2009-02-24
『親切の連鎖』
2年前、自転車で本州縦断をしたときの話。
僕は、国道1号⇒2号と、大通りを自転車でシャカリキにこいでました
夜中の9時過ぎのことです。 そろそろテントを張る場所を決めようか、という時
間帯でした。
途中、岐阜のあたりで道を間違えてバイパスに入ってしまいました(自転車は通行
禁止です!)
当然、行きかう車からバッシングの嵐です。クラクションを鳴らされまくりなが
らも、なんとかバイパスを抜けました
コンビニを見つけてコンビニの前で休んでいると、 中からタンクトップに革パン
を穿いてスキンヘッドにしている
20代後半くらいのお兄さんが出てきました。僕をずっとにらみつけてます
そのお兄さんは、僕をにらみながら、 自分のアメ車(マスタングか何かだったと
思います。)に乗り込みます
僕は、「ああ、さっき、あおられた車だ…」と思いながら怖くなって、ずっと下
を向いていました
「何もしないで、早くどっか行ってくれないかなぁ…」って念じていました
ところが、僕の念もむなしく、アメ車から、先ほどのスキンヘッドのお兄さんが
出てくるではないですか
で、僕の方に歩いてくる…
僕はもう、ドッキドキです…手のひらに汗をかいてました。
頭の中で、こんなことを考えました
「こいつは、服装から言って、短気なヤツなんだ。」
「さっきバイパスで邪魔をしたのにムカついているんだ…」
「いや、こいつは、外見からし、ハードゲイかもしれない…」
(旅の前に、ある日本一周記を読んだのですが、ゲイだかオカマだかに犯されそう
になった、という記述があったので、身構えてました)
お兄さん、ドスの聞いた声で、「オイ、おまえ、ひとりか!?」と僕に聞きます。
僕は上ずった声で、「はい~」
お兄さん「どこからきとるんや?」
僕「千葉からです」
お兄さん「おまえ、ちょっと待ってろよ?」
と言って、再びコンビニの中へ
僕は、めちゃくちゃ怖いので、今のうちに逃げ出そうかと思ってました
ただ、ここから先は国道の一本道。自転車で逃げても相手は車。
すぐ捕まるだろうなぁ…そんなことを考えていました
3分ほどして、お兄さん、コンビニから出てきました
手には、大量のおにぎりが入ったコンビニの袋をもっています…
お兄さん「ほらよ!」 そのおにぎりの入った袋を僕に渡します。
僕「???」「何ですかこれ?」
お兄さん「おまえにやるよ」
僕「???」
お兄さん 『俺も、7~8年前に自転車で日本縦断をしてなぁ。いろんな人に親切
にされたんだ
ある日、とても親切にされた人にお礼をしようとして、連絡先を聞いたらこう言
われたんだ
“俺も昔、自転車で旅をしたことがある。そのとき親切にされた人から、お礼は
いらんから、おまえが旅人を見たときは、その人に親切にしてやってくれ”
って。 だから、俺は旅人を見つけたら親切をすることにしている。おまえも、旅
人を見つけたら俺への恩返しの代わりと思って親切にしてやってくれ
これを続けていけば、日本は旅をする人が、親切にされる国になるだろぅ?』
こう言い残して、アメ車に乗り込みました
僕は感動して、鳥肌がたちました「ありがとうございます!」と大声で叫んで、ア
メ車を見送りました
そして、今後の人生で、旅人に親切にすることを心に決めました
※余談ですが、このお兄さん、コンビニのおにぎりを全部買ってきてくれたよう
です
(お兄さんが行った後、コンビニの中に入ってみてみたら、おにぎり全部売り切れ
…)
おにぎりは、全部で、22個ありました
コンビニのおにぎりの賞味期限って結構早いんですよね…
その日の夕飯⇒おにぎり3個と缶詰
次の日の朝飯⇒おにぎり3個
昼飯⇒おにぎり4個
夜飯⇒おにぎり2個
「…こんなに食いきれね~(笑)…」
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本当に素敵な話ですね♪
2009-02-13
こんにちは!!
沖縄で生まれ沖縄で育ち沖縄で暮らしている10代最後の年を誰にも負けないくら
い情熱的に面白く笑顔で生きている沖縄大好き男です。
僕にとっての★夢★は
家族に対する愛情から生まれました!!!
まず,僕は家族7人♪
父 母 兄(3つ上) 兄(2つ上) ぼく 弟(4つ下) 妹(7つ下)
ここ沖縄で賑やかに過ごしています。
毎日洗濯物の数,ご飯の後の食器の数には気合いを入れて挑まないといけません。
ただ,本当にいま幸せです!!!
毎日笑っています。
妹の笑い声は最高!!
弟の体の細さには毎日ビックリです♪
母の笑顔とテンションには惚れます。
兄の毎回の丸刈りには尊敬です!!
しかし,実を言うと
父と2つ上の兄はもう一緒に暮らしていません。
まず..兄は小学生高学年から病気にかかり入退院を繰り返していました。
僕は小学生のとき学校と病院が近かったことがあり放課後は必ず病院へ行って兄
に会いにいきました。
一緒にゲームしたりテレビ見たり病院でも兄といるときは楽しかった。
しかし,ある日学校で給食が終わりごろ校内放送があり... それは僕を呼ぶ放送で
した。
兄がもう危ない状態であること。
担任の先生に病院まで送迎してもらい病室に入ると、もう小学生ながら全てを理
解しました。
本当に辛かった。本当に泣いた。
これでもないくらい泣き崩れました。
いまでもあの日は忘れることはありません。
その日以来どんなことが起こっても泣くことができませんでした。
どんな感動する映画を見ても...中学校でやっていたハンドボールの県大会最後の
試合で負けても...
あの日で全ての涙を流したと思います。
それほど辛かった。もうこれ以上の悲しみは無いと思った。
それから,,,,数日が過ぎ家族みんなやっと元気を取り戻しました。
笑顔も出てきました!!
僕は中学を卒業。
県内の進学校へ入学していました。
家族みんな幸せで...あの日のことを思い出さないようにしてました。
誰も話すことは無かった。
僕は高校でもハンドボールを続けていたので..休日も部活へ行ってました。
仲間とやるハンドボールは本当に自分を元気にさせてくれました。
僕は毎日元気で笑顔で過ごしていました。
そんな中...
休日の部活終わりにおばさんからの着信履歴が何度も残っていました。
電話をすると..
「どこいる?今迎えに行くからすぐ準備して」
僕はおばさんの車にのり..
家へ向かう途中 あの日と似たような雰囲気を察しました。
一度あの体験をすると忘れることはできません。
家に着き...玄関をあけ...
中に入ると家族分以上の靴。
おばさんやおじさんが来ていました。
それはいつもワイワイガヤガヤやっている雰囲気ではなく...みんなが下を向いて
いました。
裏の部屋に行くよう促され,行ってみるとそこには母がいました。
いつもの笑顔な母ではなく母も下を向いた顔をしました。
「お父さんが....」
母の言葉を全て聞くことなく僕は全てを悟りました。
また.....今度は父が...
突然に訪れた父の他界。
再び訪れた家族の死。
僕は兄が亡くなって日以来流すことのなかった涙を流しました。
また泣き崩れました。
本当に泣いた
本当に悲しかった
家族が1人1人といなくなっていく。
こんなに悲しいことはありません。
それから...しばらくは
みんな暗かった。
僕もあの時は下を向いていた。
しかし..一番辛いであろう母。
みんなに頭を下げているは母。
励まされる度に泣いている母。
そんな母を守って行こうと!!
今度は僕が守る番だと。
泣くことを我慢しました。
しかし葬式の時...父の知り合いや親戚が多く集まる中..僕の高校のクラス全員が
来てくれていたのです。
その時..我慢していた涙がどっと流れてきました。
本当に嬉しいかった。
仲間がいることが嬉しかった。
僕を励ましてくれる仲間がいることが嬉しかった。
葬式などが終わり
落ち着くと今度は
兄もいない
父もいない
生活が始まりました。
最初は本当に辛かった!!
生きている意味が分からなかった。
僕はそんな中..
本当に元気に笑顔でくらして行こうと決めた!!家族みんなが暗いなら僕が元気にして行こうと。
学校でもいつも笑顔であんな辛い経験がなかったように振る舞った。
大事な仲間と楽しい時間を過ごした。
当時の友達には父がなくなったのを知らない人もいるだろう!!
それくらい毎日元気に生きていた。
それから家族はみんな少しずつ元気を取り戻し..またいつもの家族に戻っていった。
もうこんな悲しいことはないと思った。
兄は大学進学。僕は高校。弟は中学へ。妹は小学生となった。
そんな時..妹がイギリスにホームステイを2週間しに行った。
それから帰ってきて3日後...
また僕たち家族を悲しませた。
今度は妹が突然の意識喪失。
入院をせざるえなくなった
原因はストレス。
初めての海外。初めての外国人の家での生活。
そんな1つ1つが小学生の妹には
大きなストレスとなっていたのだ。
その病気は子どもでは比較的に珍しかったらしい。
病室も個室となり隔離され、家族以外の面会は断られた。
一時は僕が妹に声をかけると聞こえているのかいないのか返事はない。
笑うこともない。
あの可愛い笑い声も聞くことができなかった。
起き上がることもままならず...
どうして僕の家族はこんなめにあうのか!?また妹も....
と考える日々が続いていた。
本当にどん底だった。
それから1年...
母は家に帰ることなく妹に付きっきりで看病した。
家では僕と兄と弟だけで生活をした。
また暗い雰囲気だった。
活気がなかった。笑顔がなかった。
しかし...入院から数ヶ月後
母の24時間の看病。
僕兄弟の思い。が届いたのだ!!
妹は奇跡的に元気を取り戻し
喋ることが
食事を食べることが
自分でトイレにいくが
一緒に笑うことができるようになった。
本当に嬉しかった♪
本当に嬉しかった♪
また家族に笑顔が戻ってきた。
退院までに1年かかったが..
妹がまた僕たちの家に帰ってきて
一緒にご飯を食べれる。
一緒に笑うことができる!!
一緒に家にいる!!
こんな素晴らしいことは無かった♪
本当に幸せだと感じた♪
僕は今本当に生かされてることに感謝している♪
兄と父は今一緒に暮らすことはできないが...
いつも僕の心の中にはいる♪
一緒に生きています。
彼らが生きることができなかった分も僕は生きるつもりです。
それからは本当に今を大事にし家族みんな幸せに暮らしている。
僕が父との思い出でとても印象に残っているのが
2人で行った居酒屋。
まだ中学校の僕と2人で行きました。
父はお酒が好きで...よく飲んでいました。
しかし、その日は車で来たので2人でジュースを飲みおいしい料理を
いくつか食べただけでした。
父は一緒にお酒を飲みたかったはず。
ぼくは..そんな父のために居酒屋を持ちたい。
いつしか自然にそう思っていました。
父と一緒に飲むことはできなかったが...
父が気にいるようなお店を持つ。
それが夢となっていました♪
家族で来ても仲間で来ても楽しめる。
最高の時間を過ごすことができる。
最高の思い出を作ることができる。
家族の大切さを感じることができる。
お店に来た人が笑顔になることができる。
そんなお店を作りたい。
僕は作ります!!
やってみせます。
父のため...
最高のお店を作ります。
僕と父がふらっとたちよった居酒屋での思い出。
そんな思い出をいろんな人に作ってもらいたい。
ただそれだけのためにお店を作ります。
そして...一番つらかったであろう母。
母を幸せにします。
母が幸せなら僕は最高です。
女一人でここまで育ててくれた母。
大感謝です!!言葉では言い表せません。
自分にとってまだまだ想像上の話ですが....絶対やってみせます!!
どんなに長引いても作ってみせます。
最高の空間にします。
僕は今、父と兄の分も笑顔に楽しく毎日過ごしてます!!
母とも兄.弟.妹とも幸せに暮らしています。
何気ない毎日が僕にとっては本当に幸せです!!
これからもこの幸せがいつまでも続くように自分から幸せを発信していきます。
僕の夢は...
まず家族が幸せであること。
いつも笑顔でテンション高めの毎日を送る。
さらに,自分のお店で
訪れた人を幸せにすること。
家族の大切さを伝えること。
最後に母より先に死なないこと。
必ず母より長く生きる!!
全てやってやります。
ここ沖縄から最高の笑顔と幸せを発信していきます!!
最後の10代
笑顔で感謝の心をもち
毎日をHAPPYに生きていきます。
書いていたら
ワクワクしてきました。
これから5年後10年後
自分が関わる人を幸せにし
多くの人が笑顔になり
最高な空間を作っている。
仲間を大事にする。
そんな大人になります。
何年後かに兄弟みんなで僕の居酒屋に集まり兄弟だけのパーティーを開くことを
密かに考えてます。
今までのことを語り合いもっと兄弟愛を深めます!
楽しみさ~!!
読んでくれてありがとうございます。
嘉数 光
2009-02-03
【モテ顔にする方法】
「なんか最近いい顔してるねー」
「小顔になったねー」
って最近よく言われます。
実は、自分をモテ顔にする方法があるのです。
効果バツグン秘密の方法をお伝えするんですから、
必ずやる??と約束してくださいね。
毎朝、鏡に自分の顔を映して、にっこり笑って、
「おはようー」
って言います。
そして、
「今日もがんばれ」と自分を励まし、
「うーーん今日も素敵」と最後に自分を誉めます。
以上です。
ほんとうに効果があらわれます。
さらに効果を高めたかったら、
毎夜寝る前、お風呂に入った後に、鏡に自分の顔を映して、
にっこり笑って、
「おやすみー」と言います。
「今日もご苦労様」と自分をいたわり、最後に
「今日もがんばったねー」と自分を誉めます。
毎日少しの時間でいいから、これを行っていくと、自然と口角が上がり、
「なんか最近いい顔してるねー」
とか
「小顔になったねー」
ってひんぱんに言われるようになります。
そして、自分の顔が好きになり、自分のことも好きになる
まさに一石二鳥なのです。
最近は応用編として、体を全身鏡に写して
「からだ素敵ーまだ私イケテるー」
と体を誉めることにしました。
みなさまもぜひやってみてくださいね。
というわけで…3秒セラピー♪♪♪
「まだ私イケテるー」byひすいこたろう
息子「とうちゃん、なに、やってるの」
「新しい体操…」
【お話】ゆうりん・30代・愛のツアーコンダクター
ひすいこたろう著
名言セラピーより