2011-11-30

[hamさんの日本の歌心の歌] 琵琶湖周航の歌

 
 
    琵琶湖周航の歌                   作詞   小口  太郎    
                       原曲   吉田  千秋

  われは湖の子  さすらいの
      旅にしあれば  しみじみと
     のぼる狭霧や  さざなみの
      志賀の都よ  いざさらば

  松は緑に  砂白き
      雄松が里の  乙女子は
     赤い椿の  森蔭に
      はかない恋に  泣くとかや

  浪のまにまに  漂えば
      赤い泊火  なつかしみ
     行方定めぬ  浪枕
      今日は今津か  長浜か

  瑠璃の花園  珊瑚の宮
      古い伝えの  竹生島
     仏の御手に  いだかれて
      ねむれ乙女子  やすらけく

  矢の根は  深く埋もれて
      夏草しげき  堀のあと
     古城にひとり  佇めば
      比良も伊吹も  夢のごと

  西国十番  長命寺
      汚れ(けがれの現世うつしよ)遠く去りて
     黄金の波に  いざ漕がん
      語れ我が友  熱き心

 
琵琶湖の美しい自然と、周航のロマンを情緒豊かに歌い上げたこの歌は、大正6年に滋賀県高島市今津町で生まれました。大正6年6月、第三高等学校(現京都大学)ボート部は学年末(当時7月卒業)の慣例によって琵琶湖周航に出ていました。小口太郎ら一行は大津の三保ケ崎を漕ぎ出て、1日目は雄松(志賀町近江舞子)に泊まり、2日目の6月28日は、今津の湖岸の宿で、疲れをとっていました。その夜、クルーのひとりが「小口がこんな歌をつくった」と同行の漕友に披露し、彼らはその詞を、当時彼らの間で流行していた歌の節に乗せるとよく合ったので、喜んで合唱したということです。「琵琶湖周航の歌」誕生の瞬間でした。そして三高の寮歌として、学生たちの愛唱歌として広まっていきました。
このころの歌集には、作詞作曲小口太郎、または三高ボート部となっていましたが、小口太郎の人物像すら不詳で、熱心な研究者の手で究明が始まり、曲は「ひつじぐさ」のメロディを借りたものとわかり、昭和54年には「作曲者は吉田千秋」と名前まで特定できましたが、身元は不明のまま、その後の調査で新潟県出身で現東京農業大学に学び、大正4年、雑誌「音楽界」8月号に「琵琶湖周航の歌」の原曲とされる「ひつじぐさ」を発表した。その後幾多の歌手がレコードに吹き込み、昭和46年夏、加藤登紀子の大ヒットへとつながっていきました。

 
 
小口太郎
 
明治30年生まれ。長野県岡谷市出身。第三高等学校(現京都大学)に学び、のち東京帝国大学(現東京大学)に進む。三高在学中の大正6年6月28日、ボートで琵琶湖周航の途中、今津の宿で周航の歌の詞を仲間に披露した。26歳で永眠。
 
吉田千秋

明治28年(1895)2月18日に新潟県中蒲原郡小鹿村大字大鹿(現・新潟市、旧新津市)に生まれた。父親は歴史・地理学者であった吉田東伍で、千秋は次男である。現東京農業大学に学びながら、音楽やローマ字関係の雑誌に投稿を始め、大正4年、雑誌「音楽界」8月号に「琵琶湖周航の歌」の原曲とされる「ひつじぐさ」を発表した。若くして肺結核を患い24歳で永眠。
 
 
 
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2011-11-29

[今日の話] 冬の準備、、

今年も残すところ一ヶ月ちょっと、今日は1週間振りの休み、雪が降る前に、あれもやらなければ、これもやらなければ、、、気ばかり焦るが身体がなかなか反応してくれない、これからはなかなか晴れの日が少なくなる、今日は貴重な晴れだ、朝起きて先ず車のタイヤ交換だ、こればかりは少しでも道路が白くなれば危険で走れない、ましてや仕事が夜であったり早朝であったり、、何とかスタッドレスタイヤに交換した、ヤレヤレ、、、今年は相方と娘の車の交換は息子が先日の休みに交換してくれたとの事で自分の車だけで大助かりだ、、3台も交換となるとかなり参るネ、、、、終わると今度は庭の落ち葉を竹ぼうきで掃いて掃除続いて半年間楽しませてくれた小さな花壇の掃除、庭の落ち葉かたずけ、冬を前に畑の手入れ、、、など等で久し振りに良い汗をかいた、、、それにしても陽が短くなったねー!


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2011-11-28

[仲良し、ちびっ子二人] ちびっ子のひとり言、

ジャーン、、、

うまれて百日、写真屋さんで写してもらいました、、、

爺ちゃんに似ているそうです、、マジで、あまり嬉しくありません、、、!

冬のじゅんびができました、、、

帽子いがいはお姉ちゃんの、お下がりです、、

でもモデルが良いからにあうでしょう、、?

 

あたし、たまに妹の真愛ちゃんを鍛えてあげます、、、

手をパチ―ンとたたきます、、まなちゃん、ワンワン泣きます、、

これって、くせになりそう、、、、、

クリスマスツリーを爺ちゃんと作って、

サンタさんになりましたが、似あいません、、

あたしはやっぱり、プレゼントをもらう方がいいなー、、、

 

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2011-11-27

林芙美子「放浪記」2000回公演記念碑

「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」  作家の林芙美子が好んだ言葉を刻んだ記念碑がJR直江津駅前に建立された(写真)。

林芙美子が日々の生活に疲れ、傷心を癒す旅に選んだ先が直江津でした。「放浪記」には、芙美子が見た町の人々のたくましくも心豊かに生きる姿が描かれています。この碑は「放浪記」の初演以来、二千回に及ぶ上演の偉業によって、国民栄誉賞を受賞された女優 森 光子さんの栄誉をたたえ「放浪記」ゆかりの地、直江津の人たちが記念の碑を建てようと計画し、揮毫をお願いしたものです。この碑は市民の寄付と上越市地域活動支援事業費によって建てられました。          = 案内板より =

場所は原作者の林芙美子が宿泊し、小説にも登場した直江津駅前の、いかや旅館(現ホテルセンチュリーイカヤ)前の歩道の一角、文学、観光面で直江津を全国的に発信するものとして期待されている。碑は森さんの揮毫で林芙美子が好んだ言葉「花のいのちはみじかくてーーー」を刻み、同市出身の彫刻家、岡本銕二さんが制作しバイタリティーあふれる女性の森さんと林芙美子をイメージした二人のブロンズ像が載っている。他にも直江津駅前通りを数十メーター程行ったところにある、三野屋さんの、元祖「継続だんご」は、「放浪記」の中にも登場してきます。

『放浪記』(ほうろうき)は、作家の林芙美子が自らの日記をもとに放浪生活の体験を書き綴った自伝的小説で「でんぐり返り」がある森光子の舞台作品としても有名で、菊田一夫脚本で1961年に東京の芸術座で初演されて以後同劇場で公演を続け、公演回数は2009年5月9日に2000回を達成した。2005年の公演を最後に同劇場が閉鎖されたため、2006年~2009年は帝国劇場、2008年はシアタークリエにて上演された。

林芙美子(はやしふみこ)

林 芙美子は明治36年(1903)12月31日 ~昭和26年(1951)6月28日:当人は、生まれは下関と言い、生年は明治37年、誕生日は5月5日語っていたが、没後20年余り経って、誕生の地は門司市小森江(現、北九州市門司区)と発表された。実父は宮田麻太郎、母はキク。父が認知しなかったので、娘は『林フミ子』として、母方の叔父の戸籍に入った。
実父麻太郎は下関でテキ屋などをやって繁盛したが浮気して、母子は1910年、番頭の沢井喜三郎と家を出た。養父喜三郎と母は北九州の炭坑町を行商して回り、芙美子の小学校は長崎、佐世保、下関と変わった。喜三郎は1914年倒産し、芙美子は両親に付いて山陽地方の木賃宿を転々した。大正5年(1916)13歳の時、尾道市に暫く落ち着き、翌年、市立尾道小学校を2年遅れで卒業した。

 

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2011-11-26

[古い航海日誌 霞峰丸②] 大阪、堺入港、、

航海中はほとんど用事でも無い限り窓なんか覗かないんだが、朝目が覚めると窓を覗きたくなる、左舷に四国の島影が見える、まもなく右舷にも島影が見え始めてきた、紀伊半島の和歌山県だ、段々と両舷に見える陸地がハッキリとしてきた、本船は紀伊水道に入り左舷は淡路島だ、段々と行き交う船も多くなってきた、そして狭い友ヶ島水道を通過した、進路を少し右に変えて大阪湾を一気に堺に向かう、早目に昼食を食べにフライングパッセージを艫の食堂に向かっていると既にタグボートも来て本船と並走している、食事を食べて無線室へ、通信長は入港書類などを整理準備している、アップさんは本船では最後の食事だ、、、
1時間後、本船は無事堺の関西石油の桟橋に着船した、直ちに代理店、官憲が乗船して来て入港手続きが始まる、30分ほどで入港手続きも終わり目が回る忙しさが始まる、本社からの荷物、書類の整理、下船するアップさんは1航海お世話になった各パートの甲板長、躁機長、司厨長、デッキオフィサー、エンジニアー、キャプテンに下船の挨拶に廻っている、私と通信長に何やら大きな箱を持ってきた、実家の長崎からお世話になったお礼にと伊勢海老を送ってきましたのでどうぞ、、、、 と言う、夫々の箱を開けてみると、おがくずの中に大きな伊勢海老が2匹づつ入っている、未だ手足を動かして生きている、こうしておくと数日間は生きているんだそうだ、、漁師の親父が採って来たものです、、、 次席さん、これや出港したら刺身で一杯だな、、と通信長、、夕方、下船するアップさんをタラップまで送りに出た、背が高く白の制服がいやに似合う男だ、敬礼して、 色々とお世話になりました、有難うございました、御安航祈ります、それでは失礼します、、 頑張って又船に戻ってこいよ、、、タラップを降りて桟橋を歩いて行き途中で帽子を振っている、、、内心、 こいつ、下船になったら嫌に元気になったな、、、、、その後、国家試験に合格し船に乗船したと言う話は聞かない、、、恐らく郷里の長崎に帰り家業の漁師をやっているんだろう、、


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2011-11-25

[今日の話] ディフェンディングチャンピオンは今、、

春に行われた会社の第37回ゴルフコンペは誰もが予想しなかったhamさんが優勝、そして臨んだ秋の第38回コンペは前回の優勝でハンディーもだいぶ少なくなり、春秋のコンペ以外クラブに触った事の無い私にはこれからの優勝はあり得ない、優勝トロフィーを返還しないといけないので表彰式に行ってきた。懇親会も大分、調子が出てきたところで表彰式、優勝トロフィーを返還して代わりに優勝のレプリカ(写真)を頂いた。飛び賞、水平賞をゲット、手ぶらじゃ帰らないしぶとさ、、、、会社のゴルフコンペ、来年20周年を迎えるそうだが、あと何年このコンペに参加できるか、、、懇親会も翌日が早朝から仕事となるとジックリと飲めないなー、、、アルコールチェックでチンコン、チンコン鳴ったら大変な事になるぜ家を出る時に家族から 自分ばかり旨いもの食べていいなー、、! と嫌味を言われて帰りに寿司の折詰をぶら下げて、たまの御機嫌とり、、、、、 



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2011-11-23

[今日の話] 小さな、クリスマスツリー

11月も残すところ1週間となりボチボチあちこちからクリスマスの話題が聞かれる時期になって来た、我が家でも孫ができて昨年から何年か振りにクリスマスツリーが復活したが今年もクリスマスツリーの組み立ての依頼が家族からきた、丁度遊びに来ていた助っ人が現れ、手伝っているのか邪魔をしているのか、本人は手伝っているつもりらしいが、、、、
手が痛いと言って指に絆創膏を巻いて手の届くところの飾り付けを手伝ってくれた、、、? 電源を入れてピカピカ光りはじめると手を叩いて喜んでくれる、しかし寂しくなるがクリスマスツリーの飾り付けも今年が最後になるかな、、、、、、




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2011-11-22

[古いスコアカード 第3の人生] 最後の招待旅行、、

事業を始めて数年後、取引先の大手メーカー四社の全国主要販売店への招待旅行が始まった、名目こそは、「新製品発表会」「販売コンテスト表彰式」など色々だが私が初めて出席したのは確かT社の熱海温泉 金城館での集まりが最初であった記憶がある、各メーカーは競って趣向を凝らし販売店の点数稼ぎに走った、終わってからのメーカーとの商談には頭を悩ますが呼ばれる側としては誠に有難い事である、ある時はメーカーにより日を一日ずらして同じ地域で違うホテルで開催された年もある、招待のはしごだ、、、、。午後にホテルに集合しメーカーの現状、営業方針、新製品発表、表彰式、有名人による講演などと続き夜は例により大宴会だ、二次会、三次会と続き翌日は観光組とゴルフ組に別れ夕方には散会となるがメーカーによっては2泊3日もある、お陰さまで北は北海道、定山渓、トマム、から南は九州沖縄まで全国各地色々なところを訪れる事が出来た、又海外もヨーロッパ、アメリカ、ハワイ、オーストラリア、東南アジアなど何ヶ国も訪れる事が出来た、、、、、、。
そんな良き時代もバブルが崩壊して数年後、我々の業界にもジワリジワリと不況の風が吹き始め何時ともなく業界の集まりが無くなって行った。最後までこうした企画を続けていたメーカーも数年前からは会場を東京のお台場、ホテル日航東京(写真)に移していた、前年はもっともらしい理由をつけて出席を断ったんだが今回も、と言う訳にもいかず出席する事にした。宴会が終わり部屋の窓から眺める東京お台場の夜景は綺麗だ、、、恐らく今回が最後になるだろうなー、、、、40~50ヶ所は行ったろうか10数年続いたこの様な旅行はその後、声がかかる事は無かった、中部地方、関西地方を中心に全国各地、主だった温泉地は大体行ったような気がする、船乗り時代を含め全国で足を踏み入れていない県は鳥取県と高知県のみとなった、私のような者がこの様な経験をさせて頂いた事にただ感謝するのみだ、、、、、


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2011-11-21

[今日の話] 健康診断

春と秋の2回、会社で健康診断がある、春の時はちょっと太りすぎのメタボ予備軍、高血圧症、、、医療機関での診察を要す、、との結果がでた、ある程度予想はしていたんだが、今まではお陰さまで病気らしい病気も無く過ごしてきたがちょっとショックだ、、しかしこの高血圧、大した症状も出ないままいきなり脳梗塞などにつながると言うから注意が必要だ、原因は解っている、人一倍、しょっぱい物好き、特に今の仕事柄からくる運動不足、、、それならば、しょっぱい物はなるべく口にしないようにする、運動をする、、これだな! 最近は自分なりに食べ過ぎを含め食生活に気をつけるようにしている、そして春からは状況が許す限りジョギングを始めた、比較的早足で、なるべく坂の道を約1時間、それと夏から山登りを始めた、夏以降日本の百名山を含め今までに六つの山の頂上に立った、、、、先日秋の健康診断が会社で行われた、内心、結果に興味がありちょっと楽しみでもあった、先ず自分で血圧測定器で測定する、んッ、結構下がってるじゃん、、続いて看護師さんが血圧の測定、 だいぶ下がってますね、、採血などをして医者の問診だ、聴診器を当てて診察、診察のデーターを見て、良いでしょう、! 色々な測定器を積んだバスに行き体重測定、担当の白衣を来た女性が、体重が前回よりも大分下がってますが何か病気でもしましたか、、?  ニタニタッ、、、1か月程すると今回の健康診断の詳しい結果が来るだろう、、、。


             
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2011-11-20

久し振りに忙しかった泊まり勤務、

1週間振りの泊まり勤務だが今日は雨、、、夜8時少し前、点呼を終えて少し早目の出庫、おはようございます、3●● 異状なし開局、どうぞ! 早速市内の小さな結婚式場に配車、新郎、新婦をお供して自宅まで、 今日はついてるな、、、、! 次から次とお客様をお供して駅構内での待機はほとんど無かったな、待機しても僅かな時間、首都圏から出張で来たと言う2人の若い男性、 運転手さん、面白いとろ知りませんかね、、 お客さん、面白い所ってどんなところですか?  んー、知ってるくせに、 泊まり勤務の楽しみの一つ、NHK ラジオ深夜便、3時からの日本の歌心の歌、今日は五輪真弓特集、、ピンポーン、 配車だ、駅前のホテルに行くと沢山の荷物を持った男女が二人、何やら楽器だろうか、持っておられる、 こんな時間に何処へ行くんだろう、、、 運転手さん、○○の○○○解りますか、、 申し訳ありません、ちょっと解らないんですが、車内の二人の会話を聞いているとどこかでコンサートがあったようだな、お客さん、コンサートは何人であったんですか? 3人です、、内心、仲間との趣味のコンサートでもあったのかな、、、、、、隣の市だが国道から外れてどんどんと山の中に入って行く、 失礼だが、こんなとこに人家が有るんだろうか、、、するとポッン、ポッンと人家が、ギアーを1速に切り替えて急な坂の急カーブを曲がったり、こんなとこでエンストでもしたら恥だな! やっとある一軒の家の前に着いた、 沢山の荷物を降ろして、結構な料金だが頂き帰路に、しかし、少し先に行ってみるがUターンするところが無い、こんな時間、山の中でしかも雨降りだ、変なところに入って脱輪したり、脱出できなくでもなったら大事だぜ、、、意を決して狭い道路で何度もハンドルを切り返してUターンする事にした、、、そしてやっとの思いでUターン完了、、ヤレヤレ、、、 
朝勤務が終わって車庫で洗車している時に先輩に、○○の○○○ってところ知ってますか、、 尋ねると、 あー、知っているよ、有名な二代目、高橋竹山さんが住んでいるよ、、1-2回お供した事あるよ、、、 えッ、それじゃさっきお供したのは高橋竹山さんか、そー言えば大事そうに持っていた楽器は三味線か、、、、ちょっと名乗ってくれれば会話の内容も違ったのに、 と思ったが、聞きもしないのに自分から名乗るのは本当に有名な人ではないわな、、、今まで男と思っていたが二代目高橋竹山は女性であった、、、、、4時過ぎにやっとコンビニで買ったパンとジュースで休憩、朝方、ファッションホテルから一人寂しく帰る若い男性、スナックから帰る女性、など等、勤務終了まで忙しく走り回り泊まり勤務は終了した。燃料を補給して車庫に戻り洗車、今日は24回お客様をお供し、全走行距離248キロ、11時過ぎ家に帰り一杯飲んでバタンキュウ、、、、、、今日は仲良しちびっ子二人と仔犬一匹の訪問も無く夕方までぐっすり、、、、


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2011-11-19

[仲良し、ちびっ子二人] 出番が回ってきました、

六ヶ月になり、さいきんやっと出番がまわってきました、真愛(まな)です、、、、

  ママちゃんにかわいい帽子を買ってもらったので

    爺ちゃん、婆ちゃんに見せに行きました、、

       爺ちゃんが写真を撮ってくれました、

  リクもノコノコやって来て一緒に映りました、、、可愛いでしょー、、!

お姉ちゃん(乃愛)がきて、あたしの帽子を取り上げます、、

   その帽子、あたしんのだからかしてー、、、、!

あたしと、頭の大きさは変わりません、あたしって頭が良いみたい、、、、

 

テレビ観戦でおくつろぎのお二人さん、、、

後ろ姿は、真愛ちゃんの方がはるかに貫録が有ります、、、、

 

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2011-11-18

[古い航海日誌 霞峰丸②] 懐かしい日本の島影、、

台湾の南、バシ―海峡を通過して2日目の朝9時過ぎ気持ち良く目が覚めた、ポールド(窓)のカーテンを開けると左舷に島影が見える、本船、霞峰丸(写真)は約40日振りに日本に戻って来た、何年船乗りをやっていても日本の島影は懐かしいね、素っ裸になり腰にバスタオルを巻きつけてバスルームへ、男の世界、何の気兼ねもない、本船の霞峰丸温泉は入港前になり昨日から欲槽も清水に変わった、いつもはミネラルたっぷりの海水風呂だが、蒸気菅のバルブコックを回して蒸気を出すと数分でお湯になる、どっぷりと湯船に浸かって、、、  ♪ ♪ はーるばる来たぜ函館ー、さーかまく波をのーりこえてー、、、と、、、、 気分爽快、歌も飛び出しますってー、ひと風呂浴びて部屋にもどり着替えていつものパターンだ、コーヒーカップを持ってデッキに出て風にあおられる、、至福のひと時だ、4月20日に大阪の堺港で本船に乗船して3航海が終わろうとしている、もう1航海乗船して休暇下船の予定だ、10月の中旬には休暇下船、丁度気候も良い頃だし楽しみだ、正月は家で迎えられるか微妙なところだが、、、次に乗船するのは貨物船でなければ又本船がいいなー、、、左舷には奄美諸島の大きな島影と小さな島影が見えている、明日はいよいよ入港だ、、、さーて、レストラン霞峰丸へ食事にでも行くかね、、、

 

霞峰丸/JFVQ

重量トン数、    121,298 トン

全長、          278 メーター

幅、             44 メーター

深さ、            21 メーター

満載喫水          15 メーター

エンジン、       27,600 馬力 (ディーゼル)

航海速力          16 ノット

乗組員、           33 名 (最大39名)

1966年5月28日、日立造船因島工場で竣工(1981年海外へ売却)

 

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2011-11-17

[今日の話] 青春時代、懐古の旅、、④

通りを歩いていても道路の両側には高層ビルは見当たらない、近くには○○宮邸もある、恐らく場所柄色々な規制が有るんだろうか、、、、当時の学校の跡に行くと40年前とは全く変わっていた、当時を思い出させる建物は残っていない、新しい近代的な建物に変わっている、当時の部も無くなり現代に対応した新しい学部に変わっている。授業の無い時などにはよく利用した ” パーラー チロナ ” ここのスパゲティーナポリタンは美味しかった、有れば是非立ち寄ろうと思ったが、、、、中華料理屋、文房具や、、、などなど一角は学校の敷地に変わっていた、空腹時に欠かせなかった大衆食堂、おそば屋、、など見当たらない、勿論、寮生がお世話になった八百屋さんも無い、ただ残っているのは老舗のお菓子屋 ”虎屋” さんだ、、、。

本館の屋上で昼休み、放課後などによく訓練をさせられた、 「ヤスメ」  「キョウツケ」 「敬礼」、、、先輩から後輩へと受け継がれ我が専攻の伝統でもあった、、日曜日の為、閉門されていて敷地内には入れなかったが、しばし近くから懐古の念に浸かり歩いて、ぎょらん坂の交差点から、いさらご、を下り、泉岳寺に向かった。

泉岳寺のすぐ近くに当時、寮があった、学校への行き帰り、必ずと言ってもいいくらいこの境内を通り横の細い路地を通って通ったもんだがその路地も見当たらない、、、境内には見物客から餌を貰おうと沢山のハトがいたんだが一羽と姿が見えない、餌の豆も売っていたんだが、、、恐らく糞など色々と害もあるので餌を与え無くなったんだろうか、、、、。寮生が食事当番でここのハトを捕まえて殺し夕食のスープにして出した悪い奴もいた、、、私は精々予算が足りなくて新聞紙を小さくちぎって天婦羅にして出した程度だ、、、、、。

泉岳寺

泉岳寺(せんがくじ)は、東京都港区高輪二丁目にある曹洞宗の寺院で青松寺、総泉寺とともに江戸三箇寺の1つに数えられ、元禄赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られ現在も多くの参拝客が訪れる。

寮と言ってもおおよそ寮と名の付くようなしろものではない、、、、。恐らく戦前に建てられたであろう民家を借りて寮として使っている訳だ、階段を上がればギシギシ、戸を閉めても隙間だらけ、学生は押入れをベッド代わりに、先輩だけは2階で布団を敷いて寝る、この中で多い時は十人を超す寮生が朝の総員起こしから夜の消灯まで規則正しい生活をする訳だ、今で言うプライバシーも有ったもんじゃない、、、しかしここで過ごした年月と言うのは私にとってその後の人生に大きな勇気と希望を与えてくれた、、、、、。しかしその寮の跡には当時の面影を残すものは何一つ残っていない、場所柄、周りには豪邸が建ち、玄関脇には高級車が駐車している、、、しばし近くを散策しタクシーで田町駅に向かった。

大田区の馬込にも一時期”馬込寮”と言うのが有り住んだ事が有るんだが当然今は跡かたも無いだろうが、期間も短く記憶が薄く行く事を断念した。田町駅から電車に乗り東京駅に着くと丁度、新幹線が10分後に発車する、帰りは時間が不明の為、自由席にしておいたわけだ、越後湯沢から特急に乗り継ぎは無いと思ったが越後湯沢で少し待つ予定で一本早い新幹線に乗った、 しかーしだ! これが大正解だ、越後湯沢に着くと既に特急が入線している、車内清掃の終わるのを待ち自由席に楽々と掛け、ビールを飲んでご機嫌だ、次々と乗客が乗って来て乗り継ぎの新幹線が着く前に既に自由席は満席状態、乗り継ぎの新幹線が着くと自由席は100パーセントを超す乗客で大変だ、、1時間弱で目的地の駅に着いた、しかしここでハプニングが、改札口の自動改札を出ようとしたら一枚の切符が飛び出した、、そーだ、フリー切符、未だ夜の12時までは使えるんだ、このままでは次の人に迷惑に成る、乗車券をとって前を見ると一人の男が声を掛けてきた、 すいません、フリー切符ですか、? そーですが、 すいませんこれから新発田まで行くんで千円で譲ってくれませんか、、 千円札を差しだしてきた、 躊躇せず、あー、良いですよ! 見るとフリー切符をもう一枚持っている、 おぬしもやるよのー、、!  一粒で二度美味しい出来事であった、、こうして思いがけない同窓会で7年振りに上京し、念願だった青春時代の懐古の旅は無事に終わった。

 

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2011-11-16

[今日の話] 青春時代、懐古の旅、、③

蒲田駅で京浜東北線に乗り換えて品川駅に向かった、品川駅の西口に降り立って驚いた、高級ホテル、大きな建物が建ち並んでいる、しかしたくさんの人が行きかうのは昔と変わらない、、40数年前に通った学校、1年間お世話になった下宿跡などを回って見たいと言う念願が叶った、、、、、、。タクシーには乗らずに歩いてみる事にした。駅前の緩い坂を上り高輪通りを歩いて行くと左側に、 せんぽ 東京高輪病院 が見えてきた(写真)、昔は東京船員保険病院と言う名前であった、丁度衆議院高輪議員宿舎の向い当たりだ。この病院は20代の頃ニューカレドニア航路の佐賀関丸に乗船中、船員法に定められる健康診断に行き、急性肝炎兼黄疸と言う思いがけない結果で判定は不合格、翌日の早朝には本船は出港予定だ、キャプテン、私は何ともありません、大丈夫ですからこのまま乗船します、、、 次席さん、気持ちは解るが病人と解っている人を乗船させるわけにはいかないよ、本社に話して交替を探してもらうから心配しないで下船して治療しなさい、、、今だから言えるが健診の前日に酒を飲み過ぎたのが原因だろう、情けないやら腹が立つやら、、、、交替の手配が付かず急遽、未だ就職が決まっていなく待機していた後輩のA君が臨時で乗船してくれる事になり翌日羽田から一番の飛行機で来てくれる事になった。 本船には既にタグボートも着き、艫、おもてのホーサー(ロープ)も一本だけを残しすべて外されていた、空港からタクシーを飛ばしてやってきたA君が乗船し10分後、今度は私が下船し、早朝出港予定の本船は数時間遅れで岸壁を離れニューカレドニアに向かった。A君が乗って来たタクシーに今度は私が乗り空港へ、そして羽田からこちらの病院へ来てそのまま入院となったわけだ。高輪通りを昔を思い出しながら歩いてみたがこの通り沿いは高層ビルも建っていないし昔の面影はそのまま残っている、、、、、、、。

学校のすぐ近くに1年間下宿でお世話になったNさんのお宅が有るんだが、当時は芝二本榎、と言う地名であった、曲がりくねった細い路地をキョロキョロしながら歩いて行くとそれらしき建物が見えてきた、あれだな、! 前を通り際に標札を見ると間違いない、、、実に44年振りだろうか、、、住んでいた建物は多少はリフォームされたと思うが当時のままだ、前を通ると生活の匂いがしている、一階は私と愛知県の渥美半島から来ていた学生、二階は富山県から二人、福岡県から一人、もう一人鹿児島県からの男がいたがおとなしく途中で引っ越したのであまり記憶が無い、その後の部屋に私は一階から移った、どうやら今は一階と二階にそれぞれ二世帯が入居しているようだが、、、写真手前の家が大家さんの家だが、食事を作って頂いた小母さんは遠に他界されているだろうが当時高校生だった長男の方が家を継いでおられるのだろう、中学生だった○○子ちゃんはどうされているだろうか、玄関のブザーを押す勇気は無かったな、少し離れたところから写真を一枚撮らせて頂きそっとその場を離れた。下宿のすぐ近くに数年前に亡くなられたが有名な女優さん、俳優さんの家が有ったんだが、、、、学校の行き帰りに私が通ると飼っておられた犬が塀越しに吠えるんだ、持っていた傘などで叩く真似をすると若いお手伝いさんが走って来て、虐めないでください、、! とよく叱られたがその家はもう無かった、、歯が痛くて虫歯を抜いてもらった歯医者さんは当時のままで未だあったが当時の先生はもういらっしゃらないだろうが、、、、しみじみと昔を思い出しながら一帯を歩いた、、、、 懐かしいなー、、、、、

 

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2011-11-15

[今日の話] 青春時代、懐古の旅、、②

JR鶴見駅から京浜東北線に乗り換えて次の目的地、目蒲線の武蔵新田に向かった。川崎駅を過ぎて次の蒲田駅で目蒲線に乗換だ、車内放送で 「次は蒲田、多摩川線、池上線は乗り換え」 とアナウンス、、、何っ、目蒲線はどうした、、?無くなった訳ではあるめー!京浜東北線を降りて東急線の乗り口に行き、路線図を見て安心した、矢口渡、武蔵新田、下丸子、、、とある、どうやら目蒲線が多摩川線に変わったようだな、田舎者まるだし、、、電車も当時は緑色だったような気がするが今は綺麗なスマートな電車だ、乗車券を買い多摩川線に乗り二つ目の武蔵新田の駅に降りた、、、
大田区千鳥町、、学生の頃下宿で一年間大変お世話になったMさんのお宅が有るんだ、当時の小母さんは遠に他界されているとは思うがご主人(当時は未だ独身であったが)はお元気だろうか、懐かしく当時の場所を歩いてみようと思い駅に降り立ったが浦島太郎だ、踏切を渡ったがすぐ前に大きな通りが、、、、おかしいなー、こんなんじゃない筈だが、、なにせ43年振りだ、大通りを渡り当てもなく歩き始めたが全く解らない、路地が幾つもあり綺麗に整備された閑静な住宅街だ、当時の手掛かりは角から2軒目で角のお宅がYさんと言う家であった、これだけだ、、、街角もたくさん有り何が何だかさっぱり解らない、この近くだろうとは思うが、古ぼけた私の頭のコンピュータ―、CPUも壊れかかり、メモリーも容量オーバーしている、これ以上は無理だな、諦めて帰るか、!幾つかの角を曲がり駅に向かって歩いていてある角で右に曲がろうと思い何気なく左を見るとYさんの標札が目に入った、勿論、当時の建物とは違うが、、、 んッ、振り返り2~3歩戻り隣のお宅の標札を見るとMさんの標札が、目を疑ったが名前も記憶通りだ、 あー、ここだわー、、、立ち寄る予定もしていなかったので勿論手ぶらだ、ふと見ると玄関の前で女性の人が何か作業をしておられた、ご主人の奥様だな、、、すると勝手に口が動いて声を掛けてしまった、 あのー、○○さんのお宅ですか、? そーです、、、  ○○○○さんはいらっしゃいますか、? と尋ねると、居ませんが、変なのが着たなと思われたに違いない、失礼ですが奥さまでいらっしゃいますか? そーですが、どちら様ですか、、、 申し遅れました、○○と言いますが、随分昔ですが下宿をさせて頂き随分とお世話になった者なんです、 一瞬びっくりされたご様子で、、 あー、○○さんの話は聞いていました、、玄関前で話している中でご主人さんが数年前に他界されたと言う、、思いがけないお話に動揺したが、奥さまが、 上ってお茶でもどうぞ、、とお誘い頂いた、全く想定外だ、躊躇したんだが奥さまの、主人も婆ー婆も喜ぶと思いますから、、、と言う言葉にあげて頂く事にした、そのうえお仏前にお参りまでさせて頂き感激だ、お嬢さんもいらして話し始めると懐かしく時間の経つのも忘れてしまう、一緒に下宿でお世話になったSさん、K君、の動静などもお聞きし一時間半もお邪魔してしまった、玄関に奥さまがいらっしゃらなければそのまま帰ったであろう、亡くなられた小母さん、ご主人さんが、おい、寄って行けよ、、と声を掛けて下さったんだろう、初めてお目にかかるのに暖かく迎えて頂き、ずっと二人に玄関先で見送りまでして頂き感謝、感激しながら駅に向かい次の目的地に向った。


                
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2011-11-14

[今日の話] 青春時代、懐古の旅、、①

以前より元気なうちに半世紀近くも前のことになるが青春時代を過ごした地を回る懐古の旅をしようと考えてはいたが忙しさにまかせ、なかなか実現しなかったが思いもかけず東京で同窓会が開かれる事になり長年の思いが実現したわけだ、、、同窓会終了後、十分まだ帰れる時間ではあったが東京駅八重洲口の前のホテルに宿泊、翌日朝から行動開始だ、、、、、、。

約50年前職業訓練所(今で言うテクノスクールだ)を卒業し、まだ雪の残る故郷を仲間三人と夜行列車に揺られて上野駅に降り立った、日本の高度成長期、金の卵(私の場合は銀の卵くらいかもしれないが)と呼ばれた頃だ、今のように携帯電話も無い、新幹線も無い、首都圏は随分と遠いところであった、まだ16歳の子供を都会の荒波の中に放り出す親の心境を考えると同じ親としてなんとも辛い事であったに違いない。

 

JR鶴見駅で鶴見線(写真)に乗り換え終点の海芝浦に向かった、さすがに当時のようなあずき色の電車ではなかったな、、、次の国道駅から海芝浦駅まで4年間通った、鶴見線に乗るのは40数年振りになる、当然の事だが窓から眺める当時との光景の違いに驚いた。二つ目の駅、鶴見小野駅前の市立鶴見工業高校、4年間会社の帰りに通った工業高校の定時制、窓から校舎の一部が見える、乗った電車は次の弁天橋止まり、まー次の海芝浦行きに乗れば良いわ、、、、 しかーしだ! 弁天橋駅に着いてみると次の海芝浦行きの電車は約2時間後だ、、、日曜日のダイヤだ、考えてみたら海芝浦の前は大手企業の工場、日曜日の日中だ、乗る人なんかいないわな、、、上京前、緑の窓口で指定券を買う際、駅員さんが乗車券は土、日、限定のフリー切符がお得ですが、、と言う事でフリー切符にした、決められた範囲内であれば何回でも乗れる、数分後に来た鶴見行きに乗り換え国道駅で下車、、4年間過ごした寮に向かってみた、、、、、。

国道駅前で国道(R15かな?)を渡り線路際の細い路地を進むとマンションなどが建ち並び昔の面影はないが路地と線路の間の狭いところは当時からあったような気がする小さな大衆食堂の様なのが数軒残っている、夜学校の帰り食堂の前を通ると大ヒットしていた、舟木一夫の「高校三年生」 北島三郎の「なみだ船」、、、、など等がテレビから流れていたのが思い出される、、、当時数百人が死亡した鶴見事故の現場のすぐ近くの、開かずの踏切、今は人道橋がかかり容易に向かいに渡れる、花月園競輪場入口の看板が見える、橋を渡り目印のバス停は直ぐに見つかった、ここばかりは昔のままだ、、すぐ近くの登り坂を登ったところが寮のあった場所だが、、、、木造建ての古い寮だ、想像していた通りその場所にはマンションが建っていた(写真)、すぐ角の休みの時など良くアイスクリームを買ったりお菓子を買ったりしたお店はまだ有ったがどうやら店舗は閉めたようだ、自動販売機だけが並んでいた。

 

当時は鶴見区生麦町で有ったが現在は岸谷4丁目に変わっていた、どうやら線路の西側は岸谷に変わったようだ、寮の跡をぐるりと周り歩いて鶴見駅に向ってみた、当然の事ながら鶴見駅はすっかり変わっていた、特に西口の変わり様には驚いた。ここからあらかじめ調べておいた時間に又鶴見線に乗り海芝浦に向かった、しかーしだ! 弁天橋を過ぎても老若男女、数十人の乗客がいる、もう弁天橋を過ぎたら大手の工場ばかりで人家なんて無い筈だが、、、、? 終点の海芝浦に着いて納得だ、駅の横に京浜運河に面して小さな公園が出来ている、当時は岸壁になっており工場で製造された大きな製品をここから船に積み込んでいた岸壁の跡だ、駅のホーム、この公園から海を眺めに来た人達だ、、、、当時は大手企業のグループ会社三社がこの地にあり駅は会社の従業員専用の様なものだ、たくさんの工場の建物があるが駅前の建物は当時のままだ(写真)、この建物の4階に食堂が有った、昼になると各工場の建物からこの食堂に集まってくる、仕事が嫌な時も昼食になると急に元気が出て走って食堂に行ったもんだ、野球部に所属していた私は昼休み、この建物の前の広場で晴れた日はキャッチボールをよくした、駅のホームは40数年前の昔とちっとも変っていない、もっともホームの前はすぐに海で変わりようもないが、、、。

駅のホームから横浜港、京浜運河を眺め東京港に出入りする外国航路の大型船を毎日のように目にし、 よし、俺も勉強していつかは外国航路の船の通信士になろう、、、  と心に誓ったもんだ。 20分位で今来た電車が折り返しで鶴見行きになる、これに乗らないと又2時間後になる、いつかは、いつかは、と思いつつ今日になったが昔通った定時制高校、勤めた会社、寮、を40数年振りにしっかりと見る事が出来た、当時を思い出しながら、次の目的地に向かうべく鶴見に向かった、、、。

 

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2011-11-13

[今日の話] 7年振りの上京、、

3か月前のある日一枚の往復葉書が届いた、それは学生の頃の同じ専攻の同窓会の案内だ、十数年前、恩師が亡くなられてからはほとんど会う機会が無くなった、以前は良く上京したが、最近はほとんど上京する機会が無くなった、上京するのは実に7年振りだろうか、、、昨日は勤務が泊まり明けだが前日はいつもより3時間早く出勤し昨日は3時間早く朝の7時に勤務が終わり急ぎ帰宅して3時間ほど寝て午後の電車で上京、会場は東京駅八重洲口からすぐの京橋にある「明治屋」の中にあるレストランを貸し切りだ、ここ「明治屋」は結婚した時に東京で行った披露宴の会場でも有る懐かしいところだ。開始時間を5分ほど遅刻したが前もって幹事の先輩にメールにて5分位遅刻する旨連絡しておいた為か到着と同時に開宴となった。北は青森県、南は鹿児島県、全国から50名ほど集まった、当時電気磁気学を習ったM先生ご出席されていた、90歳にはなられているだろう、会場を見渡すと間違った会場に入って来たのか錯覚を起こす、、頭は薄くなり白髪が目立ち(私も他人の事は言えないけどさ、、)直ぐに解る先輩、後輩も少しだがいる、卒業以来40数年振りに合う人、初めて会う先輩など等、、、懐かしい顔ばかりで酒なんか飲んでいる場合じゃない、、、許された2時間半と言う時間はあっという間に過ぎてしまった、今日ばかりは2次会でも3次会でも何時まででも付き合う覚悟で上京したんだが出席者はほとんどが60代、70代だ、そんな元気はなさそうだ、、、又の再会を約束して会場を後にした。 それに今回の上京にはもう一つの目的もある、昨日は泊まり勤務で寝不足で疲れもある、早々に東京駅八重洲口前のホテルに帰り9時過ぎにはバタンキュウ、、、、、。


 
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2011-11-11

[古いスコアカード 第3の人生] 高所作業、

仕事でよくアンテナ工事をやった、屋根の上に簡単に建てたアンテナから、ちょっと大がかりに成るパンザーマスト、コンクリート柱、タワー(鉄塔)まで色々だ、高さも15メーターくらいから30メーターくらいまでが多い、この位になると基礎工事からかなり大がかりに成る、ほとんどは邪魔にならない家の裏、敷地の端となる事がほとんどだ、従ってほとんど手作業になる、深さが2メーターくらい、2~3立方メーターの土を手作業で掘るのは結構な重労働だ、でも仕事だ、お客さんの要望で有れば仕方がない、2メーター位の深さになると地下水が湧き出てくるところも結構ある、水中ポンプで吸い上げて掘る訳だ、又場所によっては大きな石が出てくる事もある、やむなく折角掘ったのに断念し少し位置をずらして堀なおしもある、垂直を出し生コンの流し作業、これも生コン車が入れず、一輪車で何十回も運ぶ事もしばしば、、、、こうして基礎が終わり数日後、基礎が固まると今度はタワーの組み上げ作業だ、これも高所作業になる、胴綱(安全帯)に命を預けての作業、20メーターにもなれば落下すれば先ず命は無いだろう、初めの頃は足が震えた、どうしても両手を離せないんだ、 しかし、慣れだネ、、、役所への工作物の確認申請から作業服、長靴に履き替えて、土方作業、型枠大工、左官、鳶までなんでもやる、、、、県内はもとよりたまに近隣の県まで出向き、今までにタワー(鉄塔)などの建設工事は100本はゆうに超えているだろう、、


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2011-11-10

[hamさんの日本の歌心の歌] ♪ 港町ブルース、

作詞 深津武志、 なかにし礼     港町ブルース     唄 森 進一

作曲 猪俣公章

背のびして見る 海峡を
今日も汽笛が 遠ざかる
あなたにあげた 夜をかえして
港 港 函館 通り雨

流す涙で 割る酒は
だました男の 味がする
あなたの影を ひきずりながら
港 宮古 釜石 気仙沼

出船 入船 別れ船
あなた乗せない 帰り船
うしろ姿も 他人のそら似
港 三崎 焼津に 御前崎

別れりゃ三月 待ちわびる
女心の やるせなさ
明日はいらない 今夜が欲しい
港 高知 高松 八幡浜

呼んでとどかぬ 人の名を
こぼれた酒と 指で書く
海に涙の ああ愚痴ばかり
港 別府 長崎 枕崎

女心の 残り火は
燃えて身をやく 桜島
ここは鹿児島 旅路の果てか
港 港町 ブルースよ


お客様をお供して駅構内に戻り、ぼんやりと駅前のアーケードを行く人を眺めていると車の中のラジオのスピーカーから流れて来た曲で我に帰った、、、、、森 進一の”港町ブルース”だ、あの潰れたような声、しぼり出すような声が好きだ、、、この歌を聞くと本社勤務も含め十年の船員生活を思い出す。

北アメリカ航路の材木船に乗船していた私は約1ヶ月半ぶりに日本に戻り広島港に着いたが4日ほど沖待ちと言う事で沖に停泊した。入港後の目の回るような忙しさも一段落し夕食を済ませ、サンパン(通船)で上陸してみた、宇品(うじな)と言う地名だったような気がするが、、、、。路面電車の走る、人気の少ない道路の歩道を行くあてもなく歩いていると一軒のスナックからかすかに洩れていた歌がこれ、森進一の「港町ブルース」だ、、、魔法にでもかかったかのように、このスナックのドアーを押して中に入った、、、、、、。

” いらっしゃいませ、どうぞお好きなところにお掛け下さい ” ママさんが一人カウンターの中に立っていた、他にお客さんは誰もいない、、カウンターの一番はじに掛けてビールを注文、先ずビールだ、、、。当時は未だカラオケなんてのはほとんど無い、有線放送だ、港町ブルース をリクエストすると電話で申し込んでくれる、すると順番に曲がかかると言う仕組みだ、ニッカウヰスキーの水割りを飲みながら 港町ブルースをしんみりと聞いているとママさんが お客さんはどう言う人ですか、、? と話しかけてきた、、 どう言う人って普通の人だわね、、 学校の先生、公務員、警察の人、、?  悪いが全部はずれだね、、! 言葉からして広島の人では無いような気がしますが、東京から出張に来ているんですか、、、  まー、本社は東京だし、出張と言えば出張だ、、、 私は上陸する時は特別な事情が無い限り、スーツにネクタイが基本だ、今までに自分から言わない限り職業が船員と言われた事は無い、、、、、。

 

 

この曲を聞くと30年以上たった今でも船で訪れた当時の港の事を、最近は昨日、今日の事さえ忘れるのに比較的鮮明に覚えているから不思議だ。 北海道、苫小牧・ 八戸・ 秋田・ 新潟・ 敦賀・ 舞鶴・ 宮津・ 戸畑・ 博多・ 長崎・ 鹿児島県、喜入・ 津久見・ 大分、佐賀関・ 新居浜・ 愛媛県、菊間・ 徳島・ 徳山・ 岩国・ 下松・ 広島・ 尾道・ 因島・ 倉敷市、水島・ 宇野・ 相生・ 大阪・ 堺・ 和歌山・ 名古屋・ 清水・ 横浜・ 東京・ 君津・ 鹿島・ 沖縄、那覇・ 石垣島・ それぞれの港に思い出がある、、、、、、、。

 

 

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2011-11-08

色々なお客さん、、

ある総合病院から乗車の60歳代の男のお客さんだ お客さん、どちらまでいらっしゃいますか? 運転手さん、俺せ-うしけね、(翻訳、運転手さん私が言いますから)そこ右、、 と、こうだ、 踏切でチンコン、チンコン、電車の通過待ちをしていると、 なしてそんなに空けてとまんだね、(どうして、そんなに空けて止まるんですか)、 お客さん、私は踏切で止まる時は万が一後ろから追突されても、車が追突のショックで踏切内に押し出されないように少し空けて止めているんです、、と言うと、 お、そっか、、全くうるさい腹の立つ爺だぜ、、、
極めつけは、右折車線のある交差点で急に、 おー、そこ右、、お客さん、そんなに急に言われても曲がれませんよ、、と言うと、そんだて車なんか来てねねかね(そんなこと言っても車なんか来ていないじゃないですか)お客さん、対向車は来ていなくても後ろから来る右折車がいるのにそんなに急に言われても右に曲がれませんよ、、、と言うと、何て言うかと思ったら、俺車運転しねしけね(私、車の運転をしないですからネ)お客さん、運転は私に任せておいて下さいヨ、どちらまでですか、と尋ねると、○○○まで、、内心、初めからそう言えば良いのに、、、、、

ある大型の理髪店に配車、行ってみると80歳代くらいの老人だ、 ○○4丁目の○○○○です、、ご丁寧に名前まで言われても家までは解らない、でも1~2度お供した事があるような気がするが、、、、お客さんに大体の場所を訪ねるが応答なし、他の事を話しかけても応答なし、、、機嫌が悪いのか、怒ってでもいるんだろうか、どうやら耳がかなり遠いようだな、、、記憶を頼りに、確かここら辺の家だがなー、、すると、そこです、! 完全に会話は一方通行だ、着いた家の前は理髪店、考えてみたらタクシーを往復使って行っても一般の理髪店より千円近く安く上がるわな、、


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2011-11-07

[今日の話] 京都 「おぶぶ茶苑」のお茶、

私のお茶好きは30年近く前に亡くなった親父譲りである、子供の頃、囲炉裏に架かった鉄瓶のお湯を急須に注いで囲炉裏の火を火箸で突っつきながら美味そうにお茶を飲んでいた親父、、、 おまえも飲むか、、、、! 
囲炉裏の周りに胡座をかいてよく一緒にお茶を飲んだ事が今でも鮮明に記憶に残っている。先日登録して楽しんでいる日記や写真、趣味のサークルなどで同世代と交流出来るコミュニティーサイト SENIOR-NAVI(シニア・ナビ)に宇治茶の本場、京都和束 おぶぶ茶苑 の ”五種類の宇治茶試飲モニター募集(5名様)”というのが目にとまった。

茶畑より、お茶の感動を伝えたい。

今から十五年ほど前、当時大学生だった僕は、ここ茶産地京都・和束(わづか)で飲んだ、一杯のお茶に感動し、大学を中退、そしてお茶農家を目指しました。それから十年におよぶ修行ののち、ついに納得のゆくお茶が作れるようになりました。そして今、その感動を伝えたい。私たちのお茶を飲んで感想を聞かせてくれませんか?

 と言うものであった。正直なところ、興味半分、面白半分応募してみたところ、数日前、抽選の結果当選したと言う通知、パンフレット、小冊子と共に5種類のお茶が送られてきた。小冊子 ”喫茶去” を読み、お茶の生産から販売まで行っている京都 ”おぶぶ茶苑” の苑主の青年の 「たった一杯のお茶。それが人生を変えた」と言うお茶造りにかける青年の情熱、取り組む姿が業種こそ違うが事業の経験のある私にとってえらく感動するものであった。

お茶は好きなんだが精々飲んでわかるのは、玄米茶か、これは高そうなお茶だな、、と言う程度のお粗末な食感だ、しかし今回、送られてきた五種類のお茶をじっくりと飲み比べてみると、それぞれが違った味を持っている事がわかった、それは甘味が違ったり、渋みが違ったり、、、人により、飲む時間により、飲む条件により好みが違うであろうが、私はあえて比較をするならば、かぶせ煎茶が好きだな、、。

 

「SENIOR NAVI、シニアナビ」    http://www.senior-navi.com/

「おぶぶ茶苑」                http://www.obubu.com/

 

 

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2011-11-07

[我が故郷] 錦の陣屋跡と三国街道

上越市三和区の県道、新井柿崎線の錦の交差点を東に進むと三和中学の手前、右側に錦山と呼ばれるもっこりとした小高い丘がある、広い駐車場の奥が ”月見塚広場” その一角に錦の陣屋跡がある。

陣屋とは武士が移動の途中に立ち寄る休憩所のような場所である、戦国時代、三国街道が高田平野から山道にさしかかるところに陣屋が作られ春日山城と連絡をとっていました、米の貯蔵も兼ね「お館の乱」の時には当初景虎方の食糧庫となっていましたが景勝方が攻め落としその後の戦いを有利に進めたと言われている。

 

上記の”錦の陣屋跡”に隣接して旧三国街道が通っていた、春日山城から最初の山道にかかるのがこの道で(写真)戦国時代の大切な道であった、武将上杉謙信も関東遠征にはこの道を通ったであろう。現、安塚区にある直峰城近くにも旧三国街道が残っている。

 

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2011-11-06

[仲良し、ちびっ子二人] 六ヶ月になりました、、、

あたし 真愛(まな)です、

きょうで六ヶ月になりました、、

きょう、はじめてママのおっぱいいがいの

ものをくちにしました、 おいしかったー、、!

乃愛、  ほら、まなちゃん、 こーやってつくるんだわ、 わかった!

真愛、  んー、 わかったような、わからんような、、、、

      お姉ちゃん、むずかしいネ、、

おねえちゃん、あたしにもやらせて、、、

あんなにはまだ無理だね、、、、、、

偉そうに妹の真愛ちゃんに造り方を教える乃愛ちゃん、、

爺、婆、の影の声、、、、、

わかっているように見えるが、たまにパンチをかませる事も、、

まだまだ目が離せませんネ、、、、

 

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2011-11-05

[古い航海日誌 霞峰丸②] バシ―海峡通過、、

マラッカ、シンガポール海峡を通過して南シナ海に出た本船は順調な航海を続けている、夏の北半球のこの海域は滅多に時化る事は無い、青い空に白い雲が浮かび、紺碧の海を白波を立てて進む本船、なんとも頼もしい姿だ、、、時々、空が急に暗くなり激しいスコールがやってくる、船体の塩を洗い流してくれる、むしろ有難い雨だネ、、、、このスコールも20-30分位で止み、又ギラギラした灼熱の太陽が容赦なく降り注ぐ、、11時過ぎ100メーターはらくに有るフライングパッセージを歩いて艫の士官食堂に向う、左舷を日本に帰るんだろうか、200トンくらいのマグロ漁船が北上している、多分一年振りに日本へ帰るに違いない、ご苦労さんだったねー、、、サロンでタバコを吸っているとセコンドオフイサ―、セコンドエンジニヤ―も食事にやって来た、三人で昼食、大島高等商船出身のセコンドオフィサーは今航、休暇下船だ、ご飯に味噌汁、天ぷら、煮付け、豆腐の冷やっこ、しおんこ、、、、まーまーの味だね、、 午後の当直時に台湾とフィリピン、ルソン島の間の台湾寄り、バシ―海峡(写真)を通過した、ここまで来ると夜になると沖縄の海岸局の中波の信号が聞こえてくる、帰って来たなー、! と感じる、、、あと3日ちょっとで堺に入港だ、、

 

荷役作業を終え茨城県の鹿島港を出港する社船 ”日王” (303,994 重量トン)

 

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2011-11-04

[今日の話] 造形展、バザー、、、

秋晴れの文化の日、先月より通い始めた乃愛ちゃんの幼稚園の、造形展バザーに爺と婆で行ってきた、妹の真愛ちゃんも生まれた事だし、可哀そうな気もするが多くの仲間との中での生活も収穫が多いだろう、と言う事から先月より通い始めたわけ、、、、、3歳児の中でも先月2歳になったばかりの最年少だ、午前中に行われたと言う遊戯と言うか演技のビデオをパパちゃん、ママちゃんに見せてもらったが他の子と一緒に並んで手を回し、身体をゆすってやっている、、、おー、やるじゃん、心配したもんじゃないネ、、、

   



     乃愛画伯の水彩画
       「迷走、、、」



   力作、、
     「ごはん、」







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2011-11-02

[古いスコアカード 第3の人生] 苦しい時の神頼み、、祐気取り、、

祐気取りの無い日は夕方暗くなると、ほとんど毎日本店のある町内の神社に歩いて行き参拝、大祓い祝詞を奏上してくる、祐気取リの日は夜、店を閉めてからその日の方位の神社に向かう、勿論、雨が降ろうが雪が降ろうが神社に向かう、なるべく遠くの方が効果があるってもんだ、、、冬の吹雪の中、夜7時過ぎ、東方位の時は現、大島区大平にある戸隠神社、何度参拝に行ったか知れない、神社の屋根から落ちた雪で拝殿前は雪の山だ、雪の山を這いあがり拝殿前で祝詞を奏上する、、、終わって近くの大山温泉 ”あさひ荘”に寄り温泉に浸かりパワーを頂く、、南方位の時は妙高、杉の沢にある神社に参拝し、近くの ”苗名の湯”に行き温泉に浸かり良いパワーを頂く、、西方位の時は現、糸魚川市能生にある白山神社によく行った、、、夜などは祝詞を奏上している光景、他人から見れば異様な光景に見えたにちがいない、、、、しかし北方向はご当地からは海が近くだ、丁度、佐渡ヶ島が北方向に当たる、朝一番のフェリーに乗り佐渡の小木町に渡る、小木町の木崎神社、旧、新穂村だろうか、牛尾神社、羽茂町の佐渡一宮、度津神社、など何回も訪れた、参拝後、何れも近くの公共温泉施設により温泉に浸かり夕方のフェリーで直江津に戻る、、、、、、。
色々な神社に参拝させて頂いたが私なりに強い霊気を感じる神社がある。南西方位の祐気取りの時によく行った神社だが、県道より細い道を登って行くんだが初めての時は、 えー、こんな処に人が住んでいるんだろうか、、、と思ったくらいだ、靴を脱ぎ拝殿に上り正座し、お灯しを点けて大祓い祝詞を奏上して10分位過ぎると蝋燭の火が大きくなり動き始める、左右に動くのはあまり良くないと言われるが上下に動く、まるで喜んで踊っているように見える、勿論、風など吹いていない静かなシーンとした拝殿の中だ、、、神社の横の山の中の一軒家、宮司さんが住んでおられるのだろう、初めの頃は、おかしな変わった男だな、と思ったろう、何度か訪れているうちに、 虫が入るので戸を閉めてありますがどうぞ開けてお上がり下さい、、、勿論、帰る時に浄財をそっと置いてくるが、、、、、、。


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2011-11-01

乗せたくないお客、、

色々なお客さんがいらっしゃるが、中には嫌だな―、乗ってもらいたくないお客さんもおられる、、、私も10人位、悪いが出来ればお供したくないお客さんがいる。今日は月曜日だし暇だろう、9時過ぎある食堂に配車、 あちゃー、嫌な人に配車だわ、! この時間だ、まだそんなに酔っぱらってはいないだろう、多分駅前のスナックに行くんだろうなー、、予想がピッタリと当たった、部下と思われる3人と出て来て助手席に乗って来た、最悪だな!おい、会社では俺の事、なんて言っている、、? まさかみんなお客さんの事、嫌がっています、 とも言えないし、 いえー、いつも有難うございます、大事なお客様だから失礼の無いように、、と言われていますよ、フン、上手い事言ってやがんな、、 内心、フン、まんざらでもない様な顔してさ、 交差点の10数メーター手前で信号が黄色に、足がブレーキに掛かったが思いとどまり意識的に左右を確認してそのまま交差点に突っ込んで行った、ブレーキを踏めば身体が多少前に動くだろう、こんな行けば行ける黄色で停まって、、、言うにきまってる、、、おい、今停まるか停まらないか迷ったろう、、、はい、 と言うと、 うるせえお客だからな、、内心、おー、よく解ってるじゃない、、まったく嫌な客だぜ、、、、、。 

最近○○さん、お供してないが最近は飲みに出ていないのかネ、、同僚に尋ねると、 いやー、相変わらずよく飲みに出てますよ、最近はスナック○○○によく行ってますよ、、、との事、 10時過ぎあるスナックに配車、 あちゃー、その嫌な人だ、2ヶ月振りくらいに配車になったぜ、時間からして、もう一軒行くか、家に帰るか、、スナックのドアーを開けるとカウンターにママさんと二人きりでカラオケで歌っていた、他にお客さんはいない、、これや当分出てこないな、、、、案の定10分経っても20分経っても出てこない、ドアーを開けて催促をしようとも思ったが、、、、ママさんもイライラしているだろう、暇なんだからもう少し待とう、、30分して出て来た、ママさんが、お待たせして悪かったねー、、の平謝り、、店に戻りみかんを2個持ってきて、運転手さん、後で食べて、、本人は手をあげて、おー、と、こうだ、、、お客さん、どちらまでいらっしゃいますか、? 家、、このお客さん、酒を飲むと何を喋っているのかさっぱり解らない、いわゆる、ろれつが回らない、、後ろで何か喋っているんだが90パーセント解らない、適当に、ハイ、とか、えー、そーですか、、と言うんだが、黙っていると、おまえ、聞いてんのか、、とか、俺を馬鹿にしてんのか、、とくる、文句を言う時はちゃんと解るんだが、、カラオケを歌う時はちゃんと歌っているようだから不思議だ、、、よく私に、あんた歳は幾つだ、、と聞いてくる、○○歳です、 と答えると、 俺よりも2つ上か、、、以前にも歳を聞いてきたので、お客さんよりも二つ多いです、、、と答えると、俺は幾つ多いか聞いていない、何歳かと聞いてんだ、このやろー、、! と、こうだ、、、。今日は嫌なお供したくないお客に、二回も当たっちゃった、ついてない日だったな、、、、。


           
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名前は:ham 
年齢は:爺 ♂
血液型:B型 みずがめ座

辛い事もあったが楽しい事も、、
良い思いも沢山させて頂いた激動の人生、
昔のこと、今の事、自由に綴る我が人生、






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