2008-04-01

長所!?

今日から4月、2008年になり早くも3ヶ月が経過してしまった。歳を重ねるたびに時間がたつのが早く感じる。しかし、長かった寒い冬も終わり桜満開の季節の到来である。
新しく何かをスタートさせるのにも良いタイミングなのだ!

我が家には、2日前から親戚の子供が泊まりにきている。小6になる長女と同級生である。
彼女が来る数日前から相当楽しみにしているのが、娘の部屋が普段とは全く違う、まるで別世界の扉を開けたかのように綺麗に整理されている事から解かるのだ。
しかし、残念ながら娘には普段から通っている!?っていうか通わされている塾の春季講習という行事があるので 気が済むまで一日中遊ぶというわけにはいかないのである。
昨日も昼から夕方まで塾に行ってきた様なのだが、みんなで夕飯を食べている時に家の電話が鳴ったのである。
お母さんが話している声が相手の話す内容を聞くにあたり、次第にトーンダウンしていくのがわかる。 
受話器を置き振り返ると鬼の形相に変化していた母は、烈火の如く娘を怒鳴り始めたのだ!
どうやら電話の相手は塾の先生らしい。
聞くところによると、宿題を全くやっていかなかったらしいのである。又、「宿題やったの?」という問いに「やったよ」とウソの答えをしていたのであるからタチが悪いのだ。理由はどうやら まさか家にばれると思っていなかったし、いとこがくるという事で「まあ いっか」と軽く考えていたらしい。
理由は何であれ、宿題をやらなかったという事実を許すわけにはいかないのである。この際、いとこが来ているとかも関係ないのだ。夜中まで徹底的に横について宿題をやらせたのだ! ポトポトと涙を流しながら問題集に取り組んでいる彼女を見ているとかわいそうには思うのであったが、ここは心を鬼にして最後まで付き合おうと決めたのだ。本気で人を変えるチャンスなのだから・・・。失敗からしか学ばないのだから・・・。
恐らく彼女は知っていて宿題をやらない事は二度とないであろう。

しかし・・・あんなに昨夜はしおらしくしていた娘は、今朝には何も無かったかの様にいとことキャッキャ言いながら遊んでいるのである。
腹立たしい位に立ち直りが早いのであるが、それも彼女の長所なのかもしれないと思うとフッと笑えてくるのである。

2008-02-07

にんじん

以前にも紹介した事があるが、我が家には小5の娘がいる。
反抗期という訳ではないが、生意気にも感情の起伏が激しく表現するようになってきた。
本日は、大変ご機嫌うるわしい日のようである。きっと学校で好い事があったのだろう。

「ちょっと聞いてぇ。」彼女から話をきりだしてきた。
本日、学級会があり テーマを決めての「31日プロジェクト」というものであったそうだ。 要するに6年生になるまでの残り31日間でクラスで同じ目標を持って頑張ろうと言うことらしい。彼女のクラスのテーマは「けじめをつける!」に決まり、まず出来ていないことを各人が発表したそうだ。
「授業中の私語はやめる」とか「忘れ物をしない」とか当たり前の事柄ではあるが・・・。
学級会も後半に差し掛かった時、先生がこう言ったらしい。
「31日プロジェクトが達成したら、残り1週間の宿題はなし!」
大歓声とともに、お互い何としてもやり抜こうという団結心が芽生えたとの事。

やはり、頑張るには解かりやすい「にんじん」が必要なんだなぁ。

それは、大人とて同じである。

2008-02-06

ギャップ

我が家では、最初に起きた人がテレビをつけるという習慣になっている。特に食い入るように見ているわけではない。それぞれが朝の慌ただしい時間を無駄なくこなす為の正確な時計の役割が強いのだ。
今朝、新聞を読みながら 何気にテレビの情報番組を見ていると、というより聞いていると突然釘付けになった情報が紹介されていた。
皆さんご存知だろうか? 「ジェロ」という黒人演歌歌手である。おばあちゃんは日系の人らしいが、どう見てもバリバリの黒人で、ファッションもヒップホップ系で決めている。しかし、まじめに演歌歌手なのだ。また歌もめちゃくちゃ上手い!おばあちゃんの影響で演歌に興味を持ち、ほぼ独学で日本語を勉強して5年前に来日したそうだ。とにかくそのギャップに驚きで釘付けになってしまった。

人を釘付けにしたり、興味を持ったりするキッカケとして このギャップを感じるというのが起点になることが多い気がする。
男勝りに気丈で何でもテキパキとこなす感じに見えていた女性の女らしく可愛らしい一面を見たときや、いつもクールで掴みどころのない男性の少年のような一面を感じたときなど、それが魅力となり次第に自分の中でその人のポイントも高くなってくるのである。勿論、その逆もあるのだが。

例えば学生時代からの一緒にいる仲間や長年連れ添った夫婦や恋人など 人間関係が固まってきた中では、このギャップを感じることは少なくなる。すなわち魅力が薄れてくるといっても過言ではないだろう。
高校時代の女友達に街でばったり出会った時、バッチリ化粧も決めてやせて美しく別人のように変化していたのを見てとんでもなく驚いた経験がある。彼女は努力をしたのだ。そう 魅力ある人間であるためには努力が必要 そして変化が必要なのだ。

今の私は、魅力ある人間であろうか・・・。

現状に溺れず 魅力ある人間に変化するため、努力をする事をここに誓うのだ!

2008-01-27

激震

テレビを見ていると突然「ピンポン」と音が鳴り、地震ニューステロップが最近は頻繁に流れているように思うのである。北から南まであちこちで発生したニュースを見ると、やはり日本国はつくづく地震列島という事を感じるのである。日本のどこに居ても地震とは無縁ではないのである。プレートの歪みだの何だのという難しい事は解からないが、心構えや準備はしといた方がよさそうだ。
実は我が家にも2日前に激震が走ったのである。
突然の誘いだったのではあるが、母が木曜日から友達と仙台に旅行に出掛けたのである。突然の誘いと言っても出発当日の朝である。以前ブログでも紹介した事のあるOMCメンバーの一人が学生時代の友達6名で毎年どこかに旅行に出掛けているそうだが、その1人が出発当日に病欠することになったのだ。そこで、初対面でも何十年来の友達になれるという特技を持つマイマザーに白羽の矢が立ち、空港から「今からすぐタクシー乗って空港までおいで」という電話を受けたのである。突然やってきた人生初の東北旅行である。当然 母は二つ返事でOKし、すぐに私の携帯に掛け、そのいきさつを説明してくれたのである。
「・・・という事で今から2泊3日で仙台行ってくるわ!」
「そやけど今日は病院予約しとったんちゃうの?」と私
「ちょっと気分悪いから止めとく言うとくわ」と母  「なんじゃ そりゃ?・・・」
そんなこんなで、木曜日の朝、母はウキウキして伊丹空港から機上の人になったのである。

そして次の日の金曜日の夕方である。母から自宅に電話があったのだ。
「今から番号言うから、保険証をFAXしてくれへん?」
「ど・どなしたん?」 すると母は照れくさそうに「こけた。」続けて「そやけど病院行ったん私だけちゃうねんで。6人中3人やで!」と電話の向こうでどうでもいい主張をしていたのである。
まぁいずれにしても 添乗員さんご愁傷さまである。そして、土曜日の夜テーピングで固めた足を引きずってご帰還したのだ。眉間にしわを寄せながら帰宅すると思いきや以外にもニコニコ笑いながらご機嫌うるわしく帰ってきたのである。
感想を聞いてみると一緒に行ったメンバーが最高に楽しい人達だったらしく、負傷者3名を輩出したグループとは思えないくらいのツアーだったそうだ。やはり、旅行はどこに行って何をするかより、誰と行くかの方が重要であるのだ。
本日、日曜日であるにも関わらず、地元の行き付けの病院に行ってきたようである。捻挫と診断され、松葉つえをついて帰ってきたのだ。
「当分の間は、あんまり動かん方がええって先生に言われたわ。」

そして彼女は今夜、あんまり動かんでええ 麻雀に出掛けていったのである。
出掛けの際に「ちなみに明日も麻雀あるから。」と宣言して出て行ったのである。
外出好きのこの人に家の中でふさぎ込まれても それはそれで心配ではあるのだが・・・。

2008-01-26

ジンクス

先日、おばあちゃんと小5の長女の会話である。
「あんた 宿題やったんかいな?」  漫画を読みながら「やったよ。」
「字は丁寧に書かんと間違いにされてしまうねんで!」
すると「そんなん 当たり前川きよしの消し忘れビデオやん。」
なぬ!? それも言うなら「あたり前田のクラッカー」ではないのか・・・。時代は変わっているのである。彼女たちは「鬼ごっこ」を「おにご」と言いオレンジレンジを「オレレン」と呼ぶ。最近、よく言うフレーズでは「お父さんイミフやし。」いわゆる意味不明の事らしい。残りの「メイ」くらい言わんかい!と思うのだが、「お前がイミフじゃい!」と言い返している私も最近移ってきたのである。
時代は変われど変わっていない事もあるようだ。先日娘を車に乗せて交差点で信号待ちをしている時、立派な黒塗りの霊柩車が横切った。彼女は「お父さん 霊柩車見たら親指隠さないとあかんねんでぇ。」と言い出したのだ。脈々と次の世代に語り継がれているのである。確かに私もそんなジンクスを始めて聞いたのは小学生の頃であった。私の地域限定かもしれないが、当時はフォルクスワーゲンビートルを1日5台見たらその日は幸せになれるというジンクスもあった。友達皆と学校帰りに必死でビートルを探し回ったのだ。最後の1台が見つからず道端に座ってひたすらビートルがやってくるのを待ち、やっとの思いで5台達成したときには辺り真っ暗であった。家に帰ると母親からえらく怒られ、「5台達成したのに・・・」とジンクスというものに少し疑いを持ったのも懐かしい思い出である。

時は流れて私が大学生の時である。当時の私の愛車の助手席に友達を乗せて芦屋辺りを走らせている時の事である。彼はバリバリのサーファーで髪は長く少し潮焼けして茶色くなっており、顔は一年中真っ黒でそのせいか 笑うと歯の白さがやたら目立つといういかにも当時の今時の奴であった。こいつの口癖は「何か ハジケようぜ!」であった。私が車を買った時も「めちゃ ハジケた車やん」と言い、友達が学内に彼女ができてそれをみんなの前で報告したときも「お前ら二人 前からちょっとハジケてる思とったわ。」と言った。体育の授業を決めるときも「やっぱ俺 一番ハジケれるバトミントンにするわ。」と言ういわゆる軽~い感じの奴である。
当時、夙川付近にあった「イタリアントマト」というテニスコートのある喫茶店でお茶を飲み、神戸方面に向かっている時に霊柩車を見たのである。私は小学生以来、親指隠し伝説は信じているのであるが、堂々とその行為を実行するのも もしこいつにばれたら何を言われるかと思うとそんな勇気もないのである。しかし、出来ないと思うとやりたい気持ちはどんどん高ぶるばかりなのだ。そしてどうしても堪え切れなくなり、握っているハンドルに手を隠し遠慮気味にそっと親指を握り、目だけで彼の様子を伺ったのだ。
彼は、私の行為に気付いている様子もなくカーステから流れるBGMに浸り、軽く口ずさみながら窓の外を眺めている。 よかったぁ 後は霊柩車が見えなくなるだけである。そして私は何気に彼の手元に目線を落としたとき、な・な・なんと奴もしっかりと親指を隠していたのだ。

そして幼少の頃に刻み込まれたジンクスは、大人になった今でもしっかり守り続けているのである。

2008-01-22

悪魔の一刺

「今日も寒いねぇ」が挨拶の言葉になっているくらい寒い日が続いている。屋内から外に出た時、外から屋外に入った時、誰に語りかける訳でも無く「さむぅ~」と口走ってしまうのである。百貨店の入り口では、おばちゃんたちも必ず口々に「おおサブ~!」言いながら入ってくる。 「寒い」と言ったら10円募金運動をしたらどれほどの人が救われるだろうと思うのである。提案者の私自身も相当支払わなければならない気がするのではあるが。
街でミニスカートの女の子や胸元の開いたシャツを着ている男の子を見るとお洒落するにも気合いが必要のようであり、40歳を超えた私たちにはお洒落よりも健康の方を重要視してしまうのだ。
最近になって私の周りの同世代の人達は次々と「ぎっくり腰」に襲われている。まるでホラー映画を観ている様である。若い頃スポーツをやっていた私に限ってまさか「ぎっくり腰」なんて・・・と誰もが思っていたと思うのであるが、40年を超えた体は確実に老化が進行しているのである。何でも便利になっている世の中ではあるが、あまり文明の利器に頼らず適度な運動が必要であるのだ。

書く言うまだまだ若いと思っていた私も昨年9月末日、初めて奴に襲われたのだ! それも突然である。
確かにあの忌まわしい襲撃にあった前日 今思えば何となく兆候はあったのである。慢性的な腰痛持ちの為、さほど気にしてはいなかったのだが、その日はいつもよりダルイ感じはしていたのである。いつもならマッサージをしてもらうと楽になるのだが、一向に楽にならなかったのだ。そして翌朝、突然悲劇がやってきたのである。車から降りようとしたその瞬間!
ピキピキッと腰に激痛が走ったのである! 何が起こったのか解かるまで時間はかからなかった。これが噂のぎっくり腰というやつか・・・。
車のドアを開けたまま経験したことのない痛みと突然の事での驚きで動けないのである。
「悪魔の一刺」とは聞いていたが、まさしく身も心も一瞬にしてボロボロにされ、このまま車のドアにしがみついた状態で一生を終えていくのかと思ったほどである。
大げさではなく、1時間近くかけて2階のベッドにたどり着きパジャマに着替えることもなくそのまま横になったのである。最初の2日は寝返りを打つのも怖いくらい心が折れていた。3日目からは起き上がることは可能になったが、まだまだ10分と座っていられなかった。振動が直接腰に負担がかかる車に乗車することなんてその時の私にとっては、えびちゃんからデートを申し込まれ、食事にビールでお茶漬けをするくらい考えられない事であった。
結局、社会復帰するまでに約10日間を要したのである。
それ以来、自分の年齢を自覚しダイエットの為だけではなく、健康の為に適度な運動をしているのである。

若さは日々の努力の積み重ね。
同年代の皆様、お互い頑張りましょうね。

2008-01-20

ロマンスの神様 シーズン2

信州方面は雪の質量共に豊富と言うこともあり、ゲレンデ封鎖という心配もなかったので安心してツアーに申し込む事ができた。スキーそのものを楽しむ事はもちろんであるが、アフタースキーも楽しみの一つであった。っていうか夜に備えて早めにスキーを切り上げる日さえあった。
最重要事項でもあるアフターにおいて 当時はディスコ(今で言うところのクラブ)や小洒落たレストランや居酒屋、喫茶店などが多かった栂池高原が若者には絶大なる人気であった。また栂池高原は、幅も広く比較的緩斜面なゲレンデが多いためスキー初心者がデビューするには最適なスキー場でもあったのである。と言うことは、女性にも楽しめるスキー場である事がわかる。と言うことは多くの女性が集まるので多くの男性にも楽しめるスキー場ということなのだ。女ある所男あり。人類存続の法則である。

私たちより先に行ったことのある友達から栂池の数々の楽しかった話を聞き、胸躍らせて初めて栂池高原に行ったときの事である。行きの息苦しいバスの中でも友達から聞いたあのフレーズである「栂池は町全体が新たなる出会いを求めて集まる男女の社交場みたいなもんや」という言葉が私たち栂池初心者4名の気持ちを盛り上げるのである。
現地に到着し、早速スキーウエアに着替えてゲレンデに出た。噂どおり人気の場所だけにリフト待ちにも時間がかかる。まずは何本かのリフトを乗り繋いで頂上まで行き、一気に降りてこようということになった。青空が広がり最高のコンディションである。リフトが山頂に着き頂上ゲレンデを滑り降りてくるのは最高に気持ちいいものだ。しかし、頂上に行けば行くほど急斜面かつコブも大きくうねっている為、殆んどが本気スキーヤーばかりであり男だらけなのである。
2.3本そのゲレンデを滑っていると、4人とも最高のお天気とは裏腹に何となく心に曇りを感じていたのである。そしてゲレンデの真ん中で立ち止まり緊急ミーティングを行ったのだ。ある一人がこう切り出した。「なあ 収穫なさそうやで・・・」
本来の目的は何なのだ! そうだ!ここは栂池ではないか! 本気でスキーを楽しんでる場合ではないではないか!  満場一致で下の緩斜面ゲレンデに行くことになった。

緩斜面ゲレンデは、私たちの予想通りに華やかなスキーウエアに黄色い声であふれていた。4人に笑顔が戻り、自然と心も体も軽くなり、俄然張り切ってターンをきったり上着を脱いで腰に巻きつけ誰にと言うわけも無くアピールしていたりしたのである。
時間もお昼になり私たち4人が食事をしているとき、隣のテーブルにやはり4人組の女性グループがやってきて昼からは一緒に滑ろうということになったのだ。しかし、彼女達は今夜大阪に帰ると言うことだった。
次の日、やはり絶好のコンディションの中、早朝からゲレンデに出た。今日こそ劇的な出会いをと期待に胸を膨らませながら、リフト待ちをしていた時である。
「お~い。お前らぁ~。」
どこかで聞いたことのある声がしたのである。空耳か??
「お~い。お~い。」
私たち4人恐る恐る振り向いた時、そこには悪魔が立っていたのだ。
高1の時の担任教師である。 どうやら家族で来ているらしい。
先生は笑いながら「こんな所まで来てお前らの顔みるとはなぁ。俺もついてないのぉ。」
それはこちらのセリフである。
そして、その後この広いゲレンデにも関わらず、何度も顔を合わせる事になったのである。

私たち4人にとって、男女の社交場であるはずの栂池デビューツアーは、単なるスキー合宿になってしまったのは言うまでもない。

2008-01-19

ロマンスの神様

ここ数日の大寒波により誰よりも大喜びしているのはスキー場関係者であろう。
昨夜も車のキャリアにスキーやスノーボードを積んで走る若者達をたくさん見かけた。駅前では友達たちと待ち合わせをしているのであろう大勢の若者男女グループも一様に楽しそうである。寒いのに車の中で待ってりゃいいものを、わざわざ車外に出てホット缶コーヒーを飲みながら盛り上がっていたのである。彼らのスキー&スノボツアーはすでに始まっているのだ。純粋に上達をもくろんでいる奴、 買いたてのウエアデビュー戦で心ウキウキしてる奴、 心の底からロマンスの神様に期待を膨らましている奴・・・。

私にとっても懐かしい光景である。
私の頃はスノボの存在は無く、スキー全盛期の時代であった。よって今だスノボには乗ったことも無けりゃ触ったことも無い。板のサイズの長短はあれど、スキーオンリーである。
高校2年の時、友達たち数人でスキーツアーに行った時のことである。新大阪駅団体バス乗り場を21時頃に出発し朝6時ぐらいに信州へ到着するのだ。学生主催の安価なツアーである為、満席である。当然、車中は窮屈かつ人の熱気で寝れるものではないのが常識であった。スキー自体は楽しいのだが、このバスでの往復がいつも気分を重たくしていたのである。私たちのグループの参加人数が奇数であったため、座席が一人離れてしまうと言う事で、平等にジャンケンで決めることにした。結果私が一人離れることになったのである。奴らは声をそろえて「さようなら~」や「ジャンケンの神様は天罰を下す対象の人間はわかっておられる」とかのたまい、ニコニコとして荷物の積み込み始めている。
そして私たちはバス出発のギリギリに乗り込み、座席を探していると、一席だけ後光が差している座席があるではないか!。間違いなく私が指定された座席である。「負けるが勝ち」とはこの様な事を言うのだなぁと思った。「ジャンケンの神様ありがとう。」私は小声でつぶやいたのだ。なんと私の隣の座席に可愛らしい女神が座っていたのである。
この美しき女神は私たちより2歳年上の大学生であった。とても親切で優しく、お菓子をくれたり色んな話をしてくれたりと地獄の時間どころか、天国であった。このまま信州まで2往復くらいして欲しいとさえ思ったほどである。
サービスエリアでの2回目のトイレ休憩のときである。地獄の底を味わっている私の仲間達が私の状況に気付いたのだ。私はトイレをしながら「諸君!車中楽しくやっとるかね。」と勝ち誇った風に言ってやった。すると、友人一人が「サービスエリアの休憩毎に席替えジャンケンやろうぜ!」と提案しくさったのだ。当然、私以外は全員賛成し、運命を掛けた男達の第二次世界ジャンケン大会がトイレの前で繰り広げられたのである。新大阪のジャンケンでは負けた奴が座るはずの座席が今や勝者のみに与えられるゴールデンシートに変身しているのである。そして大盛り上がりの末、またしても私がその席をゲットしたのだ。

そしてこのスキーツアー中はずぅ~っと奇数であるため、私たち全員どこで何をするにも「ジャンケンで勝ったものが1人になれる権利」を得るルールになったのである。

2008-01-17

防災訓練

あの激震から今日で丸13年が経過した。月日が経つのも早いものである。今の小学生達はまだ誰も生まれていなかったのだ。私自身は幸いな事に大きな被害のあった地域の近隣市に住んでいたため、特に大きな影響はなかったのではあるが、それでも災害発生時はベッドやタンスが暴れだし、食器棚からは殆んどのお皿やコップが飛び出して割れ散かっている状態であった。電気はすぐに回復したのであるが、ガスが使えるようになるまで2ヶ月少しかかった。
テレビで被災地の状況が映し出される映像を見て誰もが驚きを隠せなかったであろう。私にとっても青春時代から慣れ親しんだ西宮や神戸の街並みが見るも無残な姿に変わっているのを見ると胸が張り裂けそうな気分であった。
友人が神戸市東灘区に住んでいたためポケットベルに連絡を入れて無事を祈った。地震発生の次の夜、やっと友人から連絡がありマンションが倒壊寸前のため家族全員近くの小学校に避難しているとの事であった。
そしてその夜すぐにお弁当を持って友人のいる小学校まで車を走らせたのである。通常なら神戸まで1時間という距離であるが、国道がデコボコになっているのと私の様な救済の車で大渋滞であった。結局6時間かかって神戸までたどり着いた。向かう道中には多くの倒壊しているビルや家屋、そして何とも言えない焦げた匂い。この瓦礫の中に今も誰かが埋もれているかもしれないと考えると涙が溢れて止まらなかったのである。

本日、長女の通う小学校ではそんな事も映像や写真でしか知らない子供達による防災訓練が行われたのである。校内から校庭に避難している子供達を決まった時間に父兄が迎えにいくというルールなのである。
学校に行くと父兄たちが校門の前あたりから溢れかえっており、子供そっちのけでお母さん連中はお喋りに夢中である。子供達はというと鬼ごっこやプロレスごっこなどを楽しんでおり、全く危機感ゼロである。
人ごみの中からやっと娘を見つけだし、連れて帰る道中で「防災訓練はどうやった?」と尋ねたところ、帰ってきた答えは
「うん。なかなか面白かったよ。授業ないしこれやったら毎日でもええで。」

やはり、何事も実際に経験してないと他人事になるのは仕方ないですなぁ・・・。

2008-01-16

OMC

いよいよ本格的に冬到来のようである。朝、布団から出るのに相当の覚悟と決断が必要になってきたのが一つのバロメーターだ。私はこれまで電気毛布や電気コタツをして寝るのはあまり好きではなかったのだが、昨夜から導入してみたのである。ことのほか快適ではないか。これも歳なのか、この数日間はつま先が冷えて眠るのに多少時間を要していたのだが、昨夜に至っては布団に入りメガネをはずすや否や意識が遠のいていくのが解かったのであった。私の愛すべき必須アイテムがまたひとつ誕生したのだ。

話は変わるが、私の母は数年前より「OMC」に入会している。「OMC」と言ってもダイエーが発行している「オレンジメンバーズカード」ではなく、「おばちゃん 麻雀 クラブ」である。
私の幼少の頃は、よく親父の仕事関係の人達が自宅に来て母親も一緒に休日の朝から夜遅くまで興じていたのであるが、もうそれも25年前の話である。
友達に誘われ、ボケ防止の為という理由で久しぶりに嫌々ながら再開したようである。
「OMC」は7,8名のおばちゃん達で構成されており麻雀ルームを設備している家が2軒あるそうだ。活動日、活動時間は特に設定されておらずその2軒のおばちゃんの都合がよい時にメンバー集めの電話が掛かってくるという段取りである。しかし、だいたい毎週火曜日は麻雀の日となっているようなので、朝から誘いの電話をソワソワ待っているのである。

昨日の早朝、予定通り誘いの電話があったのであるが今日は早い時間に始めて早い時間に終わりましょう。という事だったらしい。いつもは夜7:00~12:00過ぎまで麻雀卓を囲んでいるのである。よって昨日は3:00に集合になったようだ。しかし、夕べ彼女が帰ってきたのは家族の者は誰も知らないのであった。
今朝聞いてみると罰が悪そうに「3時くらいやったかな~・・・」
「ええっ!3時ぃっ!」 

そしてその時電話が鳴ったのである。母は受話器を隠すように小声で話をしている。電話を切った後、「今夜、用事出来たんでまたちょっと出てくるわ」
確実に母の目は踊っている。
昨夜とは違うもう一人の麻雀ルーム保持者からのお誘いに違いない。
我が街では、今夜もボケ防止と称した不良ババア達の「ロ~ン!」の声が響き渡っているのだ。
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