hamさんのひとり言。

昔の話と今の話。

[今日の話] 平成25年、有難うございました。

2013-12-31

 

この一年間ご訪問を頂きましてまことに有難うございました、引き続き来年も何卒よろしくお願い申し上げます。来る新しい年が皆様にとりまして佳き年でありますよう、お祈り申しあげます。

 

                平成25年 大晦日   By ham

 

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[hamさんの日本の歌心の歌] 日本が誇る「行進曲」

2013-12-30

作曲:瀬戸口藤吉   軍艦行進曲(行進曲、軍艦)

作曲:團 伊玖磨   祝典行進曲

作曲:吉本光蔵    君が代行進曲

 

祝典行進曲は昭和34年(1959)、皇太子(明仁親王)、美智子妃のご成婚を祝して作曲された。

 

 

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[今日の話] いつも有難うございます、私とブログ

2013-12-29

今年も残すところあと二日、諸般の事情でスタッフを解雇し店舗をすべて閉鎖して1年ちょっと、毎日一人で飛び込み営業に出かけるがなかなか契約が取れない、嫌気がさしていたのも事実だ、以前から仕事で使っていたパソコン、使っていたと言ってもスタッフ任せでインターネットを見る程度の知識しか持ち合わせていないんだが、そんな時に以前から会員になっているアメリカのあるIT企業の多くのサービスのなかにブログ作成のコンテンツがある、これなら俺にも出来そうだな、、初めは四苦八苦しながら、笑われるかもしれないが初めてアップできた時の感激は今でも覚えている。以前に仕事の関係で北は北海道から九州沖縄まで全国100ヶ所以上のゴルフ場でプレイしたが、一回目から全てスコア―カードをとってある、よし、これを書いてみよう、、「古いスコア―カード」、事業を始める前に外国航路の船員を経験し七つの海を航海した、よし、これも書いてみよう、「古い航海日誌」、それと時々日常の出来事も書き、「今日の話」の三つのカテゴリーで平成19年(2007)7月14日にスタートしたのが始まりだ、ちょうど中越沖地震の二日前だった。

しかーしだ! その後カテゴリーも愛犬の事を書いた「我が家の三代目」、新しく始めたタクシードライバーの事を書いた「新米ドライバー」、史跡に興味を持ち郷土の名所史跡を書いた「我が故郷」、4年前より始めた山登り「hamさんの登山記」、などカテゴリーもどんどん増えていった、、

ブログを初めて6年半になる、これは私が頑張った訳ではない、まったく文学的なセンスのない田舎の親父が書く、つまらないブログにも訪問してくださる沢山の人がいらっしゃることにほかならず、感謝にたえない、、

忙しくても出来る限り毎日更新する、これは私の毎日のパワーにもつながっている、出来る限り解りやすい表現で書く、もっとも難しい事は書けないんだけどさ、手抜きをせずに一生懸命に書く、をモットーに頑張りたいと思います、来年も宜しくお願い致します。

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[今日の話] 平成25年、おらちの十大ニュース

2013-12-28

平成25年もいよいよ残すところ数日になった。昨年のおらち(我が家)の十大ニュースの第一位は初めての富士山の登頂であった、一昨年の第一位はやっぱり初めての妙高山の登頂であった。しかーしだ! おらちの平成25年度は激動の1年であったな、、今年の前半はごく平凡な半年であったが、後半の半年はめまぐるしかった、2~3年分を半年に凝縮した感じだった。

 

第一位、 南の地 大分に引っ越し  

 

以前から晩年は雪の降らない南の地で残りの人生を歩もうと決めていたんだが、とうとうその時期がやってきた。健康診断で思いもかけず身体の異常を告げられ急遽、ばたばたと準備をして11月7日より大分市の住民となった。予想通り暖かい、連日陽が差して今の時期、郷里の新潟では考えられないね。引っ越して2か月近くが過ぎて、ようやく少し慣れてきた、せっかく新しい地に来たんだ、残された人生をエンジョイしたいもんだネ。

 

第二位、 癌の宣告

 

今年の2月のある日、かかりつけのクリニックで虫が知らせたのか、何気なくある検査をお願いした、結果は今の時点では特別に異常と言う結果ではないが念のため又半年後に検査をしましょうと言う事になり8月のある日クリニックで検査した結果、血液検査で異常値が出たので紹介状を書くから総合病院での再検査を告げられた。総合病院で検査の結果、かなり高い確率で癌の疑いがあるので入院して更に細部の検査を告げられた。同輩の人と比べれば、気力、体力ともに負けない自信があった元気印のhamさんが、まさか癌の可能生とは信じられなかった。ばたばたと引っ越して大分の地で総合病院に入院し検査の結果、癌であることが告げられた。まさか、! 初めは信じられなかったが現実を直視し腹をきめた。幸いにも比較的に初期の段階で悪性ではないと言う先生の言葉に少し気が楽になった、いろいろと準備をして1月の中旬には入院が決まった。しっかりと直して春には又元気なhamさんで色々な活動を始めたいと思う、、。

 

第三位、「上越地方の名所史跡と偉人」完成

 

晩年になり始めた新米タクシードライバー、お客様を観光案内でお供するたびに自分の歴史に対する認識の薄さを痛感した。自分なりに地元の史跡を廻りいろいろと調べ始めると我が故郷には歴史的価値の高い名所史跡が多数存在する事に気付いた。おりしもNHK大河ドラマ「天地人」も放送され休日ともなれば全国から沢山の観光客が訪れた。休みの時などにカメラを持って近隣の史跡を廻り、少しでも素晴らしい我が故郷を知ってもらおうと、その都度ブログに掲載した。200ヶ所ほど回ったがそのうちに、せっかくいろいろな名所史跡を廻り自分なりに調べたんだ、一冊に纏めてみたいもんだなー、と偉そうに考えるようになった。しかし、あとから、、あとから、、なかなか編集する気がでない、今年になり、もうこれ以上あと送りは出来ない、、毎日少しづつ整理して半年、なんとか整理できたが今度は印刷だ、印刷、製本を印刷屋に任せればどーって事はないんだが、それでは面白くない、毎日2台のインクジェットのプリンターで印刷を始めたが160ページちかくを数十冊ぶん印刷となるとかなりの印刷数になるし、かなりの時間がかかったが1か月でなんとか印刷が終わった。しかし今度はページを揃えて一冊分に纏める仕事、これも部屋いっぱいに並べて毎日少しずつ揃えて何とか数十冊そろえたが、これを綴じるのをどうするかが問題だ、ホッチキスで綴じる厚さではない、同じ会社に以前に印刷屋をやっていた先輩を思い出した、協力をしていただき8月の下旬に何とか待望の「上越地方の名所史跡と偉人」(写真)が完成した。しかーしだ! 完成を待っていたかのよぅにクリニックで身体の検査での異常を告げられた。

 

第四位、 新米タクシードライバーに終止符

 

平成19年の晩秋ひょんなことからタクシードライバーになった。元来、車の運転は嫌いではないんだが還暦を過ぎてからのタクシードライバーだ、どうせ半年か一年くらいしか持たないだろう、興味半分、珍しさ半分で始めた新米ドライバーだったが、段々と慣れてくると結構おもしろいではないか、短い時間だがなんと言っても色々な人との出会いがある、小さな子供から80歳90歳のお年寄りまで、お百姓さんから警察官、大学の先生、弁護士さん、住職さん、ビジネスマン、、など等、ほとんどの職業の人をお供したであろう、慣れるまでは睡魔が襲ってくる夜の勤務、とんでもない酔っ払いに絡まれたのも一度や二度じゃない、悪い事ばかりじゃない、楽しく嬉しい事も何度も経験した、山登りの素晴らしさを教えてくれたのも、お供したお客さんだった、柄にもない歴史に興味を持ったのも、お供したお客さんの影響だわね。もう2~3年はこの仕事を続けたい気持ちもあったが新米タクシードライバーに終止符を打つ日が来たようだ。お世話になったので退職する時にでも興味のある人に差し上げようと作った「上越地方の名所史跡と偉人」、完成を待っていたかのように退職する事になった。ある日、車庫で洗車していると本社の専務さんが来られて、○○さん、おまん(あんた)素晴らしいもん作ったね、いやー、素人の趣味です、、これだけなら良いんだが、次号の社内報に載せたいので頼むとの事、たかが六年勤めただけだし、年寄りが出る幕じゃない、丁重にお断りしたが、、しょーしいけど(恥ずかしいが)社内報に掲載され、グループ13社1000人近い社員に紹介され、花道を飾っていただいた。こちらに来て興味もあり何社かのタクシーに乗ってみたが、今のところお世話になった会社のドライバーのサービス、接客などが群を抜いている事を実感したネ、、、私の長い人生の中でも、じつに実りの多い充実した六年間でした。

 

 新米タクシードライバー最後の日は   = こちら =

 

 

第五位、念願の尾瀬の旅

 

以前より新潟県、群馬県、福島県にまたがる尾瀬、、一度は行きたいと思っていたが、なかなかチャンスが無かった。年がかわり今年が最後のチャンスかもしれない、いろいろと検討し計画をたてて、どうせ行くなら百名山の東北地方の最高峰、燧ケ岳、お花で有名な至仏山にも登りたい、段々と欲も出てきた、最低でも二泊が必要だ、鳩待峠から入りアヤメ平、富士見峠、尾瀬沼の山荘で泊まり、翌日百名山の燧ケ岳に登り、尾瀬ヶ原を縦断し山の鼻の山荘で泊まる、翌日百名山の至仏山に登り鳩待峠に下りてくるコースを決め、勤務の都合を考え7月下旬の平日の3日間と決めた。しかし当日は前日までの尾瀬地方の大雨の影響で残念ながら燧ケ岳登山は山小屋の管理人などの意見を聞き私の体力、経験、技術、装備から判断し残念だが中止する事にした。そのかわり尾瀬沼の北側を通り尾瀬ヶ原、途中から予定を変更してヨッピ橋まで足を延ばし山の鼻の山荘で泊まり翌朝、天候もだいぶ回復してきたので至仏山登山を決行した。沢山の高山植物、眼下に見える尾瀬ヶ原の眺めの素晴らしさ、疲れも吹っ飛ぶネ、、そして小至仏山と縦走し午後に鳩待峠に無事戻ってきた。3日間歩きに歩いたって感じだネ、、、。

 

尾瀬の旅、一日目は   = こちら =

     二日目は   = こちら =

     三日目は   = こちら =

 

第六位、 大雪渓の白馬岳登山

 

山登りを初めて、妙高連山の山々、北信五岳の山々に登るといつも美しい姿を見せてくれる北アルプス、いつも思っていた、俺もいつかはアルプスの山に登ってみたいと思うようになった。今年に入り、日本一の大雪渓の白馬岳(2,932m)に登って日本一大きい白馬山荘に泊まろう、と密かに決めた。いろいろと調べるが私の体力では朝、家を出発してその日に頂上直下の白馬山荘に着くのわ無理だ、勤務を早めにあげて頂き電車、バスを乗り継ぎ白馬村の民宿に泊まった。翌日はやく民宿を出発し、いよいよアイゼンを付けて雪渓を歩く、歩くこと数時間、やっと雪渓を通過した。しかしその後も苦しい登り、途中で持ってきた水も底をついた、しかし途中で水場が、命拾いしたね、、、苦しい登りが続くが周りの景色、綺麗なお花が元気をくれた、出発して8時間近く、念願の白馬山荘に着いた。3000メーターでのビールの旨い事、翌朝、ご来光を眺めて新潟県の最高峰の小蓮華山に向かったが白馬大池までの稜線歩きは口には言い表わせない感動を与えてくれた。予定よりも早く無事に蓮華温泉に着いた。

 

 白馬登山の一日目は   = こちら =

      二日目は   = こちら =

 

第七位、 谷川岳登山

 

本年の登山目標の一つにしていたんだが、日本の百名山 谷川岳(オキノ耳1,977m)、上越国境に位置する谷川連峰の中心的存在だ、標高こそは1,977メーターだが日本屈指の岩場で特殊な地勢、気象、パノラマは日本アルプスの3,000メーター級の山々に匹敵すると言われている、昔から気象の変化、険しい岩場で多くの命を奪った魔の山と言われてきた。まさか私が谷川岳に登るなんて夢にも思わなかったネ、、噂の通り素晴らしい山だった、下山途中に軽い熱中症にやられたのも良い思い出と言うか勉強になった。

 

 谷川岳登山の詳細は    = こちら 

 

第八位、 念願のデスクトップ

 

いつ壊れるか、いつ壊れるか、びくびくしながら使っていたデスクトップパソコン、リチューム電池が無くなり交換するため分解し、交換しようとしたところ、固定しているプラスチックの爪が破損し固定できなくなった。悪い頭をしぼって治し、ついでに各部を掃除して スイッチ ON あれ、電源が入らない、いろいろといじるが治らずとうとう諦めた。考えた末、思い切ってNEC VALUESTAR に交換した。しかーしだ! これが Windows 8 でさっぱり解らない、いまだに使いこなせず苦慮している、、、。

 

第九位、 新米タクシードライバーの一年

 

今年も退職するまでの10か月間、色々のお客様をお供することが出来た。昨年から昼間だけの勤務に変わったので酔っぱらい客は滅多にないが、遠来のお客さんをお供しての観光案内に何度も行った。きまいの良いお客さん、変わったお客さん、予想外のお客さん、、、など等色々だ。その中でも私の記憶に残ったベストファイブは、、、。

 

 人は見かけによらないねー     = こちら =

 上越火力発電所          = こちら =

 遠来のお客さん          = こちら =

 不思議なお婆ちゃんとドライブ   = こちら =

 天国と地獄            = こちら 

 

第十位、 トヨタ スターレット

 

私とマイカーとのお付き合いは中古で買った5万円のトヨタ カローラから始まった。中古のトヨタ カリーナ、中古の三菱ギャラン Σ(シグマ)、ここから新車になった、スズキのジムニー 1000CC、トヨタ マークⅡ、 トヨタ クラウン、以前営業用に使っていたホンダ アクティー、 妻が使っていたトヨタ スターレットだ。このスターレット、買って23年が経過している、街を走っていても滅多に見る事が無くなったが、走行距離は5万5千キロだ、型は古いがエンジンは絶好調だね、1300CCの4WD、燃費は良いしボディーも小さく雪国や山に行くのに最高だった、道の悪い狭い林道を走るのにこんな良い車はない、しかーしだ! 雪の降らない南の地に引っ越すにあたり、23年間お世話になったが断腸の思いで廃車する事にした。

こちらに来て間もなく2か月になるが、さすがに長岡ナンバーの車はまだ見たことが無いネ、、ガソリンスタンドなどに寄るとよく、長岡って何処ですか?とよく言われる、、、。

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[癌ばる日記] 優等生な患者さん

2013-12-27

今日は来月の手術に備えて輸血用の一回目の自己血採血の日だ、帰りは車の運転は控えた方が良いでしょう、と看護士さんの注意もあったので、念のため妻に一緒に行ってもらう事にした。自動受付機で受付を済ませて中央処置室へ、なんの検査をするのか私には解らないが採血をして外来の受付へ、今日は待たされたネ、、待つ事一時間半、主治医の先生、よし、それじゃ手術は予定通り15日にしましょう、先生、手術ってどのくらい時間がかかるんですか? 3時間半くらいですね、そんなにかかるんですか、、今日は良い物を食べ、しっかり栄養を取って下さいね、そして中央処置室へ行き一回目の輸血用の自己血採血だ、ベッドに寝て400CCの採血が始まった、綺麗な看護士さん、 ○○さん、運動でもしているんですか、、いえ、今は特別なにもしていませんが数年前から山登りを始めました、そーですか、運動をやっている人は体力がありますね、大体の人は終わってから造血剤、点滴などをするんですが、先生から指示もないし優等生ですよ、、褒められたもんでつい調子に乗って、看護婦さん、もう少し血を採っても大丈夫ですが! 終わってから30分ほど安静にと言う事でベッドで寝ているとつい、、うとうとと、、、帰り妻が運転を替わるというが、多少、血を取られても俺の運転の方が間違いがないね、、今日の夕食、牛肉のステーキに牛タン、刺身、野菜サラダ、、内心、へー、たまに血を採られるのも良いね~!

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[第2の人生] 嫉妬!

2013-12-26

下宿に戻ったが気まずい思いだ、普段はニコニコしている小母さんもあまり喋らない、食事の時に顔を出すのにテーブルの上に食事を置いてあるだけで勝手に食べてそっと部屋に戻る、、翌日も娘の○○ちゃんは家に帰ってきていないようだ。こりゃ、もうこの下宿には居れないな~、、、そして3日目の夜、部屋でいろいろと考えていると、○○ちゃんの妹の○○子ちゃんが、お姉ちゃんが呼んでるから部屋に来て!と私を呼びに来た。隣の大家さんの玄関を入り二階に上がり○○ちゃんの部屋に通されると部屋の真ん中に○○ちゃんが座っていた。そこに座ってよ!と命令口調だ、吸えもしないタバコをふかしてむせている、内心、吸えもしないのに無理して、、と思った、暫く沈黙が続いたが、○○さん、私がなんでここに呼んだか解る? ときた、内心、何でって俺に文句を言うためだろ、、、と思ったが、どうして一人で先に帰ったんですか!と尋ねると暫くして、嫉妬よ、、! と一言、何、シッコ、???初めは何の意味かピンとこなかった、田舎者が昼は工場で働き、夜は定時制高校に通い、晴れた休みは野球部の練習や試合、雨が降れば趣味のアマチュア無線か秋葉原通いだ、おーよそ女っ気のない生活、女心なんて解るはずがない、○○さん○○さんと会ってるんでしょ、、いえ、電話はしましたが会ってません! いいのよ、正直に話して、と言うが、一人で長野で乗り替えて上野に着いたが家には帰らず、そのまま都内の友達の家を泊まり歩いたそうだ。野尻湖で一緒に泳いでいればこんな結果にはならなかったんだろうが、もう後のまつりだ、、部屋に戻り下宿を変わる事を決心したネ、、、。

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[豊後の名所・史跡] 大分県護国神社

2013-12-25

 

天気に誘われて今日のウォーキングはちょっと足を延ばして大分県護国神社まで参拝を兼ねて行ってきた。ずっと歩道を通って行けるので安心だし、片道4~50分はかかっただろうか、市内の真ん中に位置する小高い松栄山に鎮座しているので途中から緩い登りで百数十段の石段を登るのが足腰を鍛えるのにはちょうどいい感じだな。落ち葉を踏みしめて石段を登り二つ目の鳥居をくぐると広い境内の参道の両側には年末年始の参拝客を見込んでテントがいくつも張られ準備が完了していた。それに先日テレビのニュースで報じられた日本一の破魔矢、熊手、を見るのも楽しみの一つであった。

 

 

護国神社は国家のために殉難した人の霊を祀るための神社で、その都道府県出身者ないし縁故の戦死者、自衛官、警察官、消防士、等の公務殉職者を主祭神としている神社で、明治維新前後に日本各地に建立された招魂社が、昭和14年(1939)に内務省令によって一斉に護国神社と改称して成立した神社である。なお東京招魂社は明治12年(1879)に明治天皇の命名により靖国神社と改称した。

昭和20年(1945)8月のポツダム宣言により、日本がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領統治下に置かれると、護国神社は軍国主義施設とみなされた為、存続を図るために護国神社から「護国」の文字を外すなど改称を余儀なくされが、改称した神社は昭和27年(1952)にサンフランシスコ講和条約が発効して日本が主権を回復すると、ほとんどの神社は旧社名の護国神社に戻している。 (写真はご本殿)

 

 

大分県護国神社は初代県令森下景端が慰霊顕彰のために明治8年に現在の松栄山に「招魂社」を創建したのが始まりです。佐賀の乱での戦死者、台湾出兵での戦死者や明治10年の西南の役での戦死者、熊本神風連の乱で殉職した人たちなど、それ以後も日清、日露戦争による戦死者、満州事変、第二次世界大戦などで戦死された人々など四万四千余柱が祀られています。 創建当時のご社殿の位置は現在の展望台のあるところで、現在の社殿にご遷座するまではずっとここにありました。(写真は招魂斎庭)、昭和18年(1943)北側展望台付近から現在地に遷座しました。しかし昭和20年(1945)の第二次大戦敗戦以降は「豊霊宮」と称していたが、日本の主権回復後の昭和27年(1952)元の大分県護国神社に戻りました。 境内にはご本殿のほか神門、照今殿、言霊記念館、神楽殿、参集殿などの他、大分県慰霊塔、招魂斎庭、西南の役戦死者墓地、満蒙開拓義勇軍慰霊碑、天皇皇后両陛下行幸啓記念碑、などなどがある。

                    

   

 

写真左は18.8メートル、日本一の大はまや!

写真右はさ12メートル重さ25.トンは日本一の熊手!

いずれも来年の3月末まで設置されているとの事。

 

 

展望台からは大分市の北、西、東方向が一望できる、晴れていれば遠く四国の山々、別府市街、国東半島、別府湾など素晴らしい景色が見渡せる、、。

 

 大分県護国神社のスライドショーは  = こちら =

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[豊後湯めぐり] 別府鉄輪温泉、ひょうたん温泉

2013-12-23

 

大分県別府市と言えば大分市に次ぐ人口約122,000人の都市で、別府温泉としてあまりにも有名である。昔は新婚旅行と言えば東は熱海温泉、西は別府温泉として人気があった。瀬戸内海の女王と呼ばれた関西汽船の豪華客船 ”くれない丸”で訪れた人も多いだろう(写真は別府タワーと別府市街)。

 

 

温泉県大分県にあって特に有名なのが別府温泉であろう、源泉数2,300ヵ所以上で日本の総源泉数の1/10を占める、また湧出量も約13万キロリッター/1日で、ともに日本一である。四季を問わず国内外から年間1,000万人を超す観光客が訪れる一大観光地である。別府市内には、それぞれの泉質や雰囲気が違う温泉が数百あるが、それらは歴史の異なる8箇所の温泉郷を中心に分布しており、これらを総称して別府八湯(べっぷはっとう)と呼んでいる。別府温泉、浜脇温泉、観海寺温泉(かんかいじ)、堀田温泉(ほりた)明礬温泉(みょうばん)、鉄輪温泉(かんなわ)、柴石温泉(しばせき)、亀川温泉(かめがわ)、 (写真は別府温泉の湯煙)。別府温泉の湯けむりは「21世紀に残したい日本の風景」として富士山に次いで2番目に人気のある風景です。

 

 

縁が有り温泉県の大分に住んだわけだ、温泉に入らない手はないネ、、少し落ち着いてきたのでさっそく出かけてきた、百を超す公共の温泉施設があると言われるが、今日は無料から数百円の施設があるなかから鉄輪温泉にある民営の「ひょうたん温泉」 (写真)に行って来た。別府市内の国道10号線から500号線(やまなみハイウエイ)に入り暫く坂を上り、右側にあるスーパーの先を右折してすぐ左側にある。駐車場には多くの県外ナンバーの車が駐車していた。

 

 

入り口で入浴料の700円(18:00以降大人550円)を払い中に入った。ミシュラン観光ガイドで最高ランクの3つ星を4回連続で獲得した別府を代表する温泉入浴施設だ。露天風呂は勿論、岩風呂、ひょうたん風呂、ひのき風呂、名物の打たせ湯(瀧湯)、高温、低温と二つの温泉蒸気を使った蒸し風呂、たくさんの種類の家族風呂、別料金(300円)の砂風呂、など等がありゆっくりと温泉を楽しめる。泉質はナトリュム塩化物泉、全国でも珍しい弱酸性の塩化物泉で肌に非常に良いらしいネ、、、。無料休憩所、お食事処「湯らり」もありゆっくりと楽しめる。ミシュランの3つ星と言うことで、新しく綺麗で高級感と言うイメージで行くと少し違うかもしれないがネ、、、。

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[仲良し、ちびっ子二人] みかん、だぁーいすき

2013-12-22

 

のあちゃん、みかんおいしいねー!

まなちゃん、みかんなんこたべた?

 

 

へー、 ないしょだよ!

 

 

みかん たくさんたべすぎて

ちょっとふとったみたい、、、

 

 

 

あッ、 あたしもふとったみたい、

ほらッ、

 

(のあちゃん、まなちゃん、二人ともみかんが大好きで、安あがりだなや!)

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[今日の話] メリークリスマス

2013-12-21

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[街中で見かけた話題、光景] 巡視船 やまくに

2013-12-20

 

先日ウォーキングの途中で橋の上から河口を眺めると、んッ、あれ巡視船じゃないかなー!こんなところに隠れてんだな今度ゆっくりと眺めに来よう、そして今日ウォーキングの途中、堤防に折れて河口に向かった。日本海側では雪模様と天気予報で伝えられているがこちらは、季節風がちょっと冷たいが良く晴れている。近くに来てみるとこちらに合同庁舎があり大分海上保安部、税関、検疫などがある。以前から市内には大手企業の工場などがいくつもあるが原料などを積んできたと思われる大型船がよく沖に停泊しているんだが入出港に必要なタグボートなどは何処に停泊しているんだろうと思っていたんだがこちらの河口の岸壁にどっさりと係留されていましたネ、巡視船、税関ボート検疫ボート、タグボートは8はいも係留されていた。納得!中型の巡視船 やまくに(写真)が係留されていた。乗組員の人だろうか、潮風で汚れた船体に清水をかけて洗っていた。いつもは係留されているが時化の海に出る事が多いだろう、小さな船で時化の時の航海の厳しさは良く解る、乗組員は皆使命感に燃えて勤務しているんだろう、昔、海上保安官にも憧れて海上保安学校を受験した事を思い出した、、、。

 

 

大分海上保安部所属 PM29 巡視船 やまくに

 

長さ  : 56,0メーター

 

トン数 : 335 トン

 

(写真は保安部のサイトから黙って借りてきました)

 

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[古い航海日誌 剛邦丸] 横浜にて剛邦丸下船

2013-12-19

徳山で原油をおろした本船は又鹿児島の喜入の石油基地に向け出港した。徳山市のキャバレーで同じ席に付いたウエイトレスの女性、偶然にも同県人と言うことで意気投合し次航また再会を約束して別れたんだが、喜入で積んで又徳山に行くんだろうなー、、しかーしだ! 日向灘を航行中連絡が入った、喜入で積み揚げ地は横浜に変更になったと言う、なにー!しかもだ、私は横浜で下船し24日に徳山で油送船 鶴邦丸/JHRF(50,340D/W)に転船だと言う。11月下旬に北米航路の瑞陽丸に乗船以来2ヶ月ちょっとで3回目の転船だ、会社は一体何を考えているんだい、しかし雇われている身だ、仕方があるめー、、。喜入で原油を満載した本船は横浜(京浜)に向けて出港した。夕方高知県の室戸岬の沖合を通過し、まもなく左舷に和歌山県の潮岬の灯台の灯りが見えてきた、明日の朝には東京湾に入るだろう、そして午後には下船となる、下船準備と言ってもカバン一個だけ、風呂に入り下着の洗濯をして映りの悪いテレビを見ながらビールで一杯、今日は早く寝よう、翌朝、予定通り東京湾に入った、大小沢山の船が行き交う、そして京浜運河の入り口の○石油の専用桟橋に着桟した。間もなく本社から担当者が来船したが、鶴邦丸の次席さんから休暇願が出ているんだが交代要員が手配付かず一航海下船を延ばして貰ったのでこれ以上延ばせないし、人手不足で交代要員が手配できないのでやむなく私のところへ来たらしいな、徳山で新入社員の通信士D君も乗船するのであわせて頼むとの事。新潟までの下船旅費を頂いて新潟へは帰らずに久し振りに母校に向かった、、、。

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[癌ばる日記] 入院決まる

2013-12-18

今日は先日の検査の結果がわかる日だ、次回は何でしたら家族の方も一緒に来ていただければ詳しく説明しますから、、、との主治医の話だったので、今日は妻と一緒に病院に出かけた。診察券を自動受付機に入れて受付証を持って外来の受付窓口へ、既に十数名の人が待っている、こりゃ3~40分待ちかな、、!すると今回も5分くらいで呼ばれた、二人で第一診察室に入ると、この間の検査の結果では別に骨や他に転移もしていません、との事で一安心。主治医から現状や今後の進め方、治療法など色々と資料や実際の模型を使って説明して頂いた。前回の先生の説明、家で自分なりにウェブなどで調べてみた、だいたいの腹は決まっているんだが、自分の性格、今までの生き方、考え方からして、時間をかけてジワジワと、と言うのはあまり合わない、多少のリスクはあるが術後も元気になれば基本的には今まで通りの山登り、ゴルフなど運動は問題は無いでしょう、との事だし先生の意見も聞き入院手術する事に腹は決まった。それでは、と言うことで入院手術に備えて心臓、肺活量などの検査と言うことで又検査室へ、肺活量なんて必要なんだろうかね、、検査技師が説明し測定すると、おー、○○さん肺活量はすごいですね、標準をかなり超えてます、との事、私はズーズーしい人間ですからその精ですかね? いや、それは関係ないでしょう、、内心、これは山登りをするようになった事が影響しているんではないだろうか、、と自分なりに思うんだが果たして、、心臓のエコー検査などをして戻り又診察室へ、先生が今までの検査のデーターなどをモニターを見ながら判断し、よし、別に問題になる事はないですし、それじゃ頑張りますか! はい、よろしくお願いします、、手術はかなりの出血が伴うことがあるので輸血を考え、自己血輸血をするために2回ほど通院して血液を取るとの事で、年内と年明けの2回通院し1月の14日入院が決まった、、○○さん、それまでに少し痩せましょうね、、だと、

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[第2の人生] こりゃ~一大事

2013-12-17

一緒に佐渡旅行をしたHさんが返って四日、そろそろ学校の夏休みも終りに近づいたし東京の下宿に帰る事にした。下宿の小母さんに土産のお菓子を持って急行”白山”に乗り上野駅に着いた。久し振りに都会の空気を吸い京浜東北線に乗り変えて品川駅で降りて高輪の下宿へ、ちょっと気まずい気もするが、マーいいか!部屋に入り窓を開けたりしていると間もなく下宿の小母さんが、、あれー、うちの○○ちゃんは一緒じゃないんですか、、?えッ、家を出てから連絡が無いし楽しくて一緒に旅を続けていると思っていた、と言う。状況を話すと小母さんの顔の表情が変わって行くのが解った、お世話になっているうちの娘をそんな扱いをして他人の、、、、と言う意味の事を言われるが、気持ちは解るがそんな事を言ってもねー、居ても経ってもおれず、小母さんにあげる予定のお土産も渡す機会も逸して、それを持って3月までお世話になった会社の寮の寮長さんに会いに行った。 ○○君、心配するな、君は別に悪くは無いんだし、そのうちに戻って来るよ、一緒に佐渡に行ったHさんに電話をしてみると、大丈夫よ、そのうちに戻って来るわよ、それどころか逆に、迷惑を掛けて、、と怒っている、冷たいと言うか女性は強いね、下宿にも帰れず山手線をあてもなく、ぐるぐると廻っているだけ、、、生きた心地がしないネ、、、。

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[今日の話] 初めての路線バス

2013-12-16

ちょっと市役所に行く用事が出来た、本来であれば躊躇なく車で行くんだが、どうせ急ぐ旅でもない、1時間も歩けば行けるだろうから運動がてら歩いていくかね、、やはり県庁所在地、1時間に数本の路線バスが走っているようだ、それにご当地は○○歳以上になるとワンコインバス乗車証なるものを発行してくれる。先日市役所から案内がきたので市役所に行って発行してもらってきたんだが、妻が私が入院した時は病院に来るのに車だと病院の駐車場料金が高いのでバスで行くのに路線バスに乗ってみたいと言う、ワンコインバス乗車証を呈示すると市内は一律100円で利用できる。よしバスにするか、路線バスに乗るのは何十年ぶりだろうか、ましてやワンコインバス乗車証を提示して100円で乗車するなんて、俺はそんなに年寄ではないわ!と思ったが、そんなに無理することはない、どうせ他人が見ればそれ相当に見えるんだから、、そう思うと気が楽だネ、整理券を取って乗車すると十数人が乗車している、お年寄りばかりと思ったが若いビジネスマンから若い女性まで、んー、バスも良いね!そして安く済んだので得をした気分で昼は二人で食事をして、かえって高くついたネ、もちろん帰りも路線バスでワンコイン100円で帰ってきた、、、。

 

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「関サバ・関アジ」の佐賀関

2013-12-15

 

先日、昔懐かしい佐賀関を訪れた時に国道217号線沿いにあった果物の直売所で買った、みかんなど味がよくなかなか評判が良かった。二歳と四歳の孫もみかんが好きでSkypeの通話で、爺ちゃん、みかんおいしいね、、また買って、、との事、何がともあれ妻と二人で先日の直売所へ、ここの良いところは送るみかん、持ち帰るみかん、どれでもその場で試食が出来る事だ、それに種類も多い、みかん、デコポン、柿、など等、それに値段が安いわね

せっかくだ、そのまま佐賀関町の市街に行ってみた、街の中はすっかり変わり、道路は相変わらず狭いが綺麗になっている、そのまま「関サバ・関アジ」で有名になった佐賀関漁港を訪れてみた。日曜日のせいか、空は晴れているが季節風でちょっと海は時化ているせいか、たくさんの小型漁船が係留されていた(写真)。全国的に有名になった「関サバ、関アジ」は佐賀関の沖合に浮かぶ高島の周辺が日本でも有数の一本釣りの漁場だ、瀬戸内海の海流と太平洋の海流がぶつかり合う豊予海峡、アジやサバは回遊魚で普通は網で一網打尽で取るが、ここ佐賀関は昔ながらの一本釣りだ、頭が小さく、尾の部分が発達していて、この海域に留まって生育している事が調査で確認されている。味が良いのもうなずける、せっかく佐賀関の近くに住みついたんだ、いづれ「関サバ・関アジ」頂きたいね、、ただスーパーの店頭などにあるアジ、サバ、とはチョイと値段が違うようだがね、、、

 

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[豊後の名所・史跡] 日本一の大ソテツと松屋寺(しょうおくじ)

2013-12-14

 

別府市の隣の町、速見郡日出町(ひじまち)にある松屋寺(しょうおくじ)に行ってきた。以前より日本一の大ソテツがある事は知っていたんだが、、いやいやお寺もたいそう由緒ある古刹であった。山門を入り拝観料を払いよく手入れのされた境内を歩いていると住職さんが色々と案内説明して下さった。本堂の隣の秘宝殿にはたいそう価値のある物がたくさん並べられているが、まーたいしたもんですわ、、。

 

 

曹洞宗康徳山松屋寺は国東半島の六郷満山霊場(ろくごうまんざんれいじょう)の一つとして建立され水月堂と号した。鎌倉時代の文永年間、最明寺道宗(北條時頼)が水月堂に宿した事により以来、西明寺と称し天台宗を奉宗した。その後、慶長六年(1601)元播州姫路城主、木下右衛門大夫延俊が日出城(三万石)に封ぜられた、翌慶長七年延俊公は祖母の朝日局(豊臣秀吉の奥方北政所の母)の菩提を弔う為、西明寺を修堂し禅宗に改め朝日局のご法名(康徳寺殿松屋妙貞大姉)の号を頂き康徳山松屋寺と改号した。嘉永、大正の二度の大火に見舞われ本堂、山門を焼失したが大正八年に本堂が復興し現在に至る。

 

 

日出藩木下家墓所(大名墓)は慶長六年(1601)初代藩主木下延俊が姫路より日出に入部して以来、江戸幕府が終わる明治時代まで16代、約270年間続いた日出藩主木下家の墓所(写真)です。墓所の創設は寛永年間(1630年頃)と言われ当時は初代藩主の木下延俊の祖母、朝日、延俊の正室加賀(細川忠興の妹)及び延俊の父母の四基の墓を祀る場所として出発し、以後歴代藩主や木下家に関係のある人々の墓が建てられ、沢山の五輪の塔が林立している様は実に壮麗である。江戸時代の藩主の菩提寺は参勤交代により江戸と国本に設けられることが多く、日出藩主木下家においても国本の松屋寺に対し江戸では高輪の泉岳寺が菩提寺であり、それぞれ分祀されています。

 

 

日本一の大ソテツ(写真)は、大友宗麟が外国貿易をしていた頃、南方より取り寄せ、現大分し古国府の大友屋形にて育てたものを慶長二年(1597)府内城築城記念に府内城に移植した。日出藩二代藩主の木下俊治公が府内城の留守を申しつかり、明暦三年に交代帰城の際に城内の大ソテツを死馬と称し藩内に持ち帰り菩提寺の松屋寺の境内に植えたものである。これまで嘉永四年(1851)、大正四年(1915)の二度の火災に遭い、一部焼失したり、自然災害により損傷したりしたが、いずれも見事に樹勢を回復し現在に至っている。大正12年に国の天然記念物に指定された。

ソテツは高さ6,1m 株元の周囲(地上より1,2m)6,4m 南北幅9,7m 東西幅8,5mの巨樹である。このソテツは雌樹で一つの株元から十数本の支幹が分岐していて、いずれの支幹も天然記念物指定当時より1メーター以上大きく成長していると言う、樹齢600年以上と推定されている。

 

境内には他に、日本名園の一つに数えられる、雪舟の庭、放生池、秘宝殿、書院、木下家位牌堂、千手観音堂、有名人の墓、など等みどころが多い、。

 

 

 松屋寺のスライドショーは   = こちら =

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[癌ばる日記] 検査づかれ

2013-12-13

今日はまた病院で検査の日だ、あまり気は進まないんだが、まー病院が好きな人はいないと思うがね、思ったほど渋滞もなく予約時間の45分前に病院に到着した。診察券を自動受付機に入れると予約状況をプリントアウトする、これを持って検査棟の放射線受付に行くとそれぞれの検査室の前の椅子に何人も待っている。今日は一日がかりの予定で気合を入れて出てきたんだが、予想外に15分ほどで名前を呼ばれた、最初はベッドに寝て腹部のX線撮影だ。別の検査室へ移動して今度はCTの撮影、撮影が終わると今度は先生が造影剤を注射する、大丈夫ですか、気分が悪くないですか、体が熱くなるかもしれませんが、、、そして又CTの撮影だが、みるみる体が熱くなってきた。

次の検査の為に女性のドクターがまた造影剤を注射、大丈夫ですか、痛くないですか、気分が悪くないですか、直に言ってください、、、それぞれ違うと思うんだが3本静脈注射をしたが、、、数時間後に撮影をすると言いう。水分を多くとるように言われ、病院の食堂で昼食と思ったが、思い切って家に帰り昼食を食べ一休み、又病院へ向かい指定された待合室へ、私一人だ、テレビを見ながら約40分、今度はMRI撮影だ、ベッドに寝かされて約1時間、1時間もじっとしているのも疲れるね、午後4時やっと終了した、骨などへの転移を調べるんだそうだが日本の医学はすごいね、、、。

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[今日の話] 友遠方より来る、旧友との再会

2013-12-12

市内の友人から電話で、新潟県在住の旧友が今仕事で宮崎県の日向市にいるんだが私の都合が良ければこれから大分に向かうと言うがどうするか、、?と言う、 昔の同業で一緒にたびたびゴルフをやった仲間で10数年ぶりだ、そりゃ是非会いたいもんだ、と言うことで3人で市内の仲間が常連のお店へ行った。同県人の仲間は10数年ぶりの再会だがちょっと頭が白くなったがちっとも変わっていない、IT関係の会社を経営し1~2か月に1回は仕事で九州を車で訪問していると言う、元気だねー、カラオケが得意でゴルフのあと飲むとよく得意の歌を披露していたが、趣味が高じ自分で作詞して3曲ほど曲を作りCDまで出したと言う、、

九州だと大体のスナックのカラオケには俺の作った曲が入っていると思うがね、! 私は検査入院で昼に病院から帰って来たばかりだし、看護士さんに今日は激しい運動と酒は止めておいた方が良いですね、と言われているし明日また病院に行かないといけない、二日酔ってわけにはいかんだろう、と言うことで春には九州で一緒にゴルフの約束をし、後ろ髪を引かれる思いで1軒で帰ったが二人はその後二軒ほど回って二時過ぎに帰ったと言う、、、。

 

平成16年(2004)10月23日 17:56分マグニチュード6.8 最大震度7を観測した大地震が新潟県中越地方を襲った、中越大震災である。この地震で長岡市妙見町の榎峠で幅240メートル、長さ140メートル、推定崩壊土砂量60万立方メートルの大規模な土砂崩れが発生し車両4台が巻き込まれて二人の尊い命が奪われた。この事故で92時間にわたるレスキュウ隊による懸命な救助活動が行われ奇跡的に2歳の男の子が救出され歓喜に沸いた記憶があると思うが、残念ながら母親と姉が多くの人々の祈りも届かず遺体で発見された。この悲しい事故で亡くなった母と姉の二人を追悼し、奇跡的に助かった幼い子供の成長を願いこの曲を作ったと言う我が友人に拍手だ、、、

 

榎峠哀歌

作詞・作曲:  坂詰晴夫

編曲:     諏訪利行

唄 :     坂詰晴夫

 

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[癌ばる日記] ついに判定くだる

2013-12-11

40数年前東京の高輪にある東京船員保険病院に二週間ほど急性肝炎、黄疸で入院したことがあるが、これは乗船中に若気のいたりで酒の飲みすぎによるものだ、検査入院で僅か二日間だが入院を経験した、点滴を付けたまま車いすに乗せられて手術室へ、まー、ベッドに寝かせられてじゃないんで未だましだね、頭にキャップを付けられてベッドに、頭の上にはライトがいっぱい点いている、パンツを脱がされて、惨めなかっこうだが、恥ずかしいなんて気分じゃないですでね、、まな板の上の鯉だ、、、

部分麻酔注射だ、これで効かないようであれば下半身麻酔になるんだそうだが、後が大変だからできれば局所麻酔でと主治医の先生の説明だったが、幸運にも部分麻酔で十分だったようだな、といっても声も聞こえれば音も聞こえる、全く痛くないわけではない、先生が、○○さん、痛かったら言ってください、もっと力を抜いて、楽にして、、と言うが、そんなこと言ってもリラックスなんてできないわ、12か所の検体をとり30数分で終わった。朝も昼もなーんにも食べていない、3時過ぎに小さなパンを二個と牛乳だけ、出血するので2時間は安静と言うことで点滴をしながらベッドで死んだふりをする、惨めだねー!やっと夕食を食べて痛みもなくなってきた、テレビ視聴用のカードを買ってきてテレビを見るんだが、持ってきたイヤホンの線が短くベッドの端に横たわってテレビ観戦だ。同室の他の3人は、顔は解らないが声から判断すると、私よりもかなり高齢のようだ、それにしても病棟の看護師さん、皆さんが若く綺麗な人ばかりだ、そんな事はどうでもいいんだが、勤務が交代してもそれぞれの看護師さんの親切さ、看護ぶりには感心した、と同時に大変な仕事ですね、これじゃ若くないと勤まらんわな!

 

今日は検査の結果が解る日だ、予想される三つの病気のうち一番軽い病気の可能性があるな、と内心そうなる事を期待して受付を済ませて外来の受付に行くと既に10数人の患者さんが待っている、、こりゃ又1時間はゆうに待たないといけないな、、すると数分で私が呼ばれた、何、!聞き違いかな、? すると又呼ばれた、間違いがない俺だ、周りの人は、あんた後から来て先に行くの!って様な顔をして視線が私に集まる、診察室に入り椅子に座ると、先生が私の顔を見て、 ○○さん、私はピンときた、予想を反して最悪の病気だな!予想通り、実は癌が見つかりました、、内心穏やかではなかった、先生が詳しく説明をされた、12か所のうち一カ所から癌細胞が見つかったようだ、しかし幸運にも比較的初期の段階でしかも悪性ではないとの事だ、色々な治療法、今後の進み方など詳しく説明をしていただいた、まず骨に転移している事はないと思いますが、、、、、私も希望しそちらの検査もしてもらう事にした、その結果より治療方法など相談しましょう、、予想に反し最悪な結果となり入院、通院と当分は病院と仲よくしないといけない事になったが、幸いにも比較的初期の段階であること、悪性ではないことに感謝だ。考えてみれば特別に症状があったわけではない、2月に行きつけのクリニックでふと思い検査をしていただいた、この時点では特別な異常はなく半年後に又検査しましょうと8月に検査を受けて数値の異常を告げられ、総合病院で検査の結果、癌の可能生が高いと指摘され、再度入院して生体検査が必要と告げられ、かねてから考えていた九州への引っ越しを急遽早め、今回の結果となった。ある程度高齢になれば進んで体の検査の必要性を痛感したネ、、、病気とがっちりと向き合い頑張って戦っていくしかない、そして体調を整えて又、山登りをしたいもんだ、来春にはなんとかミヤマキリシマを見に九重の山々に行きたいと思う、、、。

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[古い航海日誌 剛邦丸] 徳山の夜

2013-12-08

夕食後、一杯のみに出ようと思うがチョット未だ時間が早い、駅近くのパチンコ店に寄ってみた。2~3千円もあれば十分に遊べる、パチンコ店を出たが、さて、何処へ行けば良いんだい、こういう時はタクシーに乗るのが一番だ、運転手さん、何処か面白い所ないですか?お客さん、面白い所って飲む処ですか、徳山(現周南市)は全国的にも有数の飲み屋が多いところですよ、こういう時は知らないお店に行くよりも、キャバレーが良い、、運転手さん、キャバレー有りますか?と言うことで一軒のキャバレーに連れて行ってもらった。結構大きいキャバレーだ、ボーイさんに案内されてボックス席に座ると、お客様、ご指名は? いや、初めてだ、暫くすると20代中ごろくらいだろうか一人のウエートレスが席にやってきた、ごく平凡な容姿の女性だがなにかしら魅力を感じる、、ステージではショーをやっているが、そんなのは全く興味が無い色々と話してみるが、どうも中国地方の言葉ではないような気がする、貴方は出身はどっち? 北の方だと言う、まさか北海道じゃあるめー、、ためしに秋田県か? もうちょっと南です、新潟県です、、内心、新潟県人がこんな遠くまで来て働いている、私も新潟県だよ、高田市だ、 えッ、私は柏崎市です、、すっかり同県人と言うことで意気投合した、東京で知り合い結婚し旦那さんの郷里の徳山に来たんだが数年前に離婚しこちらで働いていると言う、よくある話だ。彼女を指名しなるべく席に長く居てもらうようにしたが、なぜか今夜は酔わない、しかし見習いで朝帰りはまずい、名残惜しいが再会を約束して本船に戻った、、、。

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[hamさんの日本の歌心の歌] ♪ 青い山脈 ♪ 藤山一郎、奈良光枝

2013-12-07

作詞:西條八十     青い山脈

作曲:服部良一

唄 :藤山一郎 奈良光枝

 

1、 若くあかるい歌声に
   雪崩は消える 花も咲く
   青い山脈 雪割桜
   空のはて 今日もわれらの夢を呼ぶ

 

2、 古い上衣よ さようなら
   さみしい夢よ さようなら
   青い山脈 バラ色雲へ
   あこがれの 旅の乙女に鳥も啼く

 

3、 雨にぬれてる焼けあとの
   名も無い花もふり仰ぐ
   青い山脈 かがやく嶺の
   なつかしさ 見れば涙がまたにじむ

 

4、 父も夢見た 母も見た
   旅路のはての その涯の
   青い山脈 みどりの谷へ
   旅をゆく 若いわれらに鐘が鳴る

 

第二次大戦敗戦後の日本で、軍国主義の重苦しい空気から解放された喜びを謳歌する、暗い世の中を吹き飛ばす歌が次々と生まれました。代表したのが並木路子さんの『りんごの歌』と石坂洋次郎原作の映画「青い山脈」の主題歌として昭和24年(1949)に発売になり大ヒットした曲だ。藤山一郎・奈良光枝さんが歌った『青い山脈』でした。奈良光枝さんは早く世を去られたため藤山一郎さんが唄われました。

すくなくとも50歳以上の方であれば一度や二度、口ずさんだ曲だろう、幼少の頃、ラジオから流れる歌といっしょによく歌った記憶がある、青春時代を思い出す良い曲ですね、、、。

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[豊後ぶらり旅] ぶらり国東半島へ

2013-12-06

 

今日も天気予報は晴れ、10時過ぎ、国東半島へぶらりと出かける事にした。国道10号線別府の亀川あたりから道路の街路樹にフェニックスの木が植えられている、スッと空に延びて南国を感じさせる。海岸線を快適に走り日出町(ひじまち)から大分空港方面に向かった、制限速度70キロの大分空港道は通行料はかからないが高速道路並みだね、道路脇の紅葉はこれからが見ごろの感じだ。10年振りに大分空港(写真)に寄ってみた。展望デッキから広い滑走路を眺めていると30分くらいの間にプロペラ機が1機、ジェット機が2機離陸して行った。3階のレストラン街の一軒に入り天ぷらそばを食べながら眺めているとLCCのソラシドエアー機が着陸しJAL機が離陸して行った。地方の空港にしては結構発着陸があるね、、、昔はホーバークラフトに乗って大分市から空港まで行った記憶があるが今は便利になったね、、、。

 

今回の国東半島はここまでにした、残りは又この次にしよう、約10年ぶりの大分空港を後にして、帰りは空港道を通らずに旧道をもどる事にした、あいにく中国からの公害スモッグで視界はイマイチだが別府湾越しに見える高崎山、別府市街、鶴見岳、その南に大分市街が見える、途中国東市安岐町で道路脇に果物の直売所が有ったので寄ってみた。地元の農家が作ったポンカン、赤ちゃんの頭より大きい梨、愛宕梨(写真)を買ってみた、家に帰りさっそく食べてみたが、それがまた旨いんだわ、、、

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[第2の人生] 佐渡観光

2013-12-05

直江津から800トンくらいの小さな こがね丸 で3時間ほどかかり小木に着いた。今晩の宿泊地を相川に決め、小木から定期観光バスに乗る事にした。小木港からすぐの真言宗の開祖、空海が開いたとも伝えられる真言宗智山派の小比叡山 蓮華峰寺(れんげぶじ)に行った。金剛寺、室生寺、とともに真言宗の三大聖地とも言われる名刹だ。バスガイドさんから、ここは縁結びにご利益がある名刹です、、との説明が有り思わず二人で顔を見合わせ顔を赤らめた記憶がある、純情だったなー、、 

真野町を回り相川の旅館に入った。温泉に浸かり二人で部屋で夕食だ、二人でビールを一本飲んで、可愛いもんですね、、海岸近くの広場で有名な民謡の佐渡おけさの踊りがある、との事で二人で見物に出かけた。翌日は又小木までの定期観光バスに乗り佐渡金山などを回り午後に小木港に着いた。そして又小さな佐渡汽船に乗船、無事に夕日の沈んだ直江津港に帰ってきた。直江津駅前の食堂で食事をして近くの喫茶店で2時間ほど色々な話をし、名残惜しいが再会を約束してHさんは上野行きの夜行列車で帰って行った、、。

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[今日の話] 今日の一日

2013-12-04

総合病院の受付で手続きを済ませて診療科の受付へ、例によって沢山の患者さんが順番待ちで待ってらっしゃる、これじゃ2時間くらいは待たないといけないな30分くらい待っていると多くの待っている人を飛び越して名前を呼ばれた、ラッキー!50歳くらいと思われる感じの良さそうなドクターだ、紹介状のデーターを見ながらいくつかの可能性の説明があった、ネットで色々な情報を調べてあるんだが、先生、10日くらい前から腰が痛いんですけどね、、えー○○○○はよく腰に転移するんですよ!別に驚く様子もなく、ごく当たり前のような言い方だ、ところで遠い新潟からまたどうして大分まで、、? いやー、新潟は冬になると雪が降りますし歳をとるとこれがまた大変なんです、、そーですか、大分は良いとこですよ、食べる物は旨いし、温泉は沢山あるし、暖かいしね、、、採尿、採血、心電図、レントゲン、など等、いくつかの検査をして又診療科へ、待つこと約1時間、検査の結果が示された、数値は今回の方が少し下がっている、先生の色々な説明、私の調べた素人判断からすると最悪の結果は避けられたんではないだろうか、、新潟でのMRI検査の結果、数値からして入院して詳細な検査をしましょう、と想像とおりの結果だ。

 

昼過ぎに戻り今年最後の散髪へ、最近はカットのみ千円なんてのが結構あるが、私は貧乏の割にこういう処はどうも、、、やはり顔馴染みの行きつけのところで世間話をし、色々な情報収集にもなる、それにしても大分は散髪は安いネ。故障で修理に出したキャノンのプリンターが修理から戻ってきた、セッティングをして、今年は早々と年賀状の印刷をした、後は受付が始まったら投函するだけ、例年は年末ギリギリなんだがねー、そして夕方から1時間のウォーキングにでかけた、寒いとそんな気にはならないんだが、。

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[豊後の名所・史跡] 豊後一の宮 柞原八幡宮

2013-12-03

 

豊後一の宮 柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)に行ってきた。

大分市の西、二葉山(八幡柞原山)の麓に鎮座しています。国道10号線の西大分から696号線に入るとすぐに一番目の大鳥居が建っている、神社はここから約4キロメートルほどカーブした道を登って行く。左に大きくカーブする右側に参道の入り口がある(写真)。参拝は回廊から履物を脱いで上がり拝殿前に正坐して行う。

 

 

柞原神社の起源は天長四年(827)、延暦寺の名僧金亀和尚(こんき)が宇佐神宮の参篭にて神からのお告げを受け柞原山に勧請したのが始まりと伝えられている。成るほど神社のあちこちに菊のご紋章があるのもうなずける。御祭神は、仲哀天皇「帯中日子命」(タラシナカツヒコノミコト)・応神天皇「誉田別命」(ホンダワケノミコト)・神功皇后「息長帯比女命」(オキナガタラシヒメノミコト)であり皇室も厚く尊崇された。拝殿より申殿(もうしでん)、本殿が正面に見え(写真)二棟が連結された典型的な八幡造りである。

 

 

山門を入ると大きな、ホルトの木(写真)がある。この木は享禄から天文のころ、豊後国主の大友宗麟が盛んに外船を引き神宮寺浦(今の春日浦)において外国貿易を営んだ際、ポルトガル人が持ってきて移植したもので、その名をとって樹の名前にしたと言う。樹高25m、幹回り4,8m、樹齢400年で大分市の名木に指定されている。(案内板より抜粋)

 

 

参道を進むと南大門の手前に樹齢3,000年以上と言われる、国指定天然記念物の大楠がそびえ立っている(写真)、樹高30m、根回り34m、地上2メーターの幹回りは19mもあり根元部は大人十数人も入る空洞になっている。平成元年の環境庁の巨木調査で全国で第7位と言われる。

 

 

長い参道の途中に日暮し門とも形容される見事な彫刻が施されている南大門(写真)がある。山道の石畳には踏めば願いが叶うと古くから言い伝わる「幸運の扇石」が二枚敷かれている、参拝の折にはこの二枚の幸運の石を踏み、願を掛けては如何だろう、、、。

 

 

拝殿前にある桜門(写真)

 

 

柞原八幡宮のスライドショーは   = こちら =

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[豊後ぶらり旅] 大分市歴史資料館

2013-12-02

 

昔から歴史と言うものには興味がなく無知な私だが、大分市の住民の仲間入りをさせて頂いたが地元の歴史について全く解らない。まーぼちぼちと勉強をしようとは思うが市内に「大分市歴史資料館」がある事が解った。奈良時代に豊後国分寺があった国分寺史跡公園の一角にある歴史資料館(写真)に行ってきた。瓦ぶき屋根のどっしりとした建物は歴史資料館にふさわしい姿だ。入り口を入ったホールには豊後国分寺の七重の塔を中心とした門、金堂、講堂、食堂(じきどう)などが南北に立ち並んだ豊後国分寺復元模型が展示してある。旧石器時代~古代、及び中世~近世の大分市の歴史に関する資料を常設展示している。豊後国分寺に関しては、いずれご紹介したいと思います、、、。

 

 

 

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[古い航海日誌 剛邦丸] 喜入(鹿児島)発、徳山行き

2013-12-01

原油を満載した本船は昼前に鹿児島の喜入石油基地を出港した。行き先は暫く横浜との事であったが急遽、山口県の徳山(現周南市)に変更になった。桜島からは噴煙が上がっているのが解る、右舷には開聞岳の美しい姿が望める、良い景色だねー錦江湾を出た本船は日向灘を北上すると間もなく右舷に水ノ子島灯台(写真)が見えてきた。今は無人だが以前は灯台守が常駐していた、映画の「喜びも悲しみも幾年月」の舞台になった灯台だ、午後の次席さんのワッチの時に、三席さん、JDAとJITにTRを入れてくれるかね!中波の海岸局の鹿児島無線局/JDAと大分無線局/JITにTRを打電した、JIT DE JMJG TR すぐに大分無線局から応答がある、JMJG DE JIT QSW 4?? 、、、豊後水道を通過して周防灘に入った、ワッチが終わり艫の食堂に行くためにフライングパッセージを歩きながら景色を眺めるが1月の海上は風が冷たい、瀬戸内海の大小たくさんの島々、大型船、小型船が多数行き交う光景は絵になるね、、食事の時に同じテーブルのセコンドオフィサー(2等航海士)にマージャンのお誘いを受けるが、内心、まだ見習いの身分でマージャンはまずいだろう、断るのもなんだしすいません、マージャン知らないんです、すると、えー、学生の時に何してたの?ときた。夕食後は通信長の当直に顔を出したり、次席さんの当直に顔を出したり、後は映りの悪いテレビを見る、そして洗濯をしながら風呂に入り部屋でビールをちょこっと飲んでベッドに入り週刊誌など本を読んでいると知らないうちに寝てるネ、、、。

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プロフィール

名前は:ham 
年齢は:爺 ♂
血液型:B型 みずがめ座

辛い事もあったが楽しい事も、、
良い思いも沢山させて頂いた
激動の人生、
昔のこと、今の事、自由に綴る
我が人生、






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