2010-10-31

[我が故郷] 高田城下、3つの番所跡、

戦国時代、無敵を誇った武将上杉謙信の居城春日山城、謙信の死後養子の上杉景勝が城主となり上杉家の会津移封により徳川家康の家臣、堀 秀治が春日山城に入った江戸時代に入り秀治の死後、子の堀 忠俊が春日山城主を継ぐがまもなく今町(直江津)に福島城が完成、春日山城は廃城となった。1610年、堀 忠俊に替り徳川家康の6男、松平忠輝が城主となったが1614年、高田城が完成し忠輝は高田城に移り福島城は廃城となり城下は今町(直江津)から高田へと変わった。
江戸時代、幕府によって主要な街道に、旅の目印として1里(4キロ)毎に塚が建てられた(1里塚)。高田城下の北と南の出入り口にあたる陀羅尼町(現北本町)、伊勢町(現南本町)にも1里塚が設けられ、又口留番所が置かれ、番所では通行人や荷物を厳しく取り締まり、商品の運上金(営業税)の徴収も行った、規模の小さな関所である。ここから高田城下に入ると通行人は馬から降りなければならなかったし、くわえたばこも禁止された。高田城下ではこの他に稲田口(現東本町5丁目)にも番所があった。
陀羅尼口番所跡、一里塚跡
上越市北本町3丁目の国厳寺の北側に陀羅尼口番所、一里塚(写真)があったが、道路工事に伴い数十メーターほど北に移動したようである(北本町4丁目、樋口石材の少し北、小菅商店の向かい)高田城下から加賀街道に出入りする人、荷物を取り締まった。又ここに「南無妙法蓮華経」と刻まれた題目石塔(写真上)が建てられている、藩政史料によれば寺町の長遠寺から寛政12年(1800)6月に藩宛てに建立願いが出されている。これらの題目石塔は「北の宝塔、南の宝塔(伊勢町口)」と言われ今日まで市内の日蓮宗寺院で護持してきました、特に僧俗一体となって行われる寒中修行の唱題行脚ではこの題目宝塔まで巡拝します。 =案内板より抜粋=

伊勢町口番所跡、一里塚跡
南本町1丁目のバス停のちょっと南に伊勢町口番所跡、一里塚跡(写真右)がある。 ここでは高田城下から信州方面へ(北国街道)出入りする人、荷物を取り締まった。又「南無妙法蓮華経」と刻まれた題目石塔(南の宝塔)がある、題目の下に日蓮宗の本山、身延山久遠寺第64代日仲上人の署判があり、その在任期間からして弘化年間(1844~1847)に建てられた物と推測されます。南本町1丁目、高田新田の信号、(中華料理ピオニ―ズの有る処)交差点、道路新設工事に伴い、旧地より北西約30メーターの現在地に、1里塚、番所跡の史跡標柱と共に移設した。 =案内板より抜粋=

        
稲田口番所跡、高田銭座跡
東本町5丁目、稲田橋の西側に稲田口番所跡と高田銭座跡(写真左)がある。ここは高田城下から奥州街道、今町(直江津)方面へ行く出入り口である、松平忠輝は高田城築城にあたり関川河口の往下(おうげ)橋を廃止した、軍事上の目的と、高田城下に旅人を入れて町の繁栄を考えたのである、従って糸魚川方面から新潟方面に行く旅人は五智から加賀街道を通り、陀羅尼口番所を通り高田城下に入り稲田口から奥州街道を利用しなければならなかった、その為直江津、今町の発展は大きく阻害された。
又この地に銭貨の鋳造発行所である銭座(ぜにざ)があった。江戸幕府は民間に鋳造を請け負わせた、高田の銭座は松平光長時代(1624~81)鍋屋町(東本町)にあった。瑞泉寺(南本町3丁目)の「時の鐘」は寛文9年(1669)松平光長の、高田姫の命でここで鋳造された。

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2010-10-30

[古い航海日誌 霞峰丸①] シンガポール通過、時化の南シナ海、SOS受信、

朝9時過ぎに目が覚めてポールド(窓)を覗くと本船はシンガポール海峡を通過して南シナ海に出ていた、しかし海上は大時化だ、フィリピンを横断した大型台風の余波だ、ローリング(横揺れ)は僅かだが時々、大きな波が船首にぶち当たり船がギシギシときしむ、その旅に波しぶきがブリッジ(船橋)近くまで飛んでくる、、久し振りの時化で軽い船酔いだろうか、食欲も無いがこの程度の時化で海の男が船酔いなんて言ってられない、船尾にある食堂まで行かなければいけない、普段はすこぶる快適な三島型の本船だが時化ると最悪だ、船首の部屋から船尾のハウスまで100メーター近くあるフライングパッセージを風と波しぶきの中を渡って行かなければいけない、勿論強風で傘なんてのは使えない、雨合羽を着て行く人もいるが、俺らはそんな面倒な事はできねー、、、途中2か所ある退避用のトンネルまで波の状況を見計らって猛ダッシュだ、、 しかーしだ!  こんど戻る時は向かい風でなかなか前に進めない、風に飛ばされない様にハンドレールにしがみ付きながら少しずつ前に進む、船首のハウスに着いた時には全身海水でびしょ濡れ、、、馬鹿だねー、合羽を着れば良いのに、、、

夜のワッチ(当直)が終わり、シャワーを浴びて部屋でアジの開きで一杯やっていると、無線室にあるオートアラーム(警急自動受信機)が動作して、無線室、通信長の部屋、ブリッジにあるブザーがけたたましい音で鳴った、私の部屋にはブザーは付いていないが良く聞こえる強烈な音なんだ、無線室まで行かないとブザーは止められない様になっている、この海域は空電が多くたまに誤動作する事がある、急いで無線室に行って通信長と500khzを受信すると SOS SOS SOS 遭難信号が聞こえる、ジャワ海を航行中のインドネシアのフェリーが火災を起こし遭難信号を発信している、本船からは1日以上かかる距離だ、暫く受信しているとイギリス船籍の貨物船が救助に向かっているようだ、一応ブリッジに遭難船の位置などを報告、無線業務日誌にその旨記載し電波法に規定されているオートアラームの試験を行い、 Tested Auto Alarm in good condition and them comenced watch on A,A at 18:00 GMT (スペルが間違っているかもね)業務日誌に記載、、、人騒がせな船、酔いが冷めちゃって又部屋に帰り飲みなおしだね、、、、!


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2010-10-29

北上夜曲、、

昨日は泊まり勤務、眠い目を擦りながらの泊まり勤務の唯一の楽しみは NHK ラジオ深夜便 で3時からの日本の歌、懐かしの歌を聞く事だ、駅構内の車の中で座席を倒してウトウトしながらラジオ深夜便を聞いていると流れてきた曲、懐かしい「北上夜曲」我に返ってボリュームを上げて聞いた、、 和田 弘とマヒナスターズ、多摩幸子とのデュエット曲だ、今ではあまり聞けなくなった、きれいな曲に和田 弘とマヒナスターズの甘い歌声、多摩幸子の透き通ったような美しい声に身を震わせて聞いた青春時代を思い出したひと時でした。

匂い優(やさ)しい 白百合の
濡れているよな あの瞳
想い出すのは 想い出すのは
北上河原の 月の夜

宵の灯(ともしび) 点(とも)すころ
心ほのかな 初恋を
想い出すのは 想い出すのは
北上河原の せせらぎよ


岩手県の水沢農学校に通う菊池 規氏と八戸中学校の生徒だった安藤睦夫氏が水沢(現 奥州市)で偶然出会って意気投合、昭和16年2月に菊池少年の「北上川のささやき-今はなき可憐な乙女に捧げるうた」と題した歌詞に安藤少年が曲をつけて名曲「北上夜曲」が誕生しました。1961年にレコード化されて昭和36年に大ヒットした。尚、歌手の菊池章子さんは多摩幸子さんのお姉さんにあたる。 (写真は北上市の河畔に建つ「北上夜曲」の歌碑)

  「北上夜曲」  音量に注意して下さい!

                  
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2010-10-28

雨の観光案内、、

ここ2-3日は昼間の勤務、朝から雨が降ったり止んだり、こんな日は比較的忙しい日が多い、案の定、時間前に出庫、休みなくお客さんをお供して駅の構内に向かっていると、営業所に寄るように、と無線が入る、何だ! 営業所に着くと待合室に70代の3人の男性客、、帰りの時間まで春日山城跡、11月28日まで近くの上越市埋蔵文化財センターにて開催中の「越後上越謙信公と春日山城展」を見たいとの事、1時間半の貸し切り観光にお供した。愛知県から来られたグループだ、毎年3人で2-3泊の旅行に出かけられるとの事、今年は昨年のNHK大河ドラマ「天地人」の直江兼続を訪ねてみようとの事で、南魚沼市の坂戸城、長岡市の与板城、を訪ねて今日は春日山城跡を見て愛知県にお帰りとの事、、、春日山下の駐車城には数台の観光バスが止まっている、雨の中を傘をさして途中、説明をしながら頂上の本丸跡(写真)へ向かう、途中で黄色いジャンパーを着たボランティアガイドが旅行者に案内をしている、、ちょっと盗み聞きをすると、、 なるほど良く勉強をしているなー、、、! しかし、こっちも2週間ほど前に「謙信、兼続」検定の 義の級を受験して間も無い、多少は勉強をしたので年号など、するすると出てくる、負けてませんわね、、しかーしだ! この春日山城跡 観光客によっては本丸跡には何もない、天守閣を再現したらどうか、、とか色々と意見があるようだが、ここは国の史跡、勝手に簡単にいじる訳にもいかないだろうと思うが、、、、 全国には立派な天守閣を再現した城跡は沢山ある、ここ春日山城跡は手を加えられていない当時の原型を比較的にとどめている歴史的価値のある山城である、、本丸跡より雨にかすむ頚城平野の眺めもなかなかいいもんだねー、、、3人が昼食をされる駅前のホテルに予定時間ちょうどに到着、、最後に ご丁寧に、親切にありがとう、、、 との言葉を頂き、雨の中の案内が報われたきがした、、、、。


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2010-10-26

[仲良し、ちびっ子二人] 一歳の証し、、

この間、一歳の誕生日に写真屋さんに行ってリクと一緒に記念写真を撮ってきました。


ちょっとお腹が気になるけど! 
 
  あたしドレスも似合うでしょう! 

これ爺ちゃんが撮った写真


 モデルは良いんだけど、、! 





           
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2010-10-25

[古いスコアカード 第3の人生] 国際ロータリークラブ、③

我がロータリークラブの例会は毎週木曜日12:30~13:30まで例会場の○○ホテルで行われる、段々と会員同士との繋がりも強くなり毎週の例会が楽しみになり会員同士の親睦、色々な情報交換の場でもある、自分の仕事にもどれだけプラスになったか計り知れない、会員は必ず幾つかの活動の委員会に所属する事になる、私に入会を強く勧めてくれた銀行の支店長、所属する委員会は「会員増強」だ、なるほど入会を勧める訳だ、言い方は悪いが 上手くはめられたって感じだな、、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕、など奉仕活動も結構あるがこれもまた楽しい活動の一つだ、我がクラブは、戦国時代の川中島の合戦での敵同士、上杉謙信、武田信玄 が取り持つ縁で山梨県の○○○ロータリークラブと友好関係を締結し交流が進んでいる、現在は上杉謙信の縁で、山形県米沢市のクラブとも友好関係を締結しているようだ。

ロータリークラブ(Rotary Club)は、国際的な社会奉仕連合団体「国際ロータリー」のメンバーである単位クラブである。最初のクラブが例会場所を輪番(ローテーション)で提供しあったことから「ロータリー」の名がついた。1905年、アメリカのシカゴに最初のクラブが誕生し“輪番”・“回転”にちなみ、6本のスポークの歯車がシンボルマーク(エンブレム)である(写真)。
日本は現在世界第2のロータリー国となっている。現在クラブ数2,310、会員数92,161人(2009年12月末現在)、日本国内は現在34地区に分かれている。会員で有れば世界中どこの地域のクラブの例会にもビジターとして出席が出来る。

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2010-10-24

[hamさんの登山記] 南葉山登山、

10数年生まれ故郷を離れた事はあるが、生まれ育った故郷で殆んど毎日目にする山、南葉山(なんばやま) (写真)以前から一度は登ってみたかった山だが、1000メーター足らずの低い山、いつでも登れるわね、、、! と思いつつ登った事が無かった、昨日は天気も最高、 よし、行くか、、、 しかし最近は体力もあまり自信が無いし、何か有っても困るし、丁度長男がいたので一緒に誘ったが、熊が出るから嫌だ、、 との事、ならば一人で行くか、途中コンビニでおにぎり、お茶、を買って南葉山キャンプ場へ、ここからが登山だ、熊対策に腰にスズを付けて、リュックにトランジスターラジオを入れてラジオを聞きながら一石二鳥だ、、キャンプ場が既に2合目、木落し坂コースを上り始めた、、、、
  

登り始めて、何だ大した事はないな、、30分位して4合目、急登、と書いてある、いよいよか、、なるほど結構な勾配だ、時々手をついて慎重に登った、身体じゅうが汗でびっしょりだ、木立の中を進むと時々木立の間から頚城平野が臨む事が出来る、帽子をとると木立の間を通る風がほてった身体に気持ちが良い、7合目の標識に見晴らし台と書いてある、20メーターほど右に入るとなるほど畳7-8枚くらいのスペースで景色が良い事、日本海、頚城平野、米山が綺麗に臨める、、ここで5分間の小休止だ、、登り始めて1時間ちょっと、登りの勾配も緩くなってきた、、、暫く木立の間を進むと9合目の標識が、、もうちょっとだな、、、 暫く歩くと広場に出た、良く見ると頂上だ、、、何、もう着いたの、、、!
 

南葉山頂 949,3メーターの標識が(写真)、遂に来ました南葉山、私にしてみれば3000メーター級の山を制覇でもしたような気分だ。頂上にある南葉山神社に手を合わせて参拝した、11時45分、キャンプ場を出発して1時間35分、私にしてみれば上出来だな、、、早速コンビニで買ったおにぎりで昼食、おかずはサバの水煮の缶詰、、暫くすると別の登り口から2人のグループが登って来た、2人とも身なりを見ると山男って感じ、まもなく別のもう一人の男性がスキーのストックを持って登って来た、この人はスキーのノルディックの選手だね、多分トレーニングで登って来たんだろう、5分位で直ぐに降りて行った。持ってきたシートに横になり30分ほど読書をして、さーて、そろそろ降りるか、登って来た、木落し坂コースを帰るか、別の明神沢コースを帰るか、来た道を引き返すのが一番無難だが、、2人のグループに尋ねると、時間も十分あるし折角だから明神沢コースを行ったら、、との事だ、途中の分岐点さへ間違わなければキャンプ場に帰れるとの事、思い切って明神沢コースを帰る事にした、明神峠、筍平ら、後谷峠を通り、この辺に来たら何かガサガサと音が、、、 ヤバイ、熊か、、、良く見たらキノコ採りの人だ、 ビックリさせるなーー、、 5-6人のキノコ採りの人に合ったが幸いに熊には遭わずに無事キャンプ場に戻って来た、このコースは下りだが2時間はかかった、、、今日は足のもものあたりが痛くて痛くて、、、参った、、

南葉山登山のアルバムはこちら

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2010-10-22

[古い航海日誌 霞峰丸①] マラッカ、シンガポール海峡、、

本船はマラッカ海峡に入りそしてシンガポール海峡へ向かう、未だ大型タンカーの経験の浅いキャプテン、シンガポール海峡の入口の安全なところに一旦アンカーを下ろした、ここで潮待ちだ(満潮になるのを待つ)、船の夕食は早い、4時半からだ、夕食後デッキに出ると遠くにインドネシア、スマトラ島が見える、原油を満載している為、喫水が低くなっている、(海面とデッキの距離が短くなっている)海賊船などの注意が必要だ、ブリッジでは2人が見張りにたっている、夜中の満潮時にシンガポール海峡を通過予定だ、寝て起きれば南シナ海に出ているだろう、、、、、


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2010-10-21

有難う、担当車、3○○号車、

今日は久し振りの泊まり勤務、朝方の3時前には仕事もひと段落、、コンビニへ寄ってサンドイッチとパインジュースを買って営業所に戻り軽く夜食だ、、 今日はNHKの ラジオ深夜便 懐かしの歌謡曲 を聞けそうだな、、 今日は 小畑 実 特集、 「湯島の白梅」「高原の駅よさようなら」「長崎のザボン売り」「勘太郎月夜」、、、、などたくさんのヒット曲を残している朝鮮半島、平壌出身の歌手だったが好きだったゴルフのプレイ中に倒れそのまま55歳で帰らぬ人となった。私はあの甘い歌声が好きだった、車の座席を倒して、眠い目を擦り必死に睡魔と闘い聞いた、、途中でスナックのママさんをお供したので全部聞くことは出来なかった。 残念!
数日前に運行管理者から今度担当の車を外れる旨の連絡があった、 何で!
普通は車の担当を持たなくなるのは、10年以上のベテランのドライバー、車の管理が悪いと外されることも有るようだな、しかし私は3年の新人ドライバー、車の管理は自他ともに認めるくらい良くしている筈だ、、それじゃ何でだい、、、? まー、そうは若くはないし、歳だけは自慢じゃないがベテランだ、、優しい心ずかい、と言う事にしておこう、、、確かに毎週の座席カバー交換、1万キロ毎のタイヤの位置交換、オイル、オイルフィルターの交換、など等結構大変なんだが、、10時過ぎ勤務が終わって3年近くお世話になった3○○号車、洗車、念入りにワックスがけ、座席カバーの交換、掃除機で念入りに車内の掃除、、3年間お世話になったねー、有難う!ボンネットをポン、と叩くと ご苦労さん、、 と言ってくれたかどうかは、、?
今日は全走行距離209キロ、22回お客様をお供して泊まり勤務が終わった、、

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2010-10-20

[郷土の偉人] 画家 東洋越陳人(とうようえっちんじん)

東洋越陳人(1836~1916) 
東洋越陳人、本名を服部郡平(はっとりぐんへい)といい、天保7年(1836)3月2日頸城郡野村(現・三和区野)の百姓服部三十郎の次男として生まれました。服部家は代々組頭を務める家柄で教育には特に熱心であった、子どものころから近くの寺子屋に通い、漢学に明るかったほか、絵を描くことが得意で神社の祭りで提灯に絵を描くなど、その才能は周囲の大人を驚かせたと言われ、大人たちは郡平のことを天童と呼んだと言います。
安政3年(1856)21歳の時、中蒲原郡亀田町(現、新潟市港南区)の医者、田中家の養子となったが好きな絵を書きたくて安政5年に生家に戻った。
郡平はまもなく、医学を志して長崎へ旅立ちました。ところが郡平は医師にはならず、長崎三画人の一人で禅宗の僧侶だった鉄翁祖門(てつおうそもん)に弟子入りし、絵を学ぶことになります。慶応元年(1865)鉄翁は郡平に「越陳人」の号を与えられ、これを機に画人として独立を果たした越陳人でしたが、その生活は苦しく、あんまや傘作りをして暮らしたと伝えられています。そして諸国を放浪しながら絵の勉強をする時代が始まりました。
1877年(明治10)、越陳人は突然の帰郷を果たしました。20年あまりの修行と放浪生活も終わりを告げることになります。天童と呼ばれた少年もすでに40歳を過ぎていました。
故郷にもどった越陳人は、新潟や北陸地方を旅しながら絵を描きました。明治15年(1881)越陳人は新潟県から推薦されて、全国絵画共進会に代表作「苗名滝(なえなたき)」ほか2点を出品し、明治天皇による天覧の名誉を受けました。越陳人の名声はひときわ高くなり、全国に名を知られる画家になりましたが、越陳人自身は変わらず上越地方を中心にあちらこちらと旅をしながら画作にふける毎日を暮らしていました。
明治19年(1886)51歳の時、名立町の塚田喜太郎の援助で押出小路(上越市五智4丁目、国府小学校校門前)にようやく居を構え終の棲家としました。同年土橋村(上越市)の相馬順作の姉シマと結婚、まもなく離婚し、明治24年(56歳)で高城村(上越市)の村田弥太郎の伯母イエと結婚した。その日の暮らしに困るほどの貧窮の中に身を置きながらも自由を選び、好きな酒を飲みながら、頼まれて絵を描く人生を送った越陳人は、大正5年(1916)4月18日五智の自宅で81歳の波乱にみちた生涯を閉じた。五智の光源寺の葬った、墓には「画仙東洋越陳人翁之墓」 (写真)とある、妻のイエも同年没したが二人には子供がなかったので家は絶えた。飾らない人柄と数多く残された絵が今でも根強いファンの心を掴んでいます。

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2010-10-19

二組の老夫婦、、

今日はたまに廻って来るロング、と呼ばれる長ーい勤務、運行管理者の点呼の後出庫だ、 おはようございます、3○○ 異状なし、開局、どうぞ、、、
 一日の始まりだ、午前中は週の始まりでまーまー忙しかったかな、2時近くに今日一回目の弁当を食堂で食べる、、、、
午後ある住宅街の仲の良い老夫婦の家に配車になった、いつも二人でスーパーに仲良く買い物に出かけられる、旦那さんはいつも小さなリュックを背負って足の悪い奥さんの手を引いたり、誰が見ても仲の良い微笑ましい光景だった、 家の前に車を着けると旦那さんが一人出て来られた、 お待たせ致しました、いつも有難うございます、どうぞ今日はお一人ですか?と尋ねると、  あー、ばちゃは死んだわね、、! (はい、お婆ちゃん<奥さん>は死亡しました)との事、急に具合が悪くなり病院に入り3日目に亡くなられて、つい先日一周忌法要をしたとの事、、 いや、お客さん、知らなかったものですから失礼致しました、、 いや、運転手さん、そんなに気を使わなくてもいわね、、、それわお一人で寂しいですね、! いや、毎日、洗濯、炊事、などで結構忙しいですよ、人間、皆何れはあの世に行くんだしさ、私も90を過ぎたしいつでも良いんだが、未だお迎えが来ないしね、、 との事、接骨院までお供して、後ろ姿を見送り、お客さん、いつまでも元気で長生きして下さいね、、 と告げると後ろを振り向かずに手を挙げて、 ありがとね、、、! 奥さんと手を繋いで歩く姿が思い出された、、、

空車になり駅に向かっているとあるスーパーに配車、モニターを見るといつもご利用される名前だ、、多分、あのお婆ちゃんだろうな、、! 到着するとやっぱりそうだ、荷物を下に置いて杖をついて歩くのがやっとだ、、買い物は行きはバスで、帰りは荷物があるとバスに乗るのも大変で皆さんに迷惑をかけるし、と言う事でタクシーを利用されるが、タクシーで帰るとご主人が、 おータクシーに乗って買い物かよ! と嫌味を言われるとの事なので、 お客さん、家の少し前で止めますか? 運転手さん、気を使ってもらって悪いね、 家の前に車が止まっている時はいつも少し手前で降りてそこから歩いて帰られる、、荷物は私が持って玄関の前にそっと置いてくる、、 よそのご夫婦のことで他人の私が言う事ではないが、ご主人は車に乗られるのに、一週間に1~2度のスーパーの買い物、足の悪い奥さんを乗せて行ってあげれば良いじゃない、、一緒に買い物をするのが嫌なら車の中で待っていればいいじゃない、、、タクシーに乗って買い物かよ、の嫌みはないよね、、、、、、
世の中いろいろだ、 今日は25回お客様をお供して長い一日の勤務が終わった、


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2010-10-17

[今日の話] 第3回上越市「謙信、兼続」検定、、

昨日午後から上越教育大学で行われた、第3回 上越市「謙信、兼続」検定の「義の級」の受験に行ってきた。   あいにく昨日は昼間の勤務であったが夜の勤務に変更してもらった、早めに試験場に行くと、んッ、いやに静かだなー駐車場には隣県ナンバーの車もちらちら、、、 昨年春に行われた第1回目なんかは、NHK 大河ドラマ「天地人」の影響もあると思うが1、000人を超す受験者、駅からのシャトルバス、タクシー、車がどんどん大学の構内に入って来たんだが、今回はパラパラ、交通整理のガードマンも手持ちぶたさ、、、案内された大学の講義棟の広い教室に入ると昨年秋の第2回目よりも少ないな、、、初級の「愛の級」と同じ教室だが、2つの教室を使っているので「義の級」の受験者は150人くらいと思うが、新潟の会場での受験者は全く解らない、、、、自慢じゃないが今回は前回よりも勉強をしていない、受験を止めようとも思ったが、折角3,000円の受験料を払ったから勿体ないし、、ただ言える事は前回、前々回と受験経験が豊富な事、、、???、普段から興味本位、暇つぶしに近くの史跡などを回りブログにアップしているので、その点はプラスの要素だな、、、、、、
 
問題用紙と解答用紙が配られいよいよ試験開始、「義の級」は答えを選ぶ選択式と記述式の85問、時間は90分、80点以上が合格、、、、だ。
スタートして、するすると回答が出来る、前回とえらい違いだな、、、こりゃ合格できるかもしれないな?

問、 春日山城の西側にあり、城の背後を守る最後
   の拠点となっていた砦は? (お手上げ)
問、 謙信公は織田信長軍とある川で戦い圧勝した
   が、その戦いで織田軍の総大将だった武将は
   誰か、武将の名前をフルネームで書け、
   (柴田勝家を柴田重家と書いた、× )
問、 「本能寺の変」があった年、景勝公と兼続公
   は数え年で何歳だったか、
   (本能寺の変、1582年を正確に覚えて
   いなかった、 × )

問、 景勝公の子供について正しいのはどれか、
   (景勝公と兼続公を、おっちょこちょい
   で早がってんして × )

問、 「第3次川中島の戦い」は信濃の上杉軍の
   拠点の城を武田軍に奪われた事がきっかけで
   始まったがその城は、
   (葛山城を葛尾城とかん違い × )

今回は運も付いていた、特別なアクシデントが無ければ何とかなりそうな雰囲気だが、、、果たして、、?

第1回目、 「謙信、兼続」検定
第2回目、 「謙信、兼続」検定 (義の級) 

   
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2010-10-15

[古いスコアカード 第3の人生] 古物商、 怪しいお客 ①

店を開けていると専門店とは言え、色々なお客さんがやって来る、常連客、いちげんのお客、老若男女、、、古物商の許可を取って業界誌に広告を出すと結構と日本全国から、たまに海外、特に香港、台湾、中国などアジアが多いが効果が出てくる。中古品の下取りは勿論であるが、中古品の買い取りもよくある、買い取りは品物を売って現金に換える訳であるから、普通の場合はその商品はもう必要ない訳、、、当然買い手(お店)としては足元を見る訳ではないが安く、たたくことになる、最近多くなったリサイクルショップ、みんなそうだ、、買い取りは意外と儲かるんだが、たまに痛ーい目に遭う事も、、、、、
ある時30代と思われる一人の男が歩いて車載用の無線機を2台持って買い取りをしてくれとやって来た、子供が使っているんだが今はもう使っていないので、との事、、内心、えッ、車に乗るような大きな子供がいるような年ではないだろう、、? 無線機本体とマイクだけ、付属品は一切ない、思いきって安い値段を提示すると、すんなりOKと言う、、怪しいなー、!
当然身元確認の為、運転免許証の提示を求めたが免停で免許はないと言う、
規則で運転免許証で身元確認が出来ないと買い取りは出来ません、 と告げると作業用の免許を出してきた、、記載されているのは、名前、生年月日、都道府県名、免許番号、、見ると県外の人間だ、、県外の人がここで歩いてきたのか、、?、ますます怪しいな、、! 普通はこの作業免許でも写真は載っているしコピーをとり住所、氏名、電話番号を聞いて拇印を押して買い取りをするんだがお断りすると、うちの方の店は直ぐに買い取りしてくれる、、 と捨てぜりふ、、、 内心、それならばわざわざこんな県外の店まで来なくてもそちらの店で買い取りをしてもらえば良いじゃない、、、 丁重にお断りすると、ブツブツ言って帰って行ったが、、、、
多分車は近くに置いて店まで歩いて来たんだろう、、多分鍵のかかっていな他人の車に搭載されていた無線機を勝手に外して来たんだろう(これ泥棒)、、普通は少しでも高く買い取ってもらう為、有る付属品は全て持ってくる、又同じような種類の無線機を2台も持っているのも不自然だ、、、


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2010-10-14

[古い航海日誌 霞峰丸①] 社船、日晴丸、、、

ペルシャ湾のサウジアラビア、カフジを出港以来、順調な航海を続け昨夜、スリランカ(セイロン島)のドンドラ岬を通過した。12万トンの三島型の本船、殆んど今の時期は揺れる事はあまりない、揺れても僅か、船首方向の住居部に部屋、仕事場のある我々は静かで快適である、、、船上に居る事さえ忘れる事がある、この航路は大きく分けると4つに分かれる、日本を出港して台湾の南、バシ―海峡まで、、シンガポール海峡まで、、スリランカのドンドラ岬まで、、そしてペルシャ湾まで、、、 帰りの航海の4分の1が終わった事になる、ドンドラヘッドを交わすと日本、太平洋側からスエズ運河経由、ヨーロッパに向かう、中近東方面に向かう、タンカー、自動車専用船、コンテナ船、など色々な船と行き交う、、昨日の社船連絡(社内の全船舶が時間、周波数を決めて定時連絡をする)で、岡山県倉敷市の水島港からペルシャ湾に向かっている社船 ”日晴丸” と本日の午後の私の当直時行き交う筈だ、、”日晴丸” 237,586トン(写真)は当社では一番新しいVLCC,大型油送船だ、、中波、500Khzで日晴丸/JGTNを呼ぶと直ぐに応答があり、お互いの noon position (昼の位置)を交換した、相手の位置をブリッジのセコンドオフィサー(2等航海士)に持って行くと直ぐにチャートに向かい、位置を入れて、後30分くらいで行き交いますね、、! 間もなく 日晴丸が国際VHFで本船を呼んできた、キャプテンに連絡すると間もなくキャプテンもブリッジに上って来た、キャプテンの指示で僅かにコースを変えて接近する事に、、、レーダーでは日晴丸の船影をとらえている、20分くらいで水平線上に見えてきた、双眼鏡で覗くと船のブリッジが先に見える、ウソだと思うだろうが地球が丸い、と言う事を実感できる、、、、23万トンの巨体がはっきり見えるようになった、全長300メーターちょっと、ドラフト(喫水)20メーターの空船の姿はまるで島が動いているようだ、、お互いのご安航を祈った、、そして段々と遠ざかる船影を見ていると、、これから暑いペルシャ湾に行くのかよ、、おいらは後10日ちょっとで日本に帰るのに、、、って感じだ、、、。


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2010-10-13

[我が故郷] 能登島と塩浜町、日野宮神社、

能登半島の七尾市の沖合に能登島と言う島がある、私も二度ほど訪ねた事があるが、今は島まで立派な橋で結ばれている。この島にある小さな村落と、上越市の中央五丁目(旧 塩浜町)、地元では 「はまちょう」 と言った方が通りが良いようであるが、 
、、、にある日野宮神社(写真) 、塩浜町が関わりがあると言う事は一年ほど前までは知らなかった。 私自身、月参りで何度も参拝に来ている(割烹 松風園の西側)。
能登国に鎮座する劔大権現で,慶長年間に当地に移って日野宮神社と改め遷座したという。

江戸時代の初め、能登半島の七尾湾に浮かぶ能登島の小浦村の人々が村を挙げて塩浜町に移住したのが起源と言われている。その後、塩浜町から塩屋新田(下門前の西側、ホテル ルートイン上越の辺り)に移った住民もいた。

能登島、小浦村の先祖が島を離れた理由については幾つかの諸説がある。
『能登誌』によれば、
慶長10年(1605)、あるいは寛永年間(1624~1643)に加賀藩への年貢米の未進により、一村あげて越後に逃散したと言う説。
前田利家が石動山を焼き討ちにした際に、石動山側で参戦した小浦村、村人が上杉景勝を頼って越後に落ちのびたとの説、
揚浜式塩田による塩づくりの技術に長けていた村人が越後の上杉氏に召喚されたとの説。など諸説は絶えない。

いずれにしても神社の石碑の銘文、残された資料などからしても能登の小島から塩浜町に移住したのは間違いないようだ、塩浜町と能登島の住民は相互訪問など明治時代からの交流が続いている。

  
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2010-10-12

図々しい、おばさんグループ、、

この3連休はずっと仕事、結構忙しかった、、特に10日は大安吉日、たくさんの結婚式があったようだ、法要、同級会も結構あったようだなー、、、、、、
夜9時、ある大きな居酒屋に配車になった、2-3分して、 40代と思われる女性が出てきて、、 すいませんちょっと待って頂けませんか、、!    どのくらいでしょうか、、!  15分くらい、、 それではお待ちしますのでなるべく早くお願い致します、、 今日は忙しい、、、しかーしだ!  15分たっても20分たってもお客さん出てこない、、 フロントからは未だ時間がかかるのか催促の無線が入る、、、、 イライラ、、、イライラ、、、 30分過ぎようやく10人くらいのおばさんグループが出てきた、、お待たせしましたでもない、、直ぐに乗車するかと思えば、みんなでタクシーの横でぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、、、話の内容からして同級会らしい、、内心、こっちは忙しいんだからさー、早くしてよ、、と言いたいんだが、ドアーを開けて どうぞ! と言っても相変わらず喋っている、 いい加減、忙しいんだから早く乗ってよ、、 と喉の奥まで言葉が出て来ているんだが、折角楽しそうに話しているのに、、、、 じっと我慢、、メーターを入れておいてくれ! とでも言うんなら話がわかるが、全く常識の無い、図々しい中年のおばさんグループ、、、、、3-4分も喋ってようやく4人の女性が乗車、(前1人、後ろ3人)



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2010-10-10

[仲良し、ちびっ子二人] 一歳になりました、、ひとり言、

あたし一歳になりました、、、 
一年前の今日、朝早く生まれました、
婆ちゃんからお気に入りのパジャマ、
爺ちゃん婆ちゃんからピアノ?(写真)のプレゼント
ばんざーい、、、! 

みんなパパ似っていいます、、、 
女の子はパパ似の方がびじんになるっていいます、
乞う、御期待、、、

もうハイハイなんてやってられません、、、 
自称、アスリートのパパ似で足がつよいとみんな言います、でもあたしは、足よりも頭がつよい方がいいなー、、、とおもいます、、乞う御期待、、、

もうおっぱいなんて止めました、、、 
歯も2本ずつ生えました、美味しいものから、まずいものまでなんでも食べます、、特にバナナがだーいすき、、、! みんなあたしの事、一人前に臭いウンチするなーって、、しつれいしちゃうわー、、、

ママにかわいい靴をかってもらいました、、、 
これからはリクをおさんぽに連れて行かないといけないので家の中でれんしゅうしています、、なかなか嫌がってあたしの言う事きかないんだわ、、みんな今のところ頭はリクのほうがちょっと上、、といいます、、しつれいしちゃうわ、、 乞う、御期待、、、


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2010-10-09

越後、くびき野100キロマラソン、

越後、くびき野 
100キロマラソン



昨日は朝から夜中までの長ーい勤務、駅前で待機しているとバス乗り場に長い列が出来ているではないか、、あまり見かけない光景だ、年齢は2-30代くらいが多いが結構と年齢の高そうな人も、、カバンを持ったりリュックを背負ったり、、しかし何れもラフな格好だ、、何の集まりだい、、! 電車が着くたびに列の人が増えている、、、明日(9日)2年に1回行われる、越後、くびき野100キロマラソンに参加する人の受付や前夜祭が行われるリージョンプラザに行くシャトルバスを待っている列だ、この光景は夕方まで続いていた。夜中の12時に勤務が終わるまで数回、大会に出るお客様をお供した、東京から来たと言う2人の女性、栃木県から来たと言う中年の男性、3人の家族ずれの参加者、、、、何年も前から行われていたこの大会、名前くらいは知っていたんだが、全国から1,000人を超す人が参加する大会、 あまりにも地元の自分の無関心さ、無知に恥ずかしさを感じずにはおれなかった、、そう言えば以前から大会のボランティアを募集していたっけな、、、今頃は参加者が頑張って走っている頃だ、幸い天気も曇りではあるがまーまーだ、、参加者がみんな無事に完走出来る事を祈ろう、、


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2010-10-08

[古いスコアカード 第3の人生] 国際ロータリークラブ、②

銀行の支店長が地元ロータリーのお誘いに来てから3週間くらいたったある日、会社に訪ねてきた、 先日の入会の件、他の会員から異議申し立ても無く入会の許可がありた、との事、次の火曜日の例会(現在は木曜日のようだ)に是非出てくれとの事。当日恐る恐るホテルの例会場に行くと、知っている顔は数名、後は全く知らない、名簿を見ればそうそうたる顔ぶれだ、年商500億の企業の社長から一人でやっている企業の社長、医者、弁護士、税理士、宮司さん、化粧品屋の女性、設計屋、、、など等多種多彩だ、、、そうそうたる顔触れに何か、来てはいけないところに来た感じ、、、、でも皆、気易く声を掛けてくれたり、ニコニコと、、、多少は心も安らいだ、、、出来て未だ1年足らずの会員数60名くらいの新しいクラブだ。比較的年代層も若い、12時30分から始まる例会、会長の点鐘から始まり会長の挨拶、そして新入会員の私が紹介された、、会員が大きな拍手で迎えてくれた、一瞬なにか胸が熱くなるものを感じた、、、、昼食を食べて1時30分ちょうどにロータリーの歌を斉唱して何だか解らないうちに1回目の例会が終了した、、、

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2010-10-07

[今日の話] 一年振りのゴルフ、、

朝目が覚めるとカーテンの隙間から明るい光が漏れている、、んッ、天気は良さそーだな! 昨日までの天気はウソのように晴れ上がった気持ちの良い秋晴れだ、やっぱり、へいその行いが良いからなー! 丁度一年振りのゴルフ、自慢じゃないがクラブを握るのも一年振りだ、年に2回の会社のコンペ、春はやぼ用で参加出来なかった、、勤務の関係で一日では出来ないので数日間にわたって行われる、途中で合流して3人で一台の車に乗り向かった妙高パインバレーカントリークラブ (写真)、もう一人は同じグループ会社の人、私は初めてだ、、、、


高原のリゾート地、紅葉も僅かに始まったところ、スタートはいきなり514ヤードのロング、たのむ、チョロだけはするなよ、、、、 カチーン、 フェアウエーど真ん中とはいかなかったが、多少シャンク気味、まーまー前に行ったから良いか、、、結局6オン3パットの9だ、、次のミドルホール、4オン2パットのダボ、、次は149ヤードのショートホール、 ナイスオン、、2パットで今日初めてのパー、、、段々と慣れてきたかなー、! しかーしだ!  次のミドルで又叩きました、、普段の運動不足で段々と足がふらついてくる、、ブレーキとクラッチとアクセルしか足を使わないんだもんなー、、、、あがってみればやはりこんなもんか、、100切りは難しくなってきたな、、昼の生ビール、、これがゴルフに行った時の楽しみの一つだ、、午後、あがって見たら前半と同スコアー、、水平賞は間違いない、、グリーンは殆んどが2パットだが、やはり寄せだな、、、たら、れば、は良くないが勿体ないホールが随分ある、練習をしなくてももうちょっと運動で足腰を鍛えればスコアーは10は縮まるな、、、

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2010-10-06

[古い航海日誌 霞峰丸①] アジの開きで一杯、、

単純な毎日、あと日本まで2週間の航海だ、アラビア海の真ん中を順調に航海している、夜の12時、当直が終わり部屋で腰にバスタオルを巻きつけてパッセージのドアーを開けてボートデッキへ出る、、空は満点の星、、、 今日も一日終わったなー、妻と一歳半の長男の待つ日本はそろそろ朝だ、そろそろ起きる頃だろうか、、、暫くもの思いにふけり、バスルームへ、どっぷりと湯船に浸かり一日の疲れをとる、、 大して疲れもしませんがね、、! そして楽しみの一つ、居酒屋 霞峰丸 のオープンだ、おかずはペルシャ湾で釣ったアジの開き、、先ずは缶ビールで乾杯だ、続いてご愛用の、ニッカ G&G ウイスキーだ、ロックで2-3杯、航海中、船内で使う酒、タバコ類は全て免税扱い、従って国内での市販価格の半分だ、、と言う事は半分は税金って事、、 変な言いわけだが、ついつい、飲み過ぎ、吸い過ぎちゃう、、、

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2010-10-05

[我が故郷] 松尾芭蕉、「奥の細道」と我が故郷、

松尾芭蕉(1644~1694) 
松尾 芭蕉(まつおばしょう)は正保元年(1644)現在の三重県伊賀市出身で江戸時代前期の俳諧師である。幼名は金作、通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎、名は宗房、俳号としては初め実名の宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。俳句の道を志し、20歳の頃に初めて俳書に掲載された。
寛文12年(1672)江戸に出て創作活動続け、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に弟子の河合曾良を伴い江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『奥の細道』が有名である。「奥の細道」をはじめ多くの紀行を残し元禄7年(1694)51歳で他界した。(写真は三重県上野市駅前の芭蕉像)

 
芭蕉は、旧暦7月2日新潟、3日弥彦、4日出雲崎、5日鉢埼(現在の柏崎)を経て6日に今町(現在の直江津)を訪れ、翌7日も滞在して、8日から10日まで高田で過ごしたようである。
今町(直江津)では古川市左衛門の家に宿泊しました。近くにある聴信寺(写真)において『文月や六日も常の夜には似ず』の芭蕉の発句で句会が開かれました。 翌日も聴信寺、夜には地元の俳人元仙(げんせん)宅で句会が開催され丁度旧暦の7月7日に披露したのが『荒海や佐渡に横たふ天の河』です。
高田の医師春庵(しゅんあん)宅に呼ばれ『薬蘭(やくらん)にいづれの花を草枕』を詠んでいます。毎日雨が降り続けここに足止めをされたようで、2日間更に宿泊し、ようやく晴れたので、高田を出発し、五智如来、居多神社に参拝し越中へと旅立ったと言われている。市内には6ヶ所、松尾芭蕉の句碑が残されている。

上越市五智の国分寺境内にある句碑で「薬園の草が秋で美しいが、どれを枕としてここに旅寝しようかと、主人への挨拶をこめて詠んだもの」高田の医師細川春庵を訪れた時の作句である。春庵は薬草を栽培し、庭の泉水その他美しい庭だったと言われている。この句碑は明和7年(1770)に建てられたものである。

薬蘭に
  いづれの花を草枕

 
上越市中央にある船見公園向かい、琴平神社境内の芭蕉の句碑で「明夜は七夕である、一年に一度の牽牛、織女の出会いが明夜だと思うと、今見上げている六日の夜空も心なしか甘さ、妖しさが感じられるようだ。」という句意と思われる、文月は旧暦7月、元禄2年 1689年七夕の前夜直江津での作句である。
 
文月や
 六日も常の夜には似ず


 
上越市黒井にある本敬寺(ほんきょうじ)境内にある句碑で、「あすならふ」は翌檜(あすなろ)でヒノキ科の常緑高木、葉が檜に似ているところから「明日は檜になる」と言う意味でこの名が付けられており、「花が咲き盛っているあたりに、あすは檜になろうと思いつつ立って、年を経て行く翌檜の姿がさびしい」と言う句意と思われる。この句は笈日記に掲載されており、特に黒井には関係がないが、奥の細道行脚の際、松尾芭蕉が黒井宿の旅籠屋、伝兵衛で休んだのに因み、寛政の頃、地元の俳人、熊倉平十郎幸亭らによって建てられた句碑と言われている。

さびしさや
 花のあたりのあすならふ



上越市北城町1丁目にある北城神明宮境内にある、芭蕉が直江津と高田の句会で詠んだ句二点を刻した昭和60年6月に建てられた句碑である。

薬蘭(やくらん)にいづれの花を草枕

文月や六日も常の夜には似ず



上越市の金谷山、割烹 対米館 の手前(東側)にある芭蕉の句碑である。この句碑は文化3年(1806)榊原藩士、安田縫之助らによって金谷山、薬師堂前に建てられたが昭和初期に現在地に移転された。

薬蘭(やくらん)にいづれの花をくさ枕

 

上越市南本町3丁目にある正輪寺境内(瑞泉寺、いずみ幼稚園の前を東の方に細い路地を入ったところ)にある芭蕉の句碑である。芭蕉が武士達の花見を通りすがりに見て詠んだものと思われる。「景清」とは平家の特大将で「悪七兵衛景清」と言われた人並み外れた剛勇の士のことであり、「悪七兵衛と呼ばれた景清のような強い武士も、花見の席ではただの七兵衛になって花見を楽しんでいるようだ」と言う句意であろう。宝暦13年(1763)地元南本町の俳人で、芭蕉の孫弟子と言われる南嶺庵らによって建てられた句碑である。

景清も
 花見の座には七兵衛



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2010-10-04

ネオン街事情、、よくある会話、、①

我が町では今、日本最大規模となる火力発電所の建設工事が急ピッチで進められている、全国各地から1,500人を超える関係者が集まり工事に従事している。ほぼ関係者専用に近2つ有る大きな宿泊施設に行くと北は北海道、南は九州各県までの車のナンバーを見る事が出来る、、、 よくある会話だ、 運転手さん、面白いとこ知らんかね、、、、、、?? 大体お客様の言いたい事は解っていますがね、、お客さん、面白いとこって何ですか、、、?
 えー、解ってるくせに、、、 お客さん、世の中、男と女だけですよ、お客さんの腕次第じゃないですか、、! その腕も口も下手だから運転手さんに聞いてんのに、、 お客さん、それだけ喋れれば十分ですよ、、、、、、
昨夜も良く行くファッションホテルに配車、、指定されたシャッターの前で待っていると、後ろに車が1台スーッと、 タクシーが邪魔なのか、、いや横も通れるし、他にも空いている部屋はあるしな、、、、ルームミラーで後ろを見ると乗っているのは一人のようだ、、暗くて顔までは見えない、興味があるのでバックギヤ―を入れてバックランプを点けて、おまけにブレーキも踏んでやった、、 俺も人が悪いね、、、30代と思われる男が乗っていた、、シャッターが開き暫くすると、いかにもそれらしき若い女性が出て来て後ろの車に乗って行った、 ハハー、、 2分くらいして40代位かカバンを持ったビジネスマンと思われる男性が出て来て乗車、、行先は駅だ、、ハハーなるほど、今からなら最終の上りの特急に間に合う、、、電車の時間まで駅前で一杯飲むってのは良く聞くが、電車の時間まで、、、、、ってのも有るんだね、、、 なんて事はない、、お客さんの方がいろいろと詳しいわね、、、この仕事をやっていると色々と勉強になりますね、、、


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2010-10-03

[仲良し、ちびっ子二人] 仲良しちびっ子のひとり言、


あたし来週で1歳に成るのに、這い這い、なんてやってられません
恥ずかしくて、、、、、

あたし歩き過ぎて疲れちゃった、、
爺ちゃん、、おやつ頂戴、、、

(額の傷は、ころんで壁に頭をぶつけちゃった、、名誉の負傷、、)

爺ちゃん、このおやつ美味しくなーい、、、あたしだって、食感ってもんがあるんだからさ―、、!

乃愛ちゃん、一歳の誕生日に記念写真を撮るんだって、、、、
俺も一緒に撮ることに成った、、
昨日、ヘアーカットに行ってきた、 どうだ、かっこ良いだろう、、
、、






   
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2010-10-02

[今日の話] 金木犀と柘榴(ざくろ)

数日前から家の近くに来ると何処からともなく、何とも言えない匂いがする、、、そんなに嫌な匂いではないんだが、、、???? 今朝、相方が部屋の掃除をしていて窓を開けて、、、、 
おー、良い匂いがするねー、、! 
2-3日前から匂うんだが何の匂いだ、、! 
家の金木犀でしょう、、   何、、 
知らぬが仏、、毎年の事なんだろうが、すっかり忘れていた、、犯人は庭の金木犀だ、見上げてみれば橙色の小さな花がたくさん咲いているわ、風向きによってはかなり遠くからでも匂う、、、、良い匂い、と思う人もいれば、嫌な匂い、と思う人もいるだろうなー、、、

ものはついでだ、ちょっと調べてみると意外と知らない事ばかり、、、

モクセイ科モクセイ属で、ギンモクセイの変種。中国南部(桂林地方)が原産で中国語で”桂”は木犀の事を差し、有名な観光地「桂林」と言う地名も木犀の木がたくさんある事に由来するようだ。江戸時代に日本に渡来した。
金木犀の中国名は「丹桂」。
丹=だいだい色、
桂=モクセイ類、
 ”犀”の字は「固い、鋭い」の意味あり、成るほど枝は確かに硬い、

主に庭木として観賞用に植えられている。 秋になると小さいオレンジ色の花を無数に咲かせ、芳香を放つ。芳香はギンモクセイよりも強い。雌雄異株であるが、日本では雄株しか入っていないので結実しない。雄しべが2本と不完全な雌しべを持つ。
花冠(花びら)はワインに漬けたり、お茶に混ぜたり、香味料に仕立てたりする、又料理などにも使われる。

柘榴(ざくろ)の木にも柘榴の実がたくさん生っていた(写真左)、我が家の柘榴、食べるでも無し、鑑賞するでも無し、可哀そうな柘榴だ、、、

柘榴(ざくろ)とは、ザクロ科ザクロ属の落葉小高木で、又はその果実の事で、原産地については、トルコあるいはイランから北インドのヒマラヤ山地にいたる西南アジアとする説、南ヨーロッパ原産とする説、およびカルタゴなど北アフリカ原産とする説などがある。庭木などの観賞用に栽培されるほか、果実は食用としても利用される。


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2010-10-01

[古いスコアカード 第3の人生] 国際ロータリークラブ、①

ある時いつもお世話に成っている近くの銀行の支店長がひょっこりやって来た、んッ、お金でも貸してくれるのかな、、! 暫く世間話をしていたが、社長、ロータリークラブってご存知だと思いますが、、、、  と切り出してきた、 えー、名前くらいは知ってますが、悪いが金持ちと暇人の集まりでしょう、、、 
ロータリークラブのお誘いに来たわけだ、 すいませんがロータリークラブに入る器量でも有ませんし、そんな暇も有りません全く入る気は有ません、丁重にお断りした。4-5日したら又来ますので是非考えてみて下さい、、 との事で帰られたが、案の定5日目に又来られた、世間話の後、ところで、、 きたきた、、、色々と考えたんですが今のところ入りません、お断りした、、しかーしだ! 色々と熱っぽく会の説明などをして頂いた、会員に成るには基本的には一業種一人となっているようだが多少緩いところが有るようだ、しかし入会に当り現会員から一人でも反対が有ると入会出来ないらしい、、全く入会する気は無かったんだが、いつも何かとお世話に成っている支店長のお誘いでも有るし、見方を変えれば有りがたい話でも有る、、不本意ではあるが、とりあえずシブシブと入会する事にした、、、、


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名前は:ham 
年齢は:爺 ♂
血液型:B型 みずがめ座

辛い事もあったが楽しい事も、、
良い思いも沢山させて頂いた激動の人生、
昔のこと、今の事、自由に綴る我が人生、






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