hamさんのひとり言。

昔の話と今の話。

[hamさんの日本の歌心の歌] ♪ 丘を越えて ♪ 藤山一郎/明大マンドリン倶楽部

2016-05-31

作詞: 島田芳文
作曲: 古賀政男
演奏: 明治大学マンドリン倶楽部    
丘を越えて

 
 
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[豊後の名所・史跡] 軍師官兵衛と中津城

2016-05-29


一昨年(平成26年)のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の居城、中津城(写真)、ご当地に引っ越して間がなく、病み上がり、新米タクシードライバーを始めたばかりでなかなか機会がなかった。NHKの大河ドラマの舞台となると一気に観光客が訪れる事は、郷里の春日山城主の上杉謙信公の家臣、直江兼続が主人公の「天地人」が平成21年に放映された時を経験している。そのうちに落ち着いたらゆっくり行けばいいわ、、と言うことでだいぶ遅くなったが東九州自動車道も全線開通した事だし行ってきた。



激動の戦国の世、天下統一に突き進む豊臣秀吉の軍事参謀として支えた黒田官兵衛孝高(よしたか)は姫路城主の黒田職隆(もとたか)の嫡男として天文5年(1546)播磨国(兵庫県)で生まれた。
永禄12年(1567)、22歳で家督を継いで姫路城主となり、志方(しかた)城主櫛橋伊定(くしはしこれさだ)の娘光(てる)と結婚、翌年に適男松寿丸(のちの長政)が生まれた。
天正5年(1575)東の織田信長と西の毛利輝元の両勢力に挟まれた播磨の諸将のなか、黒田官兵衛は主君小寺政職(まさもと)に職田につくように説得、自ら使者となって岐阜城の信長に謁見しました。こうして秀吉の配下に入り軍事参謀としての活躍が始まった。
天正5年(1577)官兵衛は中国地方討伐の司令官として播磨入りした秀吉に姫路城を差し出し、はりまの国人領主が織田につくよう交渉に奔走しました。しかし翌年、有岡城の荒木村重が反旗を翻したため、官兵衛は説得に単身で城に乗り込むも幽閉、1年もの間土牢に入れられ足が不自由になってしまいました。
天正10年(1582)備中高松城の水攻めの最中に信長が明智光秀に討たれたとの知らせが入りました。これを聞き泣き崩れた秀吉に官兵衛は「信長さまの仇を討てば天下が秀吉さまに回ってきましょう」と天下取りを進言したと言われている。その後、秀吉軍は1週間で京都までの200キロを移動しました、世にいう(中国大返し)です。そして一気に明智軍を粉砕しました(山崎の戦い)。この官兵衛の天下取りの進言で秀吉は官兵衛を頼もしく思う反面、以後警戒心を抱くようになったと言われています。
天正14年(1586)官兵衛は秀吉の九州攻めの先遣隊の軍師として諸大名の勧降工作に当たりました。秀吉軍本体の九州入り前に、かなりの大名を秀吉側に引き入れるなど大きく貢献し、翌天正15年(1587)、その功績により豊前6群(京都みやこ、仲津なかつ、築城ついき、上毛こうげ、下毛しもげ、宇佐うさ、)12万石の領主となりました。
天正16年(1588)、中津城の築城を開始、天正17年(44歳)で家督を嫡子長政ながまさに譲り文禄2年(1592)ころ「如水」と名乗っている、天正11年(1583)キリスト教の洗礼を受ける、洗礼名:ドン・シメオン。天正18年(1590)小田原城攻め、天正19年(1591)肥前名護屋城の縄張りを命じられる。文禄元年(1592)文禄の役、宇喜多秀家の軍監として朝鮮に渡る。慶長2年(1597)慶長の役、小早川秀秋の軍監として参加。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦い。九州では石垣原の戦いが起こり黒田軍は中津より出陣し石垣原(別府)で大友郡を撃破(石垣原の合戦)。嫡子長政の筑前52万石移封に伴い福岡に移る。
慶長9年(1604)京都にて逝去(享年59歳)、葬儀は博多の教会で行われ墓は博多の黒田家の菩提寺、崇福寺にある。

 

官兵衛は豊前入国当初は馬ヶ岳城うまがたけじょう、(現行橋市)を居城としましたが、山城では城下町つくりが出来ないため、平地に移すことを考え、天正16年(1588)から中津城の築城を開始しました。中津は豊前国のほぼ中央に位置し、周防灘に流れ込む高瀬川(現中津川)に面しており、川を自然の堀として使えるうえ水陸交通の要地でした。又広い平野で地方有数の米どころでもあり、海運と商工業を押えるにはうってつけの場所でした。官兵衛が築いた石垣には当時の最高技術である穴太積み(あのうずみ)の技法が用いられています。天守閣から眺める景色は中津市、周防灘を一望でき、日本三水城(中津城、高松城、今治城)に数えられる(写真)。
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[新米ドライバー ②] なさけない若い男

2016-05-28

あさ歓楽街のあるビルに配車だ、大体が朝まで飲んでいるんだ、べろべろに酔っぱらっている客が多い、気が進まないが仕事だ、仕方がない。ビルの前に着くと若い男女が立っていた。立っていると言うより男が若い女を支えている感じだ、車から降りてドアーを開けて、お待たせしました、どうぞ! 車に向かって歩き始めると若い女性の足元が乱れて道路に崩れた。短いスカートがめくれ下着をだして見苦しい恰好をさらけ出している、こんなになるまで飲まなくても良いだろうに、、足を道路ですりむいて血がでている、若い男はスーツを着てしゃんとしている。車に乗ると若い女性はシートに倒れ掛かっている、運転手さん、○○町の○○○経由で○○団地まで、、男はたぶん女性の勤めるお店のお客だろう、お店が終わってから二人で他のお店で今まで飲んでいたんだろう、若い男の言葉使いから想像すると、そんなに親しい間柄でもなさそうだ、走り始めて暫くすると若い男が、ホテルに行こうか、ホテルに行く? しつこく誘い始めた、運転手さん、+○○○に行って! 内心、こんなに酔っぱらっている女性をホテルに誘ってどうする気だ、正気な時に誘えや、ボケ、、しつこくホテルに誘うが女性は返事をしない、内心、おい、ねえちゃん返事するな、、とうとう若い男は諦めたのか、 ○○○に行って!近くのマンションで男は降りた、すいません、こちらのお客さんは○○団地のどのへんでしょうかね? いや、私も詳しい場所は分りません、男を下して○○団地に向かった。若い女性は完全に爆睡だ、参ったなー、とにかく○○団地に着いてからだ、そして古い大きな団地の入口に着いた。古い団地で住居表示と地名が違いカーナビでは正確に検索できない、若い女性に尋ねても、最近こちらに引っ越してきたので詳しいことは解らないんです! 参ったなー、公営住宅がたくさん建ち並び古いマンションもたくさん建っている、解るのは近くにファミリーマートがあることと黒と白の建物との事だ、酔っぱらった若い女性だ、ここで下りてくださいと言うのも可愛そうだ。メーターを切ってくるくる走るがさっぱり解らない、50歳くらいの女性がゴミだしに歩いてきた、すいません、7組はどのへんでしょうか? ここは4組ですから7組はあちらの方なんですが! 色々と親切に教えてくれるがはっきりわからない、お礼を言って動き始めると若い女性が、運転手さん、少し坂を上るんです!と言う、いったんコンビニまで戻り動き始め、あちこちと動き坂があったので坂の方に走ると、あッ、あの建物です! やっとのことでたどり着き、お客さん大丈夫ですか、歩ける? すいません、大丈夫です、お迷惑を掛けました、ちょっと飲みすぎたね、、ちょっと危なっかしい足取りだが振り返り頭をぺコンと下げてマンションの玄関の中に入って行った、やれやれ、、、
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[今日の話] 最近感じる事

2016-05-27

年の瀬も押し迫った昨年の12月、朝起きようと思うがいつものように起き上がれない、以前は仰向けに寝ていて起きる時も腹筋でそのまま起き上がるのがふつう、、しかし最近はいったん横向きになり、よっこらしょっと! しかーしだ! 痛くて起き上がれない、手をついてやっとの思いで起きたが前傾姿勢ができない、洗面もできない始末、これじゃ仕事にならんなー、整形外科に行くとレントゲンを撮り、年齢相応に骨が減っていますね、暫く通院してリハビリをしてください! 歳のせいにさせられた。2日ほど仕事を休んだ経緯がある、今でも朝起きた時、座っていて立った時などは腰をまっすぐに伸ばせない。デパートの横で地元の有名な会社の社長を自宅までお供した、何度もお供したがコンクリート造りの立派なお宅だ、車内のヘッドレストに付いている名刺札の私の趣味を見て山登りの話になった。最近は山に登るたびに、去年まではこんなじゃなかったなー! と感じるようになりました、と言うと、どんなふうに感じるのかね! と言う。 急登の時なんか息が切れるんですよ! 運転手さん歳はいくつかね? はい、私は未だ70歳です! 当たり前じゃないかね、それにしちゃ元気だね、60歳くらいかと思ったよ! 自分としては歳をとったなんて認識は全くないんだが、半分はお世辞としても、最近は食事の量も減ったし、やっぱり歳をとったのかねー、、、 crying
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[古い航海日誌 日正丸②] シンガポール停泊中、落雷か?

2016-05-26

入港すると寝不足でたまらんね、ゆっくりと寝ていたいんだがそうもいかない、眠い目をこすりながら朝食を食べて無線室へ、お茶を沸かしていると朝食の済んだ通信長がやってきた。仕事の打ち合わせをしたが、午前中はストアーの整理、バッテリールームの整理などをして午後は上陸して市内観光に行くことにした。ポールド(窓)を覗いていた通信長が、おい次席君、君ホイップアンテナを何処へ持っていったんだ? ときた、はー! 内心長い航海で少し頭がおかしくなったんじゃないのかなー?? どうしたんですか? ホイップアンテナが随分短くなっているんじゃないかい、、と言う。何を訳の解らんことを言ってんのかなー、何気なく外のボートデッキを覗くと、んッ、マストの上についているHF(短波)用のホイップアンテナが随分と短かくなっているようだ、デッキに目をやると何か棒状のものが裂けた状態で落ちているではないか、暫くは状況をよく理解できなかったが段々とわかってきた。局長、これはアンテナに雷が落ちたんじゃないでしょうか! そう言えば夜中に雷が鳴って何かバシっと言う音がしたなー、犯人は雷だ、幸いにアンテナは全てアースに落としてあったのでアンテナの損傷で済んだがアースに切り替えてなかったら大変な事になるところだった。9月にはドックに入渠するので、それまではロングワイヤーを使うことにした、それにしても、よりによって本船に落ちなくてもいいのになー、、、
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[hamさんの登山記] 千灯岳(せんとうだけ)

2016-05-25

 

新しく加入した登山教室、先月の第1回目は熊本地震で延期となり今回が第一回目の登山となる。加入した目的は技術の向上は勿論だが仲間づくりと言う大きな目的があった。しかし毎月1回づつ行われる登山教室、8年ほど続いた教室だが今回(9月まで)が最後と言う。今回は18名ほどの参加だがほとんどが女性ではないか、男性は私を入れて3人、年齢は40歳くらいからだな、、、初めての参加は私を含め3人、ほとんどが開講時からの人のようで皆ベテランばかりのようだね。1回目の今回は国東半島の国東市国見町にある千灯岳(せんとうだけ)605,8メーターだ、標高は低いが国東半島では登り甲斐のある山に数えられている。麓にはかって「西の高野山」と呼ばれ六郷満山の中核をなす寺院として栄えた旧千燈寺の史跡などがあり歴史を辿るコースだ、、、マイクロバスで旧千燈寺登山口から登り始めた、不動山からの縦走になる、これから目指す千灯岳(千燈岳)を眺めると(写真)なんだがわくわくしてくるね、、、
 

私を含め新しい3人は先頭の先生に付いて歩くことになった、残りはほとんどが知り合いのようで賑やかな事、もう少し静かに歩けや! と言いたいくらいだがじっと我慢だね。30分ほどで旧千燈寺跡(写真)に着いた、、、



千燈寺は、六郷満山の諸寺を創建した仁聞菩薩が718年に国東半島の六郷満山の中で最初に創建した寺院であると伝えられている。当時は六郷満山の中山本寺で、16の末寺を有し六郷満山の中核を成す寺院として栄えた。しかし天正年間に大友宗麟による焼き討ちに遭って大規模な伽藍は焼失し、文禄年間に再建されたものの往時の繁栄を取り戻すことはなかった。護摩堂跡に一対の仁王像(写真)が立っている、仁王像は一枚岩に半肉彫りにされた珍しいものである。
 

本堂跡から暫く登ると奥ノ院(写真)がある、、、



仁聞菩薩が入寂(にゅうじゃく{僧が死ぬこと})したといわれる窟(写真)があり、枕の岩屋と呼ばれている。
 
 
仁聞菩薩の墓、、、
 


色々と賛否両論があった国東半島芸術祭に造られた像だ、ここから眺める景色は素晴らしい、、
 

登山口から1時間半ほどで五辻不動尊(写真)に到着だ、こちらで10分ほど休憩だ、ここから上り下りを繰り返し最後の1Kmは急登が続く、今まで賑やかだった女性群だが一気に静かになったね、落ち葉の上を歩く急登は結構きつい、歯を食いしばって先生の後に続く、少し後ろとの距離が空いてきたね、、、



登山口を出て約3時間15分、ようやく千灯岳の頂上に到着だ、樹木であまり見通しは良くないが樹木の間を吹き抜ける風が実に気持ちがいい、、さっそくコンビニで買ったオニギリで昼食となった、おいしいねー! 正直なところきつかったねー、、、30分ほど休み下山を始めた、帰りは赤根登山口に向けて下山だが比較的歩きやすい登山道で1時間ほどで登山口に到着した、、バスで国見温泉 あかねの郷 まで移動し温泉に浸かり、疲れも吹っ飛んだ、天気もよく最高の山行であった、、、
 
 
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[第2の人生] 瑞陽丸 タコマ出港宇野行き

2016-05-24



停泊中に3回ほどタコマの街に行ってきた、日本では見たことのないアルバムを見つけ購入した。後は船でまとめてお土産に船食にサンキストオレンジを2ケース、キスチョコを2箱、ウイスキーを2本たのんだ。荷役中に材木を積み込むデリックが落下し修理のため荷役が遅れたが、停泊中ではゆっくり正月ができない、とキャプテンの号令で積み込み作業を急ぎ材木の積み込みが終了した、ハッチ(船倉)からデッキまで材木を満載した、さっそく甲板部総出で材木のラッシング作業だ、時化で材木が崩れないようにワイヤー、チェーンで固定するわけだ(写真)、時化で材木が崩れると船が傾き、最悪は転覆も考えられる、念入りにラッシング作業が行われ全ての作業が終了した。まもなくタグボートがやってきて本船は静かに岸壁を離れた、DEAD  SLOW  AHEAD (前進微速)エンジンが動き始めた、、、
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[豊後湯めぐり] 国見温泉 ”あかねの郷”

2016-05-23

今年から登山教室に参加する事にした、第1回目の先月は地震のため延期となり今日が第1回目の参加だ。1回目の今日は国東半島の千灯岳に行ってきた。近いうちにご紹介したいと思うが、予定では時間があれば帰りに温泉に寄る予定になっていたが順調に行き温泉に行ってきた。
 

正直なところ国東半島にこんなに立派な温泉があるとは思わなかった、場所は国東市国見町赤根地区にあり、”湯の里 渓泉” と ”国見温泉 あかねの郷” の2軒あるがパンフレットを見ると同じ系列のようだが今回は ”国見温泉 あかねの郷” (写真)で400円を払って温泉に浸かった。露天風呂からは今登ってきた千灯岳が目の前に望め、ヒノキの香る内湯、無色透明のカルシューム硫酸塩泉で神経痛や慢性皮膚炎に効果があるようだ。
 

この施設のまわしものでも関係者でもないんだが、宿泊もできるようだ、横には貸切のコテージも建っていた。機会があれば泊まってのんびりしたいもんだね、、、
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[豊後の偉人] 福沢諭吉

2016-05-22

大分県の北のはずれに位置する中津市留守居町にある福沢諭吉の旧居、記念館に行ってきた。福沢諭吉、昭和59年からの1万円紙幣の肖像に使用されている(写真)、日本人であれば知らない人はいないだろう。中津藩士で、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾大学の創設者であり、専修大学、一橋大学、などの創設にも尽力した。

 
  天は人の上に人を造らず、

            人の下に人を造らずと云ヘリ、、、、

 
 

福沢諭吉(写真)は天保5年(1835)1月10日、大阪堂島の玉江橋北詰にある中津藩蔵屋敷で13石2人扶持の下級武士、福沢百助の次男として生まれた。諭吉が1歳6ヶ月の時に父と死別し母子6人で中津に帰郷、貧しくとも信念を持った少年時代を過ごし、14,5歳の頃からは勉学にめざめ、のちには儒学者、白石照山の塾で学びました。安政元年(1854)、19歳のときに兄三之助のすすめで蘭学を志して長崎に遊学、翌年からは大阪の緒方洪庵の適塾で勉学に励みました。安政3年、兄三之助が病死したため中津に帰り福沢家を継ぎ適塾のj塾長となる。安政5年(1858)には藩の命令で江戸の中屋敷に蘭学塾を開き教師になりました、これが慶応義塾の始まりです。西洋の文物に触れたいと考えた福沢諭吉は万延元年(1860)26歳のときに幕府使節の護衛船「咸臨丸」に軍艦奉行の従者として乗り込み渡米、文久2年(1862)には幕府使節の一員としてヨーロッパ諸国を歴訪、議会や郵便制度、銀行、学校、病院などを旺盛な好奇心をもって見聞しました。その後これらの経験をもとに「西洋事情」を著し、続けて「学問のすすめ」、「文明論之概略」などを次々と発表し、世界と隔絶されていた当時の日本人を啓蒙していったのでした。


 


享和3年(1803)築の木造茅葺平屋建ての福沢諭吉の旧居(写真)は諭吉が青年期を過ごした家です。
 

諭吉が少年の頃自分で手直しをし長崎に遊学する19歳の頃まで米をついたり、二階の窓辺で学問をした木造瓦葺の土蔵(写真)が残っている、、、



「独立自尊」の人とは、「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人としてその品位をはずかしめない者」と説いている、、、福沢諭吉は当時の日本人としてはかなり大柄な人で身長173センチ、体重70キロであったと言われている。明治34年(1901)1月25日脳出血症再発、2月3日66歳にて永眠、福沢諭吉は慶応大学の敷地内に居を構えていたため、慶應義塾大学三田キャンパスに諭吉の終焉の地を示した石碑が設置されている。中津市の旧居に隣接する福沢諭吉記念館では「学問のすすめ」の初版など諭吉の書、手紙、写真などのほか父百助の書や関係する人々の資料などが多数展示されている。

 
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[新米ドライバー ②] 新米ドライバーの昼

2016-05-21

土地勘のないご当地でタクシードライバーは無理かな?と心配もしたが、その気になれば何とかなるもんですな、、間もなく3年目に突入する。歳をとっても一人前に昼になると腹も減ってくるし楽しみでもある、しかし最近は食べる量は少なくなった、少し食べれば腹がいっぱいになる、安くできているねー、いつも港の公園の駐車場で昼にする、1時間以内は駐車料は無料でトイレもきれいだし気に入っている。コンビニでパンを1個とオレンジジュースかアップルジュースを買い(たまにオニギリとおーいお茶だ)車の中で海を眺めラジオを聞きながら食べる。スマホ、タブレット、を覗いていると眠くなってくる、すぐにシートを倒す、、、  、、、  コンコン、、はっと目が覚める、窓を見ると男がドアーの前に立っている、すいません、医師会館はどこでしょうか! なんだよー、寝てんのによー、、今までにも何度も寝ているところを起こされた、一度だけお客さんだったが後は全て道を聞かれたり施設を聞かれたりだ。腹が満たされて眠くなる、わずか5~10分だが実に気持ちが良い、、さーて午後も頑張るか!
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[新米ドライバー ②] 間一髪!

2016-05-20

朝、点呼を受けて出庫すると昼の休憩以外はトイレに行くとき、疲れた時には5~10分くらい休むがほとんどハンドルを握りっぱなしで毎日100キロ以上は楽に走る、それだけ事故を起こしたり、事故に遭ったりするリスクは高くなる、だからと言って事故を起こしたり遭ったりしたんじゃプロとして恥ずかしい事になる。絶対に事故は起こさない、遭わないと肝に命じてハンドルを握っているんだがそれでも事故は起きる。以前にお世話になった会社で常に斉唱させられた、安全運転の心得をきちっと守れば事故は半減すると思うが、、、

安全運転の心得
1、 人命の尊さを知る
1、 法令を正しく守る
1、 譲り合いと労わりの精神
1、 運転技術の過信はしない
1、 道路状況に応じた運転をする

二人の40代の男性客を乗せて片側2車線の制限速度40K/hの道路を走行していた、通常は実車の時は中央線寄りの車線を走るんだが次の信号の手前で右折車線に変わるので歩道寄りの車線を40キロで走行していた、左側の一方通行の道路から1台の乗用車が出て歩道に車の前部を出して止まったのが見えた、するとその車が前に走り始めるではないか、
ギギギー、 急ブレーキを踏んだ、左から出てきた車はこちらの車線に車の半分くらいを出し、こちらはその車の2メーターほど手前で急停車した。見ると80歳前後くらいの男性が運転していた。一旦停止の交差点だ、左右をしっかりと確認すれば走り出す距離では無いはずだ、一般のドライバーに有りがちな、視界が広く見やすい左を見て、右を確認する前に動き始め動きながら右を確認するから発見が遅くなる、こちらの急ブレーキの音で慌ててブレーキを踏んだに違いない、ぶつかっていればエアーバッグが開き怪我人が出た可能性が大きい、、いや、びっくりしたね、、相手の運転手、悪びれた様子もなく、ニコニコしながら軽く手を挙げて、、 気をつけろ、ふざけるな!
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[街中で見かけた話題、光景] クルーズ客船 LEGEND Of The SEAS

2016-05-18

 

本日の午後1時に別府国際観光港にロイヤル・カリビアン・インターナショナルが運航するクルーズ客船 LEGEND Of The  SEAS(レジェンド・オブ・ザ・シーズ)が入港する事は分っていた。仕事が早く終わればちょっと見に行ってくるかなー、仕事は早く終わらせちゃえ! と思っていた。 しかーしだ! 11時30分に貸切で別府に行く仕事が、しかもだ、別府のある処でお客さんを下し、駐車する適当な場所が無いので何処かで待機し1時40分にお客さんを迎えに行き、その後国際観光港の近くまでお客さんをお供する、そして又大分までお供するわけだ。こりゃ俺に船を見に行って来い、、と言う事じゃないかい? 観光港に近づくと港外に白い船体が見えている、あれだな! コンビニでパンとジュースを買い車内で昼食だ、12時過ぎに港内に白い船体が入ってきた(写真)、今回が13回目の入港と言う。
 

入港から着岸までずっと眺めたが、このような大型客船の着岸は初めて見たような気がする、勿論パイロット(水先案内人)が乗船していると思うが、タグボートが2ハイ付近にいたが、ほとんどタグを使っていなかった、客船は大型貨物船と違い操船しやすいはずだが、それにしても見事なもんだね、13時ドンピシャに着岸が終わった(写真)。数十台のバスに分乗して観光に出かけるんだろう、中国の天津。韓国の釜山、鹿児島から別府に入港し21:30に広島に向け出港すると言う、、、

LEGEND Of The SEAS

総トン数 :   69,130 トン
長さ:          264 m
幅 :           32 m
喫水:          7,7 m
馬力:      73,830 馬力
速力:          24 ノット
旅客定員:    1,800 名(最大2,076名)
乗組員:        720 名

 

すぐ近くに別府、大阪航路のカーフェリー ”さんふらわー こばると” (写真)が着岸し、八幡浜・別府航路の宇和島運輸フェリーが着岸するところだ、、、
 
 
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[古い航海日誌 日正丸②] シンガポールの街へ

2016-05-17

現地の沖売りが慌てて下船しアンカーを巻き上げ着岸するために動き始めた。いよいよシンガポールかー、高層ビルが段々と近づきシンボルのマーライオンもよく見える。倉庫が立ち並ぶ岸壁に近づき、2ハイが着岸している間に本船を着けるようだ、セメントを1万トン積んだ大型船だ、車の縦列駐車のようなわけにはいかない、船首を岸壁に当てたようだが事なきを得た。夕食後ボーイさん二人と一緒に上陸した。まず一杯飲みに行こう、、と言うことで日本人に人気のある居酒屋に行った。お店は混雑している、半分近くは日本人だろうか、船員、商社マン、観光客など色々だ、日本語、英語、中国語などいろいろな言葉が飛び交っている、異様な雰囲気だな。三人で歩いてオーチャードロードまで行き、あてもなく歩き回った結果腹が減ってきたね、と言うことで屋台でラーメンを食べたが、暑いのに又熱いラーメンだ、、飲んで食べたねー、、、
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[hamさんの登山記] 黒岳(高塚山)登山

2016-05-16


九重山系の主だった山で残っていた山が黒岳だ。九重山系の北東部にあり、前岳、天狗岩、高塚山などの峰からなる火山で主峰が高塚山(1,587である。比較的に草原が多い九重山系の山々の中で広葉樹の原生林が広がる山であり、樹木が茂った山の様子が黒く見えることから黒岳と呼ばれている。黒岳は、「21世紀に残したい日本の自然100選」、大分百景および大分百山に選定されている。
家を出て1時間半で登山口の「日本の名水百選」男池の駐車場に到着した。準備を整えて登山道へ、鳥の鳴き声を聞きながら進みかくし水(写真)に到着した。




登山口を出て1時間、コースタイムより早くソババッケ(写真)に到着だ、ここは平治岳など大戸越への分岐点になる、ここで10分ほど1回目の休憩だ、これからが本番だな、、、
 

ソババッケを出ると暫くで、急登、岩がゴロゴロの登山道に一変した、時々ひと息いれて進むがペースが落ちてきた、ソババッケを出て1時間15分で風穴(写真)に到着だ。

「大船山の風穴」
この風穴は岳麓寺の住人で、養蚕種の製造等を手掛けていた木下羊三氏が天然の氷穴を探そうと11年ものあいだ「くじゅう連山」をくまなく歩き続け、明治37年7月27日に発見したものである。
当時は人造氷のない時代のため、大量の蚕種の保存が可能であり、天然の冷蔵庫ともいえるこの風穴で蚕種を貯蔵、自然孵化を抑制しながら時期を問わず飼育する目的で利用されたものであり、大正3年に当時では珍しい「株式会社大船山風穴」として創立され日本の隆盛に貢献したものである。
全九州はもとより、四国、中国地方より貯蔵依頼があったといわれ、その数は10万枚以上であったと言われている。大正末期、化学製氷が開発され始めると同時に衰退し現在に至っている。この中は二つの部屋からなっており、梅雨~初秋の間を除けば氷や氷柱を見ることが出来る。 
                             =  案内板より  = 


中を覗くと氷らしい白い物が見えていたがネ、ここで10分ほど休憩とした、、、




風穴を出ると登山道はさらに急登になってきた、ロープにつかまり登るところが続き、足場も悪い、周りは原生林で何も見えない、苦しいのなんのって、、何を好き好んでこんな所を歩くかねー、、時々森の中から小鳥の鳴き声が聞こえる、おい爺、頑張れや! と言っているように聞こえる、、風穴を出発して1時間10分、ようやく天狗別れ(写真)に着いた。天狗岩と黒岳の主峰の高塚山の分岐だ、躊躇せず先ず高塚山へ行こう、帰りに元気があったら天狗岩へ行くかね、、、
 

天狗分かれを出て25分、高塚山(1,587m)の頂上に到着だ(写真)、登山口から4時間近くかかってしまった、途中からガスがかかり周りの視界はゼロだ、頂上では福岡から来られた同年配と思われる先客と15分ほど山の話をしオニギリを1個食べて下山を開始した。



下山の途中で不思議な光景を見た(写真)、大きな岩に根を張った木が倒れている、何で倒れているんだろう、原因が直ぐに解った、岩の周りを見ると岩の下の部分が土に埋まっているんだが岩と土の間に30センチくらいの溝ができている、こりゃ熊本大地震の仕業に違いない、、根っこが千切れたりしている傷跡は未だ新しい、、途中でシャクナゲがたくさん綺麗に咲いていて疲れを癒してくれたね、、、今回は疲れたねー、、、

 
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[hamさんの日本の歌心の歌] ♪ 酒場すずめ ♪ 村上幸子

2016-05-14

酒場すずめ    唄: 村上幸子

以前にもアップした事があるんだが、、、
昭和33年(1958)10月21日生まれの村上幸子(本名 鈴木幸子)は新潟県村上市(旧、岩船郡荒川町)出身の演歌歌手であった。1979年「雪の越後を後にして」で歌手デビュー、昭和59年(1984)に発売になった「酒場すずめ」が大ヒットした。歓楽街に出るとあちこちの店から聞こえていた歌で好きな歌だった。1988年に発売になった「不如帰(ほととぎす)」もヒットし始め文化放送のラジオ番組「走れ歌謡曲」のパーソナリティーも務めるようになったが1989年に急性リンパ腫と診断され次第に病状は悪化し平成2年(1990)7月23日31歳の若さで帰らぬ人となった、、、 合掌


 
 
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[新米ドライバー ②] 再び被災地熊本へ

2016-05-13


今年の二月に、ある大きな会社のお偉さんの運転を若い乗務員に変わっていただいたんだが先月の末に臨時で熊本へ行ってきた。今月に入り北九州、福岡、佐賀と、お偉さんの運転をしたが、又熊本行の仕事が、若い人に変わったんじゃないんですか、どうなってんですかね? 色々と事情があって又カムバックする事になりましたってー、、、と言うわけで前回に引き続き熊本へ行ってきた。R57が一部通行できないため今回も前回と同じコースで向かったが、前回は雨模様でガスがかかり視界不良でえらい目にあったが、今回は晴天で最高だ。久住町では九重連山を眺めながら走り、瀬の本からやまなみハイウエー、そして阿蘇のミルクロードに入り大観峰から阿蘇の草原を走る(写真)、前回はガスで景色どころではなかったが今回は素晴らしい景色を堪能できた。24年前の平成4年に家族旅行で阿蘇を訪れた時以来の絶景だ、、しかし大津町から震源地の益城町に入ると状況は一変する、倒壊した家は未だ手つかずの状況で墓地のお墓は全て倒れひっくり返り、塀などはほとんど倒れ無残な姿だ、被災者の事を思うと言葉も出ない、、、 
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[第2の人生] 瑞陽丸 タコマの町へ 

2016-05-12

 

朝サロンで朝食を食べているとキャプテンが 次席さん、あとで用事があるんでタコマの町に行くが一緒に行くかね? 食事をしていた通信長が、私が留守番しているから上陸して良いよ! との事で上陸することにした。代理店が車で迎えに来てくれたが、さすがにアメリカだ、リンカーンと言う大きな車だ、タコマは人口が20万位らしいが結構都会だね、キャプテンが飯でも食べようと言うことで一軒のレストランに入った。テーブルで待っていると隣のテーブルに座っていた二人ずれの若い女性がこちらをちょろちょろ見ているではないか、内心、俺に気があるのかな? テーブルの上に置いてある私のカメラを指さして何かペラペラ喋っているがさっぱり、チンプンカン、  キャメラと言っているのだけは解るがあとはさっぱり、するとキャプテンが、そのカメラで写真を撮ってあげようか! と言ってるようだよ、さすがキャプテンだ、と言いう事でパチリと一枚撮っていただいた(写真)。キャプテンと別れて街を歩き回り、スジコが安いと言うことで乗組員から聞いておいた市場に行ってみた。私を見るなり、おー、スジコ! 日本人は結構買うらしいね、乗組員に頼まれたスジコを買い私も少し買ったがあまり好きではないね、、足が棒になるほど歩き回りキャプテンと約束をした場所でおち合い代理店の車で船に戻った。
 
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[今日の話] 懐かしい光景

2016-05-10

いつもの事だが仕事で駅前の国道10号線を走っていて、ふと前の白い車を見て何気なくナンバーを見ると新潟ナンバーじゃないか、大分に来て恐らく初めて見るような気がするが、昨年は偶然だが長岡ナンバー(柏崎市の新潟産業大学のマイクロバス)の車を見たが流石に九州まで来ると新潟県の車を見ることはめったにない。今日はついてるなー! 故郷に縁のある日だ、、、


 

夜の7時から NHK BS プレミアム で火野正平のNHK「にっぽん縦断こころ旅」を懐かしく見た。俳優の火野正平さんが自転車に乗って視聴者から寄せられた場所を訪ねる番組だ。今日は故郷の上越市の人からの手紙に答えて上越市を自転車で走った。昨年の春に開業した北陸新幹線の上越・妙高駅からスタートした。私が上越にいた頃は上越・妙高駅は工事中だった、立派な駅になったねー、越後ときめき鉄道に乗って直江津駅(写真)まで、ここから自転車で佐渡汽船前、海岸線を北上し手紙を出した柿崎区直海浜(のうみはま)まで。ときめき鉄道での車窓の景色、おー、○○だよ、直江津駅前のタクシーの待機所でいつもお客さんを待っていた、佐渡汽船前から火力発電所、火力発電所の工事が始まった時から完成するまでほとんど毎日といっても過言ではない、お客さんをお供したり、お迎えで通った道路だ、懐かしいねー、それにしても人が歩いていないねー!
 
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[新米ドライバー ②] 山好きなお客さん

2016-05-09

駅まで40歳代と思われる女性をお供した。連休で実家に帰省されたようだ、高齢な両親の様子を見に来たんだそうだ。助手席のヘッドレストに付いている大きな名刺札を見て、運転手さん山登りをされるんですか、お歳からしてベテランなんでしょうね? いえ、私は未だ山登りを初めて6~7年で、体力も技術も無いので冬山は行きませんし、基本的には天気の悪い日は行きません、ですからせいぜい初心者に毛の生えた程度です、 私は高校の時に由布岳に登っただけですが、会社に山好きな人が何人かいますが、山の好きな人は皆気持ちのいい人ばかりですねー! 内心、嬉しいこと言ってくれるねー、、確かに私も山登りを初めた当初は、登山道で他の登山客に会うとほとんどの人が、コンニチワー! おはようございます! 狭い登山道ですれ違う時などもお互いが足場の悪い登山道で気持ち良く譲りあう、山の好きな人は皆気持ちのいい人ばかりだなー、と感心したもんだ。

昼過ぎに乗車された40歳代と思われる女性、行き先を聞いて、あれ、このお客さん以前にもお供したことがあるなー、走り始めるとすぐに、運転手さん、山登りをされるんですね、私もよく山に行くんですよ!それから目的地に着くまで色々な山の話で盛り上がった、北アルプス、南アルプスや全国の有名な山はかなり登っているようだ、おまけにネパールまで行ったそうだから半端じゃない、もっと山の話を聞きたかったんだが目的地に着いてしまった、縁があったら又山の話をゆっくりとしたいですね!


名刺札に書いてある、趣味 山登り を見て話しかけてくるのは圧倒的に女性が多い、ほとんどの乗務員の趣味は、カラオケ、釣り、読書、ドライブ、スポーツ観戦、ゴルフ、などだ。時々、おー、山登りの運転手さんか! 「趣味 山登り で運転手さんを覚えているわ、 良いような、悪いようなだね、、、
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[豊後湯めぐり] 長湯温泉 ラムネ温泉館

2016-05-08


天気が良ければ黒岳に行こうと考えていたんだが天気は生憎の曇り、雨はなさそうだが、やっぱり山は晴れていなくちゃね、、今日は母の日でもあるし急遽、温泉にでも行くか、世界有数の炭酸温泉地として知られる長湯温泉に行ってきた。長湯温泉でも一番炭酸ガス含有量が多いと言われるラムネ温泉館(写真)へ、ラムネ温泉館には「ラムネ温泉」と「にごり湯」の2種類の温泉がある。ラムネ温泉とは高濃度天然炭酸泉の名称で入浴して暫くすると体の全身を銀色の泡が包むようすから名づけられたようだ。炭酸ガスの含有量は1,380PPMと言われている。にごり湯は濁りのついた温泉の名称です、炭酸ガス含有量は990PPM、また41℃の適温のためラムネ温泉と交互に入ると更なる真価を発揮するそうだ。入浴して暫くすると体中が銀色の泡でいっぱいになる、サイダーの風呂にでも入っているようだ。今までに熊本行きや九重連山、阿蘇山、祖母山登山などで何度となく長湯温泉は通っているが温泉に浸かるのは初めてだが、これからはちょこちょこ訪れたいもんだね、、、
 
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[古い航海日誌 日正丸②] シンガポール入港、 べっ甲亀の剥製をゲット

2016-05-07

本船は昼前にシンガポール沖のアンカー錨地に到着した、VHFでアンカー(錨)を降ろす位置を指定してきた、ガラガラガラ、、、アンカーが音をたてて海に沈んでいく。周りには大小たくさんの船が錨をおろしている。陸を見るとシンガポールの高層ビル、シンボルのマーライオンも見える。さっそく官憲が乗船し入港手続きが始まった、さすがに世界に誇る国際貿易港だ、手続きも手際が良いね、30分ほどで入港手続きも終了だ、何処からともなく数隻のジャンク(小さなボート)が近づいてきた、そして馴れ馴れしくタラップを登ってきた、手にバナナの大きな房を持った男、バリ人形を持った男、ポルノ写真を持った男、大きなべっ甲亀の剥製を持った男、などなどいろいろだ、船のパッセージ(通路)に並べ始めた。ちょっとひやかしにでも行くかね、べっ甲亀なら少し興味がある、おー、マスター、べっ甲安いよ、30,000万円でいいよ! ときた。5,000円なら考えてもいいよ、、あまりほしそうな顔をしないことだ。15分くらいして通路を通ると、先ほどのべっ甲亀の男が私を見つけて寄ってきた、マスター、べっ甲20,000円で良いよ! きたきた、5,000円なら買うよ、、 内心はほしいんだがダメでもともとだ、値切るだけ値切ってやれ、、30分ほどすると、出港用意、おもて(船首)スタンバイ! 着岸するため出港用意の船内放送があった。船が動き始める前に土産売りの男たちが下船しないといけない、ポケットに5,000円を入れて下に降りてみると男が私を見つけて小走りに寄ってきた、マスター、10,000円でいいよ! 5,000円なら買うよ、、その場を去ろうとすると、5,000円でいいよ、持ってけ、泥棒! と来たね。と言うわけで頭の先から1メーターくらいは有りそうなべっ甲亀の剥製を5,000円の破格値でゲットした、俺の勝ちだね、、おそらく日本で買えば10万や20万は楽にするだろう、、、男は小走りに通路を走って行った。間もなくエンジンが動き始め本船は着岸するために静かに動き始めた、、、 
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[街中で見かけた話題、光景] 湯布院町、若宮八幡社と「宮川滝の口」

2016-05-06



ここのところ仕事で湯布院町をちょこちょこ訪れている。お客さんを待っている間(1~2時間)付近を散策すると一台の人力車がやってきた(写真)。一軒の旅館から若い女性の観光客が一人乗車された、すると今度はレトロな小さなバスが走ってきた、、これが又まわりの景色によくマッチするね、、、湯布院とはそんな町だ、、
 

場所を移動して又お客様が乗車されるまでの待ち時間、道路脇の神社の前に少し広いスペースがあったのでこちらに駐車してお待ちする事にした。折角だ参拝してくるか! 創始は823年で宇佐八幡宮の御分霊を祀ったのが始まりらしい。参道を行くと先日の熊本、大分地震で倒壊したようだ、コンクリートの鳥居がめちゃめちゃに倒壊している(写真)、参道脇の御神燈も全て倒れている、周りを見渡すと屋根を青いシートで覆った家が目立ちブロック塀や石垣が崩れている光景も何か所も見たが強い揺れだったんだろう、、、



車の中でお客さんを待っていると、ちょこちょこと車がやってきてポリタンクを持って降りてくる、見ると神社前の水場でポリタンクに水を入れて持ち帰っている、福岡県ナンバーの車も来ていた、一人の男に、この水は有名なんですか? と尋ねると、 えッ、タクシーの運転手さんが知らんの、「豊の国名水」15選の一つですよ? ときた。さっそくカバンからタブレットを出して調べてみると、「宮川滝の口」と呼ばれる湧水で大分県の「豊の国名水」のひとつに選出されている湧水で、その中でも特に清冽な湧水とのことだ、参拝し一杯いただいてきた。
 
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[今日の話] ゴールデンウイーク終盤

2016-05-04

世間ではゴールデンウイークで人の動きも活発だが九州の熊本、大分の一部は地震の影響で悲惨な状況が続いている、半月が過ぎ大分県の別府、湯布院はだいぶ観光客も増えてきたような気はするが、まだまだ以前のような賑わいは無い。こちらは日曜日以外は仕事だ、南口の駅前を通ると、おおいた駅前 ラーメン博 が開催されている、全国より有名ラーメン店が出店し、グルメブースも多数出展し多くの人で賑わっていた。北口へ回ると駅前広場で全国の有名ビール祭りで、こちらも賑わっていた。仕事で別府に行くと北浜の公園では 別府カーニバル が開催されていて、こちらも沢山の人で賑わっていた。気温も27度の夏日で、明日のこどもの日も天気は良さそうだ、、、しかし仕事はと言うと、人が出ている割にタクシーに乗車する人は少ないし、道路は車が渋滞しさっぱりだ、、、
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[街中で見かけた話題、光景] 豪華客船 GOLDEN  PRINCESS 

2016-05-03


仕事で別府に向かって別大国道(R10)を走っていると国際観光港に真っ白な大型クルーズ客船が入港している、おー、入っているなー、、今日クルーズ客船が入港するのは分っていたんだが今日も仕事だ、どうせ夕方には出港するはずだと諦めていたが、ラッキーの一言。台湾を中心に香港、タイ、米国など24ヵ国から2,152人の乗客を乗せて入港したようだ。50台ちかい大型観光バスに乗車し、別府市内、湯布院などの観光地に出発していった。昼前から生憎の天気になったが、、一度このような船で世界一周と行きたいもんだがね、、

GOLDEN  PRINCESS

 全  長:    290メーター
全  幅:     36メーター
乗客定員:  2,600人
乗組員数:  1,100人
総トン数:108,865トン
航海速力:     24ノット(44Km/h)
 





 
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[hamさんの登山記] 九重連山、稲星山、中岳、天狗ヶ城登山

2016-05-02


予報では日曜日は最高の天気だ、しかーしだ!月曜日は早朝から長距離の仕事がある、それに問題は地震だ、まだまだ熊本、大分地方で地震が頻発している。由布岳、祖母傾系の山は登山規制だが九重連山は大丈夫のようだが、朝登山口の牧ノ戸峠のライブカメラを見ると広い駐車場は車がまばらだ、やはり皆地震で登山を敬遠しているのか、昼近くにスマホでライブカメラの映像を見ると車がびっしり、よし、明日は行こう! 途中のコンビニによりオニギリ2個、水を3本買い込み牧ノ戸の登山口へ到着だ。車のナンバーを見ると鹿児島、東京、神戸、愛媛、色々だね、支度をして登山口を出発、コンクリートの結構きつい登りが続くが準備運動を兼ねてゆっくりゆっくり進む。昨年の10月に中岳に登ったとき以来だが、あの時は体調も悪くおまけに強風にガスで視界が悪い、今日は天気は良いし体調も良い、今回は九重連山の稲星山と決めていた、体力が持てば中岳に登る、、、



登山口を出て1時間40分で避難小屋が見えてきた(写真)ここで100円を払いトイレに行き5分ほど休憩だ、ここまでは極めて順調にきた。久住別れから久住山方面に向かい、途中から中岳、稲星山方面に向かう、水を満々とたたえた御池(写真上)の湖畔を通り進んでいく、、、
 

避難小屋を過ぎると目の前に目指す稲星山(写真)が見える、これを制覇すると九重の主だった山は制覇したことになる。中岳、稲星山の分岐まで来た、今回は一緒に行った息子が、稲星山に登ったら帰りに中岳も登るかね? ときた、そんなことは俺に聞いても解らんよ、俺の体に聞いてくれや、、、



登山口を出て約3時間近くで稲星山(1,774m)の頂上に到着だ(写真)、九重連山の中でも比較的に登る人は少ない山だ、目のまえの山は大船山と平治岳だ、360度の絶景だね、昼飯にはちょいと早いし15分ほど頂上に滞在し下山を始めた。
 

下山を始めて中岳との分岐に来た、どうするか? 九州本土の最高峰の中岳は2回登ったが昨年はガスと寒さなど体調不良で最悪だったし、行くか! 目の前に岩がゴロゴロの中岳が、岩に掴まりながら梯子を登り、、こんな時に地震でもきたら一発だな、数回の小休止で中岳の頂上に着いた(写真)、3回目だ。10人くらいの先客が、オニギリを食べ始めたが大量の虫の歓迎を受けて、一個食べて終わりだ。

 

眼下に坊がつる が見える、テントサイトには沢山のテントも見える、近くの硫黄山からは噴煙があがっている、山はいいねー! 途中の苦しさが一変に吹っ飛ぶ、30分ほど周りの景色を楽しみ、このまま下山するか、目の前の天狗ヶ城に登って下山するか、次の機会にするか、私は一昨年に中岳に登ったときに天狗ヶ城も登っている、今でしょう!
 

少し下りそこから又登り返す、そして天狗ヶ城の頂上へ到着だ(写真)、10分ほど頂上に滞在し下山を始めた。御池、噴火口跡などを眼下に眺めながら避難小屋到着した、たくさんの登山客が景色を眺めたり昼寝をしたり昼食を食べたりしている、私も残りのもう一個のオニギリを食べたが美味しいこと、汗をかいた体に時々通り過ぎる風が気持ちが良い。登山口を出発して約7時間、無事戻ってきた、地震が来なくてよかったね、、、今月の下旬か6月の月初めには ミヤマキリシマが見ごろだろう、、、


 スライドショーは   = こちら =
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プロフィール

名前は:ham 
年齢は:爺 ♂
血液型:B型 みずがめ座

辛い事もあったが楽しい事も、、
良い思いも沢山させて頂いた
激動の人生、
昔のこと、今の事、自由に綴る
我が人生、






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