80歳90歳代のお年寄りは戦中、戦後の大変な時期を苦労して生き抜いて来られた方々だ、若い時の無理が年老いてから色々な形で身体に出て来ているのであろう、先代の人々のご苦労があってこそ、今の日本があると言っても決して過言ではないだろう、、、。

2012-05-13
2012-05-06
ゴールデンウイークも今日で終わり、連休中はほとんど仕事であった、、
三日に遊びに来た娘夫婦と孫の仲良しちびっ子二人と一匹、昨日の夕方、仔犬のリクだけをおいて石川に帰って行った。今日は久し振りに休みだが朝起きると小雨交じりの天気、これでは家庭菜園も史跡巡りもウオーキングも無理だな、相方が珍しく 風呂でも入りに行くかね、、、! 近隣には民営を含め日帰り温泉施設は沢山あるんだが、折角だ、車で10分、20分で着いちゃうのも芸が無いしな、、、頭に浮かんできた、そーだ、松之山温泉にでも行くか、、ここは南北朝時代の昔、一羽の鷹が舞い降りて傷ついた羽を休めたと言う薬湯、兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉、と並んで日本の三大薬湯に数えられる。頭に浮かんできたのには理由がある、、ほとんど毎日、年甲斐もなくブログを綴っているが、どうせ書いているんだ、とあるブログランキングに参加しているが、そのランキングで常に私の二つ三つ上位にランキングされているブログがある、「ほっこりと湯の山blog」 だ、ナステビュウ湯の山 (写真)と言う民営の日帰り温泉施設の社長さんが書いているブログだ、家を出て一時間、山里に入ると、まだところどころに雪が残っている、ここ松之山温泉は子供がまだ小さい時に来て老舗の温泉旅館、陵雲閣に泊まった事があるが、その後は松之山で講習会を数回開催した、又業界の親睦ゴルフコンペを十日町カントリー倶楽部で行い前日の親睦会をここ松之山温泉で行った事もあるし、その後も営業活動で何回も訪れているが今回は数年振りだ、温泉街も行ってみたが、ちっとも変わっていない、これが又良いところだネ、、。
駐車場には車がたくさん止っている、中に入りフロントで入場料(一人500円)を払い、ちょうど昼だ、ちょっと腹もへったし食堂で何か食べるか、、ふと見るとブログに出ている写真の人が忙しそうに動き回っている、 ははー、この人があの社長さんだな、社長、儲かってますな! 食堂は多くの家族ずれなどで一杯だ、相方が、、久し振りにラーメン食べようか、、それなら俺はチャ―シュ―麺だ、、
ここ松之山温泉は山里にあるが温泉は塩分を含んだ、しょっぱいお湯なんだ、ゆっくりと湯船に浸かり露天風呂に行くと目の前の山肌、棚田にはまだところどころに残雪が、そして渓流の音が聞こえ新緑がきれいだ、、晴れていればウグイスなど小鳥のさえずりも聞こえるんだろう、、秋に成れば又紅葉も見ごたえがあるだろう、、いつもは長湯は好きではないんだが一時間以上も出たり入ったりで、あがると相方が既に待っていた、、いつまで入っているの、、! フロントに先程の社長さんらしき人が、 ブログを見ていますが、写真に出ている人ですかネ声をかけると、 はい、当館の社長の○○です、誰もコメントを書いてくれないんですよ、、 又今度は 美人林 でも見に行き温泉に浸かろうと思っている。
2012-05-06
4月6日から始まった 日本三大夜桜 第87回高田城百万人観桜会、22日までの予定が1週間延びて29日に終了した。今年は26年振りの大雪で3月の下旬には高田公園内のところどころに雪が残っていた、又下旬の寒波襲来で開花が大幅に遅れ関係者をやきもきさせた今年の観桜会、会期が一週間延長に成り開花後は比較的に天候にも恵まれ期間中の見物客は105万2400人と発表された。2007年から2010年まで4年連続で100万人を突破したが昨年は東北大震災の自粛ムードで規模も縮小されて79万6700人と100万人を大幅に割り込んだが今年は又目標の大台を突破し、高田城100万人観桜会、内外的にも定着してきた感がある。観桜会の前半、例年であれば一番の見頃だが、まだ花の咲かない雨の中を合羽を着て傘をさして説明を聞いている幾つもの団体客を目にしたが、、、あらかじめ決められた日時のツアー客、自然が相手では、いたしかたが無いとは言え、気の毒に、せっかく遠くから来られたろうに綺麗な自慢の桜の花を見て頂きたかった、、、。今は静まり返った高田公園だが2ヶ月半もすると今度はお濠一面に咲き誇る、 東洋一のハス祭り で賑わうだろう、、、。
★あまり上手な写真では有りませんが、観桜会のスライドショーをご覧下さい。
= こちらをポチッと押して =
2012-04-25
2012-04-24
桜の花もピークを過ぎて花びらが風に舞っている、、雨で2日程さぼったウォーキング、仕事から帰り早速ジャージに着替えて家を飛び出した。 今日は先日、変質者と勘違いされた自然公園、展望台のコースにした。このコースは自然がいっぱいで桜の花が風にチラチラ舞う中を(写真)周りの木々を眺めながら早足で歩く、長く厳しい冬を耐えた木々が芽吹きはじめ本格的な春を感じる。このコースはキョロキョロ周りを眺めても車の心配が無いから安心だ、、、息を切らして坂道を登り展望台に登ると今日は先客のオッサンがいた、 俺も人の事は言えないけどさ―! コンチワ―! 一声かけて早々に下りて、又歩きはじめる。住宅街に出ると学校の帰り、遊んでいる沢山の小学生に会った、、、 コンニチワ! おじさんコンチワ! 、、、恐らく大人に会ったらちゃんと挨拶をしなさい、、と教えられているんだろう、 ハイ、コンニチワ、車に気を付けるんだよ、、何人もの子供たちが挨拶をしてきた、こんな何の曇りもない小さな子供たちの登校の列に車が突っ込む、大きなアクシデントがあったのなら、決して良いとは言い難いが、無免許の18歳の少年が夜中じゅう遊びまわり、そのあげく居眠りで登校の列に突っ込むなんて弁解の余地がない今回の事故、犠牲になった人、今なお重体で生死をさまよっている小さな子供、重傷の子供、なんとも言葉が無い、、、先日も同じ京都で十数人もまきこみ沢山の人が尊い命を奪われた事故があったばかりだ、いくら子供達に車に気を付けろ、、、と言ってもこれじゃ気を付けようがないだろう、、、今の時代、車に乗らない訳にはいかない、、、朝の登校時間なんて精々30から40分位だ、ガードレールや歩道が無かったり、少しでも危険が考えられる通学路は思い切って通学時間帯は一般の車は通行禁止にするなり、今以上に思い切った規制、施策を早急に考えないと、この様な痛ましい事故は繰り返されるだろう、、、。
2012-04-20
2012-04-16
お待たせしました、
高田城の桜、本日開花宣言です、、、
観桜会の期間も1週間延長で、29日(日曜日まで)
高田公園の4,000本の桜
3,000個のボンボリ
ボンボリノ淡い明り、ライトアップされた三重櫓、
お濠に映る光景は日本三大夜桜の名に恥じない見事なものです、
明後日、18日からは比較的、天気に恵まれそうです、、
上の写真は1昨年の物です、
★ 日本三大夜桜、第87回高田城百万人観桜会の情報は = こちら =
2012-04-14
2012-04-13
2012-04-04
2012-04-02
2012-03-31
時々、当ブログでお騒がせ致しました、なかよしちびっ子二人と一匹、、 乃愛ちゃん、真愛ちゃん、リク、今朝、慌ただしく引っ越して行った。夕方、仕事から帰ると玄関にあった小さな可愛い靴が置いてない、部屋に入ると部屋中オモチャが散らかっているのに部屋はスッキリ、、、、今月の初めに荷物だけは先に引っ越しが完了、その後は我が家に居候していた、まー賑やかだったが、結構二人の孫に癒された、一番大変だったのは相方だ、ご飯の支度をしたり、孫の面倒をみたり、こっちは自分の都合で相手をするだけだから気が楽だ、、、嵐の去ったあとの静けさだろうか、、ちょっと寂しい気もするが、今度は5月の連休にでも顔を出すだろう、、、 その時には下の真愛ちゃんは少しは歩くようになっているかな、、、今は便利な世の中、落ち着いたら会員である interush が提供しているサービス、phytter で顔を見ながら話をしようと思う(勿論無料)、便利な世の中だねー!
2012-03-27
2012-03-24
昨年、一昨年と、そこそこに雪が降ったんだが、降った期間が限定的で昨年は2月以降はほとんど降っていない、しかし今年は2月になっても結構降ったな、、、高田の観測地点で2メーターを越したのは26年振りと言う、しかーしだ、 市内の観測点で最も多かったのは実に5メーター45センチだ、たまげたネ、、、市内でも比較的雪の少ない私の家の周りでも1メーター50センチくらいは有ったろう(写真)、しかしここのところの高温と雨で急激に雪解けも進み今日、目出度く雪が全て消えた、水仙も蕾を付けている、昨年末に球根を植えた花壇のチューリップの芽も土の上に顔を出してきた、、家の玄関の中で冬を越した南国の明日葉(あしたば)も一気に緑の茎が伸び始めてきて春が一気に訪れてきた感じだ、晴れの日でも続いたら家庭菜園の準備も始めよう、ジョギングも始めなければいけない、、いよいよ忙しくなるぞ、、、今年は雪に随分と虐められた分、春の訪れが嬉しいね、、、
2012-03-20
日本三大夜桜、第87回高田城百万人観桜会まであと半月になった、26年振りの大雪で会場の高田城址公園には未だ雪がどっさりとあるが、先日公園の前を通ると業者が公園内を除雪していた、観桜会が始まる4月6日までには雪はなんとか消えると思うが今のままでは準備が出来ない為であろう、今のところ開花予想は11日となっている、天気にもよるが14日15日の週末は桜も見頃で大変な人出になるのではないだろうか、昨年は東北大震災の自粛ムードで色々な企画が自粛されて何年か振りに見物客も百万人を割り込んだが、その分今年は盛り上がるであろう。ようやく雪国にも本格的な春の訪れである、、上の写真 は勤務先のグループのバス会社の東京行きと新潟行きのラッピング高速バス、これが東京都内を走る訳だ、いい宣伝になるネ、、、、
観桜会の色々な情報は = こちら =
高田公園の桜について = こちら =
昨年の観桜会スライドショー = こちら =
2012-03-18
仕事で海岸通りを走っているとフロントから佐渡汽船が入港するのでフリー客を見るように指示が来た、今の時期乗客は少ない、着岸する ”こがね丸” を見ていると昔が思い出され、つくずく時の流れを感じた。
直江津⇔小木航路は昭和25年(1950)開設され、当時は夏季のみ柏崎に寄港したようである。
昭和58年(1983) カーフェリー こがね丸 就航
昭和63年(1988) カーフェリー おとめ丸 就航、 直江津港に旅客ターミナルが完成、
平成 元年(1989) ジェットフォイル みかど 就航、
平成 5年(1993) カーフェリー こさど丸 就航、 (こがね丸、海外に売船)
平成15年(2003) ジェットフォイルが廃止になる、
平成20年(2008) こさど丸が廃止、こがね丸 1隻体制になり、運航便数も減便になる、
私が初めて佐渡を訪れたのは昭和41年(1966)の夏であった、おけさ丸 「800トン」 (写真)である、若かったねー! 岸壁から船に橋がかけられ乗船する、
当時の乗船券が右の写真だ、昔の国鉄時代(古いねー)の切符と同じ、係員がタラップの前で乗船券(航路券)にパチ、パチと鋏を入れる、、、
写真は当時の こがね丸 (800トン)だ、直江津から佐渡の小木まで3時間半はかかったような気がする、今の こがね丸 は3代目になる、現在の こがね丸 は 2:30から2:40分で直江津、小木間を結んでいる、最新の大型カーフェリー(写真上)、時代の流れを感じるねー!
全長 120,5メーター
総トン数 4258 トン (国際総トン数 約9000 トン)
最大速力 21,7 ノット
旅客定員 1133 名
2012-03-16
仕事で毎日のようにマリーナの前を通るが、広いボートヤードには大型、小型、びっしりとプレジャーボートが並んでいる(写真)、恐らく200隻以上はあるんじゃないだろうか、、今はマリンレジャーの季節ではないが、以前から思っていたんだがシーズンになっても陸に揚げっぱなしで全く動いていないボートが多数ある、恐らく半分以上のボートがこれに該当するんではないだろうか、、、数百万円もするのに勿体ないねー、このほとんど動かないプレジャーボートの所有者は県外の人、特に海の無い長野県の人が多いと言う、これから週末になると港は釣り客で賑わうが大部分が長野県の釣り客だ、プレジャーボートに憧れるのも解る気がする、しかーしだ! 段々と飽きもきてお荷物になってくる、車と違って簡単に何処えでも持っていく訳にはいかないから始末が悪い、、、hamさんも昔、プレジャーボートを一時、所有していた事がある、知り合いが、やはりボート遊びにも飽きてしまい、ボートのやりばに困り私に、 ○○さん、ボートタダであげるけど要らない、、、、? ときた、丁度、小型船舶操縦士の免許も所有していたので恩にきせて、 要らないんなら貰ってやるわ! と言う事で100馬力のガソリンエンジンを搭載した、おんぼろのニッサンのプレジャーボートのオーナーになった、初めの頃は好きでもないのに色々と沖釣りの釣り道具も揃えて、釣れもしないのに沖釣りに出かけた、ところがこのボート、ツインキャブの大飯食いのエンジンで一度沖に出ると燃料代が目にあがる、、餌代、燃料代、氷代、、、等、鮮魚センターで魚を買った方がよっぽど安い、、当時は係留も川に違法係留であったが、雨で川の水が増水する度に心配になったりで段々と邪魔になってきた、マリーナ―が出来、河川の違法係留も禁止になりスクラップ業者に引き取ってもらったが五万円請求された、、、、
不法係留を抑制し適正な河川利用を推進するために平成14年に現地に近代的なマリーナが整備され、「マリーナ上越株式会社」が設立されて第3セクターで管理運営を行っている。停泊地(写真)約0.9ha, ボートヤード 約3.4ha で350隻のボートを収容できる、修理工場、給油所、会議室、シャワールーム、事務所、展望室、休憩室、、等があり一般の人も利用できる。 豪華なプレジャーボートでのんびりと釣りでも楽しみたいもんだね、、、、。
2012-03-08
ほとんど毎日と言っていいほど仕事で火力発電所の建設場所に行くが、これが完成してしまえば滅多に行く事もなくなるだろうし、簡単には敷地内には入れないだろう、、丁度、私が今の仕事、新米ドライバーになった年に発電所の工事が始まった当時は広い敷地におびただしい数の杭打ち機が基礎の杭を打っていた、、、あれから5年、3基のLNG貯蔵タンクのうち1基は完成し既に燃料のLNGが入っている、2基目も、ほぼ完成しているようだ、3基目も完成が近づいているように思うが、タービンの入る建屋は外観はほぼ出来ているようだ、事務所、運転室などの管理棟も完成している、昨年の10月に燃料のLNGを積んだ第一船のタンカーが入港し、今年の1月の下旬に第二船が入港した、そして今月の中旬に第三船のタンカーが入港すると言う情報がある、数日前より小さな煙突から又、炎が上がっている、と言う事は試運転で動いていたタービンが止っているんだろう、、、、最近に成り、雪が消えた為か、道路、歩道、側溝などの付帯工事が急ピッチで進められているようだ、恐らく7月の一部営業運転までには完成するんだろう。工事の初期段階から目にしているせいだろうか、何となく愛着があり工事の進捗が楽しみだ、、、そしてこの火力発電所が完成する頃には私の新米ドライバーの仕事も終わりを告げる頃だろう、、、
2012-03-07
引っ越しをする娘の荷物を片づけていると懐かしい物が出てきた(写真)、写真が入った小皿だ、よく見ると昔お世話になった恩師を奥さまと共に佐渡にご案内した時のものだ、業者が勝手に写真を撮り、すぐにお皿に加工し売りつける、どこの観光地にでもよくある、、、まんまと業者の思うつぼにはまった訳さ、、、佐渡島での観光地、尖閣湾、安寿と厨子王の伝説に出てくる母と子が再開した海岸、お達者海岸でのものだ、以前は仕事で毎月のように佐渡を訪れた、仕事の合間などに観光地を廻ったりしたので佐渡に関してはちょっとだけ詳しい、、、、
お達者海岸
尖閣湾の一角にあるこの地名は伝説である「山椒太夫」に由来します。生き別れとなっていた母とその子、厨子王丸がこの地で再開し、お互いの達者を喜んだことからつけられました。現在は佐渡を代表する海水浴場となっており、夏季観光シーズンには多くの海水浴客が訪れます。
仕事で港の前を通ると冬の間、欠航していた佐渡汽船、直江津、小木航路のカーフェリー ”こがね丸” が専用岸壁に着岸していた、 おー、いよいよ船も動き始めたな、、、昔は大型フェリー2隻が就航し高速船、ジェットフォイルも就航していたが、利用客の減少で今は大型フェリー1隻が就航している。佐渡は大きく分けて、北部の大佐渡、中部の国仲、南部の小佐渡に分けられる、以前は1市1郡(両津市、佐渡郡)であったが今は合併により島全体が佐渡市に成った。佐渡ヶ島の北部には1172メートルの金北山を主峰とする大佐渡山脈、南部には645メートルの大地山を主峰とする小佐渡山脈が連なり、そしてその二つの山脈に挟まれるように米どころとしても知られる国仲平野が横たわっています。佐渡の海岸線は全長約280キロで車で廻っても1日はかかるだろう、淡路島の1,5倍、沖縄の三分の二の広さがあり離島としては日本で一番大きい島だ、気候も海流の関係で冬は新潟県の本土より1~2度高く、夏は逆に1~2度低い。四方海の佐渡は海産物の宝庫は言うまでも無い、冬の天然のブリ、カキ、イカ、エビ、、、などなど、ブリカマで一杯なんて最高ですでね、! 農業、酪農も盛んで、おけさ柿、ルレクチェ、などは全国的にも高い評価を得ている、又美味しいコメと水から生まれる地酒も淡麗辛口で7つの蔵元がある、、、、。歴史と伝説の島、佐渡ヶ島をどうぞ一度訪れください、、。 北国にもようやく春の訪れが感じられる今日この頃です、佐渡ヶ島観光の行き帰りにでも歴史のあるご当地にも是非お立ち寄りください、、ご指名頂ければ、私、hamさんが親切丁寧にご案内させて頂きます、、、、汗、、。
2012-02-29
2012-02-24
2012-02-19
仕事で直江津海岸の親鸞聖人上陸の地の直ぐ横までお客様を迎えに行ったが、少し時間が早いので海岸線に出ると今の時期、珍しく太陽が顔を出し昨夜の新雪に眩しいくらいだ、今から800年前、浄土真宗の開祖、親鸞聖人がここ国府に上陸された海岸線を眺めると、絵画に興味があれば筆を運びたくなる光景だ、この寒空にサーフィンを楽しんでいる若者の姿も見える、いつもは空が鉛色、海は時化で季節風が吹き荒れている海岸線も今日は絵になる光景だ。春から秋にかけて大勢の観光客が訪れるが今は訪れる人はなく、雪に埋まり静まりかえっていた、、、、。 春が待ち遠しい越後の今日この頃である、、、
親鸞聖人上陸の地の案内は = こちら =
2012-02-18
2012-02-12
折角の休みだが除雪作業で終わりそう、この重労働の除雪作業、せこい話だが、何かを頂けるとか、お金になるとか、、、であれば我慢も出来るが、精々、運動になる、ご飯がおいしく頂ける程度、春になればみんな融けてしまうんだがネ、、、朝の3時過ぎに除雪車が来る、これが問題だ、道路を除雪した、硬く重たい雪を敷地の真口に比例して置いて行く、、3台停めてある車の前にこの重たく硬い雪をどっさりと置いて行くが、どこに文句も言える訳でもない、高齢者に出来る作業ではない、仕事でお年寄りをお供すると口説いておられるが、わかるねー、、、! スノーダンプが足りずホームセンターに行ったが既にどこも売り切れで買う事が出来なかった、こんな季節商品、来年まで手に入らないでしょうね、、、
上越市の積雪は2メーターを越えた、昭和59年から3年間続いた「3年豪雪」時の昭和61年以来、26年ぶりになる。今後も降雪が予想されているが、嫌になっちゃうねー! でも雪が降ると、ニコニコ、
降らないと困る人、業種もあるので複雑だ、、市内でも比較的雪が少ない私のところでも既に2メーター近い、屋根の上は風で雪が飛ばされて少ないが廻りは多いねー、(写真) 家庭菜園も花壇もみーんな雪の下だ、でも未だいい方だ、連日テレビ、新聞などで妙高市の関山、魚沼の津南町が豪雪で報じられているが、市内に34ヶ所の積雪の観測点があるが市内牧区棚広新田では5メーターを突破している、、4メーター以上の地点も何ヶ所もあるこの雪、業種によっては空からお金が降ってくる、、、、,と言われるが、今の時代、石油のように何かに使えないものだろうか、、、。
2012-02-10
2012-02-05
2012-02-01
2~3日前、仕事で市内の高田地区を通ると道路は消雪用のパイプから出る水で雪はほとんど無いが(写真)屋根を見ると、結構有るねー、この分だと近いうちに一斉の屋根の雪降ろしになるなー、、昨年、一昨年と2年連続で高田地区の一斉雪降ろしが実施された、昨年は雪降ろしがされた後、2月は観測史上もっとも降雨量が少なかった、と言う事は比較的天気の日が多かった訳だ、しかし予報ではまだ2~3日は冬型が続きそう、、市内、高田地区の住宅密集地区では雪降ろしをする場合、大部分の屋根の雪は道路に降ろさないといけない、当然通行の妨げに成る、従って日にちと時間を定めて一斉に屋根の雪降ろしを行う訳である、雪降ろしが終わると重機、ダンプカーなど総動員で一斉に雪の排雪作業に取り掛かる、雪降ろし実施の目安として屋根の積雪が140センチ又は1平方m当たり雪の重量が420Kgと定めている、近年では平成18年が県内は豪雪に見舞われた、この年の高田地区の積雪は162センチ、しかーしだ! 昨日現在の積雪は既に174センチを記録している、市内では34ヶ所の観測地点があるが既に11ヶ所の観測地点で積雪が3メーターを越え22ヶ所の地点で2メーターを越えている、市内牧区棚広新田では515cm、清里区の旧青柳分校で438cm、安塚区須川で410cmを記録している。今週末の4~5日、高田地区の一斉屋根の雪降ろしが実施される事に決まった、市内のあちこちで交通規制が実施される、これが終わってからが又大変だ、生活に影響が出ないように短期間での排雪作業、重機、近隣からのダンプカーも総動員で市内の雪捨て場所までダンプカーで運ぶ、道路の圧雪はダンプの往来で穴だらけに成る、車の運転が仕事のhamさんにとっては、たまらんネ、、、、市内でも比較的雪の少ない私のところでも1メーター近くは有るだろう、、屋根の雪降ろしなんて事に成らないよう、ただ祈るばかり、、、今日は仕事が休み、駐車場の除雪でもしようと思うが、今も雪がもこもこ降っていますって―!
2012-01-30
2012-01-26
2012-01-22
2012-01-16
2012-01-15
今日は久し振りに休み、いつもの5時起きから8時近くまで布団の中、又少し雪が積もったようだ、同じ市内でも山寄りの地域では昨日で積雪が2メーター87センに達し、新潟県に大雪警戒本部が設置された、昨年より7日早いと言う、海岸線から国道を山寄りに走って行くと道路脇、屋根の雪の量がどんどん多くなるのに気付く。孫2人と仔犬が一匹やって来た、少し、喋れる様になった乃愛ちゃん、私の手を引っ張って玄関に行き、キュッ、キュッ、ポン、、、と言う、 外で雪投げをしよう、、と言う事。、爺ちゃん、外で寒いのに雪だるまの制作だ、、ちょっと体型の悪い年寄りの雪だるまだが、作る人がシャキッとしていないんだから仕方があるめー! 昔は冬になるとあちこちの家の庭に雪だるまが見られたが、最近は滅多に見なくなったネ、、最近の子供は寒いのに雪だるま、なんて作るよりも、家の中でテレビを見ながらアイスクリームでも食べていた方が良いようだね、、、、
2012-01-10
2012-01-02
2012-01-01
2011-12-31
2011-12-29
平成23年もあと2日で暮れようとしていますが、今年は国内、国外、共に激動の一年でしたね、、おらち(我が家)は、と言うとそれなりに動きのある年でした、、他人様から見れば、なーんだ、大した事は無いね、、と言う事だと思いますが、、、、。そこで、おら家(おらち)の平成23年度十大ニュースです。
第一位 念願の妙高山登頂に成功(ちょっと大げさですが、、)
晴れた日は毎日目にする頚城三山の一つ、越後富士の名を持つ 妙高山、昨年、仕事でちょこちょこお供する80代の山好きなお客さん、、このお客様に刺激されてほとんど毎日目にする南葉山、米山に登って来た(何れも海抜1,000メーター弱)、やっぱり日本百名山の一つ、妙高山に登らなきゃ、、、しかし、そーは時間が無いぞ、、、、むらむらと心から湧き出る物が、、、今年の春から都合の許す限りなるべく坂のあるところを選んで毎日1時間のジョギング、夏に試運転で菱ヶ岳(1,129・1m)へ登ってみた、何とかなりそうな雰囲気だな、、、でも一人じゃちょっと不安だ、会社の山登りの先輩に話したら、付き合ってやるわね、、、と快諾を得た、そしてついに妙高登山を決行、、、、苦しい中にも周りの景色に癒されて遂に念願の妙高山頂(2,454m)に立つ事が出来た。 やったー!
それからすっかり調子付き、続いて一人で黒姫山、そして越後の最高峰の百名山火打山、飯縄山、斑尾山、と登って来た。来年はこれらの山に登って目にした百名山の雨飾山、高妻山、そして蟻の瀬渡り、剣の刃渡りの難所で有名な戸隠山、そしてやっぱり日本一の富士山に登らなきゃネ、、、、愚妻曰く、、ちゃんと保険に入っておいてネ、、、、とこうだ、、、これって心配してんのかね、、、?
第二位 真愛ちゃん誕生
5月6日早朝、2番目の孫、真愛(まな)ちゃんが誕生した。乃愛ちゃんは10月10日生まれ、親は5月5日に生まれる事を期待していたが7時間ほど生まれるのが遅かったね、、、、周りの者は揃って爺にそっくりだ と言う、女の子なんで本人も迷惑だろうが、、まー、こればかりは勘弁してくれや、、、![]()
第三位 仕事で栃木県の茂木まで
今年も仕事で新潟、長野、長岡、十日町など、色々なところへ行ったが、仲間の依頼で栃木県の茂木町まで Indy Japan 観戦の為、ジャンボタクシーを運転して行ってきた。早朝から夜遅くまで、疲れましたって―!
第四位 7年振りの上京、同窓会
事業所を閉鎖してからは、すっかり東京は縁遠くなってしまった、9月に入って間もなく一通の往復葉書がきた、同じ専功の同窓会の誘いだ、10数年前に恩師が、そして数年前に長く助手を勤めたM先輩が他界されてからはほとんど先輩、後輩諸兄と会う機会が無くなった、そんな中での誘いに一つ返事で出席する事に、北は青森、南は鹿児島まで全国から先輩、後輩が集まった、初めてお会いする先輩もたくさん居られた、時間が無くそれぞれの皆さんと話をする事が出来ず残念であったが、懐かしく、楽しいひと時であった、、、又の再会を約束したがはたしてどうなるであろうか、、、。
第五位 青春、懐古の旅、
以前から昭和40年前後の青春時代を過ごした地をゆっくりと廻って見たいなー、と言う夢を持っていたが、思いがけぬ同窓会の開催でその夢が実現した、会社の前の京浜運河を行き交う外国航路の大型船を眺めて、いつかは俺も外国航路の船舶通信士になろう、と夢を持ったんだが、何とか実現で来た。会社の頃、学生の頃、青春時代懐古の旅(①ー④)も実現できた、40数年振り懐かしかったねー!
第六位 ゴルフコンペの優勝
仕事、プライベートを含め、年間50回近くも出かけた事のあったゴルフ、諸般の事情でクラブを封印して7年振りに始めた会社の春、秋のゴルフコンペ、、今年の春のコンペで思いもかけず、ハンディーに恵まれて優勝、、しかし秋のコンペですんなりと優勝トロフィーを返してきましたが、 春、秋と2回クラブを握るだけでは、そうは勝たしてはもらえないわな、、、、
第六位 ジョギング
タクシードライバーを始めて体重が増え始めた、運動不足だ、特に足が弱って来た、メタボ予備軍と判定、普段は足を使う事はない、精々 ブレーキ、クラッチ、アクセル、を足で踏むだけだ、、妙高登山の訓練も兼ねて春から始めたジョギング、、お陰で体重は5キロ減り、妙高山も登頂できた、、いつもは3日坊主だが 珍しく長続きしているねー、、
第六位 古ぼけた電化製品
我が家の家主さんもいい加減、古呆けて来ているんだが、電化製品も同じく古ぼけてきた、洗濯機はギ―ギ―音がして異音を発する、22年も使った冷蔵庫はアイスクリームを入れると融けてしまう始末、、テレビは地デジに移行で最後まで粘ったがとうとう買い替え、掃除機は吸い取が悪いと相方が嘆く、今年はお金のかかる年だったね、、、しかしこれで終わった訳ではない、電子レンジもたまに調子が悪くなる、電気コタツもガタガタ、ガスレンジも惨めな姿になっている、、、当分、お金がかかりそう、、古呆けた爺の苦労はまだまだ続きそう、、、、あーあー!
第六位 仕事で無事故で、3回目の褒賞をもらう
職業ドライバーとして当たり前の事で有るが、この1年間、無事故で通す事が出来そうだ、そしてサービス委員会よりサービスに対する3回目の褒賞を頂いた。 そんなに偉そうなものではないんですがネ、、、
第六位 家庭菜園
毎年庭の雑草に閉口する、それならばと思い5坪ほどを家庭菜園にしてみた、春先、ナス、キュウリ、トマト、かぼちゃ、枝豆、琉球四角豆、など等いろいろと植えてみた。結構うまく行きましたってーやれば出来る、やっぱり百姓の出身だネ、、
2011-12-27
今年も残すところあと4日間に成った、昔は師走に入ると何かしら、ざわつき気忙しさを感じたが最近は全くそのような事は無い、大晦日になり、 おー、いよいよ今年も終わりだな、、! と言う感じだ。2年続きの大雪で始まった平成23年と言う年は私にとっては全体的には幸せな年であった。しかし外に目を向ければ内外共に激動の年であった。3月11日に発生した東北大震災、日本国民が過去に経験した事の無い大災害が発生した、大地震に伴う大津波、テレビを見ていても、まるで映画に出てくるような光景に言葉も無かった、遥か東方沖海底での地殻変動だ、国が ”世界一の防潮堤” と言っていた防潮堤も何の役割もしなかった、すべてが想定を超える、、、、でかたずけられているが、なんて事はない、想定が甘かったにすぎないのである。大地震に伴って発生した東京電力福島第一原子力発電所事故、こちらも「想定外」と言う関係者の言葉をよく耳にするが、国や東京電力は自然災害と原発事故の複合災害と言うものの認識、視点に著しく欠落していたと言わざるを得ない、2007年7月に起きた中越沖地震、東京電力柏崎刈羽原子力発電所が設計時の想定を大幅に超える揺れに襲われたと言われているが、何故この様な経験が生かされなかったんだろうか、10年前に既に10メーターを越える津波に襲われる可能性が指摘されていたにも関わらず、対策にかかる費用の膨大さなどにより、利益、採算、を優先されてしまった結果が、アメリカ、スリーマイル島事故、ロシア、チェルノブイリ事故、と並び世界の歴史に残る原発事故を引き起こしてしまったのである。
その後発生した紀伊半島での大雨災害、想像を絶する大雨によりたくさんの犠牲者が出てしまった、海外に目を向けてもタイの首都圏を襲った大洪水、など今年は自然災害の多い年であった、、、。
社会情勢に目を向けてもエジプトのムバラク政権、リビアのカダフィ政権の崩壊などなど相次いで独裁者が追放されている、そして年末になり北朝鮮の金正日総書記の死去だ、これを機会に何としても拉致問題が良い方向に動き始める事を祈るのみだ。
個人的にはこの一年間、仕事では後4日間ほど残すが無事故無違反で無事過ごす事が出来そうだ。昨年末、今年の目標に掲げた故郷の霊峰、妙高山登山、春先より歩く訓練を始め、9月とうとう念願の妙高山頂に立つ事出来た、すっかり調子に乗りその後、黒姫山、50年振りに火打山、飯縄山、斑尾山、と山頂を極める事が出来た。来年は戸隠山、雨飾山、高妻山、それと何とか日本一の山 富士山 を極めたいと思っている、何れの山も私にとっては、そうは簡単ではなさそうだが、、。
今年も多くの故郷の名所史跡を回って来たが、来年の夏頃までにはなんとか終了して、大分遅れてしまったが「故郷の名所、史跡と偉人」の編集にとりかかりたいと思っている。
今年は5月に二番目の孫の真愛ちゃんが誕生した、乃愛ちゃん、仔犬のリクを連れて3日と空けずにやってくる、乃愛ちゃんは10月に2歳になり近くの幼稚園に通い始めた、園内では最年少で何かとチヤホヤ可愛がられているようである、賑やかで家の中を引っ掻き回される向きもあるが、それはそれで笑いが絶えない一年で有ったが、来年の春からは寂しくなる、、、。
内外ともに激動の平成23年で有ったが、来年は何とか平穏な一年にしたいもんだ、、、、、。
2011-12-26
今年はホワイトクリスマス、、24日の夜、みぞれが次第に雪に変わり朝起きると一面が真っ白、家の周りで15センチ位は積もった、まー、この程度であれば大した害はない、しかーしだ! この後、除雪車が来て4台並んだ車の前に雪をどっさりと置いて行く、 内心、この程度の雪で有れば除雪車なんか来なくていい、、、と思うんだが相手も仕事、動けば金に成る、、、毎年この除雪車が置いて行く雪を片づけるのが大変なんだ、間口が広ければ広いほど置いて行く雪の量も多くなる、、、冬の悩みの一つ、、ここ2~3日、風が強い為、このへんは比較的雪は少ないが、山は大変だ、昨夜で妙高関山で1メーター41センチと言っていた、これから約2ヶ月、雪との闘いが始まるネ、、、、、。
2011-12-25
2011-12-24
2011-12-21
2011-12-13
2011-12-12
2011-12-08
2011-12-03
2011-11-29
2011-11-25
2011-11-23
2011-11-21
2011-11-17
通りを歩いていても道路の両側には高層ビルは見当たらない、近くには○○宮邸もある、恐らく場所柄色々な規制が有るんだろうか、、、、当時の学校の跡に行くと40年前とは全く変わっていた、当時を思い出させる建物は残っていない、新しい近代的な建物に変わっている、当時の部も無くなり現代に対応した新しい学部に変わっている。授業の無い時などにはよく利用した ” パーラー チロナ ” ここのスパゲティーナポリタンは美味しかった、有れば是非立ち寄ろうと思ったが、、、、中華料理屋、文房具や、、、などなど一角は学校の敷地に変わっていた、空腹時に欠かせなかった大衆食堂、おそば屋、、など見当たらない、勿論、寮生がお世話になった八百屋さんも無い、ただ残っているのは老舗のお菓子屋 ”虎屋” さんだ、、、。
本館の屋上で昼休み、放課後などによく訓練をさせられた、 「ヤスメ」 「キョウツケ」 「敬礼」、、、先輩から後輩へと受け継がれ我が専攻の伝統でもあった、、日曜日の為、閉門されていて敷地内には入れなかったが、しばし近くから懐古の念に浸かり歩いて、ぎょらん坂の交差点から、いさらご、を下り、泉岳寺に向かった。
泉岳寺のすぐ近くに当時、寮があった、学校への行き帰り、必ずと言ってもいいくらいこの境内を通り横の細い路地を通って通ったもんだがその路地も見当たらない、、、境内には見物客から餌を貰おうと沢山のハトがいたんだが一羽と姿が見えない、餌の豆も売っていたんだが、、、恐らく糞など色々と害もあるので餌を与え無くなったんだろうか、、、、。寮生が食事当番でここのハトを捕まえて殺し夕食のスープにして出した悪い奴もいた、、、私は精々予算が足りなくて新聞紙を小さくちぎって天婦羅にして出した程度だ、、、、、。
泉岳寺
泉岳寺(せんがくじ)は、東京都港区高輪二丁目にある曹洞宗の寺院で青松寺、総泉寺とともに江戸三箇寺の1つに数えられ、元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られ現在も多くの参拝客が訪れる。
寮と言ってもおおよそ寮と名の付くようなしろものではない、、、、。恐らく戦前に建てられたであろう民家を借りて寮として使っている訳だ、階段を上がればギシギシ、戸を閉めても隙間だらけ、学生は押入れをベッド代わりに、先輩だけは2階で布団を敷いて寝る、この中で多い時は十人を超す寮生が朝の総員起こしから夜の消灯まで規則正しい生活をする訳だ、今で言うプライバシーも有ったもんじゃない、、、しかしここで過ごした年月と言うのは私にとってその後の人生に大きな勇気と希望を与えてくれた、、、、、。しかしその寮の跡には当時の面影を残すものは何一つ残っていない、場所柄、周りには豪邸が建ち、玄関脇には高級車が駐車している、、、しばし近くを散策しタクシーで田町駅に向かった。
大田区の馬込にも一時期”馬込寮”と言うのが有り住んだ事が有るんだが当然今は跡かたも無いだろうが、期間も短く記憶が薄く行く事を断念した。田町駅から電車に乗り東京駅に着くと丁度、新幹線が10分後に発車する、帰りは時間が不明の為、自由席にしておいたわけだ、越後湯沢から特急に乗り継ぎは無いと思ったが越後湯沢で少し待つ予定で一本早い新幹線に乗った、 しかーしだ! これが大正解だ、越後湯沢に着くと既に特急が入線している、車内清掃の終わるのを待ち自由席に楽々と掛け、ビールを飲んでご機嫌だ、次々と乗客が乗って来て乗り継ぎの新幹線が着く前に既に自由席は満席状態、乗り継ぎの新幹線が着くと自由席は100パーセントを超す乗客で大変だ、、1時間弱で目的地の駅に着いた、しかしここでハプニングが、改札口の自動改札を出ようとしたら一枚の切符が飛び出した、、そーだ、フリー切符、未だ夜の12時までは使えるんだ、このままでは次の人に迷惑に成る、乗車券をとって前を見ると一人の男が声を掛けてきた、 すいません、フリー切符ですか、? そーですが、 すいませんこれから新発田まで行くんで千円で譲ってくれませんか、、 千円札を差しだしてきた、 躊躇せず、あー、良いですよ! 見るとフリー切符をもう一枚持っている、 おぬしもやるよのー、、! 一粒で二度美味しい出来事であった、、こうして思いがけない同窓会で7年振りに上京し、念願だった青春時代の懐古の旅は無事に終わった。
2011-11-16
蒲田駅で京浜東北線に乗り換えて品川駅に向かった、品川駅の西口に降り立って驚いた、高級ホテル、大きな建物が建ち並んでいる、しかしたくさんの人が行きかうのは昔と変わらない、、40数年前に通った学校、1年間お世話になった下宿跡などを回って見たいと言う念願が叶った、、、、、、。タクシーには乗らずに歩いてみる事にした。駅前の緩い坂を上り高輪通りを歩いて行くと左側に、 せんぽ 東京高輪病院 が見えてきた(写真)、昔は東京船員保険病院と言う名前であった、丁度衆議院高輪議員宿舎の向い当たりだ。この病院は20代の頃ニューカレドニア航路の佐賀関丸に乗船中、船員法に定められる健康診断に行き、急性肝炎兼黄疸と言う思いがけない結果で判定は不合格、翌日の早朝には本船は出港予定だ、キャプテン、私は何ともありません、大丈夫ですからこのまま乗船します、、、 次席さん、気持ちは解るが病人と解っている人を乗船させるわけにはいかないよ、本社に話して交替を探してもらうから心配しないで下船して治療しなさい、、、今だから言えるが健診の前日に酒を飲み過ぎたのが原因だろう、情けないやら腹が立つやら、、、、交替の手配が付かず急遽、未だ就職が決まっていなく待機していた後輩のA君が臨時で乗船してくれる事になり翌日羽田から一番の飛行機で来てくれる事になった。 本船には既にタグボートも着き、艫、おもてのホーサー(ロープ)も一本だけを残しすべて外されていた、空港からタクシーを飛ばしてやってきたA君が乗船し10分後、今度は私が下船し、早朝出港予定の本船は数時間遅れで岸壁を離れニューカレドニアに向かった。A君が乗って来たタクシーに今度は私が乗り空港へ、そして羽田からこちらの病院へ来てそのまま入院となったわけだ。高輪通りを昔を思い出しながら歩いてみたがこの通り沿いは高層ビルも建っていないし昔の面影はそのまま残っている、、、、、、、。
学校のすぐ近くに1年間下宿でお世話になったNさんのお宅が有るんだが、当時は芝二本榎、と言う地名であった、曲がりくねった細い路地をキョロキョロしながら歩いて行くとそれらしき建物が見えてきた、あれだな、! 前を通り際に標札を見ると間違いない、、、実に44年振りだろうか、、、住んでいた建物は多少はリフォームされたと思うが当時のままだ、前を通ると生活の匂いがしている、一階は私と愛知県の渥美半島から来ていた学生、二階は富山県から二人、福岡県から一人、もう一人鹿児島県からの男がいたがおとなしく途中で引っ越したのであまり記憶が無い、その後の部屋に私は一階から移った、どうやら今は一階と二階にそれぞれ二世帯が入居しているようだが、、、写真手前の家が大家さんの家だが、食事を作って頂いた小母さんは遠に他界されているだろうが当時高校生だった長男の方が家を継いでおられるのだろう、中学生だった○○子ちゃんはどうされているだろうか、玄関のブザーを押す勇気は無かったな、少し離れたところから写真を一枚撮らせて頂きそっとその場を離れた。下宿のすぐ近くに数年前に亡くなられたが有名な女優さん、俳優さんの家が有ったんだが、、、、学校の行き帰りに私が通ると飼っておられた犬が塀越しに吠えるんだ、持っていた傘などで叩く真似をすると若いお手伝いさんが走って来て、虐めないでください、、! とよく叱られたがその家はもう無かった、、歯が痛くて虫歯を抜いてもらった歯医者さんは当時のままで未だあったが当時の先生はもういらっしゃらないだろうが、、、、しみじみと昔を思い出しながら一帯を歩いた、、、、 懐かしいなー、、、、、
2011-11-15
2011-11-14
以前より元気なうちに半世紀近くも前のことになるが青春時代を過ごした地を回る懐古の旅をしようと考えてはいたが忙しさにまかせ、なかなか実現しなかったが思いもかけず東京で同窓会が開かれる事になり長年の思いが実現したわけだ、、、同窓会終了後、十分まだ帰れる時間ではあったが東京駅八重洲口の前のホテルに宿泊、翌日朝から行動開始だ、、、、、、。
約50年前職業訓練所(今で言うテクノスクールだ)を卒業し、まだ雪の残る故郷を仲間三人と夜行列車に揺られて上野駅に降り立った、日本の高度成長期、金の卵(私の場合は銀の卵くらいかもしれないが)と呼ばれた頃だ、今のように携帯電話も無い、新幹線も無い、首都圏は随分と遠いところであった、まだ16歳の子供を都会の荒波の中に放り出す親の心境を考えると同じ親としてなんとも辛い事であったに違いない。
JR鶴見駅で鶴見線(写真)に乗り換え終点の海芝浦に向かった、さすがに当時のようなあずき色の電車ではなかったな、、、次の国道駅から海芝浦駅まで4年間通った、鶴見線に乗るのは40数年振りになる、当然の事だが窓から眺める当時との光景の違いに驚いた。二つ目の駅、鶴見小野駅前の市立鶴見工業高校、4年間会社の帰りに通った工業高校の定時制、窓から校舎の一部が見える、乗った電車は次の弁天橋止まり、まー次の海芝浦行きに乗れば良いわ、、、、 しかーしだ! 弁天橋駅に着いてみると次の海芝浦行きの電車は約2時間後だ、、、日曜日のダイヤだ、考えてみたら海芝浦の前は大手企業の工場、日曜日の日中だ、乗る人なんかいないわな、、、上京前、緑の窓口で指定券を買う際、駅員さんが乗車券は土、日、限定のフリー切符がお得ですが、、と言う事でフリー切符にした、決められた範囲内であれば何回でも乗れる、数分後に来た鶴見行きに乗り換え国道駅で下車、、4年間過ごした寮に向かってみた、、、、、。
国道駅前で国道(R15かな?)を渡り線路際の細い路地を進むとマンションなどが建ち並び昔の面影はないが路地と線路の間の狭いところは当時からあったような気がする小さな大衆食堂の様なのが数軒残っている、夜学校の帰り食堂の前を通ると大ヒットしていた、舟木一夫の「高校三年生」 北島三郎の「なみだ船」、、、、など等がテレビから流れていたのが思い出される、、、当時数百人が死亡した鶴見事故の現場のすぐ近くの、開かずの踏切、今は人道橋がかかり容易に向かいに渡れる、花月園競輪場入口の看板が見える、橋を渡り目印のバス停は直ぐに見つかった、ここばかりは昔のままだ、、すぐ近くの登り坂を登ったところが寮のあった場所だが、、、、木造建ての古い寮だ、想像していた通りその場所にはマンションが建っていた(写真)、すぐ角の休みの時など良くアイスクリームを買ったりお菓子を買ったりしたお店はまだ有ったがどうやら店舗は閉めたようだ、自動販売機だけが並んでいた。
当時は鶴見区生麦町で有ったが現在は岸谷4丁目に変わっていた、どうやら線路の西側は岸谷に変わったようだ、寮の跡をぐるりと周り歩いて鶴見駅に向ってみた、当然の事ながら鶴見駅はすっかり変わっていた、特に西口の変わり様には驚いた。ここからあらかじめ調べておいた時間に又鶴見線に乗り海芝浦に向かった、しかーしだ! 弁天橋を過ぎても老若男女、数十人の乗客がいる、もう弁天橋を過ぎたら大手の工場ばかりで人家なんて無い筈だが、、、、? 終点の海芝浦に着いて納得だ、駅の横に京浜運河に面して小さな公園が出来ている、当時は岸壁になっており工場で製造された大きな製品をここから船に積み込んでいた岸壁の跡だ、駅のホーム、この公園から海を眺めに来た人達だ、、、、当時は大手企業のグループ会社三社がこの地にあり駅は会社の従業員専用の様なものだ、たくさんの工場の建物があるが駅前の建物は当時のままだ(写真)、この建物の4階に食堂が有った、昼になると各工場の建物からこの食堂に集まってくる、仕事が嫌な時も昼食になると急に元気が出て走って食堂に行ったもんだ、野球部に所属していた私は昼休み、この建物の前の広場で晴れた日はキャッチボールをよくした、駅のホームは40数年前の昔とちっとも変っていない、もっともホームの前はすぐに海で変わりようもないが、、、。
駅のホームから横浜港、京浜運河を眺め東京港に出入りする外国航路の大型船を毎日のように目にし、 よし、俺も勉強していつかは外国航路の船の通信士になろう、、、 と心に誓ったもんだ。 20分位で今来た電車が折り返しで鶴見行きになる、これに乗らないと又2時間後になる、いつかは、いつかは、と思いつつ今日になったが昔通った定時制高校、勤めた会社、寮、を40数年振りにしっかりと見る事が出来た、当時を思い出しながら、次の目的地に向かうべく鶴見に向かった、、、。
2011-11-13
2011-11-07
私のお茶好きは30年近く前に亡くなった親父譲りである、子供の頃、囲炉裏に架かった鉄瓶のお湯を急須に注いで囲炉裏の火を火箸で突っつきながら美味そうにお茶を飲んでいた親父、、、 おまえも飲むか、、、、!
囲炉裏の周りに胡座をかいてよく一緒にお茶を飲んだ事が今でも鮮明に記憶に残っている。先日登録して楽しんでいる日記や写真、趣味のサークルなどで同世代と交流出来るコミュニティーサイト SENIOR-NAVI(シニア・ナビ)に宇治茶の本場、京都和束 おぶぶ茶苑 の ”五種類の宇治茶試飲モニター募集(5名様)”というのが目にとまった。
茶畑より、お茶の感動を伝えたい。
今から十五年ほど前、当時大学生だった僕は、ここ茶産地京都・和束(わづか)で飲んだ、一杯のお茶に感動し、大学を中退、そしてお茶農家を目指しました。それから十年におよぶ修行ののち、ついに納得のゆくお茶が作れるようになりました。そして今、その感動を伝えたい。私たちのお茶を飲んで感想を聞かせてくれませんか?
と言うものであった。正直なところ、興味半分、面白半分応募してみたところ、数日前、抽選の結果当選したと言う通知、パンフレット、小冊子と共に5種類のお茶が送られてきた。小冊子 ”喫茶去” を読み、お茶の生産から販売まで行っている京都 ”おぶぶ茶苑” の苑主の青年の 「たった一杯のお茶。それが人生を変えた」と言うお茶造りにかける青年の情熱、取り組む姿が業種こそ違うが事業の経験のある私にとってえらく感動するものであった。
お茶は好きなんだが精々飲んでわかるのは、玄米茶か、これは高そうなお茶だな、、と言う程度のお粗末な食感だ、しかし今回、送られてきた五種類のお茶をじっくりと飲み比べてみると、それぞれが違った味を持っている事がわかった、それは甘味が違ったり、渋みが違ったり、、、人により、飲む時間により、飲む条件により好みが違うであろうが、私はあえて比較をするならば、かぶせ煎茶が好きだな、、。
「SENIOR NAVI、シニアナビ」 http://www.senior-navi.com/
「おぶぶ茶苑」 http://www.obubu.com/
2011-11-04
2011-10-31
量子を英語でクアンタム(Quantum)と言い、1,000万分の1ミリ以下の物質の大きさの総称です、量子の世界を学問的に捉えているのが量子力学や量子物理学とよばれ、医学者、物理学者の間では量子医学、波動(振動)医学と言われ急激に注目され始めています。
1905年に、A,アインシュタインは「すべての物体からは光量子が出ている」と光量子理論を唱えています。1974年にはアメリカの物理学者、フリッツアルバート、ポップが生体光子(光量子)が出ている事の証明をしています、光量子は別名オーラ(後光、霊光)とも呼ばれています、一般的には見えないが感じる事があります、最近ではオーラ写真で映し出す事も可能です。現在の量子物理学の基礎を築いたとされる、ドイツのノーベル物理学賞を授賞された、マックス・プランク博士は「すべては振動で有り、その影響である、現実には何も物質も存在しない、すべてのもの、各々のものは、振動から構成されている」と言っています。
私たちの身体から出ている生体光子(光量子)とは、東洋医学では「気」を差しています、「気」=生命エネルギー(生命力)です、「気」のつく言葉はたくさん有ります、勇気、元気、強気、、、、又、病気とは気が病む、と書きます、生命エネルギーが病んでいる状態です。
赤外線と紫外線の間に、 赤、 橙、 黄、 緑、 青、 藍、 紫、 と言った色の持つ波長が存在します(可視光線)、 (写真)これらの色の持つ波長が私たちにとって重要な役割を持っています。身体の部分や臓器の個々の異なる振動と可視光線のそれぞれの色の波長が共鳴共振しています、地球上に生息している人間を含む動植物には光が不可欠です。可視光線は虹と言う形で目にする事が出来るが、普段は光として存在している。
◎1896年、デンマークのN・R・フィンセンは太陽光線の科学的特性を突き止め、結核治療に太陽光線と人工紫外線を使用して、多くの結核患者を治療し、その驚異的成果に対して1903年にノーベル賞が授与されました。
◎ピッツバーグ大学のジェフリー・ウォルチ医学博士の研究によると、手術後の患者の病室が日の当たる側にある場合は、患者は心理的なストレスや、肉体的な痛みを感じることが少なく、鎮痛剤の使用量も少なくて済むことが分かりました。
◎南国などの日差しの強い地域では、子どもの出生数が多いことが知られています。又養鶏場などでは鶏の目に光線を浴びせると卵をたくさん産むことが知られています。北極に住むイヌイットの女性は、太陽の出ない長い冬の間は、月経が休止し男性は性的欲求が著しく低下すると言われ性的欲求は冬眠状態に入るわけです。そのため、イヌイットの子どもは、北極に太陽がもどる春から9ケ月経って生まれることが多いと言います。
◎冬になり日照時間が少なくなると筋力や持久力が低下することが知られています。特に副腎は紫外線の影響を大きく受けます。適度に紫外線を浴びないと副腎の働きが低下して血液中の血糖が低下し、その結果、筋力や持久力が低くなります。
◎明るい太陽が燦々と降り注ぐ赤道直下の野鳥やサンゴ礁で泳ぐ魚が鮮やかな原色なのは赤道と言うどこよりも多くの光エネルギーを受けているからです、太陽光の少ない極地では生命の息吹さえ閉ざされてしまいます。
◎M・ラッキーシュやA.J.パシニは、「日光にはホルモンの分泌を正常に保つ働きがあるので、若返りの作用があり、逆に日光を浴びないでいると全ての内分泌腺が萎縮してしまい老化の進行が早くなる」と言っています。
量子医学の研究は「生命の科学」としてアメリカを始めイギリス、オランダ、ドイツ、オーストラリア、、など欧米を中心に26ヶ国、ドイツでは5000ヶ所以上の医療機関で取りいれられています、しかし日本では残念ながらこの分野では遅れをとっていると言わざるをえません、21世紀は量子の時代と言われていますが量子物理学の世界からやがて「クアンタムエネルギー」の理論が説き明かされようとしています、既に多くの事実がこの振動エネルギーの凄さを実証しています。私も7年前より人工的に造り出した「クアンタムエネルギー」を家庭で浴びて、このエネルギーを照射した水を飲み続けています、これが我が家の健康に大きく寄与していると確信しています。
2011-10-23
第38回目を迎える会社の恒例のゴルフコンペ、勤務の都合で一日では出来ない為、数日に分けて行われる、前回はハンディーに恵まれて誰もが予想をしなかった優勝、、ディフェンディングチャンピオンで臨んだ今回、ハンディーも随分上ったし優勝はもう無理だろうが、クラブを握るのも触るのも自慢じゃないが前回の大会以来、、大きなコンペが入っているとの事でゴルフ場は久し振りで大賑わいであった。今日の天気は曇りのち午後より雨の予想、、早いスタートで順調に廻ったがスコアーは、と言うと、予想を下回ったがビールでも飲んで午後は頑張ろう、、、、、、、。レストランで昼食を食べていると雨が降り出した、次第に大降りに、、、参ったなー! 食事も終わり外に出ると少し小降りに、、、しかーしだ! 午後は込み合って前に6-7組が待っている、様子を見て雨合羽を着ようと準備をした、合羽を着るのも10数年振りだネ、、、雨はだいぶ小降りになっているんだが込み合ってすっかり調子が狂う、やっと自分の番が廻って来ても一打毎に待たないといけない、特に前の前の若い二人ずれの組が問題だ、二人にも関わらず時間がかかる事、常にグリーンが空いている、マイペースでプレイをしている、クラブを持って走れ、 と言いたくなる、もっと先輩方と廻ってマナ―と言うものも学んでもらいたいもんだ、、、しかし天気の方は徐々に回復し時々陽が差してきた、、やっぱり普段の行いだね! 結果スコアーはと言うとすっかり調子も狂い挽回とはいかず前半と同スコアー、、水平賞は確実だね、、、会社のコンペに参加するようになって毎回、何かもらってくる、今までは、ブービー賞、水平賞、大波賞、最後に優勝、、、、最後はゆっくりと温泉に浸かって、楽しい一日であった、、、、
2011-10-17
庭の柘榴の木に今年もたくさんの実が生っている、赤くなり大きくぱっくりと口を開けているのもある、今年は例年よりもたくさん実のっているようだな、、、今まではこのまま下に落ちたり、鳥が飛んできて実をつついたりで終わってしまう、今年は脚立を掛けて手の届く範囲の大きいのだけを収穫してみた、まだ子供の頃、よその家の庭になっている柘榴を無断で採り食べた記憶が有るがどんな味がしたのかは全く覚えていない、赤く大きく口を開いているのを選んで2-3個食べてみたが、甘酸っぱい味だ、おせいじにも、私は美味いものとは思わないが人それぞれ食感も違うし、相方は、あー、美味しい、、、! と言って食べていたがどんな口をしているのかネ、、、、
柘榴(ざくろ)とは、ザクロ科ザクロ属の落葉小高木で、又はその果実の事で、原産地については、トルコあるいはイランから北インドのヒマラヤ山地にいたる西南アジアとする説、南ヨーロッパ原産とする説、およびカルタゴなど北アフリカを原産とする説などがある。庭木などの観賞用に栽培されるほか、果実は食用としても利用される。おもしろい形。不規則に裂けている。 種(タネ)が多いことから、アジアでは昔しから 子孫繁栄、豊穣のシンボルだった。 又、実を煎じた液でうがいをすると扁桃腺に 効き、陰干しした花や実を煎じて飲むと下痢止めに効果があると言われる。又 実に残る”帽子状”のガクの部分は冠にも似ており 王冠をいただく果物として権威の象徴にもなった。男性の中にいる唯一の女性のことを「紅一点」と いうが、これは中国の王安石が石榴の林の中に 咲く花を詠んだ詩から出た言葉だと言われている。何れにしてもやっぱり何か、いわれのあるタダもので無い雰囲気のする果物だと思ったね、、、、、
2011-10-12
2011-10-06
朝起きて窓を開けるとプーンと良い匂いがしてくる、庭の大きな金木犀(写真)の花の匂いだ、そーか、もう秋だな、耳を澄ませると、コオロギやら2~3種類の虫の鳴き声が聞こえる。今日は仕事は休み、丁度1週間前は火打山に登っていたんだが天気予報では今日はあまり良くない天気、少し風もある、、、さーて、今日は何をしようかな、、、! 史跡巡りなども考えていたんだが今日は一日まったりと過ごすことにした、、、、パソコンの前に坐り、相方に頼まれた風呂の掃除、終わりに近づいたナスの収穫、、先日植えた野菜の肥料やり、、、夕方より1時間のジョギングで汗をかいてきた。今日は一日、まったりと過ごした。
まったりと言う言葉、最近特に若い人の間でよく見たり、聞いたりする言葉だが、昔は聞いた事の無い言葉、ちょっと興味があったので色々と調べてみると、元々は京都弁で「とろんと穏やかな口あたり」という食感を表す言葉だそうな、、、、マンガ「美味しんぼ」で全国区で広がったようだ、そしてアニメの『おじゃる丸』で、ゆっくりしたさま、のんびりしたさま、くつろいださま、だらだらしたさま 、として多く使われるようになったようだ、、。
2011-09-27
今年から始めた家庭菜園、5月の連休にホームセンターで色々な野菜の苗を買ったが、その中に琉球四角豆、琉球夏サラダ、と言うのがあった。興味半分、面白半分で買って畑の隅に植えた、両方とも一緒に植えたトマト、ナス、キュウリ、、、、、 などに比べると成長が遅く、琉球夏サラダだけは何回か収穫したが、 これや、やはり沖縄のような暑いところの野菜だな、、、、、と思ったが、やっぱりそーだわ、、しかーしだ! 梅雨も明けて7月の下旬になり暑くなると思いだしたように伸びて来た、支えの棒を立ててやると伸びるは伸びるは、、、しかし弦だけはツルツル伸びるが一向に豆が生る気配が無い、、エンドウ豆のような花が幾つか咲いているようだがさっぱりだ、、、作り方が間違っているのか、土が悪いのか、、、先日の台風で支えの棒が倒れてしまった、、畑に次の物を植えるのに根っ子からとってしまおうかと思ったが可哀そうだ、支えの棒を立てて直していると相方が、ついでにもう四角豆も採ってきたら、、と言う、 なに四角豆なんてなっていないよ、、、、 なに言ってんの、たくさん生っているじゃない、、、 えー、! 改めて良く見るとたくさん生っているではないか、、、先日見た時は確かにこんなのが生っていなかったのになー、どうやら四角豆の成長は早いようだ、一日でかなり大きく成るようだ、、、これはグリーンカーテンとしても良さそうだな、出来れば来年はゴーヤと共にグリーンカーテンとしても植えて見ようと思う。琉球四角豆(写真)、確かに四角で、とってつけたような名前だが、沖縄では”うりずん”と呼ぶようである、沖縄の野菜、食べ物と言うとなんでも身体に良いような気がするが、、、、どんな形で食卓に乗るのか係りが違うので私には解らないが楽しみだ、、、、。
琉球四角豆(沖縄では、うりずん)
マメ科シカクマメ属 。
パプアニューギニア又は東アフリカが原産と思われる一年草で20世紀の後半に日本へ導入された。
莢だけでなく茎や葉、根までも利用できる無駄のない野菜で、マメの角にヒダができ四角に見えることから四角豆といわれる。インゲンと同様に煮物、揚げ物などとして用いられる、、、さやを切ると、断面が四角いので、この名がつけられました。ビタミンCやミネラルをたっぷり含み、美肌効果があるといわれています。
2011-09-21
私が初めて乗った外国航路の船は昭和42年、実習で乗船した○○海運の、鉱石専用船、○○丸だ、その後、実習、実験助手などで乗船、国家試験に合格し昭和44年11月○○海運に入社、尾道市の日立造船向島ドッグで北米航路の○○丸に乗船、時化の北太平洋をアメリカに向かい、いきなり苦しい船酔いに悩まされた苦い経験がある。本船の遥か南の海上を南米航路の貨客船 ”あるぜんちな丸” ”ぶらじる丸” が航行している、、、、、 いつかは、あんな船に乗ってみたいもんだなー、、! 定年を数年後に控えた上司の仙台市出身のM通信長、 定年になったら奥さまと一緒に船で世界一周するんだ と言っておられた、、、、
今日は仕事が休み、数年前の ”飛鳥 Ⅱ” の世界一周クル―ズの再放送を録画してあったのを見た。一度はこんな船で世界一周してみたいもんだネ、、、
飛鳥 Ⅱ は日本最大手の海運会社、日本郵船の子会社、郵船クルーズが運航する豪華外航クルーズ客船で日本船籍では日本最大の客船である。1990年6月「クリスタル・ハーモニー(Crystal Harmony)」として三菱重工業長崎造船所で竣工したバハマ船籍の客船を2006年郵船クルーズが買い取り、改装して先代の ”飛鳥” から ”飛鳥 Ⅱ” として就航している。
総トン数 50,142 トン
全長 240,96 m
全幅 29,6 m
喫水 7,5 m
機関 ヂィーゼル電気推進 37,800kw x4基 2軸
最高速力 23 ノット
定員 乗客数 720名~800名 乗組員 約440名
飛鳥Ⅱ は2012年4月2日~7月8日まで南半球を廻る、アフリカ、南アメリカ、アラスカ、の世界一周航海に出港するようである、値段は380万~2、400万円だと、、、、如何ですか、、!
2011-09-14
2011-09-11
2011-09-09
2011-08-22
ジョギングを初めてまもなく4ヶ月になる、状況が許す限り約1時間、なるべく早足で歩く、大体7,000歩くらいだな、、幾つかのコースを決めてあるが、大体は二つのコースをその時の気分で、その一つが春日山神社コース、早朝、林泉寺の鐘の音を聞きながら歩くのは、なんとも贅沢な事か、、、、最後に130段の石段を一気に登り、そして神社に参拝する、今の時期は日中は観光客が多いので春日山神社コースはなるべく早朝か夕方にしている。もう一つのコースは五智公園コースだ、五智公園と言う名前は知っていたが正直なところ行った事は無かった、車輛は入れないので、ジョギングを始めなければずっと知らずじまいであったろう、、、、、、公園と言っても遊具があり小さな子供が遊ぶような施設ではない、広い山がそっくり公園になっている、遊歩道の両側は森林だ、山の中にキャンプ用のバンガローが数棟、バーべキュウサイト等があるがあまり知られていないのだろう、、山の中を散策する道もある、日中もたまに散歩、ジョギングの人に会う程度、緩い登り、途中から展望台へ行く道は結構な登りだ、野鳥の声を聞きながら一気に展望台へ、展望台に登ると直江津地区が一望できる(写真)、汗をかいた身体に海風が心地よく感じられる、2~3分休憩して下り、今度は旧国道に出て、居多神社、蓮池公園、交通公園を通り戻る、、、コースの四分の三は車があまり通らない、、比較的近くにこんな良いところがあるとは、ジョギングを始めなければ知らなかったろうし、車で通れば気が付かない周りの景色も歩いているからこそ目に止まる、、、、一石二鳥だネ、、
2011-08-14
2011-08-13
2011-08-02
2011-07-26
2011-07-25
2011-07-24
本日の正午をもってテレビのアナログ放送は終了する、と言う事は以前より承知の事、今日はたまたま仕事は休み、我が家の台所に鎮座している三菱電機の(20WTS-1)テレビは平成六年、地元の行きつけのあるスナックのゴルフコンペで景品として頂いたものだ、20型で大きさもちょうど手ごろ、テレビとして、ラジオ替わりとして居間のテレビに次ぐ使用頻度で愛用して来た。 NHKの番組を見ていると正午前、天気予報に続いて女性アナウンサーがこれまでの視聴に感謝を述べた後、「長い間ご覧いただきありがとうございました」という文章が静止画で流れ、その後アナログ放送終了告知画面に移行した(写真)。どのチャンネルを回しても同じような、アナログ放送終了の告知画面だ、25日の午前零時には電波の送信も終了し、日本のアナログテレビ放送は1953年(昭和28年)に開始、半世紀以上の歴史に幕をおろし、地上デジタル放送に移行する。何台かある現用のアナログテレビ、ずべて今の状態では使用できない、何だか時代に取り残され、寂しいような気持ちだがこれも時代の流れ、仕方があるまい。
アナログのテレビ放送が始まったのが昭和28年とは言え、地方、ましてや田舎ではそれから更に数年遅れ、それまではもっぱらラジオだ、子供の頃、夕方家に帰り、「一丁目一番地」((1957~1964年放送) 「笛吹童子」 「おてなのとう」 「少年探偵団」 、、、、などなど夢中に成って耳を傾けて聞いた、夜になると、寒い冬などは狭いコタツに家族全員、足を突っ込んで 昭和26年から昭和45年まで放送されたというNHKの「三つの歌」 宮田 輝さんの司会、天池真佐雄さんのピアノ伴奏で、このテーマソングも良く覚えている、「アチャコ青春手帳」 などなどを聞いた思い出がある、、、、、テレビが入り始めても精々田舎の部落で一軒程度、夕方になると10畳ほどの部屋が一杯に成るほど近所の子供が集まって来て14インチの白黒テレビを見せてもらった、「月光仮面」 「やりくりあぱーと」 「てなもんや三度笠」 などなどだ、、、、、その後テレビもカラ―時代に入り画像も随分と綺麗に成った、昭和40年前後は番組も歌謡番組が多かった、、、その後NHKではハイビジョン放送も始まり、民放でも衛星を利用したデジタル放送が始まり、数年前から地上デジタル放送が始まり今日、東北3県を省き完全に地デジに移行しアナログテレビに幕が降ろされた、テレビ受像機もブラウン管から薄型の液晶に変わり、最近はより進歩したLED液晶、そして画像もより立体感をました3D画面に変わりつつある、、つくずく時代の流れ、技術革新の速さを感じずにはおれない、、、、、、。 ![]()
2011-07-20
2011-07-12
梅雨明け宣言後は連日30数度の真夏日、、、、今朝も仕事から帰り寝たのは朝方の3時過ぎ、近くに住む娘から電話が、、、爺ちゃん、プール開きするからプール膨らませておいて、、、、とこうだ、爺ちゃんフーフー言いながらプールを膨らませて準備完了、、、ちびっ子二人と一匹を連れてやってきた、、、
昨年は裸のヌードだったが今年は可愛い水着を買ってもらったんだそうだ、、早速、水着に着替えてプールへ、水遊びだ、、、 何が面白いんだろうね、、、、
仔犬のリクもやって来た、
ノアちゃん、ぼくもいっしょにプールに入ってもいい、、、、!
いいよ、おりこうにして入るんだよ、、、、、、!
爺ちゃんは暑いのに、プールの監視員をおおせつかった、、、
爺ちゃん、プール遊びっておもしろいね、、爺ちゃんもいっしょにプールに入る、、、、?
して、1年前は、と言うと、、、、 ↑
2011-07-07
2011-07-06
2011-06-30
2011-06-27
2011-06-21
2011-06-19
2011-06-18
2011-06-13
2011-06-11
2011-06-02
2011-06-01
ああ、直江津駅、、、
公費で無料で車の2種免許を取得、興味半分、ひょんな事からタクシードライバーに、それが意外と自分に合っている、あれあれと思う間に4年に成る、、早いねー! 昼に、夜に、深夜に、早朝に、駅前の待機場所から直江津駅を眺めて来た。その間でも早朝4時過ぎに着く、上野発金沢行きの、夜行寝台特急 ”北陸” 夜行急行 ”能登” が廃止に成った、つくずく時代の流れを感じる。北陸本線の終着駅でもあり、6番ホームまであり、明治19年(1886)8月15日開業の直江津駅は昔は随分賑わった、今は一日の乗車人数は2,800人位と言う、数年後、北陸新幹線が開業するとどうなるんだろう、、、、
初代の直江津駅(明治18年(1885))は今の場所ではなく関川左岸にありました。
明治27年(1894)民営の北越鉄道株式会社が設立され、明治31年(1898)に春日新田から沼垂(新潟市)まで開通しました、春日新田駅は春日神社の東側にあり関川には鉄橋がなく直江津には船で渡りました、その後、鉄橋が掛けられ黒井駅が出来る事に成り春日新田駅は廃止されました。(春日神社境内、線路際に案内板あり)。明治40年(1907)国有鉄道に成り信越本線に替った。
2代目の直江津駅は明治31年(1898)今の場所に移転しました、写真の右側が今のホテル、センチュリーいかや、の前身の旅館です。
3代目の直江津駅は昭和15年(1940)、山小屋に似た駅舎に改築されました。何と言ってもこの駅が私にとって一番懐かしく、思い出深い、、、、
日本の高度成長期の昭和30年代、大手工作機械メーカーに就職する仲間と、ここから蒸気機関車の夜行普通列車で上野駅に向かった、私にとって第二の人生の出発駅だ、、、、お盆と正月の帰省時、自分で働いたお金でやっと急行列車に乗れるように成った、蒸気機関車の金沢行きの急行 ”白山” で上野駅を朝出発、夕方高田駅、直江津駅に着いた、7-8時間かかったと思う、今は2時間ちょっと、北陸新幹線が開業すると東京駅から1時間40分と言う、、 便利に成ったね―、、、
昭和53年、故郷に帰り、20年くらい前までは駅前は賑やかであった、狭い駐車場も常に送り迎えの車で空きスペースを探すのに苦労した、、、、、大分から持ってきた5万円で買ったボロボロのトヨタカローラ、初めての自家用車だ、取引メーカーを迎えに来て駐車場で止まっていて、バックして来た黒塗りの高級車がドスン、、、後ろを振り向いた姿はネクタイを締めた年配の男、、降りてくるかと思いきや、そのまス―ッ、、、と立ち去った、、、何ー! 直ぐに降りて愛車を見ると少し凹みが有る、、、相手はこんなボロ車、と思ったのか、気が付かない筈がない、、直ぐにナンバーを覚えて、、、気がおさまらない、、、店に戻り近くの交番へ、、、、数字の左の文字はハッキリと覚えていないが、事情を話すと直ぐに照会センターに問い合わせてくれた、、県内に同じナンバーの該当車は6台あるとの事だが、車種、色からしてこの車でしょう、、、、と教えてくれた、、名前を聞くと、 んッ、聞いた事のある名前だな―、、、! 警察官が捜査しますか、、、と言うが、車も古いし、ひと言、謝ってくれれば気が済むんだが、、、腹の虫がおさまらない、、帰って早速電話をした、、予想通り相手は近隣の町の町長さんだ、、、直ぐに秘書らしき男が菓子折を持ってやって来て平謝り、、、、何で、本人が来ないんだ、、、、おいらも若かったね、、、
この駅には私のたくさんの思い出が詰まっている、、、、、
現在の4代目の駅(写真上)は平成12年に完成した、豪華客船「飛鳥」をイメージしたデザインで北口と南口を結んだ通りも開通して「あすか通り」と名前が付いている。外観は近代的な立派な駅に生まれ変わったが、朝夕を除いた日中は人通りもまばらだ、、下りの特急列車が着くと少しのビジネス客が降りる程度だ、寂しく成ったね―、、、、駅を眺めるとよく昔が思い出される、、、それだけ歳を取ったと言う事でしょうか、、(一部の写真は公的な問題のなさそうなサイトから無断拝借しました、ゴメンナサイ、
)
2011-05-31
2011-05-25
2011-05-20
2011-05-12
2011-05-05
2011-05-02
ここのところ暖かい日が続き花壇の花も色々と咲き始めて私のしょぼくれた目を楽しませてくれる、しかーしだ! 雑草も元気に成ってニョキニョキと、この草取りが一番嫌なんだがね、、、、そーだ! この際除草剤を散布してやろう、、、、買いに行こうと思ったら娘からストップが、 乃愛が外で遊べなくなるし、土いじりが出来なくなるから止めてくれ、、、との事、考えてみたら、それもそーだな、、と言う事で除草剤の使用は断念し、しぶしぶと手作業で2時間ほど花壇、その廻りの草取りだ、ついでに先日来頑張って開墾して造った家庭菜園、堆肥を入れて土壌改良に取り組みだいぶ土の色も良くなってきましたよ、何度も鍬で耕して土を細かくし、雑草の根っ子と土に混じった小さな石を拾う作業、、、、結構疲れました、、、
助っ人が一人来てくれました、、
爺ちゃん、この土もう少し、こまかくしないとだめだよ、、
そんな事は解ってますよ、、
爺ちゃん、このはたけ、まだひりょうがたりないと思うけど、、!
折角取った草を集めておいたら、、、、、、
助っ人が来て又集めた草をまき散らしてくれました、、
叱るに叱れず、、、、、、、、参った、、、
2011-04-29
2011-04-21
ホー、ホヶキョ、、、、 ウグイスの鳴き声で目が覚めた、、なんとも贅沢な話だ、昨年は確か6月にウグイスの鳴き声を聞いたんだが、今年は寒くて厳しい冬だったから、ウグイスも春の足音に早めに泣き始めたのかもしれないねー、、、、。ウグイスは1羽の雄が複数の雌を引き連れて、一夫多妻だ、繁殖地に向かう途中に人家の庭や公園で鳴くらしい、、ホー、は息を吸う時の音、 ホヶキョ、は息を吐く時の音だと言うがよくもあんなに綺麗な音が出るもんだネ、、、、窓から庭を覗くと水仙が綺麗に咲いている、チュウ―リップも蕾を付けはじめている、後3~4日もすれば咲くだろう、、、名前の解らない花も幾つか咲いている、、長い厳しかった冬が終わり、やっぱり春はいいねー、、、、、、、!
2011-04-17
2011-04-09
2011-04-08
2011-04-03
2011-03-27
夜中の2時近くに仕事が終わり家に帰る時は雪がちらちら、、、、この程度では積もらないな、、! 朝、目が覚めるとカーテンの隙間から洩れる明りがいやに明るい、カーテンをちらっと開けると一面が真っ白、12~3センチくらいは降ったかな、、この程度の雪は別に驚く事はないが後4,5日すれば4月だぜ、、、、1月は観測統計を取り始めてから最も日照時間が少なかった、2月は統計を取り始めてから最も降雨量が少なかった(晴れの日が多い)、3月に入り又寒い日が続き今頃になって雪だ、地球がおかしくなっているね、、、しかし誰の責任でもない、人間がそうさせたんではないだろうか、、、、、
こんな寒い中避難所暮らしの被災者の方々は気の毒だ、暖房の灯油は行き届いたんだろうか、、早く暖かい春が来ますように、、、、
2011-03-23
2011-03-20
東北、関東大地震以後、田舎町の夜の歓楽街もめっきり人通りが少ない、当然と言えば当然だ、こんな時に用事も無いのに酒を飲んで騒いでいる人の気が知れない、、、、と言う事になる。仕事も週末と言うのに暇な事、、、夜中の2時近く車庫に戻り、凍てつく寒さの中、冷たい水で車を洗車、、身体の心から冷えるネ、、、家に帰り布団に入るが足が冷えてなかなか寝付けない、、電気あんかでも出して入れようと思ったが、 ふと、避難所で暖房も無い広い体育館で毛布一枚にくるまって耐えている被災者の事を思うと、、 いや、我慢しよう、、、、被災者の苦しみを少しでも分かち合わないといけないな、、、、終戦後の日本は国民の努力で著しい発展を成し遂げた、便利に成りすぎて、お金を出せば何でも手に入る時代、それだけ贅沢に成り我慢に欠けるところがあるのではないだろうか、、時代が違う、 と言われればそれまでだが、今回の大震災で被災された人々は大変な苦しみを強いられている、食料、燃料、など等必要な物は当然、多くの被害に遭われた方々が優先だ、被害に遭わなかった我々は多少のガソリン、食料など等の品不足、ある程度の停電も仕方がない状況だと思う、我慢しなければならないだろう、ましてや買い占めなんてもっての他ではないだろうか、、、
2011-03-19
2011-03-18
2011-03-16
2011-03-13
2011-03-05
2011-02-27
2011-02-25
2011-02-20
朝起きると晴れている、、シメシメ、、、今日は日曜日なので仕事は暇な筈だ、、カメラを忍ばせて出勤、以前から妙高連峰を写真に撮ろうと思っていたがなかなかチャンスが無かった。 昼間の勤務の事、 晴れている事、 空車の時でないと写真が撮れない、 市街地ではダメだ、 車の通りの激しいところはダメ、、だって仕事中にこんな事するんだ、誰が見ているかわからんし、、、、 とうとうチャンスがやってきたが、いまいち空気が澄み切っていない、焼山が見えるビュウポイントでは無いんだが、、 まーいいか、、!
我が故郷から毎日のように目にする妙高連峰、、、見る場所によりその姿が変化するし、何回見ても飽きない景色だ、、、、頚城三山の一つ、妙高山、2,454m (写真の左側) 神奈山、大倉山、などの外輪山がU字型に取り巻いている、日本の百名山の一つに数えられる、美しい姿だ。しかし未だに登った事が無い、、普段の運動不足の解消も兼ねて昨年より近くの低い山に登っているが、、、、、今年は少し足を鍛えて是非登ってみようと思っている、、、、、
頚城三山の一つで、最高峰の火打山、 2,462m (写真、真ん中あたりのとがった山) 高山植物の宝庫とも言われている、半世紀も前に一度登った事が有るが、ただ学校の行事で嫌々、登っただけ、感動もなにもありゃしない、、、、今度、もう一度じっくりと噛みしめて登ってみたいと思っている、、、、、
頚城三山のもう一つ、焼山(新潟)、 2,402m 写真では見えないが、我が故郷からは場所により三山が望める、、活火山で入山禁止で有ったが今は登る事が出来るようだ、こちらも是非この際登りたいと思っている、、、、、
写真の右側の手前のこんもりとした山が南葉山、 949m だ、こちらは昨年、念願がかなって登る事が出来た、、、、、雪が消えて春になると、山登り、史跡巡り、、、などなど計画がめじろおしだわね、、、参ったって―、、 嬉しい悲鳴、、、、
2011-02-14
2011-02-13
今から100年前の明治44年1月12日、オーストリアの軍人、レルヒ少佐によって日本に初めてスキーが伝えられたのが旧高田市(現上越市)の金谷山、今年は スキー発祥100周年の年、市内ではいろいろなイベントがくりひろげられている、又毎年2月に行われる”レルヒ祭”も今年は100周年の記念の年、昨日からのレルヒ祭、普段の行いが悪いのか、丁度昨日から泊まり勤務で見に行く事が出来なかったが、一昨年のNHK大河ドラマ ”天地人”の直江兼続の幼年期役を演じて人気をはくした 加藤清史郎くんも登場して盛り上がったようだ、又3月31日までレルヒマンスも開催中で多彩なイベントが繰り広げられる。
2011-02-09
いやー、今年の冬は参った、、、、と言っても未だ冬が終わったわけではないんだけどさ。。。。。市内では比較的雪の少ない方なんだが、それでも家の周りで多い時は1メーター以上は楽にあったな、、市内の1月の日照時間の合計が31、6時間と統計を取り始めた22年以降では最も短かったとの事だが、1月は寒い日も多かった、屋根のつらら(写真上)も久し振りに見たような気がする、子供の頃はもっと太くて長いのが何時でも見れたが、これを取って口にほうばりオヤツ代わりにカリカリと食べたもんだ、しかし2月に入り結構、晴れの日が続いている、市内では屋根の一斉雪降ろし、道路の排雪作業が連日、行われている、市、県の除雪費が底をつき補正予算が組まれ国に援助を要請したくらいだ、これ雪が少なければ全く必要の無いもの、、、、家の前にうず高く積み上げられた、駐車場の除雪をした雪、今度はその山を崩して駐車場に散りばめる、、、早く雪を消すためだ、、なんか雪に遊ばれているような気がする、、、どんなに沢山降った雪でも春に成ればちゃーんと消えるんだがね、2ヶ月後の今頃は花見で賑わっているだろう、、厳しかった今年の冬もそろそろ終わりに近づいたネ、、、、、春はそこまで来ている、もちょっとの辛抱だ、、、、
2011-02-07
今日は休み、予定していた事が出来なくなり、何すっかなー、、、! 外はうすら寒い冬空、しかし雪は振っていない、その代り時々雨交じり、今の時期、雨は苦にならない、むしろ雪が消えるし歓迎だ、、、 そーだ、孫の乃愛ちゃんの顔でも見に行くかな、、、途中スーパーに寄り、ニヤニヤしながら好物のオヤツのビスコとミカンを買って娘の家に、、、乃愛、寝てるよ、、、、まだ寝たばかりだと言う、 ちょっと遅かったか、しかーしだ! 10~15分もすると気配を感じたのか、うす目を開けて、爺ちゃんの顔を見て、ニタっとして起きあがってきた、 シメシメ、、、、 娘が、起こしたの、、、 起こしたんじゃねーよ、勝手に起きてきたんだわ、、、、、!
家には雛祭りをまえに雛人形が飾ってあった、、、、
爺ちゃん、このお雛さんいいだろう、、かっこいいだろう、、、
1年も経つと大きく成るねー、、、 して1年前は、、と言うと、、、 ↓ ↓
あたしまだ一人ではすわれません、、、、
2011-02-02
2011-01-24
2011-01-21
どこの家庭にも使われていない、結構価値のある品物があるものだ、我が家にもある、この百科事典のような物もその一つだ、昔船員に成り未だ独身の頃だ、京浜港に入港した時に船に売りに来た業者から数回の月賦販売で買った記憶がある、今度は給料も多少は良いし、将来結婚して子供が出来、学校に行くように成れば使うだろう、それに家に飾っておいても格好が良いしな、、、! 単純な思いつきで買った百科事典、値段もかなりした記憶がある、その後40年経った今も殆んど開かれた事が無い、、、引っ越しをするたびに、かさ張るし重いし悩みの種だ、以前にリサイクルやに聞いた事がある、、古いと言うよりも年数の経った百科事典は買い取りはしません、、、 あっさりと断わられた。じゃまもの扱いの百科事典だが、先日暇つぶしにパラパラと眺めてみると百科事典と言うよりも参考書と言うか教科書と言うかなかなか為に成る良い書物だ、、 地球、山、海、宇宙、植物、昆虫、動物の行動、宇宙人と自然、、、、、、、、など、合計22冊よりなっている。 たとえば地球の生い立ちは50年たっても100年経っても同じだ、、、、年数が経っていても何ら問題はない、縁があって我が家にやって来た本だ、このままにしておくのは勿体ないし、本にも申し訳がない、これからは暇な時に老化防止、知識向上も含め読むことにした、多分数年はかかるだろうが、、その後は迷惑だろうが孫に引き継ぐことにしている、、、
2011-01-17
2011-01-12
1911年(明治44)1月12日、オーストリア・ハンガリー帝国の軍人であったレルヒ少佐が高田(現上越市)にあった陸軍第13師団、第58歩兵連隊の隊員にフランス語で号令を出した。 そこから日本のスキーは始まった、、、
日本にスキーが伝えられたのが100年前の今日である、高田(現上越市)の金谷山で軍人を対象にレルヒ少佐によって伝えられ、その後少佐によって民間人にも指導し、翌2月には高田スキー倶楽部が発足、地元はもとより、本県を初め全国に急激に普及して行った。’87年には映画「私をスキーに連れてって」のブームでスキー人口は増加、ウインタースポーツの代表格と成った、しかし’93年のピークをさかいに昨今はスキー人口の激減に各スキー場も対策に苦慮しているのが現状である。スキー発祥から100年、盛衰を繰り返しながらもスキーはウインタースポーツの代表格と成り、レルヒ少佐がまいた種は着実に芽を出し育てられてきた。
毎年2月には金谷山を中心にレルヒ祭が盛大に開かれている、近年は金谷山も雪不足に悩まされていたがスキー発祥100周年を待っていたかのように1昨日より雪が降りつもった。
● レルヒ少佐については = こちら =
● 金谷山スキー場、写真、説明は = こちら =
● 写真スライドショウは = こちら =
2011-01-11
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