2009-09-15

[我が故郷] 越後三十三霊場一番札所、岩屋堂観音堂

朝、起きるとあまりよい天気ではないが雨は今のところ降ってはいない、、よしッ、行こう! かねてより一度参拝しようと思ってはいたが、ついつい今日まで、、越後三十三霊場一番札所、岩屋堂観音堂 へ行って来た。国道8号線、名立区地内、うみてらす名立 を過ぎ信号を山寄りに入り、暫く進むと高速道の下をくぐる、さらに暫く進むと左側に看板があるので左に曲がり急な坂道を登ると左側に看板(写真)がある。10数台位は停められる駐車場があるのでここに車を停めると良い。

本堂(写真)大宝2年(702)、泰澄大師(たいちゅうたいし)の創立と伝えられ、大岩の壁面に見える凡字跡らしき物は(写真下)弘法大師(こうぼうたいし)が筆を投げて書いたと言われている。

御本尊の、聖観世音菩薩像(せいかんぜおんぼさつぞう)は鎌倉期、前期の作と推定され50年に一度御開帳されます。

康元元年(1256)北条5代の最明寺入道時頼公(さいじょうじにゅうどうときよりこう)が廻国(かいこく)の折に、越後三十三ヶ所の第一番札所と定めました。又春日山城主、上杉家の信仰が厚く墓碑もあります。
=案内板より抜粋=

岩の壁面に弘法大使が筆を投げて書いたと言わ れる岩、、わかるかな!



長尾景直の墓、⇒
長尾 景直(ながお かげなお、生没年不詳)は戦国時代の武将。通称小四郎と呼ばれていた。上杉謙信の譜代旗本として軍役81人を負担した。長尾一族の出身とも、又元は越中椎名氏からの人質であったとも言われる。

長尾藤景の養子となり、後に椎名氏の名跡を継ぎ、椎名小四郎を名乗り、主に越中戦線で活躍したが、天正6年(1578年)の月岡野の戦いでは織田軍に敗れた。謙信死後の御館の乱で上杉景虎に与したとして所領を削減される。これに反発してか、後に織田軍に寝返った。織田信長から恩賞を約束されている椎名駿河守は同一人物か?。

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