ホームベース付近にできたナインの輪の中で、188センチの巨体は、背番号の数だけ宙に舞った。試合後の引退セレモニーで、選手会長の北川、親友の阪神・金本に花束を贈られ、兄と慕う歌手・長渕剛から「とんぼ」の熱唱をささげられた清原は、スポットライトの中であふれ出る涙を白い手ぬぐいでぬぐうことしかできなかった。
大石監督が用意してくれた「4番DH」での4打席フル出場。右飛、空振り三振の後、6回の第3打席で通算2122本安打とするタイムリー二塁打を放ち、塁上で喜びをかみしめ、ヘルメットをとって大歓声にこたえた。そして最後の打席は139キロ直球に空振り三振。東球審から記念の白球を手渡されるより早く、白い歯がこぼれていた。
やり残しがあるとすれば、昨年7月の左ひざ手術前の会見で「次の1本こそ、最も記憶に残る本塁打になる」と予言した、2季ぶりの通算526号を放てずに終わったことだ。セレモニー後の会見でも「(2人の)息子にもう1本ホームランを見せてやりたかった。それが唯一の心残り」と振り返った。
プロ生活23年、西武と巨人で合わせて8度の日本一を味わい、球宴でも史上最多7度のMVPに輝いた。それでも個人タイトルはなぜか縁がなく、「無冠の帝王」と呼ばれたが、今はその呼称も甘んじて受け入れられる。「プロ野球の歴史の中で、一番三振(1955)し、一番死球(196)を受け、一番サヨナラ本塁打(12本)を打った打者。いつ取ったか分からない記録より、誇りに思います」と清原。
4打席対戦し、すべて直球勝負で挑んだ杉内に、清原本人から粋なプレゼントが届いた。最後の打席で空振り三振に倒れた清原は、球審から記念のボールを受け取った。清原はこのボールに「杉内へ 最高の球をありがとう 清原和博」とのメッセージを添えて、ソフトバンクのベンチに届けていた。杉内は「もらったよ。最高だった」と感激した様子だった。