2016-07-30
2016-07-30
2016-07-29
2016-07-28
2016-07-26
2016-07-25
2016-07-24
2016-07-22
2016-07-21
2016-07-20
英彦山は出羽(現山形県)の羽黒山、熊野(現奈良県)の大峰山と並び日本三大修験道の霊場とし名をとどろかせ、古来から神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神(伊勢神宮)の御子、天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)であることから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。嵯峨天皇の弘仁10年(819年)詔(みことのり)によって「日子」の2文字を「彦」に改められ、次いで霊元法皇の享保14年(1729年)に院宣により「英」の1字を賜り「英彦山(ひこさん)」と改称され現在に至ってます。英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の「英彦山権現」として栄えましたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年6月24日、戦後全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮となっています。
江戸時代の最盛期には、「彦山三千八百坊」といわれ、3,000人の衆徒と坊舎が800を数えたと伝えられ、巨大な銅鳥居(写真上)から奉幣殿までの参道(写真)には多くの旧跡が残っている。
馬などで来た人々はここからは降りて行かなければいけない下乗(写真)
関銭の跡(写真)、豊臣秀吉が神領を没収したので英彦山の財政が苦しくなり関銭所を設けて参拝者より金を取り立てた、、、
奉幣殿(写真)は修験道時代の霊仙寺の大講堂で、現在の建物は元和2年(1616年)小倉藩主細川越中忠興によって再建されたものです。桃山建築様式で、以後小倉藩主によって修復されて現在国の重要文化財に指定されています。ここまではスロープカーが走っておりハイヒール履きでも参拝できる。
中津宮(写真)、市杵嶋姫命(いちきしまひめみこと)、多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、多岐津毘売命(たぎつひめのみこと)を祀っている。
英彦山頂上、中岳の御本社の上津宮(写真)、神武天皇が御東征の時、天村雲命(あめのむらくものみこと)を遣わされて祀られたと伝えられていますが、社殿ができたのは崇神天皇41年と言われてます。現在の社殿は天保13年(1842年)に、肥前藩主鍋島斉正によって奉建されたものです。
2016-07-18
2016-07-17
2016-07-16
2016-07-15
2016-07-14
2016-07-13
2016-07-12
2016-07-10
2016-07-09
2016-07-08
2016-07-06
2016-07-05
2016-07-04
ブログランキングに参加中
下のバナーを
ポチっと押して頂けると
有難いです、 お願い!
↓ ↓
にほんブログ村