
中村十作
(写真)と言ってもあまり知られていない、事実私も最近まで知らなかった。周りの人に何人か聞いてみたがやはり答へは No,-だ。
しかーし、、ただ一人、
あー、知ってるよ、確か演歌歌手だろう! 違います。。 あー、そうだ、作曲家だわ! それは中村八大ですよ! 生誕の地に記念館があると言うので行ってきた。館を管理していると言う元町内会長さんにお会いすると、親切な方で色々と教えていただいた。
「いやー、同じ町内の人でも今の若い人は”中村十作”さんを知らないですよ、、最近になり色々な催しや新聞などで報道されたので名前くらいは覚えたでしょうね、、我が郷里が生んだ、 中村十作さんの 業績を称えるとともに、永く後世に伝えたいと思いますね」と熱く語ってくれたのが心に残っている。
中村十作(1867~1943)
中村十作は稲増村(現上越市板倉区稲増)の名手であった中村平左衛門の五男として生まれた。海軍除隊後、東京専門学校(現早稲田大学)に学び、真珠養殖を夢見て
1892年(明治25年)に宮古島に渡った。そこで十作が見たものは
「人頭税」と言う過酷で不合理な税による貧困と差別に苦しむ島民の姿であった。一方でその上に君臨する士族たちの傲慢さをまざまざと見せつけられたのであった。十作は農業試験場の技師であった城間正安や農民総代らと人頭税廃止に向けて命を懸けて取り組む決意をした。
十作たちは士族側の幾多の妨害や抵抗を排し、
1893年(明治26年)に上京し、弟の十一郎や増田義一らの協力を得て、翌年に人頭税廃止の請願書を帝国議会に提出する事ができ、請願は可決され
1903年(明治36年)、ついに260年以上続いた人頭税は廃止された。
その後十作は宮古島を中心に本業の真珠養殖事業に打ち込むが
1940年(昭和15年)に戦争の激化で事業が禁止となり
1943年(昭和18年)胃がんの為、京都の自宅で76歳の生涯を閉じた。
中村十作の功績は現在も宮古島で語り継がれ
、「大和神御嶽」 (やまとうんがんうたき)として奉られている。宮古島の民族芸能「アヤグ」にも十作を称える唄が織り込まれており、暗黒の歴史に光明を投げかけてくれた大恩人として島をあげて敬われている。又最近は宮古島の人々と地元板倉の交流も盛んに行われている。
(写真)は中村十作生誕の地、後ろが生家。
人頭税(にんとうぜい)
1637年(寛永14年)から1902年(明治35年)まで、宮古、八重山列島に適用されていた過酷で不合理な税。この税は所得や納税力に関係なく人頭数(人口)を基準に穀物や織物などを収めるもので当初は役人の見立てで税を納めさせられた。やがて
1710年(宝永7年)には年齢を基準にして税を徴収するようになった。すなわち15~50才の男女を4つの年齢層に分け、夫々の年齢層に応じて男は粟(八重山は米)などを、女は上布などの織物を人頭割りに課した。一方、役人や士族は税を免除され、更に無償で農民を労役に使える制度もあった。税を納められない農民は牢に入れられ、拷問を受ける事もあった。又税を逃れる為、自ら手や足を切り落とし、不具者になった者もおおい。
1879年(明治12年)にこの地域が沖縄県となってからも税制度は存続し、農民の悲惨な生活は続いた。
1893年(明治26年)当時の宮古島の記録によるとその税負担は収穫高の約65%にものぼっていたという。
(写真)は中村十作記念館
中村十作の人頭税廃止運動を支えた人々
●
城間 正安(ぐすくま せいあん)
沖縄県の精糖技師として宮古島に着任、農民たちの窮状を知り、士族に反抗、人頭税廃止の指導者として十作とともに上京し、請願書提出など人頭税廃止に向けて大きく貢献した。
●
増田 義一(ますだ ぎいち)
十作と同じ板倉出身で、東京専門学校を出ており、創立者の大隈重信に目をかけられていた。又新聞記者として報道関係に知人も多かった。十作は増田の協力で人頭税の非社会性を新聞を通じて訴え、大隈ら有力な政治家の理解を得ることができた。議会での請願可決の功労者といってもよい。後に「実業之日本社」を創立、衆議院副議長にもなった。
●
中村 十一朗(なかむら じゅういちろう)
十作の実弟、人頭税に苦しむ宮古島の農民に心をうたれ、実情を訴える請願書を作成し兄の支援に努めた。当時は東京専門学校(現早稲田大学)在学時であり、日々の生活を綴った彼の「日誌」にも上京した十作らの活動が記されている。
●
笹森 儀助(ささもり ぎすけ)
1894年(明治27年)刊行の「南島探検」の著者。その中に紹介されている宮古島の人頭税による過酷な農民の生活は、政治家など多くの人々の胸を打ち、人頭税廃止運動に貢献した。
(写真)は近くの緑地公園内にある十作の功績を讃えた記念碑。記念碑のあるところは宮古島の形で造られている。

記念館は普段閉館しているが稲増地区の十作記念館の近く(十作生誕の地の向かい)に中村商店がある(店はいつもは戸が閉まっている)のでこちらに行き事情を説明すると快く会館の鍵を貸してくれる。又こちらのご主人(元町内会長)が時間が許せば色々と説明をして頂けるようだ。入館料は無料。
(写真)は記念碑の碑文の解説。
いつも応援有難うございます。
ポチッと押して頂けると有り難いです⇒