[新米ドライバー] 参ったネ! ジャンボタクシーと色々なお客さん、

2012-09-30

今日は日曜日、仏滅で結婚式などもないだろうし、今日は暇だろう、ゆっくりさせてもらおうか、、! 案の定、暇だ、あまり暇なのもかえって疲れる、空車になり駅に戻る途中フロントから、昼食にしてくれ、その前にフロントに寄るように指示が、 ジャンボタクシーで1時間の貸し切り、行き先など不明だが観光かもしれないし、、、との事、観光となると一応、観光案内有資格者となる、どうせ暇だし、まーいいか、、、だけど1時間じゃ大した所を案内出来ないな、、昼食を食べて指定場所に行くと、暫くで台車に荷物をたくさん積んで一人の若い男が出て来た。沢山の荷物を積み終わると、チョット待って下さい、又ホテルの中に入って行った、すると暫くで又台車いっぱいに荷物を積んで出て来た、もう後ろには積めない、あとは座席に置いて下さい、、しかし、これじゃ人は乗れないぜ、旅行カバンが何個もあるが何人乗るんだろう、、、ほとんどが旅行カバン、バッグ、紙袋だ、、これじゃ電車の時間まで観光と言う雰囲気じゃないな、しかし、何処まで行くんだろう、、と、又台車に荷物を一杯に積んで又出て来た、広いジャンボタクシーの座席、通路は荷物で一杯だ、私一人だけ乗ります、○○○まで行って下さい、、 何だ、近くじゃねーか! 目的地に着き、荷物を降ろすと、もう一度今のところまで行ってくれ、と言う、又ホテルに戻ると台車で荷物をどっさりと持ってくる、後ろから座席まで荷物で一杯だ、まー、汚い物を積むわけでもないし、殆んどカバン、バッグ類だし、貸し切りだ、時間内は仕方がないか、、、又先程のところまで荷物を運ぶ、そして荷物を降ろし終わると、今までの経過時間を確認して、先程のホテルまで戻って下さい、そこでお支払いします、、と言う、勘の良いhamさん、大体の状況は想像出来るんだが、、お客さん、沢山の荷物で大変ですネ、いつご出発されるんですか、? あまり話したがらないようだが、ぼそぼそと、、、、色々とご事情がおありのようだが、 これだけの荷物は普通のタクシーでは運べない、運送会社やレンタカーを使えばそれなりの料金がかかる、成る程、ジャンボタクシーを1時間の貸し切りで使うのが一番、安くあがるって訳だ、 お主もやるよのー、、! 参りましたって― !

 

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[古い航海日誌 霞峰丸③] CQ CQ アマチュア無線

2012-09-28

 

 

船内時間の24:00 ワッチ(当直)が終わると、相変わらず艫のドクターの部屋まで行き、趣味のアマチュア無線を楽しむ、 好きだねー! 自分でもつくずく思う、他の乗組員によく、 次席さん、仕事で無線をやり、休み時間にまで無線をやらなくても麻雀をしましょう、、、と言われるが、、、真っ暗闇のフライングパッセージをかすかに艫のドアーのポールド(窓)の明りを目印に歩く、空は満天の星だ、南十字星がきれいに輝いている、日本では見れない光景だ。

ペルシャ湾、アラビア海、を航行中は日本とは時差が大きく21Mhzでは電波伝搬状態からしてチョット厳しい、こんな時は21Mhz用のダイポールアンテナにカップラーで無理やりにのせて14Mhzで電波を出す、飛びはいまいちだがCW(電信)で結構ヨーロッパとQSO(交信)できる、たまに日本の局ともつながるが、出力も1KWは出ているだろう、それにアンテナも良い物を使っているんだろう、、。

インドの南、セイロン島を過ぎると日本とのQSO(交信)もし易くなる、いつもと同じ周波数で、 CQ CQ CQ こちらは JR6KRG/MM JR6KRG/MM 海上移動、、、、 受信に移ると多くの日本の局に混じってアフリカの LESOTHO (レソト) 7P8 の局が呼んできた、非常に珍しい珍局なんだ、こりゃ有難い、先ずこちらと交信してだな、、! 簡単な交信が終わると今度は私を呼んできた局が一斉にアフリカの 7P8○○ の局をコールする、 しかーしだ、、!  ここはJR6KRG/MM 局が使っている周波数だから、、、と言って引っこんでしまう、このへんは日本の局と違ってマナーが良いと言うか、相手にしてみれば日本の局なんか珍しくもないザコだわね、、前航、本船を訪ねて来た岡山の局とも久し振りにQSOできた、外国航路の船からアマチュア無線をやっているのはまだまだ少ないので、もてる事もてる事、嬉しい悲鳴だわね、、、北海道から九州まで毎日、沢山の局が呼んできてくれる、、乗船前に作った500枚のQSLカード(交信証) (写真)も2航海で無くなることに、、。

15局と交信したが、そろそろ伝搬状況も悪くなったしそろそろ終わりにするか、しかし交信が終わるとまだまだ当局を呼んできてくれる局がいる、、日本ではそろそろ明るくなってくる頃だが、きりが無い、丁重にお詫びお断りして、今日はこれで終わり。真っ暗闇の中を部屋に戻り、さてと、シャワーを浴びて一杯といくかね、、、、。

 

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[我が故郷] 「メテレスキー」 日本のスキーはここから始まった

2012-09-27

 

日本で初めてスキーが伝えられたのがご当地、上越市高田地区(旧、高田市)である事は有名であるが、実際にどの場所で伝えられたのか、、、私は地元の金谷山スキー場とばかり思っていたが、(ほとんどの人はそう思っているに違いない、)実は初めてスキーが伝えられた場所は違うんだ、、、。

 

今から約百年前の明治44年(1911)1月12日、オーストリア・ハンガリー帝国の軍人、テオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐がご当地にあった旧陸軍第13師団第58連隊、営庭内の第1大隊雪中演習所で、第58連隊の14名の将校にスキーの指導をした。 スキー指導は「メテレスキー」 Mettez  les  ski  (スキーを履きなさい) から始まりました。市民団体「レルヒの会」がスキ―発祥100周年を機にレルヒ少佐の日記、第58連隊の地図など色々な資料を参考に調査し、上越市南新町の市立城西中学校の西側と特定し、歩道に面した城西中学校の敷地内に記念碑と案内板(写真)を設置した。レルヒ少佐が伝えたスキーはその後高田から日本全国に広まり、スキー倶楽部の結成、スキーの競技会の開催、スキー用具の製作、スキー民謡の誕生、、、などなど全てが高田から始まり、この地(写真)が日本におけるスキーの原点である。金谷山公園スキー場にはレルヒ少佐の銅像、スキー発祥記念館、スキー発祥の記念碑、等がある、、。  =案内板より一部抜粋=

 

 

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訓練所の悪い仲間

2012-09-26

訓練所に1ヶ月ほど通学し始めると大体の要領は解ってくる。自転車で通学してくるグループ、寮で生活しているグループ、汽車通(きしゃつう)と呼ばれる汽車で通学してくるグループ、、この汽車通の中にとんでもない悪が2~3人いる、中には少年鑑別所の経験者もいる。各科に又この悪にくっついているのが1~2人いる、 おい、われ、モク持ってねか、!(おい、おまえ、タバコ持っていないか) 悪グループが休み時間に実習場に来るんだ、 おい、一服吸えや! と言って自分の吸っている ” いこい ” と言うタバコを出す、 いえ、いいです、 なんて言えば、 おまえ、俺のモク吸えねってのかよ! となる、しぶしぶと、むせながらタバコを吸う、初めのうちは一服吸うと気持ちが悪くなったもんだが慣れればどうってことはない、とうとうタバコを覚えちゃったね、、、 それでも自分でタバコを買って吸うことはない、実習場で休み時間に仲間が、まわし と言って一服ずつ回して吸うくらいだから可愛いもんだ。中学を卒業して現役で入学して来た生徒は三分の二くらい、他は高校を中退して来た者、中退と言うより退学だろう、、社会人などだ、でも結構、楽しかったな、、。

 

夜の定時制高校は全員が昼間働いている人、昼間学校へ行っているのは私だけだ、同級生の半分くらいは私より年上だ、中には二十歳をとうに過ぎた人も数人いた、二十歳を過ぎ兄弟で通学していた二人、成績は常にトップと二位、高校に行きたかったが、色々な事情で高校へ行けなかった人がほとんど、頭の良い仲間もいた、宿題を出さないと勉強をしないからね、、、、、と言ってほとんどの先生が宿題をだす、それでも学校の帰り、たまに自転車置き場で遇う同じ方向に帰る女の子と途中まで帰るのが楽しみでもあった、、、、。

 

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[今日の話] 家庭菜園

2012-09-25

春から楽しませていただいた我が家の猫の額ほどの家庭菜園、ナスはまだかなりの実を付けているのでナスだけを残して他は鍬で耕して堆肥を蒔き、もう一度丁寧に耕して堆肥を混ぜる、そして5本の畝を作った、そこえキャベツの苗を12本植えた(写真) 。あとの2畝は大根の種を蒔いたがネ、、、これが問題だ、本来であれば8月の下旬から9月の初旬頃までに種蒔きをするようだが、仕事が休みの時は、山行きなどで遊び呆けていた、、、よその畑を見ると大根は既に10センチくらいに成長している、キャベツも巻かないかもしれないネ、、、白菜も試しにポットに種を蒔いてみたが、芽が出て少し大きく成ったら畑に植えようと思うが果たして上手く行くかね、、、今年はイチゴもプランターから花壇の一部に移して苗を増やしたので来年が楽しみだ。ついでに草取りに精をだし、1週間振りの休みも終わりだ、、、、。

 

 

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[hamさんの日本の歌心の歌] 岡本敦郎  ♪ 憧れの郵便馬車 ♪

2012-09-24

 

 

           憧れの郵便馬車

   

        作詩 丘灯至夫  作曲 古関裕而
        昭和27年  唄 岡本敦郎


      1 南の丘を はるばると
        郵便馬車が やってくる
        うれしい便りを のせて
        ひずめのひびきも かるく
        耳をすまして ごらんなさい
        ほらほらほらほら やってくる
        郵便馬車は 夢の馬車


      2 レモンの花の 咲く道を
        郵便馬車は 日に一度
        うれしい便りは 誰に
        君 僕 あなたの胸に
        広い牧場の おひるどき
        ほらほらほらほら やってくる
        郵便馬車は 夢の馬車


      3 峠を越えて はるばると
        郵便馬車の 見える頃
        うれしい便りは まだか
        若者みんなが 待つよ
        耳をすまして ごらんなさい
        ほらほらほらほら やってくる
        郵便馬車は 夢の馬車

 

昭和20年代、我が家にはテレビなんて無い、しかし周りには負けない性能の良いラジオがあった。短波放送が聞けるんだ、巨人ファンで野球キチの私はフェージングの中から聞こえる巨人戦の実況放送をラジオにかじりついて聞いた記憶がある、確か監督が水原 茂、ピッチャー、別所、大友、キャッチャー、藤尾、広岡、与那嶺、選手あたりが活躍していた頃だ、そんな中で歌の番組もあり、よく聞こえて来た歌、岡本敦郎の ”憧れの郵便馬車” 甘い、いい声しているなー、テレビのないラジオの時代の昔の歌手は実力本位だ、鍛え方が違うな、、「朝はどこから」でデビューし「高原列車は行く」 「白い花の咲く頃」 など多くのヒット曲を残している。北海道小樽市生まれで武蔵野音楽学校(現、武蔵野音楽大学)声楽家を卒業、90歳近い今でもたまにテレビに出演され甘い美しい声を聞かせている、いつまでも現役でいてもらいたいなー、、、、

 

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[新米ドライバー] 母は強し、、

2012-09-23

この仕事をやっていると色々なお客様をお供する、短い時間、狭い車内でのチョットした会話だが、それが自分にとって貴重な経験となり勉強になる事が多々ある。その中で重度の知的障害者(以前は精神薄弱者と言っていたようだが)をお供する事がたまにある、一人では行動が出来ない重度の障害者、従って付き添いの人が同伴だ、この様なお客さんには、どのように接したら良いのか素人の私には解らないが、私はごく普通のお客さんと同じように接するようにしている。

 

母親は80歳近いと思うが普段は障害のある子供さんは施設で働いておられるようだが、たまに休みになると家に連れてこられるようだ。この子の手を引いて何度、線路を歩いたか、、、、でも寝ている顔を見ていると、この子には何の責任もない、、逆に自分のしようとした事が、しょーしくてね、、(恥ずかしくてね、、)、私が元気なうちはこの子に良い思い出を作ってやろうと思ってるのさね、、、他人の私に何で生々しい告白までしてくれたのだろう、、普通なら人前に出したがらないし、隠したがるのではないだろうか、、、、。

 

母親は70歳はゆうに超しているだろう、頭にヘッドギアーを付けた子供さん、子供と言っても年齢的には50歳くらいにはなっておられるだろう、普段は施設に居られるようだが、手を貸してあげないと一人で歩くのも困難のようだ、子供さんに、色々と言い聞かせたり注意したり、しかし本人は解っていないようだな、、、運転手さん、大人の子供だから大変ですヨ、、 と言っておられた、しかしその言葉には暗い悲壮感は感じられない、、、、。

 

母親はやはり80歳近いだろう、もうお婆ちゃんだ、子供さんは車椅子で家に居られるようだが殆んど喋らないのか、喋れないのか、声は聞いた事が無い、病院にお供するが、車内では色々と積極的に世間話をされる、私がまだ動けるうちは良いんだけど、動けなくなったらどーしよう、、 と言っておられた、、、、。

 

どの家庭にも共通して言えるのは母親が家庭外での付き添いをしておられる、父親が同居しておられる家庭もあるんだが、それにどの母親も暗いところは全く無い、むしろ、どちらかと言うと明るい、もう諦めておられるのだろうか、、いや、そんな事はない、これが母親の愛情と言うものなんでしょうネ、、昨夜、テレビで生まれつき両手両足の無い女の子が苦境に耐えてたくましく成長して行く姿、それを支える母親の姿が放映されていた、いざとなると女は強い、もし私がこれと同じ立場ならどうだろう、、多分、こっちが病気になるだろうな、、、、

 

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[街中で見かけた話題、光景] 駅前通り、明と暗

2012-09-22

 

直江津は昔、京の文化と蝦夷(えみし)につながる東の文化とが接する境界だったと言った人がいる、東西が引き合う磁場だ。直江津の位置にコンパスの針を置き、北の北海道、稚内から円を描くと南は奄美諸島だ、いわゆる日本の真ん中の地、、、親鸞聖人が流罪となり上陸された地、直江津、、越後の国府(今の県庁所在地)があった地、直江津、、戦国時代、京に次ぐ都会であったと言われる地、直江津、、昔、北前舟が寄った港のある地、直江津、、北陸本線の終着駅、ほくほく線、信越本線の通る直江津、、輝かしい歴史を造ってきた直江津であるが、昨今は残念ながら大部分の地方の都市に共通して言える事であるが昔は盛況をきわめた駅前通りが寂しくなりつつあるのではなかろうか、、、。

 

今年に入り直江津駅南口(写真左)がにわかに話題になり始めた。今までは何もない、地元の人が南口を少し使うか、北口に通じる、あすか通り を利用する人が出入りする程度、、しかし今年に入り南口に中部電力上越火力発電所の6階建ての単身寮(写真右)が完成し生活が始まっている、又、南口前には国際石油開発帝石(INPEX)の単身寮も建設中で来春の完成予定と言う。又、南口を出た徒歩1分の東側に東京のアパグループが温泉付きの9階建てマンションの建設に着手し来年の7月に完成し販売も始まった。南口には歩いて5分位のところに新潟労災病院もあり、町に活気が出ると期待されている、、、、。

 

 

明るい材料の南口に比べ、表口の直江津駅北口(写真)は元気が無い、かっての賑やかな駅前通りの姿は無い、駅前の老舗旅館も2月で廃業し、取り壊され今は空き地になっている、シャッターを降ろす旧店舗もジワジワと増えて来ているように感じる、建物を壊し空き地も出て来ているようだ、、。平成27年春に北陸新幹線が開業すると、現在のほくほく線の特急 はくたか 信越本線の特急 北越 などが全て廃止になる予定である、(新幹線の駅は高田地区に建設中)こうした事が商店街活性化の意欲にブレーキをかけているのは否定できないと思う、、、商店街でも色々と対策に苦慮されているようだが、、歴史のある我が町、外部から観光客を呼び寄せる名所、史跡は豊富だ、ネタは沢山ある、後は如何に呼び寄せるかだ、、、行政を巻きこんだ大胆な施策が必要ではないだろうか、今年に入りトキの野生での誕生のせいだろうか、直江津から佐渡に渡る関西方面からの団体の観光客は激増している、行きか帰りのどちらかにご当地で一泊し観光地を回ってもらうのも良いのではないだろうか、旅行社と交渉するのはどうか、、、! 花見の時期、夜桜と観光地を回るツアー、 夏のハス祭りの見学と観光地を回るツアー、 夏休みの時期、子供の海水浴、水族館、などを廻る子供用のツアー、 親鸞聖人の足跡を辿るツアー、、など等、旅行社を巻きこんだ企画などが必要ではないだろうか、、、。

 

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[仲良し、ちびっ子二人] ちびっこの沖縄、、

2012-09-21

 

うしろのホテルにとまりました、、、 ごきげん、、!

 

     うしろのシーサーより、あたしの方がかわいいでしょう、、、!

 

もうすぐ三歳です。

 

 

 

 

一歳の、ばかわらい、、、

 

               やばい、 おしとやかにしなくちゃ、、、!

 

 

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[新米ドライバー] 直江津漁港

2012-09-20

 

昨日、今日と JICA(国際協力機構)の仕事で主に東南アジアから研修で来られているお客様をお供しジャンボタクシーで直江津漁港に10回近く行った。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されている直江津港は日本海側を代表する港であるが、膨大な敷地の港の一角に直江津漁港(写真)がある事は地元の人もあまり知らないだろう。漁業協同組合の建物も建っておりたくさんの漁船が係留されていた、でも漁に出ている船も結構いたようだな、、、

 

 

 

その中に遊漁船(釣り船)第二八坂丸、 里輝丸、も係留されていた、目の前でじっくりと眺めるのは初めてだが、なかなか大した設備だね、、凪の時は県内外からたくさんの釣り客が訪れるようだ、昔、100馬力の船内外機を搭載したプレジャーボートを持っていて夏はたまに沖に出たもんだがスクラップになった。船を見ていると、、 釣りか―、、釣りも良いなー、、 仕事を完全にリタイヤーしてサンデー毎日、にでもなったら釣りでもやってみたいもんだねー、、、。

 

国際協力機構

独立行政法人 国際協力機構(Japan International Cooperation Agency)略してJICA は外務省が所管する独立行政法人で政府開発援助(ODA)の実施機関の一つであり開発途上国などの経済及び社会の発展に寄与する事を目的として設立された。

 

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[古い航海日誌 霞峰丸③] スナック ”霞峰丸” 開店、

2012-09-19

サウディアラビアのカフジで原油を満載した本船は夕方、ブイを離れて日本に向け航海に出た。中近東での停泊は色々と制約があり1時間でも早く出港したい、、、 停泊中はタバコを吸うのにも苦労する、当時ヘビースモーカーのhamさんには堪える、そして楽しみの酒も飲めない、、夜の12時、当直が終わり直ぐに腰にバスタオルを巻き付けてバスルームに行く、ここは男の世界、誰にも気兼ねする事はない、、、、。日中は40度を超す暑さだが夜になれば結構涼しくなる、復航ともなると酒のおつまみもだいぶ底をついてきている、パントリーに行き玉ねぎを薄くスライスし、これに熱湯をかける、これに鰹節とマヨネーズをかけて醤油をかければ最高、、後は残っている6Pチーズ、それと停泊中に釣ったアジの開きを電熱器でさっとあぶる、、、  さーてと、スナック ”霞峰丸” の開店です、!  先ずは免税の缶ビールを一缶、ぐぐっと一気に空ける、、2日ぶりに飲むビールは最高ですでね、、そしてこれも免税のお気に入りの ニッカウヰスキー G&G のロック、氷の固まりをアイスピックでかち割った氷をグラスに入れて、ウイスキーを注ぐ、グラスを手に持って2~3回まわして口に当てると何ともこおばしい香りがツンと鼻をつく、、一口、口に入れて一気に飲み込む、この時のピリッと喉を通る感触がなんともいいネ、、、ラジオのスイッチを入れてみるとアラビア語の放送ばかりでチンプンカン、、、今頃、妻と長男はどうしているだろうか、元気でいるだろうか、、、チビリ、チビリと3杯くらいやっつけると部屋の時計は2時を差している、日本では朝だ、そろそろ寝るかな、、、。

 

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[hamさんの登山記] 鉾ヶ岳 (1,316m) 登山

2012-09-18

 

仕事で毎日市内を走り回っていると妙高連山、南葉山、に続いて北の方に連ねている山が見える、糸魚川市能生地区の背後にそびえる権現岳(1,104m)、突鶏ノ峰(1,280m)、鉾ヶ岳(1,316m)だ。前回、権現岳は登ってきたんだが今年の目標にあげていた鉾ヶ岳に行ってきた、おりしも我が地方は日中、37,6度を記録した猛暑日だ。前回の権現岳はロープ、鎖、番線、を使って登る箇所が多い結構きつい登りであったが、今回はそれを上回る厳しさだったなー、標高こそ1,300メーターくらいの山だが、高低差は1,066メーターある、今回は島道ルートで登る予定にしていた、距離は3,910メーターだ。

 

06:30に家を出発して国道8号線を糸魚川へ、途中、能生町から県道を棚口温泉方面に向かい、途中から島道へ向かう、周りの田んぼはイネがすっかり実り稲の刈り取りの最盛期だ。登山口近くより臨む鉾ヶ岳(写真)、見た限りでは極普通の山に見えるが、これが結構厳しい山だ。ピークの少し左に見える険しい大岩峰は金冠山だ。07:25 島道ルートの登山口のある島道鉱泉に着いた、5~6台くらい止められる駐車場があるが先客はいない、支度をして登山者カードに記入し07:35 登り始めた、、、。

 

 

 

今日は天気は一日問題ない、周りの景色でも眺めながらゆっくりと登れば良い、これが単独登山の良いところだわね、登り始めると途中、蜘の巣には閉口した、ステッキで蜘の巣を払いながら進む箇所が何回も有ったのには参ったネ、、、それだけ登山者が少ないと言う事であろう、急登などもある道を30分ほど進むと、溝尾コース(溝尾登山口、金冠、鉾ヶ岳)と島道コースの分岐点に出た。暫く行くとコンクリートの小さなU字構の上にコンクリートの蓋をしたU字構が通っている箇所を進む、草に覆われているが、このU字構が無ければ登山道を見失いそうである。ロープを使って登り暫く進むと、今度はロープを使い沢に降り向い側に渡り暫く行くと、登山口を出発して約1時間後の08:45、滝が三段に流れ落ちる三重の滝(写真)に出る。ここで少し(10分ほど)休憩とした、紅葉の時期は良い眺めとなろう、、、。

 

 

 

三重の滝を出て相変わらずのロープを使っての登り、ロープ、鎖が無いがえらく急な登りもある、手と足を使って岩に掴まり、木の枝、根っ子に掴まり進む、1時間ほどで景色の良いところに出た。日本海、我が町も低い山越しに見えて来た、ここで15分ほど休憩とした、10:00 に出発し又急な登りの連続だ、急ぐ事はない、怪我をしないようにゆっくり登れば良い、、、 自分に言い聞かせ、何回も何回も立ち止まり息が荒くなった呼吸を整え登る、2時間ほど歩くと上の方が明るくなっている、んー、頂上か、? 2時間20分後の12:20 大沢岳の頂上(写真)に着いた。ここから目的地の鉾ヶ岳までは30分と書いてある、えー、未だ30分もかかるの、い―加減にしてもらいたいね、、又最後の力を振り絞って歩きはじめる、暫くは稜線を歩くが最後は登りだ、、、。

 

 

登山口を出発して休憩を含め5時間20分後の12:55 ついに鉾ヶ岳(1,316m)の頂上に立った。頂上からは360度のパノラマだ、先客もいないし裸になり汗でびっしょりの下着、帽子、手袋などを乾かし、途中コンビニで買ったオニギリを食べた、いつもの事だが美味しいこと、、至福のひと時だ、、、。

 

 

頂上からは日本海は勿論、米山、焼山、火打山、などの妙高山群、三峯山、重倉山などの南葉山魂、戸隠連山、海谷山魂越しに北アルプスの後立山の諸峰が望める、、感激だねやー、、、 私は山の素人で詳しい山の事は解らないが避難小屋の中に周りの山々の写真と共に説明が書いてあるって訳さ、お礼に戸を開けて空気を入れ替え簡単に整理をしてきた。元来た道を引き返す予定であったが、どうも少し下にドーム状に天にそそり立つように見える大岩峰、金冠が気になる、、、。

 

 

頂上で思案の結果、帰りは大沢岳から金冠(写真)を通り溝尾コースを行く事にした。頂上で35分ほど休み13:30 下山を開始した、大沢岳を通り14:00金冠山(1,140m)下に来た、ロープが垂れさがっているが見上げるような足場の悪い急登だ、足を滑らせれば命は無い、どうする、引き返すか、、? 登っても今度は向こう側の急な下りだ、、、。

 

 

男だ、行け! 意を決して登る事にした、慎重に足場を固め、ロープを掴み、木の根っ子を掴み一歩一歩登る、そして金冠山(写真)の頂上に立った。狭い頂上から何も遮るものはない、見事な展望だ、暫く景色に見惚れてしまった、、5分ほど滞在し14:05 下山開始だ、下山道を見降ろすと恐ろしく急な下りだ、しかしここをクリヤ―しなければ帰れない、ロープを頼りに一歩一歩下りる、足の短いhamさん、ところどころ足が岩場の凹みに届かないところがある、、参ったネ、長い急な下りを進み 5/8 の標識を過ぎると急降下とロープは一段落で14:45 シゲクラ尾根に出た、。

 

 

シゲクラ尾根 の標識からは尾根ずたいに比較的歩きやすい広い登山道が続く、そして 15:40 溝尾登山口と島道登山口との分岐(写真)に着いた。ここで5分ほど休憩、ここから島道コースの分岐点までの接続ルートは地図では560メートルと書いてあるが、時間的にどの位かかるのかチョット不安だが車は島道登山口に置いてある、ここからは通る人もほとんどいないのであろう、又蜘の巣を払いながら進む事30分、島道コースとの分岐点に到着した。ここからは登る時に通った道だ、迷う事はない、予定通り20分後の16:45 島道鉱泉のある登山口に無事帰ってきた。頂上を出て3時間5分、まーまーのところだ、それにしても出発してから休憩を入れて9時間5分もかかった。今回も色々と勉強をさせられた山行きであったな、登山口で靴を履き替えて17:40 無事に家に帰ってきた。

 

 

 鉾ヶ岳登山のスライドショーは    = こちら =

 

 

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脅威の自転車通学始まる、

2012-09-16

いよいよ4月から昼間は職業訓練所、夕方から定時制高校へ自転車での通学が始まった。当時の職業訓練所、今のテクノスクールは戦国の武将、上杉謙信公の居城があった、春日山下(埋蔵文化財センターのあるところ)にあった。家からは丁度、関川を挟んだ対岸の方向だが木でできた春日橋は関川(当時は荒川と呼ばれていた)の洪水で流失してしまい上流の稲田橋を迂回しなければならない、従って倍の時間がかかる訳だ、毎朝7時には家を出発する、家を出てから町までは砂利道だ、バス、車が通る県道は穴だらけで、又道路の真ん中は玉砂利がゴロゴロして自転車で走るには結構技術がいるネ、、、訓練所まで1時間はらくにかかる、、雨の日も、風の日も、嵐の日も、とにかく自転車だ、当時は今ほど自動車も走っていなかったけどね、勿論、我が家には自動車なんてのは無い、50ccのヤマハのバイクが1台あるだけだ。授業が終わると又1時間かけて自転車で家に帰る、もう腹が減ってペコペコだ、両親は田んぼ、畑に行っていて家には誰もいない、戸棚を開けて何か口に入るものを探すが今のような大きな立派な冷蔵庫なんて無い時代だ、ましてや百姓の家庭にはそんなに旨い物はないネ、、、、ただ白いご飯だけはたくさんある、生卵をご飯にかけて、空腹の胃袋に流し込む、、、休む間もなく今度は定時制高校へ通う、これも家から学校までは3~40分はかかる、同級生は殆んどが私よりも年上だ、昼間、町工場で働いている人、自衛官、病院に勤めている看護婦見習いだろうか、、など等いろいろだ、1時間目の授業が終わると簡単な給食だ、給食と言ってもコッペパン1個に牛乳1本だけどね、、、又2時間目の授業が始まる、この頃になると昼間の疲れで、机に顔を付けて寝ている姿が見られる、それでも先生によっては容赦なく宿題を出す、、情もない鬼だネ、、、 9時過ぎに授業が終わると又夜道を一人、自転車を漕ぐ、今のような変速機の付いた自転車じゃないですヨ、、ママちゃりだわね、、、。

現在、毎朝仕事で駅前の待機場所で待機していると7時を過ぎると30分間位、駅前のロータリーは駅から電車で通学する高校生を乗せた親の車でごった返す、、時代が違うと言えばそれまでだが、つくづく時の流れを痛感する、、、良き時代だねや、、!

 

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[新米ドライバー] 久し振りの観光案内

2012-09-15

週末の今日は08:30からの勤務、いつもの7時からの勤務に比べ朝はゆっくりだ、駅の正面に出て待機していると下りの一番の特急が入ってきた、おー、結構、混んでるなー、一人の結構太った男のお客さんが乗車された、いやー、ばーか混みしていたね、東京からずっと立って来たわね、、と言う、えッ、この人こちらの人か? 単身赴任で週末に帰って来るんだが今週は3連休で少しゆっくり出来るね、、孫に顔を忘れられそうだわネ、、 お孫さん、何歳ですか? と尋ねると嬉しそうに、 2歳でね、、ほー、それじゃ可愛い盛りですネ、、 はー、孫の顔を見に帰ってくるようなもんさね(帰ってくるようなもんです)、女房なんてもうわすんちゃたわね(女房はもう忘れちゃいました)、、この位の歳になると皆、同じような事を言うね、、、、。

 

昼食が終わり駅の構内で待機しているとフロントに寄るように指示がきた、待合室に行くと80歳はゆうにこえたと思われるご夫婦に中年の二人の女性だ、どうやら親子のようだな、、東京から来られたと言う、男性(お爺ちゃん)が言われるには、母親の生まれがご当地だそうだ、最近、母親の田舎がよく夢に出てくるんで一度訪ねようと来ました、、、、と言う、助手席にご乗車の一番お若い(若いと言っても50歳近いだろう)女性、来る前にご当地の事をJTBで聞いたんだが観光地は良く解らないのでご当地のホテルにでも聞いてくれと言われたので良く解らないんですが観光地はありますか、電車の時間まで1時間半から2時間くらいの予定で運転手さんに任せます、、との事、いえー、お客さん、ご当地は正直なところあまり知られてはいませんが有名な名所、史跡はたくさんありますよ、、最初に海岸線にある、山椒大夫に出てくる 安寿と厨子王の供養塔に案内した、ご当地は昔は越後の国府があったところ(今の県庁所在地)、戦国時代は京都に次ぐ都会であった事などをご説明、、えー、運転手さん、やっぱりベテランなんですネ、詳しいわ、、ときた、いえ、歳だけはベテランなんですが仕事は未だ新米のようなもんです、、、その後親鸞聖人ご上陸の地、居多神社、国分寺、などを案内したが、ご高齢で歩くのが大変なようなので夫々、車を止めて車の中からのご説明だ、物を見ないで説明するのも結構大変なんですでね、、それから国府別院、林泉寺、春日山城跡、浄興寺、スキー発祥の地の金谷山、高田公園(高田城跡)などをご案内、高田公園では時期を終え僅かに咲いている東洋一のハスのお濠を見てたいそう驚いておられた、これは、上野の不忍池のハスより凄いですネ、、いやー、観光地が無いどころか素晴らしいところがたくさん有るじゃないですか、、、駅に戻る途中は大きなショッピングゾーンを通り電車の時間まで少し余裕があるので1時間半が2時間近くの大サービスで久し振りの観光案内が終った。思いがけなく、お心遣い(チップ)までいただいちゃった、、、。

 

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[今日の話] 残暑お見舞い申し上げます、

2012-09-14

 

 

まだまだ暑い日が続いています、 

 

体調など崩さぬよう、くれぐれも

 

    ご自愛下さいませ。

 

               by   ham    

                                          

 

 

 

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[我が故郷] 最賢寺と仏教学者、金子大榮

2012-09-13

 

上越市南本町3丁目にある真宗大谷派 最賢寺(写真)、慶長9年創設の約400年の歴史を持つ寺院である。境内墓地の一角に青々と茂る「大イチョウの木」 (写真)、樹齢300年、樹高35メーターのイチョウの木は上越市の文化財に指定されている。 仏教学者であり元大谷大学名誉教授 金子大榮師生誕の地である。

 

金子大榮

明治14年(1881)5月3日最賢寺住職勇榮の長男として誕生した。少年期はこの地で過ごし、中学4年の時に高田を離れ、真宗京都中学(現大谷高等学校)に編入した。明治37年(1904)真宗大学(現大谷大学)を卒業、その後郷里の高田へ戻り布教と郷土の子弟の教育に専念していたが、著書「真宗の教養及其歴史」が世に認められ、大谷大学教授に迎えられた。この間、宗教誌「精神界」 「見眞」 「佛座」 の刊行などに関わり、仏教界の発展に心血を注いだ。

昭和3年(1928)教義の解釈上の問題から大谷大学を去るが昭和17年(1942)再び大学教授に復帰し、昭和19年、大谷派の最高の学階である講師を授与された、1951年同大学名誉教授となり、昭和24年まで大学で教鞭をとった。以後も思索と執筆を続け「金子大榮選集」など数多くの著書を残した。仏教哲学一途に燃焼した生涯は、仏教界はもとより、日本哲学の道においても高く評価されている。昭和51年10月20日享年95歳の生涯を閉じた、、、。直江津の居多ヶ浜(親鸞聖人ご上陸の地)に建つ 念仏発祥の地 の碑は師の揮毫である、、。  

                             = 案内板より一部抜粋 = 

 

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[古い航海日誌 霞峰丸③] サウディアラビア、カフジ着、釣り三昧

2012-09-12

船がオマーン湾に近づくとムッと暑くなる、40度はらくに終えているだろう、恐らくデッキの鉄板の上に卵を落とせば半熟の目玉焼きにはなるだろう、、左舷にはオマーン王国が見える、赤褐色の低い山が見えるが、こんな処に住みたくないネ、、間もなく本船はホルムズ海峡を通過してペルシャ湾に入ったが、風が結構吹いていて白波が立っている、夜半過ぎに本船はラスアル・カフジの沖合に到着し、直ぐに入港手続きが始まり30分位で終了、ブイに係留されて早速に荷役が始まった。

カフジ油田は、サウジアラビアとクウェートの中間地帯に位置し、日本のアラビア石油が1957年以降、サウジとクウェートからそれぞれ権益を獲得し、1960年に油田を掘り当てた。1日当たり約30万バレルを産出し、日本の石油消費量の約5─8%を占めた時期もあった。(1バレル=約159リッター)

 

外国と言ってもここは海の上、全くリクは見えません、アルコール類はストアーに保管し封印される、タバコも吸うところは船尾の食堂だけに制限される、航海中の方がよっぽど良いね、、原油を積み込み中は船のタンクからガスが出るため火気は厳しく制限される、従って仕事も制約を受けるため開店休業だ、外に出れば日中は恐ろしく暑いが、陽が沈むと急に温度が下がり肌寒い感じになる、現地の人はセーターを着込む人が殆んど、、釣りくらいしかやる事がない、他人の釣り竿を勝手に使い釣りをする、それが又釣れるんですわ、、入れ食い状態、殆んどアジだがね、! ペルシャ湾のアジは素朴だね、私のような釣り人の針にもかかってくれる、、、釣ったアジはすぐに開きにして(写真)デッキに干す訳さ、そして帰りの航海中の酒のおつまみになる、、、。

 

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[今日の話] 100万アクセス、有難うございます、

2012-09-11

 

5年前の平成19年(2007)7月14日、<古いスコアーカード>初めてのゴルフ、 で初めてブログがスタートした日だ、1ヶ月後の8月14日のアクセスカウンターは 1,869 であった、この頃の1日のアクセス数は120前後、10月16日に 10,317 で1万を突破した日だ、11月27日 20,023 平成20年2月1日 30,029 5月29日 40,070 8月6日 50,582 9月12日 60,094 10月16日 70,143 と1ヶ月1万位のアクセス数だった、平成21年1月20日 100,153 と待望の10万を突破した、そして約2年後の平成23年1月11日 500,480 と50万アクセスを突破し、今日夕方なんと100万アクセスを突破した(写真) 。朝パソコンを開くとアクセスカウンターが 999,564 こりゃ会社から帰った頃は999,950 くらいだろう、、丁度100万は俺がゲットしよう、、会社から帰りパソコンを開くと1,000,018 あちゃー、5分遅かったなー! なんのとりえもない還暦を過ぎた田舎のオッサンの書くブログ、自分でも信じられない数字だ、初めは呆け防止に、興味半分、遊び半分で始めたブログ、最近は毎日千を超すアクセスがあり、多い時は三千近くになる、何処のどなた様が覗いて下さっているんだろうか、、、又時々、貴重なコメントもいただいている、、、ただただ感謝に堪えない、、本当に有難うございます、、、、

 

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[hamさんの登山記] 百名山 高妻山 (2,353m)登山

2012-09-10

 

私のところから目にする事の出来ない高妻山、2年前までは名前すら知らない山だった。2年前から始めた山登り、色々と調べていると何とか日帰りで登れそうな距離にある事が解った。6月に戸隠山に登った時に戸隠連峰の最高峰で一番北に位置する別名「戸隠富士」と呼ばれる高妻山(写真)を見た。三角形に鋭くとがった姿を見て、いやー、急な山だなやー、、、! でも何とか制覇したいもんだな、、密かにむらむらっとするものがあった。 しかーしだ! 色々と調べてみると、これが大変な山らしい、もう二度と登りたくない山の一つだ、、、 とか 日本百名山の中で3つの最長行程のうちの一つである、、とか 登りも下りも極端に時間が変わらない、、 とか 実際に富士山よりも鋭鋒であろう、、、、。

単独登山で、もしもの事を考えると土、日、の方が登山者が多い、勤務が日曜休みは滅多にない、9日10日が休み、、しかも段々と陽が短くなってきている、9日の日曜日が今年最後のチャンスだな、、幸いにも天気も何とか良さそうだ、、、、。

 

 

朝3時半に起きて空を見上げると星も見える、よし、良さそーだな、、一人でお湯を沸かし食パン2枚とコーヒーで朝食を済ませて04:40家を出発、途中コンビニへ寄り、オニギリ、水、お茶、を買い込み上信越自動車道へ、信濃町ICで高速を下りて05:50戸隠キャンプ場入口の公営の駐車場に着いた。既に15台ほど車が止っているが殆んどが県外ナンバー、恐らく車内で泊まったか近くの民宿にでも泊まったのであろう、ここで靴を履き替えて準備して06:10出発だ。キャンプ場の中、牧場を通り20分後の06:30牧場の出口、登山道の入り口だ。暫くは渓流の音と小鳥のさえずりを聞きながら歩き、何回か渓流の対岸へ渡る、、、それからは登山道と言うよりも大小の石がゴロゴロした歩き難いところを歩き少しずつ高度を上げて行く、捻挫などしないように水で濡れた岩場の上などは再三の注意が必要だ、、駐車場を出発して1時間10分後の07:20最初の鎖場、骨滝に着いた、ここで5分ほど休憩して大きな1枚岩の滝と言うか水が流れ落ちる横の岩を鎖を頼りに登る、数回、鎖場を通り帯岩(写真)をトラバ―スだ、6月の戸隠山登山の下山時、ここのコースを通っているので大体の要領は解っているんだが、滑落すれば瀕死の重傷か下手をすれば命は無い、ここを過ぎると殆んど大小の岩がゴロゴロしたところを歩く、途中の氷清水で休憩と思ったが、気が付かずそのまま一気に一不動の避難小屋へ向った、、、、。

 

 

駐車場を出発して1時間50分、登山口から1時間半後の08:00予定通り高妻山と、戸隠山、西岳、方面の分岐点、 一不動 の避難小屋(写真)に着いた、ここまでは予定通り順調に高度をかせいだ。私と同年輩くらいであろうか、富山から来られたと言う御夫婦、50歳前後だろうか、ご夫婦の二組が先客で休憩中だ、最近はご夫婦で山登りを楽しんでおられる人が多い、、、チョット羨ましい気もするがネ、、、富山のご夫婦、以前に高速道の須坂のインターで雪をいただく秀麗な姿を見て料金所の人に尋ねると高妻山、との事でいつかは登ってみたいと思っていましたが、10数年振りにやっと実現しました、、と言っておられた。ここで5分ほど休憩して今日の目的地、高妻山の途中の五地蔵山(1,998m)に向かった、、、。 

 

 

08:15 二釈迦の石祠を通過、08:30 三文殊、写真の右側のいただきが五地蔵山(1,998m)だ、そこから左におれて幾つかのピークを登り下りして高妻山に向かう、未だ先が長いねー、!

 

 

08:45 四普賢 に到着、そして09:10 五地蔵、五地蔵山山頂(1,998m) (写真)に着いた。ここまでは東側(右側)が断崖の箇所があるが比較的足場も良く順調に距離をかせいできた、、、、。

 

 

五地蔵山山頂で10分ほど休憩して09:20 出発、09:25 六弥勅、09:35 七薬師を通過、ここを過ぎると、どんどんと下る、おいおい、そんなに下るなや、、帰りに又登らないといけないねか、、アップダウンのある苦しい行程だ、10:10 八観音に着いた、ここで10分ほど休憩して10:20 出発した、八丁ダルミと呼ばれる苦しいところだ、しかーしだ! この頃よりどうも体調がおかしい、息切れがする、これは高度があるから仕方のない事だが いつもとチョットちがうがネ、、、軽い高山病だろうか、この頃よりチョイチョイ下山者が軽い足取りで下りてくる、、恐らく夜明けとともに登り始めた登山者だろう、一不動の分岐点に高妻山まで150分と書いてあったが、あんなの全く嘘だ、よっぽどの健脚の人だな、、休憩の回数も増えて来た、倦怠感がある、休憩すると動くのが嫌になる、山登りを始めて初めての経験だ、、どうしよう、このままリタイヤーして下山しようか、、、下山するにしてもこの体調では容易な事ではない、、、。

 

 

だましだまし苦しい中、歩いて1時間15分後の11:35 九勢至(写真)に着いた。歩いている時間よりも休憩の時間の方が遥かに長い、頂上はそこに見えているんだが、山頂を目前にして断念するのも、かっこいいじゃないか、下山しよう、、いや、ここまで来たんだ、もう少し頑張れ、、二人のhamさんが格闘している、何回、下山を考えたろう、岩に腰かけて雲の掛かった山頂を見ていると雲がどんどん上に登って頂上がハッキリと見えて来た、、んッ、こりゃ俺に登れッ、、と言ってるんだな、思い腰を持ち上げて又一歩一歩、歩き始めた、何回も休んで岩に腰かけていると一不動で一緒だったご夫婦が下ってきた、そのうちに富山のご夫婦も下ってきた、いやー、頂上は虫が多くて食事は途中で辞めて下山してきました、、、 いやー、早いですネ、、体調が悪い、と言うのもカッコが悪い、眠くて途中で少しウトウト寝てきました、、貴方は近いんでいつでも又登れますよ、、えー、どう言う意味だい、俺がばてていると思ってんだな、、この頃より少し気分が良くなってきた感じだ、岩に腰かけて休んで、もう私の後ろを登って来る人はいないだろう、、と思っていると20代の男二人と女1人のグループが登ってきた、ふふー、言っていると、下ってきた60歳くらいの男、まだまだ、これからは、なおさらきついですヨ、、嫌な事言うな!何組か下ってきた、、気分も大分良くなってきた、胸突く急登で一歩一歩、手と足の両使いで登る、、、。

 

 

九勢至を出発して1時間30分後の13:05 ついに 十阿弥陀 (写真)に着いた。石祠、手水鉢(ちょうずばち)、青銅鏡、が置かれている。何とかここまで無事に登れた事に感謝し、無事下山を祈って浄財を置いて手を合せた。もう頂上はすぐ横に見えている、、、、。

 

 

岩の間を通って、十阿弥陀を出て15分、13:20 とうとう百名山の一つ、高妻山(2,353メーター)の頂上(写真)に立つ事が出来た。駐車場を出て7時間10分もかかってしまった、いやー、うれしかったねー、、。頂上からは360度のパノラマだが雲がかかったりで全てOK,と言う訳にはいかなかったが、周りの山々、戸隠連山、飯縄山、黒姫山、妙高山、火打山、焼山、雨飾山だろうか、後ろに乙妻山、、、、など等が見渡せたが北アルプスは雲の中であった、、、、。

 

頂上では多少の虫の歓迎も受けたが、私を追い抜いて行った群馬県から来たと言う20代の3人のグループ、静岡県磐田市から来られた40代くらいのご夫婦が先客だ、話をしていると生まれは清水市で昔、交換学生で私の故郷に来た事があると言う、世の中、狭いもんだねー、どうやら二人で百名山達成を狙っておられるようにお見受けしたがね、、、

途中コンビニで買ってきたオニギリを食べたが美味しい事、それでも身体がまだ本調子ではない、一個でやめた、この時間だともう登って来る人はいないだろう、密かに最悪な事を考えて私が最後の下山にならないように、群馬のグループが下山を始めたので頂上に20分ほど滞在して 13:40 下山を始めた、、、、。

 

 

帰りはどの位時間がかかるか解らない、陽もだいぶ短くなって来ている、遅くても6時前には下山しないとヤバイな、、、しかし見渡すと、この幾つものピークを越えて行かねばならない(写真)、未だ先が長いが頑張ろう、自分に言い聞かせて先を急いだ。登りに1時間半かかったところを45分で通過し九勢至に14:30分着、、登りに1時間15分かかったところを35分で下り15:20 七薬師着、ここで5分ほど休憩した。体調もほぼ回復し周りの景色を楽しむ余裕も出て来た、、、。

 

 

植物の事はあまり詳しくないんだが、登山道の沿道のあちこちには山の短い夏を惜しむかのように 妙高とりかぶと(写真) がたくさん咲いていた。しかーしだ! この辺まで来ると疲れもピークに達して来た。後は根性だな、、六弥勅、五地蔵、と通過し 15:55四普賢、16:10三文殊、16:20二釈迦、 を通過し16:30に一不動に着いた。ここで10分ほど休憩とした、しかし後ろの静岡のご夫婦、未だに追いついて来ない、、、一不動を出発して又ゴロゴロの岩だらけの登山道を下り、氷清水 で喉を潤した、直ぐに出発してどんどん高度を下げて行く、、、17時を過ぎると山の木立の中は既に暗くなりかけている、、先を急がねば、、でも怪我をしたら大変だ、焦る気持ちを抑えて慎重に下って行く、そして一不動を出発して1時間25分の18:05 牧場入口(登山道入り口)に無事に到着した。ここまでくれば安心だ、緊張がほぐれ、どっと疲れが、、、牧場、キャンプ場の中をトボトボと歩き25分かかり18:30 やっとの思いで駐車場に着いた。青く点滅する新号棒のようなものを持ったガードマンらしき男が近づいてきて、 お疲れさんでした、三人組の人に聞いたら(群馬からの三人組の事であろう)後からまだ小父さんと夫婦の人が下りてくると言うもんですから、、、どうやら夜間に無用の車がキャンプ場に入らないように警備しているようだ、18:30 ともなると暗くなっている、この時間だと後の二人は一不動の避難小屋泊まりですかネ、、、、チョット心配だが二人連れだし、山のベテランのようだし大丈夫だろう、、、、支度をして18:40 駐車場を後にして19:50 無事に自宅に戻ってきた。今回もまた色々と勉強をさせられた山登りであった。自分の体力不足を実感した、体力、技術の過信はしない事だな、、、

 

 

★ 高妻山登山のスライドショーは      = こちら =  

 

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[hamさんの日本の歌心の歌] バーブ佐竹 ♪ 女心の唄 ♪

2012-09-08

  女 心 の 唄

 

  作詩 山北由希夫  作曲 吉田矢健治

  唄、 バーブ佐竹

 

  1 あなただけはと 信じつつ
    恋におぼれて しまったの
    こころ変わりが せつなくて
    つのる想いの しのび泣き


  2 どうせ私を だますなら
    だまし続けて 欲しかった
    酔っている夜は 痛まぬが
    さめてなおます 胸の傷


  3 うわべばかりと つい知らず
    惚れてすがった 薄情け
    酒が言わせた 言葉だと
    なんでいまさら 逃げるのよ


  4 女ですもの 人並みに
    夢をみたのが なぜ悪い
    今夜しみじみ 知らされた
    男心の 裏表

 

 
 
私の青春時代、昭和40年前後はデビューする歌手がみんなヒットを飛ばす歌謡曲全盛期であった。そんな中でオリンピックの年、昭和39年12月に 「女心の唄」 でデビューした バーブ佐竹 いきなり250万枚を超える大ヒットとなった。翌年1965年のレコード大賞新人賞を受賞、その年の紅白歌合戦に出場、4年連続の出場を果たした。
 
バーブ佐竹、本名 佐武 豊(さたけゆたか)は昭和10年(1935)2月7日、北海道釧路市で生まれた、22歳の時に歌手を志して上京し、流しのギター弾き、クラブなどの専属歌手として長い下積み生活を経験して昭和39年「女心の唄」でデビューした。ギターを片手に唄う、あの独特な低音は女心をくすぐったに違いあるめ―、、私も好きな歌だ、悪いが決してハンサムとは言い難い細い目、、、当の本人も 「顔じゃないよ、心だよ」 と言った言葉が当時、流行語となった。その後 「ネオン川」 もヒットしたがその後はあまり記憶にない、、、、、、平成15年12月5日、多臓器不全により68歳で死去した。
 

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受験、想定外の出来ごと、、

2012-09-07

当時、我が町(旧市内)には公立、私立、合わせて7つの高校があった、しかしそのうち公立1校、私立2校は女学校で女子のみ、従って男の私の受験出来る高校は旧市内では県立の普通高校、工業高校、商業高校、農業高校の4校、将来は大学に進学する予定も無いし、そんなに頭も良くないし、当然工業高校を受験する予定でいた。当工業高校には確か5つの科があったように記憶しているが、私は躊躇なく電気科を希望した、私の同級生は終戦の年の生まれで全国的に生徒数が少なかった、殆んどの高校で定員割れである、しかし工業高校では電気科と機械科だけは定員オーバーで倍率は1、2~3程度であった、担任の先生いわく、電気科は出来たばかりなので未だ設備も良くないし、機械科にしたらどうだ、、、、 と言う、内心は電気科を希望なんだが、先生がそう言うんじゃ仕方がないな、、、と言う事で機械科を受験する事にした。

人並みに受験勉強もした、そして予定通り県立○○工業高校、機械科を受験した、しかしチョット気になる事もあったんだが、合格発表の当日、自転車に乗り合格発表を見に行った、既に校庭に合格者が貼りだされていた、、、 しかーしだ! 自分の番号が無い、そんな馬鹿な、よく見ろよ、、、、???? あれー、おかしいな、、 段々と現実味が帯びてきた、、頭の中が真っ白になった、不合格だなんて、もう一度よく見て見ろよ、、、、、しかし何回掲示板を見ても自分の番号が無い、試験に落ちたのか、どうしよう、、全く想定外だ、、! 家に帰れない、、途方に暮れて自転車でアチコチと走り中学校に行くと既に不合格であった事は先生は承知していた、そんなに気を落とすな、明日にでも○○君の家に行くよ、、、家に帰ると姉が仕事の帰りに合格発表を見て来たらしく不合格であった事は解っていた。県立高校は受験日が同じため他の学校を受験する事は出来ない、市内の私立校は女子高の為、受験出来ないし万事休す、、、厳しかった父親は、落ちたんなら働くしかないだろう、、、翌日、担任のY先生が家にやってきた、先生は、勉強して来年もう一度受験したらどうだ、なんなら今度は電気科でも受験したら、、、、と言う、そして遊んでいるのもよくないし、夜は県立○○高校の定時制(昼間は女子高)にでも行ったらどうか、ここは2次募集があるから受験したらいいのではないか、、と勧めてくれた、そして昼間は県立の職業訓練所(今で言うテクノスクール)に通う事にし、定時制高校、職業訓練所を受験しどちらも合格した。訓練所は農機具修理科を受験した、農機具修理科、いかにも田舎、昭和な感じだが別に、鍬や鎌などを修理する訳じゃない、今で言うエンジンなどの修理、整備、等と仕上げ工、などを養成、習得する、、、と言う事で私の第2の人生のスタートは昼間と夜と学校に通う事になった。ここが私の人生の第1の岐路でもあった、工業高校に合格していれば恐らく、良し悪しは別として今と又違った人生を歩んでいたであろう 、、、、、

 

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[新米ドライバー] 今日の直江津港

2012-09-06


仕事で港の横を通ると大小7はいの船が入港している、30,000トンクラスの大型貨物船が2はい、7,000トン位だろうか、定期コンテナ船、1,000トンクラスの小型外航船が2はい、800トンくらいの内航貨物船、タンカー、が各1ぱい、港外に大型船が1ぱい、沖待ちしている、岸壁は空いているんだが、恐らく荷役が出来ない為、沖待ちをしているんだろう、、夕方、仕事が終わってから佐渡汽船フェリーターミナルの展望室に行ってみた。5階の展望室からは直江津港が一望できる(写真)荷役が早いコンテナー船は丁度出港して港外に出たところだ、写真、左上の防波堤のところにうっすらと見えるのがコンテナー船だ、恐らく韓国か中国に向かうのであろう、写真中央のガントリークレーン(キリンのように見える)がコンテナー埠頭だ、その右側、タンク群のあるところが石油基地、その向こう側の大きなタンクがあるところが中部電力の火力発電所建設現場(一部営業運転)と国際石油開発帝石(INPEX)の液化天然ガスの備蓄基地建設現場だ。



西埠頭に停泊中の大型船 ” GLOBAL  ARROW  "  ファンネルマーク(煙突)を見ると、東京の第一中央汽船の運航のようだ。恐らく 25,000重量トン位の船ではないだろうか、この岸壁は大手企業の工場の原料(ボーキサイト、アルミナ等)を積んだ船がよく着岸する、私の調べた限りでは中国の青島(チンタオ)から来たようだがあてにならないネ、、、
 

東埠頭には貨物船 ” KUMANO  "  が着岸している(写真) 。船体に NYK-HINODE  と大きく書かれている。 30,000重量トン位であろうか、何を積んできたか不明だが最近この NYK-HINODE と書かれた船をよく見るようになった。以前、東京から来られた運航を管理している会社の人をお供した時に聞いたんだがその時はを積んできた、と言っておられたがネ、、、、。昔は日之出汽船と言うと重量物運搬が得意で実績のある会社であったが、数年前に大手海運会社、日本郵船の子会社となり 日之出郵船(株)と変わったようだ、、、、。
 

 
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[今日の話] 電卓の思い出

2012-09-05

 

いつもの事だが朝、出勤前にパソコンの前に坐り電卓の電源をONにするが表示が出ない、あッ、とうとう電池が無くなったな、、単三の乾電池2本、新品に入れ替えたがやはり電源が入らない、、昨夜も使ったんだが、遂に寿命が来たか、残念だなー!この電卓 CASIO (カシオ) HL-101 (写真左)、この電卓、私にとっては大変、思い出深い、意義のある電卓なんだ、出来れば修理にでも出したい気持ちなんだが、結果は解っている、年数が経っているので部品も無く修理不能です、、、、と言って戻ってくる事は間違いない。

今の時代、電卓なんて使い捨ての時代、7~800円も出せばソーラー式の電卓が変える、しかーしだ! このカシオHL-101、お金に代え難い意義のある電卓なんだ、昭和51年、霞峰丸/JFVQ に乗船時、上司のW通信長に頂いたものだ、何だ、たかが電卓か、、? と思うかもしれないが、当時は電卓なんて持っている人はごく一部だ、今は電卓なんてどこの家庭にも3~4個はあるだろうがネ、、通信長に、これは幾らくらいするんですか? と尋ねると、(私の古ぼけた頭のメモリーを引き出すと、、)確か7,000円位だと言っておられたような気がするんだが、この頃はブリッジ(船橋)で航海士が船位の計算などに使っていた計算機は手廻し式計算器と呼ばれる計算器(写真右)だ、当時で4万円位したようだが、この頃の大工さんの日当は2,000円位の時代、、、、通信長が休暇下船される時に、次席君、これ君にあげるよ、、、と言って頂いたものだ。通信長、数年前に病に倒れ、その後仕事に復帰されたが、高価な低周波治療器などを乗船時、持って来られて休み時間に使っておれれた。事あるごとに、酒はいくら飲んでもいいが、私のように体を壊すような飲み方をしちゃいけないよ、、、お金は時期がくれば幾らでも溜まるもんだよ、、、とよく言っておられたのを思い出す。山口県下関市の豪邸に奥さまと二人でお住まいで、休暇中、妻と二人で訪ね、泊めて頂き赤間神宮の近くの関門海峡が見渡せる豪華なレストランで食事をよばれたのが懐かしく思い出される。36年間、使い続けた電卓だ、寂しい気がするが仕方があるめー、! お世話になったW通信長、高齢になり奥さまと一緒に娘さんがお住まいの北海道、函館市に移転されたが10数年前他界された、、、合掌

 

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[新米ドライバー] 最近はついてない、、

2012-09-04

最近は仕事につきが無い、食堂で黙って弁当を食べていると○○まで行ってきただの、○○まで往復だの景気の良い話しをしている、しかし、ついていない時は焦ってもダメだ、そのうちにつきが廻って来る。駅の正面から乗車の7~80歳代の男のお客さん、行き先は近くの総合病院だ、ワンメーターの660円、到着して、お客さん、お待たせしました、それでは660円頂戴します、、すると、ものも言わずに障害者手帳を料金受けのところに、ポン、と投げて置いた、ハイ、手帳ですネ、、内心、感じの悪い爺だな、、料金メーターの割引のボタンを押して、それでは590円です、すると今度は小銭が無いのかどうかは解らないが一万円札を出してきた、あッ、一万円札ですネ、、、 するとどうだ、一万円札じゃ悪いのかね、お金を払わないと言ってる訳じゃなし、 ときた、ムカムカッ! 内心、俺は別に一万円なんかいらねー、590円貰えば良いんだわ、、と言ってやりたい、まったく、ひねくれた嫌らしい男だ、、、。

 

駅から乗車の品格のある60代くらいのビジネスマンと部下と思われる30代くらいの男、行き先は大手企業がある広大な敷地の中にある系列企業へ、、、車内の会話を聞いていると、どうやら下請け会社か納入業者の社長と部下だ、大きなミスをしてしまい首都圏から謝りに来られたようだな、、、、目的地に着くまで社長に叱られていた、、買ってきた手土産の事で叱られ、入れて来た紙袋の事で叱られ、帰りの電車の時間を調べてないと言って叱られ、すべてやる事が遅いと言って叱られ、、気の毒なようだが私にはどうする事も出来ない、、、今度はこちらの方にも、とばちりが、、、守衛所から広い敷地内に入ったが事務所ではなく現場の事務所との事、地元のタクシーの運転手が知らないとはおかしいじゃないか、、、と言う、守衛所まではしょっちゅう来るが広大な敷地の中には多くの会社がある、それの現場事務所までいちいち覚えていませんわ、、、。

 

今日の勤務も終わりに近づいた、駅の正面で待機していると60歳前後くらいの男の人が乗車して来た、行き先は市内だが30分近くかかる郊外だ、、シメシメ、、少しついてきたな、、運転手さん、着いたら書類を渡すだけで直ぐに来るから待っててくれないか、、と言う、 はい、結構ですヨ、、目的地に着いて待っていると2分位で出て来て又駅までトンボ帰り、、普通なら空車で帰ってくるのに、効率の良い仕事だ、、辛抱した甲斐があったネ、、、、。

 

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[今日の話] 斑尾東急ゴルフクラブ

2012-09-03

勤務先の恒例の春秋のゴルフコンペ、今回は営業所対抗のコンペをやろうと言う話しになったようだ。勤務の都合で全員が一度に、と言う事は出来ないので何日かに分かれて行われる、私は今日は勤務が休みで今日がプレイ日、仲間が迎えに来てくれて仲間の車に便乗して今回は、斑尾東急ゴルフクラブ、(写真)でのプレイだ、ここのゴルフ場は2~3回目だが、過去はあまり良い印象が無いんだわ、、リゾート地でホテルに宿泊してプレイを楽しむ客も多い、アベック (古いねー!) も多い、 チンタラ、チンタラ、ベタベタ、ベタベタ、、マナーもなにも無いプレイヤーがたくさんプレイするから嫌なんだ。前回は山登りに行った翌日で、身体もガタガタの最悪なコンディションでのプレイでスコアーもガタガタであったが、今回は体調も万全、天気も晴れ、今日は通算264回目のプレイ、ここ数年はクラブを握るのは年間2~3回だ、これじゃ良いスコアーなんて望めないんだが、やるからには頑張らないと、、、、。

 

 

 アウトの1番ホール、くじ引きで1番を引いた、いきなり499ヤードのロングホール、やっぱりスタートホールはプレッシャーがかかる、 内心、 たのむ、そんなに飛ばなくてもいい、チョロだけはするな、、 カチーン、、 ナイスショット―! やったー、胸をなでおろす、surprise ダブルボギーの7、 まー、スタートホールだし良いか―! 前半は大叩きもなく、近年では結構良いスコアー、、内心、 ニタニター、、、

前半が終わりレストランで食事、当然、生ビールで乾杯でしょう―、、テーブルを見ると 9/3日~9/14日まで平日のみ生ビール半額、 と書いた案内が、 おい、今日は何日だ! 3日ですよ! 当然、ご飯も食べないで、いつもの倍、生ビールを飲みましたって―、すっかり気分も良くなり午後のスタート 、しかーしだ! 419ヤードのミドルホール、私がオナーだ、ドライバーの1打目、シャンクして右方向へ、いやーな予感、結局トリプルボギーの7つ叩いた、、、312ヤード、ミドルの2ホール目、ボールは無くなるわ、バンカーに叩きこむわ、4パットするわ、で9つの大叩き、完全に戦力喪失、やっぱり、半額だからと言って欲張って3杯も4杯も飲まないで1杯にしておけばよかったね、、、それでも気を取り戻して3ホール目のショートホールはパーでまとめた、いやー、このスタートの2ホールの大叩きが無かったらねー!   反省 crying それでもパターはインもアウトも18パットでまーまーだった。反省点もあるが久し振りに仕事を忘れ楽しくプレイする事が出来た、ゴルフ場は高原で、コスモス、ススキの花が高原の涼しい風に揺れて、すっかり秋の気配だ、、。

 

 

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[我が故郷] 月不見の池(つきみずのいけ)

2012-09-02


今年5月の晴れたある日、月不見の池(つきみずのいけ)に行ってきた。糸魚川市の国道8号線、梶屋敷から焼山温泉方面へ進んで行くと、新潟県観光地100選、新潟県森林浴100選、に選ばれている、で有名な月不見の池がある(写真)。



月不見の池(写真)は糸魚川市大字上出にあり面積は2,9ha ,最大深度は5mである。池の周りは樹木が鬱蒼と茂り、大きな岩に囲まれ藤のツルが樹木に絡みつき、水面に映る月が見えない事からこの名が付いたと言われている。
 

月不見の池は藤の名所として知られている(写真)、毎年5月の中旬の日曜日に 「月不見の池と藤祭り」 が開催され多くの人が訪れる。又藤の花の咲く5月に近くの新町地区(あらまち)で 「藤祭り」 が開催されて、各家庭で丹精込めて作った藤の鉢などを家の前に並べて通り一面が藤の花で見事である、一見の価値があるネ、、、、。



月不見の池を散策した帰りにすぐ近くにある ぼけ封じ 月不見観世音 を見つけた(写真)、最近ちょっと加齢とともに呆け も否定できない、、この際、観音様にお願いして行こう、、、、 と言う事で丁寧にお願いして来た、、、、。
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[古い航海日誌 霞峰丸③] 医療通信 ・ー  ---  ・・-

2012-09-01

 

本船は予定通りセイロン島(現スリランカ)ドンドラ・ヘッド(ドンドラ岬)を通過して針路を北西にとりアラビア海をペルシャ湾に向け航行中だ、今の時期、南半球は夏でインド洋、アラビア海はベタ凪だ、ポールド(窓)を覗くと本船の左舷をイルカの大群が本船と並走して泳いでいる、時々、海面をジャンプしている、まるで、おまえ達、もっと早く走れないのか、、、、と言っているようだ、、電気ポットでお湯を沸かし、コーヒーでも一杯飲もうかと準備していると昼食の終わったキャプテンと通信長が難しそうな顔をして無線室に入ってきた。通信長が、次席さん、医療通信をやってくれないか、、、乗組員の一人が高熱で熱が下がらないと言う、ドンドラヘッド以西は基本的には日本の海岸局と通信しない事になっている、しかし、事は急を要する、キャプテンが、後でチョフサー(1等航海士)が電文のメモを持ってくるから東京の船員保険病院宛てに医療通信でたのむ、、、、との事だ、現在は地球のどの海域からでも衛星を経由してリアルタイムに連絡がとれるが昔は、そーわいかない、無線通信が唯一の連絡手段だ、本船は冷暖房完備のタンカーの為、ドクター(船医)は乗船していない、2~3年前までは社船でも2はい(2隻)の古いタンカーにはドクターが乗船していたがその船も売船になりドクターが乗船している船は無くなった。本船では資格を持っている2人の衛生管理者が選任されており(本船では1等航海士と3等航海士)薬品等の管理をしている。

 

セイロン島を過ぎると日本との通信が極端に困難になる、チョフサーが熱を出している乗組員の病状を詳細に書いたメモを持ってきた、医療通信は遭難通信、緊急通信、非常通信に次いで優先される通信である、今日で日本との時差はマイナス4時間だ、長崎無線局/JOS 銚子無線局/JCS を受信するとやはりこの海域では長崎無線局/JOSの方が通信しやすそうだ、この時間だと日本では夕方の5時、使用する周波数はどれにしようか、、16Mhz(メガヘルツ)で何とか連絡がとれ、苦労して長い電文を打電した、船員保険病院の医者が電文を見て治療方法、投薬などの指示をしてくるわけだ、他の通信より優先して返事がきしだい直接本船を呼んでくる、16Mhzは時間からして伝搬状況が悪くなり使えなくなる可能性がある、他に12MhzのJOUも指定して2波、受信する事にした。いつ本船を呼んでくるか解らない、2台の受信機を使って受信する、他にもトラフィックリスト(一括呼び出し)等もある為、非常用の受信機も総動員だ、、、、そして20分後、長崎無線局が本船を呼んできた、しかーしだ! 案の定、信号が弱い、相手は20KWの出力だ、本船は1KW、これじゃ通信できないな、、今度は12Mhzで本船を呼んできた、予想がピタリだ、、苦労したが長い電文を受信し1等航海士に渡した。医療通信は今回で3回目だ、そのうちの1回は、私が病人だ、北米航路の材木船で冬の時化の北太平洋、まじに、死ぬかと思ったネ、、、キャプテンは、最悪の時はボンベイ(現ムンバイ)に緊急入港しよう、、、と言う予定だったが、ドクターの指示通りの医療行為、投薬が効いたのか夜には少しづつ熱も下がり2日後には仕事が出来るまでに回復した、、、、、。夜、当直が終わってからの一杯は、無事に仕事を遂行出来た充実感などで酒の旨い事、、、、

 

 

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プロフィール

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血液型:B型 みずがめ座

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