、次席さんは小さな近海区域の船舶会社からの融通だ、自社では通信長で乗船しているんだろうが、本船は遠洋区域の大型船で本船の無線設備では所持している通信士の資格からして通信長では乗船できない、通信長はサロン食堂で船長、機関長、1等航海士、1等機関士と食事をするが次席さんは私と同じメスルーム食堂で他の士官と食事をする、部屋の広さも違う、この世界では仕方がないね、、内心、夜いっしょに当直に入るのが嫌だなー、、しかし私には普段通りに接してくれる、夜の当直時に銚子無線局/JCSの一括呼び出しで JEUU JEUU 本船が呼ばれた。右手でキー(電鍵)を持ち銚子無線局と通信を始めたが段々と椅子から腰を浮かし、電鍵を打つ右手の上に左手をかぶせ予想もしない恰好でモールスを打っているんだが、完全に手崩れをおこしてモールスを上手く打てないんだ、銚子無線局の通信士が何回も何回も聞き返しやっと一通の電報を受信した。
先が思いやられるなー、、、
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2015-03-28

[第2の人生] 日永丸 東京出港、フィリピン ブトゥアン行き

停泊中は一晩だけ寮に泊まり、後輩たちを集めて船内生活など船の話をしたが後輩たちの目が輝いていた。東京港に4日間停泊し5日目の昼過ぎに出港した。今航の積地はフィリピン、ミンダナオ島の北部、レイテ島の向かいのボホール海に面したブトゥアン(Butuan)だ。キャプテンが、アップさん、今航は上陸できないからな! えッ、ダメですか、、、けっこう大きな町らしいが治安が悪いので上陸は無理との事だ。通信長は中堅の海運会社からの融通、次席さんは小さな海運会社からの融通、二人とも他社からの人で当社の事はまったく解らない、キャプテンが、二人とも融通だからアップさん頼むぞ!とのことで、ずいぶん期待されたもんで、どっちが通信長かわからんネ、、歳は次席さんの方が通信長よりもかなり上で経歴も長いようだが所持している無線の免許の関係で本船の無線設備では通信長はできない。夕方には伊豆諸島の島影も見えなくなり暫く日本ともお別れだな、、全航の夜は連日の宴会でいささか疲れたが今航はゆっくりと、のんびりと過ごせそうだ、久し振りに当直が終わり風呂にゆっくりと浸かり、一人でビールで出港祝いだ、、、
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2015-03-17

[第2の人生] 日永丸 東京入港

大時化の海もだいぶ凪になってきたが未だ少し白波がたっている。房総半島と伊豆大島が見えてきた、懐かしい日本の島影だ、と同時に大小いくつかの船も見えてきた、タンカー、貨物船、自動車専用船も見える、東京湾に入るとますます船の数が多くなってきた、、1月の東京湾の風は冷たいがデッキで景色を眺めていると時間の経つのを忘れる。昼過ぎに岸壁に着岸すると直に検疫官、代理店が乗船し検疫が済むと税関が乗船してきたが作業服を着た税関もぞろぞろと乗船してきた、なんだー! どうやらサーチ(船内一斉捜索)があるようだ。乗組員の船室、エンジンルームまで徹底的に調べたね、一人の税関について一緒に回ったが、やっぱり商売だねー、探すポイントをつかんでるね、、東南アジアから入港する船は特に調べられるようだ、拳銃、麻薬の密輸を警戒しているようだな、結局なにも出てこなかったがね。先輩が車で実験機材を取に来たので沢山の機材を車に運び込んだ、そして通信長のK先生、次席通信士のT先生は交代の通信士と引き継ぎをし午後には下船だ。私も一緒に久し振りに研究室に行ったが交代の二人の通信士は他社からの融通なので夕方には一旦船に戻った、、、
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2015-03-09

[第2の人生] 日永丸 大時化の太平洋

フィリピンのミンダナオ島マコを出港して3日目、乗組員の交代電報がきた、我が無線部は通信長の○○先生、次席通信士のT先生、助手で実習生のH先輩、そして私と全員下船だ、これは初めから解っている事なんだが通信長と次席通信士の交代がもんだいだ、交代が手配つかず二人とも融通(他社より借りる)とのこと、キャプテン(船長)が無線室に来て、二人とも他社からの融通じゃダメだ、○○先生、二人とも手配がつかないのなら本社に電報を入れるからアップさん(実習生)の○○○をもう一航海乗船させてもらえませんか! と言う話になった、K先生いわく、あーキャプテンいいですよ、一航海でも二航海でも使ってください、、と言う、内心、えらいことになってきたなー、、さっそく本社にその旨打電するとすぐに返事が来た、 ミ」ジッシュウセイ○○○ゼイセントスル、ヨロタム」センインカ (見た、実習生○○○乗船とする、よろしくたのむ」船員課)、ということでもう一航海フィリピン航路の乗船があっさりと決まってしまった、僅かだが賃金も頂けるし、海技試験の国家試験受験の為の6か月間の乗船経歴にもなるし悪い話ではない。 
だんだんと北上し小笠原諸島と沖縄の南西諸島の真ん中、四国のはるか南方海域にくるとだんだんと時化てきた、何メーターもある波が本船の船首にぶち当たる、ドドーン、、波しぶきがブリッジまで飛んでくる、船の行き足が止る感じだ、ギシギシ、ゆっくりした周期でローリング(横揺れ)する、このまま傾いたままで同じ方向に大きな波でもこえばひっくり返るんじゃないのかよ、、恐怖心をおぼえる、船酔いもひどくなってきた、汚い話だが出るものはみんな出てしまい、黄色い胃液がでる、これが又苦しいんだわ、でもこれを克服しないと船乗りにはなれない、、、

 
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2015-03-01

[第2の人生] 日永丸 フィリピン マコ出港、東京向け


停泊中は実験以外は小さな町だがタグボートに乗って上陸したり、デッキから釣りをしたり結構楽しく過ごした。ラワン材をハッチ(船倉)に一杯に積んで、ハッチが一杯になると今度はデッキに山のように積む(写真)、一週間ほど停泊し荷役も終わり材木のラッシングをし(材木が崩れないように、チェーンとワイヤーで材木を固定する)いよいよ出港だ、出港と言っても岸壁に接岸しているわけではない、アンカー(錨)を巻き上げエンジンが動き始め、船体も静かに動き始め、コースをダバオ湾の入り口のサンアダスティン岬に向け動き始めた。今航の揚げ地は東京だ、東京まで約1,950海里、スピードの遅い本船では6日くらいはかかるだろうが、時化があれば更に遅れるだろう、今の時期は日本近海は時化ていると思った方が間違いない、しかし材木をデッキにも満載しているので重心が高くなりローリング(横揺れ)の周期がゆっくりになるので、船に弱いhamさんにとっては少しは気が楽だがネ、しかしブリッジ(船橋)ではそれだけ船の安定性が悪いので気をつかう。サンアダスティン岬を通過すると北東方向にコースをとっている本船は間もなくフィリッピンの島影が見えなくなったが空は満天の星で南十字星が綺麗だ、、、
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2015-02-21

[第2の人生] 日永丸 マコ停泊中 バナナ

停泊中は当直は無いが気象衛星ESSAの画像受信、電界強度の測定受信は続けている、狭い無線室に実験機材などで足の踏み場も無い状態だがなんとかスペースを見つけて4人でお茶タイムだ、時々キャプテン(船長)がみえると私は立ってコーヒーを飲む。デッキではラワンの材木を筏に組みタグボートが曳いてくると、ステベ(人夫)が大木にワイヤーを掛け、ウインチで引き揚げ船倉に入れて行く、時々ワイヤーから材木が抜けて落下する事があり危険な作業だ。デッキに出て作業を眺めていると一人の人夫が親しげに話しかけてきた、日本のチキンラーメンが好きだと言う、夜食用に買い込んであったので5個ほどあげると、幾らか、、、と言う、お金は要らない、プレゼントだと言うとたいそう喜んでいた。夕食を食べてデッキで海を眺めていると、、へー、マスター! と叫ぶ声が、見るとラーメンをあげた人夫がバナナの大きな房を肩に担いでやってきた、私にラーメンを頂いたお礼のプレゼントだとさしだしてきた、何十本も付いた大きな枝だ(写真)、未だ熟してはいないが帰りの航海の頃にはちょうど良いと言う、新聞紙で包み無線室の隅に立てかけておいたが数日できれいに黄色に色付いた。
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2015-02-12

[第2の人生] 日永丸 マコ停泊中、 パーティー


マコの沖合に停泊し荷役作業が始まった、ラワン材を筏に組んだ物をタグボートが引いてくる、それを本船のウインチで積み込むわけだ。キャプテンが無線室に来て、おい、アップさん昼を食べないで上陸するからサードオフィサーにも言っといてくれ、、との事。キャプテンとサードオフィサー、H先輩と4人でタグボートに乗って上陸した、実習で行ったマレーシア以来だ。港と言うよりも桟橋のようなところにタグボートが着くと、誰だか知らないが現地の男がダットサンに乗って迎えに来ていた。椰子の木などが茂る林の中を15分ほど走ると家がぽつぽつと見えてきた、大した町ではないが周りの家に比べるとしゃれた一軒に到着した。町長の家だ、玄関には町長夫妻と娘さんが出迎えてくれた。広いリビングには娘さんと同年配の若い女性が6人ほど来ておられた(写真)、アメリカ、イギリス、シンガポール、などの大学に留学経験のある裕福な家庭の娘さんばかりだ。料理が運ばれ食事となった、しかし日本人の私にはどうも味が合わない、まずい食べ物は慣れているが味の合わない食べ物はなかなか喉を通らない、美味しいですか? と訊ねられ、まさかまずいとも言えない、美味しい! と言うとどんどん勧める、これには参ったね、キャプテンは流石に慣れたもんだ、美味しいと言ってどんどん食べている、、食事が終わると我々若者3人と女性7人、コーラを飲みながらお喋りタイムだ、何で若い乗組員がもっと来なかったのか! と嫌味をチクリと、、サードオフィサーのもてる事、、そのうちにレコードがかかり女性人はダンスを始めた、見ていると一緒に踊ろうと手を引っ張られて踊らされる、ダンスなんて全く初めてで解らない、身振り見まねで音楽に合わせて手と足、腰を動かし踊ったが、他人が見れば吹き出すだろう、、それでも段々とリズムに会いスムースに身体が動くようになるもんだ、、段々と打ち解けあい下手な英語でも結構と会話が弾むもんだ、、あっと言う間に数時間がたち、キャプテンは町長、シッパーなどとダバオまで飲みに行くと言う、我々三人は名残惜しいが材木を曳くタグボートで本船に戻ってきた、
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2015-02-03

[第2の人生] 日永丸 マコ入港 船上の正月

あまりにもの静けさに目が覚めた、いつもだとエンジンの響きと心地よい震動がするが、ここは何処だろう、、錯覚を起こす、ふと我に返りポールドに目をやるとカーテン越しに日が差している、ベッドに起き上がりカーテンを開けると本船は停泊している。目を動かすと水平線にミンダナオ島のダバオの赤い屋根の街並みが見える。慌てて着替えて無線室へ行くと次席通信士のT先生が、ニコニコしながら、もう入港手続きは終わったよ、すると通信長の鬼のK先生もサロンから無線室へ来られた、おー、生きてたかよ! H先輩と四人で無線室でお茶タイムだ。そして数時間の航海で積み地のマコの沖合にアンカーを下した(写真)
 

 
マコに停泊中に正月を迎えた、故郷以外で初めて迎える新年が海外のフィリピンで迎える事になった。司厨部が腕を振るって作った豪華な正月料理がテーブルに並べられ(写真)、マコの町長、シッパー(荷主)も差し入れを持ってやって来て、キャプテンの音頭で乾杯となった。今日ばかりは材木の積み込みも休みだ、、、
酒、ビール、ウイスキー、ワイン、なんでも飲み放題だ、K先生、今日は実験も休みにするから飲め、! と言う事で飲みましたって―、勧められれば、はい、いただきます! 町長が明日、自宅でパーティーをするので招待するから是非とも来いとの事、町長の娘さん、友達の若い女性が多数集まるとの事だ、従って若い乗組員だけ招待すると言う、キャプテン(船長)、サードオフィサー(3等航海士)、H先輩、と私が代表で行くことになったが、えらいことになりました、
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2015-01-26

[第2の人生] 日永丸 順調な航海、肩振り

東シナ海から太平洋に出た本船(写真)は台湾の東方海上を南下し、フィリピンのルソン島の東方海上を南下している。夜になると南十字星が綺麗だし、空を見上げれば満天の星だ。朝目が覚めポールド(窓)を覗くと右舷に島影が見える、朝食を食べブリッジに肩振りに登った、当直のサードオフィサー(3等航海士)は大阪府出身の国立神戸商船大学出身だ、右舷に見える島影はサマール島だと、サードオフィサーが、アップさんが乗船しているから今航は本船スピードが出ているんだわ、今15ノットも出ているので入港が少し早くなるよ、との事だ、潮が良いらしいな、夜にはミンダナオ島のダバオ沖に着くと言う。ここで官憲などが乗船し入港手続後、ダバオ湾を少し奥に入ったマコに向かい、こちらで材木(ラワン)を積み込む。外国は実習でマレーシアに行った時いらいだ、クオーターマスター(操舵手)がコーヒーを入れてくれたのでご馳走になり2時間ほどブリッジで肩を振ってきた、、、 「肩を振る」とは船乗り言葉で、雑談をする、と言うような意味だ、、、
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2015-01-17

[第2の人生] 日永丸 時化の東シナ海から太平洋へ

冬型の気圧配置で連日海は時化ている、船酔いで苦しいのに、そんな中でも実験は続けなければいけない、合羽を着て安全帯を付けて気象衛星からの電波を受信するためにアンテナを回す、電界強度の測定の受信をする、夜はキャプテンと通信長のK先生の一杯の準備やら大変だ。食事といっても沢山のご馳走が喉をとおらない、長崎県の口之津町出身というボーイさんが給仕で立っていて、アップさん、お代わりいかがですか! 内心、お前も人が悪いなー、、新潟を出港いらい数キロは痩せた。夜になっても風呂に入る元気も無い、当直が終わると直にベッドに横になるがローリングとピッチングで寝不足なのになかなか寝付けない。本船は沖縄の宮古島、石垣島の間を通り太平洋に抜けた、ようやく時化も収まり南国の天気に変わってきた。げんきんなもんだ、船の揺れが収まってくると次第に食欲もでてきた、こーでなくちゃねー、、、
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名前は:ham 
年齢は:爺 ♂
血液型:B型 みずがめ座

辛い事もあったが楽しい事も、、
良い思いも沢山させて頂いた激動の人生、
昔のこと、今の事、自由に綴る我が人生、






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