hamさんのひとり言。

昔の話と今の話。

[街中で見かけた話題、光景] 大分と言う処

2013-11-30

千キロも離れたこの地まで来るとやはり色々なところで違いがわかる、車を運転していると、こちらのドライバーのマナーの良さに気づくであろう、まー、そうは感じない人もいるかもしれませんがね、、幹線道路の交差点、横断歩道の手前に車の停止線があるが、こちらでは停止線の手前に二輪、原付と大きく書いてある、その手前に停止線があり、これが二輪車以外の車の停止線だ、赤信号で停止する二輪車がいなくても、ちゃんとその手前の停止線で止っている、脇道から出てくる車を自分の車の前に入れてやったり、車線変更して自分の車の前に強引に入ったりすると、大体の車はハザードを2~3回点灯させて行く。しかしガソリンの値段の高い事、それも半端じゃない、日本で三番目にガソリンの値段が高いんだそうだ。

さすが温泉県と言うだけあって別府はともかく、大分市も民間の天然の温泉施設がいたるところにある、それに入浴料も350円くらいと安いね、、家の近くにも歩いて1~2分くらいのところに露天ぶろ、宿泊、レストラン、すし店などを備えた施設もあるし5分くらいのところにもある、そのうちに温泉めぐりでもしてみよう、、、。

お向いさんから本場の関アジ(写真)を頂いた、ちょっと小ぶりだが味はさすがだね、関アジ、関サバ、城下カレイと魚好きのhamさんにとっては有難い話ですネ、、楽しみが増えましたって―!

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[今日の話] 運を天にまかせて、、

2013-11-29

11月も残すところ後一日となった、こちらに引っ越して3週間が過ぎ、転居に伴う諸手続きなどは大体すんだかな、整理などは未だ結構残っているが、これは急ぐことは無い、時間のある時にぼちぼちやればいい、しかーしだ!一番大事な、頭の痛い問題が残っている、引っ越しの前に病院の医師から思いがけなく、検査の結果高い確率である病名を言い伝えられ、更に入院して精密検査の必要性を伝えられた。ショック、、考えた末、引っ越しを早めよう、、!しかし知らない土地で何処の医療機関を訪ねればいいのか、いくつかある総合病院の中から3つに絞った。そしてネットで色々と調べ病院まで行ってきた。最悪入院、通院などを考えて医療機関を決めた。あとは「まな板の上の鯉」だ、病院からの紹介状を持って、医師を信じ、運を天にまかせ、残された少ない確率を信じよう、、、。

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[豊後ぶらり旅] ぶらり佐賀関懐古

2013-11-27

 

今日は朝から曇り空だが時々陽も差す天気、ちょっと風があるが特別な予定もない、午後から大分市の佐賀関(旧北海部郡佐賀関町)に出かけてきた。九四国道フェリー乗り場までは数回来た事があるが佐賀関町の町まで来たのは実に35年振りだ、海岸線に沿った曲がりくねった狭い道路、今はトンネルができ広い立派な道路になっていいる。懐かしいなー、、それにしても随分と変わったねー! まー35年も経てば変わるのは当たり前だわな、、、  道路の案内板に従いどんどんと山に入り、関崎灯台に行ってみよう、40年近くまえ海上から眺めた灯台だ。写真の灯台は関崎灯台と豊予海峡、向かいの島は高島、左端の島付近が関サバ、関アジの漁場だ、向こうにうっすらと見えるのは愛媛、山口県の島々、晴れていれば四国がはっきり見えるんだろうが今日はあいにくの曇り空で景色はイマイチ、、

 

 

高台に関崎海星館(写真)がある、海と星を観察する施設だ、折からのアイソン彗星の接近で観察者が訪れている事だろう、中にはレストランもあり晴れた日曜日などは若いカップルでにぎわいそうだ、遊歩道もあり良いところだねー、、、

 

 

灯台に向かう途中の小高い山々の紅葉はこれからが見ごろを迎えそうだ、道路わきのイチョウの木の葉っぱが風に舞っていた(写真) 、、、

 

 

旧市街地に来てみたが海岸通りには昔の面影はない、コンビニができ、新しい病院が出来、変わったなー、、!  

パンパシフィックカンパニー佐賀関精錬所(写真)(旧日本鉱業佐賀関製錬所)昔に比べると少しの違いはあるが眺めていると40年近く過ぎた思い出が頭のなかを走る、、、懐かしいなー!南太平洋に浮かぶニューカレドニアからニッケル鉱を積んで、あの完璧に何度着岸しただろう、、おそらく佐賀関丸、日豊丸、で20回近くは入港しただろう、3日間の停泊中に通い詰めたスナック、確かこの辺だったがなー、、それらしきお店は見当たらない、10年ひと昔と言うが、40年ちかくも経てば変わるわねー、、、

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[豊後の名所・史跡] 高崎山自然動物園

2013-11-26

 

野生の日本猿で有名な高崎山自然動物園は大分市の別府湾に面した別大国道(大分、別府間)のほぼ中間地点の標高628メーターの「高崎山」にあり、都市近郊における日本猿の生息地(国指定天然記念物)として全国的に知られている。 (写真は同園入り口)

 

 

高崎山の山麓にある万寿寺別院の境内に高崎山に生息する野生の日本猿に餌付を行う、猿寄場が設けてあり柵などが無く観光客は直接、猿に接することが出来る。B群とC群の二グループに分かれ時間をずらして山を下りて餌付け場所に下りてくる。以前はA群もいたがC群との争いに敗れ数が激減しB群C群に加わったと言われている。C群は朝の8時半頃山を下りてきて、B群は午後の1時過ぎにC群と入れ替わり山を下り餌付け場付近で夕方まで過ごす。最近有名になったボスのベンツはC群のボスだ。

 

 

元来、高崎山には野生の猿が住んでおり明治時代の末期には約600頭ほどが生息していたと言われる。しかし大正時代の山火事で数が激減したが昭和15年頃には100頭以上に増え、終戦後には200頭くらいにまで増え、今度は農作物に対する被害が深刻となり、狩猟などによる猿の駆除を行ったが良い結果を得られなかった。これを聞いた当時の大分市長の上田 保が逆に餌付けをして観光用として利用したのが始まりである。昭和27年万寿寺別院の和尚と猿に餌付けを初め翌昭和28年3月15日開園した。

 

 

高崎山自然動物園の写真は  = こちら =

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[第2の人生] 友、遠方よりきたる

2013-11-25

8月下旬の朝、二人の若い女性が夜行列車から高田駅に降り立った。お世話になっている下宿の娘さんと、友達の銀行に勤めるHさんと紹介された。夜行列車ではなかなか眠れなかった、と言うことで一旦家に行って少し休んでもらい、今晩は二人に我が家で泊まっていただき明日二人は佐渡に行くと言う。

2~3時間休み三人で汽車に乗り野尻湖に向かった、下宿の娘さんは近くの幼稚園の先生、もう一人のHさんは川崎市のある銀行に勤めるOLだ、夏の野尻湖は結構と観光客が来ている、我々三人はモーターボートに乗り湖上より景色などを楽しみ湖の真ん中にある弁天島に渡った。しかーしだ! ここで事件が起こった、、、 ここで泳ごうと言うことで準備はしていったが友達のHさんが夜行列車で疲れて体調が悪いので泳がないと言う、下宿の娘さんは、私はせっかく来たのだから泳ぐ!と言う、私は正直なところどっちでも良かったんだが、面倒だから泳がないことにした、○○ちゃん、私も泳がないから一人で泳いで!後から思えば まずかったなー、と反省するんだが後の祭り、私と友達のHさんと二人で岸で泳いでいるのを眺めながら色々と話をしている、、ちょっと泳いではすぐに上がってくる、そして友達のHさんが、もっとゆっくりと泳いでらっしゃいよ!と一言、どうやらこの一言が決定的なダメージになったようだ、着替えの終わった下宿の○○ちゃん、私帰るわ! と一言、えッ、帰るって何処に? 東京によ!もういくら説得、なだめても聞くもんじゃない、、参った、田口駅(現、妙高高原駅)より一人で上りの列車に乗車してしまった。こっちは心配で心配で気が気ではなかったが友達のHさん、大丈夫よ、こっちは何も悪い事はしていない、我がままだけよ、ほっとけばいいわ、私は一人でも旅行を続けるわ、!と言う、内心、意外と女性は冷たいね、家に戻り夜、Hさん、 ○○さん、よかったら一緒に佐渡に行きませんか?とお誘いが、内心、一緒に行くのは一向に構わないんだが、佐渡と言えば宿泊しないといけない、若い男女が、、、と頭を過るが、女性に誘われて断るのもまずい、、と言いうことで翌日、直江津から小さな佐渡汽船の昔の ”こがね丸” (写真)で佐渡に向かうことになった、、、。

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[今日の話] 旧友との再会

2013-11-24

こちらに引っ越して2週間がすぎた。だいぶ慣れて最近は少しづつ市内の散策も始め市内にいくつかある大型のショッピングゾーンにも行って来た。市内には昔の仕事の同業者で特に仲の良かった仲間がいる。それが偶然にも私が住み始めたところから歩いて十数分のところに住んでいる事が判明、だいぶ家もかたずいたので家に来ていただいた。十何年振りになるだろうか、仕事の関係で全国各地で一緒にゴルフを楽しんだ思い出がある、5時近くから飲み始めて、昔の話、これからの事など、話し始めたらきりがない10時まで飲み続けた、お陰で今日は二日酔いだね、、、 

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[今日の話] テレビ電話(Skype)開通

2013-11-22

今年に入り娘の家と我が家はスカイプ(Skype)を介してテレビ電話で通話が出来る、パソコンを使っての通話はよくあるが自宅のテレビに画面を映してお互いにリアルタイムに画面を見ながら話が出来る、孫たちがすぐ目の前にいるような錯覚を起こす。便利なもんだねー! こちらに引っ越して中断し、もっぱら携帯電話での長話であったが、乃愛ちゃんから、爺、婆にあいたいなー、、!とうれしい注文があり、爺ちゃん半日がかりでデスクトップパソコンの横のモデムから居間の41型のテレビまでRANケーブルをひいてやっと開通した、無線でも出来るようですがネ。別に宣伝をするわけでもないしロジクールの回し者でもないんだがロジクールのTV Cam HD CVT1000 と言う製品だ(写真)

 

 

 

この製品はSkypeのアプリケーションがTV Cam HD本体にあらかじめインストールされている為パソコンに接続したり、ソフトをインストールしたりする必要がなく、相手がSkypeのアカウントを持っていれば、相手のPC、タブレット、スマートフォンでも通話を楽しむことができます、勿論、相手も同じ製品を持っていればお互いにテレビの画面を見ながら楽しむ事が出来ますし、内蔵のリンガフォンによりテレビがONでもOFFでも呼ばれれば解るし留守の場合も着信の表示が点灯し、帰宅後でも呼ばれたことが解るし、映像も付属のリモコンでズームインが出来、こちら側の映像も別の窓でモニター出来る、本体はテレビの上にセットしたり別の場所に置いても違和感がない優れもの、難点と言えば広角で映し出されるため部屋の散らかっているのまで映ってしまうことだネ、また楽しみが増えたってもんだ、、。

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[古い航海日誌 剛邦丸] 岩国出港、喜入(鹿児島)入港

2013-11-21

予定通り本船は朝、山口県の岩国を出港した。周防灘は小さな船が沢山航行している、中国地方、九州、四国の山々が見渡せる、間もなく豊後水道を通り日向灘に出た。三島型の本船は全く振動もなく乗船中の事を忘れてしまう、午前中は通信長のワッチ(当直)に入っている。昼食を食べて今度は次席さんのワッチに入る、次席さんは鹿児島県の薩摩半島の先端の小さな漁師町の出身だと言う、喜入に入港したらちょっと家に帰ってくるから三席さん頼むネ、、とのこと。大隅半島の沖を航行し錦江湾(鹿児島湾)に入って来た、おー、あれが桜島かよ、、、前方に喜入石油基地のたくさんのタンクが見えてきた、そして夕方には桟橋に着桟してただちに積み込みが始まった、次席さんは夕食を食べないで家に帰る為、上陸していった。乗組員は勿論、知らない人ばかり、夜はテレビを見ながら一人でビールをちびちびとやっているが、歓楽街のネオンがチラチラと頭をよぎるが鹿児島市の天文館まではちょっと遠すぎるし、やっぱりおとなしく寝るかね、、

 

JX日鉱日石石油基地

近年の日本国内、国外の急激な社会情勢の変化や不測の事態に対応するために石油備蓄を行っているが喜入基地はその役を担い、現在は735万KLの貯蔵能力があると言う、30万トンクラスの大型タンカーで海外(主にペルシャ湾、インドネシア)から輸入し一旦タンクに貯蔵し国内の各石油基地に10万トンクラスのタンカーで輸送する。年間200隻以上の大型タンカーが入港し、800隻以上のタンカーがこちらから重油などを積み各地の石油施設に向かう。

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[街中で見かけた話題、光景] 大分市という所

2013-11-20

大分市に引っ越してきて2週間になる、少しずつ生活にも慣れてきた、この間いろいろな手続きでいろいろな機関を訪れたが、どこも満足のいく対応であった。昔のお役所はどちらかと言うと事務的で下目線の対応が比較的多く、それが極あたり前のようにまかり通っていたと思うが、最近はどこの役所もちょいと違うね、市役所に行くと田舎では駐車場さがしで苦労する事は無いが県庁所在地の中心部にある市役所、駐車場はどこだかなー、、うろうろしているとガードマンがサッと出てきて、市役所に来られたんですか?こちらへどうぞ!と地下駐車場に行くよう指示してくれた。入り口のゲートで係員がモニターを見ながらCの10番に入れて下さい、と番号を記入した紙を手わたしてくれた。地下駐車場のいたるところにトランシーバーを持ったガードマンがいて何番ですか? Cの10番です! こちらです、、と実に手際よく指示してくれる。ほー、こちらの市役所、なかなかやるねー!1階の市民課のフロアーに行くとちょっと今までのイメージと違う、窓口のカウンターが横にずっと延びていると思ったがカウンターがカタカナの コ の字に能率が良いように配置されている、その中に幾つかのソファーと受付カウンターがあり二人の女性スタッフが対応しているが、これが又実に親切に手際よく対応している、ここで申請書などに記入しスタッフが、これをあちらの○番にお持ちください!指定されたカウンターの前に座ると、又親切、丁寧に対応してくれる、受付カウンターの上に大きな電光掲示板があり、現在の大分市の人口、世帯数が出るようになっている、我々の手続きが終わると電光掲示板の世帯数が1増え、人口も3人増えた、なーるほどネ、今度は保険関係の手続きに2階に上がり、さーて、俺は何処に行けば良いんだい?するとどーだ、若い男性のスタッフがカウンターの中からスッと出てきて、どちらかお探しですか?事情を話すと、すぐ近くの椅子に座るように案内し中腰になり親切に説明してくれた。大体はカウンター越しにこちらが立ってスタッフは椅子に座っての対応が多いね、カウンターの中に入り資料を持って来たりしている、普通はカウンターが、ずーっと続いているんだが、ここの市役所はカウンターがあちこちで切れていて直に通路に出れるわけだ、、市役所に入ってから出るまで良い気分にさせて頂いた、、、。

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[豊後の名所・史跡] 紅葉の深耶馬溪

2013-11-19

 

朝、目が覚めると予想に反して晴れて太陽が輝いている、まだまだやる事はあるんだが急遽、耶馬渓に紅葉見物に行くことにした。 じっとしてない男だねー、、! そもそも耶馬溪と称される渓谷は全国に多数存在る。大分県の耶馬渓は、大分県中津市にある山国川の上・中流域及びその支流を中心とした渓谷であり景勝地として知られており、日本三大奇勝や新日本三景の一つに選ばれている。1923年に名勝に指定されて1950年に耶馬溪一帯が耶馬日田英彦山国定公園に指定された。耶馬溪と言ってもいささかひろ~ござんす、! 青の洞門で有名な本耶馬溪、一目八景で有名な深耶馬溪(しん)、裏耶馬溪、奥耶馬溪、椎谷耶馬溪(しいや)、津民耶馬溪(つたみ)、などがある。  たまたま昨日のテレビのニュースで深耶馬溪の紅葉が見頃と 報じていた。よし、近いうちに今回は深耶馬溪に行こう、と言うことで高速道路を玖珠ICに向かった。別府を過ぎてからは鶴見岳、由布岳を眺めながら快適に走る、豊後富士と呼ばれる由布岳は今日、初冠雪で中腹から上はうっすらと雪化粧して綺麗だ、、玖珠ICで高速を下りて深耶馬溪に向かったが途中からは道路沿いの紅葉が綺麗だ、深耶馬溪に着いてみるとウイークデイにもかかわらず沢山の見物客が訪れている、休みでもないのに暇人だねー、俺も他人の事は言えないけどさ!水墨画にでも出てくるような光景で紅葉も綺麗で、ここ深耶馬溪は一目八景が有名だ、海望嶺、仙人岩、嘯猿山、夫婦岩、群猿山、烏帽子岩、雄鹿長尾嶺、鷲の巣山の八つの景色が一度に眺望できることからこの名が付けられた。深耶馬溪の紅葉を堪能し、帰りは下道を別府経由で家に帰った、今度は新緑のころに青の洞門で有名な本耶馬渓を訪れたいネ、、、。

 

深耶馬溪のスライドショー、興味のある人は   = こちら =

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[hamさんの日本の歌心の歌] ♪ 酒場すずめ ♪ 村上幸子

2013-11-18

私と同じ新潟県出身の女性演歌歌手の村上幸子さん、私の好きな歌手の一人だ、昭和54年(1979)21歳「雪の越後を後にして」でデビューし、昭和59年発売になった「酒場すずめ」が大ヒットした、当時は仕事で高田の仲町などの歓楽街に出かける事が多かったが新潟県出身の歌手と言うこともあると思うが、あちこちからよく聞こえてきた曲だ。昭和63年にリリースされた「不如帰(ほととぎす)」も好きな曲だが、当時の昭和天皇が重体で、歌詞の一部が「時期的に適切な表現でないので、、、」と言うことから放送中止になったと言うエピソードがある。文化放送のラジオ番組の「走れ歌謡曲」のパーソナリティーも務め人気があったが昭和64年(1989)急性リンパ腫と診断され入院したが翌年の7月23日31歳の生涯を閉じた、、合掌

 

作詞 山田孝雄

作曲 四万章人    酒場すずめ

 

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[豊後ぶらり旅] 豊後の国、大分県

2013-11-17

大分県民となって日も浅い私が大分の事を述べるには、はなはだせん越であり勇気がいるが今後の事もありちょいと調べてみた。

大分県は九州の中東部に位置し面積は約6,340平方キロ、人口は約118万人、ちなみに我が故郷、新潟県の面積、人口ともほぼ半分である。県の木は、ブンゴウメ、花はブンゴウメの花、県の鳥はメジロである。 (写真は大分県旗)

大分の名前は古来、国府が置かれていた大分郡「オオキタノコオリ」(現大分市)に由来する。「オオキタ」が転訛して「オオイタ」となったと言われる。現大分県は豊後国、豊前国(現福岡県東部の一部、大分県北部、今の中津、宇佐)が一緒に成り国府、国分寺はともに現大分市に置かれ、8藩(府内藩、日出藩、杵築藩、中津藩、森藩(玖珠)、岡藩(竹田市)、臼杵藩、佐伯藩)7領があったが明治4年(1871)の廃藩置県により大分県となった。大分県と言えばなんと言っても日本一の温泉県であろう、温泉の源泉数4,538ヶ所、湧出量291,340リッター/分、ともに日本一、別府温泉はともに1位、湯布院温泉は源泉数は2位、湧出量は3位、から見ても他を圧倒している、又行ってみたい温泉、旅館、ホテルでも西日本では別府温泉、湯布院温泉が常に上位にランクされている。市町村数は18で九州では最も少なく全国でも4番めに少ない、又町村が4(日出町、玖珠町、九重町、姫島村)は全国で最も少ない。又比較的小さい県の割には沢山の著名人、偉人を輩出している。

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[街中で見かけた話題、光景] 九州一の交通量、別大国道(R10)

2013-11-16

 

朝起きてカーテンを開くと眩しいばかりの陽が差している。よし、行くかね、! 妻の実家のお墓参りに家族三人で行って来た。帰りに以前より行ってみたかった日出町(ひじまち)にある、国指定天然記念物の”日本一の大そてつ”のある松屋時(しょうおくじ)に行ってきた、又病気が出始めましたってー、、それが想像していた以上に立派な由緒ある寺でした、またそのうちに紹介させていただきます、そして今日は入場料が無料と言う立て看板につられて、猿で有名な高崎山にも行きました、たくさんの子供ずれの家族で賑わっていました、又近いうちにご紹介したいと思います。

今日の話はその行き帰りに通った道、別大国道(国道10号線)です、、

(写真)、片側が山が迫り日豊本線が並走し、片側は別府湾にそり出ている6車線の60キロ道路です。大分市の西大分から別府市の東別府までの7キロが別大国道(別大道路)と呼ばれる国道10号線です。毎年2月に行われる別府大分毎日マラソンのコースとして知られている。大分、別府間の一般幹線道路が他にない為、九州で最も交通量の多い道路と言われています。大分市の高崎山下の田ノ浦アイル、高崎山自然動物園、大分マリーンパレス水族館(うみたまご)があり、多くの観光客で賑わう。この道路を走っていると実に気持ちが良い、特に大分方面から別府に向かうと国東半島、綺麗な別府湾が望めその左手に多くの湯けむりが上がる別府の市街が望める、山側を道路と並走して日豊本線の電車が走る、思わず車を止めてシャッターを切りたくなる光景です、、、。そして海側には車が通らない道路かと思うくらい広い歩道がずっと道路に並んで走っている、ところどころにベンチ、緑地もあるようだ、サイクリング、ジョギング、ウォーキングコースとして最高ですね、私もいずれ、この道を歩いてみたいと思っていますがね、、、。

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[第2の人生] 夏休みのアルバイト

2013-11-15

八月に入ると先輩の乗船実習の見送りもほとんどなくなり、やっと田舎に帰省できそうだ、下宿の娘さんに、田舎ですが遊びに来ませんか、佐渡にでも行かれるのでしたら案内しますよ、、、と儀礼的にお誘いすると、ほんとー、行きたいなー、行こうかなー、、お友達でも誘ってどうぞ、、夏休みは帰省してアルバイトをしようと考えている。急行”白山号”で高田の駅に降り立った、3月に帰省しているので約5か月ぶりだ。夏休みと冬休みのアルバイト代で来年の春休みに車の免許を取ろうと考えている、それにだ、家でぶらぶらしていると百姓を手伝わされるのがめに見えている、ちょうど高田の仲町にある食料雑貨の卸問屋K(写真)に電話で聞いてみると明日からでも来いと言う、、ついてるねー!さっそく翌日から自転車で約30分くらいのバイト先まで通勤だ、食料品やさん、雑貨やさん、などからの注文を広い倉庫から荷だしするわけだが、夏は暑い創庫の中での仕事だが学校でのカッター訓練に比べりゃ楽なもんだわね、、あまりにも一生懸命に真面目に働くもんだから、この会社の社長さん、おい○○君、おまん(貴方)学校卒業したらうちの会社にこんかね(来ないかね)、そして私の後を継いでくんねかね(くれないですか)この家にははっきり言ってあまり可愛くない娘さんがいる、内心、冗談じゃねー、俺は船に乗って7つの海を渡るんだわね、、と思ったが口に出して言うわけにもいかんしねー、はい、有難うございます、もしそのような状況になりましたらお願いいたします。夏休みも終わりに近づいたある日の夜、風呂に入っていると父親が、おい、東京の○○さんとか言う女の人から電話だぞ、ピンときたね、下宿の娘さんだ、○○さん、遊びに行っても良い、今上野駅に居るの、友達の○○さんと二人で行くからよろしくね、これから夜行に乗って行くから、、と、こうだ、誘いはしたがまさか来るとはね、都会の人は遠慮と言う二文字を知らないのかね、!翌日早めにバイト先に行き事情を話して昨日でバイトを辞める事にした。是非また冬休みに来てくれと有難い誘いだが、、??

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[今日の話] 思えば遠くに来たもんだ、、ウォーキング

2013-11-14

大分の地で生活を始めて今日で1週間、結構いそがしい毎日だがだいぶ落ち着いてきた感じだ、それにしても 随分遠くに来たもんだ、、、と感じる昨今、、、

一昨日市役所に転入の手続きに行くと窓口の担当者が えッ、新潟から来られたんですか!こっちは雪は降らないですよ、、と驚いた様子、そりゃ残念だなー、、警察に住所の変更手続きに行くと、やっぱり、へー、新潟からですか!内心、新潟から引っ越して来るのがそんなに珍しいかい、と思うんだが、今日近くの銀行に口座の開設に行くと窓口の若い女性が、上越市ってどこにあるんですか?ときたねネ、、。

こちらの人から見ると新潟と言うと地の果てにでもあるような感じなんだろう、テレビのニュースで故郷は雪模様と報じているが、こちらは連日の晴天で日中は私にとっては結構あたたかいんだが、こちらの人は今日は寒いねー、と、こうだ。昨日から近隣の散策をかねてウォーキングを始めた、県民の40パーセントの人が大分市に集まっていると言われているが住まいを構えたところは、なかなか便利なところだが環境も良く、すぐ近くの堤防はウォーキングに最高だ、ずっと続く桜並木、来年の春が楽しみだ、、、。

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[仲良し、ちびっ子二人] しばしの別れ

2013-11-13

 

 

九州に引っ越すと、乃愛(のあ)ちゃん、真愛(まな)ちゃん、には

そうは簡単に会えなくなる、、

九州に向かう途中、急遽二人に会うため少し寄り道をした。

二人が通う保育園にパパさんと一緒に迎えに行くと、それぞれの教室から出てきた、、そして玄関でパチリ、、、

 

じいちゃん、こんどいつあそびに来る?

 

じいちゃん、こんどあたしが合いにいってあげるね!

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[古い航海日誌 剛邦丸] 岩国にて剛邦丸乗船

2013-11-12

錦陽丸を下船し電車で岩国に着いたが、俺はどこに行けば良いんだい! 代理店に電話して確認すると明朝に着桟するとの事、今夜は小さなホテルに泊まる事にしたが、博多のスナック 

”汽笛”の事が思い出されて、このままホテルで寝るのはちょいと勇気がいる、このまま部屋でおとなしく寝るか、一杯のみに出かけるか、頭の中で両者が格闘している、結果今日はおとなしく寝る事にした。

朝代理店に寄り代理店と一緒に車で本船に向かうと、ちょうど着桟中だ、本船は今のところ内航に従事しているため税関などの手続きはない為に直に乗船する事が出来る。かつてはスーパータンカーと言われた本船はさすがに大きい、私が今までに乗船した船の中では勿論一番大きい。船体も溶接ではなくリベットで接続している、乗船して無線室に行くとちょうど、通信長、次席さんがおられたので挨拶をして、通信長が、三席さんは昼間だけ私と次席さんの両方の当直に一緒に入ってくれ、、との事。船は古いがお金がかかっている船と言うことが直に解る、サロンルームなども流石に高級感がある。本船は原油を降ろして再び鹿児島県の喜入備蓄基地に向かう、揚げ地は今のところ北海道の室蘭か山口県の徳山の予定と言う、私は今のところ本船にはいつまで乗船かは不明と言う。明日の朝には鹿児島に向け出港する、乗船したばかりで今夜は飲みに上陸するわけにはいかないだろう、、、。

 

剛邦丸/JMJG

 

総トン数   28,294 トン

重量トン数  50,408 トン

長さ      213 m

幅       30,5 m

建造    昭和33年11月11日 播磨造船所(相生工場)

 

 

 

 

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[今日の話] 第四の人生がスタート

2013-11-11

住み慣れた上越の地をあとにして遠い九州の地にやってきましたってー、、! 引っ越し荷物を見送って北陸高速道を一路九州へ、今度はちょっと直には会えなくなるので途中二人の孫に会いにちょっと寄り道し、一緒に食事をして又高速道をひた走り、、途中で一泊して瀬戸大橋を渡り四国路を愛媛県の三崎へ、夕方のフェリーに乗船し1時間10分の航海でとうとう大分の地を踏んだ。 (写真は大分市内の府内城)

忙しい思いをして荷造りをして、今度は荷ほどきに忙しい毎日でしたが、ようやく何とか生活ができる状態になりました。きょう大分市役所に行き転入届を提出し正式に大分市民になりました。まだまだやる事がたくさん有りますが、まーボチボチと行きましょう、、、。

 

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[今日の話] 旅立ち前夜

2013-11-04

いよいよ、ながねん住んだ故郷を離れる日が明日になった、、妻の故郷を離れるときに3年間頑張って駄目なら又九州に戻ろうと話して35年が過ぎた。思い出せばいろいろな過去の出来事が頭を通り過ぎる。以前より晩年は雪の降らない少し暖かい九州の地で残された人生を送ろうと決めていた。生まれ育った故郷を離れるのは寂しい気もするが又新しい地での楽しみもある。 新しい地での名所史跡めぐりもしてみたい、又3年前より始めた山登り、九州の百名山も登ってみたいし、体力が続く限り山登りを楽しみたいと思う、そして体調を整えて又なにかを始めよう、、、

                 故郷のますますの発展を祈りつつ、、

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[今日の話] 田舎での35年間、 第三の人生

2013-11-03

3年間頑張ってダメなら又九州に戻ろう、、、そう心に決めて5万円で買った恐ろしくボロの中古のカローラに家族3人が乗り大分港からダイヤモンドフェリーで神戸に向かった。朝神戸に着き名神高速、北陸高速とゆっくりと走り(70キロ以上で走るとエンジンが焼けるんだ)金沢で高速が終わり、国道8号線を走り夜中の9時に実家に着いた。

1階が店舗で2階が6畳2間の店舗を借りて2階に住むことにし、9月に待望のオープンとなった、オープンと言っても花輪の一つもない電飾看板も無い、センスのない店名が入った看板が一つだけのお粗末な物だった(写真は開店して3年目)、それでも年中無休で一人で頑張り段々とお客様も増え、時代の波にも乗り売り上げも順調に伸びスタッフを一人雇うことにした。運よく隣の店舗が空いたのを機に隣も借りて2倍の広さになった。

段々と業績が伸びると今まで目も向けなかったメーカーも寄るようになる、取引メーカーも増えていき幹部も顔を出すようになるし忙しさも増してくる、、、そして開店して十数年、遂に近くに200坪の不動産を購入し80坪の1階が店舗、2階が賃貸住宅の立派な社屋が完成した。5万円のオンボロの中古のカローラでスタートしたが、いつかはクラウン、!と思い頑張った、そして中古のカリーナ、中古のギャランΣと段々と見栄えがする車に変わり新車のマークⅡに変わった、そして数年後に念願のクラウン、スーパーサルーンに乗る事が出来た。店舗も県内に本店を含め4店舗になっていた、ここまで来れたのもお客様、社員、家族のお陰、何か社会貢献もしなければ、と考えた。日本赤十字社から感謝状、銀色有功賞、金色有功賞などを頂いた、感謝!しかし良い事はそうは長くは続かない、バブルが崩壊し不景気風が田舎にもじわじわと吹き始めた、そこにきて消費税ができ益々不景気風が強くなってきた、趣味の多様化に加えパソコンが一般にも急速に普及してきた、我々の業界の低迷は底を打たなかった、悪化の一途をたどる事になる。先ゆきを考え取引先の勧めもあり、どんどん普及してきた携帯電話の業界に参入する事にした。しかし本業の低迷は携帯電話の新規参入では穴埋めできないところまで落ち込んできた。勿論努力を怠っているわけではない、社員、家族の事を考えると眠れない日々が続く、他人に相談したところで最後は自分が結論を出さないといけない、このまま続けても行き着くところは最悪の事態だ、今なら未だ何とかなる、よし、社員は解雇し店舗を閉鎖しよう、、決断した。

開店30周年記念式典は駅前のホテルで盛大にやろうと心に決めていたが残念ながら30年までたどり着く事が出来なかった。ピーク時は県内に5店舗を構え社員も10名を数えた、悔しい思いもするがお陰で身の丈いじょうの良い思いも沢山させていただいたし楽しい思い出ばかりだ。閉店後は一人で数年前より始めた防犯機器の販売で上越地方を飛び込み営業で回った、どちらかと言うと営業よりも技術タイプの人間だ、営業は決して上手ではない、もう社長じゃない、以前は顔を見れば声をかけ、近づいてきた人々、顔を見ても、おまん誰だったねや(貴方どなたでしたかね)って様な態度だ、想像はしていたが、あれだけ寄り添ってきた取引先も他人のような態度、辛い悔しい経験も一度や二度じゃない。

そんなある日、営業回りの参考にと毎週ハローワークに行き求人表を貰いに行くと、貴方も2種免許を取ってタクシー運転手をしませんか(無料)、とある、無料なら俺も行くかな、免許は取っておいても邪魔にはならないだろう、、営業に回りながら決められた行程に従って自動車教習所に1か月ほど通い2種免許を手にした、、、

 

 

そうは若くはない年齢だが運転は好きな方だ、どうせ半年か1年しか勤まらないだろうがやってみるか!と言うことで晩年になり思いがけなくタクシードライバーとなった。

初めは無我夢中だ、事故を起こさないように、お客さんとトラブルを起こさないように、夜の勤務で酔っ払い客に絡まれたことは数えきれない、知らない真っ暗な曲がりくねった狭い道路、入ったが行き止まり、バックで出るより仕方がないが脱輪や塀などに擦らないように苦労した事も何回もある、泊まり勤務の朝、長距離のお客さんにあたり睡魔が襲うなか、ほっぺたを叩きながらハンドルを握って昼過ぎに帰って来たこと、新潟空港から中国に行くお客さん、電車で寝過ごし乗り換えが出来ず空港まで時間との戦いでお供した事、酔っぱらって雪の上で寝込んでしまった若いお客、雪の中、重たい体を引っ張って家を探し回り家まで連れて行ったこと、しかし悪い事ばかりではない、思い出せばきりがないが、この仕事の一番の魅力は短い時間ではあるが、いろいろな人との出会いだ。歴史には無知で全く興味がなかったが、お客さんをお供して観光案内で周り、我が故郷には歴史的に価値のある史跡が沢山ある事に気づいた。時間のある時に史跡を廻りカメラに収め一冊に纏める事ができた。お供したお客さんから山の魅力と言うものを聞き、米山と中学生のキャンプで火打山に登っただけの60をとうに過ぎた爺が同じ職場の山好きの先輩からアドバイスを頂き、試に南葉山に登り、妙高山、黒姫山、飯縄山、斑尾山、2度目の火打山、雨飾山、戸隠山、苗場山、高妻山、権現岳、鉾ヶ岳、富士山、四阿山、根子岳、谷川岳、至仏山、白馬岳、子蓮華山、などなど登ることが出来た。新米のタクシードライバーは僅か6年間であったが10年、20年、にもまさる充実した実り多き6年であった。そうは長くはないであろう残された人生、まだやり残したこともある、第四の人生が待っている、車を降りる事にした、、、

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[今日の話] 都会での生活、第二の人生

2013-11-02

中学を卒業し地元の高校入試に失敗した私は昼間は職業訓練所(今のテクノスクールだな)、夜は定時制高校に通い始めた。自転車で1時間はかかる、午後の4時頃に自宅に帰り、勝手に戸棚を開けて適当に腹ごしらいをして今度は又自転車に30分くらい乗り夜間高校に向かう、雨の日も風の日もこれの繰り返し。さすがに冬は高田駅近くの当時旅館をやっていた親戚の家に下宿し汽車で訓練所まで通学した。当時の訓練所は1年間だ、正月が明けて就職するか、もう一度高校を受験するか迷った、、そして決断したのが就職だ、私の今までの人生での一回目の大決断だ。高校をもう一度受験していれば又違った人生を歩んだろう、自分の決断が正しかったと思っている、決して否定したことは無い。

横浜の鶴見区にある大手機械メーカーの鶴見工場に就職し夜は市立工業高校の定時制に通学した、毎日会社の寮から鶴見線の終点、海芝浦までの通勤、途中の定時制高校への通学が4年間続いた。趣味のアマチュア無線、会社の前の京浜運河を外国航路の大型船が通って行く、俺も外国航路の船の通信士になりたいなー! 会社の上司の腹の立つ気に入らない一言で決心した、、よし、俺も勉強して通信士に成ろう!! とネ、、

 

幸いにも親を説得して通信士になる一歩を踏み出すことが出来た。入学をしてみたが授業の他に訓練などで、のんびり学生生活を楽しむなんてほど遠い日々だ、そして卒業まじかのある日、先生から ○○、おまえ春から俺の助手をやれ、、と脅迫ともとれる命令だ、、助手と言えば聞いたところが良いが、お茶くみ、カバン持ち、電話番、雑用係のようなもんだな、とにかく厳しい先生であった、機嫌の悪い時などは一日中叱られていた、お前は電話一本まともに取れないのか!など等思いだしたらきりがない、補講、授業の手伝い、実験、調査で先生と○○大学の先生、先輩のHさん、四人で○○汽船のフィリピン航路の材木船に二航海乗船した、猛烈な時化で船酔いに悩まされながら自作のアンテナで当時のアメリカの気象衛星(ESSA)の画像を受信するんだが、静止衛星ではないので次に水平線に衛星が顔を出す方向、時間を計算しコンパスデッキで待っている、キーン、キーン、と受信音が聞こえる、やったー!、船酔いも忘れる感動だ、測定機器、同軸ケーブルで足の踏み場も無い狭い無線室で当直をしたり、電界強度の測定など忙しい航海だった。また沖縄が未だ日本に復帰する前、最近中国と争っている尖閣諸島の石油や海底調査で学校の練習調査船に乗船し1か月間、東シナ海で調査に従事することが出来た。この間、復帰前の那覇市、石垣市に入港し観光、歓迎レセプションなど貴重な体験をする事が出来た。

この間に何とか通信士の国家試験にも合格する事が出来た、ある時、先生が ○○、お前○○水産高校の無線通信科の教官をやらないか!と言う話が、中国地方のある水産高校だ、俺は学校の先生という柄じゃねーなー、いや先生、私は船舶通信士になるためにこの学校に来ました、即刻お断りしたが今でも自分の選択が間違っていたと思っていない、、助手をやった二年間と言うのは私の将来の生き方にどれだけ影響しプラスの方向に導いてくれたか計り知れない、、、

 

そして夢がかない念願の東証一部上場の船舶会社に3等通信士として入社することが出来た、初めて北米航路の船に乗船し船乗りとしてのスタートをきった。乗船経歴を付けて海技試験の国家試験を受験する為いくつかの船を転船しペルシャ湾航路のタンカーに乗船した。しかーしだ!若気の至りで1航海で退職しタンカーを下船した。徳山港で下船して学校が懐かしく東京に向かい夜になり寮に顔を出すと、ちょうど月に一回の誕生会をやっていた、(誕生会とは名ばかりで月に一回、寮生で一杯飲むわけさ)その席になんと実験で乗船した時の船のキャプテン(船長)がいるではないか、えっ、なんで!いま○○海運を退職してきました、するとどうだ、おーそうか、うちの会社にこいや!船をおりて船員課長として勤務しているとの事、すんなりと○○汽船に入社する事になった。それから北米航路の貨物船、南太平洋のニューカレドニア航路のニッケル鉱専用船にそれぞれ二回ずつ乗船、不定期貨物船に1年間乗船し、私も人並みに大阪で素敵な女性と結婚式を挙げ阿倍野区に居をかまえた。そしてニューカレドニア航路の最新鋭船に一年間乗船しその後、本社勤務を命ぜられ東京に引っ越すことになった。板橋区坂下のマンションから皇居前の本社まで2年間通勤した、長男も誕生し楽しい日々であった。俺は船に乗るために船会社に入ったんだ、会社に無理を聞いていただき海上復帰し妻の故郷の大分に引っ越した。それからペルシャ湾航路のタンカーに2年間、三回乗船した。しかし船でもご多分に漏れず合理化の風が吹いている、エレクトロニクスの進歩にはすさましいものがある、、近い将来は船舶通信士がいらなくなるな、今度はこの無線の技術を陸上で生かしてみようと思うようになった。妻を説得し田舎に帰り商売をする事に決心し私にとっての激動の第二の人生に終わりを告げた、33歳の夏であった、、、

 

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[今日の話] 田舎での生活、第一の人生

2013-11-01

故郷を離れるとなると無性に昔が懐かしく感じられる今日この頃だ、子供のころ母親によく戦前、戦中の苦労話を聞かされた、内心、そんな昔の話をして何になるね、おら知らんでね、、とよく思ったが、今昔話を語ってくれた母親の気持ちが少し解る気がする。終戦の年に生まれた私は戦争の事は全く解らない、小さい頃着ていた寝間着のような着物に零戦の柄が入っていた記憶がある。百姓の6人兄弟の末から二番目だ、小学校に入学して2年生だったと思うが旧高田市に合併した、小旗を振って合併の歌を歌いながら村内を行列で歩いた思い出がある、歌のメロディーは解るんだが歌詞はほとんど忘れたが一部思い出される「、、、、、、、、南葉の峰を仰ぎつつ、、、、合併のーを、今日の佳き日を言祝がん(ことほがん)高田、高田、我らがたかだ」 帰りに紅白の饅頭をもらって喜んで帰った。小さい頃の遊び場と言うと当時あったお寺のお御堂か稲の刈り取りが終わった田んぼだ。田舎の学校なので関川の河川敷に広い畑があった、高学年に成ると汚い話だが便所の人糞を桶に入れて畑までリヤカーに乗せて運び肥料に使った、大根、サツマイモは沢山収穫出来た。夏休みは薬草採りの宿題がある、薬草を採り乾燥させて学校に持って行くが学年により決められた重さが違う、たくさん取ってきた人は表彰されたネ、夏休みが終わると学校へ行く途中イナゴを採りながら登校する、袋に細い竹筒を付けてもらい、生きているイナゴを取り竹筒のなかに入れてポンと叩くとイナゴが袋の中に落ちて逃げないってわけさ、学校に着くと全校のイナゴを集めて茹でるが赤くなり綺麗なもんだ、給食のオカズになったり、売って学校の色々な費用に使われる、田んぼの稲の刈り取りが終わると時々田んぼに出て落穂拾いだ、それが終わるとイナゴの卵拾いだが、これが結構なお金になったらしいね、冬になると学校にワラを持って行き運動場に並んで座り縄をなう、勿論学校のものになる。学校から帰ると忙しい秋はカバンを置き田んぼに行く、稲刈りの済んだ稲を干すはさまで担いで行くんだが刈り取りしたばかりの稲は結構重い、親に おー、力持ちだなー! なんて褒められてよく使われた、夜は今度は脱穀の手伝いだが、これが又ホコリで体中がチクチクして嫌で嫌で仕方がなかった。冬になると吹雪の時などは10メーター先が見えなくなる、雪が降り新雪は長靴がぬかるんで歩くのが大変だが同じ集落の上級生の後にくっついてマントを着て通学だ、子供の足だ、雪道は1時間近くかかったと思うが、特別に嫌だとか辛いなんて思った記憶はない、そのような時代だったんですねー、、中学に入ると自転車通学だ、舗装がされていない砂利道は結構、自転車乗りの技術、経験が要求される、義務教育が終わるまでの田舎での生活(第一の人生)は楽しく懐かしい思い出ばかりだ、半世紀以上たった今から見れば、時が流れたねー、、、

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プロフィール

名前は:ham 
年齢は:爺 ♂
血液型:B型 みずがめ座

辛い事もあったが楽しい事も、、
良い思いも沢山させて頂いた
激動の人生、
昔のこと、今の事、自由に綴る
我が人生、






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