2009-05-31

[我が故郷、上杉謙信] 箕冠城跡(みかぶり)

天下の武将、上杉謙信の春日山城の支城群の一つで信越国境を警備する重要な拠点であった、箕冠城跡(みかぶり)へ行って来た。県道、新井柿崎線から眺める山容は中世の典型的な山城にふさわしい雄姿である。この箕冠山は海抜237メーターで三方向が切り立った断崖となっており、東に大熊川、西に小熊川が流れており、堅固な山城である。、、、、、、、、、、
新井、柿崎線、板倉区地内から、県道254を久々野、山寺薬師、やすらぎ荘、方面に入り山部地内(しみず屋の先)のY字路を右にしばらく進み、菰立(こもだて)地内に入ると大きな案内板(写真)が目に入る。
  
案内板を左に曲がりしばらく進むと駐車場(20台くらいOK)に着く。駐車場より頂上、本丸跡までは徒歩で10分くらいで行ける、良く整備されており、高齢者でも安心して行ける。現在でも、水濠(写真右)、空堀、土塁、井戸、屋敷跡等が残っている。あまり手入れが行き届いているとは言えないが公園になっており、便所、水飲み場、ベンチ、等がある。       

たくさんの大木が生い茂り当時を偲べる、の木もたくさん生い茂り春の桜の花の咲く頃、是非訪れてみたいもんだねー!

            
箕冠城(みかぶりじょう)は越後守護、上杉家の重臣として、段銭方(たんせん)「財政のことだそうです」を務めた大熊備前守朝秀(ともひで)の居城である。弘冶2年(1556)8月23日朝秀(ともひで)は武田信玄の誘いに応じ、上杉謙信に背いた。謙信はすぐに朝秀討伐の兵をおこし、駒帰(こまがえし)、今の青海町で撃破した。敗れた朝秀は甲斐の武田信玄のもとへ身を寄せた。
川中島合戦当時は前進基地として重要な城であったが上杉謙信が川中島合戦から引いた後はあまり必要がなくなり廃城となった。

本丸(写真)からは、春日山城をはじめ、頚城平野を一望に、妙高、信越境の連山を見渡し、さすがは上越の豪族、大熊氏の居城とうなずける。





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2009-05-30

[古い航海日誌  清峰丸] 一か月ぶりの日本

千島列島沖からどんどん南下し、北海道沖へ、日本の中波の海岸局が良く入る、ほっとするね、さらに三陸沖を南下、房総半島南端の野島埼から伊豆大島の近くを通り、伊豆半島南端、石廊崎を右舷に見て駿河湾、、、、紀伊半島の潮岬方向にコースをとる。又しばらく日本の島影が見えなくなるかな、、
いやー、今航は色々な事があった、1年分の航海を1航海で全て経験したって感じだな!
一か月ぶりに見る日本の景色は懐かしくいいねー! 今までの連日の時化は嘘のようだ、沢山の船と行き交う、んっ、○○海運の船だな、F先輩は元気かな、 おー、○○汽船の船か、後輩のSはどうしているかな、、先輩、後輩が世界の海で活躍していると思うと、何か誇らしげに思う。
2月末、空気が澄んで富士山が奇麗だ、改めて富士山の素晴らしさを実感した。今航は広島港(宇品港)揚げだ、明日の昼には広島入港予定、入港前になると急に船内も慌ただしくなり、活気づく、昼食を食べてワッチ(当直)だ。

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2009-05-29

[今日の話] 工事の進む北陸新幹線

車で郊外を走っているとあちこちで北陸新幹線の工事をやっている、6-7年後の開業を目指して急ピッチだ。地元の駅舎の工事も始まった、しかし肝心な駅名が未だ決まっていない、駅名どころではない、在来線の新幹線駅への乗り入れ工事もJRなど等との調整がつかず、開業に間に合わない可能性も出てきたようだ。この新幹線、地元でも地域、など等で、賛否両論、いろいろだ。今は東京までほくほく線経由で2時間ちょっと、開業後はほくほく線の特急電車は廃止となるようだ、直江津地区の人々は新幹線の駅まで在来線で乗り継ぎとなる、乗継時間などを考えると従来のほくほく線経由とあまり変わらない、むしろ余計に時間がかかる事も考えられる、しかしだ、乗車料金は今よりも新幹線経由の方が高くなるのは間違いない。  (●^0^●;)
じゃー、どっちがお得、、、 と言う事になれば、答えは明白、、、、
又直江津商店街の活性化にも大きな影響が出るであろう。。。
   
郊外を走っていて新幹線の工事現場にふと目をやると、んっ、、あれッ、、
思わず車から降りて、許可なしに、勝手に、写真を撮った。但し心の中で謝りました、すいませーん!、、、よく見ると新幹線の橋げたと民家の距離はわずか、、1メーターくらいか? 余計な事だが、 これって、このままなんですかねー?、、、見ると家もまだ新しいようだ、、当然、新築時は新幹線の工事計画は決まっていたんだろうが、、家の1メーター離れた所を新幹線が時速200キロ以上で走る、、比較的駅に近いのでこの辺ではスピードも落ちているのかね、、、でも地元の駅には止まらない電車もあるだろうに。。余計な心配ですかね! すいませ-ん!

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2009-05-28

[古いスコアカード 第3の人生] 初めて持った、自家用車

いつもは有給下船すると、一番初めにする事は休暇中の足を確保する為にレンタカーを借りる、当時の私のお気に入りは、日産 サニー (写真) だ。
1ヶ月間、長期で借りる、自家用車の購入も考えたが、年間乗る期間は約2ヶ月、(神さんは当時車の免許は無い)、駐車場は屋根なし、保険など維持費を考えるとレンタカーの方が有利かなー、と判断した。
                  
ある時知り合いが、車あげるが、いらないか? と言う。 乗って来た車が、トヨタ カローラ 1100  (写真) たいそう古いボロクルマだ、ただと言うのもなんだし、5万円で手を打った。とにかく初めて手にしたマイカーだ、昔、トヨタのテレビコマーシャルで俳優の”二谷英明”さんが出て言っていた。。。。。      「いつかはクラウン」 よーし、俺もいつかはクラウンに乗ろう! 心に誓ったもんだ。 マイカーのボロのカローラも型は古いが結構働いてくれた、乗船中使わないので、昔お世話になった先生が、熊本市にある郵政省九州電波監理局(現 総務省九州総合通信局)に単身赴任で来ておられたので半年間、熊本で働いてくれた。型が古く街を走るのもちょっと恥ずかしい気もしたが、私の足代わりでずい分と働いてくれた、、、 

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2009-05-26

最近、暇だなー!

今月に入り前半、連休中は比較的忙しかったんだが、連休後はどうも暇になったなー、例年の事なんだろうが、あまり暇なのも疲れるね。。
新人のドライバーもどっさり入社して運行台数も増えてきた。運行管理室のボードにかかっている名札、当然私の名札は一番下にあった(歳だけは大ベテランなんだけどネ)、昨年1人女性のドライバーが入り、下から2番目に上がった、、、、
しかーしだ、今年に入り20代30代40代の若い乗務員(女性も)どっさりと入社してきた、それぞれ研修期間も終わり乗務している、名札も私の下に10枚くらい一気に増えたね、、、先日も5人くらい研修を受けていた、まだ増えるよ、、若い乗務員が育ってくれれば良いんだが、この業界、なかなか若者が育たない、嫌がる仕事、 何故かって、、勤務が不規則、夜になると、酔っ払いなど嫌なのが居るんだわ、、、、
2か月ほど前、わが社の全車両に運転者を防護する防護板(写真)が付いた。しかしこれが又乗務員の評判が悪い、邪魔になるバックするのに後ろが見難い、、、、。などなど。後ろから襲われるのに多少効果があるのかねー、その間に逃げろ、と言う事でしょう、、、しかしフロントガラスに防犯カメラも付いた、したがって悪い事をすれば確実に捕まるネ、カメラも事故、運転管理、等に使う物と2個付いている、全て管理されているって感じ、、、、、

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2009-05-25

[郷土の偉人] 「日本のアンデルセン」 小川未明

「日本のアンデルセン」と称された、童話作家、小川未明(健作)は明治15年(1882年)、最後の高田城主だった榊原家の家臣で小川澄晴氏の二男として、現上越市幸町に生を受ける。
奔放だった未明は、岡島小学校(現在の上越市立大手町小学校)の授業を幾度となく抜け出し、土手などで遊びまわって過ごしたという。13歳になり、入学した高田中学(現在の新潟県立高田高校)では、代数・幾何学など苦手な分野には関心を示さず、文芸や政治関連の書物を読みふけった。結果、成績は偏り、3度も落第したという。
3度の落第を経た後の未明は19歳のときに上京を決意、東京専門学校(翌年、早稲田大学に改称)を受験し、英文哲学科(後に英文科に転科)に合格する。そしてここでの出会いが未明の作家人生を力強く後押ししてくれることになった。小川未明の名付け親であり、未明(正式には、びめい)の才能をいち早く見抜いた坪内逍遥(つぼうちしょうよう)とは、この大学での講義を通じて出会う。
在学中の明治37(1904)年9月、処女小説『漂浪児』を発表、好評を博し(この時に逍遥から未明[びめい]の号をもらう)、翌明治38(1905)年、早稲田大学を卒業。
大正10(1921)年に代表作『赤い蝋燭と人魚』を執筆。その後も『青空の下の原っぱ』、『雪くる前の高原の話』、『兄弟の山鳩』等を次々と発表した。
1946年には児童文学者協会設立、初代会長に就任。1951年に芸術院賞を受賞、翌52年には芸術院 文化功労者となる。
しかし、昭和36(1961)年5月、脳出血で倒れ、79歳の生涯を閉じた。

本町通りを直江津方面に下り、東本町、本町7丁目の信号をさらに、少し東へ進み、小さな路地を右に入った右側、1メーターほどの狭い敷地(判るかなー)、「小川未明生誕の地」と刻まれた小さな石碑がある。ここは「日本のアンデルセン」、「日本近代童話の父」と呼ばれた童話作家・小川未明の生家があった場所だ。
上越市内には未明の童話作品をモチーフにした像が数多く点在する(高田公園、春日山神社、大手町小学校、春日小学校、など)。その中の一つ、直江津の船見公園内に建つ『赤い蝋燭と人魚』をモチーフに据えた人魚の銅像を見に行った。 (写真は赤い蝋燭を持った人魚)


人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。
 北の海にも棲んでいたのであります。
    北方の海の色は、青うございました。ーーーーーー
―――


 『赤い蝋燭と人魚』は、未明の幼児期の体験に根ざして描かれた作品だ。未明は生まれてすぐに、この地方の因習により、隣家の丸山家に里子に出された。この丸山家の家業がロウソク作りであった。

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2009-05-24

[古い航海日誌  清峰丸] 日付変更線通過、千島列島沖航行中、

復航は時差の関係で毎日約30分くらいずつ時計がバックする、いつも午前中に時間調整する為、午後から当直の私は、30分くらい余計に寝れる感じ。当然、往航時は時間が進むので寝れる時間が少なくなる訳、、、、、
2日前に日付変更線を通過した、1日飛び越して日にちが進み、徳をしたのか損をしたのか、、考えてみたら、行き、帰り、でおあいこだわ。。それにしても今航は大変な大時化て参った、参った、だ。でも大分時化も収まってきたが、それでもよく船が壊れないなー、と思うくらいの大きな波が船体にぶち当たる、、
   
9時過ぎに目が覚め、時化もだいぶおさまったし久し振りにブリッジに行って肩を振って来た(肩を振るとは船乗り言葉でお茶飲みをすると言うような意味だな)。当直のサードオフィサー(3等航海士)は商船大出身のバリバリだ、クオーターマスター(操舵手)のIさんは能登の出身、ベテランだ。
アメリカで仕入れたコーヒーを入れてくれた、御茶菓子もどうぞ! これもアメリカで仕入れた ”キスチョコ”コーヒーにチョコはちょっとおかしな組み合わせだが、このチョコが又美味いんだわ!、、、何とも言えない味、
サンキストオレンジも沢山仕入れたようで、食後のデザートは連日、サンキストオレンジ、ですよ、毎日はねー! 私もお土産に2箱仕入れた。
それにしても、当たり前の事だが昔は若かったねー、写真。。。。↑

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2009-05-23

[今日の話] 今日は時間がない、、

先週の日曜日は仕事で夜NHK 大河ドラマ 天地人 を見れなかった(仕事中に携帯のワンセグでちょっと見た程度)。午後1時過ぎからの再放送を見たらブログを書く時間がなくなった。これから仕事だ、、 (^0^;)
ちょうど娘が仔犬を連れて来ていたので、、

 こんなんでどうだ!! 
    俺、もうすぐ1歳になるよ!

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2009-05-22

[古いスコアカード 第3の人生] 有給下船、第3の人生のスタート

年末も押しせまった昭和52年12月23日、大阪、堺市の関西石油の専用岸壁で油送船 ”霞峰丸”14万トン(写真)に乗船、4航海、日本と中近東ペルシャ湾の航海に従事した。そして翌、昭和53年7月1日同じ堺市の関西石油の専用岸壁で本船を有給下船した。実は最後の航海中、上司のK通信長に、今航を最後に休暇下船、退職し趣味が高じた商売を始める旨、色々と相談をした。K通信長「実は私も一度船員を辞めたことが有るんだが、又船に戻ってきたんだよ、なまじ免状を持っていると、駄目なら又船に乗ればいい、という甘えが出ちゃうんだ、君も船員を辞めるのであれば、ここで免状を海に捨てていく、くらいの覚悟でなければだめだと忠告を受けた。若かった私は、心にずしっと来た。 よーし、絶対に成功してやる! と心に誓い霞峰丸を後にした。そして私にとってのながーーーーーい、第3の人生がスタートした、、、、、、、、、、。
数年前までは毎年、年賀状がきていたが、お元気だろうか、、
以前に夏は信州の別荘で好きなゴルフを毎日やっているよ、との便りが有った、お元気であれば90歳くらいになられるが、、、、

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2009-05-21

子供は可愛いもんですね、

日中は30度近くまで気温が上がったようだ、久し振りの昼間の勤務。
たまには昼間の勤務も良いねー! 毎日夜、暗い時ばかり働いていると、人間も暗く成るような気がする、、今日は天気も良いし、鼻歌の一つも出そうな気分、、、   (●^も^●)

  ♪ ♪ ♯ ♪ 
県道の大きな交差点、左折し始めると向い側の横断歩道を3人連れの小学生低学年の女の子が横断歩道を渡ろうか、私の車の通り過ぎるのを待ってから渡ろうか、迷っている感じ、、以前の私なら、すかさず急いで左折する、、、、
しかーし、今の私は横断歩道の手前で止まり、子供に手真似で、行け、と合図した、3人の女の子、ニコッとして走って横断歩道を渡り始めた、別に急がなくてもいいのにねー、、そして私の車の前でペコン、と頭を下げて、、子供は可愛いもんですね、、大人よりよっぽどマナーは良いわ! ルームミラーで後ろに付いている車を見ると、50歳位の運転手、何をモタモタしてんだよー、十分左折出来るじゃねーかよー、、って様な顔をしているわ。横断歩道を渡り切るとこっちを向いて一人の女の子、何とウインクするではないか、歳がいもなく、ドキッとしちゃった。すかさず、ピース をしてやったら3人の女の子、バイバイと手を振っていった。。。

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2009-05-20

[我が故郷、天地人] 勝山城(落水城)

NHKの大河ドラマ「天地人」前回の放送は勝山城(落水城)での四者会談、その舞台となった勝山城に行って来た。
事前情報でえらく険しい山道だって事は承知していたので万全を期しての登山だ。トレッキングシューズ、軍手、おにぎり持参だ、車で1時間、登山道入り口に到着、営業していないドライブインの狭い駐車場に車を停め、靴を履き替え出発。。。。。


登り始めたが、とにかく一気に登りだ、平坦なところ、下りは一か所も無い。普段、車のブレーキ、クラッチ、アクセル、位しか足を使っていないんだもん、堪える、堪える、、、、頂上までに数か所、鎖につかまり登る処がある(写真)、

とにかくきつかった!
途中こんな看板が、おー、もう少しか、、、
しかーし、、、ちっとも頂上に着かない、(まだ半分も来ていない)
頂上まで、もうふた頑張り、、と書いておいてもらいたいね!
勝山城跡(写真右)は、天下の険「親不知、子不知」(おやしらず、こしらず)の東端に位置する勝山(328,4m)にある。その昔、山頂と周辺の尾根には山城が築かれていた。山頂の本丸跡からは西に越中宮崎(富山県)東には姫川河口に広がる糸魚川市街地が展望できる。(写真下、左)

勝山城は落水城(おちみずじょう)とも呼ばれ、日本海沖を航行する船舶の監視にも絶好な位置にある為、春日山城を中心とする、越後勢の西の要城として重要な位置にあった。越中勢をはじめとした西方の動きは、上杉家臣の須賀氏を城主とするこの勝山城から東方の春日山城へは、狼煙によって、松山城(糸魚川市青海)金山城(糸魚川市田伏)不動山城(糸魚川市早川)徳合城(糸魚川市徳合)などを経て伝えられたであろう。

戦国時代末期、全国覇権を目指す豊臣秀吉は越前の柴田勝家、越中の佐々成政を倒し、越後の征圧に乗り出した。そのころ上杉謙信の家督を継いだ上杉景勝は家臣で知将として知られた直江兼読らを従がえて、越中、能登へと勢力をのばそうとしていた事から豊臣軍と上杉軍の対決は目前に迫っていた。

当時最強の勢力とされていた上杉勢との対決を避けたい豊臣秀吉は上杉勢との交渉を試みた。後の軍記物では、両軍の大将である、景勝と秀吉、それを補佐する上杉軍の兼読と豊臣軍の石田三成らは「勝山城で会見した」と記している。その真偽は定かではないがこの勝山城は東西勢力のその後を占う重要な会見が行われても不思議ではない、重要な位置にあった。

頂上まで40分と言うのは若い健脚の人だな私は途中3-4回休んで1時間かかったよ。   (^0^;)

頂上から眺める展望は素晴らしいーの一言、、、

頂上の下は断崖、絶壁、そしてすぐに海、
東方向(写真上)、西方向(写真右)の動きは手に取るようにわかる。
良いところに城を造ったねー!

  
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2009-05-19

[今日の話] 少し環境を変えて勉強か、、?

午前中、近くの親鸞聖人、上陸の地へぶらっと行って来た。昔はいつでも、この直江津の海岸より遥か水平線にうっすらと佐渡が島が見渡せたんだが、最近はほとんど見る事が出来ない。ごくたまに空気の澄んだ、条件の良い日にかすかに見えるだけ。まさか佐渡が遠くなった訳でもあるまい、逆に能登半島がたまにかすかに見える事があるな、何故だろう?
ここから沖を眺めていると 一句うかびそうだ、、
 荒海や 佐渡にーーーーーーーー(後はでてこない) ハム


ちょっと調べたい事が有り環境を変えた方が頭に入るかなー、と思い 上陸の地 の東屋(写真)へ、 しかーし、気温もどんどん上昇し、浜風が身体にここち良い、、段々と気持ちが良ーくなり、そのうちにコックリ、コックリ、半分は寝ちゃったな、、、、
いる間にも大型の観光バス、マイクロバス、等が着いて多くの見物客が来られた、、、、後2か月もするとこの海岸も今度は沢山の海水浴客で賑わうだろう。

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2009-05-18

[古い航海日誌  清峰丸] 大時化の続く北太平洋、

北米ワシントン州のタコマを出港以来連日の大時化だ、、外は猛吹雪だよ、
積み荷の為ローリング(横揺れ)の周期はすごくゆっくり、その為比較的、楽なんだが、横に傾いたままなかなか戻ってこない、、、このまま傾いたまま傾いた方に大波でもくらえば転覆だってある、、恐怖感をおぼえる、、
日中積み荷の材木が荷崩れを起こさないようにラッシングのチェックだ、この間船が揺れないようにコースを変えての作業、積み荷の材木の上は凍っている、危険がいっぱいだわ!、、、、   (^へ^)
それにしてもモールスの気象通報を聞いていると往航時、本船が日付変更線あたりを航行の頃、本船を追い抜いて行った大手、船会社のニューヨーク航路の最新鋭コンテナ船、ニューヨークへ行って荷物を積み降ろししてパナマ運河を通り日本に向かっている、もうあと1-2日で本船を又追い抜いていくよ、、本船より大分、南を航行しているのでこれ程時化てはいないと思うが、早いのにはたまげたね!! 最も本船の倍近くのスピードで走る、荷役も早い、、あんな船に乗ってみたいね!

昼食を食べていると、隣のテーブルで昼食中のキャプテンがサロン士官と話している。あまりにも強烈な時化続きの為キャプテンが、思い切ってベーリング海に出てみますか!あそこは運が良ければベタ凪の時が有るんですわ、、、、、、、、、
それじゃ運が良くなければどうなるんだい! と言いたいんだが、そんな事は言えないしね、、次席さん、午後、本社に連絡をいれてくれ、、どうやら想定外のコースで、保険などの関係で許可を取るようだ、、、そして本船は想定外のコースでベーリング海に抜けた、、、うそー!  
今までの時化が嘘のようだ、、ベタ凪、、、この辺は低気圧の墓場、低気圧だらけで運が良ければ気圧差がなく、風が吹かない、、納得、、納得、、
アリューシャン列島の真っ白に雪をいただいた山々が奇麗だ、、ラッキー!
こんな事でもなければ、漁船に乗らない限り、ベーリング海を通る事はまずない。

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2009-05-17

[今日の話] 安産祈願、

5月17日(日曜日)友引、戌の日、娘の出産、安産祈願に連れ出されて行って来た。宮司さんのお祓い、祝詞奏上、献花、、、、儀式は無事終了した。これで安心、秋には孫、誕生だな、、私を含め、皆の予想はの子だ。
近くの越後一の宮、居多神社(こた)へ行って来た。宮司の花ヶ前盛明(はながさきもりあき)先生は沢山の要職を歴任され、郷土の歴史研究家でも有名だ、多くの書物を執筆されている、私も「越佐の神社」 「上杉謙信、ゆかりの地を訪ねて」など愛用させて頂いている。
先日も仕事で駅までお供させて頂いたが、これから観光案内、講演で山形の米沢まで行く、と言っておられた、今日も戌の日、何組かの安産祈願、等の予定が入っているようだ、 最近は 天地人 でね、忙しいんですわ!、、と言っておられた。 有難うございました。

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2009-05-16

[古いスコアーカード] よく行ったなー、、私の宝物

思い出せば昭和63年10月5日だな、同業の長野県のM社長に誘われて、「初めてゴルフをやる人がコースに出れるコンペはうちのコンペくらいなもんだ」言い換えれば下手くそな人が沢山参加する、下手くそでも参加できる、と言う事になるネ、、、初めてクラブを握る状態での参加でスコアーはと言うと、77/91の168だ、一緒に回った仲間から”よく数えたねー”だって。考えてみたら、これって褒められているのか、馬鹿にされているのか、どっち?、、その時のスコアーカードが写真の下の段の左側の長野県の諏訪市諏訪ゴルフ倶楽部だ。それから最後のゴルフとなった平成14年5月21日の地元、松ヶ峰カントリー倶楽部(写真下段の右側のスコアーカード)。1回目から全部のスコアーカード、数えてみたら256枚あった、(写真)

当時はバブル期、そしてバブルの崩壊後も今ほど経済状況は悪くはない、当時はウイークデイでもコースに出れば2万近くはする、勿論仕事の関係で、玄関から玄関まで、有難くご招待を頂いたのも数多くある、だから全国いろいろと行けた様なもんですがね、、、約2年前の平成19年7月からパソコンど素人がブログをはじめ、古いスコアーカードを見るたびに、良き時代が懐かしく、スコアーカード日記、覚えの悪い頭の記憶を頼りに書き始めた。特に初めて行ったコースは古いスコアカードを見ると悪い頭なんだが、記憶がよみがえるんだわ、、

昭和53年7月1日大阪府堺市の関西石油の専用岸壁で油送船”霞峰丸”を有給下船し休暇だ、8月末、有給が終わり船会社を退職、足かけ10年近くの船員生活に終止符を打ち、私の第2の人生が終わった。
生まれ故郷に帰り、10月、かねてより思考、準備していた趣味が高じた商売を始め、私の第3の人生がスタートした。
それから10年無我夢中で働き、その間、色々な周りの人からゴルフを誘われた、しかし、ゴルフなんてのは俺の柄ではない、と断り続けたが、とうとう誘惑に負け、始めたのが第1回目の諏訪ゴルフ倶楽部だ、、、、、、、、
それから256回、ゴルフを通じて色々な人との出会いがあった、何人かの東証の一部上場の企業の社長、会長、とプレイする事が出来、色々な面でプラスになった。地元の優良企業、又取引メーカー幹部、営業担当とのプレイ、第3の人生でどれだけ有利に導いてくれたか計り知れない、、、、

ゴルフを始めて2年、キャディーバッグのあるポケットに沢山のマーカーが入っている、んッ、面白いなー! そんなのつまらん!と言う人が殆どでしょうね! ゴルフショップに行き(上の写真)額を買って来た、スコアカードを頼りに初めてのゴルフ場のマーカーを古い順にくっつけた。下に日付、スコアー、ゴルフ場名、を書くようになっている。99個ある、110か所のゴルフ場に行ったが11個足りないね、無くしたのか、持ってくるのを忘れたかは不明、、、古いスコアカードとこの額、私の第3の人生の宝物だ。景気の絶頂期は年間47回ゴルフに出かけた、しかし景気の後退とともに回数も減り、平成14年5月の松ヶ峰カントリー倶楽部を最後に ゴルフはしばらくやめよう、、、私の第3の人生はこのゴルフ歴のなかに秘められている様な気がする。華々しくスタートした私の第3の人生、、あと数年で静かに終わろうとしている。ブログは明日からは「古いスコアカード、第三の人生」でスタートだ。

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2009-05-15

初めての体験、観光案内

今日は朝の9時から夜12時までの長ーい勤務、会社で2回弁当を食べるわけさー。午前中チョコっと通り雨が有った程度、でも少し風があるねー、、
1時半を少し回ったし、そろそろ休憩と来るかな、、ピンポーン、、、、
配車だ、、 えッ、未だかよ、、駅前のレストランに配車、行ってみるとかなりご高齢のご夫婦だ、ご主人様は杖を使っておられる、少し足がご不自由のようだ、奥さまは旅行カバンを持っておられる、、、カバンを頂いてご乗車して頂いた。 お客様、お待たせ致しました、どちらまでいらっしゃいますか? 運転手さん栃木県の○○市から、天地人博、春日山を見に来たんだが、、、これはどうも遠いところ有難うございます、、地元の旅行社に紹介されて現地に着いたらこちらのタクシーを頼んで案内をしてもらえ、と言う事なんです、との事、それはどうも有難うございます。

フロントによりその旨説明、パンフレットを頂き2時間の貸切と言う事に、、、、、、、、
3●●頑張ってね、宜しく頼むよ、、内心、俺、昼飯まだなんだけど、どうなるんだろうねー、、、、天地人博会場へ、そして 親鸞聖人、上陸の地へ。栃木県は海が無いんだ、海はいいねー! たいそう喜んでおられた、、そして国分寺、車の中より居多神社、そして国府別院、上杉謙信が幼少期を過ごした林泉寺へ、イヤー、ウイークデイにもかかわらず、観光バスも数台止まりえらい人だ、数か月前までは考えられない事だな!色々とご案内し、すぐ近くの春日山へ、本丸跡まではちょっと無理なので、ご説明し春日山神社を参拝、近くの春日神社を車内から参拝、そして御館の乱の舞台となった御館跡へ、途中何箇所か通った名所をご説明し、既定の時間だが、今晩のご宿泊予定の鵜の浜温泉まで電車で行かれるとの事、少し時間があるのでサービスで近くの安寿と厨子王の供養塔をご案内した。何度かお客様に、 いやー、親切にして頂き、いい運転手さんで本当に良かった、、ほとんどが御世辞としても喜んで頂いてほっとした、、、、、
と言う訳で4時半頃から昼食だ、、、早い時間に昼食をとった乗務員は夕食を食べに食堂にあがって来た。

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2009-05-13

[我が故郷、天地人] 樋口兼豊と賞泉寺

直峰城下にある直峰城主の菩提寺、賞泉寺(写真)に行って来た。
境内の見学、写真撮影などお願いしたところ快く許可を頂いた、昨年の晩秋の頃、仕事でセレモニーホールより住職さんをお供させて頂いた事が有り、その旨お話したところ、直ぐに思い出して頂き、色々と案内やら説明までして頂いた。俺も結構ずーずーしい男だなー! おまけに最後にあがってお茶でも飲んでいけ、とお誘い頂いたが、さすが手ぶらで行ってしまった事もあり丁重にお断りしたが、、、

NHKの大河ドラマ 天地人 の主人公である直江兼読公は、樋口兼豊公の子供として誕生し、その後直江家の養子となり、戦国時代、上杉謙信公の「義」の精神を学び、自らは「愛」の精神を持って戦国の世で活躍致しました。その直江兼読公の実父である樋口兼豊公は、上杉謙信公の死後に起きた跡目争い「御館の乱」の功績により天正12年(1584)直峰城主となっております。
賞泉寺は安塚区の直峰城主の菩提寺として明応7年(1498)、吉田周防守英忠公の創建で本堂には歴代の直峰城主の位牌が安置されており、多くの寺宝を有しています。
樋口兼豊公、直江兼読公とも、上杉謙信の「義」の精神のもと、私利私欲で動く戦乱の乱れた時代にあって、世の中の秩序を乱す武将たちと戦いました。上杉謙信公の「義」の精神とは「大きな流れ、大きな秩序に従わず、自分勝手な行動をとり、世の中を乱す邪悪な武将たちを成敗する」と言う仏法の教えにもとづく精神です。(賞泉寺寺報、63号より抜粋)
(写真左は賞泉寺を創建した吉田周防守英忠公のお墓、五輪塔)

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2009-05-11

最近、ついているんだわ、、

連休後の日曜日、今日は暇だろうなー、、予想が見事に的中した、、暇な事暇な事、1時間近くも待機して、ちょっと近くに配車になり又駅構内に戻り又何10分も待機、、、おかげで諦めていた 大河ドラマ 天地人 携帯のワンセグで半分以上は見れたな、、、10時過ぎある大型パチンコ店に配車、モニターを見ると、 んっ、この人何回かパチンコ屋からお供した事のあるおばさんだな、、、行ってみるとやっぱりそーだわ、、ハイ、どうぞ、お客さん、ご自宅でよろしいですか? えッ、運転手さん私の家わかるの? ハイ、いつも有難うございます、、いやだー、私いつもパチンコ来ているみたいじゃないの、、、内心、いつも来ているくせに、、 ちょっとヨーカドーまで買い物に来てさ、ちょっとパチンコに入ったら帰るすぶ忘れてさ(帰るの忘れてさー)こんな時間だねかね、、運転手さん私の事、馬鹿だと思っているんでしょう? 、、、まさか、そうです、とも言えないし、、
いえ、お客さん、たまには気分転換にいいんじゃないですか!、、
運転手さん、おまん(あんた)お客さんを持ち上げるの、上手だねー、、
褒められているのか馬鹿にされているのかどっちだろう、、、どっちでもいいわ

お客様を降ろし、もと来た道を走っていると、ピンポーン、、配車だ、又パチンコやだ、、行ってみると既に営業時間の終わったと思われる入口に一人の女性(おばさん)が、ぽつーんと立っている。んっ、このお客さん、顔は別として、何か雰囲気が普通の女性と違うな、、 ○○○お願いね! えッ、一瞬聞き返した。隣の市だぜ、片道50キロ近くある、この時間だと夜間割増しで15,000円は軽くいくぜ、、パチンコで大勝ちをしたか我々と住む世界が違うお客さんだな、きっと、、初めは差し障りのない天気の話をして、、、後は静かにしているか、、このようなお客さんは苦手だな、、パチンコの話をするのもちょっとねー、、それに私はパチンコは30年もやっていない、話も会わないしね、、、、市内に入りいくつかの信号を回り、、そこでいいわ、、周りの家とはちょっと違う3階建ての家だ、、、、、どうもお疲れ様でした、有難うございました、、、帰り気を付けて帰ってネ、、 ハイ、有難うございます。。。帰り際家の横の看板を見たら、、あー、やっぱりねー、違う訳だわ、、、納得、納得、、、、、
帰りは国道8号線、日曜日の為定期便の大型トラックも少なく、快適、日本海には沢山の漁船の漁火が奇麗だ。窓を全開、北島三郎の 「函館の人」古いねー! 大声を張り上げて歌ってきた。今日の売り上げも一気にアップ、多分私が一番だろう、、運行管理室に張り出してある今月の売り上げ目標、10日の時点では、連休でほとんどが目標を下回る、、い数字で書いてある中、おいらはベテラン先輩を差し置いて、軽くクリアー、、、い字で書いてきたさー、、、それにしても昨日も勤務時間が終わる間際に同じ市まで来た、、先月の末から、ついているんだわ! こんな事もないとね、、、

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2009-05-10

[今日の話] 俺、ヘアーカット行って来たワン!

 
 
 眠たいのにー、起こすなよなー! 
  俺、又ヘアーカット行って来たワン! 
     3,900円、どうだー?、、、、 





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2009-05-09

[古い航海日誌  清峰丸] 荷役終了、タコマ出港、、

北米ワシントン州タコマでの材木の積み込みが終わった。
デッキ上にも材木が満載だ、時化で材木が崩れないようにしっかりとチェーン、ワイヤーでラッシングする(写真)。洋上で時化の中、荷崩れを起こすとなかなか修復ができず、船の重心が積み荷の為高くなっているので、最悪、転覆もある、、昔はよく3000トンクラスの南洋航路のラワン材を積んだ材木船が時化の為、荷崩れを起こし転覆した話をよく聞く。。クワバラクワバラ
往航は あわやアリューシャン列島に緊急入港か! そして異国で先輩との再会、といろいろあったが復航ははたして、、、穏やかに頼むぜ!、、、材木を満載で船の重心が高くなり揺れは非常にゆっくりした周期になる為比較的楽だ、、しかしその分危険もいっぱい、、、、
次航になれば冬の気圧配置もゆるみだいぶ楽になるだろう、、、

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2009-05-08

[古いスコアーカード] 最後のゴルフ、 松ヶ峯カントリー倶楽部

思えば約2年前の平成19年7月14日、ちょうど中越沖地震があった頃だったなー、、パソコンど素人がブログを初め、記事カテゴリに「古いスコアーカード」でコースに出た1回目から、初めてのゴルフ場でのプレイを古いスコアーカード、日記、決して良くない頭の記憶を頼りに書き始めた。 ろくに練習もしてないのに、 「初めてゴルフをやる人がコースに出れるのはうちの会社のコンペくらいだ」と同業の長野県のある会社の社長に誘われその気になりコースに出たのが昭和63年10月25日、諏訪ゴルフ倶楽部、ゴルフの始まりだ。それから255回コースを回り行ったゴルフ場は100ちょっと、、ゴルフショップの社長によく言われた、おまんゴルフやっている割に下手だね! (翻訳、おまん←あなた)言い訳になるかもしれないが、私はゴルフを楽しむ方、、でも上手にこしたことはないね、、多いか少ないかは人それぞれ立場も違うし、状況も違う、当然もっと多い人もいれば少ない人もいる、、私の周りに年間70回コースに出る人がいる、ここ雪国は11月中旬から3月いっぱいは近隣のゴルフ場はクローズだ、正味7か月、月10回のペースだ、、 たまげるねー!
しかーし、、、  諸般の事情でゴルフは今日が最後だ、、クラブを封印、
何故かって? それは又この続き、、、、ネ、

平成14年5月21日最後のゴルフ、松ヶ峯カントリー倶楽部 (写真上、クラブハウス入口、右、神奈コースより妙高山)。ここは地元のゴルフ場では一番プレイした回数が多いだろう、メンバーコース(レイクビューゴルフクラブ、現米山水源ゴルフ倶楽部)よりも多いわ、、フェアウエーも広く比較的フラットな27ホール、妙高連峰を望み、春の桜の季節、秋の紅葉の季節、、最高だ、最後のゴルフは副会長を務めた(歳が会長の次に多かっただけの話)行きつけのゴルフショップの親睦会PGCの春のコンペ、今日のメンバーは会長のSさん、Kさん、T女史、Tさんゴルフショップの先生に一緒にゴルフを習った仲間だが私が怠けている間に腕を上げ今では負けるな、、、 楽しく過ごし結果わ私が一番ビリ、、、 情けねー!
そして255回目の最後のゴルフは終わった。  (●^0^●;)

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2009-05-07

[我が故郷、上杉謙信] いやー凄い人です、春日山城跡③

護摩堂、諏訪堂、毘沙門堂
本丸を少し下った所に護摩堂、諏訪堂、毘沙門堂、がある。謙信が出陣前に毘沙門堂に籠った事はよく知られているが、戦勝や息災を祈祷したのが護摩堂です。護摩の修法(すほう)は、毘沙門天の信仰と共に謙信が真言密教を深く信仰していた事を如実に物語っている。
毘沙門堂
このお堂には謙信公の信仰された毘沙門天の尊像(青銅製、約50センチ)
が安置されています。尊像は景勝公の時に会津を経て米沢に移りましたが、嘉永2年の火災で傷み、、、、
昭和3年に第15代上杉憲章氏が東京美術学校に修理を依頼され、名匠高村光雲先生が1年余りを費やして修理しました。
そのさい先生は御分身をつくり、尊象の欠け損じたのをおなかに入れて同5年3月に完成し当時の春日村に寄進されました。
翌6年11月に、昔の堂跡(写真上)にこの祠堂(写真右)を建て奉安しました。毘沙門天は悪魔を降ろす神です。謙信公は事ある時はこのお堂の前で諸将に誓をたてさせました、毘沙門天は四天王のうち、北方を守る多聞天でもあります。
上杉景勝屋敷、直江屋敷
天主台の下、南西側に上杉景勝屋敷、東側に上杉家の重臣、直江家の屋敷跡(写真)がある。直江家は上杉謙信の父、為景の代から重臣として仕え、山城守兼読は謙信の跡目を継いだ上杉景勝の家老として活躍した。景勝が会津に国替えになったときに同行し、米沢藩30万石の城主となった事でもその活躍が偲ばれる。
お花畑

御堂などに献花するや、色々な薬草などを作っていた畑である。
千貫門跡
春日山城の古絵図に必ず描かれている門が千貫門である、それはこの門が古くから知られていた事を物語っている。今でも門が建っていたと考えられる部分のみが、土塁が分断されていて、春日山神社側からクランク状の道がここに通じている。三方が土塁と土手に囲まれ、左に2本、一見道と思われる切り通しがある、実はこれが空堀の底で、侵入者を空堀から急な崖下に落そうとしたものであろう。周到に計画された普請は、本丸と千貫門の外とを区画する重要な地点であった事をうかがわせる。
土塁、空堀、虎口、油ながし
春日山城跡には、土塁、空堀、虎口(こぐち)油ながし、など等(写真)当時をしのばせる跡が沢山残っている。郭を普請する際に削平したときに出た土を盛り固め防御の役割を果しました。当時は各廓にこのような土塁が築かれ春日山城の守備をいっそう強固にしていたと考えられる。
春日山神社
春日山神社は最後の高田城主だった榊原家の家臣で小川澄晴氏が郵便の父と言われた前島密男爵や多くの人たちの協力を得て創立された神社です。
建ててある場所は上杉謙信の母、虎御前の屋敷跡と言われており、神社の祭神は上杉謙信公は勿論、菅原道真、たけみかずちの命、ふつぬしの命である。日本のアンデルセンと呼ばれている小川未明さんは小川澄晴氏の二男である。

5日6日と2日間休みを利用して春日山城跡見学に行って来た。過去にも数回行った事はあったが今回はじっくりと隅からすみまで見てきた。
普段の運動不足も考え駐車場からシャトルバスを使わず2日間とも歩いての行動だ、いやー、疲れましたわ、でもずい分と勉強になったネ!

      
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2009-05-06

[我が故郷、上杉謙信] いやー凄い人です、春日山城跡②

上杉三郎景虎屋敷跡
上杉謙信の死後、跡目を争った「御館の乱」で敗れた悲劇の武将三郎景虎。
小田原城主北条氏康の子で、人質として春日山城に来ました。謙信から景虎の名を与えられた事でも人質としては破格の待遇であった事がわかります。又美男として伝えられている。跡目争いでは越後国外からの人質であった為か次第に援助の武将も離れ、最後は鮫が尾城で自害し一生を終えた。
小説「炎の蜃気楼」で現代に蘇った景虎が美しい男性として描かれて人気を博しています。近年春日山城跡で最も賑わいを見せている廓の一つ。
井戸曲輪
本丸のすぐ裏(西側)にある井戸(写真)。廃城後400年の星霜を経て、今なお満々と水をたたえる大井戸は、春日山城が山城として最適の地に造られている事を教えてくれる。城の古絵図にもここだけが㋼と井戸がある事を示しており、古くから注目されていた事がわかる。
どのようにして、水が湧く地点を調べたか定かではないが、地質学的には、西方の山々と幾層でつながっていてサイフォンの原理が働いて水が湧くとの事である。なお数十年前に井戸さらいが行われ、滑車や杓などが見つかっている。
天守閣、本丸
春日山城は頚城平野、日本海を一望できる標高180メーターの春日山にあった山城である。その規模、歴史的意味においても新潟県では最大級の文化財的価値があり国の史跡として指定されている。

この連休中は全国各地から沢山の人々が春日山城、天守閣、本丸跡(写真)を訪れた。NHK大河ドラマ 天地人 で放映されている事が今から400年ちょっと前、この地で実際に行われていた事を思うと長い歴史を感じる。
         ---この続きは又明日ーーー

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2009-05-05

[我が故郷、上杉謙信] いやー凄い人です、春日山城跡①

連休に入り春日山城跡周辺は車が渋滞するほどで凄い人だわ、、と言う話だ
野次馬根性むき出し普段の運動不足解消のため俺も行ってくるか、、、、
春日山城下で交通規制、いくつかある公的施設の空き地は全て臨時の駐車場だ、車がびっしり、、半分は県外ナンバーだ、、凄いねー! 天地人様様だ。。。
駐車場に車を置き大手道から登る事にした。大手道なんてのは墜最近まで知らなかった、勿論通った事もない、NHK大河ドラマ 天地人 がなければ知らないで終わったろうなー、、、
登り始めて暫くすると若い二人ずれが下りてきた、 すいません、頂上からここまでどの位かかりましたか? えー、1時間くらいかかりますよ、、内心、、なにー、1時間、、、早く言ってくれよなー、若い二人、下りで1時間じゃ、登りのこの俺じゃ1時間半だなー、、ここまで来たんだ、この際行ってみるかー、、道理でこの道、下って来る人が比較的少ない訳だ。。。。   (^0^;)
南三の丸屋敷「ジョウ(城)の畑」と呼ばれ古くから城内と意識されてきた、土塁や堀で区画された郭が連なり春日山城の最も重要な屋敷が集まっていた。城の東側裾野から本丸に至る大手道はこの屋敷に入るところで門が造られ、さらに西側の上正善寺(かみしょうぜんじ)に至る道にも門が有り、道以外は急な斜面を作って敵の侵入を防ぐようになっている。
大手道の中程、本丸を始めて目前にする地点に「番所跡」 (写真)がある。標柱のある小山は木戸が造られていた土塁の跡で門があったところ。ここから見る春日山城は、晩秋から春先までが絶景と言われている。
上杉謙信の重臣、柿崎景家の屋敷跡、春日山城で最も大きな郭の一つ、城内の山地で唯一ハンノキが自生する場所で、植性から水分を多量に含む土地であった事がわかる。ここに池、もしくは水掘りが有った事が考えられ、池であったとすれば春日山城で唯一庭園を合わせ持った郭の景観が想像される。屋敷へわ、大手道から木橋をかけた南側の空堀を渡って入るように古絵図に描かれている。又廓の東側を通り景勝屋敷へ登る古道も残っている。
御成街道(おなりかいどう)、時の関白近衛前嗣(このえさきつぐ)が通ったことから御成街道と呼ばれている。謙信は二度の上洛を通じ前嗣と親交を温めました。お互いに年も近く、酒が好きだったと言われている。謙信が後奈良天皇、正親町天皇、と拝謁(はいえつ)出来たのも前嗣の力添えによるものでした。前嗣は、永禄3年(1560)謙信を頼って越後府中に下向し3年間滞在しました。当時京都に次ぐ大都市と言われ、繁栄の極みにあった越後府中文化は前嗣の来訪によりさらに、洗練される事になった。
        ーーー 続きは又明日 ---

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2009-05-03

又きました、 大仕事、、

今日は夕方6時から朝方3時までの勤務、、週末で車の稼働台数が多いうえに連休中だ、多分暇だろうなー! 市内の焼き肉やさんに配車になった、御爺ちゃんと娘夫婦のようだ、、カラオケまでお供したがなかなか愉快な家族だ、お酒が入っているからなおさらだ、、すっかりお客さんに気に入られてしまった、、カラオケに着くと御爺ちゃん、、 おっ、運転手さん、おまんも一曲やっていきない、すっきりしんしけ、、、(翻訳、運転手さん、貴方も一曲歌っていきなさい、すっきりするから) いやー、お客さん有難うございます、今日は週末で忙しいんで 嘘つけ! この次にでも是非お願いします、、、  そっかー!
12時前駅構内でぼやーっとしていると、ピンポーン! 配車だ、、うつろな目でモニターを見ると 長野県、、、、、 何ー、一気に眠気が吹っ飛んだ、、、、、、、、、、、、、、、
JRの仕事だ、駅前当社タクシー乗り場から若い一人の男性が乗って来た、フロントから高速を使わず長野県の○○までお供するようにとの指示、、又きたなー、大仕事  東北のある大学の大学院の学生さんだ、最近就職が決まり連休で長野県の実家に帰る途中だが特急電車が遅れてここから先の信越線、最終電車に乗れなかったようだ、駅前のホテルなどあたってくれたが連休中、折からの天地人ブームでどこのホテルも満室、、やむなくタクシーでお送りする事になったようだ、、往復3~4時間、わが班は3時までの勤務、そこに私が駅前で待機していたわけだ、、 ラッキー!だね。学生さんといろいろお話をし、あっと言う間に目的地に着いた、1時45分意外と早く着いたなー、、学生さんをおろしフロントに連絡、帰りは高速で帰ってこい、、との事、昼間は10数キロの渋滞していた上信越自動車道、こんな遅い時間は大丈夫だろう、、高速道は順調であったが途中のサービスエリアはどこも車でいっぱいだ、帰りは車の運転をしながら眠気覚ましに、ふるーい昔の演歌、大声を張り上げて三橋美智也(古いねー)にでもなったつもりで歌って来た。。3時前に戻り、今日はこれで終わりと思いきや、、、
それからスナック、ファッションホテルと配車になり車庫に戻ったのが4時過ぎ、我が班の先輩はみなあがって私だけ、車を洗車して終わったら空が明るくなってきたよ、、今日も一日終わったなー、、、 それにしても一週間で2回も長距離、ついてるねー!

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2009-05-02

[今日の話] 再び行ってきました、”越後上越 天地人博”

1月17日から始まっている「越後上越、天地人博」、2月の中旬に行って来たが、しかし正直なところ、内容の乏しさにがっかりして途中で帰って来た。入場料600円は安いか、高いかは、人それぞれの価値観も違うし何とも言えないが、市内あちこちにノボリを掲げテレビでの宣伝、など等でのPR、全国各地から沢山の見物客が来られるに違いない、、、、来られた人はどんな風に感じるだろう、、、、、、やはりそう感じたのは私だけではなかったようだな、、先月より内容もかなり充実したとの事で再び行って来た。先日の 「上杉謙信、兼読検定」受験者は割引と言う事で受付で受験票を提示200円割引、、 んーん、せこいなー!いやいや、この際安いにこしたことはない、、
会場前の広場ではいくつかの屋台も出ている、休憩用のスペースも確保されている、展示物も少し増えた、春日山城のジオラマ(写真)も展示、甲冑を付けての記念撮影もできる、春日山城、毘沙門堂にある毘沙門天と同じ、城下林泉寺所蔵の毘沙門像(写真)も展示されていた。
色々な資料やパネル展示も増えたようだ、NHK大河ドラマ 天地人 と重ね合わせ興味深く見る事が出来た。又売店で扱っている色々なお土産の種類もかなり増えたねー、ご当地は米どころ、おいしい酒も沢山ある、天地人 などの名前がついた酒、(写真左)などは遠来のお客さんには興味がありそうだね、、
沢山のボランティアの方々が親切に案内などされていた、上手くいって当たり前、まずければいろいろと批判がくる世の中、ご苦労様な事です、頭が下がりますね!、、、どうだろう! 会場前の広場に春日山城を再現した大きなお城の模型でも作ったら、、、、、城の前で記念撮影、、、俺春日山城へ行ってきたよ!!、、、受けると思うがねー、、


越後上越 天地人博 の会期は12月20日(日)まで
詳細はこちら

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辛い事もあったが楽しい事も、、
良い思いも沢山させて頂いた激動の人生、
昔のこと、今の事、自由に綴る我が人生、






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